☆このページでは、霧雨の野望における一色義道について詳細に解説しています。
史実での一色義道について詳しく知りたい方はwikipediaなどの一色義道を調べてください
一色義道(いっしきよしみち)(天文2年?(1533年?)-)
一色家当主。
滅亡後は山名家を経て姉小路家に仕える。
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率70 |
武勇64 |
知略35 |
政治29 |
義理64 |
足軽C |
騎馬D |
弓C |
鉄砲D |
計略D |
兵器D |
水軍D |
築城C |
内政D |
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(Act72現在)
室町幕府四職の一家・一色氏当主。
信長との友好を深め領土を維持するも、比叡山の僧や足利義昭を匿った事から、
光秀と細川親子の猛攻を受け自害。情を捨てきれぬ悲劇の人にも見えるが、
悪政で家臣や民の評判は悪く、光秀らはそこにつけ込んで調略を行っている。
そんなわけで数値評価はただの脳筋。
親父さんから二代続けて領主としての評価は非常に低い。
息子は勇将の誉れ高かったんだが。
徐々に能力が上がってゆく珍しい家系だけに、代替わりの時期のマズさが惜しまれる。
義道が招いた一色家の討伐は、毛利水軍の第二次木津川口での敗退、上杉謙信の病死と
ほぼ同時に始まっている。織田家が余裕を持って反抗勢力を潰せる状況になる時期に
織田家に反抗するとは義道は全く時勢が読めていない。一族は攻撃を食い止めたが、
光秀が丹波の波多野家を攻略するに至り、国人が動揺、離反するのは当然だといえる。
なお、彼が大名のS3一色家は高難度。武将3人、政治37が最高値の家臣団など、
小早川ほどではないがLunaticである。
「鳶が鷹を生んだが時すでに遅かった程度の能力」
最終更新:2008年10月04日 04:15