私たちに翼はない(Ⅰ) ◆tu4bghlMI


「やべえええええええええええええ!! おい、お前ら早くしろって!! 追いつかれちまうだろ!?」

きぬが吼える。

「こいつ――ッ!! アホかッ!! お前があんな大声出したからだろうが!!」

あゆがきぬのあまりにも身勝手な発言に反感を覚え、怒鳴りつける。

「んだとコラァッ!!! んなわけあるかっ!! 言い掛かりつけんのもいい加減にしろや、テメェ!?」
「ああッ!? 威勢だけは上等じゃないか、この糞チビ!!」

結果として、それは口論に発展した。
言い争う金髪の女と橙色の髪の女。そのやり取りは非常に荒々しく、そして幼い。
本来ならばもっと高度なやり取りが出来る筈の彼女達も、切羽詰まった状況で混乱し切っていた。
そして、

「……最悪」

一人、最低の現状を実感する少女の姿。
色彩で表すならば、白。乳白色の長髪がバッサバッサと揺れる。
沙羅は噛み締めるように己に降り注ぐ不幸を呪った。

『あんた達、口動かしてる暇があったら、どっちも足を動かしなさいよ、バカ!!』

なんて、言いたくても言える訳がない。下手に藪を突っついたら蛇が出てきそうだ。


「どうしろって言うのよ……っ!!」


小さく後方を一瞥し、彼女は迫る威圧感を再確認すると更に走るペースを上げた。



蟹沢きぬ、大空寺あゆ、白鐘沙羅は全速力で森を駆けていた。
三人ともここまでの無理がたたって、身体は万全ではない。
だが、しかし走る。ひたすら走る。山頂がある<<西>>――ではあると思うが、彼方へと向けて。

「…………逃がさない」

騒がしい三人組を背後から追走する一つの影。
<<魔物>>を――いや今は、<<人>>を狩る牢獄の剣士・川澄舞。
友のため殺し合いに乗った悲しき戦士は、剥き出しの殺意を隠そうともせず、獲物を追走する。


 ■


沙羅はため息をつきながら、現状の分析を試みた。あくまでも、<<冷静>>に。
発端は大空寺あゆの言った通り――かどうかは分からない。
確かに遥かな虚空、居場所も分からない地点から自分達を監視しているだろう鷹野三四に対して、蟹沢きぬが見事な啖呵を切ったことは事実。
そして、その無駄なボリュームが川澄舞を呼び寄せたと判断することも可能だろう。

しかし沙羅達が彼女と遭遇したのは放送明けだ。きぬの宣戦布告とは時間に多少のズレが生じる。
彼女がどこかに潜み、頃合を伺っていたと考えることも可能ではあるが。
やはり断定するには材料が決定的に足りない。


放送は三人に残酷な現実だけを一方的に突き付けた。
前々回から毎回、放送者が変わっていたため、今回も別の人物がそれを行うだろうとは思っていた。
しかし、今回の担当者は沙羅の予想を遥かに上回る人物だった。
【鈴凛】と名乗った少女。彼女はなんと今も彼女達の首を締め付けている爆弾の製作者であったのだ。
そして、参加者の中に自らの知り合いが存在していたこともサラリと言ってのけた。

残りの参加者は十三人。
殺し合いの終盤を沙羅は肌で感じ取る。
佐藤良美ですら、その命を落とした。
もはや、この状況下において生き残っている者は誰しもが一種の強者と言って間違いない。
ならば、<<この状況下において殺し合いに乗っている者>>は――鬼、もしくは悪魔に近い。


どこに向かっているのかさえ分からず、ただひたすら山林を駆け抜ける。
弾丸は飛んで来ない。最初に威嚇で撃たれた一発だけだ。
だが、背後から感じる威圧感だけは紛れもない本物である。川澄舞は、確実に彼女達を追い詰めつつあった。

(どうする……!? このまま逃げ回っていても埒があかない。それに、一対三なら分の悪い賭けじゃない。
 それに皆それなりの動きは出来る……明らかな足手まといは――いない)

あゆときぬの言葉から、沙羅は背後の襲撃者が圧倒的な実力を有していることは理解していた。
熟練した戦士が一対一で容易く力負けし、武装も強力。
今、彼女の手の中にある武器は心細い拳銃一丁である以上、満足の行く戦いが出来るとは思えない。
加えて先ほどから、自分達が逃げているのではなく、<<逃がされている>>という感覚。
まるで同じ場所で堂々巡りを繰り返している気にさえなって来る。


「聞いて、二人とも。彼女を……川澄舞を迎え撃ちましょう。
 大丈夫、こっちは三人。あっちは一人……勝機はあるわ」
「「はぁっ!?」」


あゆときぬは沙羅の提案に素っ頓狂な声で驚きを示す。だが、決して足は止めない。
とはいえ、二人がこのような反応を示すのも無理のない話だ。
一度川澄舞と刃を交えたものが、彼女と再戦をしたいなどと思う筈がないからだ。

この中で唯一、沙羅だけが川澄舞が戦う場面を目撃した経験がない。
本物の戦士が得意武器を持ち、自らの得意な地形で戦ったにも関わらず容易く押し負ける――
事実として把握こそしてはいるものの、<<空気>>を感じた訳ではない者故の選択であった。


「馬鹿、ねーよ!! 数がいりゃあ何とかなるなんて、<<人間>>に対する理屈だぜ?
 あの女ヤバ過ぎるって!!」
「アイツばかりは、な。参加者の中には明らかに人間離れした連中ってのが、確かにいるのさ。
 あたしも……ほれ、この通り」


あゆが沙羅に見事な青痣が出来上がった左腕を見せつける。
これは彼女がアセリアと戦闘した際に、付けられた傷だった。
頭部を狙った一撃を回避するため、咄嗟に差し出した身代わりである。
敵の獲物は金属バット、あゆは拳銃――天と地ほどもありそうな武器のハンデを容易くアセリアは覆した。
もしも、あゆの動作があと一秒遅ければ、彼女は今、生きてはいない筈なのだ。

触らぬ神に祟りなし――この島では誰もが勇者になる必要などないのだ。
しかし、沙羅は自らの意見を曲げなかった。


「だからよ! 生き残りは十三人。ある程度戦える人間が複数揃っているチームなんて、多分ほとんどないわ。
 今ここで彼女を食い止めないと、どう考えてもジリ貧。命がいくつあっても足りないもの!」
「それを……あたし達がやるのか? 相手は素人の拳銃が有効打になるようなレベルの相手じゃない」


あゆは憎々しげに自身の掌に握られた拳銃を見つめながら呟いた。
彼女は既に非常識な力を持った人間に何度も圧倒されていた。拳銃は万能な武器ではない、そう感じていたのだ。
そして、極めつけは舞が持っている奇妙な形をした剣について。
あゆはあの武器から、ホテルで感じた奇妙な違和感に似たプレッシャーを受け取っていた。

だが、二人の意見は食い違う。
沙羅はこの島に来てから戦う機会にこそ恵まれなかったが、元々銃器の扱いに長け、荒っぽいやり取りにも慣れている。
一方であゆは殺し合いの経験こそないが、この島で異質な力を持った相手との修羅場をいくつも乗り越えて来た。
二人の立ち位置は酷似しているようで、微妙なズレがあった。


「じゃあ、逃げるの? そのせいでまた犠牲者が出るのよ!」
「この期に及んで善人面することもないだろうが。自分が死んじまったら元も子もない……そうだろ?」


走りながら二人は言い争う。
きぬがイライラした表情で彼女達のやりとりを見つめる。
いつ終わるかも分からない追いかけっこに終止符を打ちたい、と思う沙羅。
ひとまずこの場を切り抜け、一刻も早く一ノ瀬ことみを追跡したいと思うあゆ。


決して沙羅が舞の実力を甘くみていた訳ではない。己の力を過信していた訳でもない。
彼女が今この場にいる誰よりも戦場に慣れているのは明らかであり、人一倍危険察知能力にも優れている。
勝てない戦を望んで行うような無能ではない。では何故?
それは簡単な論理。ただ、沙羅はこれ以上誰かが死ぬ光景を見たくなかったのだ。
胸の中に強い復讐の心を秘めたあゆとは少しだけ、違う誰かを守りたいという強い想い。


「だからって――ッ!!! あ……ッ!!」
「嘘……道が……ない!?」


鬱蒼とした梢の先に広がっていた光。
それは荒々しい大地と僅かな緑に囲まれた盆地のような場所だった。
唯一つの問題点、向こう岸まで数メートルはありそうな峡谷を除いて。

島の中間部、この周辺はC-5に存在する山を中心としたエリアだ。
つまり、西に向かえば向かうほど傾斜も急になって行く。そして島を横切るように流れている河川の存在がある。
この川が島を大きく二つに分断する。両者を行き来するためには吊橋を渡らなければならない。

しかし、方角も調べずに走り回っていた彼女達は、丁度、山中の行き止まりである崖部分にぶち当たってしまったのだ。
吊り橋はまだ大分西、急いで左右に散開しようとしても不可能だ。
引き返すことも出来ない。なぜなら、

「…………追い詰めた」

ついに、殺人鬼・川澄舞の射程内に三人は入ってしまったのだから。
おぼろげな霞を身に纏い、鬼が笑った。
無表情な能面の口元を無理やり持ち上げたような不自然さで。

それが彼女にとって何を示しているのかは分からない。
ただ、明らかについ先ほど出会った時とは違う――
そんな予感を沙羅達に抱かせるには十分過ぎる程、今の舞は戦いを求めていた。


もちろん、舞が三人を意図的にこの場所へと導いたのだ。
永遠神剣第七位"存在"を使用した高速移動は元々、彼女の性分に非常に適していた。
月宮あゆは永遠神剣第七位"献身"を用い移動したことで、多大な魔力を消費したが舞にその心配はほとんどなかった。

舞にとって神剣魔法は力の消費が激し過ぎる帰来がある。
一回のウォーターシールドとアイスパニッシャーの行使……それだけで全魔力の30%近くを消費したのだから。
しかし、こと魔力による肉体強化に関して彼女には天賦の才があった。

加えて残された弾丸の少なさ。千影から譲り受けた100発の弾も残すはあと七発。
ニューナンブに装填してあるものを含めても僅か十二発。キャリバーの予備弾は全て遠野美凪が持っている。
故に出来るだけ接近戦、そして敵を戦いにくい場所に追い込みたかったのだ。
相手に背水の陣を強制的に敷かせることによる殲滅――それこそが彼女の望みだった。

「糞ッ――結局、こういうことになった訳か。沙羅ッ!」
「分かってる。この状況……少しだけ、厳しいけれど」
「二人とも……」
「きぬ、私達が前に出るわ。あなたは無理せず、援護に専念して」
「……ああ」

振り向いた三人は後ずさりしつつ、武器の準備をする。
一歩、一歩、舞が歩みを進める。比例するように三人も後方へ移動。
距離自体は変わらない、しかし沙羅達の後方に少しずつ崖が近付いていることもまた事実。

照り付ける太陽の光。
時刻は日中――十三時も半ばが過ぎた辺りか。
一日のうちで最も眩しい輝きを放ちながら、絶空から四人の少女を見つめる恒星。
そして、一丈の白雲がその煌きに影をもたらした時。
戦いは始まった。


 ■

<<一対三>>

先手を打ったのは沙羅だった。
ワルサーP99を容赦なしに舞に向けて三発発射する。

この銃の最大の利点とは何か。
ワルサーP99はワルサーシリーズの中でも傑作とされ、旧型のワルサーP38の真の後継者とまで称される名銃である。
しかし、現在の状況下においてグリップの利便性や汎用性よりも効果的なのはやはり、装弾数の多さではないだろうか。

舞が使用するリボルバータイプのニューナンブM60と比べ、こちらは何と数にして十六発という圧倒的な数の弾丸を発射出来る。
マガジンタイプの弾倉は弾丸の補充も容易である。
弾薬こそ、補給の効かない状況下における命。そして生命線だ。
故に、その利点を最大限生かし、複数射撃によって先制攻撃を試みた白鐘沙羅の判断は的確だったと言えよう。しかし、

「――ッ!! そんな単純な攻撃……当たらない」
「なッ……!!」

川澄舞にとって、真っ向からの直線的な銃撃では牽制にさえならないことを彼女は知らなかった。
ゆらりと幽鬼のように舞は弾丸を体勢を低くすることで回避する。
そもそも彼女は永遠神剣によって肉体強化を行う前の状態でさえ、弾丸を目視し、それを躱すことが出来たのだ。
"存在"を手に入れ、人の力と神秘の力を融合させることを覚えた彼女にとってそれは児戯に等しい。

「糞……化け物が!!」

あゆが憎まれ口と共にゲーム開始時から使用しているS&W M10を発射。
が、彼女がトリガーを引くと同時に舞は大地を蹴って一気に距離を詰める。
結果あゆの眼に写ったのは、弾丸が間抜けにも地面に当たる音と、十メートル以上の間合い数メートル前まで一瞬で移動する女の姿だった。

沙羅が一瞬の混乱から復帰し、あゆを援護するべく数発弾丸を放つが当たる筈もない。
正確に頭を狙った一撃でさえ、軽く首を動かしてかわされる始末。
彼女の脳裏に過ぎったのは川澄舞の非常識な能力に対する恐怖と脅えだった。

森が終わり、かすかな荒地と芝生が覗くこの場所において、舞の存在は脅威的だった。
鬼神、武神、殺人鬼――どんな言葉を使っても表現しきれない。
本来なら相手を目視することしか出来ないような距離でさえ、一足で自らの間合いへと持ち込み剣を振るう。

そう、沙羅は感じていた。
もしも――自分が少しだけ長いまばたきをしたら、その時既に彼女の顔が目の前に来ているのではないか。
そんな、杞憂を通り越して神経過敏にさえ思えるような不安が、今は現実なのだ。
事実、彼女の動きは目視するのが精一杯なくらい、早い。

「二人ともッ!! 散って!!」

だが、決して彼女はその禍々しいオーラに飲み込まれることはなかった。
震える心に渇を入れ、あゆときぬに対して大声で指令を出す。
幸いなことに他の二人も完全に舞に気圧されていた訳ではなかった。
沙羅の言葉に突き動かされ、完全に退路を断たれ、谷のすぐ側まで追い詰められる前に散開する。

沙羅は舞から見て左へ。
あゆときぬは右へ。

当たらないことを理解しながらもあゆと沙羅は銃で、きぬはマトモな射撃が期待出来ない釘撃ち機をしまい、クロスボウで応戦する。
自らを中心にしたTの字型に散った敵を見据え、舞は思考する。
左から飛んで来た弾丸を身体を捻って回避、右から来た玉は――何もせずとも当たらないと判断。無視する。
だが、オレンジ色の髪の女が放った矢だけは上手いことに、真っ直ぐコチラへ向かっているようだ。

故に、舞は周りの人間にとって想像も付かない方法を取った。
右手の"存在"を地面に突き刺し、慣性の掛かった身体を緊急停止させる。
そして、拳銃を真上へとポーンと放り投げた。

「「「えッ!?」」」

黒鉄の凶器が空を舞う。約五、六メートル近く上空まで拳銃は上昇。
当然、五秒も掛からずに重力に引かれ落下する――誰もがそれは理解していた。
だが、その与えられた五秒間で舞が取った行動は三人を驚かせるには十分過ぎるものだった。

時は淀みなく進む。
クロニクル通りに、物事を消化しよう。
まず舞が拳銃を投げ、次に――その身体目掛けて蟹沢きぬの放ったボウガンの矢が飛来する。
そして彼女はその矢を「ある夏の日にスイカを食べて涼んでいる者が、飛んで来た一匹の蚊を叩き落す」ように、

――顔色一つ変えず掴んで止めた。


三人の顔に驚愕の色が走る。
それから後はもはや曲芸の域だった。
舞はすぐさま矢を右手に持ち替え、空いた左手で永遠神剣を再度持つ。

そして、メジャーリーグのピッチャーのような豪快なオーバースローでそれを、きぬに向けて――投擲したのだ。
放たれたのはボールではなくて、ボウガンの矢。
ただし、その速度は時速にして160kmを軽く超えていた。

勿論、人が投げる矢と火薬の爆発によって推進力を得た弾丸の速度など比べ物にならない。
事実三人の眼には、舞が放った矢の軌道がある程度は見えた筈なのだ。
しかしこの状況下において最も重要な事実は、彼女が本人以外誰一人として予想しなかった行動を取ったということ。

『攻撃が跳ね返される』という、ゲームか漫画の世界の常識が彼女達に備わっている訳がなかった。
そもそも銃を上に放り投げた時点で、三人の注意は一時的に舞の身体から離れていた。
つまり彼女が矢を受け止めた瞬間――沙羅達の動きは有り得ない出来事に停止したも同然だった。

言うまでもなく、止まっている人間に攻撃を当てることなど彼女にとって造作もないことで、


「あぁぁぁあああああッ!!!!」
「カニッ!?」
「きぬ――ッ!! あっ!!!」

その銀色に光る矢は、蟹沢きぬの身体を貫いていた。
きぬの空気を裂くような悲鳴が木霊する。
声にならないうめき声の裏側、小さな音を立て、ニューナンブM60が天から主の掌へと舞い戻る。
唯一、それに気付いた沙羅は友を案ずる叫びを飲み込み再度銃を構えた。



 ■

<<一対二>>

一対多の構図の際、単独のものが取るべき戦術は二通りある。

リーダーを狙うか、敵の数を減らすことを目的にするか。それらのどちらかである。
しかしいかに数で勝っていても川澄舞と相対した現在の状況において、それが絶対的な有利には繋がらないことを、沙羅はこの短いやり取りの中で嫌と言うほど思い知っていた。
故に、彼女が取るであろう行動は決まっている。
おそらく、明らかな手負いとなったきぬを狙って攻撃してくることだろう。

誰かを守りながら戦うことは非常に難しい。
そもそも自分達が彼女に対して持っているアドバンテージは『足でまといにならない人間が三人いること』ただ一つだったのだ。
一対三の構図は脆くも崩れ去った。残されたのは、圧倒的に不利な状況だけ――つまり、一対二。
沙羅は己の無能具合を責めることしか出来なかった。

(考えなさい、沙羅。冷静になって考えるの。もう圭一はここにはいない。
 美凪はなんとかまだ生きているようだけど、安全かどうか保障はない。クールに、クールになるのよ。
 私が絶対に圭一の意思は継いでみせる。彼女は私が必ずここで……止めるっ!!)

幸いなことにきぬは死んだ訳ではない。
ただ矢に当たっただけだ。
人の手で投げられた矢など、余程当たり所が悪くなければ一発で命を失う怪我を負ったりはしない。
そもそも、投げた矢が身体に刺さった時点で奇跡に近いのだ。

だが、命中した場所は中々条件が悪い。右の太股――移動の要となるそこを見事に矢は貫いていた。
とぷとぷと漏れる赤がやけに扇情的である。出血が酷い。
つまりきぬはもはや、機敏な動きで逃げ回ることは出来ない。
位置の固定、それは自分達にとって最悪の結末に直結することとなる。


そう考えた瞬間、沙羅の身体は勝手に動き出していた。
拳銃をすぐにでも射撃体勢に移れる位置にしまうと、デイパックから一本の刀を取り出す。
地獄蝶々――竜鳴館高校の風紀委員長に代々伝わる名刀である。

「川澄舞っ!! こっちを向きなさいッ!!!」
「…………?」

突然名前を呼ばれ、舞は怪訝な顔付きで軽く振り向く。
だが前方のあゆときぬに注意は向けたままである。
妙な動きをすれば、一瞬で仕留めに行く。沙羅でさえ彼女のその意思に確信を持つことが出来た。

だが、同時に沙羅は心の中で改心の笑みを浮かべた。
何とか相手の興味を引くことが出来た――これは非常に大きい。
状況の逆転は時間、時間との関連性が少なくない。
いかに分が悪くても勝負行かなければならない状況があるのだ。そしてソレはきっと、今この瞬間だ。


「私とタイマンで勝負しなさいッ!!!!」


沙羅は地獄蝶々の刀身を抜き放ち、鞘を後ろへと放り投げた。
カランカランと乾いた音を立て、素晴らしい装飾が施されたそれが大地を転がる。
そして刀を握り締め、沙羅は正眼に構えた。
舞の後ろであゆが眼を丸くして唖然とした表情を浮かべている。
苦痛で顔を歪めていたきぬも驚きの色を隠せない。

倉成武が前原圭一に持ちかけた一対一での決闘の誘い……その時の言葉が一字一句正確に沙羅の頭の中で繰り返された。
男と男の命を賭けた全力でのぶつかり合い。
圭一の意志を継ぐと決意した自分にとって、コレ以上ないほど最高の提案のようにさえ思えた。

しかも、そんなダンディズム以外の要素の方がよっぽど重要だ。

『川澄舞の注意を引きつける』という一点。
この点だけに絞れば、一対一での闘いを申し込むというのは最高の策ではないか。

他の二人が狙われることもなく、最低限の時間を稼ぐことが出来る。
このままジリ貧で三人ともやられてしまうよりはよっぽど有益な作戦だ。
沙羅は自らの閃きの鋭さに若干の笑みを浮かべた。
「さすが名探偵の美人助手だ」と決闘は始まってもいないのに、自画自賛したくなる。――が、


「…………馬鹿?」
「――な、なんでそんな反応なのよっ!?」


返って来たのは、あまりにもつれない返事。
舞は完全に沙羅の方へと向き直り、目の前の少女を哀れむような瞳で見つめる。
視線は言葉以上に雄弁に語る。

『うわぁ、可哀想な人だ』(←注:訳・白鐘沙羅)

とはいえその姿に隙は全くない。
その気になればこの場にいる三人など容易く御せるという自身の表れか。が、確かなことは分からない。
ただ、とりあえず、彼女の眼が沙羅を思いっきり馬鹿にしていることだけは明らかであった。

(嘘嘘嘘!! なんで!? どうして!? しかもよりによって、あんな眼で見られないといけないの!?
 私そんなに変なこと言った!? ここは二つ返事で「分かった」って頷く所じゃないの!?
 これじゃあ……私がただの頭の弱い子みたいじゃないっ!!)

沙羅の顔面に浮かび上がった微笑は一瞬で消滅し、今や茹タコのように真っ赤になっている。
こんな極限状況でも羞恥心は感じるんだな、などとどうでもいいことにだけ頭が回る。
加えて、彼女としてはいたって真面目な発言であったため、ソレを普通に却下されたことは彼女の精神に大きなダメージを与えた。


「タイマン……ってつまり……私と剣で勝負したいってこと……でしょ?」
「そうよ、そうに決まってるじゃないっ!! この刀を見なさい、きっと業物……いえ、大業物よ!? 
 その辺のナマクラ刀じゃないのよ!? 相手にして不足はない筈だわ!!」
「……でも」
「何よッ!?」
「それ……刀の握り……じゃない」
「…………へ?」


間抜けな声を出しながら、沙羅は自らの手元を確認する。
自分は確かに刀を両手でしっかりと握り締めていた。
もうドンだけぶん回してもすっぽ抜けることはない、と確信出来るくらい強く。
つまり、俗に言うバットでボールを打つ時の持ち方である。

沙羅はこのときようやく、そう言えば剣道の刀って特別な持ち方あったなぁ、という事実を思い出した。


「刀は……こう……持つ。剣を使う人間にとっては……常識」
「でででで、でも!! だからって決闘が成立しない訳じゃないわ!!」
「……ううん」


沙羅は狼狽した。
つまり彼女は舞から『決闘をするに値しない』と切捨てられたのだ。
自らが戦いのスタートラインにさえ立っていなかったという事実は、彼女に少なからぬ動揺を与えた。そして、


「握りも知らない人間が……経験者に勝てるほど……剣術は甘くない」


――玉砕。
トドメの一言が炸裂した。
舞はもう言うことはないとでも言いたげに、クルッと身体を返した。沙羅に堂々と背中を向けたのだ。
それは、つまり、先にあゆときぬを攻撃するという意思証明。
あゆはまだ十分動ける。しかし、きぬは無理だ。
あゆが生き残るためにはきぬを見捨てるしかなくて、きぬにはどうすることも出来ない。

沙羅はブルブルと身体を震えさせた。

彼女は一体、何を感じたのだろう。
己の馬鹿さ加減を、愚かさを呪うのだろうか。
絶望に打ちひしがれ、大地に膝を付いて涙を流すのだろうか。
だが、正解はそのどちらとも違った。
いや、そもそもベクトルからして全くの真逆、


(何なの、何なの、何なの!? ダメじゃない、これじゃダメ……全然ダメ……ッ!!
 圭一の意思を継ぐなんてレベルじゃない。自分の流儀どころか、仲間の命一つ守れない。
 しかも何も出来ずに、二人が殺されるのを見てろって言うの!? 冗談じゃないわ!!
 って言うか何が「握りも知らない人間が経験者に勝てるほど剣術は甘くない」よ!!
 剣なんて切れればいいじゃない!! 自己流だって何とかなるわよ、気合で!!)


沙羅はキレた。
俗に言う逆ギレ、逆恨みという奴だ。
人を小馬鹿(間違いなく今の沙羅は非常に滑稽だったのだが)にしたような言動、物憂げで物事を斜めに見ているな視線。
何もかもがムカつく。何もかもが気に入らない。
沙羅の色素の薄い髪が何処かの神様のように、ピリピリと殺気立っていく。

だから彼女は決めた。
つまり、こういうこと――もう、どうにだってなれ。


「じゃあ、そろそろ……二人とも死んで――」
「待ちなさいッッッ!!!」
「…………また」


舞は今度は露骨な不快感を表情に刻んで少しだけ振り返った。
だが、瞬間その可憐な瞳を大きく見開いた。
なぜなら、視界に飛び込んで来た沙羅の行動は彼女にとってあまりにも予想外だったのだから。


沙羅は今まで手に持っていた刀を、谷底へ――ぶん投げた。
舞のオーバースローに対抗するような、地を這うようなアンダースローで。
それは、どこぞのプロ野球球団のピッチャーの投球フォームというよりも……子供がダダを捏ねて、玩具を放り投げる仕草と非常によく似ていた。


「沙羅っ!!! アンタ何を……ッ!!」
「いいから、あゆは黙っていて!!
 川澄舞ッ!! 聞きなさいッ!! 私は剣を捨てた!!
 これで私が剣の使い方を知らないのはタイマンを拒む理由にはならないっ!!」
「………………本当に、馬鹿?」


あまりの沙羅の強烈な怒気に押され、思わずあゆが気圧された。
舞は本気で「駄目だこいつ……早く何とかしないと」という感じの眼で彼女を見た。
沙羅は大きく息を吸い込むと、矢継ぎ早に喋り出す。
まるで――マシンガンのようなスピードで。


「ええ、そうよ。確かに私は無知だった。好きなだけ馬鹿にするがいいわ!! 嘲笑うがいいわ!!
 っていうか剣の握り方なんて、普通の女子高生が知ってる訳ないじゃない!?
 今時の女の子は棒切れを振り回すよりも、料理の一つでも勉強した方がよっぽど健康的なのよ!!
 どうせアンタなんて剣の練習ばかりしてマトモなメニューの一つも作れないでしょ!? いいえ、きっとそうに違いないわ!! この穀潰し!!
 他人の作った料理ばかり食べているなんて、女の風上にも置けない奴!!
 それにね。アンタが剣術を語るなら、こっちも言わせて貰うけど、アンタの銃の撃ち方何から何までおかしいのよ!!」


この場にいる沙羅以外の人間は、何故急に彼女の話が料理のテクニックにまで波及したのかまるで理解出来なかった。
とりあえず分かるのは目の前のこの少女は、とにかく物凄く怒っているという事実だけ。
ちなみに、この場に双葉恋太郎、もしくは白鐘双樹がいたとしたら「よりによって、お前がその台詞を吐くか」と冷静な突っ込みを入れてくれたことだろう。
余談ではあるが彼女、白鐘沙羅はとんでもなく料理がド下手糞なのである。

だが、ヒートアップした沙羅を止められる人物がこの場に居なかったのは不幸なのか幸いなのか。
沙羅は興奮したまま、自らの服の隙間から拳銃を取り出す。
呆れていた舞の顔が戦士のソレに一瞬で変わった。しかし、


「まずね。アンタが持っている銃――それってニューナンブM60でしょ!? 日本の警察が結構普通に持っている奴!
 種別はリボルバー。全長198mm、重量685g、装弾数五発、有効射程は50m!!
 結構良い銃よね、私も試し撃ちしたことがあるわ!!
 でも結構グリップが厚くて、私の手だと少しだけ撃ち難いのよね。
 しかも旧式のⅠ型だったから、操作性も最悪で『日本政府もっと気合入れなさい!』って何度思ったことか!!
 でもね、そんなのはどうだっていいの。今問題なのはアンタの結滞な銃の撃ち方についてよ!!
 まず私から言わせて貰うなら、素人がニューナンブをダブルアクションでぶっ放す時点でおかしいのよ!!
 そんなやり方で当たる訳ないじゃない!
 正しい銃の撃ち方も知らない人間にとってニューナンブは決して撃ち易い銃じゃない。
 シングルアクション以外だと極端に銃の命中精度が落ちるってのは、結構大きな問題点よね。
 ん? 何でアンタが素人か分かったのか、って顔付きね。分かるわよ、そりゃあ。
 っていうかこの島で正しい銃の撃ち方を知っている人間に、私はまだ一人も出会っていないもの。
 グリップの持ち方一つで、そんなの分かるの。
 知ってる? 正しい射撃姿勢を取れるかどうかで、銃撃の結果は左右されると言っても過言じゃないのよ!?
 こうよ、こう持つの!! 見て、こうよ!?
 とくに川澄舞、アンタの持ち方は最悪ね。片手撃ち……本当はそんなの漫画の中の出来事なのよ!?
 それ用に改良された銃じゃないと肩の骨が外れても文句は言えないんだから!!」


舞はすぐさま始まった【白鐘沙羅の"ただしいじゅうのうちかたこうざ"】に唖然となる。
あゆときぬも沙羅がこんなに気の強くて、短気で、そしてアホな女だとは知らず意外そうな眼でその光景を見つめている。

「つまり……私の銃の撃ち方は……なってない……と」
「そうよ!! 私も刀を捨てたんだから、アンタにもその銃をどこかにやって欲しいぐらいだわ!!」
「……さすがに……それは、出来ない」

苦笑い。激昂する白の少女を除いて、誰もが口元を引き攣らせる。
非常に身勝手な理論を景気よく振り回す沙羅。
自らの命の危機だと言うのに、よくぞここまで好き勝手やれるものだと、逆に賞賛の拍手を送りたくなる。
だが意外なことに舞はそんな目の前の少女に対して、ある決意を固めたようだった。


「でも、その代わり……お互いの得意武器でなら……どう?」


左手に持っていた拳銃をデイパックにしまうと、舞は"存在"を沙羅に見せ付けた。
剣と銃。
両者が拘りを持つ武器同士なら、折り合いがつくのではないか。そう考えたのだ。
気のせいか、彼女の表情は先ほどまでと比べて大分穏やかになっているようにさえ見えた。

しかし、ソレは大分沙羅に影響された末の選択だったのではないか。
空気に呑まれた、とでも表現するべきだろうか。
なぜなら舞には沙羅とタイマンを張る理由も意地も利点も大して存在しないのだから。


(なんか……逆に事態が好転した? )

もしも、あのまま剣と刀の決闘が受諾されていた場合――
沙羅は一度目の切り結びで、見事な斬殺死体にフォームチェンジしていただろう。
それ程両者の間における、剣術の腕前の差は歴然としており、無謀や愚図という言葉すら勿体ない。
ただの捨て身の突貫として、舞に消化されていた筈だ。

剣と銃ならば、まだ勝負になる。沙羅はそう考えることも出来ると思った。
どちらもエキスパート、身体能力に精神論では挽回できない程の隔たりがあろうとも、だ。
しかも今まで沙羅は一対三という現状最高の構図でありながら、舞に完全に圧倒されていた。
それが一対一での勝負になっても、彼女に勝機があるようには思えない。

しかし、沙羅はそれでもニカッと改心の笑みを浮かべた。
唇の両端を大きく吊り上げ、心底嬉しそうに。
そして大声で舞の言葉に応える。
そうだ、明日の一歩を踏み出すため――彼女はどちらにしろ、この場を乗り切らなければならないのだから。


「その喧嘩――双葉探偵事務所の美人助手、白鐘沙羅が買ったわ!!」


ノリノリで自動拳銃を構える沙羅。
その瞳は決意とそして女の意地に溢れ、輝いていた。


前方から「やべーだろ、これ」「ああ」「てか、無理じゃね?」「……だろうね」「でも、助けに行くとしても……」「川澄が勝負を飲んじまった以上……不可能さ」
「てことは」「いや、結論を下すのは早過ぎるさ。何か抜群の計画がある筈……多分」「……どうだか」みたいな声が聞こえてきたが、少女は全力で耳を塞いで聞かなかったことにした。


ちなみに沙羅の心の中を語るならば曰く、




――必勝法なんてある訳ないじゃん(苦笑)



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198:小さなてのひら/第2ボタンの誓い(後編) 大空寺あゆ 202:私たちに翼はない(Ⅱ)
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