☆このページでは、霧雨の野望における島清興について詳細に解説しています。
史実での島清興について詳しく知りたい方はwikipediaなどの島清興を調べてください

島清興(しまきよおき)(天文9年5月5日(1540年6月9日)?- )

筒井家家臣。織田・三好襲来時には筒井順慶に「それでも左近なら左近ならなんとかしてくれる」と言われていた。
が、筒井家がさっくり滅ぼされ浪人の身に紆余曲折を経て毛利家家臣に。

Act81でストーリーパート初登場。てゐのことはあまり信用していない様子。


☆出生・家族構成


☆官位・役職

☆参加合戦




革新能力
統率90 武勇96+3 知略74 政治21 義理94
足軽B 騎馬S 弓D 鉄砲C 計略A
兵器A 水軍D 築城A 内政C
戦法:槍衾、先駆け、突進、早撃ち、罵声、鼓舞、威圧 (Act81現在)

うp主解説
左近。名は勝猛とも。元は筒井家重臣。
石田三成の「軍師」とされる知勇の将。三成との邂逅や関ヶ原での奮戦ぶりは
今なお数々の伝説として語り継がれる。
「三成に過ぎたるもの」と称えられたその戦闘能力は超優秀。
統率武勇90台、騎馬適性はSに加えて計略適性まで高く戦場では鬼神の強さ。

緑の人解説
順慶死後に浪人になり、秀長、三成の家臣に。三成家臣の証拠発見はつい最近だったり。
彦根城400年祭を盛り上げるライバルとして「いしだみつにゃん」「しまさこにゃん」
というキャラが実際に作られた。

初登場は戦国群雄伝という古参中の古参なんだが、その当初の能力値はなんと政治57の戦闘68(ありえん)
おかげで彼の評価を誤るプレイヤーが続出。本格的に武官として名を挙げたのは覇王伝の頃からだったと思う。

関ヶ原での左近の奮戦はあまりの凄まじさ故に、黒田長政の部隊の兵士が数年間も悪夢を見たと言われている。

白コメントより
覇王伝だとまだ戦闘77。天翔記からチートになる。

東方風武将解説
「破格の待遇で仕官を要請される程度の能力」
「ひこにゃんのライバルになる程度の能力」
「実は最初の評価が滅茶苦茶だった程度の能力」




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最終更新:2008年06月04日 23:39