第12回口頭弁論期日②(2010年11月24日):原告準備書面(5)(最終)


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第12回口頭弁論期日(2010年11月24日)
陳述書面:原告準備書面(5)(最終) 
http://watashinim.exblog.jp/12379630/

 


平成21年(ワ)第19716号 損害賠償等請求事件
原告 金光翔
被告 株式会社新潮社ほか

準備書面(5)

平成22年11月24日

原告訴訟代理人
弁護士 加  城  千  波

東京地方裁判所民事第5部合議係 御中


第1 以下、本件記事が原告の社会的評価を低下させたことの主張について、証拠調べの結果をふまえて補充的に述べる。

1 荻原証人(以下証人は略する)は、本件記事によって読者に伝えようとしたことは、「原告が、こういう人物であるという背景の検証を行うこと」であると述べた(証人荻原尋問調書8頁。以下ページ数のみ記す)。

 したがって、本件記事は、読者に対して、原告の人物背景がどのようなものであるかを的確に伝わるよう考えて記述されたはずである。

 ところで、本件記事のような限られた字数での週刊誌のコラム的記事では、単に事実を列挙して、そこから伝えたいことを読者の判断にゆだねるということはあり得ない。タイトル、小見出しや写真の選択、摘示する事実の配置や表現のあり方に工夫して、記事が伝えたい内容を誘導し、初めてその意図が達成される。つまり、一般読者の普通の注意と読み方は、こうした記事作成側の意図に左右されるものである。


2 本件記事のうち、「金氏は論壇で全く無名の存在。プロフィールには「一九七六年生まれ。会社員。韓国国籍の在日朝鮮人三世」としか記されていない。が,それもそのはず。彼には自らの経歴を明かせない“事情”があったのだ。「金さんは,実は現役の岩波書店の社員なのです」と明かすのは岩波関係者。 「中途で入社し,宣伝部を経て『世界』編集部に配属されました。当初は通名でしたが,何時の間にか韓国名を名乗るようになった。そして“反総連の記事はけしからん!”“なぜ佐藤を連載に使うのか!”などと抗議をしたり,匿名で始めたブログで佐藤氏やジャーナリストの斎藤貴男氏など,社と関係の深い作家の批判を繰り返すようになった。編集長も持て余し,校正部に異動させたのです」の部分は、一般読者の普通の注意と読み方からすれば、「原告は、①論文発表にあたり、経歴を明かせない事情があった、②岩波書店の社員であることを隠していた、③国籍を秘匿して入社し、その後身分を明かした ④その後“反総連”を攻撃する旨の発言を行った ⑤匿名でのブログで被告佐藤や岩波と関係の深い人物批判を繰り返した ⑥そのため、編集長が持て余して校正部に異動させた、という人物である」と理解する。

 こうした理解が、原告の社会的評価を低下させるものであることは明らかである(訴状請求原因第4の1)。

 また、読者をして、原告の人物背景についてこのように理解させることが、本件記事の目的でもあったということである。

 このことは、荻原が、「入社時は通名で、後に本名を名乗ったと、で、かつて「世界」編集部に在籍していて、反総連の記事はけしからんとか、なぜ佐藤を使うのかといった趣旨で批判をして、あとは自分が開設したブログで斎藤貴男氏や佐藤氏の批判をしている人物であると、で、そのこともあって校正部に異動になったと」(8頁)と述べているとおり、本件記事は、編集長が原告を持て余した理由、原告の異動の理由は、前記④、⑤であると伝えたかったものである。


3 被告らは、前記④、⑤については原告の社会的評価を低下させるものではないとし、⑥の「編集長が持て余して校正部に異動させた」という記述については、原告の社会的評価を低下させるものであることを認めている。

 しかし本件記事には、「編集長が持て余して異動させた」原因について、前記④、⑤以外には記述がない。具体的に指摘がない以上、記事中の「などと」という言葉によって、一般読者がその普通の注意と読み方をもって、「異動の原因は別にあったに違いない」「異動の原因はほかにもあったかもしれない」などと理解できるはずがない。荻原も、「そのこともあって」と、④、⑤が異動の原因となっていると述べ、「そのこと」以外の理由や原因は述べていない。

 なお、原告の残業拒否などが編集部内で問題となり、そのことが「持て余して」異動となった原因だという事実があったのであれば(そのような事実がないことは後述する)、それを記述すればよかったはずである。


4 さらに本件記事は、その冒頭で、「問題の論文は、11月10日発行の隔月誌『IMPACTION』に掲載された。1979年に創刊された同誌は、かつては塩見孝也・元赤軍派議長などが登場し、現在でも護憲や死刑廃止を訴える筋金入りの“左派”雑誌だ」と記述している。

 この記述は、原告の人物背景について、読者に対し、非常に偏った特異なイデオロギー、思想的背景を持つ人物であることを印象付ける被告の工夫であり、意図的なものである。『IMPACTION』はそのように評価される雑誌ではないが、知らない読者は本件記事の意図に左右されて記事を読む。原告論文の掲載紙が「筋金入りの“左派”雑誌」であるとの指摘は、原告の人物像について、前記2の③~⑥のように理解することに結び付けるための伏線として塩見記者が意図的に用いた言葉である。そうでなければ、事実に反してまであえてこのような指摘をする理由はない。

 荻原も、ここでの「筋金入りの左派」なる言葉について、「筋金入りの左派というのは、具体例を挙げれば分かるんですが、死刑反対運動ですとか、どちらかというと左派の主張に合致するようなことを、かつて、ずっと述べられてきた雑誌だということです」(9頁)としか述べていない。荻原の知識の有無はさておくとしても、死刑廃止運動が「筋金入りの左派」を示すものでないことは自明である。この点からも、本件記事がはじめから原告の社会的評価の低下を目的としたものであること
は明らかである。


5 さて、本件記事は、「編集長が異動させた」記述の後に、「しかしその甲斐もなく、原告は他のメディアで自社が発行する雑誌の批判までぶちあげたのだ」「金さんの件は,社内で大問題になっています」とある。

 これは、「異動させた甲斐もなく」「ぶちあげた」「大問題」という表現により、一般読者をして、原告の人物の悪性を印象付け、岩波社内で問題社員視されていることを印象付けることを意図しているというべきである。なお、「その甲斐もなく」は、異動の原因が前記2の④、⑤であったことを改めて読者に印象付けるものでもある。

 続いて、「佐藤氏の著書『獄中記』はベストセラーになり,版を重ねている。ヘソを曲げられては困りますし,おまけに論文では,彼の上司も実名を挙げられ,批判されている」との記述がある。この摘示は,一般読者に対して,原告があたかも同一部署内の人間関係に基因する私怨をもって論文を執筆したかのごとき印象を与え,原告の著作の持つ客観性・公正性を疑わしめる効果を持ち,原告の社会的評価を著しく低下させるものである。前記悪性印象に左右された読者を前提とすれば、なおのことで明らかである。

   
6 「しかも社外秘のはずの組合報まで引用されているのですから、目も当てられません」の記述は、一般読者の普通の注意と読み方からすれば、「社外秘」「引用」「目も当てられない」という表現により、原告が、「勤務している社の秘密を漏らすあまりにもひどい事態をもたらした」という理解となる。

 この摘示を読んだ一般読者が、「原告の論文について、岩波書店労働組合は、社員として知り得た情報を無断で社外に公表する文書に引用したことを問題としている」と理解するなどあり得ない。そもそも本件記事の趣旨は、原告の人物背景を読者に伝えるということであるから、原告の人物像とは別に、岩波書店労働組合の見解を読者に伝える意味などないはずである。なお、乙13号証には「組合にとっては目も当てられません」とあるが、本件記事の本文は、あえて「組合関係者」ではなく「岩波関係者」を出所として(乙10号証には、「目もあてられない」などの記載はない)組合の立場を消し、意図的に表現したものである。


7 そうした原告の人物像を摘示した上、被告佐藤の発言が摘示される。

 この時点ですでに読者は、前記のような原告について社会的評価を低下させる摘示を読んでおり、それを前提に以下の摘示を読む。

 「佐藤氏は呆れて言う。「私が言ってもいないことを,さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容です。言論を超えた私個人への攻撃であり,絶対に許せません」」との被告佐藤の発言が、原告の社会的評価を低下させることは被告も認めている。

 しかし原告に対して、すでに十分にマイナスなイメージを持っている読者は、被告佐藤の発言の真偽について、それが真実であると容易に信じてしまう状態にある。


8 したがって、「そして,『IMPACTION』のみならず,岩波にも責任があります。社外秘の文書がこんなに簡単に漏れてしまう所とは安心して仕事が出来ない。今後の対応によっては,訴訟に出ることも辞しません」との被告佐藤の発言の摘示も、一般読者の普通の注意と読み方によれば、原告が「社外秘」の文書を漏らした事実を改めて摘示したものと理解し、かつ、前記のとおりの原告の問題行動が、岩波書店に対する被告佐藤の不信感を招き、岩波書店も訴訟提起さえなされかねない深刻な事態に陥いることを余儀なくされていると理解することとなる。

 ここでも、そもそも本件記事の趣旨は、原告の人物背景を読者に伝えるということからすると、被告佐藤の岩波書店に対する所感を、記事の目的と切り離して摘示する意味はない。


9 ところで、本件記事のタイトルは、「佐藤優 批判論文の筆者は「岩波書店」社員だった」である。「佐藤優」は、白抜き文字で強調されている。「岩波書店」の文字もポイント数が大きくしてある。写真は、被告佐藤の上半身、『IMPACTION』の表紙と論文に見えるものがあり、写真下のキャプションは、「理屈だけは並べてみたものの・・・」である。

 小見出しは、①「あるミニコミ誌に掲載された~波紋を呼んでいる。何しろ筆者は、佐藤優氏が~岩波書店の社員だったのだから」つまり、被告佐藤が「世界」に連載を持ち、著作もある岩波書店の社員が、被告佐藤を批判する論文を書いた、ということである。②「絶対に許せません」これは、前記①の被告佐藤批判論文に対する、被告佐藤の気持ちを表し、ポイント数も①より大きい。

 一般読者の普通の注意と読み方が、見出しに誘導されることは当然である。読者はまず、①により、岩波書店社員が、同社に貢献している被告佐藤を批判する論文を書いた理由に関心を持つ(「波紋」とあるが、岩波書店内で何が起こっているのか、「波紋」の原因は何かと考えるであろう)。続けて本文で、原告の論文内容と原告のプロフィールが書かれ、「(原告には)自らの経歴を明かせない“事情”があったのだ」と書かれている。なぜ経歴を明かせなかったのか、読者は関心を煽られる。

 筆者が岩波書店社員であったことは、すでに小見出し①からわかっていることである。読者は、原告が、岩波社員であることのほかに、経歴を明かせない事情を知りたいと思い記事を読む。

 小見出し②には、「絶対に許せません」とある。写真との相乗効果で、被告佐藤が、小見出し①の後に書かれた本文の、原告論文の内容に「絶対に許さない」と言っていることは、一般読者にも当然に見当がつく。

 そして、続く本文には、前のとおり原告が入社後に通名から本名へと名乗りを変え、編集部内で反総連の記事はけしからんなどと言い、編集長が持て余して異動させた、と続くのである。読者は、「なるほどそうか、小見出し①の論文を書いた筆者は、社内でも噴飯もので、上司さえ批判し、会社の秘密まで暴露するような人物。偏ったイデオロギーを持つものなのだ」と理解する。

 そうした印象、理解を持った読者は、後に続く被告佐藤の発言には、その内容に疑問を持つことなく、被告佐藤が一方的な被害者であると理解する。さらに、本件記事の最後の記述部分についても、読者は、「被告佐藤を激怒させた岩波が、名門出版社の名が泣いてもしかたない。原告のような偏ったイデオロギーの社員を抱えて造反されたのだから」というように理解する。

 本件記事は、一般読者がそうした読み方をすることを目論んで、タイトル、写真、小見出し、さらに本文記事中の表現を工夫しているものである。

 個別の事実摘示とは別に、こうした本件記事のあり方が、一般読者の普通の注意と読み方を大きく左右することは自明であり、繰り返すが本件記事は、あらかじめ原告の社会的評価の低下を目的としたものである。


第2 公共性・公益目的

1 荻原は、当該記事の「ニュース価値」について、「つまり、これは金光翔さんという方、繰り返しなんですが、批評空間というんですか、論壇にこの論文を持って登場した人物が、金光翔さんとしか名前が書いていないけれども、こういう方なんですよという背景説明というか、そういうことですね。」としか述べていない(9頁)。

 従前から主張しているとおり、一私人である原告を紹介することに何ら報道価値がないことは明らかである。


2 被告の主張によっても、原告が本件論文を公表し自ら公的論争に参加し批判にさらされる立場になるのは、「その公的論点との関わりで限定的にのみ公的人物となった」ということである。

 原告論文は、被告佐藤が論壇を座巻し展開している論調、主張内容やその変遷等を批判したものであるが、本件記事は、前記荻原の証言のとおり、また記事内容からも明らかなように、公的論点とはまったく関係のない原告の悪口と、被告佐藤が(原告を)「許せない」と言っている
ことばかりが摘示されている。

 本件記事は、原告が岩波書店社員であったとか、どの様な理由で社内異動になったかとか、被告佐藤が激怒しているというようなことであり、論文や論点に関わる被告佐藤ないし被告新潮社の具体的見解はまったく示されていない。

 また、公的論争に自ら参加した以上、かかる公的論争にかかわる原告の岩波書店内における立場等や、「こういう方なんですよ」(前記荻原)といった類の報道が、仮に公共性・公益目的があるのであれば、原告の経歴を原告から取材し、岩波書店での実績(どのように企画をし、どのような記事を担当してきたか等)、本件論文を書いた動機等を率直に報道すればよい。


3 以上、本件記事に、公共性・公益目的を認める余地はない。


第3 真実性

1 本件記事中の真実でない事実摘示は従前主張したとおりである。

 それについて被告らは、客観的証拠により真実であることを立証していない。


2 岩波書店社員食堂内の壁新聞が「社外秘」とは言えないことについて

(1)岩波書店総務局が発行した社内への通達文書「総務局からのお願い 2004年4月/2006年12月」(甲94号証)には、以下のように記されている。

「【アルバイト等の食券】社員以外の方(アルバイト等)が食堂を利用する際の食券は「10枚3,675円(消費税込)」となっています。受付で現金で購入して下さい。」

 つまり、食堂を社員以外の人間が使用することは、会社も公的に認めている事実であって、原告準備書面(3)で指摘したように、食堂は、岩波書店の建物内で働く、岩波書店の社員ではない人々(DTP製作者、校正者、印刷業者等)や、岩波書店の出版物の著者も利用することがある場所である。そうした人々は、「壁新聞」を容易に目にし得るのであるから、「壁新聞」が「社外秘」または「社外秘」扱いであるはずもない。

 
(2)しかも、原告準備書面(3)で組合文書を挙げて明らかにしたように、「壁新聞」で「社外秘」に関する記事が掲載された事例に関して、会社は岩波労組に対して「社員以外の人も出入りする食堂での掲
示ということで、今後慎重にしてもらいたい」と注意し、岩波労組はこれに対して、「社外に出されてはならない内容等を適正にチェックした上で掲載している」、「社外の人がかなり多数出入りしている現状
がある以上、記事の内容や表現、表記についてはこれまで同様、編集部で配慮していく」旨回答しているのであるから、岩波書店および岩波労組が、「壁新聞」をそのまま「社外秘」または「社外秘」扱いと
規定しているはずもない。


(3)なお、社員食堂の壁新聞の掲示状況は、甲95号証の1~4号証のとおりである。


(4) 甲16号証の2のとおり、組合報は「社外に公表されることがないことを前提としている」とはいえても、「社外秘」ではない。組合の見解を素直に読めば、組合報は一般読者の普通の注意と読み方に
したがって理解される「社外秘」とかけ離れたものであることは明白である。なお原告が論文に引用した内容それ自体、岩波書店株式会社にとっても岩波労働組合にとっても、不利益も不都合もまった
くないものであった。


3 被告らは、被告佐藤の発言である、「私が言ってもいないことをさも私の主張のように書くなど、滅茶苦茶です。」の部分について、被告佐藤の論文を証拠として提出している。しかしこの点の被告らの主張(被告新潮社準備書面(1))が、およそ牽強付会も甚だしいもので、何ら真実性の根拠になっていないことは、原告準備書面(2)の第2で詳細に反論したとおりである。

 この点は、真実性について被告らが唯一客観的論文等を提出して述べているところなので、再度、以下の点を指摘しておく。


(1) 被告らは,本件記事における被告佐藤の「私が言ってもいないことを,さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容です」との発言は,「原告の論文(甲3号証,以下,「論文」という)において,被告佐藤が言っていないこと,あるいは曲解された事実が多数記載されていることに基づくものであって,真実である」と主張している。

 だが、被告佐藤の論評部分は,被告が引用している「滅茶苦茶な内容です」だけではなく,その後に続く,「言論を超えた私個人への攻撃であり,絶対に許せません。」まで含まれなければならず、被告は,原告の論文に被告佐藤が言っていないこと,あるいは曲解された事実が多数記載されているという事実が,「滅茶苦茶な内容です。言論を超えた私個人への攻撃であり,絶対に許せません。」という論評の前提となるに足る真実性を有するもの,と主張していると解されねばならない。

 そして,以下に述べるように,被告の主張する事実は,論評の前提となるに足る真実性を到底有していない。被告は、「言っていないこと」として1箇所、「曲解していること」として9箇所を挙げているが、これらはいずれも牽強付会または言いがかりと言わざるを得ないものであり、失当である。


(2) 被告は原告の「論文」143頁上段2、3行目、下段12行目の記述《佐藤の提唱する「人民戦線」なるものが、いかなる性質のものであるかを検証しておこう》《佐藤の言う「人民戦線」とは、「国民戦線」である》との記述を引用し、「しかしながら、被告佐藤は「人民戦線」とは言っておらず、「論文」でもそれに該当する箇所の引用はない。」「また、原告は、「論文」6.及び7.において、被告佐藤が言っているとする「人民戦線」についての持論を大々的に展開しているが、佐藤自身が「人民戦線」と言っていないので、そもそもの前提自身が成り立たない。」と主張している。

 だが、被告佐藤の主張する、ファシズムを阻止するために「左」と「右」を超えて連帯しようという政治的方針のことを、一般に「人民戦線」と呼ぶことは周知の事実であり、辞典類でもそのように記述されている。また、そもそも原告の論文中での「人民戦線」という記述は、被告佐藤の主張を要約したものであり、原告は、被告佐藤の発言をそのように要約するにあたって、その基となる被告佐藤の発言を明示しているのであるから、被告佐藤が「言ってもいないこと」をさも被告佐藤の主張のように言っていることに当たらないことは明白である。

 また、被告佐藤は「反ファッショ統一戦線」という用語は著作の中で極めて肯定的に用いており、しかもその語には、同頁内で、「反ファッショ統一戦線一九三〇年代に、コミンテルンの決議にもとづいて、各国共産党が、ファシズムと戦争に反対する多様な政治勢力の統一戦線戦術を採った。一九三五年のコミンテルン第七回大会のディミトロフ報告で提起され、翌三六年のフランス、スペインでの人民戦線内閣の成立として実を結んだ。」という注が付されている。被告佐藤が「反ファッショ統一戦線」と「人民戦線」を同義と見なしていたことは明らかである。

 したがって、被告が挙げる「人民戦線」の箇所は、「滅茶苦茶な内容です。言論を超えた私個人への攻撃であり、絶対に許せません。」という論評の前提となるに足る真実性を有するものとしての実質を欠いており、これが形式論への問題のすり替えであることは明白である。


(3) また、被告は「曲解していること」として9箇所を挙げているが、ある人物の発言について、曲解することと、言ってもいないことをあたかも当該人物の主張であるかのように書くこととは、全く意味を異にするのであるから、被告佐藤発言の真実性の証明のために、原告が「曲解している」とする事例を挙げること自体がそもそも失当である。

 しかも、被告が挙げている9個の事例は、以下のとおりすべて牽強付会あるいは言いがかりに過ぎない。順次、要点を指摘する。


①「論文」127頁上段21行目~下段1行目

 《以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)武力行使、在日朝鮮人団体への弾圧の必要性を精力的に主張している。》との記述について、被告は乙2・3号証の2つの文章を挙げ、被告佐藤が「戦争を問題解決の選択肢の一つとしてあげているにとどまる。」(乙2号証)「北朝鮮に対するカードとして最後には戦争もありうることを明らかにしつつも、対話による平和的解決が日本の国益にとって重要であることを明確にしている」(乙3号証)などと反論している。だが、そうした被告佐藤の「左」「右」メディアにおける主張の使い分けこそ、「論文」で取り上げたテーマの一つであって、一方での媒体での主張が、別の媒体での主張を相殺するはずもない。そして、原告準備書面(2)の「第2 佐藤発言①について」で詳述したように、被告佐藤の具体的諸発言から、被告佐藤が対北朝鮮武力行使を精力的に主張している、と解釈することが正当であることは明らかである。

 しかも、乙2号証および乙3号証の文章は、これも準備書面(2)で詳述したように、被告が主張しているような性格のものとは到底いえない。被告の主張は失当である。


②「論文」128頁下段17行日~129頁下段2行目

 被告は、「原告は「日米開戦の真実一大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」(小学館、乙4号証)から被告佐藤の日本の近現代史に関する自己の歴史認識が開陳されていると称する部分を引用しているが、引用が恣意的である。」と主張している。だが、引用の元の箇所(甲41号証)が示すように、引用した部分は、被告佐藤の「日本の近現代史に関する自己の歴史認識を開陳」したものであって、引用が恣意的との非難は何ら当たらない。


③「論文」129頁下段14行目~20行目

 被告は、原告による、被告佐藤の《さらに、現在の北朝鮮をミュンヘン会談時のナチス・ドイツに例えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢に戦争で問題を解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題の解決」においても、戦争が視野に入っているということだ。》との発言の引用について、「この引用は上述の「新帝国主義の選択肢」(乙2号証)の途中からのもので、「狭義の外交力、すなわち政治家、外交官の情報(インテリジェンス)感覚や交渉力を強化し、」という部分が抜けている。原告はこの部分を引用せずに、当然被告佐藤にとっては戦争が視野に入っていると結論づけているが、これは曲解である。」と主張している。

 だが、仮に「狭義の外交力、すなわち政治家、外交官の情報(インテリジェンス)感覚や交渉力を強化し、」という部分が入っていたとしても、被告佐藤が「帝国主義の選択肢に戦争で問題を解決することも含まれる」と明言している以上、被告の「当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題の解決」においても、戦争が視野に入っているということだ」という指摘は、何ら曲解ではない。

 また、被告は、「ここで問題にされているのは北朝鮮が行ったミサイル発射及び核実験であって、それによってごり押しを行う北朝鮮をミュンヘン会談時のナチス・ドイツに例えているのに、原告はそれとは直接関係のない「拉致問題の解決」と無理矢理結びつけている。」などと主張しているが、被告佐藤は「対北朝鮮外交における日本国家の原理原則とは何なのだろうか。筆者は拉致問題の完全解決と思う。(中略)日本国家の国権と日本人の人権が侵害された複合的な事案であり、拉致問題の完全解決は日本として譲ることのできない国家としての原理原則問題だ。拉致問題を疎かにするようでは日本国家が内側から崩壊する。逆に現在、日本外務省が北朝鮮に対して毅然たる対応をとらず、戦略的外交を展開して北朝鮮を追い込めていないのは、日本の国家体制が内側から弱体化していることの現れなのかもしれない。」と主張しているのであるから、「無理矢理結びつけている」などという主張は成り立たない。


④「論文」129頁下段20行目~130頁上段3行目

 被告は、「原告は、上記の《当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題の解決」においても、戦争が視野に入っているということだ》との結論を補強するために、続けて、《『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている》と書くが、この『金曜日』の記事で被告佐藤は、原告の引用箇所に続いて、もし戦争になれば日本を含む周辺国に大変な害が及ぶので、「問題を平和的に解決する算段を最後の最後まで考えることが日本の国益に貢献する」と書いているが、原告はこの部分を引用していない(乙3号証)。」などと主張している。

 だが、被告佐藤が、《「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている》こと自体は事実であり、その後の部分を引用していないことは「曲解」でもなんでもない。被告の主張は失当である。


⑤「論文」130頁上段10行目~12行目

 被告は、原告の「論文」の《アメリカが主張してきた北朝鮮の米ドル札偽造問題が、アメリカの自作自演だった可能性が高いという欧米メディアの報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカの情報源と情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」と、いかなる反証の根拠も示さずに(反証の必要性を封じた上で)、「北朝鮮の情報操作」と主張しているが》との記述について「反証の根拠は示している」と主張している。

 だが、これは被告の「曲解」と言うほかないのであって、原告が、「アメリカが主張してきた北朝鮮の米ドル札偽造問題が、アメリカの自作自演だった可能性が高いという欧米メディアの報道」に対して、被告佐藤が、根拠を示さずにそれを「北朝鮮による巧みな情報操作」と述べていることを指して、「いかなる反証の根拠も示さずに」と記述したのであり、また、被告佐藤が「証拠を突きつける形で反論するとアメリカの情報源と情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」と、北朝鮮が偽ドルを作っている証拠をアメリカ政府は提示できないとしているにもかかわらず、「北朝鮮による巧みな情報操作」だと主張していることを指して、「(反証の必要性を封じた上で)」と記述していることは明らかである。

 また、被告は、「反証の根拠は示している」との主張の根拠として、「もっともわれわれ日本人は幸運だ。小説という形態であるが手嶋龍一氏の『ウルトラダラー』(新潮社)を読めば、北朝鮮がアメリカ造幣局の特殊用紙をどのように盗み、ドイツ製印刷機を中国経由でどのように手に入れたかなどの秘密がわかる。」という箇所も挙げているが、小説がそのような根拠たりえないことは明白である。


⑥「論文」131頁上段10行日~16行日

 被告は、原告の「論文」の《産経新聞グループのサイト上での連載である(地球を斬る)では、「慰安婦」問題をめぐるアメリカの報道を「無茶苦茶」と非難し、「慰安婦」問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議自体が不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている。》との記述について、「被告佐藤は、「慰安婦問題を巡るアメリカの報道には無茶苦茶なものが多い」という事実を指摘しているのであって、《アメリカの報道を「無茶苦茶」と非難し》ている事実はない。」と主張している。

 だが、被告佐藤の「慰安婦問題を巡るアメリカの報道には無茶苦茶なものが多い」という発言を、「「慰安婦」問題をめぐるアメリカの報道を「無茶苦茶」と非難し」と要約したことは、何ら「曲解」と言えず、ましてや、被告佐藤の主張を「曲解」しており、「言ってもいないこと」をさも被告佐藤の主張のように言っていることに当たらないことは明白である。

 また、被告は、「「安倍発言は従来の政府見解と何ら齟齬を来していない」と言っているのであって、原告が言うような《正当》か否かということについては何ら述べていない。また、「安倍総理は、慰安婦問題について強制性を認めているのである」と言っており、《あたかも「慰安婦」決議自体が不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている》というのは曲解である。」と主張している。

 だが、被告佐藤は同じ文章で、「アジア女性基金」を肯定的に評価している。被告佐藤が「アジア女性基金」を肯定的に捉えていることは、その他の著作からも明らかである。この「アジア女性基金」は、「従来の政府見解」と同義である。そして、被告佐藤は、「安倍発言の趣旨は慰安婦について「狭義の強制性はなかった」という認識を示したのであり、これは従来の政府見解と何ら齟齬を来していない。」と主張しているのであるから、被告佐藤は、「従来の政府見解と何ら齟齬を来していない」安部発言を「正当」と見なしていると言える。

 また、被告佐藤は、同じ文章で、「慰安婦問題を巡るアメリカの報道には滅茶苦茶なものが多い。「20万人のアジア女性をレイプ・センターに入れた」などという事実無根の話が独り歩きしている。」などと述べた上で、「ワシントンの日本大使館やアメリカ各地の日本総領事館が慰安婦問題に関する政策広報をきちんと行っていればこのようなことにならなかったはずだ。筆者の理解では、外務省が「アジア女性基金」の活動をアメリカで正確に紹介していれば、事態がここまで悪化することを避けることができた。」と主張しているのであるから、被告佐藤が《あたかも「慰安婦」決議自体が不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている》ことは明らかである。


⑦「論文」149頁上段5行目~12行目

 被告は、原告の「論文」の《ところで、佐藤は、「仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている。佐藤は、リベラル・左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまったからには、自国の防衛、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。》との記述について、被告佐藤は「右派・左派を問わない、愛国心という感情について述べ」ているにすぎないのであって、「自らの政治信条について述べている訳ではない」のであるから、原告の記述は「曲解」であると主張している。

 だが、被告佐藤の主張は、日本国家と日本国民が「正しくない」戦争の道に進んで行っている時に、ある人物が、その戦争に反対であるという「正しい」意見を持っていたとしても、「自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択」をとるのはやめて、「日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図」るべきだ、という意であるから、その主張を、「佐藤は、リベラル・左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまったからには、自国の防衛、「国益」を前提にして行動せよと要求している」と解釈することは、文意解釈上極めて自然であって、「曲解」ではない。

 ましてや、原告は、被告佐藤の発言をそのように解釈するにあたって、その基となる被告佐藤の発言を明示しているのであるから、被告佐藤が「言ってもいないこと」をさも被告佐藤の主張のように言っていることに当たらないことは明白である。

 

⑧「論文」150頁註(6)  

 被告は、原告の「論文」の《なお、『獄中記』では、「北朝鮮人」(一四頁)、「僕は韓国語でなく、朝鮮語を勉強した」(三七八頁)という表現がある。佐藤は、「韓国語とは語彙や敬語の体系が違う「朝鮮語」」(「即興政治論」『東京新聞』二〇〇七年九月一八日)とインタビューで答えているので(恐らく、朝鮮語のカギカッコは記者だろう)、佐藤は本気で「韓国語」と「朝鮮語」を別物としたいのだろう。この規定は、以下のような「国益」上の判断から来ていると思われる。「僕(註・佐藤)は、朝鮮半島が統一されて大韓国ができるシナリオより、北が生き残るほうが日本には良いと思う。統一されて強大になった韓国が日本に友好的になることはあり得ないからね」(緊急編集部対談VOL.1佐藤優x河合洋一郎〉雑誌『KING』(講談社)ホームページより)。植民地支配・冷戦体制固定化による民族分断への責任を無視する、帝国主義者らしい発言である。》との記述について、「原告自身が引用している通り、被告佐藤が朝鮮語と韓国語を分けているのは、語彙や敬語の体系が違うという言語学上の理由からである。《朝鮮半島が統一されて大韓国ができるシナリオより、北が生き残るほうが日本には良い》かどうかは、ここでは何の関係もなく、原告の単なるこじつけとしか言いようがない。」と主張している。

 だが、「朝鮮語」と「韓国語」という呼称が、社会通念上、同一言語の呼称上の違いと見なされていることは明白であって、被告佐藤が両者を別の言語とすることを、朝鮮半島の南北分断が日本の国益上は望ましいとする、被告佐藤の政治的見解に起因すると解釈することは、文意解釈上極めて自然であって、「曲解」ではない。ましてや原告は、被告も「原告自身が引用している通り」と認めているように、被告佐藤自身は「語彙や敬語の体系が違うという言語学上の理由から」両者は別だと主張していることを明示しており、また、原告が上記の解釈を述べるにあたっても、「「国益」上の判断から来ていると思われる」と、それが解釈であることを明示している。したがって、この記述が曲解でないこと、ましてや被告佐藤が「言ってもいないこと」をさも被告佐藤の主張のように言っていることに当たらないことは明白である。

⑨「論文」157、8頁註(55)

 被告は、原告の「論文」の《なお、佐藤は、日本がファシズムの時代になり、「国家に依存しないでも自分たちのネットワークで成立できる部落解放同盟やJR総連の人たち」がたたきつぶされると、左右のメディアも弾圧されて結局何もなくなると主張する(「国家の論理と国策操作(ママ)」『マスコミ市民』2007年9月号)。ところが、佐藤は同じ論文で、緒方重威元公安調査庁長官の逮捕について、「国民のコンセンサスを得ながら朝鮮総連の力を弱める国策の中で、今回の事件をうまく使っている」と述べており(傍点引用者)、朝鮮総連の政治弾圧には肯定的である。この二重基準に、「国民戦線」の論理がよく表れている。「国民戦線」の下では、「人権」等の普遍的権利に基づかない「国民のコンセンサス」によってマイノリティが恣意的に(従属的)包摂/排除されることになる。》との記述について、「「この事件をうまく使っている」というのは、検察が自分たちにとっての「きれいな社会」を作るために緒方公安調査庁元長官の事件をうまく使っているという意味であり、これに対し被告佐藤はそのような考えこそが全体主義なのだと否定的な評価をしている。さらに、この記事において被告佐藤は朝鮮総連についてはその力を弱める国策があるという事実を述べているだけで、総連の政治弾圧にはここで肯定的評価も否定的評価もしていない。従って、《二重基準》という「論文」の指摘は当たらない。」と主張している。

 だが、原告準備書面(2)で詳述したが、被告佐藤の諸発言から明らかなように、「二重基準」という原告の「論文」の指摘は、被告佐藤の主張を的確に表現したものである。

 また、被告は「朝鮮総連は朝鮮民主主義人民共和国という特定の国家と結びついており、その意味において、部落解放同盟やJR総連と同列に扱うことはできず、《二重基準》という主張の前提がそもそも成り立たない。」とも主張している。

 だが、原告準備書面(2)で指摘したように、原告の「論文」が発表された後に被告佐藤が刊行した書籍においては、被告佐藤自身が、朝鮮総連を「部落解放同盟やJR総連と同列に扱」っているのであるから、朝鮮総連と「部落解放同盟やJR総連」を同列に扱うことは正当である。

 

(4) 以上、明らかにしたように、原告の「論文」における記述を「曲解」だとする被告の主張はすべて失当である。

 すなわち、原告の「論文」には、被告が主張するところの「言ってもいないこと」も「曲解していること」も存在しない。したがって、原告の「論文」について、「私が言ってもいないことを、さも私の主張のように書」いたものだとする、被告佐藤の主張は真実ではなく、被告の主張は失当である。
 

 
第4 真実相当性

1 結局のところ、荻原の実質的な取材対象は、11月24日(土)午前の「岩波書店関係者」との面談、25日(日)午後の被告佐藤との面談、「岩波書店関係者」の紹介による「岩波組合関係者」への電話取材のみである。その他、荻原が取材したと主張しているものは、取材と称するに値しないものであり、原告が校正部に在籍していること、かつて「世界」編集部に在籍していたことといった、ごく基本的な事実を確認したのみである。後者は、既に『世界』誌上で原告の名前が編集部員として出ている以上、目新しい事実ではない。

 すなわち荻原は、もともと『週刊新潮』記者と信頼関係があるという「岩波書店関係者」およびその人物が紹介した者、もともと新潮社と非常に信頼関係があるという被告佐藤にしか、実質的な取材はしていない。取材対象が極めて不十分であるばかりか、被告新潮社自身と強い信頼関係にある者や、『週刊新潮』の記者と個人的に親しい者ら、つまり身内の話だけを聞いてそのまま記事にしたようなものである。

 しかも、客観的な記録がまったく存在しないため、「岩波書店関係者」および「岩波組合関係者」が実在しているかすら極めて疑わしい。

 

2 被告が提出した「取材記録」(乙10、11、13号証)は、日付の記載がなく、元データも提出されていない。しかも、「岩波関係者」からの取材内容は、ほぼ全てが「伝聞」に基づくものである(「○○によれば~」「○○だそうです」など)。

 また、荻原の証言によれば、録音記録もなく、自筆のメモも既に廃棄したということである(12頁)。加えて、「岩波関係者」や「岩波書店労働組合関係者」が、いかなる立場である者かも、それぞれ社員または組合員であるかさえ、合理的な理由もなく明らかにしなかった。

 被告らが、真実相当性を主張する根拠のもっとも根幹である、荻原の「取材記録」には、そもそも何の信憑性もない。

 

3 本件記事の情報源である「岩波書店関係者」について

(1)  本件記事は、週刊新潮編集部O部員と親しい「岩波書店関係者」からの情報提供が契機であった。

 荻原は週刊新潮編集部のO部員について、「名前は言えません。」と述べており、その理由として、「例えば、佐藤さんに対してもそうなんですけれども、私に対してもそうなんですが、名前を明かすと、金さんがブログの中で、私に対しては下っ端という表現でしたが、そのような誹謗中傷みたいなことを書かれる恐れがあるので、迷惑がかかるので言えません。」と述べている(7頁)。しかし、荻原の取材記録をデスクが編集するという業務形態、若い人物という人物像を根拠にして「下っ端」と表現したことが誹謗中傷にあたるはずもなく、そのような理由で、真実相当性を立証すべき重要な具体的人物であるOの名前を言えない合理的理由はまったくない。荻原の証言は、ブログという個人的な所為と、公的かつ商業性を持った週刊誌上の記事掲載の責任の所在の違いを、およそ理解していないものというほかない。

 特定個人に対する誹謗中傷行為を日常的に行なっている週刊新潮の記者が、このような主張を行なうのは噴飯ものであって、名前を公開しない正当な理由として受け入れることは不可能である。

(2)  このOと親しい「岩波書店関係者」についても、同様、荻原が具体的に明らかにできない理由はない。

 原告の社内での行動および異動経緯に関する本件記事の事実摘示は、すべてこの「岩波書店関係者」からの情報である。

 被告によれば、この「岩波書店関係者」とは「「世界」編集部に非常に近い関係者」とのことであるが、荻原は、「「世界」編集部に非常に近い」の意味について、「そういう属性に関することですと、やっぱり情報源がばれてしまうというか、分かってしまう危険性があるので、言えません。」と述べている(25頁)。被告は「岩波書店関係者」が社員であるかどうかさえ明らかにしていない。しかもこの情報は全て伝聞に基づいたものであるから、被告として、「岩波書店関係者」の実在を立証することは、真実相当性の立証につながることである。

 被告は「岩波書店関係者」が岩波社員であるかどうかすら明らかにしておらず、また、その属性を明らかにしない理由も、原告に対する敵愾心のみに基づくものであり、真実相当性があるなど到底言えない。

 「岩波書店関係者」が具体的でない以上、さらにその者からの伝聞内容をもって、真実相当性を認めることなどできるはずがない。

(3)  「岩波書店関係者」にたいする取材方法も理解できない。

 荻原は、「岩波書店関係者」と対談しているときに、「世界」編集部員に直接電話で話す機会があったにもかかわらず、その必要を感じなかったなどと言うが(14、15頁)、これは常識的に考えて極めて奇妙である。真実を見極めようと取材する態度があれば、当然、自ら電話口に出て、「世界」編集部員と直接話をしたはずである。原告の人物背景を読者に伝えるという、記事の目的に沿った取材事項は、当然荻原にもあったはずであり、それを直接確認したいと思うのが、ジャーナリストとして当然あるべき姿勢である。

 真実を見極めようとする姿勢や態度を持たずに取材を行った記者が、真実相当性を主張すること自体失当である。

 荻原が、記事の真実相当性の根拠としてあげる、「その都度、「岩波書店関係者」から、「世界」編集部員に確認してもらっていた」と述べる事実は、荻原の証言以外に何ら裏付けるものはない。つまり、間接的に「世界」編集部員の確認を得たという主張の信用性は皆無である。

 

4 原告の異動理由について

(1)  被告は、被告準備書面(1)(平成21年9月30日)の3頁において、「被告も、原告が異動願を出していたことは耳にしていた。然しながら、従業員が「異動願」を出せば必ず希望どおり異動になるものではないことは改めて言及するまでもない」と主張している。

 しかし荻原は、原告代理人の「取材時、原告が自分から異動願を出していたことについては、その岩波関係者は話をしなかった」のかという質問に対して、「私どもは不知でしたね。私は知りませんでした。」と答えている(15頁)。

 また、被告佐藤代理人は、原告への尋問で、「そもそもあなたは異動願を出してないから、そのような話合いになったんじゃないですか。異動願をそもそもしていないから。」(原告本人調書21頁)と、異動願がなかったことを前提として質問している。

 荻原は、被告の主張と矛盾する証言をし、被告佐藤代理人は、被告の主張と矛盾する事実を前提に質問している。この被告らの言い分の相違は、被告ら自身が原告の異動理由について、正しい認識を得ていなかったことをよく示している。

(2)  荻原は、前記のとおり、原告が異動を願い出ていたことは知らないと言い、また原告代理人の「この時期、「世界」には、原告とは別に異動の対象となっている部員がいて、原告がその部員の代わりに自分で異動願を出したと、これも訴訟になってから知ったということでよろしいですか」との質問に対して「はい・・・訴訟になってから、いや、ブログに金さんが書かれた時期なので、それが訴訟の前か後か、ちょっと。」と答えている(15頁)。そもそもこのような事実は、原告の異動経過に関するごく基本的な事実であって、荻原がまともに取材すれば、つまり「岩波書店関係者」からの取材結果を鵜呑みにせず、反対方向の事実はないかと取材をすれば、容易に知りえたものである。

 荻原がこうした姿勢で取材をしなかったことは、原告が問題社員であったために「世界」編集部から追い出されたという物語を作り上げた「岩波関係者」やその協力者からの、「伝聞」に基づいた情報のみに依拠し、ジャーナリズムとして当然なすべき、しかも容易に行い得たはずの別ルートからの取材を怠っていたことによるものであって、真実性に相当する取材行為を行なっているとは到底言えない。
 
(3)  容易に行い得たはずの別ルート(馬場公彦への取材)

 荻原は、11月23日に、馬場公彦への取材のために岩波書店「学術編集部」に電話したと証言している(10頁)。また、その際の電話番号は「インターネットで調べたのかと思います。」と述べた上で、原告代理人の「ネットに出てたはずだということですか。」という質問に対して、「ネットかどうか分かりませんが。」と証言している(同)。

 岩波書店は、当時も現在も、「学術編集部」および「学術一般編集部」(馬場の当時の所属部署はこちら)の電話番号はインターネット上では公開していない。このことは、岩波書店総務局にも確認済みである。荻原の証言は信用し難い。

 また、11月23日に電話したところ「連休明けにならないと連絡がとれない」と社員に言われたと言うが、休み明けの26日に取材を試みることが可能であったにもかかわらず、荻原は、26日には、「馬場さんには、取材しようと思いませんでした。」(11頁)と述べている。真実に迫る取材を担う者として、不可解な行動である。荻原は、「その優先順位の中で、下位にあると判断したということですね。」と言い直しているが、その日に本件記事について要したとする取材時間は、「二、三時間」(12頁)とのことである。毎週「基本的には1本ないし2本」(7頁)という担当記事の本数から考えても、荻原が、馬場への取材のために岩波書店に電話することが容易であったことは明らかである。

 この事実は、荻原には初めから別ルートからの取材をして原告の異動理由を確認しようとする気などなく、あらかじめ原告の社会的評価を低下させる筋書きに沿った事実さえ集めればよいと考えていたことを示している。

(4) 乙10号証の内容がほぼ伝聞であることはすでに指摘したが、乙10号証の内容それ自体にも多々おかしなところがあり、荻原が、客観的に冷静に取材する姿勢を持っていれば、この岩波書店関係者に確認し、問いただしたはずである。また、2時間も取材したのだから、具体的かつ詳細な事実が判明したものとそうでないものとは、明確に区別できたはずである。たとえば、原告が通名から本名を名乗るようになったのは、①いつからか、②何かきっかけがあったのか、“問題視”とは、具体的には何を指しているのか、日々の業務態度なのか、勤務実績なのか、単に協調性なのか、伝聞の部分は誰から聞いた話なのか、思い込みに過ぎず間違っているといわれていた原告の佐藤批判はどのような内容だったのか、そもそも、O記者の親しい知人であるというこの「岩波書店関係者」は、なぜ、自社の社員の悪口(乙10号証は原告の人格非難の羅列である)を週刊新潮に告げているのか、原告の人格非難を記事にすることで誰にメリットがあるのか、原告がここまでひどい態度や言動を取り続けていたら、社内で何らかの処分を受けてもおかしくないはずである、こんな態度の原告があっさり異動を受け入れるのはおかしい、など、「岩波書店関係者」の話の内容自体に矛盾や疑問があるというべきで、客観的な裏付けもない事実を、真実と信ずるに足る相当な理由はない。

 

5 原告が「社外秘」を漏らしたことについて

(1) 荻原が取材したと称する「岩波書店組合関係者」について、荻原は、どのような意味で岩波書店組合関係者と言えるかを明らかにしていない。岩波書店労働組合員は、170名前後(原告代理人は荻原に対し、200名であることを前提に質問したが、訂正する)存在するにもかかわらず、「その人物が特定される危険性もあるので」(25頁)などという不可解な理由で、岩波書店組合員であるかどうかも明言していない。そのような人物から取材したというような主張に、真実相当性は到底認められない。

(2) また、ここで「組合報」とされている「岩波書店労働組合壁新聞」が、社内の食堂で掲示されているという基本的な事実に関しても、「データにはどこにも出てきませんけれども、取材過程で聞いたことは間違いないんですね。」(26頁)という原告代理人の質問に対して、「そこら辺は、ちょっと正確には分かりません」と答えており、取材時に認識していたかは極めて疑問とせざるを得ない。

(3) 乙13号証は、「組合の中では大問題」「佐藤氏への批判の材料にされているのですから組合にとっては目も当てられません」「組合執行部は・・問題視しています」とあるが、具体的な問題は何も指摘されていない。「どのような理由で壁新聞は「社外秘」扱いなのか」「無断で引用とあるが、許可を得れば引用は可能なのか」「今回論文で引用された内容が社外に出るとどのような問題があるのか」「問題視とあるが、組合執行部は原告を呼んで事情を聞くなどしたのか」など、普通に考えても、具体的な事実を確認するための質問事項がいくらでもある。荻原は、このような質問をせず、具体性のまったくない抽象的な「取材メモ」でよしとしているようだが、ここに書かれている内容は、「どうやら組合で原告が壁新聞を一部引用したことが噂になっているようだ」という内容と大差ないものである。真実相当性など到底認められない。

 

6 被告佐藤の発言について

(1) 被告は、乙11号証の、「例えば「佐藤が言う「人民戦線」とは、「国民戦線」である」なる箇所(P143)がありますが、そもそも私は「国民戦線」なる言葉を使ったことがない。これは不当要約です」の部分について、真実は「「国民戦線」なる言葉を使ったことがない」との記述は荻原の誤記で、正しくは「「人民戦線」なる言葉を使っことがない」だったと主張している。

 しかし荻原は、原告代理人の「何を不当要約したんですか。」(19頁)という質問に対して、「つまり、人民戦線というのは国民戦線のことであるというふうに要約したということなんじゃないですか。」と答えた(同)。次に、原告代理人の「人民戦線という言葉を使ったことがないと、不当要約にならないんじゃないですか。」(19頁)という質問に対して、「だから、使ってもない言葉を使って要約したということなんじゃないですか。」とも答えた(同)。

 「人民戦線というのは国民戦線のことであるというふうに要約したということ」を「不当要約」だとする荻原の認識は、佐藤が取材時に、「そもそも私は「国民戦線」なる言葉を使ったことがない。これは不当要約です」と述べていたことを前提として初めて理解できる。乙11号証に誤記などなかったとしか理解できない。

 このことは、2008年1月時点で、被告佐藤が、「朝鮮人を除いた国民戦線という議論は一切していない」と発言していたことからも裏付けられる(甲84号の添付②)。

(2) 荻原は、論文にあたってその箇所を確認した旨発言している(19頁)が、原告が論文で使用した「国民戦線」という言葉が、一方で「人民戦線」を提唱しておきながら在日朝鮮人を排除している被告佐藤の主張への論評として用いられていることは、論文を一読すれば明白である。荻原が明らかに論文をまともに見ておらず、被告佐藤の誤読または思い込みに基づいた主張を鵜呑みにしていることは明らかである。

 また、仮に現実に被告佐藤が取材時に「「人民戦線」なる言葉を使ったことがない」と主張していたとしても、それならば荻原は被告佐藤の発言の意味を全く理解していなかったことになる。

 週刊誌の記者として、人民戦線ないし国民戦線という言葉は理解しているのが普通だと思うが、もしわからなければ調べればよい。萩原はまともに最低限の検証・確認作業を行なっていないのであり、真実相当性を主張する前提さえないというべきである。

(3) 荻原はまた、佐藤の発言が信用できると考えた理由として「付言すれば、佐藤さんと新潮社は親しいというか、本も出版している関係にあって、非常に信頼関係があるので、かつ自分の論文について一番見知っているのは著者である佐藤さんご自身ですので、そういった事情も勘案して、信用性があると判断しました。」と述べた(20頁)。

 新潮社との「信頼関係」や、「自分の論文について一番見知っているのは著者である佐藤さんご自身」などといった理由を挙げて「信用性があると判断」したなどという認識は、特定の立場に偏らない取材・検証といった、ジャーナリズムの一般原則から著しく乖離したものであって、そのような理由が真実相当性を構成するはずもない。

(4) 乙11号証に書かれている被告佐藤の発言内容も、取材する側が冷静に受け止めれば、不自然であり不合理なところが多々あるものである。そもそも被告佐藤は、なぜ無名の原告の論文などに激怒しているのか(被告佐藤と原告とでは、社会的な著名性ははるかに異なる)、被告佐藤が私への個人攻撃だと言うが果たしてそのようなことはありうるのか、壁新聞の引用と企画が外部に出るということを同じレベルで話しているが異なる問題ではないか、実名で論文を発表している原告が岩波書店の社員であることを隠すというのはおかしいのではないか、岩波社員という「特権的地位」とは何か、情報によっては被告佐藤の活動に影響を与えるとは何を言いたいのか、被告佐藤は原告の論文ひとつでなぜここまでエキサイトしているのか、会社としての使用者責任とは何か、被告佐藤が言うところの「訴訟」「裁判も辞さない」の訴訟の目的や争点は何か、というように、多くの疑問が生じる発言内容のはずである。

 それをそのまま鵜呑みにし、具体的な検証を行う姿勢もまったくなく、「佐藤さんと新潮社は親しいから、信用しました」では、お話にならない。

(5) また、乙11号証には、被告佐藤が話したはずのことが書かれていない。荻原は、『インパクション』の深田氏に、「被告佐藤は、『死刑廃止集会に協力したのに(集会の主催者の一人が)自分の批判を準備していたことに怒っている』と話しているが(甲84号証の添付②)、この点の記載がない。また、被告佐藤からの取材は2時間に及んだというのであるが、乙11号証の内容は5~10分もあればすむ話である。

 よってこの点も、真実相当性は認められない。

 

第5 被告の主張の迷走

1 ところで、前記第1の2、3でもふれたが、被告は、原告の編集部内での発言やブログ内容などの事実摘示と、原告の異動の理由を、合理的理由もなく切り離している。

 本来、被告は、真実性を証明するため、①原告が『世界』編集部で「“反総連の記事はけしからん!”“なぜ佐藤を連載に使うのか!”などと抗議をしたり、匿名で始めたブログで佐藤氏やジャーナリストの斎藤貴男氏など、社と関係の深い作家の批判を繰り返すようになった」ことと、②『世界』編集長が原告を「持て余し、校正部に異動させた」こととの関係を立証する責任がある。しかし被告は、この立証範囲を、岡本が原告を「持て余し、校正部に異動させた」ことに限定するという不可解な主張をしている。①は原告の社会的評価を低下させるものではないが、②はそれを低下させる、ということのようである。また、そのために、「被告も、原告が異動願を出していたことは耳にしていた。」という主張まで持ち出している(異動願のことは聞いていたから、①と②は関係がない、と言いたいとしか考えられない)。この被告の主張は、自らの取材不足を隠蔽するために、文章の自然な流れや文脈を、無理な理屈で分断し、論点をすり替えている。

2 そもそも,例えば性格の不一致など,上司と部下が衝突した結果,部下が異動するといったケースは,世間一般において極めてありふれた事例であって,「世界」編集長が原告を「持て余し異動させた」という事実の摘示だけでは,原告が主張する程度の名誉の低下は生じない。

 この箇所の記述によって社会的評価が低下するのは,原告が特定の政治団体(朝鮮総連)の熱心な構成員もしくは同調者であり,『世界』の確定した編集方針に対して編集部に居座ったまま反旗を翻し,その姿勢を持て余した『世界』編集長によって異動させられたとの事実の摘示により,原告が,非理性的で,自分勝手で,非常識な人間であると読者に受け取られるがゆえに,成立すると解されるべきであり、被告(塩見)もそのように受け止められることを目論見、仕組んで本件記事を書いたのである。

3 一方、前記のとおり荻原は、原告が異動届を出していたことは知らなかったと言い、この時期、「世界」には、原告とは別に異動の対象となっている部員がいて、原告がその部員の代わりに自分で異動願を出したことも、「訴訟になってから、いや、ブログに金さんが書かれた時期なので、それが訴訟の前か後か、ちょっと。」と述べている(15頁)。

 被告の、「原告が異動願を出していたことは耳にしていた」という主張は、荻原によって否定されたというべきである。

 

第6 被告佐藤代理人による質問の思惑とそれに対する反論

1 被告佐藤の代理人は原告に対して、「そもそもあなたは異動願を出してないから、そのような話合いになったんじゃないですか。異動願をそもそもしてないから。」と質問しているが(原告本人尋問調書21頁。以下原告と頁数のみ記す)、これは前提が間違っている。

 被告佐藤の代理人は、原告が、「現在の編集方針では時間外労働をこれ以上行わない、編集部員山本の代わりに自分が出てもよい」と宣言したことについて、異動願を出したことにはならないとの前提で質問をした。しかしながら原告は、当時、すでに「世界」編集部での仕事を続けることには精神的に限界を感じていた。そのため、「異動が内定していた部員に代わり自分が出たい」と述べ、かつ、「残業をしない」という意思表示をしたものである。仮に原告が、編集方針について精神的に耐えられずそれを理由として出社を拒否すれば、就業規則違反に問われる可能性が高かった。当時の原告が、そのようなリスクを負担する必要もなかったので、時間外労働を拒否したのである。

 「岩波書店職員就業規則」の「第16条」には、「週日労働時間を33時間とする。平日の営業時間を午前9時から午後4時15分までとする。営業時間との関係で生じる週労働時間の不足分は、各自の仕事の状況に応じ、各職場ならびに各人の自主的判断に基づいて、原則としてその週の労働日内に処理する。なお業務の性質によって出勤時刻を早めまたは退出時刻を遅くすることがある。」と定められている。また、岩波書店は当時、労使間で三六協定を締結しておらず、労働基準法上、時間外労働は認められない状態にあった(なお、この事態は、2010年5月12日、労働基準監督署が岩波書店に対して行政指導を行ったことにより、現在、岩波書店は多数派組合である岩波書店労働組合との間で、三六協定妥結に向けて交渉中である)。

 したがって、当時、社員が時間外労働を拒否した場合、会社は残業を命じることは法的にはできなかった。そして、「世界」編集部での業務は、編集部員の深夜までの恒常的な時間外労働がなければ不可能であり、原告も当時、校了日前は会社に泊まりこみで作業する日も珍しくなかった。このような業務形態の下で時間外労働を行なわずに編集部員としての活動を続けるのは実質的に無理であることは、編集部員間では共有されていた。

 だからこそ、これは実質的な異動願なのであり、会社も編集長もそのように受け止めていた。

 事実、その際の岡本と原告のやりとりでも、その後のやりとりでも、原告の宣言は、山本の代わりに自分が出たいという異動願として扱われている。原告は、配属希望(甲91号証の切り取られた右半分)を提出し、面接が行われた(甲92号証)。そのような経過のもと、原告は、「世界」編集部から離れることになったものである。

 岡本自身も「世界」編集部部会において、「金君から異動願が出されたこと」について言及している。また、後日の原告と会社(宮部信明編集部長・取締役(当時)、小島潔編集部長(当時))との面談でも、原告が編集方針の違いを主たる理由として異動願を出したことは前提として扱われている。

 なお、この被告佐藤代理人の質問の前提は、前述の「被告も、原告が異動願を出していたことは耳にしていた。」という被告の主張とも矛盾している。

 

2 また、被告佐藤代理人の質問から、原告が時間外労働をこれ以上行わないと宣言したことを、原告が「世界」編集部に居座り続けて無茶苦茶なことを主張したとして、「編集長ももてあまし」という記述の根拠としたいのではないかと推測できた。つまり残業拒否も問題行動のひとつであり、もてあまされた原因だと言いたかったのではないか。

 しかし、そもそも時間外労働を要求すること自体が違法行為であり、原告がそれを拒否したことは法に基づいたものである。一般読者の普通の注意と読み方にしたがえば、「編集長ももてあまし」という記述は、原告が異常な行動を行ったことを前提とするものであるが、この場合の原告の行為は法的に正当なものであり、三六協定を締結しないまま時間外労働を恒常的に要求する会社の方針こそが違法であるから、原告の宣言は「編集長ももてあまし」という記述の根拠にはなりえない。

 また、原告が「世界」編集部に居座ろうとしているならば、山本への異動の内示に合わせて申し出て、自分が山本の代わりに出てもよいなどと言うはずもない。

 原告が異動願を出した直後に知人に送ったメール(甲85号証)からも、原告が編集方針の違いを主たる理由として異動願を出したことは明らかであり、原告が異動を願い出たことを前提として、以後、岡本や会社とのやりとりが進められていたことは明らかである。

 

3 また、被告佐藤の代理人は、2007年2月23日の原告と小島編集部長・岡本とのやりとり(全文反訳は甲33号証、音声記録は甲34号証)の中で、「今度は校正ですと、実は第2志望ですという話も出てない」(原告20頁)ということをもって、原告が異動願を出したとの事実を否定したいようであるが、これも失当である。

 甲33号証の業者による反訳文の以下の箇所は、反訳として不十分である。甲34号証で音声データを提出しているので確認されたい。

「小島氏「うん。あの、金君のほうで、ちょっと確認しておきたいっていうことがあれば、あの、答えられる限りのことは、答えるというかたちになると思いますけど。」
金氏 「ああ。そうですね。僕は別に、あのまあ面接でもですね、校正っていうのが、あの、お話もしましたので、それは別に、あのう、○○というとじゃないんですけども。」
岡本氏「面接と言うと、」
小島氏「あ、ミヤベ、」
金氏 「あのう、○○ね、面談でですね、」
岡本氏「面接○○。」
金氏 「○○は、お話ししましたので、それで校正っていうわけじゃないんですけれども、」
岡本氏「うん。」」
(甲33号証の10~11頁)

 音声記録である甲34号証の6分45秒から7分9秒の箇所から正しく補うと、以下のようになる。

「小島氏「うん。あの、金君のほうで、ちょっと確認しておきたいっていうことがあれば、あの、答えられる限りのことは、答えるというかたちになると思いますけど。」
金「ああ。そうですね。僕は別に、あのまあ面接でもですね、校正というのは、お話もしましたので、それは別に、あのう、否定ということではないんですけれども」
岡本「面接というと、」
小島「あ、宮部」
岡本「ああ、面談ね、」
金「ああ、面談でお話しましたので、それは別に否定しているわけではないんですけれども」
岡本 「うん。」

 また、甲34号証9分23秒から33秒の箇所の以下の反訳文(33号証14頁)も、上と同様の趣旨を原告が述べたものである。

金氏 「あのいや、減員対象になってるとも聞いてたんで、」
小島氏「うん。」
金氏 「それで、いやあの、否定してるわけじゃないんですけれども、」
小島氏「うんうん。」
金氏 「あの、それは私も前に申しあげたとおりなんですけども。ちょっとそれ確認したかったっていうことなんです。」

 このように原告は、宮部らとの面談で第2志望として校正部を希望したがゆえに、異動を否定しているわけではないと3度にわたって述べており、「今度は校正ですと、実は第2志望ですという話も出てない」という被告代理人の理解は明らかに事実に反している。

 

4 被告佐藤の代理人は、上記の原告と岡本・小島とのやりとりの中で、「あなたから異動願が出ているという話は一言も出ていないんですが、どうしてなんでしょうか。あなたの異動願に基づいて異動を決めましたという話は、全然出てこないんですよ。」と質問した。しかし、原告が異動を願い出ていたことは、ここでの会話の大前提であり、岡本も小島もその前提を共有していたがゆえに、あえてそれについては誰も言及してなかっただけのことである。したがって、言及がないことによって、異動願が出されていなかったことになるはずもない。

 甲34号証の11分28秒から12時55分までの箇所のうち、一部関係箇所を補うと、以下のようになる(甲33号証の17~19頁)。

金氏 「ああ。いや、それは私のパーソナリティの問題というよりも、僕としては、そのう、ナカモトさんであったり、」
岡本氏「うん。」
金氏 「あの、そういった問題に関して、その僕としてはその仲裁を、岡本さんにお願いしたんですけども、」
岡本氏「うん。」
金氏 「それは、やられる必要がないというふうにお話しされたことと、」
岡本氏「うん。うん。」
金氏 「○○は編集○○の問題で、」【原告補足:「あとやっぱり編集方針の問題で、」】
岡本氏「うん。」
金氏 「あのう、違いで、やっぱりこれは。まああの、岡本さんであったり、経営の方々は、私のパーソナリティっていうふうなかたちにされるかもしれませんけど、」
岡本氏「うん。」
金氏 「僕としては、やっぱりそこの問題ではないかなと、」
岡本氏「うんうん。」
金氏 「理解しています。」
岡本氏「まあ、それを今議論してもね。」
金氏 「まあ、そうですよ。」
岡本氏「そうだよね。」
金氏 「ええ、ええ、そうです。」
岡本氏「いや、これは僕の感想だと思って、」
金氏 「ええ、ええ。」
岡本氏「聞いてもらいたい。」
金氏 「こちらが、ええ。」
岡本氏「あの、で、ええ、というふうに思ってるし、」
金氏 「はい。」
岡本氏「何て言うんだろうな、あの、去年やったシン、日韓のシンポジウムでも、」
金氏 「ええ。」
岡本氏「ええ、○○先生と、あ、○○も、ああ在日の人『世界』にいるんですかって○○、」【原告補足:「ええ、金石範先生と、あ、池明観さんも、ああ在日の人『世界』にいるんですかって言ってたし、」】
金氏 「ええ。」
岡本氏「ある意味非常に驚かれたし、」
金氏 「はい。」
岡本氏「まあ、期待もされた部分もあって、」
金氏 「ああ。」
岡本氏「で、そういうところを考えると、ほんとにね、ええ、極めて残念だっていう気はするし。」
金氏 「あ、いや。逆にそこは、僕はその、課に在日の人がいてですね、」
岡本氏「うん。」
金氏 「あの、佐藤優さんの話や、」
岡本氏「うん。」
金氏 「ほかの話もしましたけれども、」
岡本氏「うん。」
金氏 「そういった紙面構成やれば、ある種、お墨付きを与えてることになると思うので、」
岡本氏「うん。」
金氏 「やっぱりその、まあ、民族系の○○なあ、とかですね、」【原告補足:「やっぱりその、まあ、民族系の機関が(弾圧を加えられるのを在日朝鮮人が容認していると受け止められる)、とかですね、」】
岡本氏「うん。」
金氏 「まあ、それはやっぱり、もうそういった紙面構成されるんであれば、」
岡本氏「うん。」
金氏 「私やっぱり、そう引いた、引いたほうがいいだろうと、」
岡本氏「うん。」
金氏 「思○○。」【原告補足:「思ったということです。」)
岡本氏「ということです。」
金氏 「ええ。」

 ここからは、原告が準備書面等で繰り返し述べてきているように、原告が、被告佐藤やその他の人物(川人博)を起用するという編集方針の違い、職場での中国人差別発言について岡本が仲裁しなかった件、原告が誌面に登場することになれば佐藤らの起用に在日朝鮮人がお墨付きを与えることになるという点を理由として、自ら身を引いたほうがよいと考えて、異動申請した事実が述べられており、それらは既に何度も岡本に対して異動申請時から話してきたことであったので、岡本もここで何度も聞いたことがあるものとして受け取っている。小島が何ら口を挟んでいないのは、小島に対しても、面談でそのことについては既に話していたからである(尋問時には、面談時に宮部と同席した人物は別の役員だと記憶していたが(原告20頁)、これは誤りで、後でメールを確認すると、面談時に小島も出席していたことが明らかになったので(甲92号証)、訂正しておく)。

 原告が上記の理由で異動申請していたという事実を、岡本も小島も、そして会社も共有していたことは、上のやりとりからも明らかである。

 

5 また、甲91号証は、「業務の内容/配属などの希望に関する調査票の配布・面接の実施にあたって」と題された文書であるが、甲33号証にある「面談」とは、ここで言及されている「面接」を指している。原告は、ここで記されている手続きに則り、「調査票」を提出し、既に12月7日に示されていた異動願に関する原告の主張・希望を改めて開陳するために、「面接」(面談)においてその旨述べたのである。

 この文書では、「「異動」に関する希望」と明確に記されており、原告の「面接」(面談)での主張・希望が、「「異動」に関する希望」として会社によって受け止められていたことは、この文書の規定からも明らかである。

 

第7 被取材者としての被告佐藤の責任

 被取材者としての被告佐藤の責任については、原告準備書面(4)の第3に述べたとおりである。

 被告佐藤は、陳述書で、「私は、本件記事につき、上記の取材を受けただけで、それ以外に如何なる関与もしていません。」と述べ、記事およびそこでのコメントに対する佐藤の責任を否定しているが、被告佐藤への反対尋問は実施されていない。反対尋問を経ていない以上、被告佐藤の陳述書をそのまま信用することは許されない。

 

第8 最後に

1 本件記事の異動に関する記述の箇所が,原告の社会的評価を著しく低下させているのは,原告が、編集者および会社員としての社会的規範に則った上で,自らの思想・良心の自由を守るためにやむなく異動願を出したにもかかわらず,本件記事においては,逆に,原告に問題があったからこそ異動がなされた,とされている点である。

 仮に被告が,本件記事において、被告佐藤の『世界』への起用に反対する理由を正確に記した上で,原告が異動願を申請した事実を記述していれば,被告が主張する,岡本編集長が原告を「持て余し」て異動させたという事実,原告が予期していなかったと読者が推測すると思われる校正部への異動の事実は,岡本編集長および株式会社岩波書店が,原告による被告佐藤の起用への反対を理由として生じさせたもの,と読者は解釈するはずである。その場合には、原告の社会的評価は低下しない。

 だが,本件記事においては,異動願を出した事実が無視された上で,歪曲された反対理由が記述されているのであり、これは原告の人としての尊厳に伴う心情を著しく犯したものである。

2 原告は、膨大な文献を検証し、分析し、本件論文を執筆したが、本件記事は、「私が言ってもいないことを,さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容です」「言論を超えた私個人への攻撃であり,絶対に許せません。」などと記述した。原告には、まだジャーナリズムの現場でやりたいことも多くあったが、本件記事により原告の資質についての評価は大きく損なわれた。

3 前記1、2の原告の損害は、記事を書く側の者と個人的に親しい者の発言や、出版社が信頼する筆者の発言が、客観的な裏付けもないまま公表された結果である。このようなことが許されれば、仲間内で誰かターゲットを決めて、週刊誌上で誹謗中傷することなど容易に可能であることを銘記すべきである。
 


以上
 

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