振り出しに戻されてしまった。
風土病を研究している施設が分かれば、メタルギアの位置もおのずと分かる、と思ったのだが。
それすら分からない。
頼りになる死んだはずの親友は姿を消してしまった。
任務続行は――、難しそうだ。
だが、現時点ではあの少女を助けに行くことすら出来ない。
彼女は綿流しの日からすぐに姿を消したらしい。それ程までに追い詰められていたのか。
そして、やはり北条鉄平は殺されていて、沙都子は診療所へ一人に赴いた。
ならば……詩音も、かなり危険だ。
オセロットの名を叫んだ彼女。いったいどういう状況下にあるのかは想定出来ないが、危険な事に変わりはない。
さらに、梨花の親戚を名乗る羽入も戻ってこない。
ここは動くべきだ。と思った。
――――事態はかなり変化した。
ほぼ一日中、何も出来ずに地下に閉じ込められていたからだ。その分まで動かなければならない。
メタルギアに関する情報が白紙に戻ってしまったが、敵は既に俺の所在を掴んでいる。
ここ一カ所に留まる事は、子供達を巻き込んでしまうことを意味する。
……だから、自分のテントに戻ってから、せめて梨花を探そうと思ったのだが。
「スネーク! 箸が止まってるよ~!」
魅音が叫ぶ。
……どういう訳か、今、俺は魅音、圭一、レナと食卓を囲んでいる。
目の前に出された日本料理は、量は多くないものの豪華だ。
無理矢理夕飯を食わされた、と言ってもおかしくないこの状況。どうにも落ち着かない。
「なぁ魅音……、こんな事していて大丈夫なのか?」
圭一も似たような不安を持っているのだろう。
彼も同じく園崎家特製の食事を食べながら魅音に尋ねた。
「圭ちゃん、『腹が減っては戦は出来ぬ』って諺があるでしょ! それと同じだよ。
第一、羽入も戻ってきてないし、診療所からも音沙汰無しだから、動こうにも動けないって」
「でもなあ……」
「魅ぃちゃんの言うことも一理あると思うよ。……確かに、何も出来ない事は歯がゆいけどね。
遠く離れていても連絡する手段があればいいんだけど……」
「羽入に無線でも持たせれば良かったかな。うちにはそういうの、たくさんあるし」
無線まで備えているとは。恐るべし園崎家。
……という事は置いておいて、皆が食事を取ってる理由については、大体魅音が言った通りだ。
まず、現時刻は夕食時であること。
次に、羽入が戻ってこないこと。
緊急事態の中にいる可能性もあるが、今は判断出来ない。
そして、診療所から何の連絡も来ないこと。
沙都子が捕まったのなら、脅迫の電話が入ってもおかしくない。
可能性は低いが、沙都子が無事に逃げられたのなら、帰ってきてもおかしくない時間だ。
よって、現時点で動くことは不利になる、と魅音は判断した。
診療所に行くにしては戦力が足りない。
羽入が向かったという、梨花が潜んでいる場所も、魅音達は知らない。
だから、来るべき時に備えて、園崎家で食事をしよう――という流れになった。
大佐に無線する暇すら無かった。
……まぁ、料理がうますぎるので、これはこれでいい、と考えている自分もいるのだが。
日本に来たのはいいが、日本の物に触れる機会は少なかった。
観光ではなく任務で来たのだから、当たり前と言えば当たり前だ。
……しかし、ここへ来て彼ら――、子供達に出会えた。
口先だけで流れを持って行き、そして村の因習を打ち破った圭一。
大人相手に臆することなく勝負を持ちかけた魅音。
フォックスハウンド教官顔負けのトラップの腕前を持つ沙都子。
年齢よりずっと大人びていて、不思議な力を持ち、大切な何かを教えてくれた梨花。
そんな彼らと過ごした日々は――純粋に、楽しかった。
こうして和食を食べているのも、彼らのおかげと言えばそうなる。
今までは野生の動植物しか食べていなかったのだから。
デザートフェスタだってそうだ。甘い物を食べる機会はそう無い。
貴重な体験を彼らはもたらしてくれた。
しかし、……そんな楽しかった日々は、もう終わるだろう。
楽しい日常は終焉を迎える。
本来の潜入任務をする時が来たら、……彼らとはお別れだ。
もしかすると、これが、部活メンバーとの最後の日常かもしれない。
圭一達の微笑ましい会話を聞きながら、そんな事を考えていた。
TIPS:二冊目のノート21ページ
どうしてこんな事になったんだろう。
確かに、彼には会えた。……けれど、「コレ」は何?
彼は私の目を見てくれない。
彼は私の声を聞いてくれない。
私の手は悟史くんに触れられない。
――悟史くんは、悟史くんじゃなくなっていた。
それに、今、私と悟史くんがいる状況すらよく分からない。
悪魔とも天使とも言える、蛇とよく似たあの人は誰?
そして、覆面を被っているあの人は?
彼らは普通に重火器を所持している。一般人とは程遠い。
こんな厳戒態勢の中、悟史くんを連れ出して逃げ出すことは不可能だ。
……ここは、一体どこなの!?
私に出来ることは、こうして状況をノートに記す事だけ。
ノートに何かを書いたところで、どうにかなる訳ではないけれど。
せめて自分の気持ちと状況を整理して、落ち着きたいから。
何か「彼ら」「蛇」「オセロット達」「悟史くん」に繋がるものが見つかるといい。
私は知りたい。自分を取り巻く状況を。
私は知りたい。どうやったら悟史くんが助かるかを。
だから、書く、記す、ここに刻む。
絶対、二人で助かってやる。
「……梨花ちゃんが行方不明!?」
これから、雛見沢へ向かおうとする直前の夕暮れ時。
大石さんの車の中で、私はそう聞かされた。
――衝撃的な事実だった。
「えぇ。そういう事になっちゃいました。学校を欠席したなら在宅している筈ですが、自宅はもぬけの殻でした。入院している訳じゃないらしいです。
同居しているご友人も遊びに行かれたみたいなので、古手梨花さんがどこにいるか分からないんですよ」
煙草に火をつけながら、大石さんは答えた。
窓を少し開けて、紫煙を吐き出す。
「……それは、…………何者かに誘拐された、という事でしょうか」
「可能性はゼロではないですね。……私は古手さんの話を聞いていないので、古手さんの命を狙う連中の事を詳しくは知りません」
煙草をくわえたまま、大石さんは車のエンジンをかけた。
そして、車はゆっくりと動き出した。
「ですが、決めつけるのはまだ早い。雛見沢で聞き込みをしましょう。休暇中なのに申し訳ないですねぇ、んっふっふ」
おかまいなく、と私は答えた。
――梨花ちゃんが、行方不明。そのフレーズを心の中で反芻する。
こちらが行動するのが遅すぎたのか。
或いは、危険を察して、彼女が自ら身を隠したのか。
どちらにせよ、放っておけない。
一刻も早く彼女の安否を確認しなければならなかった。
雛見沢に着く。
大石さんと私は、二手に分かれて聞き込みを開始した。
古手神社付近。入江診療所。
通りすがる人々に話を聞いた。……だが、有力な情報は得られなかった。
はっきりしていることは、彼女が綿流しでの演舞の役目を果たしたことだけだった。
その後、つまり今日の事は、誰も分からない。
時間だけが無駄に過ぎていった。
鬼が淵沼や吊り橋の方にも足を伸ばしてみたが、そんな所には人すら居なかった。
結局。日がほとんど暮れてきてしまった。無駄足だったのか。
……しかし、引き返す訳にもいかない。彼女との約束を果たすためにも。
困りながら、日が暮れた雛見沢の道を歩いていた所で、私はある人物に思い当たった。
彼女が学校を欠席したなら、当然、学校に連絡が行っているはずだ。
本人が連絡したのか、同居している友人が連絡したのか知らないが、教師なら何か知っているのでは無いか、と。
……雛見沢分校の教師。
大石さんに連れられ、雛見沢を巡っている時にすれ違った――――「彼」だ。
殺人犯の可能性もある人物。だが、子供達の教師。
どちらにせよ、会う必要があるのは前々から分かりきっていた。
あの時対峙した奴なら、――非常に危険だ。だけど、ここで立ち止まる訳にはいかない。
ちょうどその時、道の反対側から二人の子供が現れた。
この付近に住んでいるなら、分校に通っているだろう。私は話を聞くことにした。
「君たち、ちょっといいかい?」
なるべく警戒されないように話しかける。
「……そこの学校に通っているんだよね?」
二人は顔を見合わせた後、こくりと頷いた。
「スネーク先生、がどこにいるか知ってる?」
また、二人は顔を見合わせた。心なしか、少し困っているように見えた。
やがて、おずおずと、女の子が口を開く。
「……スネーク先生は、今日、学校お休みした」
「休み?」
「うん。何も連絡が無いのに休みだって」
彼も、……学校に姿を現さなかったのか。偶然にしては何かがひっかかる。
――いや、待て。それはつまり。
ありがとう、と私は言って、走り去る子供達を見ながら、最悪の想像が頭をよぎった。
「先生は連絡が無いのに休んだ」。彼女はそう言った。
梨花ちゃんは、休みの連絡が入っているにも関わらず、姿を消している。
後者の方は可能性が低いが、どちらも「行方不明」だと言えるだろう。
……つまり、あのスネークという男も…………、行方不明なのだ。
梨花ちゃんが姿を消して。あの男も姿を消した。
あの時、車ですれ違った時に感じた違和感が増してくる。
――スネークが、梨花ちゃんを連れ去ったのでは無いのか?
それならつじつまが合う。
綿流し祭がある六月という中途半端な時期に赴任してきた教師。
そして、異常な殺人を犯したあの人物なのかもしれない。
これだけ条件が揃っていて、疑わない方がおかしい。彼に対して不信感が増してきた。
「奴」だとしたら――私は、勝てるのだろうか。
あの時感じた死の恐怖が、迫ってくるのを感じた。
今回は、銃が無い。鍛え上げた己の肉体で勝負するしかない。
人知れず、私は拳をゆっくりと握りしめた。
とにかく。一刻も早くスネークを見つけ出して、梨花ちゃんの事を聞き出した方が良いだろう。
……しかし、彼はどこにいるのだろうか。
こちらに越してきたのか、それとも一時的な宿を借りているのか。いったいどこで寝泊まりしているのだろう。
もう一度、子供達に話を聞くべきか。
足は自然と学校へ向かっていった。
営林所の建物を間借りしているらしく、学校というにはどこか変だった。
砂利が敷き詰められたグラウンドで、少年が二人、キャッチボールをしている。
幸運だ。私は彼らに近づき、話を聞くことにした。
二人はボールを投げる手を止めてこちらを向く。
「突然ごめんよ。怪しい者じゃないから安心してくれ」
……こう言うと、余計に怪しく見えるか。まあいい。
「スネーク先生を知っているよね?」
「……まぁ、はい」
「どの辺りに住んでいるとか、そういうの、分かるかな?」
「えーと……、それは…………えっと、」
「……ちょっと待っていて下さい」
二人は後ろを向いて、何やらひそひそ話を始めた。
「大樹、ど、どうしよう、言う?」
「言う、って……確かにあそこで野宿しているって言っても信じてもえるかな。……てっか傑、顔青いぞ」
「先生の居場所らしき所、ち、知恵先生に伝えなかったからさ……。先生に知られたら怒られるかなあって思って」
「大丈夫だって、カレーの悪口を言うよりかはマシさ」
「大樹は先生の怖さと正体を知らないからそう言えるんだよ!」
「何だよ正体って。……別にこの人変な人じゃないと思うし、言っちゃおう」
「……そういえば梨花ちゃん、何で先生のテントと荷物の事、知ってたんだろうね」
「……さあ?」
少年がまたこちらを向いた。内緒話をする程、「何か」あったのだろうか。
「信じられないかもしれないけど……あっちに先生のテントがありました」
……テント? 何のことだろう。
あっち、と言いながら、少年は学校からちょっと離れた、裏手にある山を指さしている。
「テント……、って一体……?」
「前、遊んだときに裏山に入ったんです。そしたら奥の方にスネーク先生のテントらしきものがあって」
「そこに住んでいるのかどうかは分からないんですけど……。先生の荷物らしきものがありました」
しどろもどろになりながら答える。
……裏山で寝泊まりしている? 何故?
しかし、子供達は嘘を言っているようには見えなかった。
「……はは。信じられないですよねー」
「……いや、信じるさ。山の正確な場所と、テントがある大体の位置を教えてくれないか?」
食事を終え、一段落ついた所で、ようやく事態が動き出した。羽入が園崎家に戻ってきたのだ。
探しに行ったはずの梨花は一緒では無い。
羽入の話によると、山狗の車が梨花の潜む山までたくさん向かってきたらしい。
ぎりぎりで梨花と合流する事が出来たが、二人ではどうにもならないので、助けを求めた――ということだ。
魅音、圭一、レナは各々の武器を持ち立ち上がる。
ようやく出番が来たか。休憩時間はもう終わりだな。
「やっと出番が来たな。魅音、準備はいいか?」
「雛見沢の詳しい地図に各自が使う無線機、護身用の武器。バッチリだよ。あとは梨花ちゃんを助けるだけ!」
「幸い、ここから位置は遠くないみたいだね。すぐに向かおう!」
「スネークも来ますですよね? 梨花が心配していたのです」
『………スネーク、貴方は…いざというとき、私達を守ってくれますですか?』
梨花とそう約束した。……助けなければならない。動く時が来たのだ。が、その前にやる事がある。
「ああ、勿論行くさ。だが少し準備が必要でな、後から向かうから先に行ってくれないか」
「スネークぅ! いよいよ出陣って時に全員揃わなきゃしまりが悪い……って、綿流しの日以来、宿に帰れてないんだっけ」
「ぁぅぁぅ。荷物も服もお祭りの時と一緒なのです」
「…それなら仕方ないかな。梨花ちゃんがいる山の場所は分かるんだよね?」
「大丈夫だ。『宿』の位置もそこから遠くはない」
「あの辺りに宿ってあったっけ? ……まあいいか。見せ場無くても知らないぞ。早く来いよ!」
反対されると思ったが、意外と事はスムーズに運んだ。
幸いと言うべきか、梨花が潜んでいる山林は『宿』がある山と近かった。
宿――自分のテントに戻り、準備をしてからすぐに向かえばどうにかなる距離だ。
山狗達は戦闘職では無いと聞いている。子供達もそれほど危険な訳ではないだろう。
それに、ブカツメンバーなら大丈夫だ……と、妙な安心感があった。
「それでは諸君! ただ今より古手梨花の捜索を開始する! 敵は排除してかまわないけど、合法的に頼むよぉ!
危ない時や、梨花ちゃんを見つけた時は無線を使用する事。スネークは出来るだけ急いでね。それではしゅっぱーーつ!!」
魅音のかけ声を合図に、梨花の捜索が開始した。
部活メンバーと分かれた後、小走りで学校の裏手にある山へ向かい、自分のテントを目指す。
日は暮れていたが、周りの木や目印などを頼りに進むことが出来た。
だんたん目が慣れてくる。完全な暗闇の中にいるわけでは無いので、容易に進めた。
……そこで、無線のコール音が鳴った。
この辺りに人はいないので、歩きながら大佐と会話をする。
『園崎お魎から情報は得られなかったようだな』
『ああ。彼女は何も知らないだろう。……振り出しに戻されてしまった』
『うむ……。入江京介が嘘をつくとはな。これからどうするつもりかね?』
『古手梨花と北条沙都子の救出が優先だ。子供達が危ない状況にある。
メタルギアについては……、彼らを助けてから考える。フォックスからも十分な話を聞けてないしな』
『……致し方ないか』
『それと大佐。武器の使用についてだが――』
『駄目だ』
…まだ俺は何も言ってないぞ。
『どうして?』
『山狗程度ならCQCで十分通じるだろう。切り札は伏せておくものだ』
『あの兵士達が襲ってきたらどうする? また助けを待つのか?』
『……』
こればかりは大佐も返答を濁した。
もちろん、無闇に発砲する訳では無い。子供達もいるので、本当の危機に陥った時にしか使わないつもりだ。
しかし――なかなか許可は下りないようだ。
尚も食い下がろうとしたその時、俺は足を止めた。
自分のテントが見えてきたからだ。
――正確に言うと、テントの手前にいる人影を認めた為、立ち止まったのだ。
……一体誰が。何故こんな時間に、こんな場所にいるのか。
切るぞ、と小声で大佐に告げる。謎の人影も、こちらを振り返った。
「……こんな所で何をしている?」
若い青年が強い口調で言う。
「ただの野宿だ。あんたこそ何故ここに来た? 散歩か?」
「…俺は警察だ」
警察だと?
表情には出さなかったが、……厄介な相手が来たものだ。
何故ここが分かったのかが気になるが、どうにかして現状を切り抜けなければならない。たとえ強引にでも。
「職務質問をさせてもらう。お前は――」
「拒否する」
そう言い放って男の横を通り抜けようとしたが、「待て」と肩を掴まれた。
「最近の警察は横暴だな。手を振り払ったとしたら『公務執行妨害』で逮捕か?」
「……」
挑発的な言葉に対し、男は何も言わない。緊張した空気が辺りを包み始めた。
「何故宿に泊まらない? 足がつくからか?」
足が付く、とは何の事だろうか。
「……それに答える義務は無い」
「義務は無くても尋問は続ける。――――古手梨花の行方を知っているか?」
「なんだって……?」
掴まれていた手を離された。振り返って男の顔を見る。
怒り――と言うべきだろうか。そこには形容しがたい表情が浮かび上がっていた。
「知っているんだな」
「……」
「彼女をどうした? 殺したのか!?」
「何の話だ? 俺は――」
「……6月17日の夜。貴様はどこにいた?」
あの日は確か――、知恵と接触し、北条鉄平がまた帰って来て、胡散臭い大石警部と出会った日だ。
殆どの時間にアリバイがある。
どうやらこの男に決定的な誤解をもたれてしまっているらしい。……それも、かなり深く。
感情がからむと、思い込みや間違いを正すのは難しい。どうしたものか。
「落ち着け。何の疑いがかけられているか知らないが、俺は只の教師だ。殺人を犯してなどいない」
「普通の教師が何故6月に編入してくる? それも――連続怪死事件が起きている、綿流しの日の前に」
「……」
「あの日の夜。確かに俺は貴様と出会った。あの異様な現場で。……何故殺したんだ!?」
有無を言わさない口調だ。待ってくれ、とも、人違いだ、とも言えなかった。
再び、緊迫した空気が流れる。
見たところ、この男はかなりの使い手だ。強引にでも俺をねじ伏せ――、署まで連れて行くつもりかもしれない。
殺人容疑に関してはシロだが、この辺りの地面には重火器が埋まっている。
警察に辺りを調べられたら――任務続行は不可能になる。それどころか梨花達も危ないのだ。
どうするべきか。
やはりこちらも強引に切り抜けるべきなのか。
今は男の顔をじっとみながら、機会を窺うことしか出来なかった。
まずい。
頭の中を占めている単語はそれだけだ。まずい、非常にまずい。
とうとう山狗が戻ってきた。それも大勢で。
今まで本格的な捜索を行わなかったのがおかしいのだ。
……さっき寝なければよかった、と今更ながら私は後悔する。
何やかんやで羽入と合流出来たのは大きい。羽入は圭一達に助けを求めに行ってくれた。
スネークも見つかったらしい。…良かった。あとは、彼らが来るまで隠れ続けるだけ。
草むらに伏せ、息を殺し、気配を殺す。
遠くの方で聞こえる足音。小枝が踏み折られる音。ひぐらしが飛んで行く羽音。がさがさと鳴る木々。
目で見える範囲には限界があるので、全ての“音”に対して意識を集中させる。
私が伏せている草むらよりはるか前方に、山狗が三人いた。
…迷彩服がカモフラージュになっているといい。他の所に行ってくれ!
そんな願いも虚しく、彼らは徐々に近づいて来た。
先頭を歩いている山狗には、何か双眼鏡のような物が装着されていた。
アレは確か……、熱源で物を見る装置だったっけ。サーマルなんとかと言った気がする。
……熱源。目立つ動物はこの山にはいない。だから、「熱」として認識されるのは人間だけ。
そして山狗は、こちらの草むらを見て…………。
山狗が「いたぞ!」と叫ぶのと、私が草むらから飛び出したのは、ほぼ同時だった。
走る、走る、走る。
後ろは振り返らない。自分がどこへ向かっているのかも意識しない。
彼らから逃げ切る事だけを考える。ただひたすら走る!
…けど、大人と子供の体格差は埋まらない。徐々に足音と息づかいが迫ってくる。
私が、このぐらいで諦めるものか!
今に仲間達が駆けつける。お前らなんか敵じゃない。
本当の敵は、どこかで私達をあざ笑っている。そいつらを倒すまで、私は運命に屈しない!
近くにあった木を掴んで、ぐるりと右に方向転換する。当然、山狗も追ってくる。
右に行き、左に行き、坂を駆け下りる。小さい体ですばしっこく走り回れば、大丈夫!
そして、大きい木の根を飛び越えようとしたとき――、迷彩服の裾が、枝に引っかかってしまった。
「…ぅあっ!!」
あっけなく体が放り出され、地面に強く打ち付けられた。
慌てて立ち上がろうとしたが、それよりも早く、山狗が私を押さえつけた。
じたばたしても、拘束からは逃げ出せない。しまった……!!
前方から誰かが歩いてきたので、私は顔を上げた。
「探しましたんね、梨花さん。あなたは大事な身なんですから、急に姿を消されちゃたまりませんね」
……山狗部隊のリーダー、鷹野の手下の…小此木だ。
「…ボクを殺そうとしても無駄なのですよ」
「殺す? 何の話ですんね?」
強がって見せたが、小此木はすっとぼけただけだった。
「話している暇はありませんでね、とりあえず診療所に来てもらいましょう。……おい」
隊員のひとりが、ケースから注射器を取り出す。……私を昏睡させてしまうものだ。
注射器を構えた男が私の腕に迫る。
…私は目を閉じ、願った。
……信じてる。私は………、信じてる…。
もしも私が眠らされてしまったとしても、仲間が助けてくれる。
どの世界でもそうだった。だから、私は安心している。捕まっても怖くない。
……このぐらいの事で、…………私は、……殺されない…!!
その時、風を切る音が聞こえた。
何が起きたのかは直ぐに分かった。私を押さえつけていた拘束が解かれたからだ。
ついに来たのだ、私の仲間達が。
「…………間に合った………。」
その声は、後悔と苦渋を知る者にしか出せない重みがある。
絆が深いといえども、部活メンバーにはまだ無い貫禄がある。
…そう、「彼」は部活メンバーでは無い。
……でも、…………「彼」とは、この世界で接触出来て無いはず。…………ぇ……?
「数え切れない世界で後悔した。いつも、気付くときには手遅れだった……」
「…て、手前ぇは、……まさか…………!!」
小此木が驚く。
……でも彼より、私の方が驚いている。だって、だってだって……!!
「………私が、ずっとずっと、…伝えたかった言葉を言うよ」
「……あ、……………あ、」
私と小此木の前に現れた、その人物は。
「梨花ちゃん、君を助けに来たッ……!!」
「赤坂ぁあぁああああぁぁああぁッ!!!」
――赤坂衛だった。
「来てくれたのですね! でも、どうしてここが…!」
「ごめん梨花ちゃん、説明は後だ! 伏せてッ!!!」
「はいです!」
すぐにその場にしゃがみこんだ。
彼も来てくれた、私を助けに。
まだ詳しい事情は説明していない。
それでも、昔の約束を覚えていてくれて、こうして来てくれた。
すぐに山狗が沸き、小此木が何かを指示する。
山狗の一人が、赤坂に組み付こうと低い姿勢で向かう。
だが甘い。「低い姿勢で」来たことが命取りだった。
何故なら、赤坂は初弾から手加減を止めているからだッ!
何枚も重ねられた瓦を砕く、その拳の勢いで叩きつぶす!
人が瞬きをする間に、その山狗は地面へと伏せた。何が起こったのかを理解しないまま。
梨花が呼吸する間に、一人、また一人と地面に叩きつけられる。
……いずれも一撃で。鍛えられた拳が、彼らを容赦なく粉砕する。
山狗は赤坂に触れることすら出来なかった。
赤坂との実力の差は、小学生でも分かる!
一対多数なのに、赤坂はかすり傷すら負っていない。
さらに、圧倒的でかつ、優雅に戦う赤坂は、余裕すら見せているのだから!
「ぱちぱちぱち~。赤坂はすごいすごいのです。…………??」
赤坂の舞うような戦いを感心して見ていた梨花は、ふと“何か”を感知した。
安堵の表情が消え、真剣なそれと入れ替わる。
“それ”に気づけたのは、百年以上生きてきた魔女のカンというものだろうか。
嫌な予感がする方向――小此木の方を見る。
……彼はインカムで何かを話していた。
普通に考えれば、山狗の増援要請をしているに違いない。
…………でも、……今回は……、…………違った。
小此木は顔を挙げた。
その表情は、先ほどのような焦りは一切無かった。
増援部隊が十人ほど走ってきた。
十人という差は、赤坂にとっては苦では無い。
梨花が感じている胸騒ぎは、いっそう大きくなる。
そして、……冷静に、…………山狗達に指示を下した。
「許可が下りた。発砲しろ。」
銃口が、一斉に赤坂に向けられた――――。
緊迫した空気の中、1分、2分と時間だけが過ぎていく。
スネークと赤坂は、互いに何も言わなかった。
いつ暴力沙汰になってもおかしくない緊張感の中、
スネークは誤解を解く事を必死に考え、赤坂は「殺人犯」をどう捕まえるかのみをずっと考えていた。
そして、どちらかが動いた時――。
「待て」
機械から発せられる特殊な声が、どこからか聞こえてきた。
二人ともその声の人物に心当たりがあったので、はっと顔を上げる。
「味方同士で争ってどうする?」
その人物――、グレイ・フォックスがステルス迷彩を解除して現れた。
「フォックス!?」「…あの時の忍者か!?」
驚きの声が重なり、赤坂とスネークは顔を見合わせた。
「……アカサカと言ったか。こいつは、あの時お前が戦った相手では無い」
全身から力が抜け、改めて赤坂はスネークの顔を見る。
確信は持てない。だが……、似ているだけで、殺人犯とは違うような気がした。
「……味方同士と言ったな。どういう事だ?」
「敵の敵は味方だろう、スネーク。アカサカはリキッドと対峙したのだ」
「なんだって?」
スネークは驚く。
フォックスに対し、さらなる質問をぶつけようとしたがフォックス自身に遮られた。
「時間が無い。向こうの山で少女が――ヤマイヌとかいう連中に囲まれているようだ」
「……古手梨花か?」
スネークが尋ねたので、フォックスは少女の特徴をいくつか伝えた。
特徴は、古手梨花と一致していた。
まずいな、とスネークが舌打ちをする。
赤坂は状況が飲み込めていないようだったが、梨花が襲われている話には反応を示した。
「助けに行くなら早くした方が良い。後から俺も行く。伝えたぞ――」
端的な要点だけ伝え、フォックスは闇にへと姿を消した。
致命的な誤解は、第三者によって解かれたのだった。
二人はすぐに和解し、味方となったのだ。
「……本当に申し訳ないです。スネークさん、でしたよね。今から助けに向かいますか」
「こちらこそすまない。ちょっと準備をしたら行くさ」
スネークは、持ち運び用の小さな鞄を外し、荷物を取り出す。祭りのお菓子や景品がいくつも出てきた。
「一つ聞きたいが、赤坂と梨花はどういう関係だ?」
「……昔、仕事で村に来た時色々ありましてね。その時約束をしたんです」
「約束?」
「五年後に助けて欲しい、と梨花ちゃんが言ったので」
約束は破れませんからね、と赤坂は笑った。
「スネークさんは?」
「……あの子達の、…………教師、だからな」
スネークは、どこか言いにくそうに言った。
「場所は分かるな?」
「だいたいの位置は。周辺の地理は頭に入れてきましたので」
「そうか。……手分けして探した方がいいだろう。すぐに俺も向かう」
赤坂が姿を消した後、スネークもすぐに梨花が隠れている山へと向かった。
TIPS「猫と狗」
――五月蝿い。
五月蝿い女の言葉が、俺の耳に入って反響する。
毎度のこととは言え、流石に聞き飽きた。この女の甲高い声は妙に人を苛立たせる。
だが、それも数分のこと、怒鳴りすぎて喉が疲労した女は、要点だけを最後に吐き捨てるように言うと、乱暴にドアを開け放ち出て行った。
「……ふう」
傍にあった会議室の椅子を引き寄せると、俺はそれに腰を下ろす。
女が言った最後の要点――、それは『古手梨花を捕獲すること』だ。
生け捕りだ。殺してはならない。そしてその幼子は同時に――生け贄でもあった。
「……お疲れ様です。小此木隊長」
同じ部屋で同時に説教を受けていた部下が俺に対して声をかける。だが、俺はねぎらいの言葉が欲しいわけじゃない。
「……どうした? “R”の所在は掴めたのか?」
「いえ、まだです。哨戒部隊からの報告では――」
「だったらお前も行ってとっとと捕まえて来い!」
さっきまでと変わらない進展の無い返事に、俺は怒りを隠さずに吼えた。
「し、失礼しました!」
起立し敬礼をし、部下は急ぎ足で会議室を出て行く。
まったく、どいつもこいつも――使えない。肝心なところを見落とす。これでは――有事の際には、全滅しているに違いない。
……いや、今こそがそれだ。有事の真っ只中だ。
「後手に回っちまったな……。いや、してやられたというべきか」
あの年端も行かぬクソガキに――天下の山狗部隊が、まんまと手玉に取られている。
すでに丸一日、こちらの行動は足踏み状態だ。
膠着状態と言うのは、戦場では呆れるほどよくある。相手も攻めてこない。だがこちらも打って出ない。にわか兵士共は一日寿命が延びたなどと言い、貴重な食料を消費
する。全く生産性も攻略性も、戦果も被害もない。無益な日々――そう、俺は認識している。
そうだ、全くの無駄だ。兵士には膠着などあってはならない。兵士は――銃弾が行き交い、爆音が響き、血が流れ、いつも誰かの死体が転がる。
そんな日々でなければ、息が詰まって死んでしまうのだ。
勿論――大戦に敗れ、大国の属国となり、高度成長だなんだと言ってぬるま湯に漬かる日々を尊ぶこの国にいる限り、そんな日々のほうが稀だ。
事実、俺もこの地で――数年、無駄に歳を喰った。全く利益にならぬ日々だった。やったことと言えば、女のままごとにつきあわされ、只の一般人を数人、黙らせたこと
くらいだ。
まったくこの日々は――、息が詰まる。
息抜きが必要だ。
俺は椅子から立ち上がった。
向かったのは――ある男の元だった。
その男がいる部屋の前に立ち、俺はドアをノックする。
「……開いている。入れ」
ドアを開け、その前にいた男に、俺は会釈せず室内に入る。当然だ。俺はこの男と同格なのだから。
「どうした小此木。……その顔では、まだ“R”は行方知れずか?」
「ああ、そうだ」
隠さずに言う。情報ならこいつにも別ルートで入っている。隠したところでどうにもならない。
「……当初の目的が軌道修正を余儀なくされる。工作ではよくあることだ。……そのためのプランも考えていないわけではないのだろう?」
流石に鋭い。現段階では“R”の同居人を利用したおびき出し作戦を準備しているところだ。……しかし、この作戦も、目の前の男の発案だったことに、俺はわずかなが
ら憤りを持っている。
この男――オセロットは、“愛国者”側の人間だ。“東京”ではない。なのに、こいつの影響力は大きい。“東京”の上層部が、こいつを協力者として送って寄こしてか
ら――ますます山狗部隊は肩身が狭くなった。
情報収集、物資輸送、拠点防衛、そして資金援助――、全て“東京”以上の水準で、提供し続けた。……鷹野の雌はこれにいたく喜んだようだが。
俺は納得できない。何故なら“東京”は元々――諸外国からの支配、影響を拒否し、国内だけで独自の体制を取るために結成された組織だからだ。
“愛国者”という諸外国の産物を――どうして容認する?
「……不満か?」
不意にオセロットに聞かれ、俺は答えることが出来なかった。
「……なんだと」
「不満なのだろう? 我々“愛国者”がお前達に協力することに」
図星をつかれ、咄嗟に返答ができない。
「お前達が作り上げたあの新型メタルギア――あれは素晴らしい。日本人で無ければ造れない機構をいくつも兼ね備えている。だが――、お前達だけであれを作りだそう
とすれば」
確実にあと50年はかかっていただろうな、とオセロットは言った。
「残念ながら日本は物資が致命的なまでに不足している。いくら技術を持っていても、発揮できる材料が無ければ完成はしない。我々はそれが我慢ならなかった。素晴ら
しい技術と高度な文明の結晶は早く生み出されるに限る――、そうは思わんか小此木」
「……それだけか? 我慢できない? それだけで、“東京”に、俺達に――力を、貸すと?」
「無論だ。何よりもアメリカは日本と同盟国だ。協力しない道理はない」
相手に塩を送るとは思わないのか。飼い犬に手を噛まれるとは――思わないのか。
「……まあ、そんなことが目的で私のところに来たわけではなかろう。“R”についても進展はなし。ならばお前がここに来たのは――」
これが目的だろう、とオセロットは小さなビンを投げて寄こす。それは小さなアンプル、その中に入っている得体の知れない液体が――、目的だった。
『我々“愛国者”が開発した新種のドーピング剤だ。人体への副作用は一切無い。安全で確実に――兵士にとって必要な肉体を手に入れることができる』
無論、それ相応のトレーニングが必要だが、とオセロットはそのとき笑って言った。
効果は覿面だった。衰え始めた俺の肉体でさえ、用意に20代の筋肉の増加量を実感した。鍛えれば鍛えるほど、俺の肉体は年齢の、いや人間の限界を超えた。
自分が究極の兵士になった錯覚さえ覚えた。
愛国者という素性の解らない連中は好きでは無い。それは今も変わらないが――、山猫がくれるこの薬だけは、俺は気に入っていた。
オセロットから受け取ったアンプルの中身を、俺は注射器に吸い取って自分の静脈に打ち込む。……心臓が高鳴る感触を覚えたが、すぐに血流は落ち着きを取り戻した。
「ああ、すまない」
すぐにでも体を動かしたくなって、俺は部屋を出る。その直前。
「お前は、このままでいいのか?」
オセロットが、そう切り出した。
「なんだと」
「遅かれ早かれ、鷹野三四の野望は潰える。あの女は人の上に立つ器ではない」
それは、これ以上無いほどの、裏切りをする発言だ。
「オセロット!? 貴様やはり!」
「やはりなんだ!? このままあの女を神輿に上げていては、いずれ我々も! 貴様も潰れる! そのぐらい見通せない貴様ではあるまい!? いいか! 我々はな」
あのメタルギアを守らなくてはならないのだ、と、山猫は腕を振り上げた。
「……オセロット、馬脚をあらわしたな」
「違う! 真実が見えていないのは、貴様のほうだ! あの女の感傷で立ち上がった任務に、どれだけの価値がある!? どれだけの大義がある!?」
確かに――、鷹野のやることに、それらは。
「あの女の言うことに、お前はもう付き合いきれないと――そう思っているのだろう?」
「……だが、彼女は――、三佐は、我々の、東京の――」
「その東京が、彼女を見限るとしたら、どうだ?」
「!?」
言葉が、出てこない。だが――確かに、たしかにそれは――――、ありえる、ことだった。
「見せてやろう。東京の上層部が――私に寄こした極秘メッセージだ。今の貴様なら、知る権利がある」
「……あ、ああ。頼む」
何もかもがどうでもよくなっていた。あの注射を打った瞬間から――山猫の言葉が、まるで神託のように、聞こえた。
属国となった日本。その中で蟻の如く蠢く東京。そのせせこましさに嫌気が差した。
オセロットが映し出したモニターから流れる映像に、俺はぼんやりしながら聞き入っていた。
兵士が兵士として生きられる世界――、それは、愛国者となら、得られるのだと、俺は理解した。
「それでは、貴様に一つ、任務を与えよう。貴様と、鷹野三四が二人きりになった瞬間、お前は」
鷹野三四を抹殺するのだ。そう、猫は、なでもしない声で言った。
俺はそれに、――了解したと、吼えた。
何が起きたのか分からない。
気がついたら、私は赤坂の腕の中にいた。
銃がこちらに向けられた瞬間、赤坂が私を抱えて横に飛んだ事に気づいたのは後になってからだった。
大木を背にし、草むらの影に隠れる。その動きには無駄が一切無かった。
「…………っ、…大丈夫かい、梨花ちゃん」
赤坂が呟く。
平気なのです、と答えて首を彼の方に向けた。……しっかりと私を抱えている赤坂の腕に、血がにじんでいた。
「あ、赤坂こそ、血が……!!」
「静かに。……かすっただけだから、平気だよ」
そう言って、赤坂は笑って見せた。私を安心させてくれようとしているのだろう。
……でも、安心出来ない。さすがの赤坂でも、銃を持った大人数と立ち向かうには難しいはず。
山狗が形勢逆転した事に混乱すると同時に、ある疑問が浮かび上がってきた。
――どうして、彼らは発砲したのだろうか。
前の世界まではどうだった? 銃声がすると、住民に気づかれる可能性があるから、発砲は許可されない。
待てよ……。銃声は…、…………しなかった。
「…おそらく、彼らは銃にサプレッサーを装着している」
同じことを考えていたのか、赤坂が小さく言った。
「銃声が最小限に抑えられる物だ。…遠くにいる一般人には銃声が聞こえない。……だから撃ってきた」
まずいな、という表情の赤坂。
……サプレッサー。そんな豪華な物を、山狗なんかが持っていたなんて。
これも、カケラが歪んでしまったせいなの……?
「古手梨花を渡せ。大人しく投降しろ」
小此木が叫ぶ。……山狗が、完全に私達を取り囲んだのだ。
どうしよう……。私は捕まっても希望があるが、赤坂が危ない。
彼らには、赤坂を生かしておく理由が全く無いのだ。
「…私が奴らを引きつける。梨花ちゃんは逃げるんだ」
「い、嫌です! 赤坂がいない世界なんか、価値が無いのです!」
赤坂だけじゃない、圭一、レナ、魅音、沙都子、詩音、葛西、入江、富竹……。
どの人物も、欠けていてはいけない。大石だって私の味方となってくれる存在だ。
誰か一人でも欠けてしまったら、意味がない!
「…………。」
赤坂は沈黙したままだった。……こんな状況にしたのは、私のせいだ。
うだうだしていて、部活メンバーへ情報を伝えるのが遅かったから、彼らの加勢が間に合わない!
山狗の装備や小此木の動向にもっと目を配っていたのなら!
自分の不手際を謝ろうとしたその時、赤坂が呟いた。
「……来たか」
次の瞬間、大きな音がした。その方向を見ると、山狗が地面に伸びていた。
倒れている山狗の向こう側に、……「ある人物」がいた。木々が影となっているので顔はよく見えない。
…だけどその人は、……私が考えている人物に違いがなかった。
「う……、嘘…………」
……信じられない。
赤坂だけじゃなくて、彼も来てくれたなんて…………!!
「制圧しろ!」
小此木が叫び、『彼』に銃口が向けられる。だが小此木が叫ぶよりも、彼が動く方が早かった。
まだ対象に向けられてすらいない、山狗の銃を奪う。弾倉を強制的に排除し無力化した。
銃自体も遠くの藪に放り投げられ、完全に山狗の武器は奪われた。
……その間に、攻撃する隙は無い。彼らの脳は、今起きている出来事を理解するだけで必死だった。
そして、結局何も出来ないまま、哀れな山狗は宙を舞い、意識を途絶えさせる。
近くにいる山狗は彼に向けて引き金を引いた。だが遅かった!
彼は既に、銃口の前から体を翻していたのだ。銃弾は遠くへと消えていく。
次を撃つ暇は無い。彼の肘や膝に急所を決められ、山狗の力が抜け、膝をつく。
しゃがみ込んで無防備となった首筋に、容赦ない一撃が叩きつけられた。
彼の近くにいない山狗は幸運だった。数秒の間でも、冷静になれる暇があるのだから。
敵は隠れている奴も含めてたった二人。こっちは大人数で銃を持っている。
臆することは無い、敵は武器を持っていない。接近されなければいいのだ。撃ってしまえばいい!
何人かの山狗がそれに気づき、彼に銃弾を浴びせようとした。
――それは叶わなかった。
ひゅん、と何かを振る音が聞こえた。同時に山狗達の手に鈍い痛みが走り、銃を取り落としてしまう。
驚きの声を上げる間もなく、今度は首筋に『何か』が打ち付けられて、山狗が次々に沈んでいった。
残りの山狗が辺りを見渡す。新たな敵が来たらしいからだ。
……木々ががさがさと揺れ、時折枝がしなるだけで、『敵』の姿が見えない。
姿が見えない。……なのに、『敵』は絶対にいる。
こうやって探している間にも、……一人、また一人と倒されていくのだから。
闇雲に発砲しても当たらない。それはそうだ、見えない敵に銃弾が当たる訳が無い!
そうしている間にも、見える方の敵が接近してくる。
あちこちに撃ちまくっていた銃を、見える敵に向ける。
……彼らは失念していた。その行動全てがあまりにも遅く、銃は彼にとって意味をなさない事に。
「銃の扱いがなっていないな」
銃を掴みながら、彼が言う。全くだ、と姿が見えない人物も同意した。
言われた山狗は何の事か分からず、目を白黒させるしか無かった。
「…それに、お前達は銃に頼りすぎている。接近戦では格闘が有効な場合も多い」
こんな風にな。
地面にキスをする羽目になった山狗は、身をもってその事を知った。
呼吸すら乱れていない彼は、辺りを見渡す。殆どの山狗が倒されていた。
同時に、安全を確保した赤坂も立ち上がった。
「さて、……どうする? まだ向かってくるか?」
彼が言う。
――徹甲弾並みの威力を持つ青年に、突如現れた外人の男。それに、姿を見せない、……いや、『見えない』敵。
こいつらには銃が使えない、接近戦でも勝てない! こっちに勝機は無い!
闘争心を失った山狗達は、じりじりと後ずさりを始め、そして逃げ出した。
「梨花ちゃん。……もう、大丈夫だ」
起きた事を把握出来ずにきょとんとしていた梨花が、茂みからそろりと顔を出す。
……彼女は、たった一つだけ分かっていた。『彼』は顔を梨花の方に向ける。
「遅れて済まない。……待たせたな!」
「スネェエェエエェクッ!!!」
――ずっと梨花が助けを求めていた『彼』、スネークが助けに来てくれた事を。
呆然としながらも喜びに胸を満たされた梨花は、スネークの方へ一歩、また一歩と足を進める。
赤坂と、姿を現したフォックスがそれを見守った。
唇を振るわせながら梨花が声を掛ける。
「本当に…来てくれたのですね……」
「……ああ。約束したからな」
かける言葉は短いが、両者の言葉には感情が籠もっていた。
――ぱちぱちぱち。
その音は突然聞こえた。感情の籠もっていない、乾いた拍手の音だ。
梨花は我に返り、スネーク達は目を鋭くしてその音が聞こえた方向を見る。
いつの間に身を潜め、いつからそこにいたのか。
山狗部隊の隊長――小此木が、木に背を預けながら拍手をしていた。
不敵な笑みでにやりと笑い、
「感動の再会を邪魔してすまんね。……やるな。話に聞いていた以上だ」
倒れた部下に気を配らずにそう言い放った。
所詮、山狗部隊は技術屋まじりの部隊だ。装備がいいとは言えども、プロの戦闘職相手にかなうはずがない。
その場にいる誰もが分かっていたことだ。だから、小此木も目の前の惨状を当然のこととして受け止める。
木から体を起こし、ゆっくりスネーク達の方に歩みを進めた。スネークらは身構える。
「何のつもりだ?」
スネークが問う。小此木はそこらの山狗と格が違うのは体格や雰囲気から伝わっている。
だからと言って部下が倒れている状況でこの三人に戦いを挑むのは無謀な事だ。
「悪あがきをするつもりはねぇ。五年ぶりに会った空手野郎に刀使いの忍者、……それにお前と来た」
勝てる訳が無いしな、と自嘲気味に付け加えた。
目的が未だに見えず、スネークは警戒を解かなかった。
赤坂は昔の記憶を呼び覚まし、目の前の男が誘拐事件で戦った犯人の一味であることを思い出した。
小此木の手がゆっくりと向けられ、とある人物を指差す。
向けられた相手は――スネークだった。
「スネーク、だったか。お前とサシでの戦いがしたい。どうせこっちは負けてる身だ、失う物は何も無い」
「……。」
しばらくの沈黙が流れる。そしてスネークが口を開いた。
「……分かった。」
返事はたった一言。
山狗の隊長が、負けを認めてあっさりと引き下がる訳にはいかない。それをスネークは分かっていた。
小此木の隊長としてのプライドと、彼にある闘争心を受け止めての返事だった。
「赤坂、梨花を頼む。フォックスは周辺の監視をしてくれ」
そう言い、スネークは一歩前に出た。
赤坂、フォックスは頷き、それぞれの役割を果たす為に動いた。
梨花は――黙ってそれを見ているしか出来なかった。
しかし、彼女はスネークを信じていた。小此木に負けるはずがない、と。
「ずいぶんと余裕だな」
インカムや色々な装備を外しながら小此木が言う。
スネークは沈黙を守ったままで、目を細めて小此木の動向を見定めていた。
そして、準備を終えた小此木が身構えた。
――小此木は只の山狗とは違う。十分に承知していたスネークは構えをとった。
それを見た小此木がにやりと楽しそうに笑う。
「へっへっへ……やはりあんたは違う。……腕立て伏せの百も出来ない隊員とも、所詮スポーツに過ぎない空手屋ともな!!」
自分の部下達は弱すぎて話にならない。
五年ぶりに会った青年は空手しか扱わないようだった。自分が養い、鍛え、日々訓練を重ねてきた軍隊格闘とは全くの別物!
だがスネークは違う。こっちと同じ戦闘職の動きだ!
「うぅぅぉおおおぉおおぉぉおお!!」
熱く騒ぐ血の勢いをそのままに、飛び込んでパンチを繰り出す!
スネークはそれを右手で受け止めた。素早さ優先の軽めのパンチだと分かっていたからだ。
……が、スネークの顔が僅かに歪む。
(この筋力は……?)
自分より目の前の相手は若いだろう。
――しかし、不自然な程の力だった。速さもあり重さもある。
鍛錬しているようだがそれとは違う。衰えてすらいない、若者のような力だった。
…それ以上考える間を小此木は与えない!
小此木はすぐに体を捻らせ、回し蹴りを繰り出した。スネークは僅かにかがんでそれを躱した。
だが回し蹴りからかかと落としにつなぎ、足が振り落とされる!
「……っ」
考え事をしていたせいか、スネークは反応が一瞬遅れた。
頭に直撃はしなかったものの、小此木の足が左肩にかすったのだ。
「どうした? 本当の実力を見せてみろ!」
右、左、上、下――と、拳が連続でたたき込まれる。どれも早く重い。
スネークは紙一重でそれらの攻撃を全て防いだ。
技が尽きたのか、小此木は一端下がって間合いを取る。
スネークは動かない。只ずっと小此木の動きを観察しているようにも見えた。
…その事が、小此木に怒りを覚えさせた。
あれだけ見事に、早く、確実に敵を倒す「技」を持ちながら、向こうからは仕掛けて来ない。
――何故だ。兵士が生きられる場所は、戦場にしか無いというのに。
軽く舌打ちをしながら、小此木はスネークの顔面をめがけて拳を飛ばす。
目くらましの為の攻撃だったが、それは首を振って躱された。
だが意味はある。上に意識を集中させ、その間に腹を蹴り飛ばす事が出来るからだ!
小此木の蹴りが、スネークの下腹部にめり込む。一般人なら内臓が破裂してもう立ち直れない程のものだ。
スネークは二、三歩後ずさった。
……それは蹴りによるダメージのものだと小此木は確信し、にやりと笑う。
――膝をつかないだけ、流石というべきか。
半分負け試合のつもりで挑んでいたが、こっちにも勝機はありそうだ――!!
「……そんなものか?」
「何……!!」
スネークが口を開いた。
その口からは血が流れていない、喋る様子もよどみが無い。待てよ、さっきの蹴りを食らって平然としているだと!?
小此木は混乱していた。
スネークの地を踏んでいる足に力が籠もる。
――そう。彼は蹴られて後ずさった訳では無く、間合いを開けるために下がったのだ。
再び、小此木から仕掛ける。今度はスネークも動いた。
…小此木の拳や脚は、またもやスネーくに防がれてしまう。
それに、……防がれるだけではなかった。攻撃する手足に、確実に反撃が返ってきていた!
殴っても蹴っても当たらない、向こうからは攻撃されっぱなしだ。
小此木の焦りが、徐々に高まっていく。
初めて息を切らし、今度は小此木自ら間合いを開けた。
「……お前は空手を馬鹿にしているようだな?」
唐突にスネークが切り出した。
この期に及んで何を言うんだ――と小此木は思ったが、相手の隙を探しつつ答えた。
「……空手はスポーツじゃねえか。動きも、返し方も、全て『型』に沿っている。
……だから読めるしさばけるんだ。空手屋とは戦う気も起きない」
「それは大きな間違いだ」
「何だと?」
「赤坂の動きを見ていなかったのか? ――あの動きは、型に囚われていなかった。
武道には詳しく無いが、『型』の会得が武道の目的では無いのだろう」
少し離れた所で、赤坂が小さく頷いた。
「それがどうした? てめえには空手もボクシングも柔道も関係無いだろ」
「……分からないのか? 戦場では油断や驕りが命取りとなる。お前は赤坂になら勝てると判断したんだろう。
それでより戦えそうな俺を選んだ。――違うか?」
「……。」
「赤坂はかなりの使い手だ、知り合ったばかりだが分かる。……お前が戦ってたとしても、勝てないだろう」
小此木は目を見開いた。
そして、怒りと屈辱に体を震わせ始めた。
――空手屋に、この俺が、勝てないだと……!! ふざけるな、そんな筈はない!
こっちはスネークと同じ戦闘職だ、空手しか脳が無い奴とは違う。
なのに奴は、空手が強いと認め、この俺があの若造に勝てないと抜かしやがるなんて……!
「ちくしょおぉおおおぉおおおぉぉおお!」
馬鹿にされたと感じたのか、小此木は全身の力を込めスネークに飛びかかった。
小細工無しの一撃、まともに食らえば、いくらスネークといえども只では済まない!
小此木の拳は、スネークの目前にまで迫る。――そして、スネークは目を見開いた。
「その驕りが」
体を僅かに捻って、小此木の一撃を躱す。目標を失った拳は、スネークの手に掴まれた。
そして、小此木の攻撃の勢いを利用しつつ、体をぐっと低くする。
「――貴様の敗因だ」
一閃。
弧を描くように、小此木は宙を舞った。
数秒もしないうちに地面に叩きつけられる。一瞬呼吸が停止し、咳き込んだ。
木々の間から見える薄暗い空を見て、小此木は敗北を悟った。
ふと、その視界にスネークの顔が写る。
先ほどとは違う、どこか穏やかな表情で、スネークは言った。
「……だが動きは見事だった。相当訓練しているようだな。いいセンスだ」
「…いい、センス……」
――こりゃ、勝てねぇな。
自嘲めいた笑いを、小此木は漏らした。
静かな風が吹き抜けていく。夜は、まだ始まったばかりだった。
どこか憑き物が取れた表情になった小此木は、しばらくしてからよろよろと立ち上がった。
その動作には敵意が無い。こちらが警戒する必要はなさそうだと判断し、構えを解く。
小此木は背中や体についた土埃、草を払い落とした。そして戦闘前に外したインカム類を拾い上げる。
未だ目を覚まさず倒れている自分の部下を見て、彼はやれやれと首を振った。
部下を起こそうともせず、小此木はスネーク達に背を向ける。
二、三歩進んだ所で彼は首だけを後ろに向け立ち止まった。
「……俺達の負けだ、ここは引かせてもらう」
「こいつらはどうする?」
地面に伏している山狗を指差すと、小此木は肩をすくめた。
「放っておくさ。俺一人じゃ全員を連れて帰れないしな。殆ど戦う意志も無いだろうし、しばらく起きないはずだ」
あっさりと言い放って、彼はまた歩き出した。
――木々の間の闇に姿が消えた所で、遠くから声がした。
にぎやかな子供達の声と足音は、だんだんと大きくなってきた。
「スネークー、梨花ちゃーん!! 大丈夫!?」
「梨花ちゃん! 無事だったか!?」
「みんな大丈夫みたいだね。良かったぁ!」
「あぅあぅあぅ、梨ぃ花ぁー、もう無茶は止めて下さいです!」
魅音、圭一、レナ、羽入が姿を現す。無事に合流出来たようだ。
梨花は弾けるような笑顔を見せ、仲間達との再開を喜んだ。
俺も緊張感が溶け、一瞬表情筋が緩んだが……素直に喜び会えない状況だった。
地面に倒れている山狗達の装備。只の工作部隊にしては十分すぎる程の――兵器。
拳銃と言えども、立派な武器だ。撃たれればあっさりと死を迎える。子供達には触らせない方がいいだろう。
小此木はああ言ったが、山狗達が目を覚ます可能性だってあるのだ。早く移動しなければならない。
複雑な心境の俺を余所に、魅音が素っ頓狂な声を上げる。
「……そういえば、この二人は誰? 梨花ちゃんの知り合い?」
魅音の視線が、赤坂とフォックスとの間で揺れ動く。
……赤坂はまだいいとして、フォックスのことをどう説明すればいいのだろう。
全身甲冑という奇妙な出で立ち、表情はまったく読み取れず、おまけに刀を背負っている。……危険人物と見られてもおかしくはない。
「私は赤坂衛。昔、仕事の関係で雛見沢に来てたことがあってね。その時の『約束』で梨花ちゃんを助けに来たんだ」
「…赤坂は警察のすごい強い人なのです。徹甲弾でどっかんどっかん、敵さんはがくがくぶるぶるにゃーにゃーなのです☆」
「警察なのか! そりゃ戦力になるなぁ……、で、そちらの忍者っぽい人は誰だ?」
「ぁぅ、スネークのお友達……なのですよね?」
角が生えた奇妙な少女、羽入がおずおずと俺に尋ねる。
……羽入はフォックスを知っている? 何故だ?
「――そうだ、俺はスネークの親友だ。…グレイ・フォックスと呼ばれている」
「蛇さんに狐さん……はぅ、動物がいっぱいだね」
「その刀かっこいいねぇー! ひょっとしておじさんもサバゲーやる人?」
疑問を尋ねる暇もなく、わいわいと彼らはフォックスを取り囲む。
警戒心や恐怖心といったものは見受けられない。それどころか魅音はサバゲー経験者と勘違いしているようだ。
一安心、と言った所か。
あとは沙都子、生存が確認出来れば入江、富竹らの救出と、メタルギアの情報について収集する事か。
これから先の事に思考を巡らせていると、背後でがさがさと草木を掻き分ける音がした。
その場にいる全員が一斉に振り返る。そこには――――。
「……声がしたと思って来てみれば…、……赤坂さん、こりゃあ一体…………?」
呆然とした表情の、恰幅の良い中年男性――大石警部が、そこに立っていた。
部活メンバーの表情が一斉に厳しくなる。この胡散臭い警部に対して警戒しているのだろう。
詳しいいきさつは分からないが、以前の魅音との会話からして、彼は園崎家に何らかの疑心を抱いている。
現在の大石は疑心云々を抜きにして、状況把握に必死なようだ。
そんな大石に対して、赤坂は状況の説明を始めた。
経緯は不明だが、梨花の周辺に及んでいる危機のことを、大石もあらかた知っているらしい。
「……それで、こいつらが古手梨花を襲っていて、そこを赤坂さん達が助けた、と?」
「私だけじゃないです。そこにいるスネークさん達に協力をして頂きました」
「……スネークさん、が? この訳の分からない連中を?」
いぶかしげな表情をこちらに向けられた。どうも先日以来警戒されていたらしい。
俺の肩書きは「連続怪死事件の前にわざわざ編入してきた外国人教師」だ。警戒されるのは無理がない。
ベテランの刑事となれば、俺の奥底に眠る、戦闘職としての何かを感じとったのだろう。
だが、梨花の件に関しては本当に無関係だ。この件とメタルギアとの繋がりは発見できていない。
「……こいつらはある機関に雇われた、機密保持の為の部隊らしい。普段は造園業を偽って活動しているそうだ」
そこに倒れている奴が吐いた、と最初に倒した奴を指差す。このぐらいの嘘なら構わないだろう。
素手でこいつらに勝てた理由は、赤坂の強さと、山狗が銃に不慣れだったことを隠れ蓑にしたら誤魔化せる。
幸い、大石の立ち位置からは部活メンバーが壁になっていて、フォックスは見えないはずだ。
それよりも彼は山狗に反応を示していて、部活メンバーや周囲の状況に目を向ける暇がない。
「何だって……、入江機関の不正支出金は、まさかここに……。それにこの銃は……」
「……そして」
今まで黙っていた梨花が口を開く。
「大石がずっとずっと追っている、雛見沢村連続怪死事件に関わりを持っています」
「…な、…………それはどういう……!!」
大石はいっそうの驚きを見せる。部活メンバー、赤坂にも少なからずの動揺があった。そして俺自身にもだ。
「……梨花さん。それは本当ですか? そして、何故それを知っているのですか?」
「…みぃ。」
梨花は困った表情をして魅音を見る。ここで話していいことなのか迷っているのだろう。
怪死事件には園崎家の暗躍によるものだという説もある。
魅音の手前上、それは話しづらい話題だ。
「入江機関に関わることなので、ボクの口からは言えませんです。山狗達がいつ、どうやって、何をして事件に関与したのかは詳しく知りません。
……入江や富竹に聞けば分かるかもしれません。でも、これは本当の事なのです」
「…園崎家の、関与は?」
「…………古手家の書物には、園崎家は『如何なる天災も全て自らの差し金であるように振舞うべし』というの家訓がありますです」
間接的な、園崎家の関与の否定。
それを聞いた大石は、それまでの彼の信念や価値観が、がらがらと崩れていくことを感じた。
「……そんな。それじゃ、それじゃ私は一体、今まで、何を追いかけていたっていうんです……」
――大石は、驚きと憔悴の表情で、よろよろと後ずさった。彼自身、まだ混乱している。
何年も何年も、ダム戦争の時から、ずっと園崎家を追いかけてきた。
ダムの現場監督の仇を討つために、なりふりかまわず、「オヤシロさまの使い」と呼ばれるまで手がかりを探していた。
園崎家が犯人だとしたら、説明がつくと思っていた。
いつか尻尾を出すまでは、定年退職するまでは、このヤマを片付けてやると思っていた……!
なのに……、敵は、園崎家では無かったのだ。
今までどうしようもない憎しみを、まだ子供である魅音や、園崎家に向けていた。
花を手向けるはずの元親友、現場監督を殺したのはあいつらだ、と。
――しかし、実行したのも、殺すように指示をしたのも、園崎家では無い。
憎しみと怒りの矛先は、どこに向ける?
刑事魂をかけた信念が消えて、職務を全う出来るのか?
今まで敵視していた魅音達、園崎の人間に対し、どういう態度を取ればいいのか?
そんな大石の心情を知ってか知らずか、場には沈黙が流れていた。
誰も、彼に声をかけることが出来ない。大人でも気持ちの整理には時間がかかる。
……魅音はずっと下を向いていた。彼女の表情は誰にも読めない。
誰もが、大石を気遣っていた。
――ひっくり返せば、誰もが、大石以外の対象に注意を向けていなかった。
大石の背後。もう襲ってこないであろうと思われた山狗の目が光った。
素早く銃を拾い、猛獣を思わせる勢いで大石に飛びかかる。
「…なっ!!」
大石は拳銃を取り出したが、山狗の方が早い!
大石の拳銃を払いのけ、大石の抵抗手段が失われる。
百戦錬磨の赤坂、フォックス、スネークでさえも動けなかった。彼らの位置は余りにも大石から遠すぎた。
誰も動けない。
――奇しくも一番近くにいた彼女、園崎魅音を除いて。
園崎魅音は、咄嗟に大石の拳銃を拾い上げた。
山狗に銃口を向けたが……一歩遅かった。
「動くな! 動くとこの男を殺すぞ!」
銃を大石の喉もとに突きつけた山狗が言う。大石は銃口の圧力で声が出せないようだった。
その様子を見て、魅音は軽く舌打ちをする。
そして、銃をゆっくりと地面に向けた。
「……俺は他の隊員とは違う。キリングハウスの卒業生を舐めるな……! 古手梨花を引き渡せ! でないと人質を殺す!」
山狗が叫ぶ。その場にいた面々は、思わぬ展開に衝撃を受けた。
…だが魅音は、動揺すらせずに、あっさりと言い放った。
「そんなら代わりに、私を人質にしなよ。子供のほうが扱いやすいだろ?」
魅音はそう言って、拳銃をごみでも捨てるように放り投げた。
銃はどさっと音を立てて、誰からも拾えない位置まで転がった。
「……魅音さん。あなた……」
大石は、魅音の行動が理解出来ないようだ。
山狗も目を細めて魅音の言動を警戒した。どうせ子供だ、強がりだろうと魅音を喋らせておく。
感謝すべきなのか、それとも何か裏があるのか、と探るような目線の大石に対して、魅音は冷たく言う。
「勘違いしないで欲しいね。私は別にあんたなんかどうなってもいいんだ。あんたにはいろいろやらてるしね。恩よりも恨み
の方が圧倒的に多いさ」
突き放した後、魅音がふっと寂しそうな表情になる。
「……けどね、私の目の前で、そんないつ死んでもいいような顔されちゃ、もっと迷惑なんだよ」
「……」
大石は沈黙を守ったままだった。
「……知ってるよ。あんたが現場監督の事件を、ずっと追ってるってこと」
「!?」
意外な言葉に大石が驚く。
「……確かに、あの時、あの人と一番いがみ合ってたのは私達さ」
『雛見沢ダム建設、絶対反対ッ!!』
拡声器から大音声を吐き出す。ダムの現場事務所と機動隊を村人たちが取り囲み、ダム反対の意思を心の底から叫ぶ。
時には機動隊とぶつかり合い、暴力沙汰を起こした。魅音自身、何回か警察の世話になった事がある。
……勿論、相手は警察や役人だけでなく、ダムの建設業者もまた同じだった。
「それは否定しないし、できない。無くそうと思っても、消えるもんじゃない。……ましてや、あんなことがあったんだ。
忘れるなんて、できやしない」
昭和54年の6月。――ダム現場の監督が、殺害された。
遺体はバラバラにされ、未だに犯人の一人と、遺体の内の右腕が見つかっていない。
当時、雛見沢にいた人間なら、誰もが忘れられないであろう事件だった。
「……だったら、どうして」
「……あのとき、あれだけのことをやったんだ。……いまさら、謝るってこともしなかった。……いや、できなかった」
「……するつもりなんて、あったんですか?」
今度は、大石が冷たい口調で言う。
「……臆病だったのさ。私も……お母さんも……うちの婆っちゃもね……。情けない話、園崎の立場なんてものがあるから、
昨日の敵は今日の友ってわけにもいかないんだ」
――北条家の件もそうだった。
園崎家自身、北条家を許していても、『立場』のせいでそれを口に出来ない。
園崎家が否なら、村人も否。そうして因習は今まで続いてきた。
「私は……。私はね! そういうあんた達をずっと! 私の敵だと!」
――大石にとっては、大事な親友を殺された敵。刑事魂をかけて捕まえると決めた敵。
共に飲み、笑い、麻雀をし、時には説教をされ、口は悪いがいい人だったおやっさん。
……園崎家に殺されたと思っていた。だから、園崎家がずっと憎かった!
「おやっさんが死んだ時から、おやっさんの敵だと! あんたらが、連続怪死事件の犯人だと――」
「思ってればいいさ!」
大石よりさらに大きい声で魅音が叫ぶ。その迫力に大石はたじろいだ。
「……ずっと、そう思っていたんだ。思うだけで済むなら、いくらでも憎まれてやろうって」
集団の中で、憎まれ役を誰かが引き受ければ上手くいく場合がある。
それは、雛見沢と園崎家の関係と似ていた。
魅音は幼い時からそれを理解し、次期党首として振る舞い、園崎家の意に反する者に冷徹な態度を取ってきた。
「……だけどね。それは、間違いなんだ。」
「……魅音さん」
「……恨みってのはさ。どこかで晴らさなくちゃいけないんだ。時間が流れて風化するのを、待つものじゃないんだ。だからさ……」
「……」
言葉を途切れさせ、魅音は一度深呼吸をする。
「あんたは生きなよ。大石さん」
「!!」
――優しい笑顔を、魅音は大石に向けた。
…慣れていないのか、それは長く続かなかった。視線を地面に移し、ふっと息を吐いた後、目線を山狗に移した。
「……さ。おしゃべりはもういいだろ。おい、そこのお兄さん。そこのおじさまはもうすぐ定年退職なんだ。
いまさら二階級特進はいらないんだよ。……わかったらさっさと私を……」
「……ふ」
「?」
大石が笑った理由が分からず、きょとんとする魅音。
「…………んっふっふっふ。……いやあ、私もまだまだですねえ。子供に説教されるなんて。……こりゃ、あっちにいったら、
おやっさんに、またどやされちまうかなあ」
どこか苦笑する様子の大石は、きっと目つきを変え、自分に銃を向けていた山狗の腕を掴む!
完全に油断していた山狗は不意を突かれたが、引き金を引いた。
最小限に抑えられた銃声が森に響く。誰かが悲鳴を上げた。
が――その銃弾は、大石にも魅音にも、誰にも当たらず、見当違いな方向へと消えた。
大石は、強引な体勢のまま――巴投げをするような形で、山狗を投げ飛ばす!
銃が山狗の手から離れ、彼は遠くへ投げ飛ばされた。状況が一転したと分かると、舌打ちをして山狗は逃げ出した。
周りに倒れていた山狗も、ばらばらと逃げ出す。
「魅ぃちゃん!」
「大石さん! 大丈夫ですか!?」
遠くで事態を静観していた面々が駆け寄る。大石も魅音も、まったく怪我をせずに済んだ。
最悪とも言える状況だったが――、皆無事だったのは、「奇跡」としか呼びようが無かった。
「…完全に私が油断していました。魅音さん、ご迷惑をかけて済みませんでしたねぇ」
「……いや、………ぇっと、私もあいつの接近に気づけなかったし……」
どこか照れくさいのか、頭を掻きながら魅音は言葉を濁した。
「……魅音さん。私も園崎家やあなたに謝らなきゃいけない事が沢山あります。お話したいこともありますしね。
……でも、それは全てを終わらせてからにしましょう。このヤマを解決したら、今までのことを全部水に流します。……それでいいですね?」
大石の言葉に、魅音は力強く頷いた。
「……さて。私は一端署に戻るとします。別方面から攻めることにしてみますよ。赤坂さん、子供達を頼みますよ、んっふっふ!
今日は眠れませんねぇ。それでは皆さん、よいお年を!」
山狗が落とした銃を証拠品として没収し、大石はその場を去った。
興宮署の一室。乱暴にドアが開け放たれる。
部屋に飛び込んでくるなり大石は、仕事をしていた熊谷の元へと駆け寄った。
「熊ちゃん! 事件ですよ事件! 大大、大事件です!!」
「どうしたんすか、大石さん」
「テロですテロ! 雛見沢にテロリストがわんさかいるんです!」
「て、テロお!? 大石さん、まさか園崎……」
「詳しいことはこっちで話します! さあ熊ちゃん! 署の腕っこき今すぐ集めてください! こりゃ戦争ですよ!」
TIPS:沙都子のその後
――入江診療所地下。
一般人には開かれていない、とある一室。その簡素な部屋に沙都子はいた。
元々患者用の部屋だったのか、その部屋のドアには小さい窓枠が設けられていた。
その窓ガラスは外され、代わりに鉄格子のようなものが挟まっている。
ドアを挟んで通路側に見張りの兵士が、ドアのすぐ内側には沙都子がいた。
本来なら緊迫した空気が流れているはずだが、……捕虜と兵士という関係とは程遠い光景がそこにあった。
「お前……いい奴だよな」
もぐもぐとパンを頬張りながら見張りの兵士が言う。
そのパンは本来、沙都子に与えられた食事だった。が、沙都子はそれを兵士に分け与えたのだ。
市販の、ごく普通のパンに必死で兵士がかぶりついているというのはどこか妙な光景であった。
「本当、子供とは思えないよ。気が利くししっかりしている」
「あら、お褒めに預かり光栄ですわ」
ほっほっほ、と沙都子は八重歯を覗かせ、いつもの笑顔を見せた。
――内心はしてやったりと思っているのだが、それは一切見せない。
相手は自分を子供だと思って油断している。さらに性格的にもつけいる隙がある。
沙都子は短時間でそれを見抜いていた。
「……ずっと『子供の』見張りなんて、退屈しませんこと?」
「まあ……仕事の一つだからな。この前は山奥に一人で行かされたし、何だかなぁ……」
思えばアラスカでの事が運のツキだった、それまではエリートだったのに……とその兵士は聞かれてもないのに境遇を語り始める。
沙都子は相づちを打ち、兵士の話に耳を傾けた。
……といっても、パンを食べながら喋っているので、話は半分ぐらいしか聞き取れないが。
パンを食べ終わり、兵士は沙都子に改めてお礼を言った。
「どういたしましてですわ。……ところで、よろしければお名前を教えてくれません?」
「ジョニーだ」
「いい名前ですわね。…アメリカの方ですの? どうして日本に?」
「それは……色々と複雑な事情があってな」
ジョニーという兵士は言葉を濁す。
ふと、上の階から騒がしい足音が響いてきた。
どこか遠くの部屋からも話し声が聞こえてくる。何かを指示するような声や怒鳴り声もした。
「騒がしいですわね」
「何か進展があったのか……ま、俺には関係無い話だけどな」
そう言って、ジョニーは大きく背伸びをした。
……沙都子は今の言葉を聞き、少し考え込む。そしてジョニーに尋ねた。
「ジョニーさんは、私がここに閉じ込められている理由をご存じで?」
「……人質だとは聞いているけど、詳しくは知らない」
「あら、ならここから出してくれませんこと? 理由も知らずにいたいけな少女を監禁するんですの?」
「…出来るならそうするが、そんなことしたら大変な事になる!」
「それは残念ですわね」
ふいっと沙都子は視線をそらす。
勿論、いくら油断しているとはいえ、そう簡単に出してくれる訳がないと分かっていた。
――そして、沙都子は考え込む。
ジョニーとの会話で得られた情報と元に、状況を整理する。
数々のトラップを生み出すその脳は、この状況でも上手く対応した。
……羽入から説明を受けた「山狗」とこの兵士は違う。第一、山狗にアメリカ人がいるとは聞いていない。
もしもジョニーが山狗の一員なら、沙都子と梨花の関係を十分に理解しているはずだ。
さらに、周りの騒ぎを「関係無い」と言い放った。
おそらく、ジョニーは山狗とは別の目的で動いている部隊なのだろう。
今の状況にも納得がいっていないようだし、子供をここに閉じ込める事自体、違和感を覚えているようだ。
こちらの立場に同情的で、上司達の行動に否定的ならば、それを利用する事も出来る。
大方の状況を把握し、沙都子の脳は脱出の為に働き始める。
トラップを仕掛けるときは、相手の思考を読み、その裏をつく。
それを応用出来れば――脱出は出来る。いくつかのトラップを仕掛けるための道具は持ち歩いている。
何か、きっかけさえあればいい。
そう、きっかけがあれば――。
「くうぅぅ~~! は、腹がああああああ!!」
沙都子が思案していると、ジョニーが急に叫びだした。
渡したパンに下剤は入れていない。沙都子は純粋に驚いた。
「だ、大丈夫ですの? 先ほどのパン、変な味とかしていまして!?」
「いや、こ、これは俺の体質で…………も、もうダメだ! 漏れるぅ~~~!!!」
尻を押さえ、奇声を上げながらジョニーは走り出した。
ぽかんと口を開けてそれを見送り、沙都子は呟いた。
「…レディの前であんな事を口にするなんて。マナーがなっていませんわね。……そして、この私に隙を見せたことを後悔なさいませ!」
入り口は一つ。ドアには小さい鉄格子。窓はない。ベッドぐらいしか置かれていない簡素な部屋。
手元には、釣り糸や針金など細々としたトラップ道具。
そして、周りには誰もいない。上では騒ぎらしき物が起きていて、混乱に乗ずる事も出来る。
――十分すぎる程の、「きっかけ」だった。
最終更新:2009年12月13日 21:22