729 名前: 本編ダラダラ便 [sage] 投稿日: 2007/07/16(月) 23:40:52 ID:c21BzLim
入江診療所。
雛見沢村内にある唯一の診療所であり、野球チームの監督も務める入江が所長として運営している施設である。
もちろんこれは表の顔で、裏の顔は雛見沢症候群という風土病の研究を第一としているとの情報だ。
しかしそれが真実であるかは現段階で不明と言っていい。
不明であるがゆえに、別の研究をしている可能性がスネークの頭をよぎる。
――生物兵器(バイオウェポン)。
地域限定型の風土病を世界中に蔓延できるようになったとしたら……
それは人類滅亡の引き金になることさえあるだろう。
面識のあるあの入江という男が、まさかそこまで非道な研究をしているとは思えないが、それでも可能性がないとは限らない。
これが最終目的であるメタルギアへの糸口になるのだろうか。
「ふぅ……」
軽い溜息と共に、思考を一時中断する。
入江診療所を目の前にして、あれこれ考えていても仕方ないからだ。
それに……
「スネーク。なんかテンション低いな」
圭一というクールなパートナーが同伴しているのだから。
「いや、なんでもない。ちょっと確認していただけだ」
「確認?」
圭一が不思議そうに首をかしげる。
「診療所にしては割と大きいと思ってな」
肝心な部分を割愛した発言。
「そりゃ、雛見沢にしかない診療所だしな」
特に気にせず、あっけらかんと笑いながら答える圭一。
含み笑いで返すスネークであったが、その瞳は潜入者の蛇の如くするどかった。
スネークが注目したのはエアコンの室外機である。
待合室用に設けられている業務用の大型エアコン。
診察室や休憩室等に設けられている家庭用エアコン。
それらを軽く流し見しながら目線を戻した時、ある違和感に気付いたのだ。
それは室外機から発生する音である。
注意深く聞いて見ると明らかに音の数が多いのだ。
業務用エアコン室外機の音の大きさに騙されがちだが、間違いないと言える。
恐らく目立たない場所に隠してあるのだろう。
ただし日中の暑さが災いして音漏れが防げなかったようだ。
どうやら診療所内の業務用と家庭用のエアコン以外にも、別のエアコンがあると見ていい。
建物の構造上、考えられるとしたら……
――地下か。
「……」
顎を擦り、診療所を見据える。
「早く入ろうぜ」
圭一に促され足を進めるスネーク。
気を引き締め、それを顔に出さないよう注意しつつ入江診療所の扉を開ける。
その瞬間――
ひぐらしにはまだ早い蝉の鳴き声を、その日始めて聞いた気がした。
 
733 名前: 本編進行便 ◆k7GDmgD5wQ [sage] 投稿日: 2007/07/18(水) 21:09:51 ID:h1UZ0zzO
厚いガラスで作られた“入江診療所”と貼り出されている戸を、彼は開ける。
つん、とかすかに、消毒薬の匂いが鼻腔をくすぐった。
「誰もいないってことはないんだけど……、静かだな」
圭一が彼の後ろから入ってくるなり、そう言った。
「土曜日だ。診療時間は終えているからだろう」
入り口に明記されている診療時間は土曜日は午前中までとなっていた。
圭一がスリッパを二つとる。靴を脱いで履き替え、ロビーへと進んだ。
「うわ、クーラー効いてるぜ。うーん涼しー」
室温は快適な温度だ。徒歩でここまで来た者にはありがたく感じる心地よさだった。
「……あら、ごめんなさい。今日の診療は終了してますよ。……って、なぁんだ。前原くんじゃない。沙都子ちゃん達の様子を見に来たのかしら?」
くすくす、と微笑むように、奥から出てきた看護士は言う。
「はい。……沙都子、元気ですか? 三四さん」
圭一が、彼女に尋ねた。それに彼女は、にっこりと笑って答える。
「ええ。沙都子ちゃんも詩音ちゃんも元気よ。腫れも引いたし、痣も残らないから、明日のお祭りには出れそうね。沙都子ちゃん、明日のお祭りには絶対行くんだ、って張り切ってるわ」
そう、言った。
「そっか……。よかった」
それを聞いて、圭一が安心した表情を見せる。
その後ろから、ようやく、ロビーにスネークが入ってきた。
「あら、前原くんの学校の先生ね。あなたも、沙都子ちゃんをお見舞いに?」
「そうなんだ。ええと……、鷹野さん」
「こうしてお会いするのは、これで二度目ですわね。……くす。雛見沢にはもう慣れました?」
「お蔭さんでな。みんないい人ばかりだからな」
それはよかったですわ、と鷹野が笑う。
「三四さん、今日はもう仕事おわりなんだ」
圭一が言う。……彼女は私服姿だった。白衣を着ていないから、仕事が終わりだと察したのだろう。
「ええそうなの。アフタータイムをどう過ごそうか、迷ってるわ」
「またまたー! 富竹さんとデートじゃないのー?」
圭一が煽る。鷹野はその質問に動揺もせず。
「くすくす……。そうね、デートもいいかも、ね」
そう、またくすくすと笑って答えたのだった。
「三四さん。それで、沙都子達は?」
「二人なら奥の病室よ。相部屋だから二人ともそこにいるわ」
「ありがと。じゃあ俺たち、これで」
圭一が礼をして、病室の一番奥に向かう。スネークもその後ろを追う。
そして、鷹野とすれ違う。そのとき。
「いよいよ――ですわ」
そう、ぽつりと、零した。
その言葉が気になって、足を止める。
「……何だって?」
「くすくす……。お祭りですよ。お祭り。明日は、“綿流し”。誰もが楽しみな――お祭り、ですわ」
ねえ、先生。と、また、静かに笑った。
その笑いが――妖しささえ、感じさせる。
「きっと明日は、誰もが楽しくなりますわ。……きっと、ね」
くす、くす、と、何が愉しいのか、再び、彼女は嗤った。
「それでは先生――息災を。明日また、お会いしましょう」
そう、彼女は言うと、靴箱から自分のハイヒールを取り出して、履き直す。
肩から零れ落ちた長い髪を口にくわえ、色艶がある仕草で靴の縁に指を這わす。二度ほど、靴で地面を打ち、足に馴染ませたあと……、ガラス戸に手をかけ、外に出て行った。
その直前、……彼を舐めるような目で、ちらりと流す。ドアが静かに閉まると、ふっと彼女がつけた香水だけが、微かに、残った。
「何やってんだよスネーク。ほらこっちだって。こっち」
「……ああ」
圭一に呼ばれ、スネークは、教え子の元に向かう。
沙都子ー、元気かーと言いながら、圭一が、奥の病室の、扉を開けた。
 
806 名前: 本編 ◆k7GDmgD5wQ [sage] 投稿日: 2007/08/22(水) 00:04:16 ID:/BaKBO/4
「沙都子、元気か?」
圭一が明るい声で、部屋の戸を開けた。
「あ……、圭一さん? わざわざ来てくださったんですの?」
突然呼びかけられて、びっくりした様子の沙都子が圭一を見る。
「おう! 沙都子の顔を見ないと、どーも寝つきが悪くってな」
おどけた調子で、圭一が返す。
「……なんかそう言われると、ありがたみが大分半減しますわね……」
くれぐれも、変な想像しないでくださいませ、と沙都子が圭一に釘を刺す。
「ひでーな沙都子。俺がそんなことすると思ってんのかよ」
「圭一さんの場合、特にそう思ってますわ」
いじけた態度で圭一が落ち込む。その後ろから、スネークが部屋を覗き込んだ。
「その様子なら……、大丈夫のようだな、沙都子」
「あら、スネーク先生までいらしたんですの? ……本当に、ご迷惑かけますわ」
沙都子がそう言って、スネークに礼をする。
「何を言っている。生徒の様子を見るのは教師の務めさ。……それに、子供がそんなこと気にするもんじゃない」
「そう言っていただけると……、本当に、助かりますわ」
沙都子が、目を伏せる。
彼女のこの態度は、彼女なりの処世術だったはずだ。だから、そう簡単に拭い去れるものではないことを、彼は理解していた。
庇護すべき大人から疎んじられた時、彼女を守るはずだった拠りどころがいなくなった時……、彼女は、自分一人で行き抜こうと、決めた。
そのための会話だった。そのための言葉だった。そのための態度だったし、そのための付き合い方だった。
小さな体に、似合いもしないその考えは……、とても、哀しく見えた。
「あれ? 詩音、寝てんのか?」
圭一が隣のベッドを覗き込む。詩音が白いベッドと毛布に包まって、眠っていた。
「ついさっきまでは起きていたんですけど……。薬が効いていたからか、眠くなったって言って、そのままころんですわ」
「なんだよ。せっかく見舞いに来てやったのにな。……起こすのもかわいそうだし、このままにしとくか」
「それがいいだろう」
圭一が、詩音から離れて、沙都子のベッドの端に座る。
「沙都子、明日のお祭り、なんだけど」
話題は、明日のことになった。
「もちろん行きますわよ。明日は年に一度のお祭りですもの。逃したらそれこそ一生後悔しますわ」
「そっか……。いや俺、この村の祭り――綿流し、だっけ? 初めてだからさ。楽しみでしょーがねーんだよ。沙都子、いろいろ案内してくれよな!」
「ええもちろん。私だけじゃなくて、魅音さんもレナさんも、梨花もいろいろ案内してくれますわ。それに……」
ほっほっほ、と口に手をあてて、なにやらおさえた笑いを沙都子は零す。
「な、なんだよ沙都子……、なんか、怖えぇぞ」
「お祭りはとっても熱くなること受けあいですわ。ほっほっほ。楽しみですわー」
「う……、ま、まあ、あるとは思ってたけど、やっぱ部活かよ……。魅音やりそうだもんな」
「わかっているなら話は早いですわ。せいぜい、赤っ恥をかかないように頑張ることですわね」
引きつる圭一の顔と、八重歯を見せて笑う沙都子。
それを見て、蛇は思う。この子達のどこに――、俺を謀る、悪意があるというのか。年相応の子供達だ。
無邪気に、そして純粋に日常を謳歌しているだけの、どこにだっている、平和な世界の子供達だと。
それなのに、自分は警戒している。彼らを心の底から信じない自分が、こんなに平和な場所ですら、心のどこかで、油断するなと考えている。
「……何を」
首を振る。少し脈拍が乱れていることを、彼は自覚した。
「スネーク? なんか言ったか?」
「いや……。なんでもない。……ああ、そうだな」
胸ポケットから煙草を取り出し、一本取り出して口に咥える。
「……非常識ですわね。病院は終始禁煙ですわ」
沙都子が、呆れたような顔で、スネークを見つめる。
「いやすまん。……沙都子達が大丈夫そうで安心したら、一服吸いたくなった。少し外に出てくる」
「ホントにタバコ好きだよなスネーク。体に悪いって言われてんだから、この際禁煙したらいいんじゃないか?」
「コレだけは止められん。……少し外すぞ」
そう言って、病室から一人で抜け出る。
圭一は沙都子と、今度は今日の授業の内容で話し合っていた。
「……さて」
彼は咥えた煙草に火を付けず、ポケットに戻す。
病室から少し歩いてた先にある部屋のドアを、ノックした。
「どうぞ。開いてます」
所長室と書かれたドアの向こうから、彼の声がした。
「そうか。……それでは失礼する」
――入江京介は、なにやら山のように積まれたカルテとにらめっこしながら……、スネークを迎え入れたのだった。
 
897 名前: TIPSダラダラ便 [sage] 投稿日: 2007/09/24(月) 21:06:48 ID:5YES/QCt
>>593続き
TIPS:嵐の前の静けさ

「うむっ!」
職員室に校長の元気な一声が響く。
その顔はとても上機嫌で、視線は左手に持つ湯のみに向けられていた。
淹れたての熱い緑茶を飲もうとした時、茶柱が立っていたことに気付いたためである。
「実に今日はいい日なのである!」
熱い緑茶を一口飲み、椅子の背もたれに背中を預け、窓の外に目を向ける。
暖かい日差しに目を細め、いつもと変わらない景色を眺めながら再び湯のみに口をつけた。
「……」
窓の外からは小鳥のさえずり。廊下の外からは生徒達の明るい話し声。
そんな自然の音楽が、静かな職員室の中に響きわたる。
学び舎に通う我が子に等しい存在である生徒達。
そんな彼らの日々楽しく過ごす姿を見るのが、今も昔も変わらない校長が最も好む心の糧なのだ。
心穏やかな校長は、学校という環境と、今という時間だからしか聞けない自然の音楽に耳を傾けるのだった。
知らないことは幸せなのかもしれない。
生徒達のいる教室では、自分をターゲットにした罰ゲームで盛り上がっていたりするのだから……

「スネーク。ふぁいと、おー、なのですよ」
「生きて帰ってこいよ」
「あはは。スネーク先生、頑張ってね」
「なんだったら、おじさんが骨は拾ってあげるよー」
言いたい放題言われ、教室を後にするスネーク。
その足取りはやや重く、顔つきは反省色で染まっていた。
「……見事に心の隙を突かれれしまったか」
溜息混じりの独り言。
時間が経てば経つほど、重い気分はより重くなっていく。
そんな後悔もトイレの前までくると心の片隅に追いやられた。
「さて……」
辺りを見回し、誰もいないことを確認する。
誰の姿もないことを確かめたうえで、ソリトンレーダーをオンにした。
人体の熱反応も自分以外の周囲にはない。
そうして女子トイレへと胸を張って入るスネーク。
……勘違いしてはいけないぞ。
これは考えたうえでの行動なのだから。
そんな言い訳を心の中でしつつ、一番奥の個室へと入る。
鍵を閉め、コーナーポット……には目もくれず、給水タンクの蓋を外す。
蓋の裏には、ビニールで包まれた小型無線機が貼りつけてあった。
牙を隠している獣の巣へ何も考えずに入るほど愚かではない。
万全の対策をとって望むことも大事なのである。
器用に濡れたビニールから手早く取り出し、無線のスイッチを入れた。
898 名前: TIPSダラダラ便 [sage] 投稿日: 2007/09/24(月) 21:14:17 ID:5YES/QCt
『……っとと……ス、スネークかい?』
「こちらスネーク。その声はオタコンか?」
『緊急回線からアクセスがあるとは思わなかったよ。一体どうしたんだい?』
「通常無線機での通信回線では作戦に支障が出るんでな。あえてこうさせてもらった」
『なるほど。また女子トイレに入ってるから、性欲に磨きがかかったのかと思ったよ』
「……オタコン。それは遺言か?」
声のトーンが少しが下がるスネーク。
『ご、ごめん。冗談だってば。そ、それで僕の力が必要なのかな?』
「いや、大佐と通信可能ならば大佐と代わってもらいたい」
『もうすぐ戻ってくると思うんだけど……』
「なんだ?大佐もトイレか?」
『スネークと一緒にしちゃ駄目だよ。キャンベル大佐はよく上層部の会議に出席させられてるみたいだから、席を外されているんだ』
遺言好きのオタコンに、思わず小さな殺意が芽生える。
しかし、その殺意も上層部の会議という言葉に消え去った。
「会議か……。その内容は分かるか?」
『大統領を交えての極秘会議も多いから、いくら僕でも骨が折れるかな』
「ほぉ……なるほど。とりあえず、調べれるだけ調べておいてもらえるか?」
『分かったよ。あっ、キャンベル大佐が戻ってきた。今、代わるね』

『キャンベルだ。スネーク、どうした?』
「大佐か。実は大佐の力を借りたく連絡した」
『わざわざ緊急回線を使うほどだ……よほどの事態か?』
「ああ。100%失敗する対談に挑戦し、そこから穏便に帰還しなくてはならないんだ」
『……それならば、その対談を放棄するのが一番だろう?』
大佐の言葉に思わずハッとする。
確かにその通りだ。
なにかしらの理由をつけ、罰ゲームを回避するのも頭のいいやり方だといえる。
しかし―――
「大佐……男には退けないとき、立ち向かわなければいけないときがある。今が……そのときなんだ!」
伝説の英雄は違った。
男であるからこそ、約束だからこそ、守らなければならない。
そう決意で固めた言葉を大佐に伝えたのだ。
『……すまない、スネーク。私としたことが無粋な物言いをしてしまったようだ』
「いや、いいんだ。大佐」
二人の会話の熱いやり取りに、オタコンは少し感動した。
『だが、そんな場所で言う台詞ではないな』
大佐からの明確な一言。
オタコンの感動が、一瞬にして消えさったのは言うまでもない。
時を同じく、スネークも背中に何か重たい物がのしかかった気分になっていた。
『さて……それでは詳細を教えてもらえるかな?』
スネークやオタコンの下がったテンションをよそに、本題に入る大佐であった。
 
901 名前: 本編 ◆k7GDmgD5wQ [sage] 投稿日: 2007/09/24(月) 22:18:51 ID:lRvhnXh8
かちゃり、と軽くドアノブが回る音が響く。
静かに開いたドアの隙間から、中の様子を伺うように覗き見る。
立派な机に大量の紙――恐らくはカルテ――を積み、それと向かいながら一つ一つ目を通しサインし、判を押す。
入江京介が、忙しそうにしていた。
「やあ。ようこそいらっしゃいました」
入江が書類から目を外して俺に向く。そして見知った仲のように、気軽に声をかけてきた。
……彼と俺は以前に見知っているのだから、それは正しい反応なのだ。
見知るどころか、ある意味死線を潜り抜けた戦友の間柄かもしれない。
「忙しくはないか?」
俺はそう尋ねた。
今の彼を見る限りは、そのようには見えなかったのだが、一応、確認しておく。
「いいえ。全然大丈夫ですよ。今日の診察も終わりましたし、急患さえなければゆっくりできます」
「……そうか」
どうぞかけてください、と促され、俺は空いている椅子に腰を下ろす。
「沙都子ちゃんと詩音ちゃんの、お見舞いですか?」
「ああ。そんなところだ」
ご苦労様です。と入江は言う。
教師の職務として、俺がここに来たと思っているのだ。
「今コーヒーをお持ちしますよ。時間、ありますよね?」
そう言って、彼は立ち上がる。
「いや、構わないでくれ。あんたも忙しいだろう」
「いえいえ。私もこうやって一服しないと、身が持ちませんので」
山と積まれたカルテを指差した後、軽く会釈するように笑うと、部屋の隣にある部屋に引っ込んでいった。
こうして話すだけなら、なかなかの好人物ではあるのだが。
……いつ、彼の恐ろしい一面が出るかと思うと、油断はできない。それに。
俺は椅子に深く腰掛けて、寛いでいる。ふりをしながら。
彼がいなくなった後の部屋を、俺は不自然に映らないように見渡しながら、観察する。
無機質な視線を、いくつも感じる。
それは、カメラのレンズだ。
昆虫のような、感情の篭らない眼。
なぜ、こんな片田舎の病院に、これだけの設備が必要なのか。
――防犯のため?
そんなはずはない。このカメラ達はそんな理由でここにあるわけではない。
盗撮、……いや、監視するために、これらはここに、ある。
――何を監視している?
そんなことは、もはや明確だろう。
ここで、監視しなければいけないものなど。たかが知れている。
やはり、ここは敵の中枢なのだと、俺は確信した。
入江京介、そして“東京”彼らはやはり――敵、なのだ。
入江が消えて行ったドアを、俺は見つめた。
敵ならば――、躊躇することはない。入江を拘束し、脅迫してでも、情報を手に入れればいい。それは数瞬で実行し、数分で完了することだ。
だが、俺はその考えを実行しなかった。
彼らが……、少し離れた廊下の向こうに、圭一が、沙都子が、詩音がいたからだ。
もし俺がここで、無理にでも俺のやり方を通せば――、彼らに危害が及ぶ。
その可能性が万が一でもある限り……。俺は、それを行うことができなかった。
彼らを、重荷に感じている。本来の俺が、ここでは出せない。全力を出せないもどかしさが、俺を苛立たせる。
イラついた気持ちを押さえ込もうと、仕舞ったはずのタバコを一本、手に取る。
すぐに、沙都子が言ったこと――病院は禁煙――を思い出し、舌打ちしながらポケットに戻そうとした、そのとき。
「お待たせしました。インスタントですが結構美味しいですよ。……あ、あと吸うのなら、これどうぞ」
入江が二人分のコーヒーと、灰皿一つをトレイに乗せ、戻ってきたのだった。
902 名前: 本編 ◆k7GDmgD5wQ [sage] 投稿日: 2007/09/24(月) 22:22:40 ID:lRvhnXh8
「……病院は禁煙じゃなかったのか?」
肺いっぱいに吸いこんだタバコをゆっくりと吐き出しながら、まずはそう尋ねた。
「会議室の備え付けです。スタッフの中には中毒者も少なくないんです」
困ったような顔をして、入江が答える。
「タバコは嫌いなのか?」
「ええ。吸っている人の隣にいるのも、本当は……」
「そりゃすまない」
すぐにタバコを揉み消す。
「ああ。気になさらないでください。私なんか、もう会議のたびに副流煙吸っちゃってるんですから」
そうは言ったものの、俺がタバコを消すと、どこかほっとした表情になる。やはりタバコは嫌いなのだろう。
「沙都子と、詩音の容態のことなんだが……」
一応、尋ねる。無事だというのは鷹野三四から聞いてはいるが、具体的なことをもう少し知っておきたかった。
「あ、はい。二人の様子ですね。沙都子ちゃんも詩音ちゃんも、打撲の腫れが若干残ってはいますが、痣になるようなことはありません。
沙都子ちゃんは少しまぶたが腫れて内出血を起こしましたが、処置したので大丈夫です。神経等の障害が残ることも無いです。検査しましたから」
「……そうか」
知らず、俺の口元には笑みが浮かぶ。
「退院なら、今日にもできます。……私としては、沙都子ちゃんにはもう一泊してもらいたいくらいですが」
にやけた笑みを浮かべ、くふくふと声を漏らす。
……来たな。
俺は顔には出さず、警戒する。入江にこのまま、持論を展開させるわけにはいかない。
『つまり、彼にメイド、及びそれに関係するワードを与えてはいけないということだよ。スネーク』
ここにくる少し前、俺は頼れる仲間と、作戦を練っていた。
『つまり、どうすればいい?』
『彼の興味のある言葉を上手く避けつつ、こちらの聞きたいことに誘導することだね』
『そこまで俺が弁達者だと、お前は理解しているわけだな?』
『いや。全然』
『……オタコン。俺は真面目に聞いてるんだ。どうすればあの入江のメイド地獄を回避しつつ、こちらの狙った情報を手に入れられるんだ?』
『さっきも言ったじゃないか。つまりはワードだよ。彼にとってメイド論を唱えさせる“鍵”となる言葉があるんだ。それを上手く避けることだね』
『もう少し具体的に言ってくれないか』
『そうだね……。まずは“メイド”それから“ご主人様”“ご奉仕”“躾”“喫茶”あと“アキバ”最低限このくらい、あとはこれらに類似する言葉は回避してくれ』
『なんだ? “アキバ”というのは』
『聖地さ』
『エルサレムの日本語訳か?』
『楽園のことだよ』
『……よくわからん』
首を振りながら、俺は答える。
『あと、どうやら彼は沙都子ちゃんをメイド化したいと願望しているようだ。沙都子ちゃんの話題になるとそっちのほうに話が行きそうだから、気をつけてくれ』
『そうか……。沙都子の容態は、少しは話題にしなければならないからな……。そこが最初の難関になるか』
『沙都子ちゃんの話題が出るのなら、それを逆手に取ってみたらどうだい? スネーク』
『逆手?』
『僕達が求めている情報と、入江京介、そして沙都子ちゃんに共通する――情報さ』
なるほど。そいつはまさに。
『ナイスアイディアだオタコン。どうやら、一筋の光明が見えたな』
『どういたしまして』
作戦は、決まった。
「……でね! それでですねスネークさん! 沙都子ちゃんが夜中に寝返り打つわけですよ! あの小さな体が、こう、ころん、ころんって!
そのたびに小さな吐息が聞こえてくるんですよ! あの子猫にも似た可愛らしさったらもー! 反則ですよ! 反則!」
「……」
大分一人で暴走し始めている。
「……もし! もしですよ?! もしも沙都子ちゃんがあのあどけない笑顔で私イチオシベストチョイスのメイド服に身を包み!
『いってらっしゃいませご主人様』とか! 『お帰りなさいませご主人様』とか! 言ってくれたら! 言ってくれたら私はもーっ!」
このままの熱でオーバーヒートされると、彼もヤバイが、俺もやばい。
「なあ……。入江、先生」
「ねっ! ねぇっ! スネークさん! あなたも! あなたも見たいでしょ! 沙都子ちゃんの――――!」
「その、沙都子のことなんだが……」
「はい?」
「沙都子は……、 病 気 じゃないのか?」
「……、え……?」
その一言で、劇的に彼の熱は冷め――、同時に、彼は眼鏡越しに冷たい眼差しを、俺に向けたのだった。
903 名前: 本編 ◆k7GDmgD5wQ [sage] 投稿日: 2007/09/24(月) 22:23:48 ID:lRvhnXh8
「……なぜ」
熱弁を奮っていた入江の体は支えを失ったかのように椅子にもたれこみ、屈んだ姿勢から上目ずかいに、俺を見た。
「なぜ……。そうだと……、思ったのですか」
その態度からわかる。
彼は完全に、俺を警戒している。
俺の言った言葉が、核心に触れるものだったために。
俺はすぐに答えない。
間を置いて、立ち上がる。
反射的に体を強張らせた入江から距離を置くように、窓際により、外の景色を見る。
「俺は……この国の歴史に興味があってな」
「歴史……ですか」
唐突に言った俺の嘘を、入江は反復する。
「ああ。……それも割と最近の歴史。『昭和史』を研究している」
「昭和、史……」
「とりわけ、特に第二次世界大戦中の、この国の歴史を、な」
入江を見ずに、俺は平然と嘘を重ねる。
「そ……、それと、沙都子ちゃんに、なんの、関係が」
あるんですか、と入江は言う。
その言葉は、嘘を吐くのが下手な者の。
「俺は知っているんだ。この国、そしてこの地域に存在する。……風土病のことを」
「ッ! ……」
入江が、はっきりと息を止め、唾を飲み下した。
「以前見た、沙都子の様子から……、俺は理解した。彼女は、この地域にあるという……」
「止めて、ください」
俺の言葉を遮り、入江が言った。
「さしたる証拠も無いのに、そんなことを言うのは……止めてください」
この男が初めて見せた。憎悪にも似た表情。
……そして、敵意だった。
俺が彼に向けた眼差しを、彼は必死に逸らさず押し返す。
少しの、沈黙があり。
「教えてくれないか」
俺は尋ねた。
「……何を、ですか」
ここまで来て。
お互いに隠し事はよそうじゃないかと、俺は白々しく言った。
「この地域に、大戦中に存在したという、旧帝国陸軍の施設。その場所を」
「そ、そんなものを知って……。何を、するつもりなんですか」
喉が貼りついたような声で、抗うように、応える。
「別に……。言っただろう。興味があるだけさ」
「私は、そんなもの、知りません」
「そこでは風土病が研究されていたという。もしかしたら……先生なら知っているんじゃないかと思ったんだが」
視線に力を込める。
知っているという言葉が、入江の中で増幅する。
「わ……、私は知りません」
ですが、と彼は漏らす。
「私は……、最近この雛見沢に越してきた人間です。だから、詳しいことはわかりません。ですが……この土地のことを、詳しい人を、知っています」
「誰なんだ?」
「この村の権力者……。そ、園崎家は大戦中に、軍部とも繋がりがあったと言われています。だ、だから、園崎家の頭首、園崎お魎さんなら……、あるいは……」
その施設のことも、知っているかもしれません。
そうたどたどしく、入江は言ったのだった。
 
951 名前: 通りすがりの人 ◆/PADlWx/sE [sage] 投稿日: 2007/10/06(土) 23:03:31 ID:bCQtoVuB
TIPS:詩音の想い


「詩音さん…本当にすみませんですわ。私のせいでそんなお怪我を…」
「いいえ、沙都子のせいじゃないです。悪いのはあの鉄平一人だけです。
沙都子は何も心配しなくていいんですよ。早く怪我を治しましょうね」
私と沙都子は診療所で談笑していた。…談笑と言っても、私も沙都子も怪我が酷くて、まだ喋ると
口の中が痛い。
これでも監督と鷹野さんのおかげで随分楽になったほうだ。
「もうすぐ綿流しのお祭りですわね。それまでに元気になるよう、がんばりますわ。
今年は圭一さんも詩音さんも一緒ですのよね!どんな楽しい祭りに――」
沙都子が沈んだ気分を沙都子なりに盛り上げようとしているのか、しきりに話しかけてくる。
適当に相槌を打ちながら、私はずっとさっきのことを考えていた。
リボルバー・オセロットと名乗った老人のこと。
「契約」のこと。
そして――――悟史くんのこと。
いろんな思いが頭の中をぐるぐると駆け巡る。
会いたい、悟史くんに。会いたい。何をしても――
悟史くん、笑ってくれるかな?私、ちゃんと頼まれていた約束を守っているんだよ。
ねぇ悟史くん、沙都子はとても強いんだよ。一番辛い目に合ってるのに、くじけず、笑ってる――
私も、沙都子も、ずっと待ってたよ。
会いたかった…会えるんだよね?
あの男の言う通りにすれば会えるんだよね?
また、「むぅ」って困ったように笑って、私の頭を撫でてくれるんだよね?
悟史くん、悟史くん――!
「………さん」
悟史くん、悟史くん、悟史くん、悟史くん、悟史くん、悟史くん
悟史くん、悟史くん、悟史くん、悟史くん、悟史くん、悟史くん
悟史くん、悟史くん、悟史くん、悟史くん、悟史くん、悟史くん
会いたい、会いたい会いたい会いたい会いたい―――!
「詩音さん!」
952 名前: 通りすがりの人 ◆/PADlWx/sE [sage] 投稿日: 2007/10/06(土) 23:04:20 ID:bCQtoVuB
はっと顔を上げると、心配そうにこっちを覗き込んでいる沙都子の顔があった。
「どうされましたの?さっきからずっと黙り込んで。やっぱりまだどこか具合が悪いんじゃありませんこと?」
「…ごめんなさいね、沙都子。さっき飲んだ薬が効いてきたからか、眠くなってきちゃって。
だから、先に休みますね」
沙都子には申し訳ないけれど、うっかり自分が変なことを口走らないか不安だ。
それに沙都子には余計な心配を掛けたくない。
「そうでしたの。ではゆっくりお休みなさいませ。私はもう少し起きていますわ」
「お休みなさい、沙都子」
頭から毛布をかぶる。…全然眠くなんかない。眠れそうになかった。
冷静になったところで、さっきのことをもう一度考える。
あの男――リボルバー・オセロット――は、綿流しの祭りまでに、「蛇」を捕らえて動きを封じればいい、と言っていた。
ごろん、と寝返りを打つ。
たったそれだけで悟史くんに会える。問題は方法だけだ。
お姉達と「蛇」が一緒だとやっかいだから、「蛇」をうまいことして引き離して、誰も来ないようなところで
襲わなければいけない。
でも「蛇」は鉄平を簡単にあしらった。鉄平にぼこぼこにされるような自分で勝てるのかどうか。
どうすればいい?
――スタンガンにもっと改造を加えて、背後から襲うとか?
――崖から突き落とすとか?
――いっそ、隙を見て*しちゃうとか?
だんだんと、どす黒い思考が頭を、心を満たしていく。
*してでも、それでも会えるのなら…!



ダメだ。*してはいけない。



953 名前: 通りすがりの人 ◆/PADlWx/sE [sage] 投稿日: 2007/10/06(土) 23:04:51 ID:bCQtoVuB
どうしてかわからないけれど、そう思った。
『何があっても殺人はダメだ。困ったら仲間に相談しろ!』
そう引きとめたのは、誰だっけ。というか、…こんなことはあったっけ?
ちくり、と胸が痛む。
「蛇」は…いやスネーク先生は、とても頼もしく、強く、愉快な人だ。
そんな人をもし*しでもしたら、みんなはどうするんだろう?
じゃあ相談する?――いや、誰かに話したが最後、私はオセロットに*される。
みんなは巻き込めない。二度と悟史くんに会えなくなったら沙都子も悲しむ。
*してはいけない。いや、自分の実力ではおそらく「蛇」を*せない。
でも、助けを求めることも許されない。
どうすればいいの………?
私はただ、会いたいだけなんだよ。
会いたい…会いたいよ…悟史くん…
「悟史、くん…!」
小さな声で呟く。
肩が震える。
「ごめんなさい…」
誰に向けた謝罪の言葉だったか、私にもわからずに。
頬をつたって一筋の雫が、こぼれ落ちた。


圭一とスネーク先生がこっちに向かっているなんて、わかりもしなかった。
 
219 名前: 本編再開カケラ編 ◆k7GDmgD5wQ [sage] 投稿日: 2008/01/23(水) 00:00:35 ID:tx+87vq4
――銃声が聞こえる。
どこか遠くで、いつか聞いた忌まわしいあの音が、けたたましく鳴り響いている。
私は目を覚ます。
どこまでも遠く、高く青い空の下で、私は一人で、ここにいる。
黄褐色の風景。
絡みつくような暑さの空気。
雲すらない青い空。
割れた石造りの壁。
そのどれもが――、私には、縁のない風景。
私が知る、あの雛見沢の景色が、微塵もない場所。
どれほどの記憶を浚っても、決してあらわれることのない色彩。
それが私の、目の前にあるもの。
これは何?
これも何かのカケラなのだとしたら。
これは、誰の記憶なの?
呆然と開けた口に、砂が入る。突然の苦さに、私は顔を歪めた。
ひとしきり、砂を唾と一緒に吐き出す。唾はたちまち乾いて消える。
あの場所にいた頃は。
同じ事を繰り返す退屈が一番怖いことだと思っていたけど。
今は違う。
何も知らない中に一人で取り残されることが、こんなに怖いことだったなんて。
清々しいほど爽やかなはずの空が、どうしようもなく高い牢壁に思える。
真っ白にさえ感じてしまう砂漠の色が、終わりのない海原の中心に感じる。
私は知らない。
私には分からない。
どこへ行けばいいのかも、何をすべきなのかも。
歩く気すら挫かれて、私は膝を抱えて、座っているだけ。
太陽に照りつけられ、肌がじりじりと水分を失う。
それに耐えられなくて、私は日陰に身を隠しているだけ。

――ふと、視線をあげる。遠い地平線に、見たこともない都市が、見えた。

私は知っている。あれは蜃気楼だ。決して辿りつくことができない。幻の都。
行ってはいけない。向かってはいけない。あれは、悪魔が見せる罠なんだ。
でも。それでも。
照りつける光。澄み切った空。真っ白な壁、乾いた砂。
同じものを、このまま見続けるよりは。
ゆっくり、立ち上がる。一歩、歩く。太陽にまた焦がされるけれど、そんなの気にしない。
だって見たいんだ。
どうしても知りたいんだ。
あの場所に何があるのか。
この行く末に、どんな結末があるのか。
だから、私は歩く。前に、進む。

不意に、影が、私を覆う。
雲が太陽を隠したのかと、見上げる。
そうじゃ、なかった。
誰かが立っている。私より遥かに背の高い、がっしりした体格の、大きな、男の、人。
太陽が邪魔で、彼の顔が、よく見えない。

ぬぅ、と、大きな手を差し伸べられる。
私は、彼の口に出す言葉を、待っていたかのように、彼の手を握った。


「待たせたな!」
 
365 名前: 本編再開 ◆k7GDmgD5wQ [sage] 投稿日: 2008/02/09(土) 21:45:15 ID:evRiYsRE
TIPS:~カケラから現~

……その手を掴もうとして――、私は目を醒ました。
薄暗く、ほんの少しだけ窓から零れた朝の光が、見慣れた天井をわずかに染める。
……まだ、こんな時間なのに……。そう、愚痴るように、寝不足の体を起こして、私は寝間着を静かに脱ぎ捨てた。
隣で寝ている沙都子を起こさないように、静かに着替えて、そっとドアを開ける。
静かに階段を、一歩ずつ確かに降りながら、私は、神社の裏手に、そっと回り込む。
……さすがに、この時間は誰もいない。祭りの準備が始まるのは、まだ少し先のようだった。
神社の裏手から、雛見沢を一望する。
もう何度、ここからこの景色を見下ろしたのだろう。
そして……、私はあと何度、この景色を見ることができるのだろう。
「……梨花」
「……おはよう。羽入」
後ろから、聞こえてきた声に、私はそっけなく挨拶をした。
「……今日は、……今日が」
「ええ。お祭りね。みんなが楽しみにしている。年に一度の、お祭りね」
羽入の声は、沈んでいる。そんな声を聞くと、私まで滅入ってくるのに。
「……頑張りました。梨花は、とても頑張りましたです。…………でも」
「……わかってる。でも仕方ないわ。間に合わなかったのは、事実なんだもの」
時間が……、来てしまった。
私がかつて、自らの運命を打破できたのは、今日、まさにこの日の、朝焼けの中。
それは……もう、永遠に戻ってこない。時の彼方へ過ぎて行った。
「……遅すぎた。遅すぎましたのです。僕達がこの世界に来たのが今から七日前。準備も……計画も、実行もできる時間は限られていました」
そう、羽入の言うとおり。私達は、余りにも限られた時の中でしか、もがく事を許されなかった。
それでも、最善の努力は行った。
行ったつもりだった。
その、結果が。
「圭一にも、魅音にも、沙都子にもレナにも、私の本心は伝えられなかった。もし私が、これからおこる惨劇を彼らに語ったとしても」
信じてもらえる確率が……果たして幾らなのか。
「監督や……、大石の協力も得られませんでした。…………富竹も」
「言わなくていいわ。……わかってるから」
私にとって、いや、私たちとって、唯一にして最大の武器……、私が頼るべき人達との、結束と団結がとれなかったこと。
時間が足りなかった。
北条鉄平が二度もこの雛見沢に来てしまった。
そして、私が取った行動が、次々と裏目に出てしまった。
……その結果が、これだ。
「きっと今日は、誰もが楽しく綿流しを満喫するわね。魅音が中心になって、部活を行うわ。沙都子が機転を利かせ、レナの直感が冴え渡り、圭一がビリから逆転勝利を狙うの」
羽入は黙って、私の独り言を聞いている。
「そんな私達の姿を、富竹は楽しそうに写真に撮るわ。……私の演舞も、嬉々として撮ってるかもね」
やがて、そんな楽しい一睡の夢の如く祭りは終わり――。
「時報が鳴るわ。……そして誰かが死んで、誰かがいなくなって……。そして最後に」
私も死ぬのね。 ……そう、自嘲気味に呟いた。
366 名前: 本編再開 ◆k7GDmgD5wQ [sage] 投稿日: 2008/02/09(土) 21:46:42 ID:evRiYsRE
「……まだわからないです」
黙って私の言葉を聞いていた羽入が、そうはっきりと言った。
「そう? もう大分予想がつくけど」
「わからないです。そんな未来が来るなんて、誰にもわからないです」
「神様でも?」
「梨花の未来は梨花のものです。誰かが決めるものではないのです」
その、羽入の言葉に、私は。

「私の未来なんて、もう決まってるわよ!」

不快感を隠しきれず、みっともないくらいの大声を出した。
「綿流しを迎えて惨劇を回避したことなんて、一度もないじゃない! これからどれだけもがいても、やってくるのは一つだけよ!」
自分でも抑えきれない何かが、堰を切ってあふれ出る。それは怒声となって――滲んだ涙となって、どうしようもなく出てきてしまう。
「それとも、あんたがなんとかしてくれる?! 神様の! オヤシロさまのあんたが! あんたの力でまた死んだらまたやり直すっていうの?!」
必要以上に、私は羽入に辛くあたっていた。でもそれは、もう自分では止められない力の流れだった。
「なんとかしてよ! どうにかしてみせてよ! 神様でしょ!? ……おねがい、……助けてよ……」
雫が頬を濡らし、足元に零れ落ちる。それがとても、情けなくて、悔しくて、羽入にあたっている自分が、一層みじめに思えた。
その私の言葉を、全て正面で受け止めた羽入は。
「梨花の思い描いた未来は、梨花が諦めたから、決定する未来です」
静かに、そう言った。
「梨花……。確かに僕には、梨花を惨劇から救うほどの力はないのです。でも、僕にそんな力がなくても、梨花は運命を変えることができました」
そう。そうだ。……それも確かに、かつてあった、私の、事実。
「梨花。僕は梨花に教えられたのです。諦めないこと。どんなどん底でも、決して諦めないこと。……それを、梨花やみんなが、僕に教えてくれたのです」
「……羽入」
「僕達が掴んだいつかの勝利の方程式は、この世界では叶わなくなりました。でも……諦めなければ、諦めなければきっと、逆転勝利の方法が見つかるはずです」
そう言って、羽入は、にぱ、と笑った。
「梨花も言っていたじゃないですか。運命がどれほど苛まそうと、その全てに楯突いてやると」
――――ああ、そうだ。そのとおりだ。
「……うん。そうね。……そうよね。………………ごめんね、羽入」
両手で涙を拭い、羽入に詫びる。
「梨花……、梨花は決して、一人じゃありません。圭一がいます。沙都子がいます。魅音がいてレナがいて……僕がいます。だから」

――どうか、嘆かないで。

そう、羽入の笑顔が語った、気がした。
「……うん。私はもう挫けない。弱音も吐かない。絶対に諦めない。必ず、必ずみんなで、この昭和58年を乗り切ってみせる」
「その意気ですよ。梨花。ふぁいと、おーです。……だから、僕も」
眩しさを感じる。
朝日が射したのでは、なかった。
私の前にいる羽入の体が、少しずつ輝いていく。
「……え? 羽入……?」
「梨花……。梨花が繋ぎ止められなかったカケラは、僕が繋ぎます。僕もこの世界で、カケラの一つとして、未来を繋ぎます」
必ず、梨花が未来に辿り着けるように――。
「この世界で、必ず未来を掴むために……。梨花、もう一度、僕に古手の名を」
もう一度、僕を古手羽入として、仲間に入れてください。と。
私にとって――、これ以上ない、最高の仲間が加わった瞬間だった。
 
406 名前: 本編 ◆k7GDmgD5wQ [sage] 投稿日: 2008/02/18(月) 01:28:30 ID:CL398NvA
――聞きなれた通信機のコール音が響く。
それに叩かれるように起こされた俺は、舌打ちしながら、スイッチを入れた。
『おはようスネーク。ずいぶん久しぶりだな。……久方ぶりの休暇は、そんなに楽しかったか?』
『朝っぱらからずいぶんな言い草だな大佐。休暇と言うにはそんなに休んでない気もするが』
『だがこの通信は久しぶりだろう? 憎まれ口の一つも叩きたくなるほどにな』
寝起きに聞かされるには、大分堪える小言だ。
『まあそうだな……。俺も久しぶりに、あんたの声が聞けて嬉しいさ大佐』
『そうだろう』
向こうから、皮肉交じりのくぐもった笑い声が聞こえる。
『まあ君の休暇は君が悪いんじゃあない。文句は別の奴にでも言ってくれ』
誰に言えば良いというんだ。
『体のほうはなまっていないだろうな? 今すぐにでも動けるか?』
『いらぬ心配だ大佐。今日も、はちきれんばかりに元気さ』
素直な俺の一部を見て確認する。
『うむ……。スネーク、バックパックの中にあるレーションはもう痛んでいるな。食すのは止めたほうがいい』
『大佐。レーションは保存食だ。腐りはしない。……まあ大分、賞味期限は過ぎてるが』
缶の裏を眺めながら答える。
『いやスネーク。そのレーションには間違いなくフナムシがついている!』
勢い良く大佐は断言する。
『大佐……。ここは海辺じゃない。むしろ山だ。どこにフナムシが……?』
『フナムシを甘く見るなスネーク! 私は以前、自宅のキッチンでフナムシを見た! やつらはどこにでもいる!』
『大佐。それはフナムシじゃなくてG……』
『あれは忘れもしない春うららなホリディ! 私は偶然にも自宅の冷蔵庫から見つけた賞味期限1983年のレーションを、200X年現在に見つけた! 私は悩んだ! 何故ならレーションは保存食だから!』
『……いや、大佐?』
大佐の妙なテンションが怖い。
『そうだスネーク! レーションは食える! 食えるのだどこまでも! それが私を悩ませ! 私を苦しめた! そして私は決心した! レーションを食おうと!』
決心したのだよスネーク――――。そう、大佐は懺悔するように言った。
『レーションの蓋に手をかけ、回すと簡単にレーションの蓋は開いた! そこからだ! そこから、この世の、この世の終わりのようにたくさんの――』
――――――――――たくさんの、フ
                  ナム
                     シ、ga。
『大佐! どうした大佐!? 大佐!』
大佐が危ない! いろんな意味で!
『らりるれろ! らりるれろ! ららりりるるれれらりるれろ! らりるれろ! らりるRERO! RARARIRIRURURERERIRIKARUNANOHA!』
『どうしたんだ大佐!? 大佐! 大佐ァーーーーーーー!!』
『スネーク! MERILwoたすケロ!』
――なぜメリル――そう、俺が薄れゆく意識で考えたとき。

……今度こそ本当に、俺の目は覚めた。
407 名前: 本編 ◆k7GDmgD5wQ [sage] 投稿日: 2008/02/18(月) 01:29:13 ID:CL398NvA
びっしょりと掻いた寝汗を乾かすように、焚き火の前に座り込んだ俺は、ゆっくりと静かに、煙草の煙を吐き出す。
「……食わないほうが、よかったか」
俺が悪夢を見た原因は簡単に特定できた。
俺が任務に赴く前に持ってきていた最後のレーション。
賞味期限が切れていたから慌てて食ったのだったが――、こんな嫌な夢を見るとは思わなかった。
「まあ食わなければ動けないしな……。それに、今日が恐らく、正念場に、なるからな」
俺は、今日、遂に敵の居場所に侵入する。
チャンスは恐らく、今日しかない。
入江京介から聞いた情報。それにより、潜入する目的地は決定した。
それに、協力者も存在する。
彼女の手助けがあれば――、潜り込める。
準備は整った。
蛇は――――――獲物を捉えたのだ。

……昨日の話になる。
入江との接触。そこから得た情報は、この地域に詳しい人物が、他にいる、ということのみ。
足りない情報だった。
不確実な情報だった。
だが……、彼からこれ以上のことを、聞き出すことは、より困難だった。
困難になってしまったのだ。

沙都子の真実――雛見沢症候群というものの正体を、俺は知っている。
その事実に、入江は恐怖した。
何故なら、雛見沢症候群そのものが、この村の隠匿されるべき秘密であり、……同時に、隠蔽しなければならないこの村の暗部でもあったからだ。
それが、知られた。知られて、いた。
このスネークと名乗る、何処の誰ともしれない人間に。
その事実に、入江は心底震えた。
それでも、入江は折れなかった。
呼吸すら出来ない水の中に引き込まれたような感覚に懸命に抗らい、俺の視線を見据え返す。
彼は、彼の中にある、絶対に譲れないものを守るために、意地でも退かない。
俺は忘れていた。
理解できていなかった。
入江京介にとって、俺が口にしたその病の名は、彼が最も恐れるものであり。
それと同時に、彼が最も守らなければならないものだということに。
そう、入江にとって、雛見沢症候群は誰にも譲れるものではない。
研究者としての好奇心もあった。医者として人命を救うという大義もある。
だが、それ以上に護らなければならなかった。
北条沙都子の命を、護らなければならなかった。
雛見沢症候群の研究が途絶えれば、彼女を完治させる方法を失ってしまう。
そしてこの病が、公になってしまってもいけない。
大衆がどんな視線を、この小さな村に向けるか。そしてそうなってしまったら、どうなるかを、彼は想像で知っている。
だから、守るのだ。この村の秘密を、貝のように押し黙って。
――俺に、たった一つ、ヒントを与えただけで。
静まりかえった部屋の中で、俺は胸ポケットから二本目の煙草を取り出して、口に咥える。それに火をつけようとして――、止めた。
「あんたは煙草は嫌いだったな」
「……え。ええ」
入江の硬直が、僅かに解ける。
「いや先生。済まないな。あんたがそこまで意地になるとは知らなかった」
案外頑固者なんだな、と俺が言うと、それほどでも、と入江は言った。
「心配するな。もうあんたにこの話は振らん。そのお魎さんとやらにでも聞いてみるさ」
「そうですか……。気をつけてください、お魎さん、怒ると結構怖い人ですから」
「そうか。……注意することにしよう」
そうしてください。と、入江は言った。
408 名前: 本編 ◆k7GDmgD5wQ [sage] 投稿日: 2008/02/18(月) 01:30:06 ID:CL398NvA
「あと……。もう一つ、約束してくれませんか?」
「約束?」
俺は聞き返す。
「今の話――、絶対に、他言無用にしてください。特に、沙都子ちゃん達の前では、絶対に」
真剣な眼差しで、入江は俺を見た。
「……わかった。約束する。俺の趣味に、あの子達を巻き込む気はない」
「約束、ですよ。もし破ったら……、私は貴方を、きっと……、許しませんから」
「ああ」
そこでようやく、入江の顔に、わずかに笑顔が戻った。
「コーヒー、冷めちゃいましたね。淹れ直してきます」
「いや、構わないでくれ。もう大分時間をとらせてしまったから――――」
どたどたどた、と廊下を駆けてくる音が聞こえてきた。
ばんっ! と勢い良くドアが開くとそこには、
「かかか、監督ゥーーーーーー!! ホントですの!? ホントにホントですの?! 嘘ですわよねーーーー?!!」
なにやら血相を変えて、沙都子が飛び込んできた。
俺と入江は互いに目を合わせる。そして心で頷くと、沙都子に向き直る。
「なんだ、どうした沙都子?」
「か、監督! 圭一さんが言うんですの! 『沙都子が監督のとこに一日お泊りして、なにもなく終わるわけがない。絶対になんかやってるから聞いてみろ』って!
 監督! 私、監督のこと、これでも信用してますわ! 監督、そんなことありませんわよね?! そうですわよね!?」
入江が、沙都子が一泊したのをいいことに、あんなことこんなこと……。
ちょっとだけそのあたりを想像する。……駄目だ。全く何もしていないとは、言い切れない。
俺も入江を見た。そんなことはしてないよな、入江先生。と、低い期待感を寄せて。
「は、……ははは。いやぁ全く。圭一君もひどいことを言いますねぇ。僕が沙都子ちゃんを手に入れたからと言って、手に入れたばかりのメイド服をそっとベッドに忍び寄って毛布に浮かんだ沙都子ちゃんのラインに沿って置いたり、
耳元で『ご主人様と呼んで』と毎分五十回ペースで囁いたりするわけないじゃないですか。全く呆れてものが言えませんね」
髪を書き上げて冷静を装う入江。……目が泳いでいるのだが。
「……監督……やっぱり」
沙都子が、さささっと入江から距離を置く。
「ははははは! 語るに落ちたなイリー! メイドの伝道師が、やってることは犯罪まがいとは笑わせやがるぜぇ!」
ドアの向こうから高らかに響く声。そのドアが厳かに開くと、やはりそこにいたのは圭一だった。
「失敬ですねK。私の行いのどこが犯罪だと? この世に至高のメイドとして君臨せしめる沙都子ちゃんの未曾有の可能性を探り当てたいという私のささやかな探究心を、理解できずに犯罪呼ばわりとは情けない。
それで萌えの伝道師を名乗るとは、片腹痛いですよ。K」
反射した眼鏡の奥から、俺に向けたものとは質が違うオーラを放ち、入江は圭一に向けた。
「じゃあなんで沙都子の寝込みを襲うような真似すんだよイリー! わかってんだろ本当は! 沙都子に正面切ってメイド服着てって言ったって! 断られるだけだもんなあ!」
「寝込みを襲ったわけではありませんよK。ええ当然、沙都子ちゃんには是非に兎にも角にもその服を着てくださいと言おうとしました。しかしそれは怪我をしてゆっくり眠っている沙都子ちゃんに対して言うには余りにも失礼です。
だがしかし! 私は見たかった! 見たかったんですよK! 沙都子ちゃんがこの最新モードのメイド服で武装してしまったら! 一体!? どれだけの破壊力があるのかと!」
「それはずいぶん自分勝手な理由じゃねえかよイリー! 沙都子のことを考えねえ! 自分一人の欲望を満たすだけの! 最低な理由だぜ!」
「私一人!? いま、私一人の欲望と言ったんですかK!! なんと浅はかな! 沙都子ちゃんの至高のメイド姿を堪能する! この願いが私一人のためだけだと?! 違う! それは違いますよK!
これはみんなの願いなんです! 全国に星の数を超えるメイド信者が待ちに待ち望んだ天使のご来光! それが! 沙都子ちゃんの! メイド姿なんですよ!!!」
「だったら沙都子を説得し倒して皆の前でご開帳だろうが! それを一人だけで楽しむような真似しやがって! 俺はそれがよくねえって言ってんだ!」
「勿論ですK。私は沙都子ちゃんの同意させ得られれば、今すぐにでもイベント会場をセッティングしましょう。それが私の罪に対する滅ぼしになるならなおさら!
 ……しかしK。さっきから貴方の言葉を聞いていると、貴方も沙都子ちゃんのメイド姿が見たいように聞こえてくるんですが」
ぎくっ。というリアクションをとる圭一。その姿を、入江は見逃さなかった。
409 名前: 本編 ◆k7GDmgD5wQ [sage] 投稿日: 2008/02/18(月) 01:30:47 ID:CL398NvA
「なるほど。いえ、それは当然の欲求です。沙都子ちゃんのメイド姿。これほど衝動を掻き立てられるものも無いでしょう。ええそうでしょうとも。……ですがそれならなおのこと、一言詫びて貰わなければ」
「へえ。俺に何を詫びろって言うんだよ?」
「いつかのあのエンジェルモートでの一戦。……あのとき貴方は言いました。沙都子ちゃんにはメイド服以外も似合うと! そう言って貴方は、メイド服の存在を否定した! あのときのメイド服に対する無礼を! きちんと詫びていただけたなら!
貴方も沙都子ちゃんのご降臨の末席に加えてあげましょう」
「何を言ってるんだイリー……、俺がいつ、メイド服を否定したよ。ああ確かに言ったさ! 沙都子にはメイド服以外だって似合う! いやむしろ裸だって良いくらいだ! でもな……、普段の沙都子のツン、そして新密度がアップするほど回数が増えるデレ!
この二つを余すことなく楽しむなら! やっぱメイド服だよ! っつーかメイドで決まりだよ! もうメイドじゃない沙都子なんて山のてっぺんが取れたアポロチョコだよ!」
「K……。ついに、ついに理解ってくれたんですね?!」
「バカヤロォイリー! 俺はもうとっくに理解してるっての!!」
がしっ、と強く抱きしめあう男二人。
「つーわけでイリー! 沙都子ご開帳の際には末席といわず、ステージ真ん前ど真ん中を頼むぜ!」
「まかせてくださいK! 今夜は素晴らしいメイド道に踏みこんだ貴方に祝福を兼ねてエンジェルモートで洗礼のミサですよ!」
どんどんわからない話に突っ込んでいく二人と、取り残される俺。
「うわぁぁーーーーん! 結局私に自由はないんですのーー?!」
……なんというか、頑張れ、沙都子。
雰囲気が変わる。
冷たい汗が流れる。寒いぞ。クーラー効きすぎなんじゃないか、ここ。
「……なあ、入江先生」
少し空調いいか? と言おうとして目が合った。
そして俺はこのときの視線を、……忘れられないだろう。
明らかに二人の目は、餌に出くわした、獣のものだったからだ。
「いやいやすみません。二人だけで盛りあがっちゃって」
「ほんとだな。すっかり忘れてたぜ。なあ、ところでスネーク?」
「「メイドって、どう思う?」」
……この話にだけは方向が行かないように、随分努力はしたんだ。したつもりだったんだが。

最後の最後でこれかっっっ!!!

「なあイリー。スネークもメイド初心者のようだし、今日は基礎からみっちり教えてやったらどうだ?」
「それは良い考えです。何事も最初が肝心ですからね」
じりじりと迫ってくる二人。なんとか脱出路を確保したいが、ドアの前には二人がいるし、後ろの窓は鍵が開かない!
なんとかしてくれ大佐! 良い方法はないのかオタコン! こんなときに限って出やしねえ!!!
「さ、沙都子! 助けてくれ……」
最後の頼りは、教え子とは――。だが。
既に沙都子は、ドアの向こう側に一人だけ逃げていた。
「圭一さんから聞きましたわ」
ドアの入り口から顔だけ覗かせて、沙都子は言う。
「今日の部活――、梨花が勝ったんですってね。先生から白星取ったのは梨花だけなんですもの。なんだかとっても羨ましくなりましたわ」
そこで。
「ちょっと圭一さんを唆して、先生に意地悪してみましたのーーーー♪」
元凶はお前かぁぁぁぁ!?
「さあスネーク先生。こっちの世界は楽しいですよ」
「スネーク。住めば都だって」
男二人の笑顔が怖い。
その上にじり寄ってくる。
誰か、誰か助けてくれ。俺には絶対馴染めそうのないこの世界から。誰でもいい! 誰か! 頼む!!

――その時、間一髪で。
病院の、電話が鳴った。
それが罰ゲームの続きだったとしても。
俺は、――飛びつかずには、いられなかった。
 
492 名前: 通りすがりの人@本編執筆中 ◆/PADlWx/sE 投稿日: 2008/02/23(土) 22:23:30 ID:hA4SP5zO
受話器を耳に当てた。
後ろから「逃げる気ですかスネーク先生!」とか「スネーク、この期に及んで卑怯だぜえぇぇぇぇぇぇ!」
とかぎゃあぎゃあ喚くのが聞こえたが、反対側の耳を塞いで無視した。
入江は所長として電話に出る、という選択肢は無いらしい。
やはり、なんとしてでも「メイド」というキーワードはやはり避けるべきだった。恐ろしい……。
とりあえず電話に応対することにする。
「も、もしもしこちらスn……ゴホン、入江診療所だ。今所長は取り込んでいて」
『……みぃ? ちょっとびっくりしましたのです。スネークなのですね?」
危うく無線のクセが出て「こちらスネーク! 入江診療所に潜入した!」と言いかけたが、
幸いと言うべきか、電話の主はあの少女――梨花だった。
「あぁ。……俺だ。丁度見舞いに来ていてな。どうした? 二人が心配か?」
俺は、先ほど保健室で交わした会話を思い浮かべていた。

――そのとき、先に沙都子の名前を言ったら、古手神社に来て。詩音を先に言ったら、彼とは逢えなかったことにするわ

さあ、どちらだ。
思わず、唾を飲み込む。
ここで富竹に接触できたら収穫が大きい。明日の祭りに人目を盗んでそんな物騒な話をするわけにはいかないだろう。
富竹とゆっくり話した上で、お魎に会いに行けばいいのだ。
――そして、梨花の答えは、

『……そうなのです。詩音と沙都子はいますですか? とっても心配なのです』

つまり。
富竹ジロウの接触に失敗した、ということだった。
焦る必要はない。たまたま今日、会えなかったというだけだ。
ただ――それだけの話だ。そこに陰謀がからんでいようとも。
「あぁ……詩音なら、さっき寝ていたな。沙都子は起きていた。明日の祭りには行くらしい」
変わらぬ口調で返事を返すが、妙な焦燥感がある。
今日との接触を逃すと、富竹にもう会えないような……気がしないでもない。
兵士としての感か、はたまた気のせいか。
『みぃ。それならよかったのです。……今日は、ゆっくり休むようにと伝えてほしいのです』
梨花もいつも通り話すように心がけているようだが、声に悔しさがにじみ出ている。
もしや、何者かに妨害されたのか――?
いや、その確認は後にしよう。この電話は盗聴されている可能性があるから、怪しまれない内に切らねば。
「わかった……伝えておく。それじゃあ切るぞ」
『……さよならなのですよ~』
ガチャン。ツー、ツー、ツー……
空しい音だけが耳に残った。
あとは静かな診療所のクーラーの音が響くのみ――
 
493 名前: 通りすがりの人@本編執筆中 ◆/PADlWx/sE [sage] 投稿日: 2008/02/23(土) 22:28:08 ID:hA4SP5zO

と思いきや。
肩をもの凄い力でつかまれ、強引に振り向かされる。油断していた。
何をするんだ、と言いたかったが野獣の様に光る目を見て何も言えなくなった。
「今度は逃がさないぜ、スネークよぉ!」
「こちらの世界はとっても楽しいですよ~メイドさんはぅぅ~」
静かな診療所などどこにもない。
耳を塞いでいた手をどけると待っていたのは地獄だった。
待て、来るな。こっち見るな顔が近い。野郎二人で何をするって言うんだ。くそっ、ダンボールがあったら被りたい。
「わ、悪いが俺にそっちの趣味は――」
「いやいやエンジェルモートで俺は何かを感じ取った! 自分がゲームに勝つため、中途半端な知識で沙都子の
メイド服について語ってくれたじゃないか! 俺はわかったんだ! 知識があるってことは興味も多少あるだろ!
まずはベーシックなメイド服の素晴らしさを俺達が熱~く手取り足取り教えてやるぜ!
そしてメイド服こそ沙都子に一番相応しい衣装だということをな!」

違うんだ圭一。あれは、単純に勝ちたいからオタコンに言われたことをそのまま言っただけだ。
オタコン、どうしてくれる。事態が悪化してるじゃないか――!

「そうですよスネーク先生。跪けッ! 諸君はメイド王達の前に君臨しているのだ! 貴方もメイド教団に入団する
資格が十分にあるッ! さぁさあKとこの私イリー、そしてスネークとでソウルブラザーを結成しようじゃありませんかッ!
勿論、拒否は許しませんよ~? こちらに来れば楽しさがわかりますからねぇ。ふふふふふふふ!
はぅ~メイド! 御奉仕御奉仕~! ご主人様のお通りですよ~! 我々はここに神聖メイド帝国を結成するのですッ!
どうですかスネーク先生! これだけでも甘美な響きがするでしょう……?
ご安心下さい。まずはメイドの素晴らしさについてじっくり教授します。次にメイドと沙都子ちゃんという破壊的な組み合わせについてもたっぷり語ります!」

まずい。
非常にまずい。
二人の言っていることは半分理解できて半分理解不能だったが、とりあえず俺の身が危ないのは確かだ。
どうするべきか――〈メイド〉普段の俺なら武力を行使してでも――〈冥土〉――突破するところだが、監視カメラもあるところだし
――〈メイド〉――大佐からも無理な真似をするな、と―〈メイド〉〈メイド〉〈メイド〉〈メイド〉――
「何なんだ!?」
さっきから思考に〈メイド〉という名のノイズが入る。こいつらはサイコマンティスのように超能力を持っているのか?
そして、――俺は壁際に追い詰められつつある。迂闊だ。電話で梨花と話している間に周りに気を配っておくべきだった。
「さ、沙都子ッ! ……?」
最後の最後に、教え子にもう一度助けを求めたつもりだった。
沙都子はドアの向こうにいなかった。俺にちょっかいを出したが、自分の身も危うしと感じて逃げたか。判断力とトラップの性能には俺も負けるな。
その間にもじりじりと野獣が迫ってくる。
嗚呼、俺もこれまでか。
……オタコン、俺はそっちに仲間入りするぞ。

と。思ってもいなかった助けが来た。

「そこまでです。貴方達、沙都子をどうこうするって算段じゃないですか?」

どこから取り出したのか。
盥をがぁん、と野獣――圭一と入江――の頭にぶつけ、詩音がにっこりと笑った。
 
506 名前: 通りすがりの人@本編執筆中 ◆/PADlWx/sE 投稿日: 2008/02/24(日) 21:03:28 ID:XLIIlEGS
頭を抑えてうずくまる二人をよそに、俺は詩音に問いかけた。
「詩音……? 寝てたんじゃないのか?」
鉄平が現れてからというものの、どうも詩音の様子がおかしい。
失踪した鉄平、拭いきれていなかった血痕、明らかに動揺し、冷たかった詩音の態度――
大佐はあぁ言ったが、俺は詩音が第三者に接触した可能性が高いと思っている。
「……あなた達があまりにもうるさいんで目が覚めました。それに沙都子を守るのは私の義務ですからね、スネーク先生」

俺の質問はそっけなく返された。
――話し方に違和感がある。普通の人間ならば、「アイツ機嫌が悪いのかな」で終わるが、さっきから俺と目を合わせようとしない。
いや、鉄平が来てから、詩音と沙都子が怪我をしてから、俺の目をまともに見ようとはしない。
詩音、あの時何があったんだ。
やはり俺は信用されていないのか……。俺が子供相手でも心を許さないように。
俺を謀る悪意などない、と先ほど感じたはずなのだが、――どうもおかしい。
例えるなら、俺と詩音の間に薄い膜でもあるかのように感じる。ひょっとして俺は嫌われたのか?
いろいろ考えている間に詩音はくるりと回り俺に背を向けた。あの二人に説教をするつもりらしい。
いつの間に部屋にいたのか、沙都子が近寄ってきた。
「た、たまたま詩音さんとさっき廊下で会っただけなのですわー! 詩音さんがいろいろ勘違いをなさって、二人を止めに入っただけなんですの。
私は全然関係ありませんでしてよー! スネーク先生を助けようとは思っていませんわ!」
口を尖らせ、沙都子が赤くなりながら言う。
――俺を嵌めるとか言っていたのに、結構子供らしい一面もあるんだな、と気づいた。
 
結局。
詩音の説教が終わり――途中で二人がこちらを睨んできたような気がするが――二人が開放された時には日がすでに傾いていた。
ひぐらしのなき声がカナカナカナ……と診療所まで聞こえてくる。切なくなるなき声だ。
「今度沙都子に手出ししたら私が許しませんからね。沙都子は必ず守りますから」
「……詩音さん、その辺で勘弁してあげて下さいまし。もう夕方になりますわ」
沙都子が壁にかかっている時計をちらりと見ながら言う。
「ふわぁ……眠いですわぁ。詩音さん、部屋で明日のお祭りに備えて休みましょうですわ。……あ、圭一さんとスネーク先生は帰られるんですの?」
「ついで見たいに言うなー! くそっ、あとちょっとでソウルブラザーが増えたのに……!」
圭一が何やらぶつぶつ言っているのが聞こえる。
今日、これ以上ここにいたところで何も得られないのは明白だ。俺もテントに戻ることにしよう。
「圭一、お前の両親も心配するだろう。そろそろ帰るぞ」
「そうだな、スネーク。詩音、沙都子、くれぐれも無理するなよ」
圭一がにっこりと笑う。仲間を心の底から気に掛けている、純粋な笑顔だ。


――と、俺は梨花の伝言を沙都子に伝えるのを忘れているのを思い出した。
「あと沙都子。さっきの電話は梨花で、『今日は、ゆっくり休むように』と伝えてくれ、と言っていたぞ」
「梨花から電話があったんですの? 知りませんでしたわー。……今日家に帰るかどうか迷っているんですの」
沙都子はうーんと首を傾げている。――またふわぁ、とあくびをした。よっぽど眠いのだろう。
「そうですね、とりあえず部屋に戻りましょう。沙都子ちゃんも詩音さんもはしゃぎすぎですよ。
安心してください、夜中に耳元で『ご主人様と呼んで』と毎分五十回ペースで囁いたりなんてしないと誓いますから!」
「監督、目が泳いでますよ。もう一発盥アタックをくらいますか?」
遠慮しときます、と入江が答え、所長室は笑いにつつまれた。

悪意を持った何者かがこちらに向かってくるとは知らずに――

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最終更新:2008年04月14日 22:03