1. まず、議題に対する肯定意見、否定意見を各々のスペースで協議する。
このときコメント欄を使ってもよい。原則として、ユーザー単位で「肯定派」「否定派」などといった身分は設けず、誰がどちらにコメントしてもよい。
ある程度まとまった状態の内容を、「肯定意見のまとめ」「否定意見のまとめ」に記述する。ここに記載された内容は、進行スペースに“提出”されるものとして扱う。
肯定意見or否定意見内部での対立が起き、それが解消できない場合は、原則として両方の意見を記載する。
2. ログインユーザーが進行スペースの編集を行う。
「肯定意見のまとめ」「否定意見のまとめ」に記載された内容を、進行スペースに追加していく。この際「内容の重複」「議題と無関係な意見」などといったものは棄却する。
「問題点・不明点、及びその回答」も都度記述していく。
これらの編集を行った後には、報告欄で編集者名・編集内容を簡潔に記述する。
万が一進行スペースで編集合戦が発生した場合、両者の見解を記名付きで記載し、報告欄に報告する。
非ログインユーザーによる進行スペースの編集や報告欄への書き込みがあった場合、差し戻し処理とする。
3. 進行スペースに記載された意見に対して、反論を行うことができる。
肯定意見への反論は否定意見スペースで、否定意見への反論は肯定意見スペースで、それぞれ論ずること。
1.の意見提出と同様に、各スペースの「反論のまとめ」に記載された内容が進行スペースに“提出”される。
反論への反論も同様。
4. 進行スペースにて、提出された反論を追加していく。当然だが編集者は反論の宛先や前後関係に注意を払うこと。
ある意見について、その次の行にその反論を、また次の行に反論の反論を…という形で関係が分かるようにぶら下げていく。
反論が成立しているか否かについて、基本的には編集者が判断する必要は無いものの、議題と無関係な内容ではないか注視すること。(「既出」については、先に出ている意見が反論への反論を内包している場合もあり得るため、ここでは問わない)
5. 意見・反論の量が多くなり混乱を来しそうな場合、それらが主張しているのは「実用性・有用性の面」なのか「役割論理の原理的・教理的な面」なのかを整理するとよい。
また議論の進展により、既出の意見がありえないゴミと判明し、合意が得られたと判断した場合、取り消し線を使った表記を用いてもよい。「問題点・不明点」が解消した際も同様とする。
コメントアウトや完全消去は(誤字脱字や勘違いなどの場合を除き)原則用いないこと。
6. 有効な反論が双方から出なくなった時点で、出揃った意見を総合的にロジックし、結論を導く。
この段階になって議論用ヤャットを利用するのが良いと思われる。同時に、議論の結論によるwikiでの扱い、言わば落としどころについても協議すべきであろう。
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「落としどころ」とは? |
例えば、「議題Aはアリエールorありえない」という議論が賛否両論だったとき、その結論として、
- 「Aはアリエールwww」もしくは「Aは絶対にありえないwww」
という完全に白黒はっきりついた記述を求めるのか、
- 「Aは微妙ですが〇〇に役割持てますなwww」
- 「A容認派ならAで〇〇に役割持てますなwww」
- 「Aなら〇〇に役割持てますが、役割論理的には微妙ですなwww」
といったグレーゾーンを許容する記述(我個人的には上がアリエール寄り、下がありえない寄りの認識)を落としどころにするのか、或いは
- 「厳密には役割論理的でない為非推奨ですが」「Aを用いた例がありますが、現在認められていませんなwww」「使うなら自己責任ですぞwww」
等といった文言によって「wikiとしては認めないが、徹底した排除も行わない」スタンスの上で紹介に留める方法まで、可能性としてはあると我は考えますなwww無論、一番下はこのwikiの存在意義を考えると望ましくない手でしょうがなwww
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(蛇足)「〇〇容認派」「〇〇肯定派」についての私見 |
「〇〇はありえないwww」が常套句の役割論理に於いて、態々グレーゾーンを容認することの意義に疑問や危機感を覚える気持ちは分かりますぞwww
ところで、「『ある程度の数での合意』によって役割論理が形作られてきた」という文化的側面を無視すべきではない、というのが我の持論ですぞwww 役割論理の発展に於いて「緻密なロジック」「単純明快なエンターテイメント性」の他に「民主主義性」が重要だということですなwww
つまり、役割論理で何らかの要素を認めるとき、前提として「有用であるとするロジック」と「ある程度の数での合意」を要すると我は考えますぞwww
(例えばアクジェマリルリのように根本的に論理的じゃない場合、ロジックに強い反論が出たり合意する論者が少なかったりするでしょうなwww 有用じゃないのであればそもそも議題に挙がりませんなwww)
さてヤロテスタントに於いて、例えばゴツゴツメット・ブルルのウッドホーン・チョッキテテフ等は(何れも非論理的な側面がありながらも)ある程度の数での合意があって成立したと見ていますなwww
この中でチョッキテテフだけが、態々「容認派」を設けて限定的に認められた事の意義を考えてみますぞwww
「容認派を態々設けなければならなかった」という事は、裏を返せば「それだけ否定派を重視すべき事由があった」とも取れますなwww チョッキ否定派からすれば、有用であれど非論理的な側面が強いことの烙印だと言っても過言ではないと思いますなwww
「何が、どこまでが役割論理で、どこからがそうじゃないのか」の価値観が、論者各々によって異なる……という事がここ最近目立つように感じますが、議論の落としどころの一つとして「容認派」を設ける余地はあると思いますなwww 但し先述の通り、有用性のロジックとある程度の数での合意があった上で、かつ否定派の意見もある程度重視される場合が条件になると考えますぞwww
「派」という字面が物々しい事や、論理が派閥割れを起こしているように感じるきらいがある、と言われたら否定できませんがなwww
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まとまらない場合は何かしらの問題点があると思われるので、それを炙り出すことを優先する
元々の議題とは別の問題点について議論が必要な場合、新たに議論用ページを作成する
「肯定派or否定派が相手を論破して勝利する事」は議論の目的ではない。
議論の目的は飽く迄も「役割の持てる結論を導いて役割論理の発展に活かす」ことである。
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