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以下はOlivier Blanchard, Giovanni Dell'Arricia, and Paolo Maruo "Rethinking Macroecnomic Policy"の翻訳である。第1節、第2節、第4節F、第5節はsoucage、第3節および第4節のA-Eはnight_in_tunisiaによる。


マクロ経済政策再考

Olivier Blanchard, Giovanni Dell'Ariccia, and Paolo Mauro

マクロ経済学者や政策担当者は「Great Moderation」[1] によって安心し、自分たちはマクロ経済政策の使い方を知っているのだと思ってしまうことになった。今回の危機の発生によって、われわれが自分たちの考えを問い直さねばならないことははっきりしている。本稿において、われわれは危機以前のコンセンサスの主なポイントをふり返っている。われわれのどこが間違っていたのか、危機前の枠組みについての見解のうちどれがいまだに有効なのかを整理していく。そして最後に、今後のマクロ経済政策の新しい枠組みについて、その輪郭を描いてみることにする。

Contents

  • I. Introduction
  • II. What We Thought We Knew
    • A. One Target: Stable Inflation
    • B. Low Inflation
    • C. One Instrument: The Policy Rate
    • D. A Limited Role for Fiscal Policy
    • E. Financial Regulation: Not a Macroeconomic Policy Tool
    • F. The Great Moderation
  • III. What We Have Learned from the Crisis
    • A. Stable Inflation May Be Necessary, but Is Not Sufficient
    • B. Low Inflation Limits the Scope of Monetary Policy in Deflationary Recessions
    • C. Financial Intermediation Matters
    • D. Countercyclical Fiscal Policy Is an Important Tool
    • E. Regulation Is Not Macroeconomically Neutral
    • F. Reinterpreting the Great Moderation
  • IV. Implications for the Design of Policy
    • A. Should the Inflation Target Be Raised?
    • B. Combining Monetary and Regulatory Policy
    • C. Inflation Targeting and Foreign Exchange Intervention
    • D. Providing Liquidity More Broadly
    • E. Creating More Fiscal Space in Good Times
    • F. Designing Better Automatic Fiscal Stabilizers
  • V. Conclusions

  • References



I. はじめに

1980 年代初め以降、景気の循環的な変動[2] が穏やかになっている。そのため、マクロ経済学者や政策立案者たちは、ついつい自分たちがそれに大きく貢献していると考えてしまいがちだったし、自分たちはマクロ経済政策をどう行なえばよいかわかっていると結論づけてしまいそうにもなった。われわれはその誘惑を否定するわけではない。いずれにせよ、今回の危機によって、われわれがそのような自己評価に疑問を持たざるを得なくなっているのは明らかなのだ。

その疑問がまさに本稿のテーマである。3 段階に分けて論じていこう。まずはじめに、「自分たちにはわかっている」とわれわれが思っていたことについて。次に、それのどこが間違っていたか。最後に、3 つのうちで最も不確かな、新しいマクロ経済政策の枠組みの青写真について論じてみよう。

本論に入る前にまず注意点を。本稿は一般原則に焦点をあわせて論じている。これらの原則を特定の政策アドバイスとして翻訳し、先進国や新興国、そして開発途上国むけに仕立てていくのは今後の課題だ。また、本稿は今回の危機による幾つかの大きな問題にはほとんどふれていない。国際通貨制度の成りたち[3] や金融規制とその監督のしくみ全体などがそれだ。これらについては本稿で取りあげる課題に直接関わる範囲でふれるにとどめた。

II. われわれが知っていると思っていたこと。

まず全体を簡単に描き出してみよう (より細かな差異については後述する)。: 通貨政策の目標はインフレーションで、そのツールが政策金利というように、われわれは単純化して考えていた。インフレが安定している限り産出量ギャップは小幅で安定し、その状況では通貨政策がうまく機能するだろうと見込んでいたのだ。一方で、財政政策は政治的にかなり制限のある本来の有用性を発揮できない補助的なもの、金融規制にいたってはマクロ経済政策の枠外のものとしてしまっていた。

正直なところ、このような見方は研究者に多かった。政策当局者はもっと実際的な人たちである。しかしともかく、政策は多くの人の合意にしたがって立案されていたし、制度設計にしてもそれは同じだった。そこで重要な役割を果たしていたのは人々のコンセンサスである。そして、われわれは上に述べたような考えを徐々に増幅させ、変調させていくことになる。

A. ひとつの目標: 安定したインフレーション

中央銀行の使命に反しない範囲で、低率かつ安定したインフレが一番の目標にすえられた。これはひとつには、経済活動よりインフレを重視したいという中央銀行幹部の世間体[4]の問題だった (当初、彼らは 1970 年代の高いインフレ率を下げたいと望んでもいたのだ)。そして同時に、専門家がニュー・ケインジアンモデルによるインフレ目標政策を支持していたことにもよる。標準的なニュー・ケインジアンモデルによると、インフレの継続は実によい政策なのだ。このモデルでは、インフレを継続させて産出量ギャップをゼロに近づければ、不完全な市場で行なわれる経済活動の産出をもっともうまく引き出せる[5]ことになっている。産出量ギャップとは、名目硬直性がないときにみられる産出レベルからとの差として定義されるものだ (Blanchard and Gali, 2007) [6] 。

中央銀行が自らへの信任を重視し、インフレ目標政策はニュー・ケインジアンモデルによって裏づけられていた。このふたつのめぐり合わせは天啓だ (そう呼ばれてもいる)。しかし、それが暗示していたのは、たとえ政策当局が十分経済活動に配慮しても、可能なのは、せいぜい安定したインフレの維持くらいだということ。経済が「アニマル・スピリッツ」に影響されていようが、消費者の選択にショックを与えるような出来事や衝撃的な技術革新に影響されようが、はたまた原油価格の変化に影響されようが、政策はこのふたつに照らしあわせて考えられることになった。市場がより不完全になり標準的な状況から離れるにつれ、この組みあわせによる政策はうまく行かなくなった。しかし、そこにあったメッセージだけは残った。それがつまり、安定したインフレ状態はそれ自体には問題がなく[7] 、経済活動にとってもよいものなのだというメッセージである。

しかし、実際に中央銀行が行なったことをみればこのような言い方は言いすぎだろう。インフレだけを気にする中央銀行などほとんどなかったと言ってよい。中央銀行の多くは「柔軟なインフレ目標」を採用していたのである。使われていたインフレの安定目標は、その数字を何が何でも守るというものではなく、インフレ率をあるレベル以上に維持する際の基準として扱われるものだった。多くの中央銀行は、原油価格高騰などによる参照インフレ値[8] の変動を考慮していたし、インフレ予想が大きくぶれないよう備えてもいたのである。

B. 穏やかなインフレーション[9]

やがて、インフレーションは安定すべきだけでなく、値もかなり低くあるべきだというコンセンサスが広まった (多くの中央銀行が選んだ数字は 2% 近辺だった。Romer and Romer, 2002.) 。同時に、流動性の罠におちいる可能性があるのに低いインフレ率を採用するのはいかがなものか、という議論もおきた。平均インフレ率を低くすると、短期名目金利の平均も低くなる[10] 。そして、名目金利がゼロに近くなれば、金利の下がる余地はだんだん減っていく。金利にそれ以上下がる余地があまりなくなっていくということだ。これはつまり、景気の足を引っぱる出来事がおきても、通貨政策を使ってインフレをおこす余地が小さくなってしまうということでもある。これが流動性の罠と呼ばれるものだ[11] 。ところが低いインフレ率の危険性は小さいとみなされた。これは次のような論理による[12] 。いま仮に、中央銀行がマネーの名目成長率を高く保つと確約できたとする。つまり、中央銀行が将来的にインフレ率を高めると宣言し、それにしたがってきちんと手を打つことを信用してもらえたらどうなるだろうか。この場合、中央銀行は将来的にインフレ率が上がりそうだという人々の予想を高められる。人々のインフレ予想が高まれば将来の実質金利は下がるので、現在の経済活動を活性化できることになる (Eggertsson and Woodford, 2003.)。経済に大きなショックがなければ、2% のインフレ率は緩衝材として十分そうだし、名目金利がゼロより低くなれない問題[13] を気にしなくてもよさそうに思われた。こうして、中央銀行のコミットメントの重要性と彼らが人々のインフレ予想に働きかける能力は特に重視されるようになったのである。

「大恐慌」の際におきた流動性の罠では、激しいデフレーションと低い名目金利が結びついていた。それは歴史上のお話のように思えたし、今なら避けられる類の政策の誤りのせいでもあった。われわれの行く手には、'90年代の日本のデフレやゼロ金利、長びく景気低迷が不穏な感じで立ちふさがっていた。しかしその日本の状況は、日本の中央銀行が将来のマネーの成長やインフレ率にコミットする能力に欠けていたか、もしくは彼らがそうしたがらなかったのが問題で、その上さらに他の面の改善が遅れがあわさっただけだ。(公平を期すためにつけ加えるなら、アメリカ連邦準備銀行も 2000 年代初頭には日本銀行同様デフレのリスクを心配していたし、彼らが日本の経験に学んだのも確かである。Bernanke, Reinhart, and Sack, 2004. 参照。) [14] [15]

C. ひとつの政策ツール: The 政策金利

通貨政策はだんだんひとつの政策ツールを集中して使うようになった。政策金利、つまり中央銀行がしかるべき公開市場操作によって直接コントロールできる短期金利がそれである。中央銀行がこの政策ツールを選んだ背景には仮定がふたつあった。ひとつめは、通貨政策の実際の効果は金利と資産価格を通じてあらわれ、通貨供給量に直接影響を与えることによってではまったくないのだという点 (例外は、欧州中央銀行の「ふたつの柱」政策だ[16] 。欧州中銀は経済に存在する信用の量に直接注目している。この政策は十分な理論的根拠がない、と馬鹿にされることも多いのだが)。ふたつめの仮定は、金利と資産価格はすべて裁定取引[17] によってリンクしているというもの。そのため、長期金利は適切に重みづけされたリスク調整済みの将来の平均短期金利によって、資産価格はファンダメンタルズ - リスク調整され割引かれた現在の資産価格 - によって決まることになる [18] 。

この仮定にしたがうなら、通貨政策は現在と将来の短期金利の予想に影響を与えるだけでよいことになる。他の金利や価格はすべてそれについてくるからだ。そしてそれを実施するには、暗示的・明示的に、透明性があって予測可能なルールを使えばよい (そのため、透明性や予測可能性がこの20年間の通貨政策のメインテーマだった)。例えば、アメリカ連邦準備銀行の政策を説明するテイラー・ルールでは、現状の経済環境の関数によって政策金利を計算している [19]。短期・長期両方の社債市場のように、一度にひとつ以上の市場に介入しようとすると、重複してしまったり矛盾してしまったりするものなのである。

これらの仮定がなりたっていると、金融の仲介活動のこまごまとした部分はほとんど重要でなくなってしまう。しかし銀行 (特に商業銀行) は例外で、ふたつの点で特殊だとされた。まず 1 点目 - これは通貨政策の運営からというより理論的な文献においてだが - は、銀行の信用は特殊で他のタイプの信用で置き換えられないように思えた。これによって「信用経路 (信用チャンネル) [20] 」の重要性が浮き彫りになった。信用経路という考えのもとでは、通貨政策は準備金の量から銀行の信用を通じて経済に影響を与える。銀行の特殊性の 2 点目は流動性の置き換えにかかわっていた。当座預金は銀行の負債として、融資は銀行の資産として捉えることができる。したがって、これらは取りつけ騒ぎ [21] の問題をはらんでもいる。そのため、政府による預金の保証や、中央銀行の昔からの最後の貸し手としての役割が十分な根拠を持つことになった。こうして、銀行に対する規制や監督を正当化するような政策決定上のゆがみが生じた。結果として、マクロ経済レベルでみた金融システムの残りの部分には、あまり注意が払われなくなってしまったのである。

D. 財政政策の役割の限界

「大恐慌」の後遺症やケインズの影響によって、財政政策は - おそらく代表的な -マクロ経済政策のツールだと考えられてきた。1960年代から1970年代には財政政策と通貨政策の序列はほぼ同じだった。このふたつのツールはそれぞれ -内向きと外向きのバランスという - 別々の目標を目指しているだけのようにみえた。しかし、この 20 年間は財政政策が通貨政策のカゲにかくれてしまっていた。それにはたくさんの理由がある。まず、財政政策の効果に広く疑念が持たれていたこと。リカードの中立命題がその根拠だった [22] 。2 つめは、もし金融政策によって安定した産出量ギャップを保てるなら、財政政策のような他の政策ツールを使う必要はあまりないのではないかということ。この文脈では、財政政策を使って景気循環を調整しなくてもよくなったのは、金融市場が発展して通貨政策がよく効くようになってきたからかもしれないということになる。3 番目は、先進国が優先するのは、財政赤字を安定させ、できるかぎりそれを減らすことだということ。先進国は多額の財政赤字を抱えているのが普通だ。新興国ではどうかというと、新興国では国内社債市場がまだ未発達で、景気循環を押しとどめるような政策 [23] の余地がどうしても小さくなってしまうのである。4 番目はタイムラグの問題。財政政策を立案してから実施するまでにはタイムラグがある。短期の景気後退に対して財政的な対策をとっても、手遅れになる可能性があるのだ。最後の 5 番目の理由は、財政政策というものは金融政策よりずっと政治的な制限を受けやすいというものだ。

自由裁量な財政政策を、景気循環にブレーキをかけるための政策ツールとして用いることへの拒否感は、とくに専門家のあいだで強かった。しかし、通貨政策と同じで、この言い方は実際に適用された政策をうまく表してはいなかったろう。例えば、1990 年代初頭の危機的状況で日本が財政政策を使ったように、政府の財政出動は深刻な経済ショックに対しては一般的だった。それに、政策当局は「通常の景気後退」期においてさえ、自由裁量な財政刺激策に頼りがちなのものである。このような当局のスタンスは、新興国市場でも - 実践的には分かりにくくはなるものの - 原則的には望ましいものと思われていた。新興国市場では自動安定化機構が未発達だからである。しかし、経済の急成長期に激しい財政慎重論が唱えられることからもわかるように、新興国市場にとってさえ、中期的な政策方針についてのコンセンサスは、自動安定化機能を強化し、自由裁量な財政出動を遠ざけておくことだったのである。

こうして、政策当局の関心の第 1 は財政赤字をいつまで維持できるかということと、それを実現する財政的なルールはどのようなものか、ということに絞られた。先進国の政策当局は、長期的視野に立って、せまりくる高齢化問題が財政にあたえる影響を考えねばならなかった。一方、新興国が注目したのは債務危機の可能性を減らすこと、そして景気循環を促進してしまう財政政策 [24] を抑制できるような制度を用意することであった。新興国はこうしてバブル発生とその破裂というサイクルを避けようとしたのである。自動安定化機構はなすがまま - あくまでそれを融資できるような国々にとってはということだが - であったし、それは財政の持続性とも矛盾しなかったのである。実際、国家経済が発展して政府支出が GDP に占める割合が増えるにつれ (ワグナーの法則)、自動安定化機構の役割も大きくなった。矛盾するようだが、従来の安定化機構も受容できるものとされ、どちらがよりよい仕組みなのかについてはあまり注意が払われなかった。

E. 金融規制: マクロ経済政策の政策ツールではないもの。

C の第 3 パラグラフで述べたように、金融仲介業のマクロ経済の中心としての性質が軽視され、金融規制や監督においては個々の企業や市場が重視された。さらに、個々の企業や市場がマクロ経済レベルでどう関わりあっているかもほとんど無視されてしまっており、金融規制は各企業の健全性や市場の失敗を正すことを目標に定められた。市場の失敗は情報の非対称性や有限責任の存在、また直接・間接の政府保証のような不完全さによって発生する現象だ。先進国はシステム内の密接な関係やマクロ経済レベルでの関係を無視してしまったのだ。しかし、新興国にはこれが当てはまらない国もあった。そのような国では、為替の変動に制限が設けられるなど、マクロ経済の安定のためにプルーデンシャルな[25] ルールが定められていた (このような国では、為替の変動だけでなく外貨建ての融資が完全に禁止されることもあった)。

自己資本比率や融資比率 [26] の規制は、循環要因をコントロールする政策ツールとしては、あまり考慮されなかった (注目すべき例外はスペインとコロンビアで、事実上、この 2 ヶ国は信用の成長にしたがって準備金 (引当金) を変化させていた。Caruana 2005 参照)。金融規制の自由化の波が押し寄せていたが、循環要因をコントロールする目的でプルーデンシャルなルールを使うのは、信用市場の機能に関わるため不適切だと考えられた。

F. The Great Moderation - 長く平穏な時代 -

こうして築かれたマクロレベルの枠組みは首尾一貫しており、しだいに信任も厚くなっていった。これが「Great Moderation」によって強化されていたのは間違いない。「Great Moderation」とは、先進国のほとんどで GDP やインフレ率の変化がしだいに小さくなる現象が見られる時期のことである。ただ、この現象が始まったのはもっと前で 1970年代だけが違ったとみるべきなのか、それとも本当に 1980年代初めの通貨政策の変更ではじまった現象なのかは、まだどちらとも言えない (Blanchard and Simon 2001、Stock and Watson 2002 参照)。他にも曖昧な点はある。「Great Moderation」期に見られる変動幅の減少が、たまたま経済的なショックが小さかったせいによるのがどれくらいで、構造改革の影響はどれくらいなのか、さらには政策改善の影響はどれくらいなのかが、よくわかっていないのだ。在庫管理システムの改善やたまたまおきた急速な生産性の成長、そして中国とインドの世界貿易への参入[27] が何らかの影響を与えていると思われる。とはいうものの、先進国でみられた現象は 1970 年代と 2000 年代の原油価格高騰によく似ており、「Great Moderation」が政策改善によるものだという説を裏づけている。また、「Great Moderation」がインフレ予想とより緊密に連動しているというデータも存在する。これらを根拠に、経済へのショックの緩和に政策改善が重要な役割を果たしたと考え、それは中央銀行がより明確なシグナルを出して行動してきたせいだと考えてもおかしくはない。さらに、中央銀行は 1987 年の株式市場崩壊や LTCM の破綻、IT バブル [28] の破裂をうまく処理した。これらによって、通貨政策は資産バブル崩壊が金融に与える影響もうまく扱えるのだという見方が補強されてきたといえる。

こうして 2000 年代中盤まで、もっとよいマクロ経済政策が実施できると考える理由は特になかった。そして実際、経済をさらに安定させるような政策も実施されなかった。そこに今回の危機がやってきたのである。

訳注 1: 1980年代初初頭から現在までの GDP やインフレ率の変動幅が小さくなっている時代。詳細は下記参照。VOX は短編。後者は「Great Moderation」の名づけ親さんたちの論文(48頁)。

  • Olivier Coibion, Yuriy Gorodnichenko 『Does the Great Recession really mean the end of the Great Moderation?』 VOX 16 January 2010.
  • James H. Stock, Mark W. Watson 『Has the Business Cycle Changed? Evidence and Explanations』 August 2003.

訳注 2: cyclical fluctuations

訳注 3: the organization of the international monetary system

訳注 4: reputational need (of central bankers). (中央銀行幹部の) 信用、信頼性のほうがふさわしいかも。

訳注 5: the best possible outcome. ニュー・ケインジアンモデルについては、田中秀臣『ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝』 (講談社 2006. 以下、田中 2006 と略記) p.91あたりなど。

訳注 6: 田中 2006. pp.88 - 90.

訳注 7: "...inflation is good in itself" good = 「問題のないもの」とした。

訳注 8: headline inflation.

訳注 9: Low Inflation. いわゆる「マイルドインフレ」のことかな。

訳注 10: このあたりはフィッシャー効果 (名目金利=実質金利+期待インフレ率) が念頭にあるのだろう。

訳注 11: 「流動性の罠」についてもっと詳しく知りたければ、山形さんによるクルーグマンの『Japan's Trap』の邦訳、『日本がはまった罠』 や『FURTHER NOTES ON JAPAN'S LIQUIDITY TRAP』の訳、『日本の流動性トラップについて:追記』を参照。

訳注 12: formal argument. 以下に、ブランシャールのインタビューから同じ内容を言いかえた部分を訳しておく。

IMF survey online: Central banks have chosen low inflation targets, around 2 percent. In your paper, you argue that maybe we should revisit this target. Why?

IMF サーベイ・オンライン: 中央銀行は 2% 近辺の低いインフレ率を採用しています。今回の論文で、ブランシャールさんはこの値を考え直すべきかもしれないとおっしゃっています。その理由を教えてください。

Blanchard: The crisis has shown that interest rates can actually hit the zero level, and when this happens it is a severe constraint on monetary policy that ties your hands during times of trouble.

ブランシャール: 今回の危機によって、金利が底を打ち、実際にゼロになってしまいかねないことが分かりました。こうなってしまうと、通貨政策が厳しく制限され、問題が起きている時に打つ手がなくなってしまいます。

As a matter of logic, higher average inflation and thus higher average nominal interest rates before the crisis would have given more room for monetary policy to be eased during the crisis and would have resulted in less deterioration of fiscal positions. What we need to think about now if whether this could justify setting a higher inflation target in the future.

論理的に言うと、もし危機前の平均インフレ率が高く、したがって名目金利の平均も高かったなら、通貨政策を使って今回の危機を緩和する余地はもっとあったでしょう。また、財政状況 (finacial position) の悪化もそうひどくはならなかったでしょう。今、考えなければならないのは、このような話が、今後の目標インフレ率引き上げの十分な根拠になるかどうかです。

訳注 13: the zero lower bound. いわゆる「名目金利の非負制約」。

訳注 14: つまり、日銀と FRB はともにデフレのリスクに直面し、日本は失敗したものの、その経験は FRB によって活かされた...ということ。だから OK ってわけでは全然ないのは、僕らが一番よく知っているはず。

訳注 15: 2000年代初頭の FRB については、田中 2006. p. 85 あたり参照。

訳注 16: "two-pillar" policy of ECB.

訳注 17: arbitrage.

訳注 18: 原文は「So that long rates were given by proper weighted averages of risk-adjusted future short rates, and asset prices by fundamentals, the risk-adjusted present discounted value of payments on the asset.」

訳注 19: テイラー・ルールは実際の FRB の行動から導きだされた関係で、必ずしも FRB がこれに拘束されているわけではないことに注意。その最も古典的な形は「産出量ギャップ=潜在産出量-現実の産出量・潜在産出量」で表せるとのこと。田中 2006. p.80、pp.162-165 参照。

訳注 20: credit channel.

訳注 21: 銀行の信用に対する不安の問題。詳しくはググって頂戴。

訳注 22: 原文は「first was wide skepticism about the effects of fiscal policy, itself largely based on Ricardian equivalence arguments.」

訳注 23: countercyclical policy tool. 反循環的な政策ツール。

訳注 24: procyclic/procyclical fiscal policy. 「順景気循環的な財政政策」。もともと存在する景気循環をさらに後押しするような効果のある財政政策。参考: あずさ監査法人 http://www.azusa.or.jp/b_info/keyword/pro-cyclicality.html 具体的にはどのようなものが想定できるだろう?

訳注 25: prudential. 研究社リーダーズには、「慎重な、細心な; 分別のある、万全を期する。(商取引などで) 自由裁量の権限をもつ」とある。

訳注 26: loan-to-value raitio.

訳注 27: the trade integration of China and India.

訳注 28: Long-Term Capital Management. ヘッジファンド。原文では「the tech bubble」だが、たぶん 1987 年頃の IT バブルのこと。

III 危機からの教訓

A 安定的な物価上昇は必要だが、十分ではない

コアインフレ率は危機が始まるまではほとんどの先進国で安定していた。コアインフレ率はインフレの適切な指標ではなく、原油価格や住宅価格も考慮に入れるべきであったと回想する経済学者もいる。しかし、これは(コアインフレ率を計る指標と似た、「硬直的な価格」に対応した指標の安定を示唆する)理論的な研究結果とは整合的でない。そしてこれはある一つの指標のみに注目し、安定させることで十分であって欲しいという願望を反映しているに過ぎない。そのような願望が正しいようには見えない。たった一つの指標で十分ということはないのだ。

インフレ率、さらにはコアインフレ率が安定しているにもかかわらず、産出ギャップは変動する。この事実は両者の明白なトレードオフをもたらす(産出ギャップは直接観察できないため、これを実証するのは難しい。しかし明らかなことはインフレ率の振る舞いは我々のシンプルなモデルで仮定されているものよりもずっと複雑であり、産出とインフレの関係はあまり分かっていない。インフレ率が低い時の振る舞いについては特に分からない)。もしくは、2000年代の危機前の場合のように、インフレも産出ギャップも安定していたものの、いくつかの資産価格や信用集計量の振る舞いや産出の内容は望ましいものではなかったかもしれないし(例えば大きすぎる住宅投資、大きすぎる消費、大きすぎる経常収支赤字など)、後の大きなマクロ的な調整の引き金となった可能性がある。

B 低インフレはデフレ不況で金融政策の有効性を低下させる

2008年に危機が本格化し、総需要が急減した時にほとんどの中央銀行は素早く政策金利をゼロ近くに引き下げた。もし可能であったならば彼らはもっと金利を引き下げたであろう。シンプルなテイラールールによる推計によれば、アメリカはさらに3から5%引き下げる必要があった。しかし、名目金利の非負制約によってそれは不可能であった。一つの主なインプリケーションはもっと財政政策に頼ることであり、またそれは非負制約がない場合に想定されるよりも大きな財政赤字が必要になるということである。

今のところ、世界は大規模なデフレは回避できたと見られ、デフレがデフレを呼び、実質金利が上昇し続け、産出ギャップが拡大し続けるサイクルに陥ることは避けられたようだ。しかし、名目金利の非負制約は非常に高くつくことが明らかになった。最初からもっと高い平均インフレ率、よってもっと高い名目金利で経済が運営されていたならば、もっと大きく金利を引き下げることができたから、産出の下落と財政悪化を緩和できたであろう。

C 金融仲介機能は重要である

市場は細分化されている。そこにはそれぞれの市場に特化した投資家が存在する。ほとんどの場合、彼らは裁定取引によって十分にリンクされている。しかし、何らかの理由(他の経済活動による損失のためであるとか、ファンドへのアクセスを失ったりとか、投資グループの内部の問題であったり)で市場から資金を引き上げようとするとき、価格への影響は甚大なものになりうる。この意味において、Wholesale fundingは要求払い預金と根本的には同じになってしまう。そして流動性需要は銀行を遥かに超えて広がる。これが発生すると、金利はもはや裁定を通じたリンクを失い、政策金利はグリップ力を失う。中央銀行による資産の購入---担保として、あるいは直接の購入---は任意の政策金利に対し、様々なクラスの資産の利率に影響を与える。これは実際のところ、今回の危機において各国の中央銀行が信用緩和に向かう中で採った方法である。

今回の危機が蒸し返したもう一つの課題は、資産価格を流動性のためでなく投機的理由によってファンダメンタルから乖離させるようなバブルと熱狂である。少なくとも危機から得られた証拠はバブル---今回の場合は住宅市場での---の存在、およびそのようなバブルに付随する危険について補強するものである。また、このことは、バブルはバブルであるという認定が時として難しいため、バブルを防ぐことよりも弾けた後に対応する方が良い、という「善意の傍観」主義に疑問を挟むことになった。

D 反循環的な財政政策は重要なツールである

危機は財政政策を次の二つの理由によってマクロ経済政策の主役へと引き戻した。一つは、信用緩和や量的緩和を含む金融政策はほとんど限界に達したという前提のもとでは、政策担当者は財政政策に頼らざるを得ないこと。もう一つは、景気の後退が長引くことが予想されるため、財政政策は実施されるまで時間がかかるとはいえそれでも効果を発揮するだけの十分な時間が存在する、ということである。

また、「政策の余地」を持つことの重要性も今回の危機は示した(これは金融政策が名目金利の引き下げ余地を持つべきという議論とパラレルである)。いくつかの先進国では大きな政府債務を抱え、財政政策の余地がないまま危機に突入してしまった。同じように(東欧の一部の国のように)循環的な財政政策を行ってきたような途上国では不況下での歳出削減や増税を迫られている。対照的に、多くの途上国は債務の少ない状態で危機に突入した。これらの国では途中で息切れすることを心配することなく、積極的な財政拡大が可能であった。

積極的な財政政策は例外的な状況で正当化されるが、この危機はより「ノーマル」な景気変動に対する裁量的な財政政策のいくつかの欠点を明らかにした。それは特に、適切な財政政策の立案、制定、施行までの(しばしば政治的な理由によって生ずる)タイムラグである。アメリカの財政政策は景気後退が始まって1年以上たった2009年2月に制定されたが、2009年の終わりまでに施行されたのは、そのうちたったの半分と見られている(www.recovery.govを見よ)。

さらに、着手された幅広い手法から、我々が知らないことが沢山あることが分かった。財政政策の効果についてであるとか、政策パッケージの最適な組み合わせであるとか、支出の拡大と減税の効果の違いであるとか、そして(危機以前にはあまり盛んな研究分野でなかった)公的債務の持続性の根底にある要素などについてである。

E 規制はマクロ的に中立ではない

ちょうど金融機関自身がそうであったように、金融規制は危機で中心的な役割を果たした。金融規制はアメリカの住宅価格の下落を大規模な世界的経済危機へと転化する増幅効果の一因となった。金融規制の限られた有効性のために、銀行は良識的なルールを避け、レバレッジを効かせるようなオフバランスの資産項目を創造するインセンティブがあった。AIGのような金融機関は規制の抜け穴を利用して他の金融機関とは異なるルールで行動した。危機が始まると、金融機関の健全性の保証を目的としたルールがシステムの安定性に反する形で働き始めた。固定的な自己資本規制と相まって、資産の評価替えは金融機関にバランスシートを縮小させるための、叩き売りやデレバレッジを増幅させるような、極端な行動をとらせた。

F 大平穏期を再解釈する

もしマクロ経済政策の背後にある理論的枠組みがそれほど損なわれたのだとしたら、何故経済はこれほど長い間良い状態を保つことができたのだろうか。一つ考えられるのは、過去20年の間に政策担当者は自分たちがよく知る問題にのみ直面したために、うまく対応できた、ということだ。例えば、サプライショックに対して期待を固定することが重要であるという教訓は2000年代に原油価格が再上昇した時に十分活かされていた。しかし、いくつかのショックに対しての準備はできていたが、その他については無防備であった(これはLTCM危機からアジア危機にいたる多くの警告があったにもかかわらず、である。とはいえLTCM危機は上手く収束させることができて、より大きなマクロレベルの危機のリハーサルではなく、単発の問題と考えられた。そしてアジア諸国が直面した金融システムの問題は先進国には無縁と考えられた)。1980年代に発生した日本でのバブル崩壊に起因する日本経済の低迷はこの文脈で解釈できるが、日本がさらされたショックはその時点ではまだ理解されていなかった。

もしかしたら、通常の需要ショック、供給ショックへの適切な対応や変動の緩和自体が、今回の危機における金融ショックをより拡大した原因の一つとさえいえるかもしれない。大平穏期によって多くの人はマクロ経済のリスクを過小評価し、特にテールリスクを無視し、レバレッジや外貨建て債務の拡大などのポジションをとった。しかし、それらは後に遥かにリスキーであったことが明らかになったのであった。

IV. 政策デザインに向けた提案


現在の政策の欠点を指摘することは(相対的に)易しい。新しいマクロ経済政策の枠組みを提示することは遥かに難しい。悪いニュースはマクロ経済政策には多数の目標が存在することを、今回の危機が明らかにしたことだ。良いニュースは、「風変わりな」金融政策から財政政策、規制手段にいたる多くの方法を我々は手にしていることを改めて確認できたことである。どの目標にどの政策を割り当てるかについてはいくらかの時間と相当の研究が必要であろう。これから先は探検になるのだ。

まず当たり前のことを述べておくのが大切だろう。つまり、他のものと一緒に有用なものまでも一緒に捨ててはならないということだ。マクロ経済理論から得られた主な知見を含む、危機以前のコンセンサスの多くは未だに有効である。それらの中で、究極の目標はこれまでと同じく生産と物価の安定である。自然失業率仮説も、すくなくとも良い近似としては変わらない。政策当局は失業率とインフレの間に長期的なトレードオフがあると思ってはならない。物価の安定は金融政策の主な目標の一つである。財政規律(fiscal sustainability)は長期的に大事なだけでなく、短期的にも期待に影響を与える上で重要である。

A. インフレ目標を引き上げるべきか?

今回の危機は大きな負のショックが実際に起こりうることを証明した。金融部門が今回の危機の発端となった。しかし、観光産業や貿易に対する世界的流行病や、大国への大きなテロ攻撃など、様々な要因が将来の危機の原因になりうる。このことから、そのようなショックに対応できるだけの充分な余地を確保するために、政策当局は平時からターゲットのインフレ率を高めに設定しておくべきなのであろうか?具体的には現在のターゲットである2%のインフレ率よりも4%のインフレ率の方がネットのコストはずっと高くつくのであろうか?2%よりも4%の方が期待を固定するのがより難しいのだろうか?

中央銀行の独立性を高めることで低いインフレ率を実現することは---特に途上国においては---歴史的偉業であった。よって、これらの疑問に答えるにはインフレの便益とコストを注意深く再考する必要がある。インフレ税は明らかに資源配分を歪めるが、その他の税制も同様である。インフレに起因する歪みの多くはインフレに中立的でない税制によるものである。名目上の税率区分や金利収入に対する税控除などがその一例である。これらはより高い最適なインフレ率を許容することで修正することが出来る。もしインフレ率が高まることでインフレのボラティリティも高まるとしたら、インデックス債がそのようなリスクから投資家を守ってくれる。実質貨幣保有の減少や相対価格のより大きな変動のような歪みは解決がもっと難しい(しかし、実証研究によれば、インフレ率が一桁に収まっている限り、それらのGDPへの影響を見定めることは難しいことがわかっている)。より高いインフレ率はインフレショックを拡大し、政策の効果を減衰させるような(賃金の物価スライド制の広まりなどの)経済の構造変化を促進する可能性があることの方がより重要かもしれない。それでもゼロ金利下限を避けることの便益がこれらのコストを上回っているのかという疑問は残る。

関連した問題として、インフレ率が非常に低い時に政策当局は、どうせ間違えるならば、デフレの発生頻度を最小化するために、たとえ需要の予期せぬ増加のためにインフレ率の高騰のリスクを負ってでも、金融政策をより緩和的な方向に間違えるべきなのか、ということが挙げられる。これは2000年代初頭にFRBが抱えた問題であり、我々はこの問題にいずれ戻ってこなければならない。

B. 金融政策と規制を組み合わせる

危機以前でさえも、金利ルール政策は明示的にしろ暗黙的にしろ資産価格をその考慮の対象に含めるべきか否かの論争があった。危機は資産価格以外にもレバレッジや当座勘定ポジション、システミックリスクの評価など多くの候補をリストに加える結果となった。これは問題への接近方法としては誤っているように見える。政策金利は過剰なレバレッジや過剰なリスクテーク、資産価格のファンダメンタルズからの明らかな乖離などに対応するには貧弱すぎるのである。政策金利を引き上げることでそのような過剰な資産価格の高騰をある程度は抑えることはできるかもしれないが、それはGDPギャップの拡大というコストを対価とするのである。他に手段がないのであれば、中央銀行は難しい問題に直面することになる。そして、このため多くの研究者は認識された資産バブルやその他の変数に(金利政策で)対応することに反対することになった。しかし政策当局が意のままに使える他の手段---これらは「循環的規制手段」と呼ばれる---が存在する。レバレッジが過剰なら自己資本比率を高める規制が可能である。流動性が過小ならば流動性比率規制を導入して、必要に応じて比率を高めることができる。住宅価格の上昇を鈍化させるなら、ローン資産価値比率を低めることができる。株価の上昇を制限したいのなら、最低証拠金比率を高めれば良い *1 。どの方法も魔法の弾丸ではないし、どれもある程度はよけられてしまう可能性がある、というのが真実であろう。だとしても、金利政策に較べれば狙ったターゲットに対して効果が高いとはいえるだろう。このため、マクロ的な活動やインフレに対しての対応は一義的には金利政策を使うことが望ましく、特定の生産活動、金融や資産価格問題については個別の手段が用いられることが望ましいといえるだろう。

関連する課題は低金利のリスクテーキングに対する効果によって生み出される潜在的な難問である。低金利が実際に過剰なレバレッジやリスクテーキンをもたらすならば、何人かの経済学者が指摘するように、標準的な金利ルールが示唆するよりも高い政策金利を維持するべきなのだろうか?繰り返しになるが、他の手段がなければ中央銀行はスクテーキングを減らす代わりに正のGDPギャップを受け入れなければならないという、難しい選択に迫られるであろう。しかし、レバレッジやリスクテーキングに直接働きかける他の手段を考慮に入れるならば、金利ルールの変更ではなくこれらの手段によって、この問題の扱いは容易になるであろう。

金融政策と規制がこのように組み合わされるならば、伝統的な規制と予防的フレームワーク(prudential frameworks)はマクロ経済的側面を必要とする。システム全般にわたる循環的な条件を反映させる手段は伝統的な部門レベルのルールと監査を補完するものでなければならない。金融政策の決定にとって、一般に信認され理解された政策スタンスを通じて政策の効果を最大化するために、マクロ予防的な手段(macroprudential measures)は定期的かつ予測可能な形で(できれば半自動的に)アップデートされていくべきである。ここでの大きな関門は、精緻化されたシステム、システミックリスクのそれぞれの限界的な変化への微調整、およびわかりやすいコミュニケーションと実行しやすいルールとの間のちょうど良いバランスを見つけることである。

金融政策と規制が十分な循環的ツールを提供するといった考えを受け入れたならば、次はこれら金融政策と規制権限との協調をどのように調整するか、もしくは中央銀行がその両方の権限を持つべきか、が問題となる。

これらの二つを分けるべきであるというこれまでの論調は覆されるべきなのかもしれない。中央銀行はマクロ予防政策当局の当然の第一候補である。彼らはマクロ経済の発展を監視する理想的な位置におり、いくつかの国においては既にそのような規制権限を保有している。危機の間におきた「コミュニケーション」の崩壊---例えばNorthern Rockの救済に際して---は、二つの独立した機関の協調に関する問題を含んでいたと指摘されている。また、レベレッジとリスクテーキングに対する金融政策決定の潜在的な影響を考慮すると、マクロ予防に関する責任を中央銀行に集中させるほうが良いと考えられる。これに対して、そのような権限を中央銀行に与えることに反対する二つの議論がこれまでにあった。一つ目は、そのような場合中央銀行はインフレに対してより弱い対応をするようになる、というものである。なぜなら、金利の引き上げは中央銀行のバランスシートを毀損する可能性があるからである。二つ目は、中央銀行がより複雑な目標を与えられるために責任が不明確になる、というものである。どちらの議論も注目に値するものがあり、少なくとも、中央銀行が規制の権限を持つならばさらなる透明性が必要になることを示唆している。金融政策と規制の権限を別々の機関に任せるという対案は一層悪いように見える。

C. インフレ目標と外国為替介入

インフレ目標を採用している中央銀行は一般に、インフレーションという最重要な目的への影響がない限りは為替レートに関心がない、と主張する。これは経済規模の大きな先進国においては確かにそうであろう。しかし、実際にはこれらの中央銀行の多くが為替レートを注意深く観察していて、変動を抑えるために外国為替市場に介入しており、しばしば為替水準にまで介入しているということを事実は示している *2

こうした行動は彼らのレトリックよりもずっと理にかなっている。資本移動の鋭いシフトやその他の要因による為替レートの大きな変動は実体経済に大きな混乱を与える。大きなレートの増価(自国通貨高)は貿易部門を閉め出し、為替レートが元に戻った時の回復を難しくしてしまう。また、国内の契約の大きな部分が外貨建ての場合(もしくは何らかの形でレートの変化とリンクしている場合)、為替レートの変化(特に自国通貨安)は金融の安定性、ひいてはGDPを損なう厳しいバランスシート効果の原因となる。

この文脈で、レトリックと実践の矛盾は混乱を招き、金融政策の透明性や信認を損なうものとなる。小国の開放経済での中央銀行は為替レートの安定は彼らの目的の一部であることを明示的に認識すべきである。これはインフレ目標の放棄を意味するものではない。実際、少なくとも短期においては不完全な資本移動は中央銀行に外貨の蓄積や不胎化介入といった第二の手段を与える。この方法によって、国内の目的(インフレ目標)は金利政策に任せられる一方、対外的な目標を達成することができるのである。

もちろん、不胎化介入には限界がある。そして資本収支の圧力が大きくまた持続的である場合には直ぐに限界に達してしまう。これらの限界はそれぞれの国に固有のものであり、国の開放度や金融の統合度に依存するであろう。これらの限界に達し、負担が政策金利のみかかってくる場合、厳格なインフレ目標政策は最適ではなく、逆行する為替レートの動きの結果を考慮しなければならない *3 。この議論が前節で述べたような金利政策と規制との間の重要な関連を示す新たな例となっていることに注意すべきである。例えば、予防的ルール(prudential rules)が経済のドル化を防ぐか抑制する *4 ことができる限りにおいて、彼らは為替レートの動きに対してより大きな政策の自由度を持つことが許されるであろう。同様に、「過剰に安定的な」為替レートの認識はドル化(contract dollarization)へのより大きなインセンティブへと導く。

D. より広い範囲への流動性の供給

危機は中央銀行に最後の貸し手としての伝統的な役割の範囲と規模の両面に渡って拡張することを強要した。彼らは流動性のサポートを銀行以外の金融機関に拡げ、直接的(購入)、間接的(資産を担保として)に幅広い範囲の資産市場に介入した。問題は、このような政策を平時にも維持するべきかということである。

平時においても流動性供給を拡大するという議論は説得力があるように思える。流動性の問題が、ある特定の市場からの資金力ある民間部門の消失や、典型的な銀行取り付けに見られるような小規模な投資家達のコーディネーション問題から派生しているのであれば、政府は介入できる唯一の存在である。政府の永続性と、その徴税権から極めて豊富な資金を持つ。よって必要とあらば、民間投資家に取って代わる用意ができるし、また、そうすべきである *5

このような政府の流動性供給に対して、古くから二つの反論が存在する。第一は、民間投資かの市場からの離脱は、少なくとも部分的には、支払能力の問題を反映しているかもしれず、流動性の供給は政府のバランスシートを毀損させ、リスクテーキングの明白な結果として救済の可能性を生んでしまう、というものである。第二は、流動性の供給は満期の転換とポートフォリオの非流動化を促進してしまう、というものである。このような結果はしばしばモラルハザードと呼ばれるが、それ自身悪いものではない。公的な流動性供給がコストなしで提供できる限り、民間部門がこのような満期転換を行うことは望ましい。しかし、増税の必要性や外国からの買い入れを反映して、コストはゼロではないかもしれない。

どちらの反論も保険料とhaircutsの利用によって部分的には対処することが出来る(しかし、一番目の反論は、平時においては、直接の購入よりもむしろ、間接的なサポートおよび信用リスクを減少させる適切なhaircutsに依存していることを示している)。これらの問題は、担保適格な資産(担保適格な資産の長いリストを作っていたという点でECBはFRBの先を行っていた)をリストアップすることや、金融機関に対しては規制と監督の下で流動性へのアクセスを許可するといった規制を通じても対処することが出来る。


E. 好況時により大きな財政余地を作る

危機からの重要な教訓は、必要な時に、より大きな財政赤字を可能にするような余地を用意しておく、ということである。先述の用に金融政策のためにより大きな名目金利の引き下げ余地を作っておくことと財政余地との間にはアナロジーが成立する。もし政府がもっと金利を引き下げる余地と、より大きな財政拡大を可能にする余地を持っていたならば、危機に対してももっと上手く立ち回れたであろう。この先、年金や健康保険における高齢化に伴う課題を背景として持つなかでの債務削減の必要性を踏まえると、財政改革は非常に深刻な問題となるであろう。それでも危機から得た教訓は公債比率を危機以前よりも引き下げることを明らかに示している。今後の十年から二十年に向けての政策に対して提言できることは次のようなものである。循環的な条件が許す限り、大きな財政改革が必要である。また、早いペースで経済成長が回復したならば、財政拡大や減税を行うのではなく、公債対GDP比率を大きく引き下げるべきである。

来るべく数年の間に追加的な財政余地を作り、好景気の利益を循環的な財政刺激に使わずに、財政状態を改善すること使うべきである、という処方箋は目新しいものではないが、危機を経て、これまでよりもさらに重要性を増している。中期的な財政の枠組み、公債対GDP比率の引き下げへの信認ある確約、そして(不景気からの脱却局面での)財政ルールは、どれもこの側面の一助となる。同様に、長期的な歳入見込みに基づく支出決定の枠組みは、好況時における過度な支出を抑制する助けになる。そして特定の税や歳入に対して支出を事前に割り当てないことで、歳入が減少した際の自動的な支出減少を防ぐことができる *6 。政府の財政状況が改善されてきて、一般予算外や政府保障という形で不調な部門に支援を提供する誘惑が大きくなってくることに対して全ての公的部門の運営が予算に反映されるという透明性を持ち、必要な調整を先送りするインセンティブを減少させるような予算策定プロセスを築くことは、さらなる難問である。

F. より優れた財政の自動安定化機構をつくる。

III. の D. でも論じたが、今回の危機は金融政策が限界に達する異例な事態であった。それによって自由裁量な財政政策の問題点も浮き彫りになっている。通常の景気後退対策としての財政政策は効果が出るのが遅すぎる。自動安定化機構にはまだまだ改善の余地があるのだ。しかし、真の自動安定化機構 − もともと反景気循環的で、所得移転の減少や税収の増加をもたらす − と、景気循環に応じて決められたタイミングで税金や所得移転方法を変えていくようなルールとを区別せねばならない。(Baunsgaard and Symansky, 2009)

前者の自動安定化機構を左右するのは、歳入に応じて変わる概算金額をともなった政府の固定支出、社会保障制度 (確定給付型年金や失業給付制度はこれに該当する)、そして累進性のある所得税である。この自動安定化機構を使ってマクロ経済効果を大きくしたければ、政府の規模を大きくするか、累進性を (やや) 大きくするか、社会保障制度の枠を広げるかすることになるだろう。しかしながら、このような方針に沿った改革は、経済を安定させたいという限られた理由より、もっと幅広く、公平さや効率のよさを目指そうとするときにこそ正当化されるのではなかろうか。

後者のタイプの自動安定化機構のほうが有望そうだ。(Seidman 2003, Feldstein 2007, Elmendorf and Furman 2008, and Elmendorf 2009. 参照。自動的な財政刺激策というアイディアは 1950 年代にさかのぼる。Phillips 1954、Musgrave 1959. 参照) このタイプには前者のようなコストはかからないし、乗数の大きな税金や支出項目を選んで実施できる。歳入側の税制では、低収入者をターゲットに、一律の給付金つき税額控除 (a flat, refundable tax rebate) を暫定的におこなって納税者の負債を減らせる。企業むけであれば、投資税額控除を景気に応じて調整してやれる (cyclical investment tax credits)。歳出側では、低収入だったり借り入れ困難な家計に対する一時的な所得移転が考えられるだろう。そして、マクロ経済変数がある値を越えそうになったら、これらの税制措置や所得移転が実施されるようにしておくのだ。指標として一番妥当そうなのは GDP だが、その値は遅れて発表されるため迅速性に欠ける。そのため、候補になりそうなのは雇用や失業のような労働市場の変数である。われわれがとり組まねばならないのは、ここで述べたルールをタイミングよく発動させるような境界値をどう設定するかであり、施策の対象にする税金の種類や所得移転の条件をどうするかである。

*1 Bank of England (2009)は景気循環上のマクロリスクを管理するために現行の規制比率を補完するツールについての詳細な議論を行っている。

*2 Mishkin(2008)

*3 訳注:原文はthe consequences of adverse exchange rate movements have to be taken into account

*4 訳注:原文はprudential rules can prevent or contain the degree of contract dollarization in the economy

*5 Holmstrom and Tirole (2008)

*6 訳注:特定の税収に特定の支出を自動的にリンクさせた倍、税収の減少がそのままその支出の減少になるが、そのような仕組みは景気循環を拡大することになり望ましくないので、長期的な歳入計画に基づいて支出を決定し、短期的な歳入の変動に影響されないようにすべきである、と言っている。

V. 結論

今回の危機はマクロ経済政策が引きおこしたものではなかった。しかしながら、危機によって従来の政策枠組みの欠点が露呈し、政策当局者は危機のさなかに新しい政策を探し求めざるを得なくなったし、われわれとて今後のマクロ経済政策の構成について考えさせられているような状況である。

様々な理由から、全体としての政策枠組みに変更を加えるべきではない。その枠組みの究極の目標は、これまで同様 GDP ギャップ[1]とインフレーションを安定させることであるべきだ。とはいうものの、今回の危機のおかげで、GDP の内訳や資産価格の動向、異なる金融主体の資産構成[2]など、政策当局には監視せねばならない指標が多いのがはっきりしたし、彼らが自由に使える政策ツールについても、危機以前よりずっとたくさんありそうなことが明らかになってきた。これらの政策ツールの一番効果的な使い方を学ぶことが課題である。従来の通貨政策[3]と規制ツールをどう組みあわせるか、また財政政策上よりよい自動安定化装置とはどんなものなのかが、今後のもっとも有望な取り組みである。われわれはこれらのテーマについてさらに探っていかねばならない。

最後になるが、今回の危機はわれわれがいつも意識してきた教訓を補強してくれたし、危機を経験することでその教訓をさらに深く心に刻むことにもなった。平時に財政赤字の規模が小さければ、必要な時に大胆で効果的な政策をとる余地ができる。われわれの経済システムをうまく機能させるには、規制に細心の注意を払い[4]、通貨・金融・財政上のデータをわかりやすくかつ入手し易くして[5]、うまく手はずを整えておくことが必要不可欠である。われわれに課されているのは、今回の危機の経験を利用して創意あふれる新政策を考えだすことだけではない。ここで述べたような教訓から生じる困難だが必要な政策の修正や改革において、一般国民の助けとなっていくこともまた、われわれの仕事なのである。

訳注1: output gap

訳注2: the leverage of different agents

訳注3: traditional monetary policy

訳注4: prudential regulation

訳注5: transparent data in ...

参考文献

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