☆このページでは、霧雨の野望における太田資正について詳細に解説しています。
史実での太田資正について詳しく知りたい方はwikipediaなどの太田資正を調べてください
太田資正(おおたすけまさ)(大永2年-(1522年- )
武田家家臣。
元は武蔵国岩附城城主。しかし開始から一年もせずに武田制圧される。
哀愁が漂っているような気がする。
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率88+3 |
武勇74 |
知略78 |
政治50 |
義理86 |
足軽A |
騎馬B |
弓C |
鉄砲D |
計略B |
兵器A |
水軍D |
築城A |
内政D |
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戦法:槍衾、槍突撃、先駆け、斉射、罵声(Act66時点)
三楽斎。太田家は扇谷上杉家の重臣。扇谷上杉家が滅亡すると北条に付くが、
後に上杉謙信の関東遠征に呼応。以降は生涯反北条を貫き通した。
日本で初めて軍用犬を実用化したとも。太田家と北条家は彼を含め、
色々と事情が複雑すぎて書ききれません。数値は武田家臣に並ぶ一流の戦争屋。
祖父・道灌に並ぶ名将と称される戦場計略の名手。
とはいえ一族の統制は軍略ほど上手くなかったらしい。
出陣中に嫡男が寝返って城を占拠したため常陸に逃亡し、
以降は佐竹家配下として生涯を送った。
「片野の三楽」として畿内でも知られていた。
太田道灌の曾孫道灌に劣らぬ名将と言われる。
ちなみに道灌は統率99武勇88知略99政治90適性S3というチートである。
「生涯の最後に宿敵の滅亡を見届ける程度の能力」
最終更新:2008年03月03日 01:05