☆このページでは、霧雨の野望における朽木元綱について詳細に解説しています。
史実での朽木元綱について詳しく知りたい方はwikipediaなどの朽木元綱を調べてください
朽木元綱(くちきもとつな)(天文18年(1549年- )
六角家家臣。主家の降伏に伴い姉小路家家臣に。
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率42 |
武勇48 |
知略68 |
政治67 |
義理19 |
足軽D |
騎馬D |
弓D |
鉄砲D |
計略C |
兵器D |
水軍D |
築城D |
内政C |
|
近江の豪族。六角氏・浅井氏らの間で半独立を保ち、織田家の朝倉攻めの際
信長の撤退を助けて取り立てられた。後の関ヶ原では西軍から東軍に寝返る。
時代に翻弄されながらも巧く立ち回り、しぶとく江戸時代まで生き残った人。
目立つ程では無いが内政要員として地味に使われる数値が何ともそれっぽい。
2歳で家督を相続。ちなみに、江戸以降は嫡流よりも庶流のほうが出世した珍しい家。
大谷吉継は小早川秀秋の寝返りを予期しており実際撃退にも成功しかけたが、
一緒に寝返った朽木・前田両隊に側背を衝かれたために潰走、吉継は乱戦の中で討死した。
「朽木越えを協力した程度の人物」
最終更新:2008年05月30日 23:21