☆このページでは、霧雨の野望における松平元康について詳細に解説しています。
史実での松平元康について詳しく知りたい方はwikipediaなどの徳川家康を調べてください

松平元康(徳川家康)(天文11年12月26日(1543年1月13日- )

松平家当主。滅亡後は武田家家臣に。
Act56にて藤原妹紅佐竹義重真田昌幸と共にデビュー。
勢力を武田家に滅ぼされて以来、三河衆を率いて武田家に仕えている。地位は1傭兵団の長にすぎない。
武田義信に稲葉山城攻略戦において勲功第一だった者に旧領の統治を信玄に掛け合ってもらえると約束されており、松平家復興に燃えている。
史実ではいろいろな側面を持つ人であるが、本動画では今のところ部下思いで忍耐強い人物として好意的に描かれている。
罵倒、嫌味に耐え、部下を思って家の再興のために努力をする様子はけなげであり、かっこよすぎて泣けてくる。
妹紅たんが肩入れするのもわかろうというものである。

史実でもあらゆる辛酸甘苦を舐めて天下を取った人物であり、今後どのように成長していくか非常に気になる人物である。

Act86では多くの家臣がばらばらに出陣するのを案じるなど家臣思いな姿が描かれている。

☆出生・家族構成
松平広忠の嫡男として、天文11年(1542年)12月26日に生まれる。



☆官位・役職
常陸守護

☆参加合戦




革新能力
統率95+4 武勇89 知略94 政治100+10 義理85
足軽S 騎馬C 弓C 鉄砲B 計略S
兵器S 水軍C 築城S 内政S

うp主解説
後の徳川家康。戦国時代最期の勝者。義元・信長・秀吉の元では忍従に徹し、
自分が事実上のNo.1となった時に、初めて野心を見せ動き始めた忍耐の人。
当然ながら能力評価は超一流。『御遺訓』に示されるような人格者か、
それとも狸と揶揄されるしたたかな策謀家か。とてもこんなスペースでは語りきれない。

緑の人解説
ちなみに好物は鯛の天ぷら。健康マニアという点で妹紅と気があったのだろうか?


東方風武将解説
「天下を取り神になる程度の能力」
いわずとしれた神君家康公。彼ほど忍耐という言葉が似合う人物もいないだろう。
幼少時に織田、今川に人質としてだされ、桶狭間後に独立したが実質織田の属国。各地を転戦し時に勝って名を上げ
時に生き恥を曝した。時には家のために愛する息子すらも殺した。あらゆる忍耐を尽くして数十年、彼の手には天下が
握られていた。



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最終更新:2008年07月13日 23:23