第10回口頭弁論期日②(2010年9月1日):原告準備書面(4)


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第10回口頭弁論期日(2010年9月1日)
陳述書面:原告準備書面(4)
http://watashinim.exblog.jp/11858995/



平成21年(ワ)第19716号 損害賠償等請求事件
原告 金光翔
被告 株式会社新潮社ほか

準備書面(4)

平成22年9月1日

原告訴訟代理人
弁護士 加  城  千  波

東京地方裁判所民事第5部合議係 御中


第1 被告準備書面(5)に対する反論

1 「第1 原告の準備書面(3)に対する反論」「2」

(1)「(1)」について

 被告は、甲3号証の141頁から142頁の「人民戦線という罠」において、「佐藤の「民族の罠・第6回(世界2005年12月号)」と、佐藤優・魚住昭「ナショナリズムという迷宮(朝日新聞社2006年12月)」の2本の論文が出典に引用されている」と主張している。だが、当該箇所で原告が佐藤優・魚住昭「ナショナリズムという迷宮(朝日新聞社2006年12月)」から引用しているのは、「いまの佐藤さんの言論活動の目的は、迫りくるファシズムを阻止するために新たなインターアクションを起こすことだ」との魚住昭の発言であって、被告佐藤の発言ではない。

 そもそも被告は、被告準備書面(3)において、「本文の中で佐藤の論文が2本引用されているが、 その中で 佐藤は「人民戦線」という用語は一切使用していない。」(3頁)と主張しているのであるから、ここで問題になっているのが被告佐藤の発言であるのは明らかである。したがって、被告佐藤が共著者であるからといって、佐藤優・魚住昭「ナショナリズムという迷宮(朝日新聞社2006年12月)」は佐藤発言の引用例として問題になりえない。被告の主張は論外であり、失当である。

(2)「(2)」について

 被告が挙げている「国家の論理と国策捜査(マスコミ市民・2007年9月号)」は、143頁から144頁の「『国民戦線』としての『人民戦線』」の本文においては引用されておらず、その箇所にある注の「(55)」(甲3号証、157~158頁)で引用されているものである。

 この箇所に関して、被告準備書面(3)において被告は、「 本文の中でも 佐藤の論文が2本引用されているが、その中で佐藤は「人民戦線」という用語は一切使用していない。」(3~4頁)と主張しているのであるから、ここで問題になっているのは甲3号証の本文の箇所における引用であると解される。被告が挙げている「国家の論理と国策捜査(マスコミ市民・2007年9月号)」は、本文ではなく、注において言及されているものであり、本文においては「集団自決の教科書検定問題で文部官僚を追い込め(週刊金曜日・2007年9月14日号)」からしか被告佐藤の発言の引用例はない。被告の主張が論外であることは明らかである。

(3)「(3)」について

 被告は、原告が被告佐藤の主張を「人民戦線」と要約することに対して、「人民戦線」が「歴史上の概念」であることを理由として否定しているのであるから、「「ラトビア人民戦線」が頻繁に登場する被告の著書『自壊する帝国』(新潮社刊行、2007年5月30日発行。甲46号証)に、「人民戦線」に関する被告佐藤の見解の提示が本来あってしかるべきである。ところがそのような提示はなされていないのであり、この事実は、「人民戦線」は「歴史上の概念」であるから要約として不当であるという被告佐藤の主張が、裁判用にでっち上げられたものであることを示している。被告の主張は失当である。

(4)「(4)」について

 被告は「人民戦線」が「歴史上の概念」であることを理由として、原告が被告佐藤の主張を「人民戦線」と要約することが不当であると述べているのであるから、被告の主張を否定するには、「歴史上の概念」とは独立して、「人民戦線」という用語が一般的に使用されているものであることを示せば足りる。被告の主張は失当である。

 また、被告は、「これを批判するのに学術的色彩より政党色の強い新日本出版社等の文献(甲45号証)などの記述を引用しても無意味」などと主張している。だが、仮に新日本出版社が「政党色の強い」ことが事実であったとしても、そのことは、その出版物が学術性を持たないことを意味しない。また、被告は、「学術的色彩より政党色の強い」ことが、いかなる意味において、「人民戦線」と「反ファシズム統一戦線」が同義とされていることに影響を与えているかを何ら示していない。被告の主張は失当である。

(5)「(5)」について

 被告は、「乙11号証の1頁15行目から16行目にかけての「そもそも私は『国民戦線』なる言葉を使ったことがない。これは不当要約です。」とある部分は、それに先立つ部分、即ち、乙11号証の12行目から15行目にかけての、「例えば、佐藤が言う『人民戦線』とは『国民戦線』であるとなる箇所(P143)がありますが、」に照らしてみると、「そもそも私は『人民戦線』なる言葉を使ったことがない。これは不当要約です」の誤記であることが容易に判明する。」などと主張しているが、被告佐藤のこの二つの発言自体は別に矛盾しておらず、「誤記であることが容易に判明」するはずもない。

 「例えば、佐藤が言う『人民戦線』とは『国民戦線』であるとなる箇所(P143)がありますが、そもそも私は『国民戦線』なる言葉を使ったことがない。これは不当要約です」という乙11号証のとおりの発言であれば、これは文脈上自然なものである。

 しかし、「そもそも私は『人民戦線』なる言葉を使ったことがない」と発言したのであれば、「これは不当要約です」という発言が出てくるはずがない。「『人民戦線』とは『国民戦線』である」などと、要約する前提がなくなるはずだからである

 なお、甲84号証添付②にあるとおり、被告佐藤は、インパクションの深田氏に対しても、「朝鮮人を除いた国民戦線という議論は一切していない」と述べていたのである。

 したがって、「『国民戦線』なる言葉を使ったことがない」は、「『人民戦線』なる言葉を使ったことがない」の誤記であるとの被告の主張は失当である。

 被告佐藤を取材した荻原が、被告佐藤の発言を間違えて記載した(誤記、との主張はそういう意味であろう)、ということであれば、少なくとも荻原は、被告佐藤が指摘しようとした本件論文の問題を理解していなかったということであり、デスクの塩見も同様、本件論文を直接確認してその問題点を把握していなかったことになる。

 また、被告は、被告準備書面(4)において、

「その後、荻原記者は西国分寺駅に移勤して、同駅付近の喫茶店において、2時間程度、被告佐藤に対して、取材を行った。
 この取材により、「IMPACTION」の論文の件は、11月初句に友人から連絡を受けて知り、執筆者が岩波の社員であると間いたことから、岩波書店側に抗議したこと、この論文の中で、佐藤氏が言ってもいないことをあたかも佐藤氏の主張であるかのように書かれている部分があるなど、メチャクチャな内容であり、言論を超えた佐藤氏に対する攻撃であり、絶対に許せないこと、このような論文を掲載した「IMPACTION」にも抗議をしたが、岩波にも責任があると考えており、組合の「壁新聞」のように「社外秘」扱いを受けている文書が容易に外部に出てしまうところとは安心して仕事ができないと考えており、今後の対応によっては岩波書店に対する訴訟に出ることも辞さないと佐藤が考えていること、といった事実が取材できた(乙11号証)。」

などと主張し、 「この論文の中で、佐藤氏が言ってもいないことをあたかも佐藤氏の主張であるかのように書かれている部分があるなど、メチャクチャな内容であり、言論を超えた佐藤氏に対する攻撃であり、絶対に許せないこと」とする根拠として乙11号証を提示しているのであるから、仮に誤記であったならば、被告は被告準備書面(4)において、虚偽の事実を基に、「事実が取材できた」などと、虚偽の主張を行っていたことになる。

 そもそも、原告準備書面(3)の「第4 本件記事執筆経緯の真相」で述べたように、乙11号証をはじめとした、被告が提出してきた「取材記録」なるものは、すべて取材日付すら明示されていない、記録として不備のあるものである。また、被告は取材に必須のはずの音声記録すら提出していない。被告が主張する「取材記録」なるものの証拠能力は著しく低く、裁判用にでっち上げられた可能性も否定できないものである。

 仮に乙11号証が、「取材記録」として証拠能力を有しているとしても、被告が主張するように「誤記」であったならば、原告が原告準備書面(3)の「第1」「5」「(4)」において、矛盾を指摘する前に、何故このような重大な「誤記」について被告準備書面(4)等において注記しなかったのか理解不能である。

 「誤記」云々の被告の主張が、現状では辻褄の合わない被告の主張に無理矢理整合性をつけるためのものに過ぎないことは誰の目にも明らかである。このことは、被告佐藤の「私が言ってもいないことを、さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容です。言論を超えた私個人への攻撃であり、絶対に許せません。」 なる発言が、被告佐藤による原告論文の恣意的な読解または誤読に基づいたものであって、 被告がこれまで挙げてきた「人民戦線」云々や「曲解していること」云々が、本件記事の雑誌掲載時においては考慮されておらず、裁判用にでっち上げられたものであることを示している。被告の主張は失当である。


2 「3」について

 被告は、「2009年3月14日に、原告が週刊新潮編集部に架電した際、編集総務の佐貫とどのようなやりとりをしたかは不明であるが、週刊新潮編集部の塩見記者と佐藤が「毎日のようにやりとりしている」ような事実は全くない。」と主張している。だが、甲83号証の、

(以下、<>内は聞き取りにくい箇所)

佐貫氏「担当者(注・塩見デスク)に聞いたら、あのう、(注・被告佐藤への質問状を)渡すのは簡単だと、毎日のように、むしろ連絡していると<いうことですから>」
金氏 「あぁ、そうですか。はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。」
佐貫氏「あのう、ウェブでメールでお宅様のウェブ(注・被告佐藤への質問状が掲載されているアドレス)を送ってお伝えするのは基本的に<自分は可能だと>」
金氏 「えぇ、えぇ。」
佐貫氏「新しいのを作って<また送るのは>大変だと思いますので。」
金氏 「あぁ、あぁ、あぁ。なるほどなるほど。」
佐貫氏「書いたとしても内容証明をいじったから<送られてこないとか>」
金氏 「いやいやいや。」

とのやりとりにあるように、週刊新潮編集部の佐貫は「週刊新潮編集部の塩見記者と佐藤が「毎日のように連絡している」と、原告に対して語っている。被告の主張が失当であることは明らかである。

 なお、甲83号証の会話の全体をみると、被告新潮社が、原告が送付した内容証明郵便を社内で紛失した(あるいは社内で行方がわからなくなっている)かのように装っていることが明らかである。およそ、被告新潮社のような出版大手において、内容証明郵便が送達されることは日常のことであり、またその取り扱いには十分慣れていて、編集総務において、紛失ないし社内で行方が分からない、といったことなどあるはずがないからである。


3 「4」について

(1)「(1)」について

 「社外秘のはずの組合報まで引用されているのですから、目も当てられません。」「社外秘の文書がこんなに簡単に漏れてしまう所とは安心して仕事が出来ない。」との記述に接した一般読者が、「社外秘」の記述が意味する内容について、「想定している読者は社内で働く組合員で(あり)」「その内容が社外に公表されることがないことを前提としてい(る)」などという、違法性の低い(存在しない)ものであると考えるはずがない。被告の主張は失当である。

 一般に、「社外秘」とは、会社の外に持ち出されることがあれば、会社にとって損失をもたらすべき内容を含む情報であり、その情報については会社として徹底した管理下にあるはずの文書ないしデータである。少なくとも、「社外秘」という表現に接する一般読者は、このように理解するのが当然である。「社外秘」を漏らす、とは、会社に対する重大な背信行為を指し、一般読者がこのように理解することも明らかである。

(2)「(2)」について

 原告準備書面(3)において詳論したように、株式会社岩波書店および岩波書店労働組合は、「カベ新聞」が社外の人間にも読まれうる点から、「カベ新聞」に「社外秘」の情報が掲載されないことを前提としている。これは原則であって、被告が主張するような「例外的事実」ではない。

 また、被告は、「組合紙記載内容が就業規則上の「会社の機密」に該当しないことは当然のことであって、原告の主張は論外である。」などと主張しているが、その非難は、本件記事において、原告が引用した組合紙を「社外秘」などと記述している被告らにこそ向けられるべきである。

 そもそも、会社の文書が「社外秘」とされる場合は、文書に「秘」または「社外秘」等の会社の判子が押されるのが通常である。被告新潮社は、「岩波書店組合関係者」からの取材によって、「壁新聞」が「「社外秘」扱い」になっていることを認識したと主張しているが、「壁新聞」に「社外秘」であることを示す判子等が押されていることを確認しておらず、また、「壁新聞」がいかなる態様で社内において掲示されているかも確認していない。被告の主張が、杜撰な取材を糊塗するためのでっち上げであることは明らかである。

 被告の主張は全て失当である。


4 「6」について

 原告準備書面(3)の「第4 本件記事執筆経緯の真相」は全て真実である。

 被告は、「面談は、被告佐藤からの申入れによるもの」という事実を認めた上で、「その意図は、インパクションが佐藤批判の著述を掲載することを編集方針とし、今後、佐藤批判の著述を積極的に掲載していくか否かを確認することであった。 」「「手打ち」というような下世話なものではなく、言論人、出版人として、互いの立場を十分にわきまえた話であった。 」と主張している。

 だが、被告が原告の論文に対して異論があるならば、『インパクション』に反論文を送るか別の雑誌で反論を発表すればよいのであって、それを行わずに今後の編集方針を「確認」しにいくという行為自体が、被告も認める安田と深田との「昵懇の間柄」であることを利用した、自らへの批判封じであることは明らかである。


第2 被告佐藤の陳述書(乙18号証)について

1 「3」について

 被告佐藤は、「「社外秘」云々の部分は、岩波書店に対する発言であって、原告に対するものではありません。」と主張している。だが、ここで被告佐藤は、「社外秘の文書がこんなに簡単に漏れてしまう所」などと、原告が「社外秘」を漏らしたという虚偽を既定事実として述べているのであるから、前記のとおり、原告の社会的評価を低下させることは明らかである。

 また、被告準備書面(1)の6頁にあるように、ここでの「社外秘」なる発言は、被告佐藤が「岩波書店の社員」から直接「耳にした」情報に基づいてなされているものであるから、ここで被告佐藤が示している、原告が「社外秘」を漏らしたなどという発言の責任は、被告佐藤が当然負うべきものである。被告佐藤の主張は失当である。

2 「4」について

 被告佐藤は、本件記事への関与を否定しているが、これまで指摘してきたように、本件記事が被告佐藤の私怨に端を発した、被告佐藤と被告新潮社および早川清との結託によるものであることは明らかである。

 また、上で挙げた原告と週刊新潮編集部佐貫とのやりとりから明らかなように、被告佐藤が本件記事執筆者である塩見洋と昵懇の間柄である事実、本件記事掲載の約半年前(2007年5月10日発売)に、被告佐藤のコメントつきで、被告佐藤の怒りを買ったと思われる人物の中傷記事が同誌に掲載されている事実(甲13号証)、被告佐藤が被告新潮社から複数の著書を刊行している事実から、被告佐藤が、荻原記者に語った発言内容の主要な部分が『週刊新潮』誌面に掲載されることを事前に確信しており、その前提で発言していることもまた明らかである。

 したがって、本件記事における被告佐藤の発言の名誉毀損性に関しては、被告新潮社および早川清のみならず、被告佐藤自身も責任を負うのは自明である。


3 「5」について

 被告佐藤は、「原告は、私が原告の言論を封殺するために、週刊新潮をして本件記事を書かせたかのように主張しています。しかし、これも全く事実に反します。 私は、言論に対する批判については、言論で反批判すればよいと考えており、これを封殺するようなことは一切考えていません。」などと主張している。

 だが、被告佐藤が原告の論文に対して裁判前に行なった行動は、「言論で反批判」するどころか、本件記事を週刊新潮に書かしめ、また、『インパクション』編集長と「手打ち」をし、原告がわざわざ送った質問状に対しても回答を拒絶するというものである。被告佐藤の行動それ自体がこの発言が虚偽であることを示している。


4 「6」について 

 被告佐藤は、「原告は、本件著述において、私のことを「取るに足らない『思想家』」、「右翼」、「拝外主義者」(ママ)、「国家論者」、「帝国主義者」、「極端な解釈改憲論者」、「対北朝鮮戦争肯定派」とラベリングをした上、私の言論を「詐術」、「ハツタリ」と批判しています。これは、批判と言うより誹謗に近いものと考えられます。」などと主張している。

  だが、「取るに足らない『思想家』」は被告佐藤に関する論評、「右翼」は被告佐藤
自ら称しているもの、「排外主義者」は被告佐藤が在日朝鮮人団体への弾圧を扇動している事実に基づく論評、「国家論者」は被告佐藤が自身を「国家主義者」と称している事実に基づいた呼称、「帝国主義者」は被告佐藤が各国の「帝国主義」的競争を肯定している事実に基づいた論評、「極端な解釈改憲論者」は被告佐藤が憲法九条に関して極端な解釈改憲論を展開している事実に基づいた論評、「対北朝鮮戦争肯定派」は被告佐藤が対北朝鮮戦争を肯定している事実に基づいた論評であり、全て、公正なものである。

 また、「詐術」なる言葉は、原告論文においては、以下の箇所でのみ使用されているものである。

「佐藤の(潮の)主張が、極端な解釈改憲論であることは言うまでもない。護憲派ジャーナリズムのやっていることは、完全な 詐術 ではないのか(28頁)。ちなみに、斎藤貴男は前述の『週刊読書人』での記事において、この対談のこの一節について、「日本の伝統・文化である国家は、だからこそ法制化すべきでなかったのだとか、国家には生き残り本能が備わっている以上、憲法九条の改正など必要ないといった発想に惹かれた」と書いている。まるで伝統的保守の立場から、改憲に反対しているとでもいうような紹介の仕方であるが、これも 詐術 としか言いようのない紹介ではないか。」(133~134頁)

このように、ここで原告が「詐術」を行っているとして批判している対象は、「護憲派ジャーナリズム」および斎藤貴男であって、被告佐藤ではない。被告佐藤の主張は言いがかりまたは印象操作の意図に基づくものである。

 また、「ハッタリ」なる言葉は、原告論文においては、「安倍晋三は首相在任時は靖国参拝をしなかったのだから、佐藤の論理の前提自体が成立していないが(いつもながらのハッタリである)」(136頁)との箇所でのみ使用されているものである。これは、被告佐藤が、当時の安倍首相が靖国公式参拝を行っていないにもかかわらず、「総理靖国神社参拝問題が日中間の「躓きの石」であるという見方が、本質的にずれていることが明らかになった。もし、靖国問題が日中間の本質的な「躓きの石」ならば、今年(注・二〇〇七年)も大問題になったはずである。」(035頁)と主張している事実を指して、「ハッタリ」と述べたものであって、事実を前提とし、それを明示した上での公正な論評または批判である。

  また、被告佐藤がその著述において、論拠も示さずに断定を行っている事例は枚挙に暇がないのであって、だからこそ「いつもながらのハッタリ」と述べたのであり、これも公正な論評または批判であることは明らかである。

 これらが、被告佐藤が言うような「名誉毀損」であるはずもなく、これらによって「訴訟を提起」できるはずもない。

 被告佐藤は、原告による公正な論評または批判を、「誹謗」であると貶めて、自らの名誉毀損行為と相殺させたいようであるが、これが失当であることは自明である。


第3 被取材者としての被告佐藤の責任

1 一般論として、雑誌記事の編集権は出版社にあり、被取材者として、その発言がそのまま掲載されることは予見できないとする見解があることは特に争わない。

 しかし本件では、以下のとおり、被告佐藤は、①自己の発言がそのまま記事に掲載されることを十分認識した上で取材に対して発言し、②出版社である被告新潮社と意を通じ結託した上で発言したものである。

 したがって、被告佐藤は、その発言についての責任を免れない。


2 被告佐藤の発言内容は、「言ってもいないことを、さも私の主張であるかのように書かれている部分があるなど、メチャクチャな内容であり、言論を超えた私に対する攻撃であり、絶対に許せない」というものである。

 被告佐藤は、この発言をしたことを認めており、また、この発言内容が原告の社会的評価を低下させるものであることは、争いがない。


3 結託を示す事実-本件論文をめぐる被告佐藤の言動について-

 被告佐藤は、本件論文のことを聞き及び、執筆者である原告が岩波書店の社員であることを知り、岩波書店に抗議したという。まず、この佐藤の行動が理解できない。本来であれば、本件論文への反論を執筆し、いずれかのメディアに掲載するという行動に出るはずのものである。被告佐藤の本件当時の立場であれば、その言論、反論を掲載するであろう雑誌メディアは、被告新潮社も含め多数あったはずである。被告佐藤は、本件論文に対する言論による反論は一切行っていない。

 仮に、被告佐藤が、本件論文について「言論をもって反論するに値しない、単なる個人攻撃である」などと、真実そのように判断したのであれば、岩波書店に対する抗議は、およそ見当違いな行動というほかない。当時被告佐藤が、岩波書店の依頼により執筆していたとしても、岩波書店の社員が被告佐藤を批判する論文を執筆したからといって、被告佐藤の立場で岩波書店に抗議するという正当な理由はまったくない。

 一方で被告佐藤は、インパクションに対しては、「インパクションが佐藤批判の著述を掲載することを編集方針とし、今後、佐藤批判の著述を積極的に掲載していくか否かを確認する」ために、面談を申し入れたのである。反論に値しない、取るに足らない論文であれば、このような行動に出ることの理由も必要もまったくないはずである。しかも、被告佐藤は、本件取材の約10日も前から、安田弁護士と会いたいと申し入れ、インパクションとの仲介に入ってもらうよう働きかけてもいた(甲84号証の①)

 つまり、被告佐藤の、岩波書店に対する抗議及びインパクションへの面談申し入れという行動は、本件論文が言論で反論するに値しないものだという被告佐藤の主張と、著しく矛盾する。これら被告佐藤の言動は、従前より原告が主張しているとおり、自身に対する批判を封じるための、被告佐藤なりの姑息な手段であったと理解するほかないものである。


4 結託を示す事実-被告新潮社および岩波書店の対応等-

 まず、本件論文の内容からして、それが執筆者の私人としての表現行為であることは自明である。執筆者が岩波書店の社員であることは、本件論文の評価においてまったく意味がない。そうだからこそ、執筆者のプロフィールにもそのことが書いてないのであり、意味があることであれば、当然記載していたであろう。

 ところで被告新潮社は、週刊新潮の記事の企画として、被告佐藤を批判した本件論文をとりあげると判断した根拠は、執筆者が岩波書店社員であること、本件論文が岩波書店社内でも問題になっていることを挙げているだけである。

 また、他者の論文を批判する記事であれば、本来であればその論文内容を吟味し検証するべきであったはずだが、被告新潮社は、そのようなことは一切行っていない。前記のとおり、「国民戦線」は「人民戦線」の誤記であるという被告の主張らについて反論したように、きちんと読んだ形跡もなく、ただ執筆者である原告を貶める記事を掲載したものである。その意図は、被告佐藤の意に沿うものであったからということに尽きる。

 さらに、被告佐藤は新潮社の取材に対して、「死刑廃止の集会に協力したのに(集会の主催者の一人が)自分の批判を準備していたことに怒っている」と述べ(甲84号証の②)、原告への私怨を伝えていたにもかかわらず、被告新潮社の取材メモにはそのことが書かれてない(乙11号証)。これは、被告佐藤の発言を恣意的にまとめたものであり、本件記事は被告佐藤のこの本心を意図的に排除しているというべきである。

 岩波書店社内において、本件記事が掲載される以前の段階で、本件論文が公的に問題とされた事実はない(本件記事が掲載された初めて、原告に対し「口頭での厳重注意を与えた」というだけである(甲82号証8項))。原告が執筆した本件論文が、真実、岩波書店内で問題になっていたのであれば、被告新潮社が問題にするまでもなく、岩波書店としてしかるべき議論が具体的になされていたはずであり、被告佐藤からの抗議に対しても、具体的な対応がなされていたはずである。しかし、また、被告の主張によっても、岩波書店が被告佐藤の抗議を受けて、本件記事掲載前に、何らかの対応したという事実も示されていない。


5 結託を示す事実-被告佐藤と塩見洋との関係-

 被告佐藤は、被告新潮社社員であり本件記事のデスクである塩見洋とはかねてより昵懇の関係にあった。

 前記第1の2で指摘したとおり、被告新潮社編集総務の佐貫氏は、「(塩見デスクは被告佐藤と)毎日のように連絡している」と述べている(甲83号証)。また、被告佐藤はインパクションの深田氏に対して、「新潮記者は友人で、何かあると相談する関係、悩んでることを話した」と言っており(甲84号証添付②)、この新潮記者は、塩見洋を指すものである。

 したがって、本件記事は、被告佐藤と塩見洋との親しい関係を前提に掲載されたものということができる。


6 発言が掲載されることについての被告佐藤の認識

 前記3~5に述べたことだけからも、被告佐藤が、本件取材に対する自身の発言がそのまま掲載されることを認識していたことを十分認めることができるはずである。

 加えて、これまで原告が主張してきたとおり被告佐藤は、過去に、「AERA」誌上において佐藤批判をした執筆者についての被告新潮社の記事についても、被取材者として発言し、その発言が掲載された経験を持つ(前記第2の2にも指摘した)。また被告佐藤は、訴外小学館に対しても、同様の行為をしていた(甲86号証)。被告新潮社からの取材を受けたインパクションは、「本件記事の狙いは岩波叩きのようである」「おそらく岩波に圧力をかけることで金さんへの恨みを晴らすというのが佐藤氏の選択のようである」と受け止めており(甲84号証添付①)、これも、被告佐藤が、自身の発言が記事に掲載されることを十分承知していたことを示すものである。


7 以上、被告佐藤は、前記2の発言について、不法行為責任を負う。


以上
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