羽根あり道化師
http://w.atwiki.jp/vice2rain/
羽根あり道化師
ja
2012-01-06T13:41:27+09:00
1325824887
-
詩
https://w.atwiki.jp/vice2rain/pages/181.html
***詩なんかを掲載してみる場所。
<[[夢に咲く花>夢に咲く花]]>
<[[ジョーカー>ジョーカー]]>
<[[夢を見ましょう>夢を見ましょう]]>
<[[空色>空色]]><[[空色②>空色②]]>
<[[車窓>車窓]]>
気が向いたら増やします。
----
2012-01-06T13:41:27+09:00
1325824887
-
AMANE’S NOVEL
https://w.atwiki.jp/vice2rain/pages/61.html
<[[詩>詩]]>
気が向いたときに書いています。気が向かないと書きません。
----
…誤字・脱字等ありましたら WING NOTE から報告お願いします…
----
2012-01-06T13:35:23+09:00
1325824523
-
仮想シンデレラ
https://w.atwiki.jp/vice2rain/pages/228.html
***仮想シンデレラ
1
「――シンデレラ、これも洗っておいてちょうだい」
「はぁい」
「このドレスの綻びを直しておいて。それから、ブルーのドレス。あれ、もう着ないから処分して。流行遅れだもの」
「はぁい」
「今日は熱いシチューが食べたいわ」
「はぁい」
洗濯かごを、左右の手にひとつずつ。シンデレラと呼ばれた少女は、洗い物が増えた事、姉のドレスがほつれている事と拝借できるドレスがひとつある事、それから夕飯にシチューを作る事を間延びした返事で記憶した。
少女はこの家の娘であるにもかかわらず、父の再婚者とその連れ子の二人の姉によって、家政婦のような生活を余議なくされていた。シンデレラ(はいかぶり)と呼ばれ、アレをしろ、コレをしろとありとあらゆる事を要求される。しかし、そんな事はどうでもいい。
少女は料理が好きだった。掃除も洗濯も裁縫も、少女は楽しんでやっていた。埃ひとつない綺麗な部屋に満足し、笑みを浮かべるのは、父が再婚する前から少女の日課だったのだから。母と二人の姉たちの横柄な物言いさえ割り切ることが出来れば、そこそこに充実した日々なのだ。
しかし、ひとつだけ。『シンデレラ』という呼ばれ方だけはどうにも、好きにはなれなかった。確かに、毎日掃除をしているからエプロンは汚れている。洗ってはいるが、もう落ちなくなっている汚れも少なくない。暖炉掃除をした時などは、その文字通りに灰をかぶる。しかし、何の捻りもないその呼び名はどうにも、好きになれなかった。
“薄墨”とか、“ネズミ”とか、“雨雲”とか、“灰”から連想できる名前は他にはなかったのかしら、と少女は三人の語彙の少なさに、はぁ、とひとつ溜め息を吐いた。
灰色は綺麗な色だし、ネズミも良く見れば可愛い顔をしている。雨雲は重苦しいが、雨が降った後の空気は清々しい。自分を貶めるための呼び名だということは分かっているが、しかしそんな直球では嘆けるものも嘆けない。いやな思いをさせるという目的だけは果たされているが。
毎日は穏やかだ。
良く分からないイベントさえなければ、とても穏やか。
その日の午後、お城からの使いだというひとりの男性が家を訪れた。招待状を、携えて。
何でも王子様の姫君を決めるパーティーを行うのだとか。ああ面倒くさい、と少女はそれを見て思った。
姫君なんて、近隣の国のお姫様の中から選べばいいのに。隣国なんて、確か女ばかりの5人姉妹だったはずだ。なのにどうして、王族でもない家の娘に招待状等持ってくるのか。
自分はともかく、母と姉たちがパーティーに行くという事は、毎日行っている家事に加えて母や姉たちを着飾らせるという大仕事をしなければいけないということだ。仕事増やしやがって、と少女は心中で毒づく。
「貴方も是非、パーティーにいらしてください」
穏やかな笑みを浮かべたお城からの使いは、そんなことを言い出した。なんということだ。
なんて、面倒な!
少女は口には出さず心の中でそう叫んだ。手のかかる子供がもうすでに三人も居るのだ。三人でもう手一杯なのだ。
なのに、その上自分の事までやれというのか! それに、もし過労で倒れでもしたら、一体誰が家事をするのだ。きっと誰もやらない。そうなれば家がすたれるだけだ。
少女は取り敢えず、その場で辞退を申し上げたのだった。
*
「出ればいいじゃないの」
断ったにも関わらず、まぁ考えてみてくださいなどと言われ、その事を姉に話してみたところ、何も問題はないでしょう、とさらりとした一言が返ってきた。
「お城からの招待を無碍にするなんて失礼だもの」
そう言って、にっこりとほほ笑んだ。きっと希望通りの美味しいシチューに満足しているのだろう。銀のスプーンを口に運びながら上機嫌でそう言った。少女の前に、皿はない。味見という名のつまみ食いで十分な量を食べているため、いつも夕飯のときにはものを食べないのだ。
姉の言葉に、少女は確かにそうかもしれないとふぅむと唸る。面倒だという理由だけでお城からの招待を無碍にするのは、確かに、少しばかり失礼にあたるかもしれない。
「でもまぁ、着ていけるドレスがあるなら、の話だけど」
もう一人の姉が、そう言ってくすくすと笑った。
ドレスはあるのだ。
処分しろと言われたドレスは、実は全部取ってあるのだから。それに、少女は裁縫が大の得意だった。流行遅れのドレスを丁寧に分解し、自分の体と流行にぴったりと合うように作り変えたドレスが、何着か手元にある。けれどそれはひとりの時にこっそりと楽しむためだけに作ったものだし、そもそも物を作りかえるという発想を持たない姉たちに見せたところで、作った事など信じては貰えないだろうと思い、誰にも見せてはいなかった。どこから盗んできたのかなどと言われたら、弁解が酷く億劫だ。
「そう、ですよねぇ」
着ていけるドレスがあるのなら、行くべきである。
少女は渋々ながら、パーティーに参加する事に決めた。ああ全く面倒くさいと呟き、溜め息を吐きながら。
2
パーティー当日。
少女は姉に呼ばれ、母に呼ばれ、もうひとりの姉に呼ばれ、また母に呼ばれ、家中を駆け回っていた。
新しいドレスがきついとか、ルビーのブローチは何処にあるのとか、もっと大きな羽飾りはないのとか、レースの手袋を持ってきてとか、このドレスにはどの靴が合うかしらとか、なんでパーティーなんてあるのかしらと思いながらも、少女は要望のひとつひとつに律儀に応えていった。
きついドレスは直し、ジュエリーボックスからルビーのブローチを探し出し、大きな羽飾りを在り合わせのもので作り、レースの手袋を引き出しの奥から引っ張り出し、ローズピンクのドレスには白地に薔薇の刺繍が施されたハイヒールを用意した。
「行ってきまぁーす」
「行ってらっしゃいませー……」
もうすでに疲労困憊である。しかし、これから自分の用意をしなければならないのだ。がんばれ自分、と少女は重い腰を上げた。
まずはシャワーを浴び、汗と埃を落とした。そして、手作りのドレスを着る。淡いブルーとオフホワイトで、レースとフリルをたっぷりと使った品の良い一着である。姉の化粧品を少しばかり拝借して化粧をし、長い金髪はくるりとひとつにまとめて櫛で固定した。この櫛も、処分してと言われたものだ。靴も、姉たちの履き古したものの中から選んだ。
きらきらと硝子のように光る美しい靴。ヒールにも小さな宝石が幾つか散りばめられており、細やかな細工が施された見事な靴だ。確かこれは、サイズが合わなくなって処分となったものだった。姉のお気に入りだったはずだが、何度も履かないうちに小さくなってしまったのだ。残念ですねとその時は言ったけれど、内心、儲け物だと思ったのは少女一人の秘密である。
さて、と少女は思案した。これで身繕いは完璧なのだが、馬車がない事に今更になって気がついた。
……馬で良いか。
少女の思考は単純明快だ。
歩いて行くには、お城は遠い。馬は居る。それも、良く懐いた大人しい子。馬に付ける車はない。ないものは出せない。乗馬は出来る。幼い頃から動物との戯れが好きだったから。
そうなれば、選択肢などありはしない。
自ら馬に乗るだけである。幸い、少女は馬の世話も毎日欠かさずにやっている。馬だって身綺麗なのだ。どこかに引っ掛けたりさえしなければ、ドレスで乗っても問題はないだろう。
そうして、少女は物語の中の勇者よろしく、馬に乗って城へと向かったのだった。
*
「どうだ、素敵な娘は居るか?」
王子は父親――つまり国王の一言に対し酷く迷惑そうな表情を浮かべた。国中の娘を集めてのパーティーを行うなんて、この男は一体何をトチ狂っているのか。確かに、言った。早く結婚しろという父親に辟易し、この国で最も美しい娘ならば結婚しましょうと戯れ半分、断り半分でそう言った。しかしだからと言ってこの暴挙は何事だ。
「コンテストを開くのも案として出ていたのだが、やはり何を美しいとするかは個人によって異なるからな。しっかりと、自分の目で見極めると良い」
上機嫌でいう父親に、そういえばこの人は国王だったんだよなぁ、と諦め混じりの溜め息を吐く。正直、女は面倒くさいのだ。姉も妹もきゃあきゃあ煩いし、近隣諸国の姫君たちなど、化粧臭いわ香水臭いわ煩いわ。しかも自分の事すら自分で出来ないときている。そんな相手など求めてはいないのだ。どこかで張り合いの持てる相手でなければ詰らないではないか。それに、事あるごとに使用人を呼び付けるその姿はいっそ滑稽だ。雇用対策にはなるかもしれないが、決して、嫁に貰おうなどとは思えない。
しかし、これだけの盛大なパーティーを開いておきながら、やっぱり決められませんでしたゴメンナサイでは済まされないだろうということも分かっている王子は、もうひとつ、先程よりも長く深い溜め息を吐いた。
ならば、出来るだけ男友達のようにさっぱりと付き合える女性を探すまでである。さばさばとしていて、自分の事は自分で出来て、きゃあきゃあ甲高い声で騒がなくて、共に乗馬や狩りを楽しめる女性。いっそ、このパーティー自体を面倒だと思っているくらいの人だと理想的だ。
いないだろうなぁ、と呟いた。せめて最初の二つくらいはクリアしている人が良いなぁ、と王子は数段高くなっている自分の席から、集まった女性たちを眺めていた。
「……ん?」
「どうした?」
「……あの子」
指差したその先に居る、ひとりの少女。輝くばかりの美しい娘なのだが、先程から踊るでもなく、誰かと談笑するでもなく、壁際の椅子に座ってひたすらに御馳走を食べている。しかも、酷く退屈そうにして、早く終わればいいのにとでもいうような表情をしている。
澄まして立っていれば、どこの貴族かと噂にもなりそうなのに。
誰もが目を奪われるような可憐な美貌を持っているのに。
しかし良く見れば化粧も薄く、髪型も少々おざなりだ。羽や宝石の飾りでごてごての他の娘たちとは全然違う。
「ああ、あの娘か」
「はい。他の娘たちとはどうにも違うように見えたものですから」
その言葉に、父親はそうだなぁ、と答えた。
「あの娘、自分で馬に乗ってきたからなぁ、従者も何も付けずに。だから腹も減っているのだろう。
なかなか勇ましい娘だそうだぞ。門番が言っていたのだが、馬に乗り、乗馬鞭を振って『パーティーの会場はここですか』と、怖気づくこともなく聞いてきたらしい」
勇ましく乗馬のできる女の子!
なかなかに興味深いぞ、と王子は使用人にオペラグラスを持ってこさせた。そして、その乗馬少女を観察する。
食事を終えたのか、少女は近くを通った使用人を呼びとめ、空になった皿を渡していた。そして、満腹だとでも言うように腹を撫で、椅子の背もたれにくたりと凭れる。しばらくぼぅっとしていたかと思えば、今度は欠伸。
明らかに、少女は異質だった。
「……彼女、面白いな」
「呼ぼうか? ここに」
「いえ、こちらから行きます」
立ち上がった王子の後ろ姿に、変わった娘が好みだったのか、と国王は少しばかりずれた感想を漏らしたのだった。
「――今晩は、レディ。パーティーは楽しんでいますか?」
唐突に、ひとりの男性から話しかけられた少女は、一瞬驚いたように目を見開き、二、三度ぱちぱちと瞬きをした。そして、困ったように少しだけ眉を寄せた。
「……今晩は。……あの、どこかでお会いしましたかしら? 申し訳ないのですが、ちょっと覚えがなくて……」
「……今日のパーティーの主旨は、ご存知ですか?」
少女はわずかに首を傾げ、「王子様のお嫁様探し」と答えた。それに、男性はにこりと笑って頷いた。
「よかった。食事会、とか言われたらどうしようかと思っていたんだ」
その言葉に、少女は再び首を傾げた。
「君の事気に入ったから、声を掛けに来たんだ。向こうで少し、お話しないかい?」
「……はぁ」
事態を上手く把握できていないまま、少女は男性に手を引かれ、別室へと連れて行かれた。
『どこかでお会いしましたかしら? 申し訳ないのですが、ちょっと覚えがなくて……』
少女の台詞に、王子は感動すら覚えていた。
パーティーの主旨は辛うじて理解していたようだが、その主役の顔すら知らずに来ていたとは! 何とも面白い娘だ!
緩みそうになる頬を何とか抑えつつ、王子は少女の手を引いて別室へと移動した。気に入った娘が居た時、ゆっくりと話が出来るように、と国王が気を利かせて造らせた個室である。ブラウンとオフホワイトを基調に、ワインレッドやゴールドの小物を配した豪奢な、けれど落ち着いた部屋である。
「……ここは?」
「王子と姫君候補の面談室」
「王子様は、どちらに居らっしゃるのですか?」
「ここに」
「……貴方が?」
嘘でしょとでも言うように、少女は眉間に皺を寄せ、王子を凝視した。そして、にっこりと笑む王子に対しまた、嘘でしょとでも言うように首を振った。
「信じられないわ。だって、王子様が私を選ぶはずなんてないもの。選ばれるような事してないもの。それに、美しい人はいくらでも居たでしょう?」
それに、ここにだって正直来たくなかったのに。面倒だったから。
「僕は美しい人なんて求めてないんだよね。僕はね、さばさばとしていて、自分の事は自分で出来て、きゃあきゃあ甲高い声で騒がなくて、共に乗馬や狩りを楽しめる女性が良いなって思っていたんだから。君、結構それに当てはまりそうな感じだったからさ」
「あら、まぁ」
なんて面白い人なのかしら、と少女は呟いた。
「君さ、乗馬とか好き?」
「それはもう。あ、でも血は見たくないから狩りはしないわ」
「出来れば自分の事は自分で出来る子がいいなと思っているんだけど。どう?」
「まぁ、出来る方ではないかしら。家事とか、結構好きよ」
「そう、良かった。あと、きゃあきゃあ騒がしい女は好きではないんだけど、君はそうでもなさそうだよね」
「そうね。あまり騒いだら疲れてしまうじゃない」
「……疲れる、ねぇ」
「だってやる事がたくさんあるんだもの。お掃除にお料理、お洋服がほつれたら繕うのも私。母さまや姉さまはアレもコレもと煩いし。いちいち騒いでいたら何も終わらないし、疲れるだけだし。何の意味もないわ」
「嫌ではないの? その生活」
「嫌ではないわ。基本的に家事は好きなのよ。小煩い人たちがいなければ楽にはなるだろうなとは思うけれど」
くすくすと楽しげな声を漏らしながら受けこたえるそのさまはとても可憐で、とても優雅だった。乗馬してパーティーに来るような突拍子もない事をする娘だが、きっと育ちは良いのだろう。もしかしたら、もとは貴族の出なのかもしれない。家では使用人のような生活をしているようだが、ドレスを綺麗に着こなす事も、軽やかに乗馬をする事も、そうでなければなかなかできない事だろう。それに、所作のひとつひとつに品を感じる。にじみ出るような品の良さは、付け焼刃では身に付かない。身に染みついたものだから自然に出すことが出来るのだ。
この人なら、愛することが出来るかもしれない。もちろん、今はまだ愛してなどいない。出会ったばかりなのだから当然だ。しかし、この少女は理想としていた条件にぴったりと当てはまる。しかも美しく、品の良い女性だ。求めていた以上に素晴らしい女性。きっと、彼女以上の人とはもう出会う事は出来ないだろう。
「決めた」
王子はとても楽しそうに、嬉しそうにぱん、と手を叩いて少女に向き直った。
「君さえよければ、僕と結婚してくれないかい?」
「お断りするわ」
にっこりと、少女は辞退した。
「私は別に貴方の事を愛している訳じゃないもの。それに、貴方と結婚なんかしたら母や姉の面倒は一体誰が見ると言うの? 他に使用人を雇ったとしても、あの我儘娘たちを御す事は難しいわよ? それにね、私はもともとこのパーティー自体を面倒だと思っていたの。参加するつもりなんて、さらさらなかったの。これっぽっちもなかったの。姉さまに言われて仕方なく、ここに来ているのだもの。きっと私以外の子の方が貴方のことを想っているだろうし、貴方も自分を想ってくれる人が相手の方が幸せなんじゃないかしら」
「それは困った。僕は別に愛してくれる人とか想ってくれる人を求めている訳じゃないんだよね。それに、他の人は大体が玉の輿狙いの守銭奴たちさ。金と名誉しか求めてないんだから。家族が心配ならうちの優秀な使用人をやるから、その辺は安心してよ。確かにこのパーティーは一応嫁探しなんて名目で開かれているし僕以外はそういう心積もりなんだろうけど、僕としては友達探しっていう感覚の方が強いんだよね。さっぱりすっきり付き合える、一緒に居て楽しいと思えるような友人。化粧と香水の悪臭を撒き散らしながら何も出来ないくせに威張って使用人にアレもコレもと要求しているような女を友人になんてしたくはないんだ。見ていてイライラするような奴なんて、傍に居て欲しくないだろ? その点、君は僕の理想とする友人像にぴったりと当てはまる。君以外の女性なんて考えられないんだけどね」
「――分かった」
少女は意外と押しの強い王子の言葉にこくりと頷く。そして、前向きに検討してみるわ、とほほ笑んだ。
「でも少し、考える時間が欲しいわ。だから、そうね……」
呟いて、少女は美しい靴を脱ぎ、その片方を王子に渡した。
「私を探し出して見せて。片方ずつの靴を持って、これを合わせる事が出来たら、そしたら、ちゃんと返事をするわ」
「分かった」
王子は硝子のように輝く靴を、片方だけ受けとった。そして、君は何を穿いて家に帰るの? と少女に声を掛けた。
「馬小屋に乗馬用のブーツを置いてあるの」
じゃあね、明日の料理の準備をしなくちゃならないから、と少女は笑ってお城を後にした。
時刻はちょうど十二時。
どこかで、鐘の音が高らかに響いていた。
3
あの王子と結婚をしたら。そしたら、私はどうなるのかしら。
少女はキャベツを刻みながら様々な事を考えていた。結婚をしたら、きっと料理も裁縫も私以外の誰かがやるのよね。させてはもらえないのかしら。ああ、でも王子は友人を探していると言っていたし、いくらかは自由にさせてもらえるかしら。お掃除とかもやらせてもらえると嬉しいのだけど。
切った野菜たちを鍋に入れ、煮立たせる。
「……もう少しお塩を入れた方がいいかしら」
味見をし、呟いた。今日の夕食はポトフとチキンのソテー、それからサラダにクロワッサン。バターをたっぷり使って焼き上げたクロワッサンはさくさくふわふわで、味見をしているうちに三つも消費してしまった。もうお腹はいっぱいだ。
少女は何が最善の選択かしら、と小さく唸る。正直なところ、結婚をしたとしても彼を愛することが出来るのかどうかはまだ分からなかった。しかし、良い友人にはなれそうだと、共に乗馬を楽しめる友人が出来るのはとても良いかもしれないと、なんとなく気持ちは揺れ動く。
「……取り敢えず、ご飯だわ」
ポトフもチキンのソテーもサラダもクロワッサンも、どれもとても良い出来だ。今日の料理もしっかりと楽しみ、少女はそれぞれの料理を美しく皿に盛り付けた。
*
「こちらに、この靴の片方を持った方はいらっしゃいませんか?」
王子は各国を回り、靴の持ち主を探していた。しかし、なかなか見つからない。あれから、もう一カ月が経過している。
何かヒントはないかと考えつつ、彼女の言葉に訛りはなかったため、地方は除外し、捜索範囲を狭める。取り敢えず、名前を聞いて置くべきだった、と初歩的なミスに溜め息を吐く。
「……思いの他近場だったりして」
地面に座り込み、呟いた。そしてもう一度溜め息を吐く。
「あら王子様、いらっしゃい」
「……え?」
顔を上げると、そこには探し求めていた一人の少女。
「思ったより、遅かったわねぇ」
「えぇー……」
両手に洗濯かごを持ち、三角巾にエプロン。零れた一房の髪が、太陽に照らされて金色に輝いている。汚れたエプロン姿も麗しい。ああ、一ケ月にも及ぶ苦労の為か、初めて出会った時より何倍も美しく思えるよ。
「洗濯中?」
「ええ。今日は天気が良いから」
絶好のお洗濯日和よ、と少女は満面の笑みを浮かべた。どうやらここは彼女の家の土地らしい。知らないうちに入り込んでしまっていたのか。
「ねぇ、今さら何だけどさあ」
「どうかしました?」
王子は眉を寄せ、少し困ったように笑って見せた。
「名前、教えてよ」
*
「靴は持って来てくれた?」
「もちろん」
少女はくすくすと楽しげに笑いながら、貸して、と手を伸ばした。手渡された靴は相変わらず硝子のような輝きを放っていて、少女は、やっぱりいつ見ても美しいわ、と呟いた。
「私ね、ここではもうずぅーっと、『シンデレラ』って呼ばれているの。本当の名前は、忘れちゃったわ」
片方ずつの靴を揃えると、少女は汚れたエプロンと三角巾を外し、小さな足をそっと靴の中に収める。品良く散りばめられた幾つかの宝石が、きらきらと瞬いた。
「とても美しい名前だったような気もするのだけど、どうしてかしら、思い出せないのよね」
だから名前を教えてほしいと言われても教える事が出来ないのよね、と少女は笑った。
「名前を貰えるなら、貴方と結婚しても良いかなって、思ってる」
どうかしら? と少女は王子を見て笑った。王子は、静かに頷き、ほほ笑んだ。
「今まで、人にも物にも名前なんかつけた事はないから、僕のネーミングセンスには期待しないで欲しいのだけど」
呟き、王子は続けた。
「それでもいいなら、僕と結婚してほしいな」
「『シンデレラ』以外なら何でもいいわ」
互いに顔を見合わせ、にやりと口角を上げる。そして、二人は強く、握手した。
4
その一・炊事、洗濯など家事をさせてくれる事。
その二・共に乗馬などを楽しむ事。
その三・馬の世話をさせてくれる事。
その四・母、姉たちの面倒を見れる使用人を用意する事。
その五・新しい名前を付けてくれる事。
少女が結婚の条件として提示したものは、なんとも、一般家庭の男性が喜びそうな内容だった。王子もすんなりと承諾、問題と思われた母親と二人の姉も、どうにかこうにか宥めすかしてあやして結婚を承諾させた。
「べ、別に寂しくなんかないんだからねっ!」
「あんたを選ぶなんて絶対どこか可笑しいわ。なんなら結婚止めて家に居たっていいのよ?」
「シンデレラが居なくなるのは清々するけど、王子と結婚っていうのは気に食わない! いつでも離婚して戻ってくると良いわ」
揃いも揃ってハンカチで目元を押さえ、子供のように頬を膨らまし、王子を睨みつけるその様は実に微笑ましい。少女が『三人娘』と称するそれは、実に言いえて妙というか、絶妙だった。
斯くして、少女は王子と結婚しお姫様になり、王子は良い友人と良い妻を手に入れた。母親と二人の姉はしばらくの間ぐずぐずといじけていたが、それは三人だけの秘密である。
*
「ねえ、いつになったら名前くれるのよ! ねえ!」
「ちょっと待って、今考えてるから」
何かぶつぶつと呟きながら、王子は手元の本にかじりついていた。王子の手元と周囲には、名付けの為の沢山の本。少女も、遅い、早くしてと急かしながらも、とても楽しそうに微笑んでいた。
少女と王子は、いつもでも、幸せに暮らしましたとさ。
おしまい
----
2010-10-13T16:13:00+09:00
1286953980
-
月夜にワルツを
https://w.atwiki.jp/vice2rain/pages/227.html
***月夜にワルツを
0
彼女はまるで、妖精のようだ。
蝋燭の炎と淡く差し込む月の光で明かりを取る、仄かに暗い部屋。広い室内には、二人しかいない住人で使うには大きすぎるテーブルと、幾つもの椅子。食卓に並ぶのは紅い薔薇。
その空間の中で、僕は愛しい女性を見つめる。そしてほぅとひとつ、感嘆の溜め息を吐いた。
透き通った、今にも消えてしまいそうなほど白くすべらかな肌に、触れれば壊れてしまいそうなほど細く、華奢な身体。絹糸のように光る銀色の髪に、アメジストか何か、宝石を嵌め込んだかのような深い紫の瞳……。
もっとも、とても幻想的な彼女の事を表すには、こんな言葉じゃちっとも足りないのだけど。絹糸も宝石も、彼女を表すには不相応。そんな陳腐な言葉じゃ表し切れないほど、本当であれば何かに例える事など出来ないくらい、彼女に見合う何かなど考えもつかないくらい、美しい。
僕は毎日、彼女の家にある温室から真っ赤な薔薇の花を摘みに行く。一輪一輪、丁寧に。ひとつひとつ棘を取って、彼女に捧げる。紅い薔薇の持つ言葉にわずかに期待し、想いを込めて捧げるのだ。
彼女は毎日その薔薇を見つめ、そして口に運んで行く。僕の想い人は今日も大きな月を見上げ、紅い薔薇を食べる。細く長い指先で一輪一輪摘まみ上げ、口に入れ、飲み下し、そして「足りない、足りない」とまた手を伸ばす。
「……僕の血を吸っても良いんだよ」
自分の首筋をとんとんと指先でたたきながら、僕は彼女に言った。
彼女は吸血鬼だ。
そして僕は、その僕(しもべ)。
僕は彼女の僕として、食料として、この広い屋敷に暮らす事を選んだ。しかし麗しき主はただ静かに首を振るばかりで、自ら望んだ役目を果たさせてはくれない。ネクタイを緩め、シャツのボタンを二つはずし、肌を晒す。そして再び自分の首筋を指先でたたきながら、「どうぞ?」と彼女の前に跪いた。
僕は出来る限り、彼女の傍にあり続けたいと願っている。だから、勧める。聞くところによると、吸血鬼に首筋から血を吸われると、その血を吸われた者も吸血鬼になるのだという。千年の命を持つ、吸血鬼に。
千年の命を持ち、彼女の傍で、永遠とも思えるような長い日々を過ごせたら。嗚呼、そうすることが出来たら一体どれだけ幸せだろう。
けれど、幾ら勧めても彼女はいつも左右に首を振るだけ。困ったような笑みを浮かべて僕の額に唇を当てる。ちゅ、と小さな音を立てて、そんな悲しいことを言わないで、と嘆くように呟くのだ。
「もし貴方を手に掛けたら、私は死ぬまで後悔する。人よりもずっと長い時間、後悔するの。……だから、お願い」
吸血鬼になりたいなんて、思わないで。
口にしなくても、言葉の続きが僕には分かる。悲しくなるくらい、彼女の声が聞こえてくる。
「……そう」
呟いて、僕はスーツのポケットの中から細いナイフを取り出し、自分の指先に傷を付けた。赤い線がゆっくりと滲みだし、ぷくりと、赤い珠が浮かんだ。零れ落ちてしまわないうちにと、僕はその指で彼女の唇をなぞる。
血の気の失せた唇が、僕の血で紅く色づいた。
綺麗な血色の花よりも、きっと僕の血の方がおいしいよ。紅い花も、紅い食べ物も、そんなものはただの気休め。本物の血の方が、僕の血の方が、きっときっとおいしいはずだよ。
「せめて、ここから血を飲んで」
じゃないと、君がまた倒れてしまう。初めて出会った時のように。
ふいと顔を背けようとする彼女の顎を押さえ、僕はもう一度その唇に血のあふれる指を押し付けた。
彼女の唇は何度触れても柔らかく、そしていつでも、少しかさついていた。
1
「――私、吸血鬼なの」
『ユウガオ』と名乗るその小柄な女性は、そう言ってほほ笑んだ。可笑しな名前だと僕は思った。あまり、耳に馴染まない。そう言うと、彼女はわずかに目を伏せて続けた。
「 “a bottle gourd ”の和名なの。だけど“ユウガオ”の方が、響きが綺麗でしょ? ……昔は他の名前だったのだけど、そっちのはどうしても気に入らなくて、だいぶ昔に捨てちゃった」
街から家に帰る途中、近道をしようと入った路地裏で人を拾った。真っ青な唇で、息をしているのが不思議なくらい弱々しく、細い身体を震わせていた。人目を避けるように身体を小さく丸め、倒れていた。
なんだか猫みたいだ。
不謹慎にそんなことを思って、その女性を家に連れ帰りベッドで寝かせた。目を覚ました時、何か食べたいものはあるかと聞いたら彼女は血が飲みたいと言った。良ければ、貴方の血を飲ませて欲しいと。
可笑しな女。
だけど、自分の事なんかどうでもよくて、誰かの為になるのなら自分の血を与えるのも良いかもしれないなんて、そんなことも思った。
だから、僕は果物ナイフで自分の指に傷をつけ、彼女に与えた。
「……綺麗な色」
呟いて、彼女は僕の指を咥えた。傷口を抉るように舌を動かし、歯を食い込ませる。指先の痛みと酷く官能的なその眺めに、僕は思わず喉を鳴らした。
このまま死んでしまっても良いかもしれないな、と思う。血を全部吸われたら、このまま死ねるんだよな、などと考えた。それも、良いかもしれない。
「……本当の名前、」
ああ、でも、一つだけ聞いておこう。僕の命を誰に捧げるのかくらい、聞いても良いだろう。
「ん?」
僕の指から口を離し、彼女はわずかに首を傾げた。
「君の前の名前、聞いても良い?」
「そんな面白い名前じゃないけど」
いいから、と僕は彼女の髪を指で梳いた。
「――リナリア」
言って、彼女は頭の上の僕の手を払った。
「花言葉が、嫌いなの。“幻想 ”という花言葉。何から何まで否定されているような、全てが偽物なんだとでも言われているような気になるから。だから、この名前は嫌い」
綺麗な名前なのに。美しい彼女に、美しい花の名前。しっくりと馴染む、綺麗な名前なのに。もったいないと思いながら、もうひとつ、疑問を投げかける。
「……ユウガオは?」
「安らかな死」
良い名前でしょう? とでも言うように、彼女は笑った。そして僕の服の袖を勝手に上げ、そこに牙を付きたてた。ぢゅっ、と液体をすする音がした。
「足りなかった?」
「全然足りない」
僕の腕を咥えたまま、器用に喋る。
「君はどうして倒れていたの?」
「死にたくて、絶食してた」
「じゃあ、どうして僕の血を吸うの?」
「空腹がつらくて、耐えられなくなったから」
「ふぅん」
静かに頷いて僕は彼女の髪をもう一度梳いた。
「まぁ、そういう日もあるよね」
「うん。そういう日もある」
死にたい日だってあるし、生きたい日だってある。そう言って、彼女は僕の腕から口を離した。
「どうして、死にたかったの?」
「……人間がね、好きなの。無知で愚かで、見ていて飽きない」
「それだけなら、僕は人嫌いになっていると思うけど」
「……そう? でも、好きなの。人の血を吸うことに、どうしてかとても勇気が居るの。本当に貰っていいのだろうか、このまま吸いつくして仕舞っていいのだろうか、この人には守るべき家族が居るのではないだろうか、この人を仲間にしたら私はどうなるのだろうか、この人に恨まれるのではないだろうか、この人の家族に恨まれるのではないだろうか。……そんな風に、色々なことを考えてしまう」
彼女はきっと、とても優しいのだ。その人の人生を考えすぎるあまり、手が出せなくなってしまうのだろう。ああ、なんて愛おしい。
「……いや、人が好き、な訳ではないのかも。自分の身を守る事を考え出すと、何も出来なくなるだけ、かな」
その所為で栄養失調になっていたらただの笑い話だけど。自嘲するように彼女は言った。
「違う、と思う」
心の声が、言葉に出ていた。
「君は、優しすぎるだけだよ。優しすぎて、その人の事を考え過ぎて、手が出せなくなっているんだ」
「ものは言いようね。どんなふうに解釈してくれても構わないけど、貴方は、私が貴方の意見を聞いたからと言って考えを変える訳ではないということも理解しておいた方がいい」
「そうだろうね。でも、言うか言わないかで君の僕に対する見方は少し変わるかもしれないよ? まあ、良い方にも、悪い方にもだけど」
彼女は、一瞬ぽかんと口を開き、可笑しな人ねと言ってくすくすと笑った。私の事を恐れない、見ず知らずの、人では無いものに食事を与え、寝床を与え、話し相手にもなってくれる。普通の人間ではないみたい。そう言って、まっ白な両手で僕の頬をそっと包んだ。
「普通ではない、っていうのは、当たりかもしれない」
「でしょうね」
微笑み、僕を見つめる。深い紫の瞳が、綺麗だと思った。まるで、アメジストか何かをはめ込んだみたいで、とても綺麗で、目を離せなくなった。
「……ねえ、貴方の名前を教えて?」
そう言って、彼女は細い指先で僕の唇をなぞった。それは静かで、とても優しい手付きだった。
†
彼は、『カイ』と名乗った。
癖の強い栗色の髪に、ブルーグレーの瞳。綺麗な弧を描く眉に、常に笑みの形を作る薄い唇。随分と女性的な顔立ちをした人だと思った。それに、彼の穏やかな笑みやテノールの声は、とても心地がいい。
彼は少し前までピアニストとして活動していたらしい。言われてその指先を見てみると、なるほどと思うような、ピアニストらしい、長くてしなやかな指をしていた。まだ若いのに、今は辞めてしまったのかと聞けば、彼は手に怪我をして弾けなくなったんだ、と答えた。
「そこそこにね、有名にはなっていたんだよ。“ザントマン”なんて呼ばれて」
「ザントマン?」
「眠りの妖精。僕の弾くピアノを聴くと、どうも眠たくなるみたい」
それは喜ばしい事なのかと問うと、彼はそれなりに、と答えた。
「前にね、不眠症の王様の為にピアノを弾いてくれないかって依頼が来たことがあるんだ。弾いたら、王様は眠ってくれたよ。とても気持ちよさそうに」
じゃあ、ピアノを辞めてしまったのは残念ねと声を掛けると、彼は実はそうでもないんだと答えた。
訳がわからない。
「元々、ピアノなんかどうでも良かったんだ。生活の術として考えられるものの中でピアノが一番手っ取り早かった。簡単なんだ、指の運びを覚えるだけ。指の運びを考えるだけ。ただ指を動かすだけだから、誰かに何かを与えようとして弾いている訳ではないから」
だからきっと、皆眠たくなるんだろうね、と彼は笑った。
「良く分からないのだけど」
「ようするにさ、ピアニストって職業に何の未練もないのさ。だから腕に怪我をした時、何の躊躇いもなく『じゃあピアノは辞めよう』って考えられたんだ。躊躇いなく指に傷をつけられるんだ。もとより、僕のピアノをちゃんと聞いている人なんていない訳だしね」
何せ僕はザントマンだからね。そう言って、彼は笑った。不思議なくらい、綺麗な笑みを浮かべていた。
「美しすぎるものは理解されるのに時間が掛かるもの。眠りを誘う貴方のピアノも、そういう類のものだったのかもしれない」
「分からないよ。僕は自分のピアノを聴く側に回ったことなんかないんだから」
可笑しな人。
だけど、とても寂しそうに言葉を紡ぐ人。
霞んだ空色の瞳が、とても穏やかに微笑んでいた。
「……そうね」
霞んだ空色の瞳がとても穏やかに微笑んでいて、今にも雨が降りそうだと、そう思った。
「貴方の血、とても美味しい」
「それは良かった」
「また御馳走になりに来ても良い?」
「いつでもどうぞ」
こうして、私たちの関係が始まった。
2
「――彼女は僕の主だよ」
ユウガオが僕の家に来るようになってから、友人たちに綺麗な人を見つけたなと言われるようになった。
恋人か? いや、違うな。友人かい? それも、違う。ならば、何? 決まっている。僕の、主さ。
友人たちは僕を見て、顔を見合わせ帰っていく。ん? 彼ら、『友人』なのかな? 取り敢えず一緒に居る事は多いけど、別に一緒に居なくても良いし、居ても居なくてもという感じだけど。まぁ、そんなことはどうでも良い。
取り敢えず、僕たちの関係を表す言葉として一番しっくりと来るのは、『主』と、『僕(しもべ)』。
主の居ない生活? 無理だ。考えられない。彼女が僕の所に来た時、僕はとても幸せなのだ。それこそ、彼女のためならば生きてもいいとさえ思えるほどに。
彼女との時間。それはまるで精神を雁字搦(がんじがら)めにされているようで、繋がれているようで、とても心地がいい。彼女が来るたび腕に残していく傷跡が、僕を甘美な世界に連れて行ってくれる。
ああ、僕はあまりにも、彼女に囚われ過ぎている。
「――じゃあ、お前の主はわざわざお前の為に此処まで来ているのかい?」
僕と彼女の関係を聞いて、そう言った男が居た。確かに。これは、可笑しい、かな? まぁ、仕方ない。僕は彼女が何処に住んでいるのかも何をしているのかも知らないのだから。彼女は僕に、何も教えてはくれないのだから。僕が聞かないからかもしれないが、なんとなく、そういう話は彼女から聞きたい。
彼女は月に二、三回ほどの頻度で僕の家に来る。いつもげっそりとやつれて、今にも死にそうな顔をして。また何も食べないでいたんだな、と僕は毎回無言のまま彼女の頬を撫で、自分の腕を差し出すのだ。
「……カイは、とても綺麗な血をしている」
「美味しいの?」
「とても」
僕の腕に牙を突き刺したまま、彼女は器用に話す。
時折、ぢゅっ、という音と共に血を吸い上げ、零れ落ちそうになった血を真っ赤な舌でべろりとなめ上げる。彼女の食事風景は酷く官能的で、僕はいつも喉を鳴らしてしまう。
「ねえ、ユウガオ?」
「ん?」
血を啜りながら、僕を見た。
「僕を、君の所に連れて行ってくれないかい?」
†
『主』と、『僕』。
多分、これが私たちの関係を表す言葉として、一番適切なものだろうと思う。
綺麗な血、美味しい血。悲しい瞳、柔らかな髪。
私は、彼に囚われ過ぎている。ああ、こんなにも愛しいと思ったのは何時振りだろう。何年も、何百年も、忘れていた。
小動物を捕まえて血を飲んでも、最近は身体が受け付けない。この間も一度、人を襲って血を飲んでみたけれど、その場で吐き出してしまった。
かつて、この血を吸うという行為は人との主従契約であった。人を仲間として引き込み、僕として降(くだ)す為の行為であった。ああ、きっと、結んでしまったのだ。彼との主従契約を。選んでしまったのだ、彼の僕として降る事を。
「――ねえ、ユウガオ?」
静かに紡がれる頭上の声に、私は小さく呻いて返事を返した。
「僕を、君の所に連れて行ってくれないかい?」
ああ、そんな、断れるわけがないのに。貴方の言葉を、主の言葉を、どうして断る事が出来ようか。主と共に在る事を許されたこの喜び。断ること等、出来るわけがない。
「……もちろん」
「良かった」
心底安心したような声に、私は彼の腕から口を離し、その頬に口付をした。私が貴方を拒む訳がない。その想いをこめて、口付をした。
3
僕とユウガオの生活が始まった。
僕は毎日三回、温室へ真っ赤な薔薇の花を摘みに行く。血は飲みたくないと、毎日ぐずる主の為に。真っ赤な薔薇。綺麗な血の色だと、彼女は笑う。
真っ赤なものを、彼女は次々と口に運ぶ。
気休めだと言いながら、これで生きていくことが出来ればいいのにと笑う。ヴァンパイアには、血液が必要だ。どうしてなのか良く分からないが、人の血液からでなければ栄養を摂取できないのだという。なのに、彼女は要らないという。極力、別なもので補おうとする。夕食の時、僕は彼女にこう問いかけた。
「どうして、血を拒むの? 生きるのに必要なものなら、受け入れないと」
「……そうね。人が私と同じ形の生き物でなければ受け入れられたかもしれない」
囁くように紡がれる言葉に、僕は少しだけ眉を寄せた。
「今まで、君はどうしていたの? これまで生きていたなら、血を飲んできたということだろう?」
「その辺で兎や何かを捕まえてきて血を吸ってた。……でも、やっぱり人の血でないと身体が持たないから、たまに人を襲って、少しだけ血を貰っていたの。薬で眠らせて、腕とかからね」
首筋からじゃ、人ではなくなってしまうから。
そう続けて、彼女は薔薇の花をもう一輪口に運ぶ。花弁が一枚、ひらりと落ちた。僕はそれを拾い上げ、自分の口に運んでみる。不味い。
「やっぱり、僕の血を飲みなよ」
いっそ、喰らい尽くしてくれればいいのに。血も肉も、この身体全部、何もかも貪り尽くして、一緒にしてくれればいいのに。そんな事を思いながら、僕は自分の首筋を人差し指でとんとんと叩く。
「あまり吸いすぎると貴方が死んでしまう。……他の人のはもう、身体が受け付けないのに」
その呟きに、思わず笑ってしまった。
まるで、貴方がいなければ生きられないとでも言われているようで、酷く依存的な告白を受けているようで、思わず、笑ってしまった。
彼女は“食料”として僕を見ているだけなのに。
依存しているのは僕なのに。
腕に残る傷跡を見る度、腕に増える傷跡を見る度、癒えていく傷跡を見る度、その度にここから離れられなくなっている。
腕の傷跡は、彼女との関係を証明するもの。増えた傷跡は、彼女との関係が増えた証。癒えていく傷跡は、ここが現実の世界であると証明するもの。
全部ぜんぶ、僕のもの。
想う度、ここから離れられなくなっている。
まあ、もともと離れる気なんかないけれど。
「ねえ、カイ?」
綺麗なソプラノの声。それに、何? と一言答える。
「……」
「……ユウガオ?」
僕の名を呼んだきり、彼女は黙る。だから、彼女の名を呼んでみた。ユウガオ、……ユウガオ?
二度、三度。でも、彼女はただ左右に首を振った。そして、何でもないと微笑んだ。
†
「ねえ、カイ?」
「何?」
柔らかに笑む彼の目に、一瞬見惚れた。
「……ユウガオ?」
言葉が、出てこなかった。二度、三度、彼は私の名を呼ぶ。穏やかなテノール。優しい声に、私は目を閉じて左右に首を振った。
……この人は、知っているのだろうか。私がどれだけの年月を生きてきたのか。いや、知らないだろう。教えていないのだから、当然だ。
私はもう、何百年も生きてきた。
なのに、彼は私と同じになりたいと言う。ああ、彼は分かっているのだろうか。もし私と同じになったら、私が死んだ後、何百年もひとりで生きなければいけないのだということを。
人の生と比べたら、私はまだ、とても長い年月を生きる事が出来る。だけど、吸血鬼としての命はもう半分以上が終わっているのだ。
ああ、早く、気付いてくれればいいのに。一言、聞いてくれればいいのに。
薔薇を口に運びながら、ただひたすらに彼を想う。
想っても、考えても空しいだけなのに。
私は何百年も生きてきた。何百年も生きて、色々な物を見てきた。色々な事を知った。色々な事をした。
なのに、何も出来ない。
私は今までどうやって生きてきたのだろう。
たったひとりの人間に、私はこんなにも囚われている。彼が死んだら、私は一体どうやって生きていくのだろう。
「……ユウガオ?」
頬に、ひやりとした手のひらが添えられた。彼の手は、気持ちいい。その手に自分の手を添えると、彼は目を細め、細い眉をわずかに寄せた。
「泣いているように見えた」
優しい瞳は、相変わらず。何かあった? と心彼は配そうに首をかしげる。
「何でもない」
彼の目を見ている事が出来なかった。だから彼の手を振り払い、窓の外に視線をそらす。まぁるい月が、空に居た。
「……なんて、綺麗」
「月?」
無言で、頷く。
だけど、あまりにも綺麗で、綺麗過ぎて、なんだか、耐えられなくなった。彼の目も、空の月も、見ていると狂ってしまいそう。ねえ、今にも壊れてしまいそう。崩れてしまいそう。
「――ユウガオ」
その声に、ゆるりと彼を見る。
「ピアノの、レコードがあるんだ。一緒に聞かない?」
静かに、頷いた。
優しい瞳も、優しい声も、相変わらず。だけどやっぱり直視することは出来なくて、私の視線は彼のスーツの胸元辺りを行き来する。ふわふわと焦点の定まらない視線。彼は私の髪を二、三度撫でて、ちょっと待っててねと部屋を後にした。
その後ろ姿にでさえ、私はぼんやりと、見惚れていた。
4
軽やかな、三拍子。
旧式の蓄音機から、たまに音の飛ぶワルツが流れる。
「この曲は?」
「僕が作曲したものだよ。なかなか綺麗でしょ?」
柔らかに歌う蓄音機に目を向け、私は無言のまま頷く。とても、綺麗な曲。子守唄のような柔らかさを持った、穏やかで優しい曲。
「……今にも、眠りに落ちてしまいそう」
「そう? これでも、明るい感じに作ったはずなんだけど」
違う、と私は左右に首を振った。
「退屈だとか、そういうのではないの。ただ……この曲を聴いていると、とても落ち着く。すごく、綺麗」
それは良かった、と彼はにこりと笑った。今までに見たことがないくらい、華やかな笑み。ああ、やっぱり彼はピアノを愛していたんだと、目を閉じて耳を傾ける。
「……ユウガオの為なら、ピアノを弾いても良かったかもしれないな」
「弾いてくれるの?」
「指さえ、うまく動けばね」
ああ、そうか。怪我をして弾けなくなったんだっけ。日常生活に支障はないらしいけど、なんて惜しい。こんなに綺麗な旋律は、誰にも真似は出来ないだろうに。……そうだ。
「ねえ、ワルツは踊れる?」
彼は曖昧に微笑んで、一応、と小さく答える。そして、あまり得意ではないのだけど、と困ったように付け足した。
「構わない。私と、踊ってくれる? ……何かで気を紛らわせていないと、今にも狂ってしまいそうなの」
静かに、頷いてくれた。彼はテーブルに残る薔薇の花を二輪手に取ると、一輪を私の髪に挿し、もう一輪を自分の胸ポケットに挿した。そしてその場に跪き、私の右手の甲にそっと唇をあてた。
「僕でよければ、いくらでもお相手いたしましょう」
†
音の飛ぶワルツに、時折つまずくステップ。それはとても滑稽で、とても愉快なものだった。
「……どうしてか、」
唐突に、彼女はそう言って息を吐いた。僕の不器用なステップをリードするように動きながら、わずかに目を伏せる。
「満月の夜はとても心細くなる」
「吸血鬼としての本能じゃない? ほら、狼男が満月の夜に覚醒するような、そういう感じの」
「そうなのかな。……うん、そうなの、かもしれない」
異形としての、本能。
そう呟いて、頷く。
「……とても綺麗な、本能だよね」
そう言うと、彼女はわずかに首を傾げた。急に動きが緩慢になるものだから、またつまずきそうになってしまった。彼女は足を止め、僕を見上げた。音楽だけが、変わらずに流れ続けている。
「……綺麗?」
「月の明かりはとても美しいだろう? 曖昧で、透明で、密やかで、なのに華やかで、心地良く光ってる」
月明かりは魔の力を高める、なんて言われて敬遠されていたりもするけれど、多分それは間違いだ。ただ人が、その美しさに気付いていないだけ。もしくは、その美しさに恐れているだけ。
そして、異形(かの)の(じ)者(ょ)たちは月の明かりに魅せられている。きっと、月に手が届かない事を嘆いているのだ。
「ねえユウガオ、僕が居るよ。心細く感じる必要なんて、何もないんだ。……僕が、傍に居るんだから」
抱きしめると、その細い体は今にも折れてしまいそうだった。何かの病気か何かなのではと疑いたくなるほど、あまりにも頼りない身体だった。
……吸血鬼(なかま)にしてくれれば、ずっと一緒に居られるのに。いや、それとも人でなければ、彼女の食料として在り続ける事すら叶わないのだろうか。
ねえ、ユウガオ?
君は僕の事をどう思っているの?
僕の事をどう考えているの?
ねえ……。
「……ユウガオ」
小さく細い身体を抱きしめ、僕は呟く。それは幼い子供の願望か、それともただのひとり言か。
「君の傍に居るには、僕はどうしたらいいのかな」
彼女はきっと、答えたりはしないだろう。
†
「――君の傍に居るには、僕はどうしたらいいのかな」
私を抱きしめ、彼はそう言った。
疑問の形は取らず、ただの呟きのようにも聞こえる言葉。……私の、傍に居るには? ああ、なんて酔狂な。本当、可笑しな人。私の傍に居たところで、幸せになどなれないのに。
「私の、傍に居るには……?」
彼の言葉を繰り返して、私はもう一度口を開いた。
「……じゃあ、生きて」
「……え?」
彼の腕の中から離れ、私は静かにその目を覗いた。
「私の傍にいたいなら、人のまま、長く、長く生きて。出来る限り、ずっと、長く生きていて。そうしたら私は、自分の意思で生き続ける。貴方の傍に居る事が出来る」
彼は目を細め、そう、と囁くように言うと、胸の薔薇を抜き取り私に差出してきた。
「……リナリア(・・・・)」
それは、捨てたはずの名前。
……どうして?
どうして、その名で私を呼ぶの?
「ねえ、リナリア。どうか、受け取って。……この薔薇が、僕の想いだから」
彼の言葉に、私は一歩後退りした。その名前は、『幻想』の花は、偽物も否定も嫌いだと、前に話したはずなのに。
「……どうして、その名で私を呼ぶの? やめて、どうか、私は……私は、『幻想』なんていらないのに!」
「リナリア」
手を、掴まれた。
彼はワルツの続きを求めるように優しく、けれど力強く私の右手を掴んだ。……逃げられない。振りほどこうにも、紡がれる言葉すべてが悲痛に響いて、動けなくなる。
「『私の想いを知ってください』」
カイは、そう言った。
「僕も、幻想なんか要らない。偽物も否定も、要らない。欲しいのはリナリアだけなんだ! だからどうか……受け取って」
紅い薔薇の花言葉は、『愛情』。そして、『貴方に尽くします』。
差し出された、紅い薔薇。甘く匂い立つ綺麗な花弁。
「『安らかな死』も、今は要らない。僕たちは今、ここに居るんだから……」
泣きそうな声で紡がれる言葉。ああ、どうして。悲しい響きが、私を捉えて離さない。離してくれない。
ああ。なんて愛しい。
私も真っ赤な薔薇を彼に捧げ、そして、その花にそっと手を伸ばした。
5
『私の想いを知ってください』
リナリアの、もう一つの花言葉。
祈りのようなその言葉が、とても綺麗だと思った。
愛されているのだと、感じた。
愛しても良いのだと感じた。
そして、生きたくなった。
なにもかも、あの人の所為。死ねなくなったのも、生きたくなったのも、全部、あの人の所為だ。
人の命は短すぎる。
吸血鬼の命は長すぎる。
ああ、なんて厄介なのだろう。それを知りながら生き続ける事を選んでしまうなんて。
真っ赤な血と、真っ赤な薔薇。
静かな狂気と、依存関係。
アメジストの瞳と、傷だらけの腕。
軽やかなワルツと、覚束ないステップ。
手を取り合い、腰に手を回し、見つめ合い、古い蓄音器から流れるピアノにターンとステップ。
くるくる、くるり。
貴方のために、いつまでも回り続けよう。
――この命、果てるまで。
----
多分そのうち書きなおす。多分。
----
2010-05-30T23:11:07+09:00
1275228667
-
どこからか、羽音
https://w.atwiki.jp/vice2rain/pages/222.html
***どこからか、羽音
[[序章>どこからか、羽音 序章]]
[[第一章 出会い<①>>出会い①]] [[<②>>出会い②]]
[[第二章 『例えば』の話<①>>『例えば』の話①]]
----
2010-04-24T23:18:24+09:00
1272118704
-
出会い②
https://w.atwiki.jp/vice2rain/pages/225.html
あたしとヘザーの、奇妙な共同生活が始まった。
別段、何が変わったというわけではない。ただガレットがヘザーになったというだけ。それはとても大きな変化のようにも見えるけれど、実際、その生活に大した違いは出て来なかった。
リトル・レディに尻尾で鼻先をくすぐられて体を起こすと、ヘザーは「お早う」と言って目を細めて笑い、コーヒーを淹れてくれた。
湯気の立つコーヒーの芳ばしい香りは、あたしの頭と視界をすっきりと覚醒させてくれる。香り高いこのコーヒーはとっても美味しいのに、ヘザーはあんな苦いものなんか飲めないと言ってココアを飲んでいた。
…いや、飲もうとしていた、という方が正確だろうか。ヘザーはまだ、ココアにふうふうと息を吹きかけている。そして時折口を付け、すぐにカップを離してまた息を吹きかける。そう言えば、あたしもこのくらいの歳のときはまだコーヒーが飲めなかった。こういうところは子供らしくて可愛いのに、とあたしは思う。
あたしは二人分の朝食を作り、ヘザーの向かいに座って頂きますと手を合わせた。ヘザーは身長が足りないらしく、椅子にクッションを置き、その上にちょこんと正座をしている。メニューはベーコンエッグとトースト、昨日の夜の残りのスープに、サラダ。リトル・レディにはキャット・フードと水をあげた。
朝食を終えてシャワーを浴び、キャミソールとボクサーパンツだけというだらしない恰好で室内をうろつくあたしに、ヘザーはなんて恰好してんだ、と少し顔を赤らめてバスタオルを投げつけてきた。どうやら早く服を着ろということらしい。
そういえば、こういうことをすると、ガレットも早く服を着ろと顔を真っ赤にしながら喚いていたっけ。あたしの裸くらい見慣れているだろうに、彼はそう言うところだけは妙に初々しい反応をするのだ。なんだか懐かしいな。
あたしははいはい、とヘザーに適当な返事をし、柔らかな猫っ毛を撫で回してからジーンズとTシャツを身に着けた。肩に掛かる髪をドライヤーで乾かして、梳かしながら手早く首の後ろで一つにまとめる。いつも通りの薄い化粧をし、以前ガレットに買ってもらったビーズ飾りのついたピンで前髪を止めた。このピンはあたしのお気に入りだ。
そして、オードランジュヴェルトをハンカチに振りかけた。肌が弱くて、直接は付けられないから。
何一つ、変わらない。
ただ、ガレットがヘザーになっただけ。それだけのこと。
「じゃあ、学校行ってくるね。あ、後、今日はバイトだから帰るの少し遅くなるから」
「ああ、行ってらっしゃい。気を付けてな」
優しい笑みを浮かべ、へザーはひらひらと手を振った。
あたしはちょっとだけ笑って手を振り返し、スニーカーの靴ひもをきゅっと結び直して外へ出た。空はすっきりと澄んでいて、気持ちがいい。一本の飛行機雲が、すーっと空を分断している。真っ白な線は長く、どこまでも続いていく。
「……あ」
玄関の扉を閉めて鍵を掛けてから、初めて一つの大きな変化に気がついた。
「働き手……」
家賃を折半してくれる人がいなくなった。
ガレットはもう働いていて、食費などはすべてガレットが出してくれていた。あたしが自分で払っているのは学費と、家賃の三分の一だけ。残ったバイト代は自由に使っていいよとガレットは言ってくれていた。それだけでもかなりの額にはなるが、バイトを二つ掛け持ちしているあたしにとっては、あまり大きな出費にはならなかった。
だけど、今の状況はちょっと、……いや、かなり苦しい。
食費は少し少なくなるだろうけど、食事をする人数は変わらないのだから大した違いではない。今は一家の大黒柱が働きに行けなくなったのと同じような状態だ。困ったな、とあたしは頭を掻く。少し、バイトを増やしたりした方がいいだろうか。何にせよ、今まで通りとはいかないだろう。
あたしはバスで行くのを止め、自転車に跨った。
「……この変化は、ちょっと痛いな」
呟いて、勢いよく自転車のペダルを踏み込んだ。
----
[[第二章 『例えば』の話<①>>『例えば』の話①]]
----
2010-04-24T23:17:15+09:00
1272118635
-
『例えば』の話①
https://w.atwiki.jp/vice2rain/pages/226.html
***『例えば』の話
0
強きを挫き弱きを助ける? 馬鹿馬鹿しい。強い者が『悪』で弱い者が『善』だなんて、一体どこの誰が決めたんだ?
1
例えば、満員電車の中の耐え難い香水の臭い。
そんな感じの世界で、俺は生きている。自分でも変な例えだとは思う。だけどきっと、俺にはこれ以上にしっくりとくる表現は見つけられないだろう。匂いは、強すぎると臭いに変わる。それに四方を囲まれたらと考えて欲しい。移動の為の手段であるそれが、苦痛の小箱となる。
そこは耐え難いけれどあからさまに嫌な顔をすることもできず、面と向かって文句を言うこともできず、ただじっと耐えるしかないという苦行さながらの狭い空間。
ここは、そんな世界だ。
「おはよ、ガル。なあ、お前、もうすぐ任務だよな?」
「お早う」
軽い調子で聞いてきた同僚、アスカ・バルザックは俺の顔を覗き込み、わずかに口角を上げた。一言だけそっけなく返し、俺は書類の整理を続ける。
「その任務なんだけど、僕も行くことになったから。お知らせ」
「……了解」
アスカは整った顔立ちの、女顔の男だ。
もうすぐ三十路だというのに女装をして街に行き、声を掛けてきた男をからかって遊ぶのが楽しいのだという、性格と根性と趣味の悪い奴である。どうでも良いから早く落ち着けと説教したくなる。この男は浮足立つどころかふわふわと浮きっぱなしで、苛々するくらい落ち着きがない。
『このつぶらな瞳にたくさんの男が騙されるんだ。むさ苦しい男たちの落胆した顔を見るのはとても快感だよ』などと嘯いていたこともあったか。
一七〇センチにも満たない彼は細身で、まるで東洋人のように童顔だ。その所為か、まだ二十歳くらいにも見える。下手をしたら、まだ十代と間違われることすらあるかもしれない。
彼から時折聞かされる、『化粧をしてにっこり微笑んでみたりとかしたら、その辺の女の子なんか目じゃないよ』という言葉も、きっと嘘ではないのだろう。幸いなことに、俺はまだその女装姿を見たことはない。不可思議な思考の持ち主ばかりが集まるこの職場に居るアスカが、仕事場に女装で来ないだけの分別を持っていることに俺はひそかに感謝する。男にしてはかなり長い、セミロングの髪を二つに結んでいたり編んでいたりすることも稀(まれ)にあるが、それはまぁ、許容範囲内だろう。
しかし、何にせよこれが先輩なのだと思うと若干不愉快になる。敬語を使おうとかそういう思考は、出会って一週間でなくなった。ああ、こいつとの任務か。なんだか、厄介者を押し付けられた気分だ。
書類の整理を黙々と続ける俺に、アスカは不思議そうに首を傾げた。
「そんな雑用なんか自分でやることないじゃん。下っ端にやらせようよー。使える奴くらいいくらでもいるでしょー?」
「俺はこういう事務仕事の方が性に合っているんだ。任務とか、正直行きたくない」
「あははっ、何それ。我らの『アテナ』様がよく言うよ」
ギリシャ神話か。
最高神ゼウスの頭から生まれたという、知恵と戦の女神アテナ。そんな勇ましい神に例えられるほど、俺は大層な人間じゃない。睨みつけると、アスカは何を思ったのかにこりと笑って俺の頭に顎を乗せた。
「『アテナ』様が嫌なら『ニケ』様でも良いよ? アテナを勝利に導く有翼の女神様。…ああ、もしかしたらガルにはニケの方が合っているかもしれないね。サポートとかの方が得意だもんね。――でもさ、ガルだってある程度覚悟をしてこっちに移動してきたんでしょ? そういう文句は胸の内に潜めておかなくっちゃ」
苛々する。この男は俺に何を求めている? 訳が分からない。一体何を言いたいんだ。どうしてだろう、この男は浮ついている。へらへらと、にやにやと、何かを企んでいるような笑顔が酷く不愉快だ。
「……まだ何か用があるのか? 書類の整理が終わったら明日の準備をしないといけないんだ。早めに終わらせてくれ。それから、喋るたびに顎が刺さる。そこに頭を乗せている間は口を開くな」
「つれないねぇ。僕だってちょっとくらい浮いた話題が欲しいんだよ」
俺の頭の上から肩の上に顔を置く場所を変え、アスカはそう言った。
「そこらの女にでも声掛けてみろよ。お前くらい綺麗な顔だったら着いてくる女なんかいくらでもいるだろ」
そうだね、とアスカはまるで無垢な少女のように笑って俺に抱きついてきた。
まったく、これが本当に可愛らしい女性の抱擁ならばどれほどいいだろう。それなら頬にキスのひとつくらい返してやるのに。なのにどうしてこいつなんだ、と俺は少し眉を寄せる。
何が楽しくてやっているのかは分からないが、とにかく不快だ。不愉快だ。失せろ、と肩の上の端整な顔に裏拳を入れる。アスカはへびゃぁっと妙な声を出すと、顔を押えてうずくまった。
「生憎だが、俺に男色の気はない」
「知ってる。僕だって男なんか願い下げだよ、むさ苦しいし、汗臭いし。……ところで、もう話はしたの?」
「何の?」
アスカの鼻が少し赤くなっていた。若干、目が潤んでいる。この男は自分も男だということに気付いているのだろうか。すべての男がむさ苦しくて汗臭いというのなら、当然その中に自分も含まれているはずなのだが。まあ、こいつの事だから自分は特別だと考えているのは聞くまでもないが。
「この仕事のコト。彼女さんには言ったの?」
まだ鼻の頭をさすりながらアスカは言った。俺はわずかに目を伏せ、自嘲するように口角を上げた。
「……今のところ、俺は警察ってことになってるよ。…そうだな。死んだら、幽霊にでもなって自分で伝えに行くさ」
「その冗談、全然面白くないよ。でも、“警察”かぁ。当たらずも遠からずってカンジだねぇ。……でもまぁ、警察の機関の一つなのは確かだから…一応、ウソではないの、かな。それにしても、ホント律義だよねぇ、ガルは。必ずしもウソとは言えないようなウソを吐くんだから。健気だね、彼女には心配かけたくないんだ」
「…だから?」
「ガルは優しいねぇ。君の彼女は幸せもんだねぇ、そんなに愛されて」
僕もそのくらい愛してくれる可愛い恋人が欲しーなー、とアスカは床にへたりと座り込み、ぱたぱたとまるで駄々っ子のように足をばたつかせる。そんな馬鹿なことをやっているうちは絶対に無理だろう、と俺は口には出さず心中で呟く。
「いつかは話してやりなよ。そういう態度は、場合によっては相手を余計に不安にさせるんだから」
「…守秘義務があるだろう? まぁ、死人には課されないだろうが」
「守秘義務? そんなもの、愛の前には無意味だよ。僕だったら彼女にだけは伝えるよ。で、言いふらさないようにって言い含めるけど」
要はさ、会社にバレなきゃいいんだ。
アスカはそう言って狡賢そうな目をそっと細めた。
正直にすべてを語るのもどうかと思うけれど。そんなにペラペラ喋っていたら、話さないでいるよりも更に心配させる結果になるんじゃないか? …そりゃあ、俺だっていつかは話してやらなければとは思っている。だけど、彼女を汚したくないんだ。彼女は俺の、博愛の花だから。
「彼女にはこんな世界があるなんてこと教えたくないんだ。こんな薄汚れた世界のことなんて、知らないでいて欲しいんだ。……ここは、汚れ過ぎているから」
知らなくても良い。知らないでいる方が良いことだってあるんだ。何も知らないでいる方が、きっと、ずっと気楽に、幸せに生きられる。…それだったら話さないでいる方が、偽りを語り続ける方がいいんじゃないか?
「何も語らずに死んじゃったりしたら、お前、絶対に後悔するよ? ……いや、違うな。お前はそれで良いかもしれない。だけど彼女さんの方はきっと、何も知らずにお前が死んだりしたら悔やんでも悔やみきれないだろうと思うよ」
「縁起でもないことを言うなよ。お前の軽口は何故か本当になるんだから、そういうことを口走るのは止めてくれ」
お前が言うと、本当になりそうで怖いんだ。
「そんなの、ここの職場じゃ別に珍しいことでもないでしょ? 今月だって、もう二人殉職してるじゃん」
そういえば、その片方はアスカに『死にそうな顔してるね』などとからかわれていたっけ。ああ全く、本当に縁起でもない。この仕事は生と死の狭間にあるのだ。いつでも、真っ黒な死神がうろついている。
「いい加減、彼女さんの事信じてあげなよ。こういうことは、大切な人にこそ話してあげるべきだよ」
信じてるさ。彼女がどんな人より気丈なことも知ってる。だけど、怖いんだ。
「それに、嘘っていうのはいつかはバレるもんだよ。絶対にね」
正直に言って失望されたらどうする。
あいつの幻想を壊してしまったらどうする。
あいつが滅多なことじゃ泣かないということくらい俺だって知っているさ。だけど、もし泣かれたら? 真実を語って、もし泣かれてしまったら。そしたら、俺は一体どうしたら良いんだ?
俺はあいつの泣き顔なんか見たくない。俺は常に、“正義の味方”でいなければいけないんだ。例え彼女が、俺の過去を知っていたとしても。彼女はいつも、過去ではなく今を見ている。だから俺は、彼女を心配させちゃいけないんだ。
「じゃあね、お説教はこのくらいにしておく。後でコーヒー奢ってやるよ」
俺の思考を読み取ったみたいに、ぽんぽんと俺の肩を叩き、慰めるような声でアスカはそう言った。俺がコーヒーを飲めないことを知っているクセに。
「おい」
「ん? なぁに?」
細身の背に投げた言葉に、アスカはにっと笑って振り返った。
「コーヒーなんてあんな苦いもん飲めるか。奢ってもらうならココアだ」
「いーよ。甘~いココアにお砂糖とクリームもたーっぷり追加してやるよ。ちゃんと全部飲めよー?」
きっと飽和状態を通り過ぎたじゃりじゃりしたココアを飲まされるな。
吹き出してしまいそうなほど甘い、まるで罰ゲームのようなココア。あの人はそういう訳の分からないところでよく分からない嫌がらせをしてくるから。
『――ガレット・コールマン、ガレット・コールマン。至急、会議室まで来て下さい。繰り返します。ガレット・コールマン、ガレット…』
社内放送だ。
ああ、行かないと。
----
2010-04-24T23:16:27+09:00
1272118587
-
ショートショート
https://w.atwiki.jp/vice2rain/pages/185.html
***ショートショート
<[[演劇部>演劇部ショートショート]]>
とある高校の演劇部。実力はあるが真面目さは皆無です。
+ + +
<[[ティアドロップ>ティアドロップ]]>
一つの題名でいくつの小説が造れるか挑戦してみる。
+ + +
<[[ひねくれ童話解釈>ひねくれ童話解釈]]>
とにかくひねくれた見方をしてみようとしている。こんな子供は可愛くない。
+ + +
<[[日常を記す>日常を記す]]>
これで『にっき』と読んで欲しい。
+ + +
<[[善意の殺人者>善意の殺人者]]>
誰も死なないよ?
+ + +
<[[鳥籠の鳥>鳥籠の鳥]]>
鳥じゃないけども。
+ + +
<[[手紙>手紙]]>
少し懐かしいお話。
+ + +
<[[約束>約束]]>
静かに狂っています。
+ + +
<[[Mad Hatter>Mad Hatter]]>
いかれ帽子屋。学際冊子に載せたお話。
----
増えたり増えなかったりします。
----
2010-03-24T17:21:26+09:00
1269418886
-
出会い①
https://w.atwiki.jp/vice2rain/pages/224.html
0
どこからか、羽音がした。
1
彼の帰りを待っていた。
いつもと同じように、彼との家の、彼との部屋で。あたしの足元を、チャコールグレーの猫がうろうろと歩きまわっている。我が家の小さな飼い猫――リトル・レディは退屈そうにうにゃあと鳴いた。
ソファーに座ってテーブルの上のリモコンを手に取り、なんとなくテレビを付ける。面白い番組なんて何にもやってなくて、あたしは次々とボタンを押し、チャンネルを変えていく。そして最後に、ニュース番組にチャンネルを合わせてリモコンをテーブルに戻し、ソファーの背もたれにくたりともたれ掛かった。
明日の天気や、どこか遠く離れたところで起きた事件なんかを何度も繰り返し、怠惰に流し続けている退屈なニュースを見るともなしにぼんやりと眺めながら、あたしは二人掛けのソファーにだらしなく座っていた。
「レディ、くすぐったいわ」
長い尻尾であたしの足をふわふわと撫でながら歩き回るリトル・レディを抱き上げ、膝の上に乗せた。リトル・レディは嬉しそうに、あたしの頬をひとつぺろりと舐めた。この子はもともと、捨て猫だった。彼と二人で出掛けた時になぜだか着いて来てしまい、そのまま家で飼うことになったのだ。
しばらくの間は彼から離れようとしなかったのだけど、最近ではあたしにも懐いてくれるようになってきた。この子の種類は分からないけど、毛足が長くて人懐っこいところとかは、少しソマリに似ているかもしれない。
リトル・レディの背を二、三度撫でて、もう一度テレビに視線を向ける。見慣れたアナウンサーのお兄さんが、どこそこでこんな事件が起きましたと至極真面目な顔をして言う。ニュースというのは、何故こんなにも同じ内容ばかりを流すのだろうか。今朝にも見たはずのニュースを、どういう訳かあたしはまた眺めている。
「…?」
ふわりと、香る。……香水?
「――君の恋人、亡くなったよ」
無防備だった。
柔らかなソファーに身を委ねていたせいで、その声に反応するのが少し遅れてしまった。だぁれ? とあたしはワンテンポ遅れた返事をして、振り返る。そこに居たのは青い瞳の少年だった。
……この香りは、オードランジュヴェルト?
シトラスやミントの甘さを秘めた、清涼感のある爽やかな香りがかすかに鼻腔をくすぐる。リトル・レディもその香りを感じ取ったのか、どこか楽しげにうにゃあと鳴いた。
「…誰なの?」
「誰でも良いじゃん。そんなことより、君、“エリカ”だよね?」
この少年はどうして、あたしの名前を知っているのだろうか。……いや、そんなことよりもまず、この少年はどうやってこの家の中に入って来たのだろうか。
あたしはソファーから立ち上がり、取り敢えず玄関と窓の鍵を確認した。ここは八階建てのマンションの五階だし、玄関の鍵も窓の鍵もきちんと閉めてある。物音だって何もしなかったはず。鍵も持たずに、ここに入れる訳がないのに。
あたしは一つの答えを導き出して、一か八かと穏やかな笑みを浮かべる少年に一つ問いかけてみた。
「……どうして、あたしの前に現われたの?」
こんな突拍子もない質問に、彼は何ということもなく口を開いた。
「『どこから入って来たの』じゃないんだ。面白いね」
あはは、と少年は楽しげに声を漏らす。
楽しげに笑うその反応に、ならばこの答えは正しかったのか、とあたしは少し嬉しくなって少年を見た。子供らしい無邪気な笑顔に、あたしは少しだけ警戒を解いた。悪い人ではなさそうだから。
その瞳は、まるで澄んだ湖の色を映したかのような綺麗な青。ファウンテン・ブルーの瞳は小波一つ立ちはしない。端整な顔立ちに映える淡い青が、酷く目を引く。少年がリトル・レディを馴れた手つきで抱き上げると、リトル・レディは一つ、少年に頬ずりをした。人見知りをする子なのに、とあたしは少し驚いた。
「それじゃあエリカは、俺が何なのかもう分かってるんだ?」
「何かは、だけね。どこの誰なのかは知らないけど」
珍しいこともあるものねと言うと、少年はそうだねと頷いた。
少年の柔らかなテノールの声は聞いていてとても心地が良い。子供特有の甲高い声ではなく、落ち着いた男性の声と言ってもいいだろう。けれど、それは十歳に満たないであろう少年の姿からは酷くかけ離れていて、不自然だった。
あたしはソファーにゆっくりと腰を降ろし、少年に隣に座るよう勧めた。無言でぽんぽんとあたしの隣の位置を叩くと、彼は素直に頷き、リトル・レディを抱いたままソファーに座った。ふわふわと跳ねる茶色の猫っ毛。柔らかそうなそれに、あたしはそっと触れてみた。見た目通りの感触に、あたしは少しだけ目を細める。
「……エリカさぁ、俺が最初に言ったことちゃんと聞いてた? それが、俺がここに来た理由なんだけど」
「さあ。ガレットが死んだとか言っていたような気がするけど?」
「ああ。俺の話、ちゃんと聞いていたんだね。良かった。俺はね、エリカにそれを伝えに来たんだ」
ガレットというのは、あたしの恋人の名前。甘い甘いパイの名前を持つ彼は、本当に甘くて優しい人。その優しさはすべてのものに向いているものだから、あたしは時々嫉妬してしまうのだった。
以前、彼と買い物に出掛けた時、彼は何かにつまずいて転んだ女の人を抱え上げ、擦り剥いた膝に絆創膏を貼ってやり、そしてさらにおまじないですと言ってその上にキスをしたのだ。それも、あたしの目の前で。問い詰めると、彼はきょとんとしてあれくらい普通でしょ、と笑った。
リトル・レディの時もそうだった。ガレットの後をふらふらと着いて来る痩せこけた子猫に気が付くと、彼はその小さな体を抱き上げて、誰もがクラリと眩暈を起こしてしまいそうなほど爽やかな笑顔を浮かべてこう言ったのだ。
『――帰るところがないのかい、小さなお嬢さん(リトル・レディ)?』
リトル・レディもきっと、その笑顔に眩暈を起こしたのだろう。ここに来てからしばらくの間は、追い出してやろうかと思うくらい彼にべったりだった。彼の横にちょこんと座ってごろごろと甘えるリトル・レディを捕まえ、そこはあたしの場所なのよと諭した回数は片手の指ではもう足りないくらいだ。
彼は本当に、甘い甘いパイのような人なのだ。ちっぽけな猫でさえ落としてしまう、無自覚な女ったらし。
「それで、愛しい人が亡くなったと聞いたご感想は?」
「別に。目を開けたまま寝言を言うことができる人もいるのねっていう新鮮な驚きを感じただけよ」
「あははっ。まぁ、すぐには信じられないよね。だけど冗談でも寝言でもないよ。俺は、ホントのことしか言ってないからね」
「そう、不思議ね。君の存在は信じられるのに」
クッションを抱きしめ、目を閉じた。
「彼は死んでなんかいないわ」
「どうしてそう言い切れるの? 人間なんて、すごく脆い生き物なんだよ。どんなに健康な人でもどんなに強い人でも、いつ死んだって可笑しくない。……俺も、君の恋人も、エリカだってそうだよ。今ここで、いきなり死んでしまったとしても何ら不思議なことじゃないのに」
「……来週、あたしの誕生日なの。二十二歳になる。彼、言ったもの。『特別な日にしてあげるね』って」
「ふぅん。それで、エリカは何を頼んだの? ガラスの靴? それとも、千匹皮の金の指輪かな?」
左右に揺れるリトル・レディの長い尻尾を目で追いながら退屈そうに言う少年に、なんだか少し苛ついた。
少年の人を小馬鹿にしたような口調や表情は、酷く癪に障る。あたしは思い切り少年を睨みつけた。少年はそれに気が付いていないように、リトル・レディの尻尾を掴んでは放しを繰り返しながら続けた。
「馬鹿だね。人の生死には約束なんてものは関係ないんだよ。そんなもの、バットエンドの童話くらい不自然だ。そもそも、未来を確定させようとするその行為自体が間違っているんだから。…人間ってさ、不安定なものとか不確定なものが近くにあると落ち着かなくなる生き物なんだよ。だから無意識のうちにそれをどうにかしようとするんだ。取り除くか、むりやり確定させるか、何らかの方法でね。そして、その確定させる方法のひとつが“約束”という行為。それ自体が酷く空虚で曖昧で不確かなものであるにも関わらず、それで未来が確定されたって錯覚して、安心するんだ。あははっ、愚かしいよね、人間ってさ!」
「何よ、それ……っ」
一度怒鳴りつけてやろうかと、少年の肩を掴んだ。けれど少年は今までと何も変わらない穏やかな表情であたしを見続けている。そして、饒舌に語る。
「…一つ、いいことを教えてあげるよ。
『約束』って言うのはね、自分を安心させる為にするものなんだよ。自分の世界は今と過去だけで構成されている訳じゃない、自分たちにはこれからの人生が、未来があるんだ、…ってさ。言葉によって未来を確定させることで、その自分の理想とする未来が確実にそこに存在するものなんだって思い込むために。
皆、自分の未来は誰かと共有できて、確実に楽しいものになるって思いたいし、信じたいんだ。たとえそれが、どんなに空虚で曖昧なものだったとしてもね。……だから人はいつも、誰かと『約束』をするんだ」
…なんて悲しいことを言うのだろう。
思って、その静かに紡がれる言葉にあたしは動きを止めた。
――彼は、正しいことしか言っていない。
ガレットの生死に関する事はともかく、彼の言っていることは正しい。『約束』は、あくまでも予定であって確実な未来ではない。百%のものなんて、存在しない。完璧ではないのだ。あたしは少年の華奢な肩からゆっくりと手を離した。頭の奥の方が、すぅっと冷めていくのを感じた。
『約束』の在り方は、よく考えると酷く不自然だ。
……本当に、どうしてこんな簡単なことに今まで気付くことが出来なかったのだろう。
未来なんて、確定出来るものではないのに。
「……君って、本当に嫌だ。憎たらしい」
「どうして?」
オードランジュヴェルトの香り。
……ああ。これは彼が、あたしに贈ってくれた香りだ。
感情に任せて怒鳴りつけてやりたいけれど、もうどこをどう攻めればいいのかも分からない。甘い香りが、少年の静かな目が、あたしにブレーキを掛ける。
「瞳の色がね、ガレットと同じなのよ。綺麗なファウンテン・ブルー。顔立ちも、少し似てるかな。…怒る気失せる」
はぁと一つ溜め息を吐き、こちょこちょとリトル・レディの喉元を撫でている少年の頭にデコピンをした。パチンっと、小気味良い音がした。
「いってェ! 何だよ、何すんだよ!」
「八当たりのデコピンよ。…そんなことより、君の名前、教えてくれない? 君が何者なのかとかそういうことには別に興味ないから、偽名でも何でもいいのだけど」
少年は何だよそれ、と不貞腐れたように言った。まだ痛そうに額を撫でている。
そういえば最近爪を切っていなかったな、とあたしは爪の伸びた指先を見た。確かに、この指でデコピンをされたら相当痛いだろう。後でちゃんと切っておかないと。
「一緒に居る時間が少しでもある以上、取り敢えず便宜上名前が必要になるじゃない。呼びたい時に名前も知らないんじゃ、とても不便だわ。いつまでも『君』って呼ぶ訳にもいかないし、変じゃない。それに『おい』とか『お前』なんて呼びたくないしね。そんな呼び方されるの、君だって嫌でしょう?」
あたしはガレットと結婚し、『お前』『あなた』で呼び合いながら仲睦まじくつつましく暮らすのが夢なのだ。こんな得体のしれない少年とそんな仲良し夫婦みたいなことはしたくない。
少年はあたしの顔をちらと見て、つんと唇を尖らせた。年相応のその表情に、思いがけず笑いが込み上げてきて、あたしはクスリと声を漏らした。少年はなんだようと小さくぼやく。
「…で、名前は?」
「……それじゃあ、“ヘザー”って呼んでよ」
「変な名前」
「なら呼ばなくても良いよ」
不服そうに口を尖らせる様子はとても可愛らしい。冗談よ、とあたしは悪戯っぽく笑って見せた。
「ヘザー、ね。良い名前だわ。気に入った」
あたしはヘザーの頭から手を離し、立ち上がった。そしてくうっと一つ、伸びをした。
「お茶入れるけど、飲む?」
「…お茶よりココアが良い」
「了解」
言うと、すっごく甘いやつね、と付け足してあたしを見た。あたしはもう一度了解、と笑んだ。
「お砂糖、いくつ入れる?」
「三つ」
「三つも? まるでこども……」
――子供みたいね。
言い掛けて、相手が本当に子供なのだと思い至った。
見たところ、十歳にも満たないように思う。…いや、実年齢までは知らないが、何故だか子供の相手をしている気にならないのだ。どこかが違う。これは…、そう。“子供”ではなく“子供っぽい人”を相手にしているような感じ。“子供っぽい”、大人の人。
一歩引いて付き合うことのできる大人でありながら、子供のような無邪気な表情を見せる人。
まさかね。
ただきっと、この子が少し大人びているだけ。
雪平鍋で牛乳を温めながら、食器棚からガレットを一緒に使っているお揃いのマグカップを取り出し、ココアの粉末を入れた。ココアの粉っぽさが残らないよう、温めた牛乳を少しずつ入れ、掻き混ぜる。時間を掛けて作ったココアは、ふんわりと柔らかな香りを放ち、鼻腔をくすぐる。
「へザー、できたよ」
「ありがとう」
落ち着いたテノールの声は、やはりヘザーの見た目には酷く不似合いだ。けれど、湯気の立つココアにふうふうと息を吹きかけている姿は年相応で、違和感がある。もしこれが可愛らしいボーイソプラノの声とかだったらここまで違和感はなかっただろうし、大人びているとも思わなかったのかもしれない。
そう思いながら、ヘザーを眺めて一口、ココアを飲んだ。
猫舌なのだろうか。ヘザーは少しだけマグカップに口を着けたが、すぐに口から離し、再び息を吹き掛け始めた。
「ヘザーって不思議ね」
「何が?」
「本当に死んでいるのはあたしの方だったりしない?」
ヘザーはくすりと笑ってあたしを見た。
「エリカは生きているよ」
「…それも、“ホントのこと”しか言ってないのよね?」
「俺はウソなんか吐かないよ。口を閉ざすことはあってもね」
あたしはどうして、こんなにも穏やかなのだろう。子供は苦手だったはずなのに。どうしてヘザーが相手だとこんなにも穏やかな気持ちになれるのだろうか。分かるような気はするけれど、なんだかはっきりしなくて、曖昧な感じだ。
本当に、なんて不思議な人なのだろう。
あたしはもう一口ココアを飲んだ。
「……ガレット、帰ってこないね。遅くなるなら電話してくれればいいのに」
「彼は死んだんだよ。帰っては来ない」
「…まだ、信じない」
気弱な笑みを浮かべることのない彼の姿を見るまでは、決して、信じない。
「まだ、信じたくないわ」
困ったような笑みを浮かべることのない彼の姿を見るまでは、幻想の中にいたい。まだ、幻想の中に居させて。
もう考えることを放棄したくて、あたしはヘザーの髪を撫でた。
なんだようとあたしの手を払い除けようとするその動きは、どことなく小動物じみていて可愛らしい。そういえばガレットは動物に好かれる人だったな、と何となく懐かしくなって、あたしはもう一度ヘザーの頭を撫で回した。
「エリカ」
「何?」
ヘザーは程よく冷めたココアを一気に飲み干すと、ずい、と空になったマグカップをあたしの手に押し付けてきた。
「ココア、お代り」
「…はいはい」
空になったマグカップを受け取り、あたしはまたキッチンへと向かった。リトル・レディはヘザーの膝の上から飛び降り、その後を追って行く。
「――どうして気付かないかなぁ」
エリカの後ろ姿にヘザーはぽつりと呟いた。
自分だけに聞こえるように。
----
[[②へ>出会い②]]
----
2010-03-24T17:20:12+09:00
1269418812
-
どこからか、羽音 序章
https://w.atwiki.jp/vice2rain/pages/223.html
序章
「――例えばさ、」
情事のあと、眠りの中に居たあたしは彼の声にうっすらと目を開いた。
背中に、彼の体温を感じた。カーテン越しに部屋を照らす白い光に、あたしはわずかに目を細める。目覚まし時計で時間を確認すると、短針はまだ四を指していた。
こんなに早い時間から体を起こすつもりなどない。そう思って、あたしは無言のままもぞもぞと体を動かした。外気に晒していた腕を布団に中に隠すと、彼はそれを横目で確認して微笑み、静かに目を閉じて続けた。
薄闇の中の、優しく囁くような声。頬を撫でるような吐息。安心する。なんて心地よい声だろう。
「例えば、俺が死んだらどうする?」
なんて質問をするのだろう、とあたしは寝返りを打って彼の方を向いた。そして彼の頬にそっと触れ、どうするだろうねと淡白に答える。
幼いころからの、少し低い抑揚のない声。
いつも可愛げがないと言われていた単調なあたしの口調を、彼だけは落ち着いた良い声だと言ってくれた。穏やかで聞いていて心地がいいと。
あたしは生まれて初めて、自分の声を、口調を褒められた。
「……あなたが死んだら、か。そんなの考えたこともなかったわ。あなたが死んだら、あたしはどうなるのかしら」
少し考えて、あたしはまた口を開く。
「…きっとね、どうもしないと思う。普通にお葬式に出て、涙も見せないなんて随分と薄情な彼女だなって誰かに陰口叩かれて、それから、いつも通りの生活に戻るんだと思う。……多分ね」
今までだって他人(ひと)のお葬式で泣いたことなんて一度もないもの、とあたしは続けた。友人との別れも、大切にしていたものが壊れても、ごく身近な人が亡くなったときでさえ、あたしは決して涙を見せることはなかった。
幼いころから、あたしは本当に泣かない子だった。
怒られても叩かれても、何をされても泣かないものだから、あんたの目には涙腺がないんじゃないの、などと言われたこともある。それも、嫌悪に満ちた口調で。けれど彼だけは、そんなあたしのことを気丈だねと言ってくれた。それは心の強い証拠だと。
あたしは生まれて初めて、この淡白な性格を褒められた。
「……あたしが死んだら?」
ぽつりと、あたしは言った。
「もしあたしが死んだら、そしたら、あなたはどうする?」
彼はあたしと同じように、どうするだろうねと言って笑った。
いつもと同じ、気の弱い、困ったような笑み。あたしは彼の、この軟弱な表情が好きだった。どこまでも穏やかで、静かで、優しい人。程よく筋肉の付いた腕であたしを抱きしめて、彼は答えた。
「そんなの、その時になってみないと分からないよ。
…だけど多分、ロミオのように自ら君の後を追うんだと思うよ。…まぁ、ロミオのは勘違いだったわけだけど。ジュリエットも可哀そうだよね、恋人の早とちりのせいで自ら死を選ぶことになってしまうんだから」
あの話はあんまり好きじゃないんだけどね、と一言続けて、口を閉じる。
あたしも、あの物語はあまり好きじゃない。あれは悲しくなるくらい、救いようのない物語だから。モンタギュー家もキャピュレット家も、ロミオもジュリエットも、好きじゃない。あの二人は確かに愛し合っていたかもしれないけれど、酷く愚かだった。きっと、恋に落ちるにはあまりにも幼かったのだ。
…ああ、夜の空気が、まだかすかに残っているような気がする。なんだか、彼の甘い声に酔ってしまいそうだった。彼の香りに埋もれてしまいたくて、あたしは彼の胸にわずかにすり寄った。
とくん、とくん。
彼の規則的な心臓の音があたしの頬を撫でる。
あまりの心地良さに、うとうととまた目を閉じてしまいそうになる。彼の音はどうやら、あたしの子守唄にもなるらしい。
「……あたしが、死に際に『生きていて欲しい』って言ったら?」
あたしの頭を撫で、彼は少し迷うように唸り、もう一度どうするだろうねと呟いた。
「それじゃあ、君の死体を冷蔵庫の中に入れて毎日話しかけるよ」
そうしたら生きていけるんじゃないかな、などと笑顔で嘯く彼に、あたしは少し呆れの混じる笑みを向けた。
「まるで変質者だわ。ねえ、知ってる? 死体遺棄って犯罪なのよ」
「どうして人間の死体だと『保存』って言葉は使われないんだろうね」
直球で投げたボールを変化球で投げ返してくる彼に、あたしはふふっと笑った。そしてもう一つだけ、質問をした。
「それじゃあ、もしあたしがあなたに『死ね』って言ったら、どうする?」
彼は笑ったまま、躊躇いなく答える。
「死ぬよ。きっと、その言葉のままに死ぬんだと思う。最後に、君に深いキスをせがんで、熱い抱擁を求めて、犯して、殺して、君の血をすべて飲みほして、そしてそれから、自殺する。
…それか、君の手で直接殺してもらうのも良いかもしれないね。俺は生も死も、すべてを君にゆだねるよ。君のためだったらきっと、惜しむことなく命を落とせる」
答えて、なんて話をしているんだろうねとあたしを抱く腕にきゅっと力を入れた。これじゃあ本当にただの変質者だよね、などと言いながら。
直接に伝わってくる彼の体温。
なんて気だるい、情事の後。
「話を始めたのはあなたよ」
「そうだったね」
そうやって、かすかな狂気の中で共に笑い合ったのは二週間ほど前のこと。
彼は、死んだ。殺されたのだ。
深い深い闇の中に、彼は堕とされた。
愛しい人のいない世界は、時間は、まるで色彩を失ってしまったようで酷く空虚。音声のない、古くて退屈なモノクロの映画の中みたいだった。
彼と入れ替わりに現れたのは見知らぬ少年だった。
ファウンテン・ブルーの瞳が美しい、小柄な少年。
あたしと言葉を交わすよりも早く、彼は静かにこう言った。
『――君の恋人、亡くなったよ』
愛しい愛しい彼の死を、伝えに来たのは青い瞳の饒舌な少年。
あたしは信じることを拒み続けた。
信じる必要性を、感じなかった。
だから拒んだ。
いつまでも、彼は死んだと続ける少年に苛立ちながら。
けれど少年の纏う香水の甘い香りに、あたしはいつもふわふわと、くらくらと揺らいでいた。
まるで、不安定な器になみなみと入れられた液体のように。足元の覚束ない、生まれたばかりの幼子のように。
甘い香りに酔いしれ、あたしは今にも零れてしまいそうだった。
それは、とても身近なものだったから。
『俺はホントのコトしか言わないよ』
そう言う彼の言葉は、酷く静かで穏やかだった。
----
[[第一章 出会い①へ>出会い①]]
----
2010-02-21T23:47:44+09:00
1266763664