2007年ワークショップ記録1

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Pearl Harbor: History, Memory, Memorial JOURNAL By Tetsuya KATO

July 28 - August 4, 2007 @ East-West Center at UH at Manoa

プログラムの概要
アメリカ合衆国ハワイ州;ハワイ州立大学マノア校構内にあるEast-West Centerが真珠湾攻撃で沈没した戦艦アリゾナ号の記念館を管理するArizona Memorial Museum Associationが共同で行うWorkshopである。アメリカ側からは約40名のアメリカ史を中心とした社会科の教員(主に高校教諭)そしてII期のメンバーとして5名の日本人教師(社会科教諭3名・英語科教諭2名)が参加した。 
真珠湾攻撃に関する記念館また歴史遺構、国立戦没者墓地などのツアーそして、各専門家からの講演、そして真珠湾攻撃体験者からの証言などを聞くワークショップそして、それらのツアー・講演・証言をもとにして、今後の教育活動・授業にいかに活かして行くのか等を話し合い、実際にカリキュラムを作り上げるディスカッションなどがプログラムとなっている。



7月28日(土)【日本時間】 UA832便(関空 午後7:00発)にてハワイ・ホノルル空港へ
【ハワイ時間】28日(土)午前 8時着(M先生・I先生・MT先生とも合流)
その後、TaxiでLincoln Hallへ。矢口先生と会い、昼食と夕食を皆さんとともに。



29日(日) 記念館等を訪問・見学
Arizona Memorial ツアー
白い曲線の建物が印象的。また、今でも沈没したArizonaから流れ出ているという重油が過去と現在を結びつけつつ、見学者に真珠湾攻撃のMemoryを訴えているようであった。神聖な礼拝堂を思わせる内部には、Arizona号の攻撃で戦死したすべての人々の名前が刻まれた白い壁が迫ってくる。
Bookstoreでの自由時間。販売されているものはほとんど、「戦闘機レプリカ」や「真珠湾攻撃」に関する書籍や子ども向けの絵本が多く見られた。その後、食事をとり、日本が太平洋戦争の降伏調印をしたMissouri号の見学。降伏文書のレプリカ等を見ることが出来る。日本側の文書の装丁とアメリカ側の装丁の違いが興味深い。
続いて、The Pacific Aviation Museum の見学。太平洋戦争に実際に従軍した戦闘機(アメリカ・日本)の実物大のレプリカ(?)が展示されている。床には、太平洋の地図が描かれており、どのような戦闘が行われたのかが、分るよう
になっている。ここも、戦争の悲惨さを描くことよりも、いかにしてアメリカが太平洋戦争を戦い抜いたのかが、記念館のテーマになっている。そして、ボートに乗船して、真珠湾内のツアーとなった。湾内の地形について、日本軍の攻撃の様子、また当時、どのようにアメリカ戦艦が配置されていたのか等の詳細な説明があった。
ツアーの後、再びThe Pacific Aviation Museum に戻り、希望者のみの潜水艦Bowfin号の見学。潜水艦の中に入り、内部の詳細な説明を受ける。従軍当時のほぼ、そのままに、艦内は保存されていた。魚雷(torpedoes)の模型もあり、狭い艦内をいかに効率的に使用していたのかが(それでも、とても窮屈で息苦しく、非人間的な感じは否めなかった。)説明されていた。
そして、艦内より地上に戻った時に、日本人教諭のひとりの方から、実は、このBowfin号が戦時中に「対馬丸」を沈没させた潜水艦であることを教えてもらった。沖縄研修旅行の事前学習等で「対馬丸」の名前と「沖縄から疎開児童や一般疎開者等1788名を乗せて九州・長崎への航行」中にアメリカ潜水艦からの魚雷攻撃により沈没し、1400名余りの犠牲者を出したことは知っていたが、まさか、その当事者の潜水艦を見学しているという意識が全くなく、自分の「無知」を恥じた次第であった。しかし、アメリカ人ガイドの方の説明に、そのことに対する言及がまったくなく、また、「対馬丸」に関する資料も展示されていなかった。【日本には、那覇市内に『対馬丸記念館』があり、「学童疎開船の悲劇と平和の尊さ」を訴えている】 最後は、Formal Welcome Dinnerが Bowfin号を背景にしたParkで行われ、各代表者の挨拶の後に、参加者ひとり一人の名前が呼ばれ、ハワイの伝統であるleisでの歓迎を受けた。

※ 初日の雑感 
各メモリアル(記念館)は、戦争の事実・内容を展示しているだけのもので、それだけで完結した感あり。今後の平和への構築についての言及なし。 
Arizona号(太平洋戦争の始まり)とMissouri号(終了)が直線に並んでいる。 
意図的なものか、、(議論があったとのこと)     
太平洋戦争の概略を知っておくべきであった。 
Bowfin号と対馬丸のことについても、もっと学ぶ必要を感じた。 
アメリカ人にとってのPearl Harbor Attackの意義の理解の端緒となるツアー  



30日(月)
午前中は、全体写真撮影やハワイ伝統のBlessing
また、今回のWorkshopの簡潔なオリエンテーション。
いくつかのグループに分かれて、それぞれ、どのように、授業の中で、アメリカの教師(社会科;歴史;政治【government】担当)らがPearl Harborを教えているのかの紹介の時間。

Session 1 “ History, Memory, and Memorial “ at Pearl Harbor
By Geoffrey White
  • MemoryとMemorialの違い・定義についてのgroup discussion
  • 様々なBackgroundをもった人々( アメリカ人・日本人・日系アメリカ人等)から見たPearl Harbor Attacks
≪加藤からのquestion≫
昨日、訪れたMemorialは戦争当時に何が起こったのかを伝えているだけ。しかし、日本の3つの特に有名なMuseumsがある。沖縄・長崎・広島である。長崎では、核兵器の現状やこれからどのようにして平和な世界を構築していくか
の問い掛けがなされている。今回、訪れたMemorialsにはfuture-orientedな側面がないように思われるのだが。

Session 2 “What happened at Pearl Harbor?: An Interpretive Simulation of the Attacks
By Daniel Martinez
  • National Park Service(国立公園局)の Daniel氏による真珠湾攻撃の詳細の説明-ジオラマ(フロアに広げられた地図)や戦闘機の模型を使っての説明。(マニアック感がややあり)

Session 3 Pearl Harbor: From Fishponds to Warship
By Jon Kay
  • Hawaiian songsによって、Hawaiiの歴史を語る試み (ヒーリングの時間だったね-との日本人参加者の声)



31日(火)
午前中より Pearl Harbor Attack Site Tour
まずは Ford Island(島全体が軍用地として使用されている)のツアーから始まった。真珠湾攻撃の際、多くの戦艦が停泊していた場所である。まず、攻撃を受け、沈没したままの姿で現在も残されているUtah号のMemorialを見学した。 その説明パネルには、その他のパネルには見当たらない-WE WILL DEDICATE MEMORIALS TO THOSE WHO WILL LIVE IN PEACE-という”PEACE”が含まれたフレーズが刻まれていたのが印象的であった。また周囲の地面には、真珠湾攻撃時の弾痕が残っていた。また当時の写真と現在の様子を重ね合わせての説明も行われた。
次に Fort Derussy Army Museum を見学した。ワイキキビーチに隣接している陸軍博物館であった。日本軍の戦車や現在までのアメリカが関係してきた「戦争」についての展示があり、もちろんPearl Harbor Attacksについても詳しく説明されていた。
続いて、Hickam Headquarters Building を訪れた。Pacific Air Forceの司令部が置かれている。建物自体は、真珠湾攻撃の際のものをそのまま使用してあり、外壁には弾痕が多く残っている。また、内部に入ると、実際に今も使用されている木製の階段にも2、3の弾痕を見ることが出来る。中庭は"COURTYARD OF HEROES"と名付けられており、
中心には星条旗と炎が印象的な記念碑が設置されていた。その記念碑にはWorld War II、KOREA, そしてSOUTHEAST ASIA に関するプレートがはめ込まれていた。
興味深かったのは、おそらくSOUTHEAST ASIAとはVietnam Warのことを指しているのだろうが、明瞭にそのように記載されていないことであった。国家としてのアメリカにとってはVietnam Warは未だに特別な意味(敗戦であったという事実)を持っていることが伺えた。
参加しているアメリカ人教諭にその点;「なぜ、ベトナム戦争と書いてないのか?」を尋ねたが、「あの戦いは(まさに)東南アジア全体に関わる戦いであったので、その様に表記されているのでは?」とのことであった。
また、内部には、もちろんPearl Harbor Attacksを始めとして、World War II、Korean War、Southeast Asiaについて説明が写真とともに展示されていた。
そして、Humanitarian Operations として環太平洋地域での空軍の活動が(詳細はわからないが)展示されていた。
昼食はHickam基地内で、Pearl Harbor Survivors の方々と昼食をとった。
私はSurvivorsのひとりの夫人Ms.Isabellaと同じテーブルで、光栄にも隣に座ることとなった。真珠湾攻撃当日や前後のハワイの市井の人々の話はとても興味深かった。

National Memorial Cemetery of the Pacific ( Punchbowl Cemetery )
Hickamを後にして、"パンチボウル"国立墓地へ移動した。
ここはホノルル市内を見渡せる丘陵にある国立記念墓地であり、第二次世界大戦以来の、戦没者が埋葬されている。広大な公園墓地にフラットな墓石が数多く整然と敷きつめられている。もちろん、真珠湾攻撃で亡くなった兵士たちの墓碑も多くある。日系人の名前も多い。また、UNKNOWN(無名兵士)の墓碑も多い。日本人に馴染みの深い人物として、1986年にスペースシャトル・チャレンジャー号の事故で亡くなったオニヅカ大佐もここに埋葬されている。その後、女神像が迎えてくれる慰霊廟(?)までの長い階段を上っていった。慰霊廟内部には礼拝堂があり、また両翼には太平洋全体を示すプレートを中心にして、ベトナム戦争・硫黄島戦・沖縄戦・朝鮮戦争の戦闘内容の詳細を刻んだプレートが設置されていた。ここも、戦争の実態を示してはいるものの、人的な犠牲を示す写真などは一切無くあくまで各戦争で名誉ある戦死をした兵士達を称えるためだけの施設であるという印象が個人的には否めなかった。
そして、最後に1995年9月に日本側とアメリカ側の第2次世界大戦の退役軍人(Veterans)が和解(reconciliation)の為に出会ったことを記念する"Forever Friends"と刻まれたプレート前に、アメリカ人教師と日本人教師が並び、そこで一人一人が全員と握手やハグをして、お互いに"Thank you"などと声を掛け合い、私たちも戦後62年目の「和解」と「新たな未来」を確かめ合った。また、そのプレートの周囲を日本人・アメリカ人教師がペアになりLeisで囲むように捧げていった。
美しいホノルル市内と蒼い太平洋が望める場所に、これほど大きなNational Cemeteryがあることは全く知らなかった。この場所を訪れて、改めてHawaii という島々と沖縄という島々の多くの共通点を見出すことが出来た。

午後6:30-9:30 Optional Tora! Tora! Tora! Pizza Party
@ Hale Kuahine (ホール)
史実に最も忠実に描かれているという日米合作の真珠湾攻撃に関する映画「Tora! Tora! Tora!」の自由鑑賞 6ドルでPizza付き
アメリカ人らしく自由な雰囲気(ソファーに寝転がったり)での鑑賞会
僕自身は初めて「Tora! Tora! Tora!」を見た。
※淡々と場面が展開し、極端に感情的な場面もなく、開戦直前の日米のやりとり、また両国の政府の状況などが、落ち着いたトーンで描かれていた。 
(ひさしぶりのアメリカ・本場でのピザに、僕自身が嬉しくなってしまい、調子に乗って4ピースを食べそして、Pop、2缶を飲んでしまい、その夜、おなかを壊してしまった。) 

※ 3日目の雑感 
「戦争」というものをアメリカ政府・アメリカ軍・(アメリカ人というよりも)がどのようにとらえているのかを知ることが出来た。「軍」は生活の一部であり、アメリカは「正義・平和・自由」の為に戦っているのだということをアメリカ国民へ知らしめることを目的にした施設であった。また、退役軍人に対する敬意の表し方など、日本では見られない場面も興味深かった。「軍隊」という組織に対する意識の違いを実感できた。 



8月1日(水)
Pearl Harbor Attack Site Tour Debriefing
By Daniel Martinez
  • 昨日のツアーについての追加説明や質疑応答など
  • 私(加藤)は、「日本人の持つハワイのイメージは、『観光地』。このような国立戦没軍事墓地がハワイにあることを多くの日本人が知らないと思うので、高校生を中心に日本からの修学旅行が増える傾向のなかで、是非、日本人の生徒にもあのような施設をみてもらえる機会があれば」と発言。

Session The Road to Pearl Harbor
By Harry Butowsky
  • 日本が戦争へ進むまでの、背景を江戸時代から始めそして、明治維新後、また当時の国際状況から、なぜ、日本が戦争への道を進んでいったのかを説明するセッションであった。

Session War Memories across the Pacific: Japanese Images and Perspectives on Pearl Harbor
By Yujin Yaguchi
  • 日本とハワイの関わりを・明治時代からの移民政策 ・真珠湾攻撃に関わるアニメ「桃太郎の海鷲」の紹介 ・戦後の日本でのハワイブームの背景 ・Arizona Memorialを訪れた
  • 日本人の感想・反応の分析等を用いてのセッション。

Lunch ~ アメリカ人教師との「Teaching Plan」についてのdiscussionを兼ねて

Session A Date Which Will Live: Pearl Harbor in American Memory
By Emily Rosenberg ~アメリカは忘れない~ の著者
  • Pearl Harbor Attackが当時そしてその後のアメリカ社会、政治、経済、軍事に与えた影響について「icon」(聖像)というKeywordを用いて、様々な角度から分析したセッションであった。真珠湾攻撃がどのようにRoosevelt大統領をはじめとする政治的リーダーにどのように「利用」されたのにも言及されていた。
  • また1980年代後半のバブル期日本のアメリカへの経済的進出に対して、また9.11以降、Pearl Harbor Attackがどのような形で、Bush政権下のアメリカ政治また社会の中で用いられたかを客観的に、多くの資料を用いて論じられた。
  • 加藤からの質問 「パールハーバーという言葉がアメリカ社会で何度も用いられた。9:11においても。今後も、Pearl Harborがアメリカ社会において『新たな戦争への口実』になりうるのではないか?」
  • Mrs.Rosenberg 「パールハーバーよりも、むしろ9.11の方が、メタファーとして今後は多く使われていくのではないか」

“Imprecations for Teaching” Discussion with Specialists
アメリカ人教諭とともにいくつかのgroups に分かれて。Teaching Plansを作っていくディスカッション。私は Graig Bjorklund from Utah, Stephanie Player from Wyoming, Tiffany Seybert from Coloradoの3人とグループになった。



8月2日(木)
Session Hawaiian Perspectives on Pearl Harbor
By John Rosa
地元ハワイの高校で教師をしているMr.Rosa(彼自身は中国系とポルトガル系のアメリカ人)によるセッション。
実際にどのような社会科(歴史、地理、政治の総合的な)授業を展開しているのかを中心に説明があった。まず、
  1. 自分の家族・地域の歴史をたどる。-家族からの聞き取り。
  2. ハワイの有人史以降の歴史-キャプテンCook、宣教師の派遣、カメハメハ王朝の終焉、アメリカへの合併等―を学ぶ。
  3. WhiteとLocal間のConflicts
  4. 実地体験(Taroいも栽培など) などをテーマとして高校生にあたえ、授業を展開していることが紹介された。

Session Pearl Harbor Memory and Issues Of Reconciliation: Survivor Reflections
実際にPearl Harbor Attacks を体験した退役軍人や住民の証言を聞くセッション
5人の方々が証言をしてくれた。
  1. Ed Ichiyama -日系アメリカ人 真珠湾攻撃が日系人Communityに与えた衝撃。兄が日本海軍に入っていたために、父親が「危険人物」として取り扱われた。その後、日系人志願兵によって編成された第442部隊として、ヨーロッパ戦線で戦った。
  2. Everett Hyland - 真珠湾攻撃の際、Pennsylvania号でアンテナの修理をしていた。その際に、負傷したが、その後、復員した。戦後、理科の教師として働き、1995年よりThe USS Arizona Memorial でボランティアとして活躍している。1994年に日本人女性と結婚した。
  3. Sterling Cale - 日本空軍の攻撃を直接、目撃した。「日曜日にそんなことが」と驚いた。魚雷の被害に遭った。その後の人的、軍的の被害を語ってくれた。
  4. Joan Rodby - 真珠湾攻撃の際に10才の少女であった。日本軍の攻撃から身を守るためにガスマスクをつけなくてはならなかったことを証言。教会・日曜学校直後に、家に戻るようにと言われた。祖父母の家から真珠湾が見えたが、炎と煙で悲惨な状況であった。家族がどのように対応したかを話してもらった。
  5. ? (男性) (母親が日系人) 当時の家が攻撃で焼け落ちてしまった。

雑感 日系人として困難な時代であったことの認識と、退役軍人が非常に尊敬されていることへの、多少の「違和感」:日本人として。被害者の立場であるので当然かもしれないが、どのようにその体験を後世に引き継いで「平和」を構築していのかの視点が無かった。 

Session Teaching about Pearl Harbor and the Japanese Interment
By Gary Mukai
Mr.Mukaiの日系人(3世)として、日系人社会がPearl Harbor Attacks前後、どのように経過をたどってきたのかを自身の家族史への言及や豊富な資料を用いて論じるセッション。
  • ピクチャーブライドのストーリー ・Internment Camps( 収容所 )
  • 勤務校の近くに収容所跡がある教員からの報告(どのようにその史跡を用いているのか) 短時間、今までの講演内容を振り返って、もし「Internment Camps」に持っていくならば、何を持っていくのかをグループで話し合った。その中で、岩野先生が持って来られていた絵本「かわいそうな象」が紹介された。当時のInternment Camps の様子を写した写真も紹介された。
  • Japanese Latin Americans( ペルーなどの南アメリカの移民していた日系人もアメリカの収容所へと送還された)の歴史も紹介された。
  • 戦後の日系アメリカ人へのアメリカ政府の対応と KANSHA Project

雑感  ハワイ社会の特殊性-歴史・政治・文化・伝統―またその社会の中で、日系人CommunityがPearl Harbor Attacks前後にどのように受けとめたのかを理解できた。また、Survivorsの証言によって、ハワイの軍事的な重要性をまず認識した。そして当時の攻撃が、軍人にそして一般市民に対してどのような衝撃を与えたのかを知ることができた。

この日の夕方はOptionalとして、 Waikiki Sunset Cruise が行われた。
ハワイ滞在中、初めてWaikikiを訪れ、そしてすばらしい太平洋に沈む美しい夕日そして、このWorkshopで友人となったアメリカ人たちとのおしゃべり、(そしてマイタイ)を満喫した。



8月3日(金)(The Workshop の最終日)

Pearl Harbor Resources at the USS Arizona Memorial
Brainstorm Session: Incorporating Multiple Perspectives of Pearl Harbor in Teaching / Learnig
Graig Bjorklund , from Utah
Stephanie Player, from Wyoming
Tiffany Seybert , from Colorado
とKato Tetsuya、from Japan の4人で、「どのような視点で Pearl Harborを教えるのか」をテーマにdiscussionをした。また、他のグループも同じような discussionとその後のpresentationの準備をした。

Group Share: Teaching Ideas
私たちのグループは一人ひとりが簡潔にそのTeaching Ideas をshare した。
加藤の発言は下記のNoteをもとに行った。



Pearl Harbor History, Memory, Memorial Teaching Plans
KATO Tetsuya
Doshisha JHS, KYOTO, JAPAN
3 August 2007

(1) The causes of the Pearl Harbor which led to the Pacific War
a) the Japan’s desire to rule China, Korea and other Asian Countries
b) economic reasons to grow as the Great Power in the world

(2) Comparisons between The Pearl Harbor and Hiroshima and Nagasaki-Atomic Bombs
Were the TWO bombs really needed?

(3) The current situation of OKINAWA and the past of OKINAWA as insight of the relationship between Japan and USA

(4) Japan as a warlike nation after MEIJI restoration in Asia

(5) Justification of The Pacific War and the YASUKUNI shrine’s claims
“We were NOT WRONG!”

(6) What we should learn from the Wars and how we are going to do to progress a peaceful movement. – current situation of Japan.

(7) irony - As US wants Japan to be their “better” military partner, Japanese Government is going to take a policy to take Japan back to OLD-style Japan
changing the Constitution and rearmament and get Japanese people more patriotic
Emperor-centered system leading Japan to the anti-American country?

(8) How can we link the two tragedies the Pearl Harbor and the Hiroshima:Nagasaki?

(10) one more symbolic place – Okinawa – still occupied?
A new point of view to see the current relation between US and Japan.
Many bases and Memorials in Hawaii similarity to OKINAWA
different perspective toward the War and Peace

(11) Democracy brought by losing the War and Americans

(12) embodiment of the ideal helped by The American
The Constitution Of Japan Article9; Article 9 of the Japanese Constitution is a "No War" clause.
It went into effect on May 3, 1947, immediately after World War II.


ARTICLE 9. Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese
people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means
of settling international disputes.

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other
war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.

二 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

(13) Allen Nelson as a peace activist a Vietnam veteran
http://www.objector.org/articles/nelson.html

≪他のグループのプレゼンテーションの概要≫
  • 帝国主義の背景を説明する。
  • アメリカへの移民全体史からのアプローチ
  • 全体の歴史から個人的なものへとスライドしていき、理解を深める。
  • パールハーバーを機転として、それ以前の様々な歴史的出来事がどのように、収斂されていきどのような結果をもたらしたかを教えていく。(砂時計【hour glass】 の図形)を用いる。当時のプロパガンダポスターや戦時漫画も用いることが出来る。また、地図や戦闘機の模型も用いることが出来る。実際に、地図の上を動いてみること。
  • ポストカードなどを使用して、生徒に視覚的に訴える。
  • 模型の戦闘機を用いて、真珠湾の様子を生徒に与える。「トラ!トラ!トラ!」の映画を見せる。
  • 日本とアメリカの関係を説明し、パールハーバーに至る経緯を説明する。アメリカ史の中の米西戦争にも言及する。また、日清戦争、第1次世界大戦、様々な軍事・軍縮条約を紹介する。
  • CDや本を用いて生徒に真珠湾攻撃の様子を伝える。当時の公式文書などを紹介する。収容所の様子を紹介する。スライドショーも効果的である。
  • 9.11と、真珠湾攻撃をどのように関連させていくのかを考えさせる。
  • アリゾナ号の写真などを見せる。そして、どうしてこの攻撃がこんなにPOWERFULに語られるのかを討論させる。また、歴代大統領がこの出来事をどのようにスピーチの中でどのように語っているのかを教える。
  • 【岩野先生・福岡県】 Ichiyama Familyに焦点を当て、真珠湾攻撃を読み解く。家族史と太平洋戦争との相関関係を説明しながら授業を進める。
  • 記念館がどのようにしたら、真珠湾攻撃を超えた物を伝えていけるのか。真珠湾攻撃の全体像を与え、その後、生徒達に、詳細について考えさせていく。
  • バーチャルツアーを行う。CDを利用する。
などの意見が出された。

Becoming an East-West Center Associate
最後に、参加者全員に Certificate Of Achievement の証書授与と全体の記念写真をもらえるCeremonyがあり、このWorkshopが終了した。





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