☆このページでは、霧雨の野望における七里頼周について詳細に解説しています。
史実での七里頼周について詳しく知りたい方はwikipediaなどの七里頼周を調べてください
七里頼周(しちりよりちか)(永正14年(1517年- )
本願寺家家臣。降伏に伴い姉小路家家臣に。
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率71 |
武勇56 |
知略77 |
政治57 |
義理32 |
足軽B |
騎馬D |
弓D |
鉄砲B |
計略C |
兵器B |
水軍D |
築城D |
内政D |
|
本願寺の坊官。越前一向一揆を指揮。しかし権威を笠に着て威張り散らすため
信望はなく、柴田勝家の討伐軍が攻め寄せると統制が取れず大敗。
上に弱く下に強いクソ坊主。その割に能力評価は結構高いが、やはり二枚看板
とは比べるべくもない。適性はまあまあ優秀。
加賀本願寺代官。武功と権力を嵩に増上して民衆配下より弾劾。
隙を信長に突かれ敗走、記録に後の記述はない。
「敵と味方に嫌がられる程度の能力」
最終更新:2008年05月30日 23:30