ばるしす! ~Native-Imagination-Steel・SisterS~

ユーマ【Episode:XX-01 ~Prologue~ 】

最終更新:

sousenki

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Prologue



少年は空を見ていた。
旅客機の窓越しに広がる蒼穹。彼方にはどこまでも続く雲の海と目に痛いほどの青。
まだ幼い少年の瞳に、その光景はどれだけ幻想的に映っただろうか。
シートの上に膝を立てて窓に張り付く少年を、隣の席に座る母親は穏やかな目をして見守っていた。
女手一つで育てた息子は、苦労の甲斐あってか腕白盛りの年齢にも関わらず学校の勉強も模範的にこなす「良い子」で、来年に控えた中学受験に関して学校と塾から合格確実のお墨付きを貰っていた。
本当に良い子に育ってくれたと思う。
だからこそ、息子がこうして子供らしい姿を見せてくれることが余計に嬉しかった。
連休を利用した三泊四日の海外旅行。
親子水入らずのバカンスなのだ。今は勉強も進路のことも全て忘れて思う存分楽しんでほしい。
そして自分も口うるさい教育ママから優しいママに戻ろうと、母親はそう決めていた。

そんな親心を知りもせず、少年は窓の外に広がる蒼穹に目を奪われ、言葉にならないほどの感動に浸っていた。
生まれて初めての外国。ガイドブックの写真には見たことも無い光景が鮮やかに映し出され、少年の好奇心を煽り立てる。
この空の先には果たして何が広がっているのだろうか。
未だ見ぬ外国に想いを馳せながら、少年もまた心に創造の翼を広げて空を飛んでいた。
地上から切り離された異界。飛行機という手段を用いねば登れぬ幻想の天空を。

だからかもしれない。
ふと視界に映し出された影を、少年がさほど奇異に思わなかったのは。


「うわぁ……大きい」


息子の口からぽつりと漏れた感嘆に母親は好奇心をそそられ、「どうしたの?」と隣に身を乗り出した。
息子はそれに気づくと嬉しそうな顔で、窓の外を指す。
そして誇らしげにこう言った。

「鳥だよ、それもものすごく大きいんだ」

息子の言葉に母親が首をかしげたのは言うまでも無い。
何処の世界に雲の上を飛ぶ鳥がいると言うのだろう。
飛行機の見間違いではないかと母親は問いかけるが、息子は首を横に振った。

「そんなわけないよ。だってあの鳥、翼をはためかせていたんだよ? 飛行機が同じことしたらすぐに壊れて落ちちゃうよ」

母親の指摘をあり得ないと笑い飛ばす少年。
しかし彼は「鳥」という前提そのものがあり得ないことに気づいていない。
少なくとも母親はそう考えていた。ちらりと視界を横切った黒い影に気づくまでは。

「ほら見て、あれだよあれ! 僕が見つけた大っきな鳥! 黒くて大きな――」

その影はジェット機に並ぶように姿を現した。
悠然と巨大な翼をはためかせ、数十メートルにも及ぶ巨体を陽光の下に現しながら……
直後、機内は悲鳴で満たされた。
突然姿を現した怪鳥――数十メートルもの巨体を誇り、長い尾をくねらせながら雲の上を飛ぶ生物を鳥類にカテゴライズするのであればの話だが――その異様を目の当たりにした窓際の乗客は、現実にあり得る筈のない光景に我が目を疑った。
しかし現実は怪異を否定しない。
いくら目を擦ったところで怪鳥の姿が消えることはなく、ぎょろりとした六つの目玉に居すくまれた乗客たちは、その凶々しさに知らず悲鳴をあげてしまう。
男も女も老いも若きも関係なく誰もが恐れ戦き、機内は騒然となった。
驚愕と悲鳴に満たされる機内、パニックに陥る乗客。
唯一の例外は発見者の少年だけで、彼は幼いが故の無知から、大人たちの反応にきょとんとした顔を浮かべていた。

窓の外に広がる理不尽を認識しながらも、客室乗務員たちの対応は正にプロと呼ばれるに相応しいものだった。
慌てふためく乗客を宥め、ヒステリックに説明を要求する者を言葉巧みに落ち着かせ、何よりも乗客の不安を軽減させようとする。
しかしその努力をあざ笑うかのように怪鳥は隣に並び続け、目にする者を更なる狂乱の淵へと追いやる。

「ネガティヴだ! ネガティヴだよ!」

パニックの最中、誰かが口にした一つの言葉、それが更なる混乱を招いた。
『ネガティヴ』、それは今や文化と国境を越え、唯一にして絶対の脅威を意味する名前。
その名が耳に届くや否や誰もが顔面を蒼白にし、狂乱が全てを支配した。
死刑宣告にも等しい名を冠する怪物は、その名を『ネガティヴ・イマジネーション・モンスター』と云う。

――其は現代に蘇った、人喰いの怪物である。



旅客機の遥か後方、蒼穹を駆ける銀色の鳥がいた。
チタン装甲に身を固め後部から火を吹き上げて進むその鳥は、名をF-15X戦闘機『イクス・イーグル』。
日本国自衛軍の主力戦闘機であり、二世代前の主力機F-15『イーグル』に改良を加えた機体でもある。
それが二機。
音速の領域に達した機体を更に加速させ、旅客機との距離を縮めていく。

『コントロールよりサンダーバード1、応答せよ』

『こちらサンダーバード1、感度良好。待ちかねたぞ、命令は?』

ヘッドホンから伝わる基地からの指令。
待ちかねたとばかりにイクス・イーグルのパイロット、篠山(しのやま)二等空尉は声を弾ませた。

『命令に変更はない。両機は現在航空中のボーイング■■■旅客機まで接近し目標の掃討――を支援せよ』

だが管制官より告げられた指令内容は、彼の機嫌を著しく損ねるものであった。

「ふん……また"お守り"を仰せつかるとはな。おいコントロール、いつから自衛軍はボーイスカウトの真似事をするようになった?」

『その発言は懲罰ものだぞサンダーバード1。第一、これは正式な命令だ。それに相手はネガティヴ――第一種敵対生物だ。現行兵器に如何ほどの意味がある?』

「言われなくても分かってるさ。くそ、だったらご大層なこいつの装備は何のためにある? 俺はウルトラマンの前座がしたくてパイロットになった訳じゃねぇぞ」

苛つく声は半ば自分に向けたものであった。

『サンダーバード1、復唱せよ』

「……サンダーバード1了解、本機はこれより敵対大型生物掃討の支援にあたる。オーバー」

それでも篠山は軍人である。定型の復唱を返し通信は終了した。
具体的な作戦内容は事前に聞かされている。だがそれが悉く気に食わなかったため、篠山は管制官が命令内容の変更を告げる声を心待ちにしていたのだが――
現実は彼の願いを一顧だにしなかったらしい。

「今日は厄日か仏滅か? よりにもよってまた引率を押し付けられるとはな。……おい平田(ひらた)、あの糞餓鬼どもはどうした?」

『……前に居ますわよ、オジサマ』

憤懣露わにした篠山は僚機サンダーバード2へ通信を繋ぐが、返ってきたのは部下である平田の声ではなく――澄んだ鈴の根を思わせる少女の声だった。
果たしてキャノピー越しの前方。蒼穹を駆けるF-15X戦闘機の鼻先を掠め、紺色の外套を纏った人影が姿を現す。
その光景に篠山は言葉を失った。
無理もない。音速で飛行する戦闘機を先行する形で、人が飛んでいるのである。それも藁箒に跨った幼い少女が。
陽光を浴びて滑らかな光沢を放つ、空よりも深い蒼の髪。
篠山からは見えないが、その瞳もまた同じ色に染まっていた。
自然にはありえない色の髪を風に棚引かせながら、紺色の外套に大きなとんがり帽子を被った少女は正におとぎ話の魔女然として、高度数千メートルの天空を飛んでいたのである。
全く持って現実感を欠いた光景はしかし、確かな現実のものであった。
その証拠にレーダーには彼女を記す光点が現れ、ヘッドホンからは少女のものと思われる声が耳に流れ込んでくる。

『……既に説明は済んでいると思いますが私、英峰学園中等部二年、シルク=エンハンスメント。
そして小等部六年、睦蔭優葵(むつかげ ゆうき)の両二名が本作戦の攻撃手を勤めます。
オジサマ方は旅客機の護衛と支援をお願いいたしますわ。……くれぐれも邪魔をなさらない程度に』

シルクと名乗った少女の存分に挑発的な台詞に篠山は無論激昂したが、怒りの文句を飛ばす前に新たな通信が入ってきた。

「こちらサンダーバード1! どうした!」

苛立ちのあまりがなり立てるを己を自覚しても、最早歯止めはきかない。
懲罰覚悟で糞ったれな指令ばかり寄越す管制官に一言言ってやろうと身構えた篠山だったが、無線機越しに聞こえてきたのは別の人物の声だった。

『あの、篠山空尉ですか? 初めまして、英峰学園の久遠響叉(くどう きょうさ)と言います。一応、あの娘たちの教官を務めていますので一言ご挨拶をと……』

「教官? ……ああ、先生ですか。これはどうもご丁寧に。で何事ですかな? 」

『いえ、うちの生徒がご迷惑を――多分、現在進行形でかけているとは思いますが、何卒ご容赦ください』

「はぁ……まあ、命令とあればそれをこなすのが我々の仕事でありますから」

馬鹿丁寧な言葉遣いは、そのまま嫌味の現れでもある。
無線機越しに苦笑する教官に舌打ちを零し、篠山は続けた。

「いやしかし、先生も大変ですな。我々も命令である以上はそちらのお子さんの面倒を見させてもらいますが、躾がなっていないようで手を焼いておりますよ。
ここは公園のお砂場じゃないんですよ、お宅は一体どんな教育をしているんですかね?」

そして、ここぞとばかりに嫌味を吹きかける。
懲罰覚悟のやけっぱちな心情がしかし、今の篠山には心地良く感じられた。

『いや、その……ご迷惑をおかけします。ですから、これだけはご承知していただきたいのですが…』

「はぁ、何ですかな?」

無線機の向こうでへこへこと頭を下げる小心者を思い描きながら、しかし篠山は続く教官の言葉に二度、言葉を失うこととなる。

『――我々は《ユニオン》が誇る対ネガティヴ機関にして、唯一の対抗手段です。
そして彼女たちは栄えあるその代行者(エージェント)。
故にお約束致しましょう、目前敵の完全沈黙まで我々は貴方がたの手をも一つも煩わせることはないと』

恐らく、プライドに凝り固まった職業軍人にとってこれほどの屈辱はなかっただろう。
若き教官はベテランの戦闘機パイロットおよび臨戦態勢を引いた航空部隊そのものに言い放ったのだ、「戦力として期待していない」と。
篠山は怒りのあまり歯軋りを零す。しかしその感情は何も彼らだけのものではなかった。
教え子を公然と侮辱された教官として、怒りを露にしないと誰が言えるだろう。

「――聞いたなシルク、優葵。遠慮はいらん。見せてやれ、お前たちの実力を」

『りょうかーい!』

無線に割り込む間延びした声。
それに応じるかのように、レーダー上に新たな光点が現れた。

サンダーバード2の真下。何処までも続く雲の海から、何かが飛び出してきた。
例えるならそれはモーターバイクに近い形状をしていた。違うのはタイヤが付いておらず、その代わりに推進剤を噴出するスラスターが備え付けられているという点か。

「俺――じゃなくて私、参上ッ! なんてねー♪」

底抜けに明るい――いや、ある意味脳天気な声をあげるのは、シルクよりも更に幼い少女。
睦蔭優葵という名を持つ彼女は、三段可変自動三輪「トライポリッシャー」に跨り、雲を突き破って姿を現した。
幼く愛らしい顔立ちと薄茶色の髪と云った、どこにでもいそうな女の子でありながら、その身に纏うのは機構と機能が一体化したコンバットスーツ「プライナー」。
ハイテクの塊である戦闘機を鼻で笑うようなオーバーテクノロジーの産物に身を固め、優葵はシルクの隣りに並ぶ。

「ごめんねー遅れちゃってー。……でもさぁ、いくら何でも速過ぎないそれ?」

そう言って優葵が刺したのはシルクが跨る藁箒であった。オーバーテクノロジーの粋を極めた「トライポリッシャー」とは対照的に、何処から如何見てもただの箒にしか見えない。
お尻を乗せる部分に自転車のサドルを取り付けているという点では異質なものの、それ以外は使い古した箒以外の何者でもなかった。
そんな箒が少女を乗せて音速で飛行しているのだ。
優葵でなくともその光景は不条理以外の何者でもなかった。

「たかだかマッハ1でしょう? これくらいなら私でなくとも出せるわ。それと、この箒を飛ばしているのは私よ? 聞く対象を間違えないで」

「あ、うん……ごめーん。だとしても、なんか納得いかないなー。いくら魔法使いだからって生身で音速を超えるなんて……うーん」

「あのねぇ、それを言ったら《現者(リアライザー)》なんて存在そのものが非常識でしょうに。
第一、そんな仰々しい機械で空を飛ぼうなんて発想が無駄の極みなの。シルフの協力を仰げばこれくらい訳ないわ」

そう言ってシルクがくるんと指を回すと、その指先に小さな緑色の影が姿を現す。
よく目をこらすと人間の形をした影は、優葵に対してぺこりと頭を下げた。

「あ、ど、どうも……えーっと、妖精さん?」

「シルフ、風の精霊よ。尤も今は私の魔法で視覚化しているから、妖精と云っても間違いではないわ」

「は、はぁ……」

「一応説明しておくけれど、この子達が周囲の大気とその流れをコントロールしてくれたり、高密度に圧縮した空気を後方から射出してくれるおかげで、私は飛んでいられるの。
ほら、説明すれば何も不自然なことはないでしょう?」

「いやその、精霊なんてもの自体が既に非常識だよー」

「うるさいわね! アナタよりマシよ!」

ちなみに一連の会話はデジタル信号化された無線通信で交わされていた。
その為、遠く離れた管制室でも彼女たちのやりとりをリアルタイムで傍聴できたのだが、
あまりに現実からかけ離れた内容と緊迫感の書けた会話にあちこちから苦笑が漏れ、教官は頭を抱える。

『……お前たち、任務中の無駄口は減点の対象になるぞ?』

「わかってますわよ! いちいちそんなことで教師風を吹かせないでくださる? 貴方はそこで私の活躍をちゃんと見てなさい!」

「…私もいるんだけどー」

不機嫌になったところに追い撃ちの一言を受け、シルクは声を荒げた。
元々短気な上にプライドの塊のような性格の持ち主である。膨れ上がった激情は行動によって示された。

「目標視認、これより攻撃を開始しますわ!」

「え? どこどこ?」

「あなたにはレーダーがあるでしょう? そちらに映ってますわよ!」

これもまた自身の能力に依るものか、肉眼で数千メートル先の光景を捉え、シルクは箒を加速させた。
マッハ2に到達した少女は後続を引き離し、僅か1分にも満たない短時間に攻撃対象へと接近する。
羽ばたく漆黒の巨体、六つの目で旅客機を捉える人喰いの怪物――ネガティヴへと。





「……本当に任せて宜しいのですか?」

管制室の一角、部屋全体を見渡せる場所に初老に差し掛かった男が腰を下ろしている。
この基地の司令を勤める男は年相応に老いた声で、隣りに立つ青年に尋ねかけた。
実年齢よりも僅かに若く見え、少年の面影を残す彼は今、自衛官が着る物より明るい色調の制服に身を包み、前方に建ち並ぶ無数のモニターを注視していた。
私立英峰学園の教師にして、対ネガティヴ部隊の指揮官――久遠響叉は司令の問いに「はい」と頷いた。

「ああ見えて二人とも十体以上のネガティヴを消滅させた戦績の持ち主です。まあその……手のかかる子供ではありますが敵の掃討だけは私が責任を以って遂行させてみます」

「いやそうではなく……私の孫も来年小学校に上がる。年はいくらか上だろうが子供が戦場へと赴く姿は見たくないものですな」

言った後で非難めいた口調に気付くが、響叉は「ええ、私も同感です」と呟いた。

「できることなら僕が代わりに行ってやりたい。あの子達が赴くのは戦地ではなく、命を脅かされることの無い生活の筈なんです。
しかしそれを許さない現状がある……嫌な言い訳です。反論も異論も封じ込める――大人の理屈ですよ」

年若い青年が漏らすには枯れた言葉を、司令はただ聞き止めるしかなかった。
大人の理屈。社会、ひいては所属する世界を維持する為に、多少の道理を曲げることを厭わぬ妥協の産物。
それに従わされる一部の少年少女。
彼らは小さなその肩に世界の運命を担ぎ、今も世界のあちこちで命をかけた戦いへと赴いている。
そんな過酷な生活を強制する世界、彼らに頼らねば明日を紡げぬ人類。
西暦2000年代の何時か。
世界は人喰いの怪物と小さな小さな英雄たちの闘争の、その最中にあった。

「……お互い、向かない仕事についてしまいましたな」

僅かな親しみを込めた司令の言葉に、響叉は苦い表情で応じる。

「まったくです」



機内に生じた混乱は治まることを知らず、ついには説明に赴いた機長に複数の乗客が詰め寄り、怒号と悲鳴と困惑が狭い機内を満たしていた。
乗客たちは口を揃えて「何とかしろ」と叫ぶか或いは神に助けを求めるばかりで、誰一人として機内の様子を省みる者はいなかった。
故に、誰も気付かなかった。
悠然と空を飛ぶ怪物が少しづつ、その巨体を肥大させていることに。
恐怖に支配され狂気に侵されていく乗客たちを嘲笑うかのように、怪物は大きく裂けた口を開く。
そしてまた少し、大きくなっていく。
そのことに誰も、まだ、気付かない。気付くすべも無い。
怪物が自分たちの恐怖を喰らっていることに。

最初にネガティヴを発見した母子も、ただ互いに抱き合って恐怖に震えていた。
しかしその息子は怯える母の頭に手を回し、かつて自分がそうされたように優しく撫でる。

「……坊や?」

子供に頭を撫でられ、母親は当惑の声をあげる。
瞳を涙で濡らし恐怖で蒼白となった表情は常より老けて見えたが、息子は一滴の涙も流すことなく、ただ真っ直ぐに母親を見つめていた。

「大丈夫だよ」

迷いの無い、はっきりとした口調で言う。

「大丈夫だよお母さん。きっと助けに来るよ」

「……え?」

少年は再び窓の向こうに顔を向ける。その先にはおぞましい怪物の姿がある。
それでも少年は怯むことなく、言葉を続けた。

「あれがネガティヴなら、きっと《H.E.R.O.》(ヒーロー)が助けに来てくれるよ。そうでしょう? それまでは僕が――」

再び頭を撫でる小さな手。誰よりも知っているはずの息子の手がこの時、母親にはとても大きなものに感じられていた。
目に映る誇らしいその表情は、彼女に愛する者を残してくれた異性の顔を彷彿とさせる。

「僕がお母さんを守るから」

閃光が走りぬけたのは、その直後のことであった。



体長34メートル。
翼を広げたならば裕に50メートルを超えるであろう怪物の背に、突如として爆発が生じた。
突然のことに怪物は声をあげ、痛みに身を捩る。
音速に近い速度で滑空していた怪物は身を捩ったことで体勢を崩し、一瞬、その巨体は旅客機から離れてしまう。
そこへ再び爆発が生じる。今度は左の翼だった。
爆発の炎はまるでガスを燃焼させたかのように青く、炸裂する瞬間に強い光を放っていた。

「……モチーフは"槍" イメージは"百舌鳥"、式は"爆裂" 。 墜ちなさいバケモノ――ッ!」

怪物の後方には箒に跨る小さな魔女の姿がある。
彼女――シルクは右手を箒から放し、すぐ前方に迫った怪物に向けて拳を振り下ろした。
指の間には計三本の油絵具を挟んでおり、そこから空よりも深い青色が噴き出した。
普通ならば外に出た瞬間、あっという間に後方へと流れてしまうだろう絵の具は何故か、空中でその形状を変化させ、長い針のような矢へと変貌する。
いかなる物理法則を持ち出せば、このような光景が生まれるのか。
更にその矢は、音速を超える速度で撃ち出された。
矢のように疾く、百舌鳥のように果敢に、蒼穹を駆ける三本の矢は何れも怪物に命中し、青い爆炎を生んだ。
それは「魔法」としか呼び様のない不可思議な現象。
科学が人を宇宙に飛ばすこの時代にあって、事も無げに「魔法」を使って見せたシルクはそう――現代に生きる正真正銘の【魔術師】(メイガス)であった。

「今ですわ! 援護を!」

シルクの声が管制室に響き渡ると、直ちに攻撃を許可する命令が二機のイクス・イーグルに伝えられた。
篠山と平田は素早くネガティヴをロッサオンし、その背に向けてミサイルを発射する。
火を吹き上げ、両翼から放たれた4基の対空ミサイル。
旅客機ならば一撃で沈めることのできる兵器はしかし、怪物の背に爆炎を咲かすだけでその身に傷一つ負わすことができなかった。

「――あれがネガティヴの位相変異……。まるで水面の月に石を投げつけるようなものですね」

「平田、うまいこと言ってるつもりか! もう一発ぶち込むぞ、あいつの気を逸らせ!」

しかし攻撃が通じないことは先刻承知している。
篠山と平田は再びミサイルを発射した。音速で迫り炸薬で対象を爆散させるハイテク兵器も、ネカティヴ相手ではせいぜい目くらましにしかならない。
位相変異――。
自身を含む周囲の空間、その位相を変異させてあらゆる物理的な接触を遮断する、ネカティヴの「鎧」。
現行兵器全てを無効化してしまった、理不尽なる怪物の能力。

だが彼らは――《H.E.R.O.》は違う。

爆炎を突っ切って走る蒼き矢。
魔術師シルク=エンハンスメントの魔法は位相変異を無効化し、怪物に傷を負わす。
《H.E.R.O.》と呼ばれる彼らが対ネガティヴの切り札とされる理由はそこにあった。
理不尽を以って理不尽を制す。
即ち――《H.E.R.O.》の前ではネガティヴの位相変異は悉く無効化される。

「敵が――墜ちる?」

篠山の目の前で、続けざまに攻撃を浴びせられた怪物は体勢を崩したまま高度を下げてしまう。
何とか体勢を立て直そうともがくものの、ここは空の上で、しかも亜音速で飛行していた勢いが容易に立て直す暇を与えない。
巨体が雲と接触し、水柱ならぬ雲の柱を立てて、怪物は雲の下へと沈んでいった。
だがシルクの顔は未だ警戒を解いていない。
数秒後、再び雲の中から怪物が浮上を開始していた。

「ああもぅ! これだから図体のデカいのは嫌ですわ!」

数十メートルにも及ぶ巨体には、シルクの魔法とてせいぜいが小石を投じる程度に過ぎない。
その姿を苛立ち交じりに確認し、シルクは箒を急旋回させた。
そして、顔を出した怪物に向けて再び、絵の具を向ける。

「……モチーフは"剣" イメージは"彗星"、式は"貫通" 
頭を潰させてもらいますわよデカブツ!」

飛び出した絵の具が互いに絡み合い、幅平で刃を寝かせた剣を描きだす。
その大きさは約二メートルにも及び、真っ直ぐ怪物の頭部目掛けて撃ち出された。
だが今度ばかりは怪物も黙ってはいなかった。
前方より飛来する剣を確認するとその口が大きく開き、次の瞬間、体と同じ色をした飛沫が拡散されて撃ち出したのである。

「き、汚ッ!」

シルクが悲鳴をあげるのも無理はない。その光景はまるで怪物が唾を飛ばすようであったからだ。
だが危険性は凡そ唾液のそれではない。
音速で撃ち出された物体は液体であれ固体であれ、それだけで大口径の銃弾を凌駕する凶器となりえるのだから。
その飛沫の一つが、シルクが撃ち出した剣と激突した。
貫通の術式を施された剣は黒い飛沫を貫いて、そのまま怪物に迫る。
だが飛沫は一つではない。二つ目の飛沫と激突した瞬間、魔法の剣は砕け、間髪入れずに打ち出された飛沫の前に四散してしまう。

「いやーーーーーーーーーーっ!」

半ば本気の悲鳴をあげて、シルクはその場で右方向に急旋回をかけた。
正に間一髪、一秒前にはその身を浮かべていた空域を、音速の飛沫が駆け抜けていった。
だがあまりに急な旋廻をかけたため、彼女は勢いを殺しきれずにくるくると回転しながら落下していく。
その上を怪物は悠然と飛びずさっていった。
狙いはあくまであの旅客機なのだろう。自分のことなど知ったことかとばかりに背を向ける怪物に――シルクの怒りが爆発した。
唾を吐きかけられた――ということも関係しているのだろう。
直ちに体勢を立て直すと、シルクは箒を加速させ再び猛追していく。

『シルク、飛び出しすぎだ! 後衛を待って挟撃をしかけろ!』

だが耳にしたインカムから聞こえてきた指令が、彼女を更に苛立たせた。

「その隙に旅客機が墜ちますわよ! あんなの――私一人で充分ですわッ!」

『お、おい待てシルク!? 通信が入った、優葵が今――』

「逃がすもんですかぁッ!」

聞く耳など持たないとばかりに命令を無視し、シルクは箒を飛ばした。
その勢いたるや正に疾風。怪物に迫ると無防備な背に向けて今度こそ仕留めるとばかりに――中身がたっぷり詰まった新しい絵の具を構える。

『青玉の魔女がここに命じる――竜よ、翼持つ蒼き竜よ! 不浄なる魔をその牙で引き裂き押し砕き跡形無くして終(しま)え!」

再び空に巻かれる絵の具。
しかし今度は驚くべき精密さでもって、複雑な図形を描き出していく。
中央の巨大なサークルの中に、紋様さながらに記されていく無数の図形と象形文字。
魔法使いの手によって記されるそれは魔術の回路にして、魔法の図式――即ち魔方陣。

『我は汝の名を呼び、汝は我の名に於いて顕れよ! 術式、"青の画布"発動――」

朗々と張り上げた声が、新たな魔法を発動させるその直前。
シルクの耳元でけたたましい警告音が鳴り響いた。

「シルクーーーー!? 
そこにいちゃダメーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?」

警告音に混じって聞こえたのは、優葵の声。
緊迫した叫びにシルクの思考よりも先に体が反応していた。
本能が命じるまま絵の具を手放し、その場で体を雲とほぼ水平になるまで倒したかと思うと、一気に機首を持ち上げて大きく迂回する。
一秒後。つい先ほどまでシルクが飛んでいた空間を、凄まじい光が走り抜けた。
あと少し退避が遅れれば、彼女は背後からその光に呑まれていただろう。

その光は同時に怪物の片翼を、根元から貫いた。
巨体に穿たれた孔は直径十メートルにも及び、翼の付け根を狙撃されたことで、怪物はとうとう自らの巨体を支えきれなくなり、
ゆっくりと傾いたかと思うと、そのまま地上へと落下を開始した。
雲の下に広がるのは広大な海洋。
高度一万メートルから重力によって叩きつけられれば、いかに海とは云え即死は免れないであろう。
雲海に呑まれ、墜落する巨体。
今度こそ仕留めた――誰もが撃墜を確信した。

ところでシルクの魔法とは比較にもならぬ砲撃を行った者は誰だったのか。
その空域から離れること数キロメートルの地点で、トライポリッシャーに乗った優葵が真っ青な顔で、片手には銃器のようなものを握り締めていた。
口がぱくぱくと開閉しているのは、思考の混乱が言葉を失わせているためか。

『……やや逸れましたが、目標には間違いなく命中。威力は想定範囲内でしたが狙撃精度の低下を確認。今後の対策課題と致します』

淡々と砲撃の結果を告げる声。その声はインカムからではなく、トライポリッシャーの通信装置から流れていた。

『ユーキ、目標は海中に落下したそうです。監視衛星とレーダーからもロストしました。お疲れ様でした』

「うんお疲れ様……って、そうじゃないよー! キレイのばかあ! もう少しでシルクを撃っちゃうところだったよ!」

『ですがシルク様は回避致しましたし、想定範囲内の出来事です。むしろユーキ、貴方には事前にスナイプモードのレクチャーを終えたはずですが』

「威力が全然違うよー! あんな凄いレーザーが出るなんて聞いてないもんっ! 」

『……想定範囲内です』

「その間は何かなぁ……」

キレイと呼んだ仲間の言葉を疑いつつ、優葵は手にした銃器をしげしげと眺めていた。
光収束熱線拳銃「レーザーブラストガン」。火薬で銃弾を打ち出す銃器と違って収束したレーザーを打ち出す、オーバーテクノロジーの産物である。
現行の銃器と比較すれば空気との摩擦で減衰はされるものの、レーザーブラストガンの射程は非常に長い。
またこの銃器は私設衛星とのデータリンクにより、数千メートル先の目標を狙撃する機能まで備えていた。
事実、優葵は手にしたレーザーブラストガンで見事、ネガティヴを撃墜したのだが……

『……ちょっと優葵ッ! 貴女は私を殺すつもりですのッ!?』

インカムから聞こえてきたのは、怒り心頭なシルクの声。
その瞬間、優葵は「ひぃ」と悲鳴を漏らす。

「ごめん! ごめんなさい! そんなつもりはなかったんだよ? 別にシルクちゃんが口うるさくて自分勝手でそのくせ威張ってて、今日はペアを組めって言われてちょっと憂鬱になったけど、それは全然関係ないからねー!」

『……動機は充分でしたのね』

「あわわわわっ! ち、ちがうんだよ? ほらキレイも何か言ってやってよ!」

トライポニッシャーの通信機越しに、助けを求める優葵。
しかし返ってきた言葉は。

『ご安心くださいシルク様。仮に直撃しても死にはしないと事前にレクチャーしておきましたので』

考えうる限り最悪の返答だった。

『優葵、あなたと二人っきりでお話したいことがありますの。帰ったら体育館の裏までいらっしゃいな。逃げたら殺すからそのつもりで」

「だーかーらー!!」

先にも書いたが、インカムを通しての会話は全てデジタル暗号化され、戦闘記録として残されるのが義務付けられていた。
よって二人の少女の間で交わされた漫才のようなやりとりもデジタルデータと紙媒体に印字されて、一定期間は記録されることとなる。
その内容が如何なるものであったとしても。
これらのやりとりを管制室で傍聴していた基地指令は何も言わず(何か言おうとすれば、その瞬間に噴き出してしまいそうだったので)、顔だけを響叉のほうに向けた。
若き教官はとある諺よろしく、頭を抱えて蹲っている。
哀れなその姿を目にし、老司令官に出来たのは、ただ肩に手を置くことだけだった。

「あいつら……帰ったら絶対指導室行きだからな」

響叉の声は歓声と苦笑に満ちた管制室の空気に、誰にも届くことなく交じり消えていく。
第一種敵対生物の掃討を確認。
その旨は管制官の声を通して、二機のイクス・イーグルにも伝えられた。

「……は、前座にもなりゃしないのか」

自嘲めいた篠山の声が、虚しくコクピット内に響く。
軍人として、一人の男として何も出来なかった――その屈辱と無力感が疲労のようにどっと押し寄せる。

「何言ってんですか、篠山さん」

そんな彼に声をかけたのは、サンダーバード2のパイロットであり、部下の平田だった。

「まだミッションは終わってませんよ。空港から着陸の許可が降りています。旅客機を誘導しろって出撃前に説明されたじゃないですか」

「うるせえな。お前に言われなくても分ってるよ。……ああ、そうだよな、まだやることは残ってるんだ」

掃討は攻撃手が勤め、後始末は自衛隊が勤める。
例えどのような内容であれ、任務であるからにはそれを遂行するのが軍人の勤めだ。
二機のイクス・イーグルを尻目に、くだらない喧嘩に花を咲かせる二人の少女。
怪物退治のエキスパートにして、まだまだ幼き《H.E.R.O.》。
彼女らは見事自分たちの務めを果たした。ならば大人たる篠山たちも任務を果たさねばなるまい。

「こいつらに誘導させたら、助かる命(もん)も助からないわな。……サンダーバード1より2へ。これより目標旅客機の誘導と護衛を開始する」

「――了解!」

二機の戦闘機が蒼穹を駆ける。
絶望の蔓延する旅客機を導くために、幼き英雄がもたらした戦果を報告するために。
かくして午前11時34分22秒――旅客機は無事、最寄の空港に緊急着陸。
乗客は多少の諍いによる軽傷こそ見られたが全員無事。
ここに、作戦は完了した。


その後、滑走路に降り立った二人の軍人は、空港の職員や医療スタッフの手引きでタラップを降りる乗客たちを何とはなしに眺めていた。
そんな彼らの目に一際印象的に映ったのは、蒼穹に向けて手を振る幼い少年の姿だった。


西暦2000年代の何時か。
世界は人喰いの怪物と小さな小さな英雄たちの闘争の、その最中にあった。
だが闘争の最中にあっても、人は生き、日々を暮らし、変わらぬ営みを紡いでいる。
《H.E.R.O.》と呼ばれる小さな英雄たちとて――例外ではない。


【episode:XX-01 Prologue -END-】




to be contunud...
episode:XX-01:BLADE OF GOLD SUN



登場人物


・シルク=エンハンスメント

・睦蔭 優葵

・久遠 響叉 (※本作品オリジナル)

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