第8回口頭弁論期日②(2010年6月23日):陳述書(『週刊新潮』編集部・荻原信也)


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第8回口頭弁論期日(2010年6月23日)
陳述書面:被告陳述書(『週刊新潮』編集部・荻原信也)
http://watashinim.exblog.jp/11400158/


陳述書


①経歴

 私は1979年9月に生まれ、2003年3月に慶唐義塾大学文学部を卒業後、同年4月、㈱新潮社に入社し、「週刊新潮」編集部に配属されました。「特集」欄の取材記者を経て、昨年度は「TEMPO」というコラム欄を担当し、本年4月からグラビア欄で記事を取材、執筆しています。

②記事執筆の経緯

 本件記事「『佐藤優』批判論文の筆者は『岩波書店』社員だった」(以下、本件記事)の取材の発端は、2007年の11月23日(金)でした。
 「週刊新潮」編集部では、通常、毎週木曜日に部員が次週発売号の企画案を提出します。本件記事の企画案は、編集部の別の部員(O部員)によって、46号の企画案として11月22日(木)に編集長に提出されました。企画案の概要は、以下のようなものでした。

○11月10日発行の隔月誌『IMPACTION』に「<佐藤優現象>批判」なる論文が掲載された。その筆者は同誌の中では「金光翔」としか明かされていないが、彼は現役の「岩波書店」の社員である。
○金氏は『世界』編集部在籍時代から、佐藤氏を批判する言動をしていた。それもあって部署を異動になった。
○佐藤氏は岩波の雑誌でかつて連載を持ち、著書も出版しているなど、同社と関係の深い筆者である。また、論文では、岩波の他の社員も批判の俎上に載せられている。そのため岩波社内では、この論文が問題になっている。

 11月23日(金)の午前中に、編集長によって、部員から出た様々な企画案の中から、本件テーマが選ばれ、正午の会議でその旨と、担当者、入稿・校了日が発表されました。本件記事は「特集」記事の中でも「ワイド特集」と呼ばれる1p程度の記事の候補でした。この場合、通常、取材の指示や記事の執筆を行うデスクが一名、実際に取材を担当する記者が一名となります。本件記事は、担当デスクが塩見洋、記者が私となり、入稿日は11月25日(日)、校丁日は11月26日(月)と決まりました。
 塩見との打ち合わせの後、私はO部員に紹介してもらい、上記の情報をもたらした岩波の関係者に翌日(24日)の午前中の面談取材のアポを取りました。また、佐藤優氏にも、佐藤氏と親しい社内の編集者に仲介してもらい、翌日の午後の面談取材のアポを取りました。そして本人のブログに記載してあった金氏のメールアドレスに15時半過ぎ、具体的な質問の内容を記して、取材のお願いを送信しました。更に、金氏の論文に名が出てくる岩波書店の馬場公彦氏に取材のお願いをするべく、岩波の学術編集部に電話をしましたが、応対をした編集部員から、月曜日にならないと出社せず、携帯電話等に取次ぎも出来ない旨を言われました。
 11月24日(土)は、午前中、前日アポを取った岩波の関係者に面談し、2時間前後、金氏の社内での評判や異動の経緯などを取材しました。更にその場で他に本件の事情に詳しい人物がいるかどうか尋ねたところ、組合の関係者を紹介されました。そこでその関係者に、翌日(25日)の電話取材のアポを取りました。また、午後、佐藤氏に、同氏の自宅(当時)付近の西国分寺駅周辺の喫茶店で2時間前後、金氏の論文についての意見、今後の対応などを取材しました。更に、前日に金氏にメールした取材のお願いの返信がなかったため、20時過ぎに再度、取材のお願いをメールしました。
 11月25日(日)は、午後、前日紹介を受けた岩波の組合関係者に電話で30分程度、金氏の論文についての組合の対応などを取材しました。私は以上の取材の経緯を、半日に一度程度、塩見に報告していました。塩見もそれを編集長に報告しています。その結果、当初の予定通り、本件を46号のワイド特集の記事とすることが決定しました。私は、取材内容をデータ原稿にし、その夜、塩見に提出しました。塩見は、夜から翌日(26日)の午前にかけて記事を執筆しました。
 11月26日(月)の午前中、私は、金氏の現在の所属部署である校正部に電話を掛けました。金氏からその時点までメールの返信がなかったため、改めて取材のお願いをするためです。しかし、応対をしたクワバラ氏という部員からは、金氏が今日は出社していず、携帯電話などでの取り次ぎも出来ないという返答でした。また、金氏の以前の所属部署であった『世界』編集部にも電話をし、金氏の評判、異動の経緯などを取材しようとしましたが、岡木犀編集長は「金氏がかつて所属していたのは事実だが、総務部に一任しているので取材には応じられない」という返答でした。そこで、私は総務部に取材依頼の電話をし、質問事項をFAXで送信しました。15時半頃、総務部からは「現在、調査中なのでお答えできない」旨、文書で回答がありました。更に、私は『IMPACTION』編集部にも、論文掲載の経緯などを取材すべく、電話をしましたが、深田卓・編集長から「『週刊新潮』は嫌いだから回答しません」という返答でした。以上26日の取材を塩見に報告した上で、記事は26日の午後、校了しました。本件記事の掲載号は11月28日(木)に発売となりました。

③本件記事の内容が真実であると判断した理由

 本件記事のスタート時において、私は『IMPACTION』に金光翔氏の論文が掲載されたことは疑いようのない事実であるため、まずすべきことは金氏が岩波の社員であるということの裏付けだと思いました。この点は、取材の中で、岩波書店の2名の関係者から証言を得ているだけではなく、岩波の校正部のクワバラ氏、『世界』編集部の岡本編集長、更に、岩波の総務部も認めていましたので、私は事実に間違いないと判断しました。
 また、岩波書店関係者への取材で、金氏の社内での評判や、異動の経緯などがわかりました。その内容は乙第10号証に詳しいですが、要点を記すと、

○金氏は中途で岩波に入社し、宣伝部に配属後、『世界』の編集部員になった。入社の際は通名を名乗っていたが、後に『金光翔』という本名を名乗るようになった。
○『世界』編集部時代は、佐藤氏の論文を掲載することに激しく反対していた。掲載が決定された後でさえ“反総連の記事はけしからん” “なぜ佐藤を連載に使うのか”といった趣旨で、編集長に抗議をすることもあった。これらの状況を編集長は持て余し、会社も同様の状況を把握した。その結果、金氏は校正部に異動になった。
○金氏は現在でも『kolwitz』という名で始めたブログで、佐藤氏や斎藤貴男氏など、岩波関係の深い執筆者の批判をしている。佐藤氏はベストセラー『獄中記』の著者でもあり、本件で腹を立てられては困る。また、論文では金氏の上司に当たる人物も実名で批判されている。そのため、社内では論文が大問題になっている。

 となります。これらは岩波、とりわけ『世界』編集部に非常に近い関係者が、編集部員から直接、耳にしていた話であり、内容も具体的です。また、取材中も、曖昧な点や不明な点は、再度、その場で、編集部員に確認してもらっていました。更に、金氏のブログを見ると、証言の通り、実際に、佐藤氏や斎藤氏の批判が記されていました。それらの経緯から、私は、これらは信用に足る証言だと感じました。
 更に、岩波書店の組合関係者からは、金氏が論文で組金報を無断で引用していることについて、組合報はそもそも社外秘であり、組合内で問題視されているという旨の証言を得ました(乙第13号証)。この関係者も組合と極めて近い立場にあり、直接、組合から本件についての情報が入る立場にあります。よって私は、この証言も信用に足るものだと感じました。
 また、「私が言ってもないことを、あたかも私の主張であるかのように述べている」という佐藤氏の証言(乙第11号証)も、金氏の論文中の「佐藤が言う『人民戦線』とは、『国民戦線』である」という箇所に対して「そもそも私は『人民戦線』なる言葉を使ったことがない」(※乙第11号証では、「国民戦線」と記してありますが、これは誤記)と、個別
具体的に「言ってもないこと」を指摘するなど、信用に足る証言です。
 金氏からは校了時点まで、事実確認に対する回答をもらえませんでした。私は11月23日、24日と2日続けて金氏にメールを送信していますが、それに対する返信は、その2日のみならず、26日までの4日間ないままでした。場合によっては自らの名誉にも関わる内容の、かつ返答期限を明記した取材依頼に対し、4日間、返答がないということは通常、考えられません。そのため、私は、金氏がメールを見た上で、回答を拒否しているのだと判断しました。
 本人の回答こそ無いものの、上記で述べた理由で、私は自らの取材相手は信用に足り、証言内容も真実と判断できると考えました。また、塩見及び、編集長も私と同意見だったため、本件記事は掲載された次第です。
 以上、陳述いたします。

平成22年6月11日

東京都新宿区矢来町71番地 ㈱新潮社「週刊新潮」編集部
荻原信也
ツールボックス

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