【悪魔と全ての始まり】

 

 

 

 時は深夜。周囲を満たすは静寂、ただそれのみ。

 場所は、古びた木造校舎。おそらくは廃校となったのであろうその屋上に、二人の男女の姿があった。

 女の名は、クレア・フィルド。その姿を称する言葉はただ一つ、月夜の麗人。透き通るような白い肌、全てを見通すような青い目。腰まで届く黒い髪。生半可なモデルなど足元にも及ばない整った顔立ち。一度微笑めば、どんな男でも虜になるだろう、そんな女性。

 しかし、彼女の口は真一文字にきつく結ばれたままだ。その視線の先に居るのは、一人の男。

 男の名は、ブラッド・ヴォルフ。その肌はクレアよりも更に白く、美しい銀色の髪が月に照らされて妖しく光る。白色人種特有の青い目に、すらりとした長身。厳しい顔をしたクレアとは対照的に、僅かな微笑みを浮かべて立つその姿は優美と称する他無かった。

 しかし、男はただの人間ではなかった。男も女も、何もかもを惹きつけるような妖しい魅力。姿を現しながらも、人間なら発するはずの気配を全て消し去るその能力。そしてなにより、その背中に生えた一対の翼。月に照らされても尚漆黒を保つその翼は、男がどんなモノであるかを、克明に表している。

 ――それは、昼の世界に住めぬモノ。闇の世界に生きるモノ。生き血を飲み、肉を食らい、破壊と暴虐に生き、狂気に染まったモノ。それはすでに人ではない。輪廻の理から外れた、存在してはいけないモノ。人はそれを、畏怖と羨望に満ちた声でこう呼ぶのである。

――【悪魔】と。

 

 

 

Guten abend、ミス・フェルド。随分と懐かしい気がするよ。会うのは何日ぶりかな?」

 微笑む男と、睨む女。まるで時が止まってしまったかのような奇妙な沈黙は、唐突に放たれた男の一言で崩れ去る。

「あれから今日でちょうど100日ね・・・・・・ようやく、追い詰めたわよ」

 喉の奥から搾り出すように、時をはらんだ声を発するクレア。その言葉が終わると同時に、彼女のコートが翻る。

「・・・・・・やれやれ、物騒だな」

 コートの中から取り出されたものを見て、ブラッドは小さなため息をつく。

「やけに余裕ね。これを食らっても、そんな口を聞いてられるかしら?」

 その手に握られているのは、一挺の拳銃。それも、大の男が扱うような巨大な軍用拳銃だった。

「マウザーC96とはこれまたアンティークな代物を・・・・・・君ほどの人物なら、もっといい得物がいくらでも手に入るだろうに」

「人の趣味に口を出さないでくれるかしら?それに・・・・・・威力は十分よ」

 瞬間、夜空に響く轟音。音は衝撃波となって空気中に拡散し、弾丸は音速の壁を用意に超えて悪魔へと食らいつく。

音速以上の速度で飛行する物体を、発射を確認してから避けることはまず不可能。故に、弾丸は悪魔の脳髄に突き刺さり、炸裂し、掻き回し、その存在を滅する。普通ならば、そうだった。

「いきなり撃つとは・・・・・・その短気な性格さえ何とかなれば文句無しなんだけどね」

 引き金を引いた瞬間、霧のように掻き消えたブラッド。そして、聞こえてくる声は背後からのもの。

 馬鹿な。それが、彼女の心に浮かんだ言葉だった。

「・・・・・・余計なお世話よ。大人しく地獄に逝ってなさい」

 一瞬浮かんだ驚愕を心の中に押し込め、彼女は振り返る。同時に、銃口を彼の心臓へ。

「全く、少しはその性格を直した方がいいと思うよ。そんなんじゃ、いつまで経っても男が出来ない」

 右手が、途中で押さえつけられている。彼の手が軽く掴んでいるだけなのに、クレアの手はまるで万力に握りつぶされそうな痛みを訴えていた。

「でも、その美しさは三ヶ月前と変わりないみたいだ。今宵は満月。まさに、月下の麗人と言うべきかな」

 呟くその顔からは、微笑が絶えることは無い。最初に出会ったときもそうだった。

 どんなに追い詰めようが、その微笑みは失われない。数十人で包囲して全身に銃弾を浴びせた時でさえ、この男は笑っていた。まるで、狂っているかのように。

 いや、もうとっくに狂っているのだろう。人間を捨て、悪魔になったときから、彼の狂気に満ちた歩みは始まっているのだ。

「僕は美しいものが好きだ。人であれ、モノであれ。美しいものを自分の色に染めたいんだ。そして、そんな僕の思いは今君に集約されている」

 右腕を押さえつけたまま、ブラッドは声高に演説する。そのまま芝居がかった仕草でクレアの顎に手を伸ばし、僅かに持ち上げる。

「・・・・・・口説いてるつもり?」

「ああ、そう思ってくれて結構だ。月並みなお誘いで悪いが・・・・・・僕と一緒に来ないか?こういってはなんだが、君の欲しい物なら何でも用意する自信がある。悪くは無いと思ううが?」

 欲しいもの、か。確かに、この男なら大抵のものを用意できるだろう。最初にこいつと出会ってから、ずっとその存在を追っていたクレアにはそのことが容易に理解できた。

 だが、今一番欲しいものだけはこの男には提供できまい。彼女が今欲しいもの。それは、彼自身の命なのだから。

「それは魅力的なお誘いですこと。じゃあ、是非いただくことにするわ――あなたの命を」

 言い終えると同時に、左手を僅かに振り上げる。その衝撃で、仕込んでおいた物は掌へと落下する。きつくそれを握り締め、クレアはタイミングを計る。

「それは厳しい注文だ。他のものなら、何でもそろえる自信があるんだけどな」

 予想済みとでも言いだけに笑い、それを持つクレアの左腕を押さえつける。

「小細工は通用しない。それ位、分かっていると思ってたんだけどね」

 ミシリ、と。骨のきしむ音がした。

「うっ・・・・・・」

 とても、耐えられる痛みではない。掌から急速に力が抜け、持っていたそれはゆっくり地面に落ちる。

「きれいなガラス球だ。何をするつもりだったのか知らないが、次からはもう少しうまく隠すことだ」

 楽しそうに微笑むブラッド。彼女の手から滑り落ちたガラス球は、そのまま地面に激突して四散。ガラスの破片が地面に飛び散っていく。

「残念。見つけてもらうことこそが目的よ」

 形勢逆転。砕けると同時に、彼は表情を変えた。どんな時でも絶やすことの無かった微笑がその顔から消え、苦悶の表情が彼の顔面を支配する。掴んでいた両手を離し、自らの頭を抱え込むようにその場に崩れ落ちていく。

「う・・・・・・あが、何・・・・・・を」

 辺りには、彼の苦悶の声が響くのみ。だが、耳を押さえて苦しむ彼には、確実に何かが聞こえていた。

「【聖者の福音】よ。効果は覿面でしょ?」

「く・・・・・・」

 本来、悪魔だからといって聖水や銀の弾丸などが効くわけではない。銀の弾丸が当ろうと効かないものは効かないし、極端な話だがやり方次第では素手で悪魔を殺す事だって出来る。

 それを分けるのが、【思念】。より強い思いがこもっていれば居るほど悪魔に絶大な効果を与え、それがなければどんなに強力な武器でも悪魔を殺すことはできない。

そして、長き戦いの末にそれを理解した人が作り出したのが、悪魔に対抗する武器。【聖者の福音】も、その一つである。

「さようなら、ブラッド・ヴォルフ。神の元で、己の罪を告白なさい」

 握られたときの痛みがいまだ残る右腕を上げ、銃口を悪魔の額に。

 しかし、苦悶の声を上げながらも、悪魔は微笑を取り戻していた。冷たい声で別れを告げるクレアに、ブラッドは呟く。

「一つ、忠告しておいてやる・・・・・・止めを刺すときは・・・・・・・無駄に喋らず、迅速に始末するんだな」

 ニヤリと笑う悪魔。瞬時に自らの失態を恥じ、引き金を引くクレア。だが、すでにその姿は半分以上が透けており、命中した弾丸も大した傷になっていない。

「絶対に、見つけ出す・・・・・・そして、今度こそ殺してあげるわ」

Auf wiedersehen・・・・・・また会おう、ミス・フェルド」

 そして、悪魔は闇に消え去った。残されたのは、怒りに満ちた一人のハンター。

「福音を食らったなら、しばらくは遠くに逃げられないはず・・・・・・おそらくは、この街の中に。待ってなさいよ、悪魔・・・・・・」

 どこからか、あの悪魔の笑い声が聞こえる気がする。解消されない苛立ちに包まれながら、彼女は廃校を後にした――。

 

 

          to be continued

 

 

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最終更新:2007年04月03日 16:51