☆このページでは、霧雨の野望における山名祐豊について詳細に解説しています。
史実での山名祐豊について詳しく知りたい方はwikipediaなどの山名祐豊を調べてください

山名祐豊(やまなすけとよ)(永正8年(1511年- )

Act.53で初登場。
山名家当主。
レミリアを雇って赤松家を滅ぼし、「六分の一殿」と呼ばれた山名氏清、そして中興の山名宗全以来の再興を目指す。
しかし、レミリアのことはあまり理解していないようだ。


☆出生・家族構成


☆官位・役職


☆参加合戦




革新能力
統率58+8 武勇50 知略53 政治64+9 義理45
足軽D 騎馬C 弓D 鉄砲D 計略D
兵器D 水軍D 築城C 内政D

うp主解説
室町四職家の名門・但馬山名氏当主。分家の因幡山名氏を破り一族を統括、
生野銀山を発掘し再興の兆しを見せたがその富を狙う信長の前に屈した。
最前線で戦えるほど有能ではないし、ネタになるほど無能でもない並の大名。
血筋も経済力も優れた地方の雄なのに、地味な印象が拭えないのは何故だろう。

緑の人解説
「銀に助けられ銀に死んだ男」
なお、屈した後しばらく経って(いきなり)織田を裏切る行動を起こし死亡。

生野銀山に目を付けた信長に敗れると堺に逃亡したが、
今井宗久の仲介によって一命を助けられ、信長の傘下に加わることとなる。
臣従した後は尼子と共に毛利と戦い、宿敵の武田高信を討つことにも成功した。
しかし数年後、何故か毛利と和睦して信長を裏切ったため秀吉に攻められ、出石城で没した。

東方風武将解説




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最終更新:2009年01月05日 00:48