☆このページでは、霧雨の野望における毛利隆元について詳細に解説しています。
史実での毛利隆元について詳しく知りたい方はwikipediaなどの毛利隆元を調べてください
毛利隆元(もうりたかもと)(大永3年(1523年)-)
毛利家一門衆。
元就の年齢からして家督はついでいると思われるが史実通り裏方。
隣に
ルナサがいるせいかやたらと鬱々としている。
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率76 |
武勇74 |
知略72 |
政治85 |
義理79 |
足軽C |
騎馬D |
弓B |
鉄砲D |
計略B |
兵器C |
水軍C |
築城D |
内政A |
|
(Act83現在)
毛利元就の長男。
人質として使えた大内義隆に可愛がられ隆の字を拝領。
後に毛利家の家督を継ぐも実権無く、彼自身は父や弟たちの裏方に徹した。
どうにも見せ場の少ない人だが、親父と弟が派手すぎた所為でであると同情的な見方をされる事が多い。
そんな彼らしい地味に優秀な数値。
人質時代に同年代である陶隆房と親友になったが、義隆が自殺に追いやられたのを知ると率先して陶氏打倒を提言し、父と共に厳島の戦いに出兵した。
元就が隠居した後に家督を継ぐが、実質的に毛利家を支配していたのは元就だった。
表裏の無い性格とされることが多いが、一方で元就は優柔不断であると嘆いていた。
尼子攻めの途中の饗応直後に死亡したため、毒殺説も流れている。
没年が1563年なので寿命史実だとこの時点(1567年)ではお亡くなりに
『裏方に徹する程度の能力』
最終更新:2008年06月19日 22:06