羽根あり道化師

出会い②

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ayu

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 あたしとヘザーの、奇妙な共同生活が始まった。
 別段、何が変わったというわけではない。ただガレットがヘザーになったというだけ。それはとても大きな変化のようにも見えるけれど、実際、その生活に大した違いは出て来なかった。
リトル・レディに尻尾で鼻先をくすぐられて体を起こすと、ヘザーは「お早う」と言って目を細めて笑い、コーヒーを淹れてくれた。
湯気の立つコーヒーの芳ばしい香りは、あたしの頭と視界をすっきりと覚醒させてくれる。香り高いこのコーヒーはとっても美味しいのに、ヘザーはあんな苦いものなんか飲めないと言ってココアを飲んでいた。
…いや、飲もうとしていた、という方が正確だろうか。ヘザーはまだ、ココアにふうふうと息を吹きかけている。そして時折口を付け、すぐにカップを離してまた息を吹きかける。そう言えば、あたしもこのくらいの歳のときはまだコーヒーが飲めなかった。こういうところは子供らしくて可愛いのに、とあたしは思う。
あたしは二人分の朝食を作り、ヘザーの向かいに座って頂きますと手を合わせた。ヘザーは身長が足りないらしく、椅子にクッションを置き、その上にちょこんと正座をしている。メニューはベーコンエッグとトースト、昨日の夜の残りのスープに、サラダ。リトル・レディにはキャット・フードと水をあげた。
 朝食を終えてシャワーを浴び、キャミソールとボクサーパンツだけというだらしない恰好で室内をうろつくあたしに、ヘザーはなんて恰好してんだ、と少し顔を赤らめてバスタオルを投げつけてきた。どうやら早く服を着ろということらしい。
そういえば、こういうことをすると、ガレットも早く服を着ろと顔を真っ赤にしながら喚いていたっけ。あたしの裸くらい見慣れているだろうに、彼はそう言うところだけは妙に初々しい反応をするのだ。なんだか懐かしいな。
あたしははいはい、とヘザーに適当な返事をし、柔らかな猫っ毛を撫で回してからジーンズとTシャツを身に着けた。肩に掛かる髪をドライヤーで乾かして、梳かしながら手早く首の後ろで一つにまとめる。いつも通りの薄い化粧をし、以前ガレットに買ってもらったビーズ飾りのついたピンで前髪を止めた。このピンはあたしのお気に入りだ。
そして、オードランジュヴェルトをハンカチに振りかけた。肌が弱くて、直接は付けられないから。
 何一つ、変わらない。
 ただ、ガレットがヘザーになっただけ。それだけのこと。
「じゃあ、学校行ってくるね。あ、後、今日はバイトだから帰るの少し遅くなるから」
「ああ、行ってらっしゃい。気を付けてな」
 優しい笑みを浮かべ、へザーはひらひらと手を振った。
 あたしはちょっとだけ笑って手を振り返し、スニーカーの靴ひもをきゅっと結び直して外へ出た。空はすっきりと澄んでいて、気持ちがいい。一本の飛行機雲が、すーっと空を分断している。真っ白な線は長く、どこまでも続いていく。
「……あ」
 玄関の扉を閉めて鍵を掛けてから、初めて一つの大きな変化に気がついた。
「働き手……」
 家賃を折半してくれる人がいなくなった。
ガレットはもう働いていて、食費などはすべてガレットが出してくれていた。あたしが自分で払っているのは学費と、家賃の三分の一だけ。残ったバイト代は自由に使っていいよとガレットは言ってくれていた。それだけでもかなりの額にはなるが、バイトを二つ掛け持ちしているあたしにとっては、あまり大きな出費にはならなかった。
だけど、今の状況はちょっと、……いや、かなり苦しい。
 食費は少し少なくなるだろうけど、食事をする人数は変わらないのだから大した違いではない。今は一家の大黒柱が働きに行けなくなったのと同じような状態だ。困ったな、とあたしは頭を掻く。少し、バイトを増やしたりした方がいいだろうか。何にせよ、今まで通りとはいかないだろう。
 あたしはバスで行くのを止め、自転車に跨った。
「……この変化は、ちょっと痛いな」
 呟いて、勢いよく自転車のペダルを踏み込んだ。







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