Ⅸ エピローグ
黒猫
ねえ、さっき黒猫を見たわ。
元気そうにシッポ、ピーンって立ってた。刈谷真季 『Forest』
「黒猫」とは、おそらくダイナ。
エピローグでの灰流たちの前には、それぞれ森のキャラクターが顔を見せ、その傍らに寄り添う。
刈谷にはリーピチープ(彼)、九月にはグリザベラ、黛には時計ウサギ(若者)、そして灰流にはロビンくんとおぼしき少年とクマ(大男)。
せっかくならば、黛にはティンカーベルや他のウサギのヒトがふさわしい気もするが、リアルの姿で彼女に語りかけるという場面なら、若者の姿をした時計ウサギは適役だ。
刈谷にはリーピチープ(彼)、九月にはグリザベラ、黛には時計ウサギ(若者)、そして灰流にはロビンくんとおぼしき少年とクマ(大男)。
せっかくならば、黛にはティンカーベルや他のウサギのヒトがふさわしい気もするが、リアルの姿で彼女に語りかけるという場面なら、若者の姿をした時計ウサギは適役だ。
さてここで、雨森にだけはそういった描写がない。
パートナーの見あたらないダイナと雨森が対応するとすれば、彼女自身がそう望んだように、「本物の」キャラクターとしての伽子を、彼女自身の新たな旅の道連れにしているのだと考えられる。
またあるいは、再び姿を現した黒猫は、リアルでの伽子の誕生を示唆しているのかもしれない。どちらともとれる。
この黒猫が、不思議の国のアリスに登場する「ダイナ」か、それとも伽子の飼い猫の「ダイナ」なのか、どちらに読み取るかでも、また解釈がわかれて悩ましい。
パートナーの見あたらないダイナと雨森が対応するとすれば、彼女自身がそう望んだように、「本物の」キャラクターとしての伽子を、彼女自身の新たな旅の道連れにしているのだと考えられる。
またあるいは、再び姿を現した黒猫は、リアルでの伽子の誕生を示唆しているのかもしれない。どちらともとれる。
この黒猫が、不思議の国のアリスに登場する「ダイナ」か、それとも伽子の飼い猫の「ダイナ」なのか、どちらに読み取るかでも、また解釈がわかれて悩ましい。
しかし、ダイナは原作でも森においても黒猫ではないし、しかも既に"死んで"いる。となると、他にForestに登場するネコを考えると、グリザベラ、スキンブル、ガスぐらいしかいない。グリザベラをのぞけば、この中で黒猫と考えられるのはガスのみ。
直接登場していなくても良いなら、ダイナの子供の一匹が黒猫だし、中央公園?でふれられるミスター・ミストフェリーズも黒猫。また、エリオットの原詩ではジェリクルキャッツは黒猫(正確には白黒まだらだが、ほぼ黒猫)という設定になっている。
forestではダイナの子供はすでに親から独立してるという設定なので、上で述べたことを合わせれば、この黒猫はダイナの子供が適任だろうか。
直接登場していなくても良いなら、ダイナの子供の一匹が黒猫だし、中央公園?でふれられるミスター・ミストフェリーズも黒猫。また、エリオットの原詩ではジェリクルキャッツは黒猫(正確には白黒まだらだが、ほぼ黒猫)という設定になっている。
forestではダイナの子供はすでに親から独立してるという設定なので、上で述べたことを合わせれば、この黒猫はダイナの子供が適任だろうか。
ラストの一枚絵
最後のシーンの舞台モデルは、新宿駅新南口にある複合交通ターミナル「バスタ新宿」の屋上庭園。
バスタ新宿そのものが2016年に完成した施設なので時系列的におかしいようにも思えるが、
いわく当時発表されていた完成予想図をもとにラストシーンの舞台に選んだとのこと。
バスタ新宿そのものが2016年に完成した施設なので時系列的におかしいようにも思えるが、
いわく当時発表されていた完成予想図をもとにラストシーンの舞台に選んだとのこと。
それはまた、別のお話。
Forestのラストの文句。
ゲーム冒頭の「ねえ、お話を聞かせて。」に対応するもの。
「完」でも「おしまい」でも「つづく」でもないところが洒落ている。
英語圏での口承文学(昔話など)をしめくくる常套句である。
“~well, that's another story.”
“But that's another story.”
「完」でも「おしまい」でも「つづく」でもないところが洒落ている。
英語圏での口承文学(昔話など)をしめくくる常套句である。
“~well, that's another story.”
“But that's another story.”
日本の説話の「めでたしめでたし」「どっとはらい」「とっぴんぱらりのぷう」などの結句に相当する言葉。
エンデの「果てしない物語」でも多用されている。
エンデの「果てしない物語」でも多用されている。