第5回口頭弁論期日(2010年2月1日):原告準備書面(2)


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第5回口頭弁論期日(2010年2月1日)
陳述書面:原告準備書面(2)
http://watashinim.exblog.jp/10725817/


平成21年(ワ)第19716号 損害賠償等請求事件

原告 金光翔
被告 株式会社新潮社 代表者代表取締役 佐藤隆信
    早川清
    佐藤優

準備書面(2)
平成22年1月25日
東京地方裁判所民事第5部 御中
原告 金光翔


第1 原告の異動について

1  原告準備書面(1)でも指摘したように,本件記事は,「岩波関係者」の証言を用いて,原告が『世界』編集部で「“反総連の記事はけしからん!”“なぜ佐藤を連載に使うのか!”などと抗議をしたり,匿名で始めたブログで佐藤氏やジャーナリストの斎藤貴男氏など,社と関係の深い作家の批判を繰り返すようになった」がゆえに,『世界』編集長が原告を「持て余し,校正部に異動させた」と記述することにより,原告が,『世界』の確定した編集方針に対して編集部に居座ったまま反旗を翻し,その姿勢を持て余した『世界』編集長によって異動させられたとの事実を摘示した。

この摘示は,あたかも原告が,非理性的で,自分勝手で,非常識な人間であるかのように読む者をして思わしめるものであり,これにより,原告の社会的評価は著しく低下した。

また,被告も,被告準備書面(1)において,「「世界」編集長も(原告を)「持て余し,校正部に移動させたのです」とある部分が,原告の社会的評価を低下させるものであることは認める。」(3頁)と述べている。その上で被告は,被告準備書面(1)において,この記述部分には,真実もしくは真実と信ずべき相当な理由がある,と述べている(3頁)。


2 被告の立証対象の範囲

被告は,被告準備書面(1)および(2)において,この部分の立証の対象は,原告の言動を「世界」編集長が「持て余し異動させた」のかどうかの点であると考えるべきである,と主張している((1)3頁,(2)1頁)。

だが,被告らが免責されるためには,本件記事が真実(または真実相当性を有するもの)でなければならないが,その場合,真実でなければならない箇所は「持て余し異動させた」だけではなく,原告が『世界』編集部で「“反総連の記事はけしからん!”“なぜ佐藤を連載に使うのか!”などと抗議をしたり,匿名で始めたブログで佐藤氏やジャーナリストの斎藤貴男氏など,社と関係の深い作家の批判を繰り返すようになった」がゆえに,『世界』編集長が原告を「持て余し,校正部に異動させた」との記述全体の真実性が立証されなければならない。

なぜなら,そもそも,例えば性格の不一致など,上司と部下が衝突した結果,部下が異動するといったケースは,世間一般において極めてありふれた事例であって,「世界」編集長が原告を「持て余し異動させた」という事実の摘示だけでは,原告が主張する程度の名誉の低下は生じない。

この箇所の記述によって社会的評価が低下するのは,原告が特定の政治団体(朝鮮総連)の熱心な構成員もしくは同調者であり,『世界』の確定した編集方針に対して編集部に居座ったまま反旗を翻し,その姿勢を持て余した『世界』編集長によって異動させられたとの事実の摘示により,原告が,非理性的で,自分勝手で,非常識な人間であると読者に受け取られるがゆえに,成立すると解されるべきである。

「世界」編集長が原告を「持て余し異動させた」という箇所が,原告が『世界』編集部で「“反総連の記事はけしからん!”“なぜ佐藤を連載に使うのか!”などと抗議をしたり,匿名で始めたブログで佐藤氏やジャーナリストの斎藤貴男氏など,社と関係の深い作家の批判を繰り返すようになった」事実の結果として記述されていることは,一般読者の普通の注意と読み方からすれば,明らかである。

したがって,被告は,本来,原告が『世界』編集部で「“反総連の記事はけしからん!”“なぜ佐藤を連載に使うのか!”などと抗議をした」事実,および,原告が「匿名で始めたブログで佐藤氏やジャーナリストの斎藤貴男氏など,社と関係の深い作家の批判を繰り返すようになった」事実と,編集長が原告を「持て余し異動させた」事実との間の因果関係を立証しなければならない。にもかかわらず,被告はそのような作業を一切行なっていない。被告の主張は失当である。


3 思想・良心の自由と異動願

本件記事は,既に述べたように,原告が『世界』の確定した編集方針に対して編集部に居座ったまま反旗を翻し,その姿勢を持て余した『世界』編集長によって異動させられたとの事実を摘示したものであるが,これは真実ではない。原告は,原告の思想・良心の自由を守るために,主体的に異動を申請したのである。

被告は,被告準備書面(1)で,「原告は自ら,2006年12月6日に異動願を「世界」編集長に出したのであるから,本件記述は事実に反しているとする。被告も,原告が異動願を出していたことは耳にしていた。然しながら,従業員が「異動願」を出せば必ず希望どおり異動になるものではないことは改めて言及するまでもない。/原告が異動させられたのは,自ら「異動願」を出したからではなく,それまでの原告の言動(なぜ佐藤を連載に使うのかとして「世界」編集部に抗議をしたことなど)を編集長ももて余したからである。」と述べている。

また,被告は,被告準備書面(2)において,甲33号証における原告と岡本編集長とのやりとりの要旨を記述し(2・3頁),その上で,「このように,あくまで校正部への異動というのは,原告は予期していなかったことは明らかであり,原告に対する人事異動は岩波書店が主体的に判断して行ったものである。」(3頁)と述べている。

このように,被告は,原告の異動の事実において,原告から異動願を申請したことの重要性を一貫して否定している。

だが,そもそも,本件記事の異動に関する記述の箇所が,原告の社会的評価を著しく低下させているのは,原告が編集者および会社員としての社会的規範に則った上で,自らの思想・良心の自由を守るためにやむなく異動願を出したにもかかわらず,本件記事においては,逆に,原告に問題があったからこそ異動がなされた,とされている点である。

原告から異動願を申請した事実は,それがなければ異動自体がそもそも成立しなかったという点もさることながら,以下に理由を述べるように,異動の事実の意味を大きく左右するものであって,原告の異動の事実を記述するに不可欠なものである。

原告の異動願の申請は,日本国憲法第19条が保障する「思想及び良心の自由」を守るために行なわれたものである。原告にとって,被告佐藤を重用する雑誌『世界』の編集部に在籍し,編集行為に携わることは精神的苦痛を伴うものであり,そのために異動を申請したのである。

訴状(3頁)で指摘したように,原告の異動申請時において,被告佐藤は,在日朝鮮人民族団体の政治的弾圧,イスラエルの侵略行為の肯定,首相の靖国神社参拝の肯定,『新しい歴史教科書』とその教科書検定通過の擁護など,従来『世界』が掲載してきたこれらの論点に関する記事・論文の論旨に真っ向から対立する主張をメディア上で展開していた。

原告は,自らが編集行為に携わる雑誌で被告佐藤を起用すること,また,「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」(甲29号証)でも「当該メディア(注・『世界』『週刊金曜日』その他の「人権」や「平和」を標榜するメディア)が佐藤氏を積極的に誌面等で起用することは,人権や平和に対する脅威と言わざるを得ない佐藤氏の発言に対する読者の違和感,抵抗感を弱める効果をもつことは明らかです。」と指摘されているとおり,被告佐藤を起用することが,人権や平和に対する大きな脅威を与えることに,強い精神的苦痛を感じていた。

従来の『世界』の論調から鑑みて,原告が説明を受けた時点では,雑誌『世界』において,その起用が精神的苦痛を伴うような書き手を登場させることが生じることを予期していなかったので,原告は,『世界』への異動を了承した。原告が,2006年2月に,株式会社岩波書店から2006年4月1日付での『世界』編集部への異動の内示が出された時点において,既に被告佐藤は『世界』に登場していたが,原告は,この時点では,被告佐藤が他メディアで上記のような主張を展開していることを全く知らなかった。

また,原告は,『世界』編集部への配属にあたり,岡本編集長から,雑誌『世界』は株式会社岩波書店役員から独立した編集権を有していること,『世界』の編集権限は編集長のみにあり,その他の部員はあくまでも編集長を補助する位置づけであることを説明されていたが,これについても了承した。

原告の入社時(2003年12月1日)において,株式会社岩波書店は,政治問題とは無関係な分野の本を多数出版しており,また,岩波書店の出版する政治問題を主題とする書籍,岩波書店が発行する雑誌の掲載記事において,原告が問題と考える上記の被告佐藤の発言と合致するような論旨のものは,管見の範囲では存在しない。

したがって,『世界』が政治問題を扱う雑誌である以上,編集部員の思想・良心に反する編集方針が雑誌において採られている場合,編集部員が自己の思想・良心の自由を守るために異動を申請することは,当然の権利であり,原告は,そのような認識の下で異動を申請したのである。そのことは,原告への異動内示(2007年2月23日)以前の,会社役員との面談時でも説明している。また,同年3月2日に,原告が小島潔編集部長・岡本編集長に対して異動を承諾する旨の回答を行なった際にも,原告は,上記の認識を持っていることを述べている。

小島編集部長および岡本編集長は,編集部員が自己の思想・良心の自由を守るために異動申請の権利を持つか否かについては,曖昧な態度であったが,この権利は,株式会社岩波書店の見解如何にかかわらず,憲法上保障されていると解されるべきものである。

本件記事の記述は,原告が実際には,『世界』の編集方針の決定権が編集長にあることを承認した上で,自分から引き下がる形で異動申請を行なっている事実,原告の異動申請が原告の思想・良心の自由を守るための権利の行使として主体的に行なわれている事実を無視している。原告の異動申請は,編集者および会社員としての,当然認められるべき行動であるにもかかわらず,被告はこうした事実を無視し,原告が,特定の政治団体(朝鮮総連)の熱心な構成員もしくは同調者であること,自らが編集行為に関与する雑誌の編集方針に反対する行動を社外で行なっていること,編集方針が確定しているにもかかわらずそのことを認めようとしないことから,『世界』の編集が妨害され,そのために原告が異動された,と読者に思わしめる記述を行なっている。そして,既に指摘しているように,前提となるこれらの記述は全て虚偽である。これにより被る被害は,原告のような出版業界に身を置く人間にとって,特に甚大なものであり,今後の原告の活動を著しく制約するものであると言わざるを得ない。

被告は,原告が異動願を出した事実は,異動事実とは本質的に無関係とするが,上述のように,異動願の申請を異動事実の重要な構成要素とするかしないかで意味合いは全く異なってくる。仮に被告が,被告佐藤の『世界』への起用に関する反対理由を正確に記した上で,原告が異動願を申請した事実を記述していれば,被告が主張する,岡本編集長が原告を「持て余し」て異動させたという事実,原告が予期していなかったと読者が推測すると思われる校正部への異動の事実は,岡本編集長および株式会社岩波書店が,原告による被告佐藤の起用への反対を理由として生じさせたもの,と読者は解釈するはずである。この場合,読者に対して判断材料が提示されているので,岡本編集長が原告を「持て余し」ていたこと,原告が予期していなかったと思われる部署への異動については,岡本編集長と株式会社岩波書店に一義的責任があると十分に読者が解釈しうるものとなるので,原告の社会的評価は低下しない。

だが,本件記事においては,異動願を出した事実が無視された上で,曲解された反対理由が記述されているために,岡本編集長が原告を「持て余し」ていたことおよび原告が予期していなかったと思われる部署への異動について,原告に一義的責任があるかのように読者をして思わしめるものとなっている。

以上のように,本件記事は,原告が自己の思想・良心の自由を守るために主体的に異動願を出したことを無視し,虚偽の記述を理由として異動がなされたと記述し,異動事実の性格を歪曲して報じるものである。したがって,異動事実について,原告から異動願を出したことの重要性を一貫して否定する被告の主張は,形式論へのすり替えと言わざるを得ず,失当である。

被告が,本件記事の異動の経緯に関する記述が真実性を有すると主張するならば,あくまでも,原告が『世界』編集部で「“反総連の記事はけしからん!”“なぜ佐藤を連載に使うのか!”などと抗議をしたり,匿名で始めたブログで佐藤氏やジャーナリストの斎藤貴男氏など,社と関係の深い作家の批判を繰り返すようになった」がゆえに,『世界』編集長が原告を「持て余し,校正部に異動させた」との記述の真実性を立証すべきである。


4 中国人差別発言に関する被告の主張

被告は,被告準備書面(2)において,以下のように,「原告の首都圏労働組合のブログに書き込んだ事実」(乙1号証)の概要を述べた上で,自説を主張している(4~5頁)。

「「世界」編集部には,原告の在籍当時,編集長も含めて6名の編集部員がいたが,このうち,配偶者が中国人という40歳前後の女性(この女性が「●」さん。以下,原告による呼称に従い,A氏という)が,中国人差別発言を大っぴらにし,それを聞いていた岡本編集長以下の編集部員が誰も注意をしないということに端を発していた。
 原告が,A氏に対して,その発言を注意して以降,A氏との関係が悪化し,業務にも支障を来しているため,岡本編集長に仲裁してもらおうと依頼したところ,岡本編集長からは,「そもそもA氏の夫は中国人なのだから,彼女が中国人に対して差別意識や差別感情を持っているはずがない。だから,A氏の中国人に関する発言は,軽口の範囲として認識すべきであって,みんなそうしているし,金のように注意するのは非常識だ」「A氏が差別感情を持っているとしても,金が,本当に彼女の差別的認識を変えたいのであれば糾弾ではなくて,もっと別のやり方があるはずだ」と述べて,岡本編集長は仲裁を拒否したというものである。
この記載からも,岡本編集長の判断の当否は別として,同編集長が原告の言動を持て余していたことは優にうかがえるところである。」

だが,一編集部員による中国人差別発言を原告が注意したことを契機とした,『世界』編集部内における原告への「職場いじめ」と言わざるを得ない状況に対して,原告から仲裁を依頼された岡本編集長が仲裁を拒否したことが,職場環境配慮義務に違反していることは明らかであり,そのような違法性を有する事実を挙げて,名誉毀損に関する免責が成立するとの主張は本末転倒である。

また,既に述べたように,被告は岡本編集長が原告を「持て余し」ていたことではなく,原告が『世界』編集部で「“反総連の記事はけしからん!”“なぜ佐藤を連載に使うのか!”などと抗議をしたり,匿名で始めたブログで佐藤氏やジャーナリストの斎藤貴男氏など,社と関係の深い作家の批判を繰り返すようになった」がゆえに,『世界』編集長が原告を「持て余し,校正部に異動させた」との記述の真実性を立証すべきであって,ことさらに「持て余し」ていたことのみを争点としようとする被告の主張は,問題の曲解であり,論点ずらしと言わざるを得ず,失当である。


5 当初の異動対象が原告ではなかったこと

被告は,被告準備書面(2)で本件記事の当該箇所に関して,後述するように,いくつかの「真実もしくは真実と信ずべき相当な理由」を挙げている。

だが,原告は原告準備書面(1)で,以下の事実を挙げて,本件記事の当該箇所が真実ではないことを指摘したが,この点に関して,被告は被告準備書面(2)において,これについて何ら言及および反論を行なっていない。

その事実とは,原告が『世界』編集長岡本厚に,口頭で異動願を出したのは2006年12月6日であるが,これは,同日に,異動の内示が出された『世界』編集部員山本賢の身代わりとして『世界』編集部から出たいと述べたことである(原告準備書面(1)8~9頁)。

 原告は,2006年9月頃から,数度にわたって『世界』編集部内で,被告佐藤と昵懇の『世界』編集部員,また別の編集部員,編集長に対して,『世界』が被告佐藤を使うことの問題性を指摘し,使うべきではない旨の意見を表明してきた。したがって,本件記事にあるように,原告の言動が編集長をして異動させるに足るほどの問題性を有していたものであったならば,既に遅くとも11月初旬の時点で,原告が被告佐藤の起用について強く異議を唱えていることは『世界』編集部内で周知の事実であり,既に編集部内で数度にわたって異議を唱えていたのであるから,異動対象は編集部員山本ではなく,原告でなければならなかったはずである。ところが,そうではなかったのであり,このことは,本件記事が真実でないことを意味する。

 また,被告は,被告準備書面(2)において,「人間関係」が話題となっている岡本と原告とのやりとりを挙げ,「以上のやりとりからしても,岡本編集長が原告を持て余して校正部への異動を命じたことは明らかである。」と述べている(4頁)。また,岡本編集長が原告を『世界』編集部員の差別発言を原告が注意したこと,および岡本編集長が発言者と原告の間を仲裁しなかったことから,原告の『世界』編集部内の人間関係が悪化した事実を挙げ,「この記載からも,岡本編集長の判断の当否は別として,同編集長が原告の言動を持て余していたことは優にうかがえることである。」と述べている(5頁)。

だが,原告が中国人差別発言を注意したのは,2006年10月頃であり,被告佐藤の起用をめぐるやりとりの件も合わせて,原告の『世界』編集部内の人間関係が悪化した事実は,既に遅くとも2006年11月初旬時点で存在していたと見るべきである。

また,『世界』編集部においては,岩波書店労働組合の年次報告書(甲35号証,岩波書店労働組合『活動の報告 明日の課題』2005年度版)にもあるように,2006年4月時点で頻繁な人事異動が問題になっており,会社もそのことを承知しているので,会社が,異動対象の選定対象者の選定に関して,慎重となると推定される合理的根拠が存在した。

したがって,被告が,原告の言動を「世界」編集長が「持て余し異動させた」という記述内容の真実性を主張するのであれば,被告が挙げる,編集長が原告を「持て余し」ていたと言える根拠が既に明確に存在していたにもかかわらず,なぜ,異動対象が山本であって,原告ではなかったかを,被告は証明しなければならない。ところが,被告はそのような行為を一切行なっておらず,被告の主張は失当である。


第2 佐藤発言①について

1 被告は,被告準備書面(2)において,本件記事における被告佐藤の「私が言ってもいないことを,さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容です」との発言は,「原告の論文(甲3号証,以下,「論文」という)において,被告佐藤が言っていないこと,あるいは曲解された事実が多数記載されていることに基づくものであって,真実である」と主張している。

 まず,原告が訴状および準備書面(1)で主張しているように,被告佐藤の論評部分は,原告が引用している「滅茶苦茶な内容です」だけではなく,その後に続く,「言論を超えた私個人への攻撃であり,絶対に許せません。」まで含まれなければならない。

 したがって,被告は,「原告の論文(甲3号証,以下,「論文」という)において,被告佐藤が言っていないこと,あるいは曲解された事実が多数記載されている」という事実が,「滅茶苦茶な内容です。言論を超えた私個人への攻撃であり,絶対に許せません。」という論評の前提となるに足る真実性を有するもの,と主張していると解されねばならない。

 そして,以下に述べるように,被告の主張する事実は,論評の前提となるに足る真実性を有しておらず,被告の主張は失当である。 


2 被告が「言っていないこと」と主張している点

(1) 被告は準備書面(2)において,原告の,「論文」143頁上段2,3行目,下段12行目の記述《佐藤の提唱する「人民戦線」なるものが,いかなる性質のものであるかを検証しておこう》《佐藤の言う「人民戦線」とは,「国民戦線」である》との記述を引用し,「しかしながら,被告佐藤は「人民戦線」とは言っておらず,「論文」でもそれに該当する箇所の引用はない。」「また,原告は,「論文」6.及び7.において,被告佐藤が言っているとする「人民戦線」についての持論を大々的に展開しているが,佐藤自身が「人民戦線」と言っていないので,そもそもの前提自身が成り立たない。」と主張している。


(2) 被告が「言っていないこと」と主張しているのは,唯一この「人民戦線」の箇所のみであるが,それすらも真実ではない。

被告佐藤は,その著書『佐藤優 国家を斬る』(同時代社刊,2007年10月5日初版刊行。甲36号証)の93頁から94頁にかけての箇所で,以下のように述べている(強調は引用者,以下同じ)。

「右の媒体にも左の媒体にも書いていますので,いろいろ会合に呼ばれることは多いんですが,圧倒的に右の方に呼ばれることが多いんですね。そうすると,「大日本者神国也(おおやまとはかみのくになり)」とか,あるいは「万邦無比の我が国体」という発想がどういうことなのかとか,そういう話をするんですが,実は右の言語でも左の言語でも,同じことが言えるわけなんです。「反ファッショ統一戦線」というのと,私が理解するところの「国体の護持」というのは全く同じなんです。そんなことをいうと,皆さんきょとんとされていると思うんですが,それは国体をどう定義するかという問題なんです。その定義にかかってくるわけです。国体とは日本ファシズムみたいなものだと,そんな国体という概念は全くろくでもない。しかし,『神皇正統記』の中には,多元的な世界で価値を認め合うんだと,書かれているんですね。あるいは室町時代にできた「猫の草紙」というのがあるんですね,『御伽草子』の中に。猫というのは実は日本サイズに現れたトラなわけです。我々は非常に小さい国だからそういったような自分たちの分をわきまえなきゃいけない。だから排外主義的な発想なんか持ったらいけないんだよといって,アジャリに猫が説教する,こういう話があるんですね。私はこういうようなところが,日本人が書く日本人観かなと思っているんです。」

そして,93頁には,「反ファッショ統一戦線」という語について,以下のように注釈が付されている。

「反ファッショ統一戦線  一九三〇年代に,コミンテルンの決議にもとづいて,各国共産党が,ファシズムと戦争に反対する多様な政治勢力の統一戦線戦術を採った。一九三五年のコミンテルン第七回大会のディミトロフ報告で提起され,翌三六年のフランス,スペインでの人民戦線内閣の成立として実を結んだ。」

この注釈の執筆者が被告佐藤であるかは,同書中に記載がないので不明だが,被告佐藤名義の単著として同書が刊行されている以上,少なくとも,被告佐藤がこの記述に承認を与えていると読者が理解することには,十分な合理性があると言える。

被告佐藤は,「日本について考える場合,北畠親房が『神皇正統記』の冒頭で宣言した,「大日本者神國也(おおやまとはかみのくになり)」というのが,私にとっての基本テーゼであります。」(甲37号証,佐藤優「丸山真男の呪縛から脱却せよ」『月刊日本』2007年3月号24頁),「筆者の理解では,われわれの歴史において,日本の国体が危機に瀕したことが二度あった。第一回目は,まさに北畠親房が活躍した14世紀の南北朝の動乱で,第二回目は60年前に終わったあの戦争である。ここで皇統が途絶えるような事態が生じたならば,日本国家も日本人も解体してしまったことであろう。南北朝の動乱の結果,足利義満が日本国王になり,中国皇帝の臣下となったならば,日本国家は中華帝国の内部に包摂されることになったと思う。第二次世界大戦の結果,皇統が廃止され,日本が共和制になったならば,社会主義革命が起き,「日本民主主義人民共和国」が成立し,人民民主主義の優等生となった日本人が「日本民主主義人民共和国」を「日本ソヴィエト社会主義共和国」に改組し,ソ連邦への加入を申請したことも十分考えられる。そこでは日本や日本人という名称が維持されても,伝統を断ち切られ,文化的に異質な「日本人」の残骸しか残らなかったことであろう。第二次世界大戦直後に,日本の政治・軍事エリートが「大日本者神國也」という国体の本質をアメリカ占領軍に理解させようと試み,これに対してアメリカがプラグマティズムの観点から皇統の維持という決断をしたからこそ,今日,われわれは日本人として生き残ることができたのである。」(甲38号証,佐藤優『日米開戦の真実――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』小学館刊,2006年7月1日初版発行,287~288頁)と述べているのであるから,被告佐藤が,「国体の護持」という概念に肯定的であり,「国体の護持」が必要であると認識していることは明らかである。

 そして,被告佐藤は,その「国体の護持」と「反ファッショ統一戦線」は「全く同じ」だと明言しており,しかも,「反ファッショ統一戦線」という語には,「人民戦線内閣の成立として実を結んだ」と明確に記述する注釈が付されている。ここで説明されている「反ファッショ統一戦線」は,一般に,「人民戦線」と基本的に同義のものとして解釈されていることは周知のことであり,そのことは注釈で「人民戦線内閣」と記述されていることからも明らかである。したがって,原告の「論文」内の《佐藤の提唱する「人民戦線」なるものが,いかなる性質のものであるかを検証しておこう》《佐藤の言う「人民戦線」とは,「国民戦線」である》という記述が正当であることは明らかである。

 被告は,被告準備書面(1)において,「私が言ってもいないことを,さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容です。」という被告佐藤の発言を「真実である」と主張し(5頁),被告準備書面(2)において,「被告が「言っていないこと」と主張している点」として,この「人民戦線」の記述を挙げているが,被告が原告の「論文」内で,この箇所以外に「被告が「言っていないこと」と主張している点」を挙げていない。そして,この箇所は被告佐藤が「言っていないこと」ではない。被告の主張は失当である。


(3)また,そもそも,原告による,「論文」中での「人民戦線」という記述は,被告佐藤の主張を要約したものである。

原告は,「論文」において,「佐藤は呼びかける。「ファシズムの危険を阻止するためには,東西冷戦終結後,有効性を失っているにもかかわらず,なぜか日本の論壇では今もその残滓が強く残っている左翼,右翼という「バカの壁」を突破し,ファシズムという妖怪を解体,脱構築する必要がある」(50)と。魚住昭は,呼びかけに応じて,「いまの佐藤さんの言論活動の目的は,迫りくるファシズムを阻止するために新たなインターアクションを起こすことだ」と述べており(51),斎藤貴男も,前掲の『週刊読書人』の記事で,「魚住の理解に明確な共感を覚えた」と述べている。」と,被告佐藤の主張を示し,被告佐藤の主張が,「人民戦線」と要約される意で受容されていることを示している。

また,「論文」中の,《佐藤の言う「人民戦線」とは,「国民戦線」である》の記述においては,「国民戦線」という一般的な用語と対比する形で,一般的な用語として「人民戦線」という用語を示している。

また,被告佐藤の主張する,ファシズムを阻止するために「左」と「右」を超えて連帯しようという政治的方針のことを,一般に,「人民戦線」と呼ぶことも,周知の事実である。『広辞苑 第六版』(岩波書店刊,2008年1月11日発行)の「人民戦線」の項でも,「ファシスト独裁および戦争に反対する,共産主義・社会主義の政党に自由主義政党も加えた広範な統一戦線。」とあり,「統一戦線」の項には,「政治運動などにおいて,ある共通の目標に対して諸党派または諸団体が協同して形成した持続的な運動形態。人民戦線の類。」とある。

被告佐藤は,原告の「論文」において,「言論を超えた私個人への攻撃」であり,被告佐藤をして「絶対に許せ」ないと思わしめた,「滅茶苦茶」な,「私が言ってもいないことを,さも私の主張のように書」いた箇所が存在すると主張しているのであるが,これが,一般読者の普通の注意と読み方に従えば,原告が被告佐藤の主張を捏造して批判している,という意であると解されることも明らかである。

 被告が挙げる「人民戦線」の箇所は,「滅茶苦茶な内容です。言論を超えた私個人への攻撃であり,絶対に許せません。」という論評の前提となるに足る真実性を有するものとしての,実質を欠いており,形式論へのすり替えであることは明白である。被告の主張は失当である。


(4)また,被告佐藤は,山川均や和田洋一(1903~94,元同志社大学文学部教授)といった,1938年に人民戦線事件で検挙されたことで知られる人物の主張を,リベラル・左派系のメディアで,しばしば好意的に取り上げている。和田が深く関与していた雑誌『世界文化』の同人たち,および山川均が同事件で検挙されたことは,高校の日本史教科書にも記述されている,周知の事実である。このことは,被告佐藤が自らを,「人民戦線」への志向を持った人物として,リベラル・左派系の読者に印象づけようとする行為であると解されるべきである。

被告佐藤は,『獄中記』の「序章」において,和田洋一について,「和田先生には前科があった。一九三八年六月二四日に治安維持法違反(京都人民戦線事件)で逮捕され,翌三九年一二月一四日までの五三八日間の獄中暮らしをした経験がある。」と書いた上で,「序章」全般にわたって,和田との学生時代以来の親しい交流を描いている。

また,これは論文刊行後であるが,被告佐藤の著書『世界認識のための情報術』(金曜日刊,2008年7月10日発行)では,「『週刊金曜日』への私の想い――序論として」の1頁目から,同じく和田に関する説明と和田と佐藤との交流が9頁にわたって述べられており,しかも,この「序論」の章全体(全31頁)が,被告佐藤が語るところの和田の姿勢と発言を補強する形で構成されている。

また,被告佐藤は,『世界』2005年7月号から9回にわたって掲載された連載「民族の罠」の,第8回目(2006年3月号)と最終回(2006年4月号)において,山川均のファシズム論を好意的に紹介しており,また,「山川均の平和憲法推進戦略」(『世界』2008年6月号)でも,山川均の安全保障論を肯定的に解釈し直して紹介した上で,同文章を「山川均はまさに日本におけるマルクスの後継者なのだと,筆者は見ている。」と結んでいる。

山川均は,共同戦線論の提唱者としても知られている。『広辞苑 第六版』の「山川均」の項の全文は,以下のようになっている。

「社会運動家。岡山県生まれ。明治末以来社会主義運動に従事,赤旗事件で入獄。日本共産党創立に参画。山川イズムと称される共同戦線党論を主張。再建共産党には加わらず,労農派論客として活躍。第二次大戦後は日本社会党に属し,社会主義協会を創設。(一八八〇-一九五八)」

また,雑誌『世界』,被告佐藤の著書『獄中記』を刊行する株式会社岩波書店,『世界認識のための情報術』を刊行する株式会社金曜日は,一般的にはリベラルまたは左派系の出版社として知られる。

したがって,被告佐藤は自らを,「人民戦線」への志向を持った人物として,リベラルまたは左派系の読者に印象づけようとしていたと解されるべきであって,このことからも,被告佐藤が実質的には「人民戦線」について記述していたことは明らかである。

以上,原告が「論文」で被告佐藤が「言ってもいないこと」をさも被告佐藤の主張のように書いたとする被告の主張が,真実でないことは明らかである。


3 被告が「曲解していること」と主張している点

被告は準備書面(2)において,被告佐藤の「私が言ってもいないことを,さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容です。言論を超えた私個人への攻撃であり,絶対に許せません。」との発言における「私が言ってもいないことを,さも私の主張のように書」いた箇所として,前項の「言っていないこと」だけではなく,「曲解していること」として,9箇所を挙げている。なお,被告は,準備書面(1)において,「被告佐藤は「言ってもいないことをさも私の主張のように書く」ことを「滅茶苦茶な内容」と言っているのであって,それ以外に滅茶苦茶な内容の部分があるとはなんら発言していない。」(5頁)と述べているから,この「曲解していること」は,「私が言ってもいないこと」の根拠として挙げられていると解される。

 だが,ある人物の発言について,曲解することと,言ってもいないことをあたかも当該人物の主張であるかのように書くこととは,全く意味を異にする。被告佐藤が主張する「私が言ってもいないことを,さも私の主張のように書」いた箇所とは,原告が被告佐藤の主張を捏造して批判している,という意で解されるべきであることは明白であって,原告が被告佐藤の発言を「曲解している」という事実は,被告佐藤が「言ってもいないこと」をさも被告佐藤の主張のように書いた,という摘示事実の前提となる事実を構成しないことは明白である。したがって,被告佐藤の発言における「私が言ってもいないことを,さも私の主張のように書」いた箇所として,原告が「曲解している」とする事例を挙げる被告の主張は失当である。

また,以下で示すように,被告が「曲解していること」として挙げている「論文」中の原告の記述は,すべて正当なものであって,「曲解している」ものではなく,被告の主張は失当である。

(1)「論文」127頁上段21行目~下段1行目
《以下の叙述でも指摘するが,佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下,北朝鮮)武力行使,在日朝鮮人団体への弾圧の必要性を精力的に主張している。》との記述について。

被告は,「被告佐藤が武力行使の必要性を精力的に主張している事実はない。」と主張しており,その論拠として,二つの事例を挙げている。

まず,被告は,「フジサンケイビジネスアイ「地球を斬る」2007年6月6日「新帝国主義の選択肢」(乙2号証)において,「帝国主義の選択肢に戦争で問題を解決することも含まれる。これは良いとか悪いとかいう問題でなく,国際政治の構造が転換したことによるものだ。」として,戦争を問題解決の選択肢の一つとしてあげているにとどまる。」などと主張している。

だが,「論文」でも指摘したことであるが,乙2号証においては,「このような状況に「ケシカラン」と反発しても事態は改善しない」としながらも,他方で,「1938年のミュンヘン会談でイギリス,フランスから妥協を取り付けチェコスロバキアからズデーテン地方を獲得したナチス・ドイツと同じような「成果」を現在,北朝鮮が獲得している。」というように,北朝鮮をミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で,「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる。」と発言している。

また,被告佐藤は,2006年6月に生じた,ハマスのテロヘの対策を名目としたイスラエルのパレスチナ攻撃に関して,同年6月30日に目本の外務省が発表した,イスラエルとパレスチナの双方に「最大限の自制」を呼びかける声明に対して,以下のように発言している(甲39号証,「彼我の拉致問題」『地球を斬る』角川学芸出版刊,2007年6月10日発行,116~117頁。初出はインターネットサイト「フジサンケイ ビジネスアイ」「彼我の拉致問題」2006年7月6日付)


「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは,人権侵害であるとともにイスラエルの国権侵害でもある。人権と国権が侵害された事案については,軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府の方針を筆者は基本的に正しいと考える。」


「そもそも「最近のパレスチナ武装勢力による暴力やイスラエル軍による軍事行動により,事態が悪化していることを深く憂慮する」というイスラエルとパレスチナを対等に扱う(注・外務省の声明の)基本姿勢が間違っている。

本件については,パレスチナ自治政府の「国家犯罪」とイスラエルの対応における行き過ぎを同一視すべきではない。北朝鮮による日本人拉致問題の解決を国際社会に訴える必要がある日本としては「いかなる国家による拉致も認めない」という姿勢を明確にすることが国益にかなうと筆者は考える。国際社会においてイスラエルが持つ重みを正確に踏まえた上で,現在,中東で生じている事態を北朝鮮による日本人拉致問題解決に向けてどう使うかについてインテリジェンス(知恵)を活用するのだ。

2006年7月2日未明,イスラエルはパレスチナ自治政府首相府をミサイル攻撃し 建物の一部を破壊した。自治政府のハニヤ首相は「パレスチナ人民の象徴への攻撃だ。イスラエルにこの正気とは思えない政策をやめさせるよう,国際社会とアラブ連盟に介入を求める」(7月3目付『朝日新聞』朝刊)と国際社会の同情を得るべく腐心しているが,国家に準じる国際法の主体と言えるパレスチナ自治政府が「国家」として拉致を行ったことに日本政府は目をふさいではならない。

国家による拉致やテロを認めないという大原則に立って,日本政府は対パレスチナ政策を見直すべきだと思う。(2006・7・6)

 <検証>日本外務省がイランに対して甘いこととメダルの表裏の関係にあるのだが,日本の対イスラエル外交はあまりに冷淡だ。イスラエルは中東地域において,自由,民主主義,市場経済という共通の価値観を共有できる数少ない国家である。自国民が拉致された場合,武力を行使してでも奪還を図るイスラエルの姿勢から日本が学ぶべきことは多い。北朝鮮による日本人拉致問題の解決のためにイスラエルと共闘していくことが重要だ。」


 また,一方で被告佐藤は,


「拉致問題が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)という国家による日本人の人権に対する侵害であることは論を俟たない。それと同時に,北朝鮮の国家意思に基づいて工作員が主権国家である日本の領域に不法侵入し,日本国民を拉致したという日本国家の主権に対する侵害でもある。日本国家の国権と日本人の人権が侵害された複合的な事案であり,拉致問題の完全解決は日本として譲ることのできない国家としての原理原則問題だ。拉致問題を疎かにするようでは日本国家が内側から崩壊する。逆に現在,日本外務省が北朝鮮に対して毅然たる対応をとらず,戦略的外交を展開して北朝鮮を追い込めていないのは,日本の国家体制が内側から弱体化していることの現れなのかもしれない。」(甲40号証,『別冊正論』Extra.02,2006年7月29日発行,産経新聞社刊,27~28頁)

などと主張しているのであるから,そのような認識の下での被告佐藤の,

「軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府の方針を筆者は基本的に正しい。」

「武力を行使してでも奪還を図るイスラエルの姿勢から日本が学ぶべきことは多い。北朝鮮による日本人拉致問題の解決のためにイスラエルと共闘していくことが重要だ」

といった発言について,被告佐藤が対北朝鮮武力行使を精力的に主張している,と解釈することが正当であることは明らかである。

 したがって,被告が問題にしている乙2号証の文章においても,上記のように,被告佐藤が同じ連載「フジサンケイビジネスアイ 地球を斬る」の別の回で対北朝鮮武力行使を精力的に主張している以上,北朝鮮をナチス・ドイツに準えた上で,「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる。」とする発言も,同様に,対北朝鮮武力行使を精力的に主張しているものであることは明らかである。

 また,被告は,

「週刊金曜日「佐藤優の飛耳長目」2007年1月19日「六者協議と山崎氏訪朝をどう評価するか」31頁(乙3号証)においても,「北朝鮮情勢についてはもはや解決不能であるとあきらめてしまってはならない。現行の国際法では,戦争は違法化の傾向にあるものの,完全に禁止されているわけではない。北朝鮮に対するカードとして,最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい。金正日政権にもその覚悟はできているはずである,戦争になり,北朝鮮が寧辺のチェルノブイリ型原子力発電所を自爆するだけでも北朝鮮のみならずロシア,中国は確実に放射能で汚染され,さらに死の灰は韓国や日本にも降ってくる。この一点だけをとってみても問題を平和的に解決する算段を最後の最後まで考えることが日本の国益に貢献する。」「北朝鮮との対話をあらゆる経路を使って継続的に行うことが重要だ。」として,北朝鮮に対するカードとして最後には戦争もありうることを明らかにしつつも,対話による平和的解決が日本の国益にとって重要であることを明確にしているのである。」

と主張している。

 だが,原告は「論文」において,乙3号証の文章については,「『金曜日』での連載においても,オブラートに包んだ形ではあるが,「北朝鮮に対するカードとして,最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている」と記述しているに過ぎないのであって,上記の引用にもあるように,その記述自体は正当である。

 また,被告は,乙3号証のような,『金曜日』というリベラル・左派雑誌での被告佐藤の主張を挙げることが,被告佐藤が対北朝鮮武力行使を精力的に主張しているとする原告の解釈への反証となると認識しているようだが,『金曜日』での主張が,「フジサンケイビジネスアイ 地球を斬る」での主張を相殺するはずもない。そうした被告佐藤の「左」「右」メディアにおける主張の使い分けこそ,「論文」で取り上げたテーマの一つである。

 しかも,乙3号証での「現行の国際法では,戦争は違法化の傾向にあるものの,完全に禁止されているわけではない。北朝鮮に対するカードとして,最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい。金正日政権にもその覚悟はできているはずである」といった主張が,日本国憲法第9条の掲げる平和主義に背反していることは明らかであって,そのような一節を含む乙3号証の文章が,被告の言うような「対話による平和的解決」を訴えたものとは到底言えないことは明らかであり,したがって,乙3号証は,被告佐藤が対北朝鮮武力行使を精力的に主張しているとする原告の解釈への反証に全くなっていない。被告の主張は失当である。


(2)「論文」128頁下段17行日~129頁下段2行目
  被告は,「原告は「日米開戦の真実一大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」(小学館,乙4号証)から被告佐藤の日本の近現代史に関する自己の歴史認識が開陳されていると称する部分を引用しているが,引用が恣意的である。」と主張している。

 だが,引用の元の箇所(甲41号証)が示すように,引用した部分は,被告佐藤の「日本の近現代史に関する自己の歴史認識を開陳」したものであって,引用が恣意的との非難は何ら当たらない。

 また,被告は,同書で原告が引用しなかった箇所を挙げているが,それは上記の引用部分の論旨を否定するものではなく,上記の引用部分が被告佐藤の「日本の近現代史に関する自己の歴史認識を開陳」したものである以上,原告の引用が「恣意的」で,被告佐藤の主張を「曲解」しており,「言ってもいないこと」をさも被告佐藤の主張のように言っていることに当たらないことは明白である。被告の主張は失当である。


(3)「論文」129頁下段14行目~20行目

被告は,原告による,被告佐藤の《さらに,現在の北朝鮮をミュンヘン会談時のナチス・ドイツに例えた上で,「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢に戦争で問題を解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては,北朝鮮の「拉致問題の解決」においても,戦争が視野に入っているということだ。》との発言の引用について,「この引用は上述の「新帝国主義の選択肢」(乙2号証)の途中からのもので,「狭義の外交力,すなわち政治家,外交官の情報(インテリジェンス)感覚や交渉力を強化し,」という部分が抜けている。原告はこの部分を引用せずに,当然被告佐藤にとっては戦争が視野に入っていると結論づけているが,これは曲解である。」と主張している。

だが,仮に「狭義の外交力,すなわち政治家,外交官の情報(インテリジェンス)感覚や交渉力を強化し,」という部分が入っていたとしても,被告佐藤が「帝国主義の選択肢に戦争で問題を解決することも含まれる」と明言している以上, 被告の「当然佐藤にとっては,北朝鮮の「拉致問題の解決」においても,戦争が視野に入っているということだ」という指摘は,何ら曲解ではない。被告の主張は失当である。

また,被告は,「ここで問題にされているのは北朝鮮が行ったミサイル発射及び核実験であって,それによってごり押しを行う北朝鮮をミュンヘン会談時のナチス・ドイツに例えているのに,原告はそれとは直接関係のない「拉致問題の解決」と無理矢理結びつけている。」などと主張している。

だが,被告佐藤は,論文「対北朝鮮外交のプランを立てよと命じられたら」(甲40号証)において,以下のように発言している。

「対北朝鮮外交における日本国家の原理原則とは何なのだろうか。筆者は拉致問題の完全解決と思う。拉致問題が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)という国家による日本人の人権に対する侵害であることは論を俟たない。それと同時に,北朝鮮の国家意思に基づいて工作員が主権国家である日本の領域に不法侵入し,日本国民を拉致したという日本国家の主権に対する侵害でもある。日本国家の国権と日本人の人権が侵害された複合的な事案であり,拉致問題の完全解決は日本として譲ることのできない国家としての原理原則問題だ。拉致問題を疎かにするようでは日本国家が内側から崩壊する。逆に現在,日本外務省が北朝鮮に対して毅然たる対応をとらず,戦略的外交を展開して北朝鮮を追い込めていないのは,日本の国家体制が内側から弱体化していることの現れなのかもしれない。」

このように,被告佐藤は,「対北朝鮮外交における日本国家の原理原則」を「拉致問題の完全解決」とした上で,日本外務省に対して「拉致問題」の件で「北朝鮮を追い込めていない」ことを批判しており,かつ,甲40号証の発表日から乙2号証の発表日(2007年6月6日)の間に,被告佐藤が「拉致問題の解決」が果たされたと認識するに至る案件が生じたとは言えないから,被告佐藤は,乙2号証の発表日時点においても,「拉致問題の解決」が実現していないと認識していると解されるべきである。前述のように,被告佐藤が,「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢に戦争で問題を解決することも含まれる」と明言している以上,原告が,「戦争が視野に入っている」とした問題の対象として,「拉致問題の解決」を挙げていることは,「無理矢理」ではなく,十分な根拠があり,正当である。被告の主張は失当である。


(4)「論文」129頁下段20行目~130頁上段3行目

被告は,「原告は,上記の《当然佐藤にとっては,北朝鮮の「拉致問題の解決」においても,戦争が視野に入っているということだ》との結論を補強するために,続けて,《『金曜日』での連載においても,オブラートに包んだ形ではあるが,「北朝鮮に対するカードとして,最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている》と書くが,この『金曜日』の記事で被告佐藤は,原告の引用箇所に続いて,もし戦争になれば日本を含む周辺国に大変な害が及ぶので,「問題を平和的に解決する算段を最後の最後まで考えることが日本の国益に貢献する」と書いているが,原告はこの部分を引用していない(乙3号証)。」などと主張している。

だが,被告佐藤が,《「北朝鮮に対するカードとして,最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている》こと自体は事実であり,その後の部分を引用していないことは「曲解」でもなんでもない。被告の主張は失当である。

(5)「論文」130頁上段10行目~12行目

被告は,原告の「論文」の《アメリカが主張してきた北朝鮮の米ドル札偽造問題が,アメリカの自作自演だった可能性が高いという欧米メディアの報道に対して,佐藤は「アメリカ政府として,『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら,証拠を突きつける形で反論するとアメリカの情報源と情報収集能力が明らかになり,北朝鮮を利してしまうからだ」と,いかなる反証の根拠も示さずに(反証の必要性を封じた上で),「北朝鮮の情報操作」と主張しているが》との記述について,「反証の根拠は示している」と主張している。

だが,これは被告の「曲解」と言うほかないのであって,原告は,「アメリカが主張してきた北朝鮮の米ドル札偽造問題が,アメリカの自作自演だった可能性が高いという欧米メディアの報道」に対して,被告佐藤が,根拠を示さずにそれを「北朝鮮による巧みな情報操作」と述べていることを指して,「いかなる反証の根拠も示さずに」と記述したのであり,また,被告佐藤が「証拠を突きつける形で反論するとアメリカの情報源と情報収集能力が明らかになり,北朝鮮を利してしまうからだ」と,北朝鮮が偽ドルを作っている証拠をアメリカ政府は提示できないとしているにもかかわらず,「北朝鮮による巧みな情報操作」だと主張していることを指して,「( 反証の必要性を封じた上で)」と記述したのである。

したがって,被告が,「反証の根拠は示している」との主張の根拠として挙げている,「特にCIAは官僚化しているので,議会に露見した場合,CIA組織自体が解体されてしまうような偽ドル工作に関与することは,(仮に一部の工作担当官がそれを望んだとしても)不可能である。」という箇所は,被告佐藤が「『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事」を「北朝鮮による巧みな情報操作」と主張するための根拠となっておらず,被告の主張は失当である。

また,被告は,「反証の根拠は示している」との主張の根拠として,「もっともわれわれ日本人は幸運だ。小説という形態であるが手嶋龍一氏の『ウルトラダラー』(新潮社)を読めば,北朝鮮がアメリカ造幣局の特殊用紙をどのように盗み,ドイツ製印刷機を中国経由でどのように手に入れたかなどの秘密がわかる。」という箇所も挙げているが,小説がそのような根拠たりえないことは明白である。被告の主張は失当である。


(6)「論文」131頁上段10行日~16行日

被告は,原告の「論文」の《産経新聞グループのサイト上での連載である(地球を斬る)では,「慰安婦」問題をめぐるアメリカの報道を「無茶苦茶」と非難し,「慰安婦」問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして,あたかも「慰安婦」決議自体が不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている。》との記述について,「被告佐藤は,「慰安婦問題を巡るアメリカの報道には無茶苦茶なものが多い」という事実を指摘しているのであって,《アメリカの報道を「無茶苦茶」と非難し》ている事実はない。」と主張している。

だが,被告佐藤の「慰安婦問題を巡るアメリカの報道には無茶苦茶なものが多い」という発言を,「「慰安婦」問題をめぐるアメリカの報道を「無茶苦茶」と非難し」と要約したことは,何ら「曲解」と言えず,ましてや,被告佐藤の主張を「曲解」しており,「言ってもいないこと」をさも被告佐藤の主張のように言っていることに当たらないことは明白である。被告の主張は失当である。

また,被告は,「「安倍発言は従来の政府見解と何ら齟齬を来していない」と言っているのであって,原告が言うような《正当》か否かということについては何ら述べていない。また,「安倍総理は,慰安婦問題について強制性を認めているのである」と言っており,《あたかも「慰安婦」決議自体が不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている》というのは曲解である。」と主張している。

だが,被告佐藤は同じ文章で,「ワシントンの日本大使館やアメリカ各地の日本総領事館が慰安婦問題に関する政策広報をきちんと行っていればこのようなことにならなかったはずだ。筆者の理解では,外務省が「アジア女性基金」の活動をアメリカで正確に紹介していれば,事態がここまで悪化することを避けることができた。「アジア女性基金」は「従軍慰安婦」という用語を用いず「慰安婦」としている。また,「狭義の強制性」も認めていない。慰安婦の人々に日本の総理が「おわびの手紙」を出している事実をアメリカ議会関係者に日本の外交官がていねいに説明していれば事態の展開は異なった。」と主張しており,「アジア女性基金」を肯定的に評価している。

また,被告佐藤は,『国家と人生』(甲42号証,竹村健一との共著,太陽企画出版刊,2007年12月5日発行)でも,277頁から278頁にかけて,「過去,日本は村山首相談話や河野洋平官房長官の発言などで,アジア各国に公式に謝罪しました。アメリカ側はこれでは不十分だというのですが,ともあれ,日本の内閣総理大臣や官房長官が公式に謝罪した以上はそれを継承するべきです。外交面ではマキャベリックな発想が必要です。  たとえば慰安婦問題なら,「アジア女性基金」のメンバー,三木元首相夫人の三木睦子さんなどをアメリカに派遣し,アジア女性基金の活動を報告してもらえばよい。」「アジア女性基金は民間団体ということになっていますが,実際の運営資金は国が援助しています。元慰安婦に対しては内閣総理大臣,厚生労働大臣,厚生労働省から見舞金が出されており,内閣総理大臣も手紙を書いています。こうした活動ぶりをアメリカ側に説明すれば,アメリカの世論は割れると思います。アメリカ世論は,日本は何も責任をとっていないと誤解しているのですが,過去,日本は談話も発表しているし,きちんと対応しているとアピールする。   こうした活動を展開してアメリカ世論を味方につける。これぞまさしくインテリジェンスというものだと思います。」と述べており,被告佐藤が「アジア女性基金」を肯定的に捉えていることは明らかである。

この「アジア女性基金」は,「従来の政府見解」と同義である。そして,被告佐藤は,「安倍発言の趣旨は慰安婦について「狭義の強制性はなかった」という認識を示したのであり,これは従来の政府見解と何ら齟齬を来していない。」と主張しているのであるから,被告佐藤は,「従来の政府見解と何ら齟齬を来していない」安部発言を「正当」と見なしていると言える。

したがって,原告の「論文」における,「安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして」という記述は,何ら「曲解」ではなく,ましてや,「言ってもいないこと」をさも被告佐藤の主張のように言っていることに当たらないことは明白である。被告の主張は失当である。

また,被告佐藤は,同じ文章で,「慰安婦問題を巡るアメリカの報道には滅茶苦茶なものが多い。「20万人のアジア女性をレイプ・センターに入れた」などという事実無根の話が独り歩きしている。」などと述べた上で,「ワシントンの日本大使館やアメリカ各地の日本総領事館が慰安婦問題に関する政策広報をきちんと行っていればこのようなことにならなかったはずだ。筆者の理解では,外務省が「アジア女性基金」の活動をアメリカで正確に紹介していれば,事態がここまで悪化することを避けることができた。」と主張しているのであるから,被告佐藤が《あたかも「慰安婦」決議自体が不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている》ことは明らかである。したがって,「論文」の記述は「曲解」ではなく,被告の主張は失当である。


(7)「論文」149頁上段5行目~12行目

被告は,原告の「論文」の《ところで,佐藤は,「仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても,筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。 日本国家,同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で,自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている。佐藤は,リベラル・左派に対して,戦争に反対の立場であっても,戦争が起こってしまったからには,自国の防衛,「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。》との記述について,被告佐藤は,原告の引用元の文章である「フジサンケイビジネスアイ「地球を斬る」2007年7月4日「愛国心について」(乙7号証)」においては,「右派・左派を問わない,愛国心という感情について述べ」ているにすぎないのであって,「自らの政治信条について述べている訳ではない」のであるから,原告の記述は「曲解」であると主張している。

だが,被告佐藤の主張は,日本国家と日本国民が「正しくない」戦争の道に進んで行っている時に,ある人物が,その戦争に反対であるという「正しい」意見を持っていたとしても,「自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択」をとるのはやめて,「日本国家,同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で,自分が「正しい」と考える事柄の実現を図」るべきだ,という意であるから,その主張を,「佐藤は,リベラル・左派に対して,戦争に反対の立場であっても,戦争が起こってしまったからには,自国の防衛,「国益」を前提にして行動せよと要求している」と解釈することは,文意解釈上極めて自然であって,「曲解」ではない。ましてや,原告は,被告佐藤の発言をそのように解釈するにあたって,その基となる被告佐藤の発言を明示しているのであるから,被告佐藤が「言ってもいないこと」をさも被告佐藤の主張のように言っていることに当たらないことは明白である。被告の主張は失当である。


(8)「論文」150頁註(6)

被告は,原告の「論文」の《なお,『獄中記』では,「北朝鮮人」(一四頁),「僕は韓国語でなく,朝鮮語を勉強した」(三七八頁)という表現がある。佐藤は,「韓国語とは語彙や敬語の体系が違う「朝鮮語」」(「即興政治論」『東京新聞』二〇〇七年九月一八日)とインタビューで答えているので(恐らく,朝鮮語のカギカッコは記者だろう),佐藤は本気で「韓国語」と「朝鮮語」を別物としたいのだろう。この規定は,以下のような「国益」上の判断から来ていると思われる。「僕(註・佐藤)は,朝鮮半島が統一されて大韓国ができるシナリオより,北が生き残るほうが日本には良いと思う。統一されて強大になった韓国が日本に友好的になることはあり得ないからね」(緊急編集部対談VOL.1佐藤優x河合洋一郎〉雑誌『KING』(講談社)ホームページより)。植民地支配・冷戦体制固定化による民族分断への責任を無視する,帝国主義者らしい発言である。》との記述について,「原告自身が引用している通り,被告佐藤が朝鮮語と韓国語を分けているのは,語彙や敬語の体系が違うという言語学上の理由からである。《朝鮮半島が統一されて大韓国ができるシナリオより,北が生き残るほうが日本には良い》かどうかは,ここでは何の関係もなぐ,原告の単なるこじつけとしか言いようがない。」と主張している。

だが,「朝鮮語」と「韓国語」という呼称が,社会通念上,同一言語の呼称上の違いと見なされていることは明白であって,被告佐藤が両者を別の言語とすることを,朝鮮半島の南北分断が日本の国益上は望ましいとする,被告佐藤の政治的見解に起因すると解釈することは,文意解釈上極めて自然であって,「曲解」ではない。ましてや原告は,被告も「原告自身が引用している通り」と認めているように,被告佐藤自身は「語彙や敬語の体系が違うという言語学上の理由から」両者は別だと主張していることを明示しており,また,原告が上記の解釈を述べるにあたっても,「「国益」上の判断から来ていると思われる」と,それが解釈であることを明示している。したがって,この記述が,被告佐藤が「言ってもいないこと」をさも被告佐藤の主張のように言っていることに当たらないことも明白である。被告の主張は失当である。

(9)「論文」157,8頁註(55)

被告は,原告の「論文」の《なお,佐藤は,日本がファシズムの時代になり,「国家に依存しないでも自分たちのネットワークで成立できる部落解放同盟やJR総連の人たち」がたたきつぶされると,左右のメディアも弾圧されて結局何もなくなると主張する(「国家の論理と国策操作(ママ)」『マスコミ市民』2007年9月号)。ところが,佐藤は同じ論文で,緒方重威元公安調査庁長官の逮捕について,「国民のコンセンサスを得ながら朝鮮総連の力を弱める国策の中で,今回の事件をうまく使っている」と述べており(傍点引用者),朝鮮総連の政治弾圧には肯定的である。この二重基準に,「国民戦線」の論理がよく表れている。「国民戦線」の下では,「人権」等の普遍的権利に基づかない「国民のコンセンサス」によってマイノリティが恣意的に(従属的)包摂/排除されることになる。》との記述について,「「この事件をうまく使っている」というのは,検察が自分たちにとっての「きれいな社会」を作るために緒方公安調査庁元長官の事件をうまく使っているという意味であり,これに対し被告佐藤はそのような考えこそが全体主義なのだと否定的な評価をしている。さらに,この記事において被告佐藤は朝鮮総連についてはその力を弱める国策があるという事実を述べているだけで,総連の政治弾圧にはここで肯定的評価も否定的評価もしていない。従って,《二重基準》という「論文」の指摘は当たらない。」と主張している。

また,「朝鮮総連は朝鮮民主主義人民共和国という特定の国家と結びついており,その意味において,部落解放同盟やJR総連と同列に扱うことはできず,《二重基準》という主張の前提がそもそも成り立たない。」とも主張している。

だが,以下に述べるように,「二重基準」という原告の「論文」の指摘は,被告佐藤の主張を的確に表現したものである。

被告は,「「この事件をうまく使っている」というのは,検察が自分たちにとっての「きれいな社会」を作るために緒方公安調査庁元長官の事件をうまく使っているという意味であり,これに対し被告佐藤はそのような考えこそが全体主義なのだと否定的な評価をしている。」と主張しているが,被告佐藤は同じ文章で,「政治の力で公平配分を担保するシステムは,ある程度の腐敗がつきものです。その構造にメスを入れて「きれいな社会」を作りたいという考えが,検察の国益観です。」と述べており(9頁),また,「緒方公安調査庁元長官が捕まった事件は,「きれいな社会」を作ろうとする検察の本質をよく表していると思います。この事件は一種の国策捜査ですが,これは権力内の内部抗争です。」とも述べている(10頁)。したがって,被告佐藤は,「国策捜査」について,検察が「きれいな社会」を作りたいという考えに基づき行なうものとして,「否定的な評価をしている」と言うことができる。

 ところが,他方,被告佐藤は,朝鮮総連に対する「国策捜査」の適用に関しては,以下で示すとおり,肯定的である。

 被告佐藤は,前記論文「対北朝鮮外交のプランを立てよと命じられたら」(甲41号証)において,「読者からの「軟弱だ」という非難を覚悟した上で言うが,筆者自身は北朝鮮国家を生き残らせる方向が日本の国益により適うと考える。その理由については後で説明するが,まず,「北朝鮮を叩き潰すという前提でマスタープランを組み立てよ」という国家意思が明確に示された場合の筆者の腹案を記したい。」(31頁)と前置きした上で,その「腹案」の中で,以下のように述べている。

「「平壌宣言」の廃棄だけでは,日本国内から民間のカネや物が北朝鮮に流れることを阻止できない。そこで警察庁,国税庁,検察庁が一体となって国策捜査を展開するのだ。日本は法治国家である。従って,違法な捜査はしない。しかし,これまでは「お目こぼし」の範囲内にあった違反行為でも徹底的に摘発し,逮捕,長期勾留,厳罰,マスコミに対する情報のリークで,北朝鮮とビジネスをすることで利益を得ている者を,朝鮮籍,韓国籍をもつ在日外国人であるか,帰化日本人であるか,生まれたときからの日本人であるか,中国人,アメリカ人などのその他の外国人であるかを一切問わず,徹底的に叩き潰すことである。」(31~32頁)

「実は北朝鮮はこの国策捜査のシナリオを何よりも恐れている。北朝鮮政府の事実上の公式ウェブサイト「ネナラ(朝鮮語で「わが国」の意)・朝鮮民主主義人民共和国」が二〇〇六年
三月二十八日付の北朝鮮外務省スポークスマン声明を掲載しているが,ここに大きなヒントが隠れている。少々長いが全文を正確に引用する。
〈朝鮮民主主義人民共和国外務省代弁人の談話
 最近,日本当局の反共和国・反総聯騒ぎは新たな様相を帯びて,いっそう悪辣に繰り広げられている。 すでに報道されたように,日本当局は去る3月23目,警視庁公安部の主導のもとに数十人の大阪府警察機動隊を動員して,在日本朝鮮人大阪府商工会とわが同胞が経営する商店や家宅など6か所に対する強制捜索を強行するなど,総聯の弾圧に平然と国家権力を投入した。
 のみならず,日本当局はすでに総聯の中央会館や東京都本部の会館,出版会館に対する固定資産税減免措置を取り消して差押処分を下し,ついで「現行法の厳格な適用」という美名のもとに,全国のすべての総聯関連施設に対する地方自治体の固定資産税減免措置を完全になくそうとするなど,総聯を崩壊させるための財政的圧迫をさらに強めている。
 われわれは,いま日本でヒステリックに繰り広げられている総聯と在日朝鮮公民に対する殺伐たる弾圧騒ぎを絶対に袖手傍観することはできない。
 元来,日本政府は,歴史的見地からしても当然,総聯の活動を保障し,在日朝鮮人の生活を保護すべき法的・道徳的責任を担っている。
 日本の総理は,朝日平壌(ピョンヤン)宣言を採択した時をはじめ多くの機会に,在日朝鮮人が差別されないよう友好的に彼らに対するという立場を繰り返し表明し,日本政府もこの2月の初めに,北京における朝日国交正常化会談でこれを再確認した。
 にもかかわらず,「法治国家」を自任する日本が,解決済みの「拉致問題」を故意に総聯と結びつけ,国家権力まで発動して無頼漢のように総聯と在日朝鮮公民に対するファッショ的暴挙を強行し,われわれに「圧力」をかけようとするのは,実に浅ましく卑劣であり,笑止の至りである。
 総聯は,わが同胞の諸般の民主主義的民族権利を擁護する朝鮮民主主義人民共和国の合法的な海外公民団体であり,朝日両国間に国交がない状況のもとで日本人民との友好親善をはかる外交代表部の役割を担い,果たしている。
 こうした尊厳ある総聯と在日朝鮮公民に対する弾圧は朝日平壌宣言を踏みにじるものであり,わが共和国に対する許しがたい主権侵害行為である。
 日本の悪辣かつ無分別な振る舞いは,わが軍隊と人民の限りない嫌悪感と満身の怒りを湧き立たせている。
 われわれは,日本政府の直接的な庇護,助長のもとに体系的に強行されている総聯と在日朝鮮公民に対する弾圧行為を徹底的に計算し,それに強力に対応するであろう。
 日本当局は絶対に,それによって招かれる重大な事態の責任を逃れることはできない。2006年3月28日 平壌〉
 「敵が嫌がることを率先して行う」というのはインテリジェンス工作の定石だ。北朝鮮政府が重要なシグナルを出しているのだから,それを正確に読み取って,「現行法の厳格な適用」という国策捜査を用いて,北朝鮮に流れるカネ,物の元栓を完全に閉めるのだ。日本国家の暴力性を最大限に発揮した国策捜査は経済制裁よりも効果がある。」(32~33頁) 

 以上のように,被告佐藤はここで,「北朝鮮政府の事実上の公式ウェブサイト「ネナラ(朝鮮語で「わが国」の意)・朝鮮民主主義人民共和国」」の「二〇〇六年三月二十八日付の北朝鮮外務省スポークスマン声明」において批判されている,2006年3月23日の在日本朝鮮人大阪府商工会等への警視庁による強制捜索,および「現行法の厳格な適用」という名目の下での,「全国のすべての総聯関連施設に対する地方自治体の固定資産税減免措置」の廃止を「国策捜査」と規定している。

 上の文章で示されている「腹案」は,一応,仮定上のものとして記述されているが,「「ネナラ」,北朝鮮からのシグナル」(甲43号証,『地球を斬る』角川学芸出版刊,66頁。初出はインターネットサイト「フジサンケイビジネスアイ」「北朝鮮からのシグナル」2006年4月13日付)では,仮定上のものだったはずの主張が,以下のように,被告佐藤の自論として記述されている。

「 なぜ北朝鮮はこのタイミングでシグナルを送ってきたのか。このヒントは「ネナラ」に掲載された三月二十八日の北朝鮮外務省スポークスマンの声明にある。
〈日本当局は三月二十三日,警視庁公安部の主導のもとに数十人の大阪府警察機動隊を動員して,在日本朝鮮人大阪府商工会とわが同胞が経営する商店や家宅など六ヵ所に対する強制捜索を強行するなど,総聯の弾圧に平然と国家権力を投入した。のみならず,日本当局はすでに総聯の中央会館や東京都本部の会館,出版会館に対する固定資産税減免措置を取り消して差押処分を下し,ついで「現行法の厳格な適用」という美名の下に,全国のすべての総聯関連施設に対する地方自治体の固定資産税減免措置を完全になくそうとするなど,総聯を崩壊させるための財政的圧迫をさらに強めている〉
 日本政府が朝鮮総連の経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮が逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。
 政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネスで利益を得ている勢力を牽制(けんせい)することが拉致問題解決のための環境を整える。」

 すなわち,ここで被告佐藤は,上述の「対北朝鮮外交のプランを立てよと命じられたら」(甲41号証)と同じく,「北朝鮮政府の事実上の公式ウェブサイト「ネナラ(朝鮮語で「わが国」の意)・朝鮮民主主義人民共和国」」の「二〇〇六年三月二十八日付の北朝鮮外務省スポークスマン声明」から引用した上で,2006年3月23日の在日本朝鮮人大阪府商工会等への警視庁による強制捜索,および「現行法の厳格な適用」という名目の下での,「全国のすべての総聯関連施設に対する地方自治体の固定資産税減免措置」の廃止について,「拉致問題解決のための環境を整える」と肯定的な見解を示している。

 以上から,被告佐藤は朝鮮総連に対する「国策捜査」を肯定的に捉えている,と言える。

 したがって,被告は「「この事件をうまく使っている」というのは,検察が自分たちにとっての「きれいな社会」を作るために緒方公安調査庁元長官の事件をうまく使っているという意味であり,これに対し被告佐藤はそのような考えこそが全体主義なのだと否定的な評価をしている。さらに,この記事において被告佐藤は朝鮮総連についてはその力を弱める国策があるという事実を述べているだけで,総連の政治弾圧にはここで肯定的評価も否定的評価もしていない。」と主張しているが,被告佐藤が他の媒体で朝鮮総連への「国策捜査」に肯定的であることを明示しているのであるから,「国民のコンセンサスを得ながら朝鮮総連の力を弱める国策の中で,今回の事件をうまく使っている」という被告佐藤の記述を,「国民のコンセンサスを得ながら」および「うまく」という,通常肯定的な意を持つ表現が用いられていることにも留意して,朝鮮総連への政治弾圧を肯定したものとして解釈することは,正当である。

 また,被告佐藤は朝鮮総連への「国策捜査」に肯定的であるのだから,「国民のコンセンサスを得ながら朝鮮総連の力を弱める国策」という記述に関して,その前にある,被告佐藤が肯定的であると考えられる「被害者なのか加害者なのかわからないような取り調べ」を受けているものと捉え,「朝鮮総連の力を弱める」ために,検察が「今回の事件をうまく使っている」と解釈することも,正当である。

 そして,この記事においては,「「国家に依存しないでも自分たちのネットワークで成立できる部落解放同盟やJR総連の人たち」への「国策捜査」には否定的と見なしうる一方で,前述のように,朝鮮総連への政治弾圧には肯定的であると見なしえ,しかも,朝鮮総連への「国策捜査」には肯定的であるから,これを指して「二重基準」だと言うことも正当である。

 また,被告は「朝鮮総連は朝鮮民主主義人民共和国という特定の国家と結びついており,その意味において,部落解放同盟やJR総連と同列に扱うことはできず,《二重基準》という主張の前提がそもそも成り立たない。」と主張しているが,被告佐藤自身が,原告の「論文」発表(掲載号は2007年11月10日発行であるが,実際には,11月初頭には販売していた書店も存在した)後に刊行した,『国家論』(甲44号証,日本放送出版協会刊,2007年12月25日発行,「あとがき」の日付は「二〇〇七年一一月一八日」)においては,「いま重要なのは,JR総連のような労働組合,部落解放同盟,そして在日外国人の運動――これは朝鮮総聯(在日本朝鮮人総聯合会)も含みます――です。このような,国家に頼らずに,お互いで助け合っていける団体がある。国家に対する異議申し立て運動をして,国家に圧力を加えられたとしても,自分たちの中で充足して,生き延びていくことができる。そのようなネットワークがないといけません。」(136~137頁),「朝鮮総聯の日本社会の民主化を担保する機能もきちんと理解しておく必要があります。」(137頁)などと,朝鮮総連を「部落解放同盟やJR総連と同列に扱」っているのであるから,朝鮮総連と「部落解放同盟やJR総連」を同列に扱うことは正当である。また,『国家論』(甲44号証)以前に発表された被告佐藤の記事において,朝鮮総連と「部落解放同盟やJR総連」を同列に扱った上で,姿勢の相違を「二重基準」と評することは,その根拠があれば正当であると解されるべきであり,前述のように,原告はその根拠を提示している。

 以上,明らかにしたように,原告の「論文」における記述を「曲解」だとする被告の主張はすべて失当である。

 すなわち,原告の「論文」には,被告が主張するところの「言ってもいないこと」も「曲解していること」も存在しない。したがって,原告の「論文」について,「私が言ってもいないことを、さも私の主張のように書」いたものだとする,被告佐藤の主張は真実ではなく,被告の主張は失当である。

 以上
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