☆このページでは、霧雨の野望における竹中重治について詳細に解説しています。
史実での竹中重治について詳しく知りたい方はwikipediaなどの竹中重治を調べてください
竹中重治(たけなかしげはる)(天文13年(1544年)- )
竹中半兵衛とも。姉小路家軍師。初登場はAct14。
Act12からずっと探しているがなかなか仕官してくれなかった。
参陣した戦はもちろん自らが参陣しない戦でも後方より助言で支援したりするなど活躍をみせ、
その知略は「吸血鬼」とも「今孔明」とも「天帝」とも呼ばれ敵に恐れられた。
特に足利幕府との戦においては異能の者達を相手にしても圧倒するなど活躍を見せた。
足利幕府戦以後は、(偽りの健康を
八意永琳に看破され前線指揮を託し)後方支援に専念し姉小路家を支えた。
ちなみに織田滅亡後(Act40)であちこち飛び回っているのを見た人々が働きすぎで死ぬんじゃないのか? と噂していたことがあった。
なお、そのあまりの活躍ぶりゆえ「彼も異能の者の一人だったのではないだろうか?」という説が某教授により発表され注目されている。
また、医療の知識もあったようである。師は不明だが
八意永琳より学んだという説あり。
八意永琳や
博麗霊夢とはツーカーの仲。(というより彼は相手問わず人の考えを読む力に長けている)
足利幕府軍との戦い(
洛南会戦)では、
蓬莱山輝夜の仕掛けてきた火牛計を見事に防いでみせた。
しかし、輝夜姫の難題を解けてしまうということはその気になれば輝夜を嫁にもらえるということか?
なんとも羨ましく、かつ恐ろしい男である。もはや名実共に姉小路家の柱石。
決戦編オープニング(Act93後)における計略熟練度ランキング一位。ただし、熟練度は最高の1000なのでこの地位はもはや不動である。
武将紹介登場:Act14
☆出生・家族構成
1544年に竹中重元の子として生まれる?
☆官位・役職
能登守護(Act45・1564年7月~)
右兵衛大尉(Act51・1564年11月~)
摂津守護(Act60・1565年10月~)
中務大丞(Act61・1565年12月~)
中務少輔(決戦1・1568年9月~)
☆参加合戦
革新能力 |
統率96 |
武勇61 |
知略102 |
政治57 |
義理78 |
足軽A |
騎馬D |
弓A |
鉄砲B |
計略S |
兵器S |
水軍D |
築城C |
内政D |
|
戦法:槍衾、槍突撃、斉射、火矢、早撃ち、罵声、鼓舞、威圧、混乱、籠絡、同士討、治療 |
(Act47現在)
- うp主解説||竹中半兵衛とも。戦国屈指の知将。エピソードは多すぎるので割愛。
- 秀吉の片腕として数々の武功に携わったが、結核を患い36歳で夭折した。
- 知略は驚愕の100越え、統率も適性も優秀。戦闘や計略は手放しで任せられる。
- 固有戦法「治療」を覚えるため、計略熟練を育てまくるのがベストか。
- 緑の人解説
- ダメ君主にぶち切れて17人/1日で稲葉山城を占領したこともある。織田か斎藤だとそのイベントが見れる。
- 斎藤氏滅亡後秀吉に請われて軍師格として大活躍。病に倒れた後本人の強い希望で参軍し陣歿。
(Act.14白コメントより)
死ぬ前に秀吉に兵糧攻めオンリーの策を授けた。
ちなみに史実でも雇用しにくかった人物である。(栗原山中七度通い、創作とも言われるが)
最終更新:2011年07月17日 20:55