2
真珠やダイヤモンドなど、たくさんの宝石がじゃらじゃらと散りばめられた真っ白なウェディングドレス。
長くて鬱陶しいヴェール。
華やかなティアラやネックレスなどのアクセサリーに、吐き気がするほど甘ったるい香りの大きな百合のブーケ。
色鮮やかなステンドグラスのきらめく教会に、パイプオルガンの音色がゆったりと柔らかく響く。
その中で、あたしはお父様と腕を組み、赤い絨毯の敷かれたヴァージンロードを、ウェディングドレスの裾をずるずると引き摺りながら歩く。
お父様の横を離れて“パロット”の横に並ぶと、神父様は喜びに満ちあふれた晴れ晴れとした笑顔を浮べた。
気のせいかもしれないけれど、その笑みがどうにもわざとらしいもの見えてしまって、苛々してくる。
だらだらと神父様が長ったらしいお話をしている間中、あたしはネックレスやヴェールの裾をいじくりながらぼんやりと突っ立っていた。こんな気だるげな花嫁など、きっとどこを探してもいないだろう。
長くて鬱陶しいヴェール。
華やかなティアラやネックレスなどのアクセサリーに、吐き気がするほど甘ったるい香りの大きな百合のブーケ。
色鮮やかなステンドグラスのきらめく教会に、パイプオルガンの音色がゆったりと柔らかく響く。
その中で、あたしはお父様と腕を組み、赤い絨毯の敷かれたヴァージンロードを、ウェディングドレスの裾をずるずると引き摺りながら歩く。
お父様の横を離れて“パロット”の横に並ぶと、神父様は喜びに満ちあふれた晴れ晴れとした笑顔を浮べた。
気のせいかもしれないけれど、その笑みがどうにもわざとらしいもの見えてしまって、苛々してくる。
だらだらと神父様が長ったらしいお話をしている間中、あたしはネックレスやヴェールの裾をいじくりながらぼんやりと突っ立っていた。こんな気だるげな花嫁など、きっとどこを探してもいないだろう。
――素晴らしいわね、なんて素敵なのかしら。
――幸せそうね。ほら見て、本当にお美しいわ。
――幸せそうね。ほら見て、本当にお美しいわ。
辺りから、そんな会話が聞こえてきた。
…素晴らしい?素敵?幸せ?
は?何それ。
何処が?
本当にそんなふうに見えているのかしら。きっと目が悪いのね。素晴らしいことも素敵なことも何一つありゃしないわよ。不幸の絶頂よ。“結婚”というものがこんなにも不快なものだとは思いもしなかった。幸せだったらこんな不機嫌の塊みたいな 気持ちで不愉快な顔している訳ないじゃないの。
全く、何が幸せなものですか。
思いながら両サイドに広がる客席を見まわしたとき、その中にあたしはお婆様の姿を見つけた。
…黒いドレス。
お婆様は、まるでお葬式のときに着るような漆黒のドレスを着ていた。その隣にはお婆様同様、黒いドレスを着たエミリアまでいる。少しおどおどとしてはいるが、明確な意思を持ってそうしているように見える。お婆様に、何か聞いたのかもしれない。
結婚式など、お祝い事の時に黒はご法度。そんなのは常識だ。
ふと、お婆様と目が合った。何かを期待しているような、どこか楽しげな表情のお婆様を見て、あたしは思わず泣き出しそうになった。なんだか、ありがたくて。
小さいころから思っていたけれど、お婆様はすごい。全てを、見透かしている。
やっぱり、お婆様は魔女だから。
お婆様はあたしの方を見て微笑み、一つ頷いた。これからでしょう?と問いかけるように。エミリアもかすかに口角を上げ、笑ってみせる。
そうだ、まだ泣いちゃいけない。
あたしはこの結婚式で道化を演じるのだ。
…大丈夫。
…大丈夫、出来る。あたしには心強い味方もいる。
ねえファド、あたし、今でも貴方のことが好きなの。
こんな人と結婚なんて、絶対にしないわ。あたしは誰とも結婚なんてしないし、するつもりも一切ない。子供だっていらないし、マリアなんて名前もいらない。
あたしに必要なのはファドと、“フィオナ”という貴方のくれた名前だけ。それ以外のものは、何一つ望まない。何も要らない。
こんな国、あたしの代で終わらせてやる。
全てに幕を閉じてやる。
…今、あたしは道化だ。
全てのものに終焉を告げる道化師だ。
終わらせよう、全部。
全部全部、何もかも終わらせてやる。
「――健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
神父様の言葉に、パロットははいと即答する。
…全く、忌々しいったらない。
でも良い。
これで終わるんだから。全部、終わらせるんだから。終わらせてやる。そう思って、あたしは少しだけ笑った。
さあ、ゲームをはじめよう。
楽しい楽しいゲームの始まりだ。
この式全部、めちゃくちゃにしてやる。
今までのこと全部、今まで思っていたこと全部、何もかも全て思いっきりぶちまけてやる。
あたしは百合の花びらを一枚千切り、手を離した。百合の花粉が、真白な手袋をわずかに汚した。
ひらりひらりとそれは軽やかに揺れ、音もなく床に落ちる。
「マリア様、貴方は、誓いますか?」
「…あたしが、誓うとでも思っているのですか?この人との『永遠の愛』を?」
静かに、そう言い放つ。
神父様は驚いたように目を見開いた。
あたしは“マリア”じゃない。“フィオナ”だ。ファドを心から愛し、ファドに心から愛された。
“マリア”は、かつて、お人形だった時のあたしの名前。この場所に、マリアなんて人はいない。あたしはもう、ガラスケースのお人形を気取るつもりはない。意思を持った人間として、あたしはここにいる。
あたしは、フィオナだ。
「…誰が誓うものですか。大体、こんな腐れた人のどこをどう愛せって言うのよ。あたし達を騙したのよ、この人。あたかもあたし達の仲間みたいに振舞っておいて…容易く、呆気ないくらい簡単に、あたし達を裏切った。…最低な人。こんな人を愛せと、こんな人と愛し合えというの?神父様は。不可能だわ。
…他に、あたしには好きな人が、心から愛している人がいるというのに。
…知っているのでしょう?あたしが男の人と駆け落ちをしたって話はもう有名だものね。その人の慰み者にされたとかって言う信憑性も何もない失礼極まりない噂もまことしやかに流れているみたいだけど。…このまま式を続けたいのなら、あたしに誓いの言葉を述べさせたいのならその人を…、ファドを連れて来なさいよ今すぐ!ここに!この人と結婚?このあたしが?
…確かに“マリア”なら大人しく従っていたかもしれないわね。アレは、ただの飾り物の“お人形”だったから。だけどね、あたしは“マリア”じゃないの。あたしは“フィオナ”。あたしは“マリア”という名を、“王女”という地位を放棄し、投げ捨てた人間なの。あたしはもうあんたの娘でも何でもない。あんたの言う通りに動くと思ったら、大間違いよ!」
神父様からお父様へと視線をやり、怒鳴り付けた。お父様は眉を寄せ、怒りに満ちた視線をあたしにぶつける。
『大人しくしていろ』
『お前は私の言うことを聞いていればいいのだ』
何度となく聞いた言葉。まるでそれが聞こえてくるようだ。あたしもお父様を睨み返した。初めて、はっきりと拒絶した。昔はあの瞳をとても恐れていたのに、今は全然怖くない。なんて馬鹿馬鹿しいのだろうと、冷めた視線を向けることができる。
「マ、マリア様!」
神父様は慌てたようにあたしの名を呼んだ。周囲がざわざわと騒がしくなる。構うもんか。ここは舞台だ。あたしの、初舞台。何が何でもやらせてもらう。邪魔なんかさせない。
「マリア、落ち着いて」
パロットに手を引かれ、あたしはそれを振り払った。
「止めて。触らないで、汚らわしい!……安心して、あたしは落ち着いているわ。これまでにないくらい、落ち着いている。それから、貴方に呼び捨てにされるのは…いいえ、名を呼ばれることすら気に入らないわ、止めて。たとえそれがかつての名前でも、あなたに呼びかけられることほど嫌なことはないわ。全く、不愉快極まりない」
ブーケから百合を一本抜き取り、パロットの顔に叩きつけた。
「…何を…」
「百合の花は嫌いだと言ったでしょう?聞いていなかったの?」
一歩近付いてきたパロットを、あたしは思い切り睨みつけた。
「近づかないで。…残念だけど、貴方を愛することは永遠にないわ。あたしの一生を賭けても不可能ね。誓いの口付けなんかしようものなら今ここで舌噛んで死んでやるから。あたしは誰の指図も受けたりしないし、誰のものにだってならない!」
あたしはただ、思いの丈をぶちまける。
もう、止まらない。あたしを止められる人間など、ここにはいない。
「何よ!結婚も何もあたしの意志なんてまるでないじゃない!全部がお父様の独断じゃない!なんで、なんで全部決められなきゃいけないのよ!?これはあたしの問題なの!いい加減にしてよね、自分のことくらい自分で決められるわよ!あたしは誰にも干渉されたくないの!あたしはお父様のお人形なんかじゃないの!あたしだって感情を持っているんだ!あたしは、誰のものでもないんだ!」
まるで意思のない人形のように扱われることの不快感を、屈辱を、あたしは嫌というほど知っている。
人として扱われないということがどんなことか、自分の無力を知るということがどれほど辛いことか、ここでは誰一人として分かろうとしない。ここでは、自分の無力をどうにかしようとすることすら許されない。
あたしはお父様に向けて言い放つ。これは復讐だ。何が何でも分からせてやる。分からせなければならない。
あたしは、お父様のものではないんだってことを!
「あたしは、あたしのものだ!」
分からせてやる。あたしの主は、あたしでしかないのだということを!
ヴェールを半ば毟り取るみたいにして外して、腹いせに呆然としている神父様に投げ付ける。
ネックレスもイヤリングもブレスレットも全部外して力任せに投げ捨てていく。そして最後に、手袋を外してアレス様の顔に思い切り叩きつけた。
勝負の開始を告げるように。
一つ息を吐き、あたしは続ける。
「…あたしが心から愛することが出来るのは生涯でただ一人、ファドだけよ」
あたしはパロットをひたと見据えた。
「…確かにファドがあたしの実のお兄様だったって聞いたときは驚いたわよ。驚いたけど、だけど、あたしは彼が好きなの。誰がなんて言おうと、あたしが愛しているのはファドだけなの!…ファド以外の人と一緒になるなんて有り得ない。特に、あなたとなんて心の奥底からお断りよ。顔を見ただけで虫唾が走る。絶対に嫌。死んでもお断りよ。
…全く、こんな薄ら寒い猿芝居、馬鹿馬鹿しくっていつまでも付き合ってなんかいられない。冗っ談じゃないわ!」
本当に、…冗談じゃないわよ。
やった。言いきった。
言いたいこと全部、言った。考えていた文章もなにもかもめちゃくちゃになちゃったけど、だけど、言えた。初めてだ。そう思うと、緊張の糸がぷつりと切れた。 あたしは崩れ落ち、その場に座り込んだ。
「…ファドを返して。……返して!返してよ!」
なんだか色んな感情があふれてきて、抑えられない。
「ファド…ファドっ!」
あたしは泣いた。
百合のブーケで床をばしばしやりながら、大声で泣いた。
彼の名を叫びながら。
…愛しい人。
お願いだから、あたしの名前を呼んでよ。貴方のくれた、あの美しい名を。
あの美しい薔薇の名前を。
…素晴らしい?素敵?幸せ?
は?何それ。
何処が?
本当にそんなふうに見えているのかしら。きっと目が悪いのね。素晴らしいことも素敵なことも何一つありゃしないわよ。不幸の絶頂よ。“結婚”というものがこんなにも不快なものだとは思いもしなかった。幸せだったらこんな不機嫌の塊みたいな 気持ちで不愉快な顔している訳ないじゃないの。
全く、何が幸せなものですか。
思いながら両サイドに広がる客席を見まわしたとき、その中にあたしはお婆様の姿を見つけた。
…黒いドレス。
お婆様は、まるでお葬式のときに着るような漆黒のドレスを着ていた。その隣にはお婆様同様、黒いドレスを着たエミリアまでいる。少しおどおどとしてはいるが、明確な意思を持ってそうしているように見える。お婆様に、何か聞いたのかもしれない。
結婚式など、お祝い事の時に黒はご法度。そんなのは常識だ。
ふと、お婆様と目が合った。何かを期待しているような、どこか楽しげな表情のお婆様を見て、あたしは思わず泣き出しそうになった。なんだか、ありがたくて。
小さいころから思っていたけれど、お婆様はすごい。全てを、見透かしている。
やっぱり、お婆様は魔女だから。
お婆様はあたしの方を見て微笑み、一つ頷いた。これからでしょう?と問いかけるように。エミリアもかすかに口角を上げ、笑ってみせる。
そうだ、まだ泣いちゃいけない。
あたしはこの結婚式で道化を演じるのだ。
…大丈夫。
…大丈夫、出来る。あたしには心強い味方もいる。
ねえファド、あたし、今でも貴方のことが好きなの。
こんな人と結婚なんて、絶対にしないわ。あたしは誰とも結婚なんてしないし、するつもりも一切ない。子供だっていらないし、マリアなんて名前もいらない。
あたしに必要なのはファドと、“フィオナ”という貴方のくれた名前だけ。それ以外のものは、何一つ望まない。何も要らない。
こんな国、あたしの代で終わらせてやる。
全てに幕を閉じてやる。
…今、あたしは道化だ。
全てのものに終焉を告げる道化師だ。
終わらせよう、全部。
全部全部、何もかも終わらせてやる。
「――健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
神父様の言葉に、パロットははいと即答する。
…全く、忌々しいったらない。
でも良い。
これで終わるんだから。全部、終わらせるんだから。終わらせてやる。そう思って、あたしは少しだけ笑った。
さあ、ゲームをはじめよう。
楽しい楽しいゲームの始まりだ。
この式全部、めちゃくちゃにしてやる。
今までのこと全部、今まで思っていたこと全部、何もかも全て思いっきりぶちまけてやる。
あたしは百合の花びらを一枚千切り、手を離した。百合の花粉が、真白な手袋をわずかに汚した。
ひらりひらりとそれは軽やかに揺れ、音もなく床に落ちる。
「マリア様、貴方は、誓いますか?」
「…あたしが、誓うとでも思っているのですか?この人との『永遠の愛』を?」
静かに、そう言い放つ。
神父様は驚いたように目を見開いた。
あたしは“マリア”じゃない。“フィオナ”だ。ファドを心から愛し、ファドに心から愛された。
“マリア”は、かつて、お人形だった時のあたしの名前。この場所に、マリアなんて人はいない。あたしはもう、ガラスケースのお人形を気取るつもりはない。意思を持った人間として、あたしはここにいる。
あたしは、フィオナだ。
「…誰が誓うものですか。大体、こんな腐れた人のどこをどう愛せって言うのよ。あたし達を騙したのよ、この人。あたかもあたし達の仲間みたいに振舞っておいて…容易く、呆気ないくらい簡単に、あたし達を裏切った。…最低な人。こんな人を愛せと、こんな人と愛し合えというの?神父様は。不可能だわ。
…他に、あたしには好きな人が、心から愛している人がいるというのに。
…知っているのでしょう?あたしが男の人と駆け落ちをしたって話はもう有名だものね。その人の慰み者にされたとかって言う信憑性も何もない失礼極まりない噂もまことしやかに流れているみたいだけど。…このまま式を続けたいのなら、あたしに誓いの言葉を述べさせたいのならその人を…、ファドを連れて来なさいよ今すぐ!ここに!この人と結婚?このあたしが?
…確かに“マリア”なら大人しく従っていたかもしれないわね。アレは、ただの飾り物の“お人形”だったから。だけどね、あたしは“マリア”じゃないの。あたしは“フィオナ”。あたしは“マリア”という名を、“王女”という地位を放棄し、投げ捨てた人間なの。あたしはもうあんたの娘でも何でもない。あんたの言う通りに動くと思ったら、大間違いよ!」
神父様からお父様へと視線をやり、怒鳴り付けた。お父様は眉を寄せ、怒りに満ちた視線をあたしにぶつける。
『大人しくしていろ』
『お前は私の言うことを聞いていればいいのだ』
何度となく聞いた言葉。まるでそれが聞こえてくるようだ。あたしもお父様を睨み返した。初めて、はっきりと拒絶した。昔はあの瞳をとても恐れていたのに、今は全然怖くない。なんて馬鹿馬鹿しいのだろうと、冷めた視線を向けることができる。
「マ、マリア様!」
神父様は慌てたようにあたしの名を呼んだ。周囲がざわざわと騒がしくなる。構うもんか。ここは舞台だ。あたしの、初舞台。何が何でもやらせてもらう。邪魔なんかさせない。
「マリア、落ち着いて」
パロットに手を引かれ、あたしはそれを振り払った。
「止めて。触らないで、汚らわしい!……安心して、あたしは落ち着いているわ。これまでにないくらい、落ち着いている。それから、貴方に呼び捨てにされるのは…いいえ、名を呼ばれることすら気に入らないわ、止めて。たとえそれがかつての名前でも、あなたに呼びかけられることほど嫌なことはないわ。全く、不愉快極まりない」
ブーケから百合を一本抜き取り、パロットの顔に叩きつけた。
「…何を…」
「百合の花は嫌いだと言ったでしょう?聞いていなかったの?」
一歩近付いてきたパロットを、あたしは思い切り睨みつけた。
「近づかないで。…残念だけど、貴方を愛することは永遠にないわ。あたしの一生を賭けても不可能ね。誓いの口付けなんかしようものなら今ここで舌噛んで死んでやるから。あたしは誰の指図も受けたりしないし、誰のものにだってならない!」
あたしはただ、思いの丈をぶちまける。
もう、止まらない。あたしを止められる人間など、ここにはいない。
「何よ!結婚も何もあたしの意志なんてまるでないじゃない!全部がお父様の独断じゃない!なんで、なんで全部決められなきゃいけないのよ!?これはあたしの問題なの!いい加減にしてよね、自分のことくらい自分で決められるわよ!あたしは誰にも干渉されたくないの!あたしはお父様のお人形なんかじゃないの!あたしだって感情を持っているんだ!あたしは、誰のものでもないんだ!」
まるで意思のない人形のように扱われることの不快感を、屈辱を、あたしは嫌というほど知っている。
人として扱われないということがどんなことか、自分の無力を知るということがどれほど辛いことか、ここでは誰一人として分かろうとしない。ここでは、自分の無力をどうにかしようとすることすら許されない。
あたしはお父様に向けて言い放つ。これは復讐だ。何が何でも分からせてやる。分からせなければならない。
あたしは、お父様のものではないんだってことを!
「あたしは、あたしのものだ!」
分からせてやる。あたしの主は、あたしでしかないのだということを!
ヴェールを半ば毟り取るみたいにして外して、腹いせに呆然としている神父様に投げ付ける。
ネックレスもイヤリングもブレスレットも全部外して力任せに投げ捨てていく。そして最後に、手袋を外してアレス様の顔に思い切り叩きつけた。
勝負の開始を告げるように。
一つ息を吐き、あたしは続ける。
「…あたしが心から愛することが出来るのは生涯でただ一人、ファドだけよ」
あたしはパロットをひたと見据えた。
「…確かにファドがあたしの実のお兄様だったって聞いたときは驚いたわよ。驚いたけど、だけど、あたしは彼が好きなの。誰がなんて言おうと、あたしが愛しているのはファドだけなの!…ファド以外の人と一緒になるなんて有り得ない。特に、あなたとなんて心の奥底からお断りよ。顔を見ただけで虫唾が走る。絶対に嫌。死んでもお断りよ。
…全く、こんな薄ら寒い猿芝居、馬鹿馬鹿しくっていつまでも付き合ってなんかいられない。冗っ談じゃないわ!」
本当に、…冗談じゃないわよ。
やった。言いきった。
言いたいこと全部、言った。考えていた文章もなにもかもめちゃくちゃになちゃったけど、だけど、言えた。初めてだ。そう思うと、緊張の糸がぷつりと切れた。 あたしは崩れ落ち、その場に座り込んだ。
「…ファドを返して。……返して!返してよ!」
なんだか色んな感情があふれてきて、抑えられない。
「ファド…ファドっ!」
あたしは泣いた。
百合のブーケで床をばしばしやりながら、大声で泣いた。
彼の名を叫びながら。
…愛しい人。
お願いだから、あたしの名前を呼んでよ。貴方のくれた、あの美しい名を。
あの美しい薔薇の名前を。
『私のフィオナ』
白い花びらがあちこちに鮮やかに散っていく。けれど、そんなことは別にどうだって良い。
…ねぇファド。
早く、迎えに来てよ。
真っ白なフィオナを一輪持って、あの時みたいに、あたしを迎えに来て。
『私のフィオナ』って、笑いかけてよ。
…ねぇファド。
早く、迎えに来てよ。
真っ白なフィオナを一輪持って、あの時みたいに、あたしを迎えに来て。
『私のフィオナ』って、笑いかけてよ。
…ねぇファド、お願い。
お願いだから――…
終章語り部は終焉を告げるへ