☆このページでは、霧雨の野望における内藤昌豊について詳細に解説しています。
史実での内藤昌豊について詳しく知りたい方はwikipediaなどの内藤昌豊を調べてください
内藤昌豊(ないとうまさとよ)(大永2年(1522年- )
武田家家臣。
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率82 |
武勇70 |
知略82 |
政治79 |
義理85 |
足軽D |
騎馬B |
弓B |
鉄砲D |
計略B |
兵器D |
水軍D |
築城C |
内政A |
|
武田四天王の一人。内藤修理とも。信繁と並び武田の副将と称された勇将。、
信玄との信頼関係は、戦功を挙げても一通の感状すら必要としなかった程。
個人の手柄にこだわらない彼の性分が、集団の力を重んじる信玄と合ったのか、
シリーズ通して高能力だが、革新では何所もインフレなので若干地味に見える。
ちなみに、勝頼には冷遇されていたという。この辺りが勝頼暗愚説を強めているのだろうか。
群雄伝での初登場以来、能力評価が一貫しない人たち>高坂・内藤・馬場
「親父を信虎にぶっ殺された程度の武将」
最終更新:2008年06月02日 12:29