【嘘】
「ねえねえ、好きな人って居るの?」
放課後。誰も居ない教室でそんなことを聞かれたら、一般男子ならまず期待してしまうと思う。
そして、それは俺も例外では無かった。
「え?」
「だから、好きな人は居るの?居ないの?」
いつもと同じような表情で、そう聞いてくる彼女。さて・・・・・・どう答えたものだろうか。
「え・・・・・えーと」
改めて、顔を見る。美人というべきか、可愛いというべきか。ともかく、きれいなのは確かだ。
でも彼女とは、中学時代からの腐れ縁である。お互い、特別な感情はない。そう思っていた・・・・・・・それに、俺には好きな人が居る。
なのに。
「いや・・・・・・特には」
何言ってるんだ、俺?
「ふうん・・・・・・本当に?」
僅かに目を細めて、彼女は再度聞いてきた。悪戯っぽい笑みを浮かべて、まるでこちらを覗き込むように。
「ああ、いないよ」
「じゃあ・・・・・・」
俺は答えた。【好きな人は居ない】、と。そして頷いてしまった。彼女の次の言葉に。
これが、最初の嘘。
結局の所。晴れて、俺と彼女は付き合うことになった。
「また明日ね、拓海」
分かれ道で、彼女と別れる。そのまま、自宅へ帰宅。
「ふぅ・・・・・・」
帰り次第、そのままベッドに倒れこんだ。
「・・・・・・どうすれば、いいんだろう」
俺の名前は荻城拓海。何の変哲もない高校生。現在、父親との二人暮しだ。
母親は、数年前に消えた。前から薄々感じてはいたが、他に男が出来たんだろう。ショックだったけど、自分自身で折り合いを付けた。
まあ、そんなことはどうでもいい。問題は今の状況だ。
どうして付き合うことになったんだろう。どうしてOKしちゃったんだろう、どうして、どうして?
考えれば考えるほど疑問が深まっていく。いや、答えは明快だ。
最初の、あの時。嘘をつかなければ良かったんだ。
彼女に対して。そして、なにより自分に対して嘘をついた。その想いは、叶うことがないんだろうと諦めた。
だから、今俺の恋人は岸本晴美であり岸本成美ではない。
それが、現実だ。
「ねえねえ、私の事好き?」
晴美は、よくこういった質問する。言ってくる場所は様々だが、質問の内容はいつも同じ。答えも常に同じだ。
「ああ」
簡潔に、一言で。答えると、彼女は嬉しそうな顔をした。
「私も、好きだよ」
腕を組んで、そう言ってくれる彼女。そんな彼女の顔が、俺には眩しくて・・・・・・嘘をつく自分が、たまらなく憎かった。
どうして、そんな笑顔を向けるんだ。どうして。
そう思うたびに、思考はループする。何であの時嘘を吐いたんだ。何であの時、本当のことを言わなかったんだ。今言えば晴美は傷つくだろう。嫌われるだろう。そして、成美にも・・・・・・・
そう考えてしまい、結局本当のことを言い出せない。そんな自分がたまらなく嫌だった。そして、再びループする思考。
畜生。
思えば、彼女達との出会いは中学時代だった。
双子の美人姉妹が転校してくる。そんな噂を聞いた俺たちは躍り上がって喜び、実際に転校してきた姉妹が予想以上の美人だったとき、俺は息を飲んだ。
俺だけではない。クラス中の男子が、姉妹に夢中になっていた。
そんな中で一躍クラスの人気者になったのが、姉の晴美。社交的というか、何というか。可愛いし、スタイルも性格もいい。その上、人気者。実際、何人かは告白を試みたらしい。まあ・・・・・・結果は、言わずもがなだ。
対照的に、妹の成美はなかなかクラスに溶け込めていなかった。姉と同じく可愛いが、引っ込み思案で殆ど喋らない。喋っても、長く会話が続いた試しが無い。
でも、他の奴らはそこまでじゃないらしい。聞いた話だから本当かどうかは知らないけど、その時俺は嫌われてるのかなー、となんとなく思っていた。
彼女達との関係が変わってきたのは、高校一年の春。入学式で見慣れた顔を見つけて、三人とも驚いてしまった。彼女達の進学先は知らなかったし、俺があの姉妹と同じ学校に行くとは思っていなかったから。
それからは、たまにバカ話したりする仲になった。俺と晴美がふざけ合いながら笑ってて、それを成美が一歩下がったところで眺めてる。
そんな成美が気になり出したのが、高一の秋頃。そして、俺が成美のことを好きだと気づいたのが・・・・・・その一ヵ月後。
告白しようと、何度も思った。でも、そのたびに無理だと諦めてきた。
二人きりで話したことは殆ど無い。いつも晴美か、他の誰かが側に居た。帰宅中などでたまに会うと、成美は俯いてしまう。まともに喋った経験は殆ど皆無といっていい。
だから、諦めた。諦めようとした。
でも、出来ないんだ。晴美の顔を思い浮かべようとしても、どうしても成美しか浮かばない。
こんなにも好きだったなんて。自分でも意外だった。でも、もうどうしようもない。嘘を吐き続ける自分に対する憎しみ、晴美に対する後ろめたさ、成美への思い。張り裂けそうな気持ちが、俺を苦しめていた。
・・・・・・もう、嘘は吐けない。自分にも、晴美にも。本当のことを言おうと、俺は心に決めた。
「今日、私の家に来ない?」
それは、付き合ってから一週間が経った月曜日。突然の、晴美からの誘い。
「え?でも・・・・・・いいのか?」
「いいからいいから。たまにはウチでゆっくりして行きなさいよ。ね?」
ニッコリと微笑む晴美。両親がいるかどうかは分からないが、成美はおそらく家に居るだろう。
本当に、言えるのか?よく考えろ、明日言えばいいじゃないか・・・・・・
畜生、また逃げるのかよ、俺は。心に決めたんだろう?本当のことを言うって。なら・・・・・・今が、その時だ。
「ただいまー。って、まだ誰も居ないのかぁ」
玄関には、鍵が掛かっていた。鍵を開けて中に入る俺と晴美。人の気配は無い。
・・・・・・成美は、まだ帰っていないんだろうか。
好都合というべきか。神様が与えてくれた、一瞬の猶予とでも言えばいいのか。ともかく・・・・・・
「ねえ、拓海」
唐突に、晴美が顔を近づけて来た。思わず後ろに下がる俺。そんな俺を見て、晴美は一瞬悲しそうな顔をして。
「嫌?」
「・・・・・・・」
「私とキスするのは、嫌?」
数歩下がって言う晴美。もう、嘘は吐けない。これ以上、偽ることは出来ない。今ここで、言うしかなかった。
「実は、言いたいことがあるんだ」
「何?」
言った途端、クルリと晴美は背を向けた。背中をこちらに向けたまま、晴美は俺に問いかける。
「どうしたの?」
カチ、カチ、カチ。時計の音が、やけに大きく聞こえる。申し訳なくて、晴美の姿がまともに見れない。俺は顔を俯けたまま、晴美に全てを告白した。
「俺は・・・・・・俺は、ずっと嘘を吐いてた。ずっと晴美を騙してたんだ」
「騙してたって、どういうこと?」
何故だろう。晴美の声から、感情が失われてしまったように感じる。これから言うことが分かるのだろうか。
「あの時、好きな人は居ないって言ったよな。でも、本当は居るんだ。なのに晴美に嘘を吐いた。叶わない恋だったんだよって、自分にも嘘を吐いた。忘れようとした。でも・・・・・・」
無言で、晴美は佇んでいた。太陽が傾き、ドアの隙間から春風が吹き込む。少し、冷たかった。
「無理なんだ。俺は・・・・・・俺が好きなのは、岸本成美なんだ・・・・・・」
「そう。それで?」
淡白な声。背中を向けている晴美が何を考えているのかは、俺には分からない。
それでも、俺は続けた。
「ごめん。もう自分に嘘は吐けない。俺は、晴美と付き合えない。最低なことをしているって分かってる。だけど」
ごめん。そう言って、頭を下げた。
自分でも、最低なことを言ってるってことは分かってる。ビンタが飛んで来ようが、罵声が飛んで来ようが仕方ない。全て、甘んじて受け入れるつもりだった。
「全く・・・・・・遅いわよ」
でも、返ってきたのは意外な言葉。感情の無い先ほどの口調とは一転し、苦笑するような声。怒るでもなく、泣くでもなく。微笑を浮かべながら、晴美はこちらに振り向いた。
「でもまあ、正直になれたから良しとしますか・・・・・・さあ、成美。次は、あなたの番よ?」
困惑する俺をよそに、そのまま二階へ上がってしまう晴美。代わりに出てきたのは、成美だった。
「どうしてここに?家には鍵が・・・・・・」
「ごめんなさい!」
俺の言葉をさえぎって、大声で叫ぶ成美。更に混乱する俺に、成美は畳み掛けるように叫んだ。
「私が、姉さんに頼んだの。私が姉さんの振りをして告白するから、手伝って欲しいって・・・・・・でも、告白は上手く出来たけど、いつバレるかと思うと怖くて・・・・・・本当のことを、言い出せなかった。だから、代わりにずっと姉さんが恋人役をやってくれて・・・・・・」
そして、ごめんなさいと彼女は言った。頭を下げながら、何度も何度も。
「でも・・・・・・どうして、晴美の振りを?」
「だって、拓海君は姉さんのことが好きだと思ってたから・・・・・・私、拓海君の前だといつも緊張しちゃって、ぜんぜん話せなくて・・・・・・だから、私じゃダメだけど、姉さんならと思ったから・・・・・・」
その言葉で、俺は全てを理解した。
結局は、小さな誤解が原因だったんだ。俺は、成美に嫌われていると思い込んでいた。成美は、俺が晴美のことを好きだと思い込んでいた。
そしてそれが嘘を生み、そして段々とズレていった。だけど・・・・・・今ここで、そんな嘘も誤解も無くなった。
だから、俺は言おう。自分に正直になって、ずっと言おうとしていた言葉を、ずっと言いたかった相手に。
「好きだ」
「私も、好きです」
恥ずかしそうに、成美は微笑んだ。つられて、俺も顔が綻ぶ。
季節は、春。さっきまで冷たく感じた春風は、まるで俺たちを祝福するかのように温かい風になっていた。
「ふぅ、やれやれ。全く世話のかかる二人だこと」
一方、二階の部屋の中。疲れたとでも言いたげに自らの肩を叩いた晴美は、一人呟いていた。
「成美に台詞や仕草仕込んで、拓海とデートして・・・・・・今度何かおごってもらわないとね」
ウンウンと、頷く晴美。窓の外を見て、その笑顔が一瞬だけ曇る。
「でもまあ・・・・・・ちょっと、羨ましいかなぁ」
傾く太陽。恋のキューピッドとなった彼女の頬には、春風が優しく吹いていた。