☆このページでは、霧雨の野望における北条氏規について詳細に解説しています。
史実での北条氏規について詳しく知りたい方はwikipediaなどの北条氏規を調べてください
北条氏規(ほうじょううじのり)(天文14年(1545年)-)
北条家一門衆。
決戦1のストーリーパートで初登場。
姉小路家との外交のため、
竹中重治と会談した。
緑の人が
三好義賢と間違えていたが服装が違うだけで顔は同じである。
彼らのように左右反転されてたりひげが書き加えられたりと同じ顔の武将は何人かいる。
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率73 |
武勇60 |
知略74 |
政治70 |
義理55 |
足軽C |
騎馬C |
弓B |
鉄砲B |
計略B |
兵器D |
水軍B |
築城B |
内政B |
|
(決戦1現在)
氏康の五男。兄・氏政の外相格として主に盟約や折衝で活躍したと伝わる。
小田原評定では和議を主張、その後は一介の小領主として北条の血を残した。
統率・知略・政治70台、B適正6個。良く言えば良将揃い、悪く言えば小粒、そんな兄弟の中でもバランスは随一。
武勇は無くてもどうにでもなるし。
幼少期より今川・武田の人質として過ごした時期が長い。外交手腕はこの経歴を通じて培われたもの。
当時の人質とは、単なる安全保障の担保以上に当人にとってのメリットも大きい身分だったのですな。
狭山北条藩の実質的な藩祖。幼馴染の家康とも仲が良く、家康経由で外交を行った。
小田原の役では北条家一門では反戦派であったが、韮山城へ篭城した後に家康に降伏。その後は高野山に送られた後に秀吉に許された
「駿府時代の家康と近所付き合いしていた程度の能力」
最終更新:2009年01月15日 06:54