○お読みいただく前に
- この話の主な登場人物は京介とあやせです
- 桐乃は留学中という設定です(原作の4巻あたりでしょうか)
- 原作をほとんど読んだことがないため、キャラの設定が多少不安定かもしれません
外からチュンチュンと小鳥の声が聴こえる朝方、俺はまだ夢の中にいた。
昨晩は留学中の桐乃から送られてきたメールを返信するために、何時間もPCとにらめっこをしていた。
―――というのも、メールの内容が……
「外国じゃ何で『星くずういっちメルル』が全然知られていない訳!?」
と、かなり端折ったが、要するにこんな感じのものが長々と綴られたものだったからだ。そっち系のことには疎い俺に一体どんなリアクションを求めてるんだよ……つうか、こういう話題は俺じゃなくて黒猫とか沙織にしろよ……。
中間テストや期末テストよりも遥かに難しい問いを妹から突きつけられ、頭を悩ませているうちに明け方になってしまった。これがもし毎日続いたらあっという間にノイローゼになる自信がある。
「兄さん、朝ですよ、起きてください……」
そんな桐乃からのレクイエムとは正反対に、とても優しい声がどこからか聴こえてくる。
「うっ、うーん……」
でも、今はどうかそっとしておいてください、と思いながら俺は寝返りをうった。
「もう、困りましたね」
ギシッという音が聴こえたかと思うと、背にしていたベッドの端が少し沈んだ。次第に意識がはっきりとしてきて、誰かがいることに気づいたのと同時に、ふわりと甘い香りとともに耳に吐息がかかった。
「遅刻しちゃいますよ、兄さん……」
「んっ……あれっ……あや……せ?」
「はぁ、やっと起きましたね」
振り向くと妹の親友である“新垣あやせ”が目の前にいた。
―――と、あやせは軽くため息をついて俺と目を合わせたかと思うと、お互いの顔が思ったよりも近くにあることに驚いたのか、俺を勢いよく突き飛ばした。
「きゃあ!」
俺はその勢いでベッドの上でひっくり返り、そのまま壁に激突した。うぅ、いてぇ……別の意味でまた眠りに落ちそうだったぞ……。妹には睡眠を削られ、妹の親友には手荒に起こされ、俺ってなんて可哀相な奴なんだろう……。
「おっ、起きたならさっさと支度してください!」
語気を強めてそう言うと、俺から背を向けて焦った様子で部屋を出て行くあやせ。
もちろん支度はするけど、ひっくり返ったこの体を起こしてくれ……おーい……。
家を出てると、いつものように学校へ向かう。と言っても、隣にはあやせもいて、俺と同じ通学路を並んで歩いていた。いまだにこの感じがくすぐったいというか、なんというか、この先もずっと慣れる気がしない。
いつもなら通学路の途中で麻奈実と待ち合わせをして学校へ向かうのだが、そこまではあやせと俺は同じ通学路のため、一緒に登校することになったのだ。もちろんこれは俺の意思ではない。
「今日もいい天気ですね。でも12月に入ってからすっかり寒くなりましたね」
「そっ、そうだな」
いつもならこんな可愛い女の子(しかもモデルをやっているという程の!)と一緒に通学することなんてこれまでに無かったからなんだか気分が良い……あっ、でも女の子だったら麻奈実がいるな。いや、麻奈実のことだって可愛いと思ってるぞ!別に好きとかそういうのじゃないけど。そういう意味では、あやせだって同じだ。
「どうかしたんですか?」
「いっ、いや、なんでもない!なんでもない!」
「……??」
「……はぁ」
―――白い息を吐きながら、俺は一週間前のことを思い返した。
先週も昨日と同じように桐乃からのメールの返事に頭を抱えていると、机の上で携帯が鳴った。見るとあやせからのメールだった。
『突然ですが、明日から桐乃の代わりにお兄さんの妹になりますから、よろしくお願いします』
突然のこと過ぎて、携帯を手にしたまま数分近くトリップしてたけど、冷静になって考えると、きっと桐乃の差しがねに違いないと思った。
あやせから訳を聞くと、どうやら桐乃から『きっと俺が寂しがってるだろうから面倒を見てやってほしい』といった主旨のメールが来たので、親友の頼みならと渋々ながら引き受けたということが分かった。
「別に妹が1人だろうが2人になろうが構わないけど、あいつと一緒に登校したことなんてねーぞ、俺……」
「えっ、なにか言いましたか、兄さん?」
「あっ、あぁ、なんでもねー」
「そうですか?」
「あぁ……」
この“兄さん”という呼ばれ方もこそばゆいようななんとも言えない感じがして嬉しいような照れるようなそんな気分になる。桐乃からは“あんた”とかしか呼ばれてないからな。実の兄に向って“あんた”とは、よく出来た妹だ、まったく。
こんな具合にこれといった会話もなく、寒空の下をとぼとぼ歩いていると、右手に何か温かいものが触れたのを感じた。
「いっ!?」
見るとあやせが俺の右手をそっと握っていた。俺は驚いて素っ頓狂な声をあげてしまった。
「ほんとは…ほんとは死ぬほど嫌ですけど、今は一応、わたしはお兄さんの妹ですから……」
あやせは俺と目を合わせずに、顔を高潮させながら小声で言った。
あやせが俺と桐乃は仲が良いと思っていることは分かってたけど、これじゃあ確実に兄妹の一線を越えてるだろ……!
「普段は“もっとすごいこと”をしてるのは分かってますけど……これが限界ですからね!」
涙目で睨みつけるように俺を見るあやせ。そんなに嫌なら無理するなよ……というか、“もっとすごいこと”ってなんだよ!お前の中で俺達兄妹はどれだけ変態扱いされてるんだよ!本当に思い込みの激しい奴だな。
―――でも、まぁ女の子から手を握られたんだから、こっちも握ってやらないとダメだよな。
きゅっ。
「ちょっ、ちょっと!何するんですか!」
バッシーン!
あやせは急に俺の手を振りほどいたかと思うと、その手で思い切り平手打ちを喰らった。
「いっ、いってえぇぇぇ……!」
「お兄さんから手を握っていいなんて一言も言ってないじゃないですか!警察に突き出しますよ!」
あやせの顔はさらに高潮していた。
「えっ、だって手握ってきたから……」
じんじんする頬に手を当てながら涙目になる俺。いや、正確にはちょっと泣いてるかもしれない……。
「うるさい、変態!わたしに近づくな!」
理不尽な言葉を浴びせると、あやせは走り去って行った。
そういえば、前にも叩かれたことあったよな、あいつに……。
「なんか、いろいろと間違ってないか、これって……」
「お帰りなさい、兄さん」
「あのー、なんで俺の部屋にいるのかな……?」
学校から戻ってくると、部屋の真ん中であやせが正座をして俺を待ちかまえていた。
「今朝のこと、謝ろうと思って……」
「別にいいけどさ……それより、さすがの妹でも自分の部屋でならともかく、兄貴の部屋で帰りを待つなんてことはしないんじゃないか、普通」
「えっ……そっ、そうなんですか?」
これだからお嬢様ってやつは変なところで常識に欠けてたりするから分からないものだ。
「とっ、とにかく、今朝は1人で勝手に先に行っちゃってすいませんでした!」
……おいおい、そっちの方かよ。今思い出してもじんじんしてきそうな俺の頬を引っ叩いたことに対する謝罪じゃないのかよ…ここまでズレてるとは……。
「あっ、あと、兄さんがちゃんと勉強してるのか見なくちゃいけないと思ってきたんです」
もう少しで期末テストが始まる頃だった。進学校の生徒らしく人並みに勉強しているつもりなんだが、なんで中学生にまで心配されなきゃならないんだ?
「あのなぁ、もしかするとおかしな趣味に耽ってばかりいると思ってるかもしれないが、こう見えて勉強はそれなりやってるぞ。そういうお前こそどうなんだ、仕事が大変で勉強が片手間になってたりするんじゃないのか?」
「そんなことは……なくはないんですけど、でっ、でも……」
「なんだよ、やっぱりその通りなんだな。ほら、テキスト出してみろよ」
俺は押入れに片してあった折り畳み式のテーブルを出した。
「だっ、大丈夫ですよ……」
「遠慮するなって。あぁ、そういえば桐乃も心配してたぞ、あやせが私のせいで仕事がもっと忙しくなったんじゃないかって」
「でも……そんな、悪いです」
「悪くなんてねーって。それに、今は¨俺の妹”っていうことになってんだろ、一応」
「あっ……うぅ……」
観念したのか、しぶしぶながら鞄からテキストを何冊か取り出し、テーブルへと積んだ。
「うん、解き方は分かったみたいだな。あとはこの公式を応用した問題をひたすら練習するだけだから」
「はい」
あやせは元々賢いこともあり、要点を捉えるとすぐさま解き方を覚えていった。
「ちょっと休憩するか?」
勉強を始めてから一時間くらい経っていた。
「いえ、大丈夫です」
まぁ、こいつならあとは任せておいても大丈夫だろう。
「そうか、じゃあ、一通り解けたら起こしてくれ、っしょっと」
「えっ、ちょっ、ちょっと…なにしてるんですか?まさか寝る気ですか!?」
「言っただろ、桐乃のお陰寝不足なんだって。じゃあ、あとは頑張ってくれ……。」
そう、我慢してたが、実は死ぬほど眠いんだ、だから今はそっとしておいてくれ……そして、今朝みたく出来れば乱暴じゃなく起こしてくれ……。
かちゃん
ペンがテーブルの上に落ちる音がした。
「―――やっぱり“お兄さん”は嘘つきなんですね……」
「……えっ??」
「だって言ったじゃないですか、わたしを妹にするって」
「えっ、妹……として扱ってるつもりだけど……」
いや、それ以上の扱いをしているぞ、実際のところ。だって、桐乃からは勉強を教えたことなんて一度もなければ、教えを乞われたことすらない。何しろこの実の兄のことを下僕か愚民
くらいにしか見てないからな……。
「違います!」
「何が違うんだよ?」
「……………………」
あれ、何かすごい落ち込んでるように見えるんだけど、気のせいか?
「何か気に障ることしたなら謝るから言ってみてくれよ」
ベッドから半身を起こし、あやせの方に向き直る。
「どうせわたしなんか“偽物”でしかないと思ってるんだ」
あれ、窓の外はまだ明るいのに、すごい暗いオーラが見えるのは気のせいですか、2人目の妹様よ。
あやせはすっと立ち上がると、俺に向かって飛びかかってきた。
「どうせわたしは桐乃の代わりにはなれないんだ!」
馬乗り状態になったあやせに肩を掴まれ、ベッドへ押し倒される俺。あやせを見ると今にも人を殺めそうな目つきで俺を凝視している。やっぱり、おかしなスイッチ入っちゃってるよ……。
「そっ、そんなことねーよ。ちゃんとお前のこと妹として見てるって、たぶん……」
「それはウソ……ウソウソウソウソウソ……ウソ吐かないでよ……。だってよそよそしいじゃない?……私を放って寝ようとしたでしょ?寝ようとしたよね?……なんでわたしにウソ吐くの?」
……なんか前にも同じようなことがあったような……デジャビューってやつか?いや、でもこの恐ろしい感じ、確かに現実での記憶として覚えてるぞ……。
「このままだと、わたし、桐乃との約束を破ることになっちゃう……」
あやせに肩をつかまれると、肩がみしみしと音をたてた。いってぇぇぇ!こいつ、見かけによらず滅茶苦茶力あるんだけど、俺、本当に殺されるんじゃないか……?
「……よくわかんねーけど、ひょっとして構ってほしいのか?」
「…………………っ!」
「お前、一人っ子だし、誰かに構ってもらえるのがすごい嬉しかったんじゃないのか、実は?」
「……そんなこと!」
図星か。なんだ、そんなことか。しかし、こんな可愛いとこもあるんだな、こいつ。
「わかった、じゃあさ、お前の望む兄貴らしい奴になるようにするからさ、お前もしてほしいこととかあるならちゃんと言ってくれよ」
「……分かりました……目をつぶってください」
「えっ?こっ、こうか……?」
ちょっと待て、何をするつもりなんだ。まさかこのまま首に手をかけて絞め殺す気じゃ……。
「……兄さん……」
あやせの声が聞こえたかと思うと、甘い香りが段々と近くなっていく。俺の耳にあやせの長い髪が落ちてきてそっと触れた。
これは、まさか……ちょっと、待て!お前が俺達の兄妹愛がすごいって思ってるのは分かったが、それは誤解だ!あぁ、もうすぐ傍まであやせが来てる……こっ、心の準備が……!
―――ガチャ
「帰ったわよ………!?」
「きっ、桐乃………!?」
ドアが開いたかと思うと、留学中のはずである桐乃が立ち尽くしていた。
「中に誰かいると思ったら、あんた………」
わなわなと震える桐乃。まさか、ここから“姉妹喧嘩”が始まってしまうのか……?
「……私の親友を無理やり“襲わせる”なんてどういうつもりよ!」
えぇーっ!なぜそうなる!?どう見たって俺の方が襲われてるだろ!“襲わせる”ってかなり無理やりな解釈じゃないか、それ!?
「桐乃ぉ………」
涙を流しながら桐野の言葉に同調するかのように泣き声をあげるあやせ。……あぁ、これは仕組まれた罠だったんだな、きっと。
―――結局、あやせとは“兄妹の一線”を越えることなく、このあと、俺は桐乃からの一方的な暴力によって制裁されたのだった。
「もう、妹はこりごりだ……。」
最終更新:2010年11月15日 17:50