☆このページでは、霧雨の野望における吉川元春について詳細に解説しています。
史実での吉川元春について詳しく知りたい方はwikipediaなどの吉川元春を調べてください
吉川元春(きっかわもとはる)(享禄3年(1530年)-)
毛利家一門衆。
虹川姉妹との兄弟交換にも乗ろうとしているあたりかなりノリがいいと思われる。
元春・プリズムリバー。格好いい……?
義父の
熊谷信直が姉小路家にいることについてはどうなんだろうか。
信直は東部戦線にいるから知らないのだろうか。
☆官位・役職
左兵衛少尉
☆参加合戦
革新能力 |
統率95+2 |
武勇95 |
知略78 |
政治61+2 |
義理82 |
足軽B |
騎馬S |
弓A |
鉄砲C |
計略B |
兵器A |
水軍C |
築城D |
内政B |
|
戦法:槍衾、先駆け、突進、斉射、火矢、罵声、鼓舞、威圧 |
(Act83現在)
毛利元就の次男。吉川家を継ぐ。
山陽地方を統括した弟・隆景に並び、山陰地方を席巻した毛利最強の武人。細かい逸話は多すぎるため割愛。
武辺のみならず教養も愛し、陣中で『太平記』四十巻を書写した事績も。
ゆえに超一流の闘将ながら知略も高め。全国レベルでもエースを張れる実力者。
通算戦績76戦64勝12分。
元就に「戦では元春に及ばぬ」と言わせしめ、秀吉も恐れさせて撤退させた勇将。
太平記の書写でも有名。全巻が揃っていたため現在でも国の重要文化財となっている。
熊谷信直の力を得るため、そして女に溺れない戒めのため信直の不器量な娘と結婚したとされる。
ただし、本当に不器量かどうかだったかは不明である。光秀や高橋紹運にも同様の逸話有。
ちなみに、歌手の吉川晃司は彼の子孫である
『戦で負けたことのない程度の能力』
最終更新:2008年06月19日 23:52