☆このページでは、霧雨の野望における北畠具教について詳細に解説しています。
史実での北畠具教について詳しく知りたい方はwikipediaなどの北畠具教を調べてください
北畠具教(きたばたけとものり)(享禄元年(1528年- )
北畠家一門衆。滅亡後は足利将軍家を経て姉小路家に仕える。
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率70 |
武勇97 |
知略21 |
政治50 |
義理63 |
足軽A |
騎馬D |
弓C |
鉄砲D |
計略D |
兵器C |
水軍C |
築城D |
内政C |
|
伊勢国司の名門・北畠氏8代。剣術に造形深く旅の剣客を保護する他、
自らも剣豪と呼ばれる程の腕を誇ったが、信長の野心の前には力及ばなかった。
名門の大名という実績の為か、剣豪タイプにしては政治・統率高め。
こういう能力だと一軍に随伴させて「乱戦」を習得させるのも割と楽だ。
最後は織田家の刺客に襲われ死亡。だが、彼は裏切り者によって刃の潰されていた太刀で
19人を斬殺するという剣豪っぷりを見せた。
ちなみに上泉信綱に柳生宗厳や宝蔵院胤栄を紹介したのもこの人。
「一の太刀を伝授される程度の剣豪」
最終更新:2008年05月30日 21:25