☆このページでは、霧雨の野望における北条氏邦について詳細に解説しています。
史実での北条氏邦について詳しく知りたい方はwikipediaなどの北条氏邦を調べてください
北条氏邦(ほうじょううじくに)(天文10年(1541)- )
後北条家一門衆。
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率74 |
武勇77 |
知略62 |
政治56 |
義理41 |
足軽B |
騎馬C |
弓B |
鉄砲C |
計略D |
兵器D |
水軍C |
築城B |
内政C |
|
戦法:槍衾、斉射(Act69現在)
氏康の四男。藤田氏邦とも。
神流川で滝川一益に大勝するなど戦術に優れ、小田原評定では籠城策に強く反対。地の利を生かす野戦での迎撃を訴えた。
兄・氏照と同様の理由により、この人も業績の割に戦闘力の評価がもう一歩。北条家が最も勢力を拡大したのは彼らが主力だった氏政の代なのだが。
能力インフレの革新では多少マシになったが、それなりの武官評価を受けている氏照と比べても扱いが悪い
本能寺直後の混乱期とはいえ、滝川左近将監を散々に負かしてるんだから統率・武勇は+10でもいいと思う
「毎度毎度評価がパッとしない程度の能力」
最終更新:2008年03月11日 21:46