第10回口頭弁論期日①(2010年9月1日):陳述書(板垣竜太)


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第10回口頭弁論期日(2010年9月1日)
陳述書面:陳述書(板垣竜太)
http://watashinim.exblog.jp/11858995/




2010年8月23日

陳 述 書

[板垣竜太〔印〕]


1.はじめに

 私は、2004年より同志社大学の社会学科で専任教員として教えており、専門領域は朝鮮近現代社会史です。雑誌『インパクション』には2004年の暮れから編集委員として関わってきました。

 金光翔さんの論文「<佐藤優現象>批判」は、草稿の段階から拝読していました。その指摘は鋭く、論理展開も周到であり、これが発表される意義は大いにあると判断し、『インパクション』での掲載に際して積極的に協力しました。その後、この論文が『週刊新潮』という大衆メディアにおいて、名指しでやり玉に挙げられたことに対して、強い怒りの念を覚えました。

 私は、現在進行している裁判において、佐藤優氏が「取材を受けただけで、それ以外に如何なる関与もしていません」と陳述していることを知り、驚きました。また、実際に取材にあたった荻原記者が、週刊新潮編集部に、この件について取材前に「情報をもたらした」者として、「岩波の関係者」のみを挙げている点も違和感を覚えます。これらの主張は、私の把握している事実関係とかけ離れているからです。以下、その点を中心に、私の記憶と当時の記録を根拠に陳述します。


2.添付した証拠について

 証拠書類として、3つの資料を提出します。いずれも私の所持するパソコンの「Becky!」というメーラーに入っていたデータを印刷したものです。

① 「[impaction:0460] 週刊新潮に注意を!」というメールは、2007年11月25日に、『インパクション』の編集委員会のメーリングリストに、編集長の深田卓さんが流したものです。私をはじめ編集委員は全員これを受け取っています。
 なお、本件に直接に関わりのない「近況報告」部分は墨塗りさせていただきました。

② 「深田電話」と表題のついたものは、同じメーラーで作成してはいますが、これは誰かに対して送ったメールではなく、電話内容のメモです。2008年1月10日に、深田さん、佐藤氏、安田好弘弁護士の3人の面談がありましたが、その翌11日から15日までのあいだのいずれかの日(正確な日付は覚えておりません)に、深田さんから電話をいただき、面談で交わされた内容をうかがいました。それを、私の目の前にあったパソコンに打ち込んだものです(メーラーにメモを打ち込むのは私の癖です)。日付がなぜか同年1月26日になっていますが、これは確か少し文章を読みやすく修正した際の日付で、いってみれば最終更新日に相当します。当然趣旨は全く変わっていません。実際、2010年8月17日に、深田さんにこの内容を直接お見せして確認していただいたところ、《およそ正確だと思う。当時メモをとっていたわけでもなく、これ以上の内容をいま思い出そうとしても出てこない。これが当時の一次資料になると思う》とのお墨付きをいただいています。

 これは私的なメモなので、少し読み方を解説しておく必要があるでしょう。最初の5行は深田さんご自身のコメントです。次に、深田さんと佐藤氏とのやりとりを、深田さんの電話で聞いた限りにおいて整理した部分が12行続きます。そのうち「-」で始まるのが深田さんのことばで、そうでないものが佐藤氏のことばです。最後の2行は深田さんのコメントです。

③ 「[impaction:0471] 161 号お送りしました」というメールは、①と同様、『インパクション』編集委員会宛のメール(2008年1月15日付)です。深田さんが、1月10日の会見について、編集委員会にごく簡単に報告したものです。内容的には②の一部と重複しています。
 ①と同様に、本件と関係のない部分には墨塗りしました。


3.佐藤優氏の関与について

 まず編集委員会メール(①)にあるように、佐藤氏は週刊新潮の取材を受けるよりも前から、インパクト出版会に直接抗議ないし話し合いをしようとしていました。また、岩波書店にも抗議したと当時から聞いていました。私はそうした情報を通じて、彼が金光翔さんの論文に「激怒」し、さまざまな方法で抗議等の働きかけを繰り広げていると認識していました。ですから、そうした一連の働きかけの一環として、彼が週刊誌に記事を書かせるというのは十分あり得ることだと、記事が出た当初から思ってきました。

 その認識を裏付けたのが、2008年1月に、深田さんからいただいた電話の内容でした。特にメモ(②)にある「新潮記者は友人で、何かあると相談する関係、悩んでることを話した」という情報をうかがって、私は「やはりそうか」と思いました。ただし当時、私はこの「友人」なる人物と、実際に取材にあたった荻原記者が同一人物だと考えていました。しかし、ここで「新潮記者」と表現されている人物は荻原記者ではなく、別の新潮社の関係者であろうと、今回、荻原記者の陳述書を読んで思うに至りました。それはともかく、少なくとも荻原記者の取材よりも以前に、佐藤氏が新潮社の関係者と『インパクション』論文に関して緊密に相談していたことは明らかです。

 もう一つ、このメモには残っていませんが、深田さんはこの当時、《佐藤氏は、何か佐藤つぶしの政治的な謀略のようなものが始まっているのではないか、『インパクション』論文はその一環なのではないかと疑っており、それをインパクション編集部に確かめようとしていた》との旨を語っていました。この頃、私が金光翔さんに送ったメールを見直してみますと、深田さんは《佐藤氏が森達也氏や鈴木邦男氏らと出演した、月刊『創』の年末トークライブ(2007年12月27日開催)で、そのような内容のことを公言していた》との旨の情報も、私に電話で伝えています。これらの発言についても、私は深田さんに直接確認しています(2010年8月17日)。「深田電話」メモ(②)にある「政治的意図」による「佐藤つぶし」云々という下りは、そのような意味だと理解できます。

 これらの情報を総合し、私は、佐藤氏が何か「佐藤つぶしの謀略」のようなものが始まったのではないかとの危機感を抱き、さまざまな手段を使って、金光翔さんの論文のもつ効果を最小限に抑えるための工作を繰り広げているのだ、週刊新潮の記事はその一環である、と2008年1月当時に確信するに至りました。編集委員の一人として断言できますが、そのような「謀略」が企てられた事実などありません。金光翔さんの論文が一定の社会的インパクトをもったのは、ひとえにその内容が正鵠を得ていたからです。

 私は、佐藤氏が取材前に新潮社の関係者と会って、不満を語っていたという事実が、今回被告側の陳述書等では隠蔽されていることについて、不信感を覚えます。それは、他ならぬ被告側代理人の一人である安田好弘弁護士も同席して聞いていたことです。佐藤氏が取材以前から新潮社の関係者と会ってこの話をしていたことが明らかになると、記事への関与を否定するのが困難になるために、密室での会談を意図的に隠しているのではないかと疑われる次第です。


4.おわりに

 『週刊新潮』の記事は、金光翔さんの論文の意義を、岩波書店内部の問題ないしは彼個人の問題に矮小化するものでした。それは虚偽の事実を含む情報を盛り込み、特定個人を週刊誌という媒体にさらし者にする卑劣な記事でした。佐藤氏は週刊新潮記事のなかで、金光翔さんの論文のことを「言論を超えた個人への攻撃」と断じていますが、この表現はむしろこの週刊新潮の記事にこそ当てはまるものです。裁判官の公正な判断を期待します。

以 上
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