真っ暗な空間、ただ一人俺がいた。
辺りを見渡しても何もない。誰もいない。
足下を見ても何もない。地面に立っているのかすら怪しくなってくる。
ふと顔を上げると、いつの間にか梨花がそこに立っていた。
呼びかけようと口を開くが声が出ない。
梨花は俺の顔を見て、わななく様に一歩後ずさった。
――どうした?
手をさしのべても、一歩後ずさる。
安心しろ、俺は何もしない――と言っても伝わらない。
そこにあるのは拒絶だった。
梨花は俺を睨み付け、震える声で言った。
「この…………人殺し………………!」
梨花が何を言い出したのか一瞬分からなかった。
少しの間の後、梨花が言った言葉を頭の中で反芻してみる。
「人殺し」。
…………俺はそれを否定できない。
殺人を犯したのか、という問いならば…………戦場の中とはいえ、俺は人を殺している。
任務の為。生き残る為。
それらを疑問に思うはずの年齢から常に戦いの中にいる。
だから、俺はそれに疑問を抱かない。……だが、俺だって好きで敵を殺している訳ではない。
実際に百年生きていると言っても彼女はまだ子供だ。それが理解できないのだろう。
しかし、何故梨花はそんなことを言ったんだ? 俺の正体は知られていないはずだ。
「よくも圭一を、レナを、魅音を、沙都子を、詩音を……! 私の仲間を返してっ!」
何の話か分からない。
無駄とは分かっていても、梨花に問いかけようとしたとき、水音がした。
それは自分の足下から聞こえる。俺の手から何かがしたたり落ちているようだった。
手を見る。血に塗れていた。
足元を見る。…………そこには、血まみれの、圭一達が横たわっていた。
ぴくりとも動かない。死んでいるのは明らかだ。
いったい誰が。
…………いや、……俺、が…………?
梨花の口ぶりと血に塗れた俺の手。これらの状況からして、そう考えざるを得ない。
いや、違う。俺が任務以外で、ましてや教え子達を殺すなんてありえない。
無関係の人間まで殺してしまうのなら、それは――――。
「貴様は殺戮を楽しんでいるんだよ」
かつての兄弟の声がする。反射的に声がした方向に振り向いた。
真っ暗な空間も梨花も血まみれの圭一達もそこには無い。モセス事件の時の、あのメタルギアREXの背中の上だ。
今はもういないはずの兄弟もそのままの姿で居た。
……ここは過去の幻影の中だ。目の前に立っているこいつは数年前に死んだのだ。
兄弟――――リキッドが何を言おうと、所詮幻にすぎない。さっきの梨花も恐らく幻だ。
「殺すときのお前の顔を見たぞ! 戦いの喜びに満ちていた」
「…………違う」
それでも言い返してしまうのは、自分に組み込まれているらしい遺伝子を否定する為か。
「雛見沢に来てから甘くなったようだな、兄弟。俺達は戦いの中でしか生きられない。ここに俺達は存在出来ないんだ」
「ただ任務を遂行しに来ただけだ。メタルギアを破壊したら直ぐに立ち去るさ」
「お前は今まで何をやっていた? ただ子供達と戯れていただけじゃないか! どこに逃げたって殺人者としての本能は否定できないぞ。
アラスカに逃げても、日本に逃げても同じだ! 俺達の戦いは終わらない……!」
――いったい、リキッドは何を言っているんだ。
「こんな話を聞いたことがあるか? 戦場から命からがら帰ってきた兵士がいた。だが戦場に長く居すぎた為かちょっとした物音で怯えるようになり、
挙げ句の果てには自分の妻まで殺しそうになったそうだ。……お前にもそれと同じ事が起きてはいないか?」
「…………」
シャドーモセス事件の後、しばらくはPTSDが酷かった。
……慣れとは非常に恐ろしい物で、克服してからは現在まで何ともない。
「“殺そうとした”だけならまだいいさ。だがお前は“殺した”。自分の教え子を。罪も無い無垢な子供達を。助けを求めた少女を!」
「何の話だ! 俺は――」
「それは貴様が覚えていないだけだ。“お前”は過去、確実に無関係の人々を殺したんだ!」
――違う。
喉が張り付いたように渇いていて声が出ない。
梨花から聞いた話。別の世界。数多の世界。たくさんのカケラ。
それらを認識できるのは彼女だけのはずだ。……おまけに俺はそれを全て信じてはいない。
現に、圭一達は皆生きている。「お前が殺した」と言われても、………………。
ずきり、と頭が痛む。この感覚は何だ――――?
「うっすらと覚えているはずだ。否定してもしきれないだろう。それはそうだ、今更平穏無事な生活に戻れるはずがない。
お前の中に“殺人者”が居ることを忘れるなよ…………」
不気味な声で兄弟が告げ、世界がぐにゃりと歪んだ。
『どこまでいっても、いくつ屍を乗り越えようとも、終わりのない殺戮だ。救いのない未来……』
息も絶え絶えに巨漢シャーマンが言う。
『いいか――蛇よ! 俺は見ている!!』
終わりのない戦い。
『どちらが勝っても、我々の闘いは終わらない。敗者は戦場から解放されるが、勝者は戦場に残る』
変わり果てたビッグボス。
俺の上官でもあり、最大の敵でもあり、……父でもあった男。
『そして生き残った者は死ぬまで、戦士として人生を全うするのだ』
死ぬまで戦い続ける。どちらかが倒れるまで。
ずっと。永遠に。
何故なら、俺達は戦いの中でしか存在出来ないからだ。
『スネーク!』
『スネークせんせー!』
クラスの子供達が駆け寄ってくる。圭一達の姿もあった。
俺は彼らを受け入れられず、一歩下がる。視界が真っ赤に染まって――――――。
※ ※ ※
急激に体を起こす。息が荒い。
酸素不足と、血流が一気に下に流れたせいで頭がくらくらした。
しばらくの沈黙。ゆっくりと深呼吸をする。
――――そして、脳がさっきの出来事は夢であったことを認識した。
雛見沢に来てから、やたらと悪夢を見るような気がする。どうも寝心地が悪いらしい。
不思議な事に、“悪夢”だと認識しても、目覚めたとたんにその内容は頭からどんどん抜けていく。
だいたいの内容は覚えていても、細部までは思い出せなくなってくる。
……若干、胸に詰まるような不快感だけは残るが。
昨日は結局、たいしたことが出来なかった。
大佐の忠告を少しだけ無視して、どこまでも続いてそうな廊下を右へ右へと歩いていったのだ。
いくつかの廊下を曲がり、階段を下りた後で嫌な物を発見してしまった。
そこは拷問部屋。
いくつもの歪な形をした道具が並んでいた。棘がたくさん付いた鞭、爪を剥ぐ道具、十字型の拘束具、五寸釘……等々。
おまけに観賞席まで付いていた。全く準備が良い。
拷問にいい思い出は全く無いのでその場を直ぐに立ち去ったのだ。
今朝の悪夢もこれと多少関係があるのだろう。電撃を食らうのはいい物じゃない。
そこからずるずると様々な事が引きずり出されてきて、悪夢という形で残っただけだ。
……それより、だ。
困ったことに現在時刻が全く分からない。
扉の隙間から若干光が漏れているので、日付が変わったことだけは予測出来る。
いつ脱出出来るのか。
扉を押しても引いても手応えが無い。ましてや引き戸である訳がない。
扉が開いたとしても、……どんな目に会うのかが分からない。
まず、園崎家自体について。
拷問部屋が付いているのはどうもおかしい。通常ならありえないことだ。
何のためにこの部屋が、この空洞が設けられたのか。
雛見沢の暗部とやらに関係があるのか。はたまたそれは嘘で、その裏に何かがあるのか。
……誰に聞いても答えてくれそうには無い。とりあえず保留にする。
魅音も警戒すべきなのか……。年端もいかない子供を疑うことに胸が痛む。
次に、詩音について。
何故俺を閉じ込めたのかもはっきりしない。オセロットらしき人物が本当に雛見沢にいるのかもはっきりしない。
要は、何も分からない。
解決策となりそうな糸口も全く見つからないのだ。
詩音は感情に流されやすい性格だとは思っていた。そこを上手く取れば煽動され、このような行動に出るのかも知れない。
だが、いったい何の為に。ここまでしなきゃならない「何か」があるのだろうか。
彼女の教師としても、兵士としてもそれを見破れなかったことが悔しい。
鉄平が失踪してからどこか様子は変だったが、まさかこう来るとはな。
そこまで考えた所で、外がにわかに騒がしくなってくる。
俺が目覚めてからずっと人の気配はあったが、話し出すのはこれが初めてだ。
体を扉に寄せ、彼らの話に聞き耳を立てることにした。
『…………にしても、スネークはどこ行ったんだろうねぇ』
いきなり自分の名前を呼ばれてはっとする。魅音の声だった。
『無断で休むなんて、よっぽどの事があったんじゃないのかな、かな?』
次に聞こえたのは心配している様なレナの声。
『沙都子と梨花ちゃんの事もあるし、なるべく早めに連絡が取れるといいぜ』
その次にしたのは圭一の声。
しばらく彼らの騒がしい会話に耳を澄ましたが、他に声は聞こえなかった。
……ずっと扉の前にある気配は押し黙っている。おそらく、詩音に頼まれて俺を見張っているのだろう。
梨花と沙都子、そして羽入がいないのが気がかりだが、子供達は学校を終えて帰宅している時間帯らしい。
彼らの事だから部活もやったのだろう。ということは少なくとも今は3時か4時かその辺りだ。
魅音の家に集まって何をしていたのか……そこまでは分からない。
しかし、俺が言えたことでは無いがこんな所まで何の用があるんだ?
『あれ? 葛西さん?』
圭一達が扉の前辺りで立ち止まる。
葛西という名前を聞いて、一瞬寒気だった。
――葛西辰吉。雛見沢に来て二日目に出会った男。
その後も姿を見かけたが、……彼はかなりの使い手であることは間違いない。
サングラスで表情は見えないし、子供達に対する態度は穏和だが、その底に秘めているのは果てしなく深い。
おそらく詩音に護衛を頼まれたのだろう。……なかなかいい判断をするじゃないか、詩音。
どういう目的で俺の見張りをしているのかは分からない。が、場合によっては交戦も考えなければならない。厄介だ。
『えーっとさ、地下祭具殿に入りたいんだけど……』
おずおずと頼み込む魅音。
そう言えば、と考える。
ここは園崎家の私有地とはいえ、普段は人が出入りしない場所。
魅音達はこんな所でいったい何をする気なのだろうか?
彼らの事だから、部活をやる可能性もある。
だが、外部の人間に余り開かれていない、しかも雛見沢の暗部に関わるような場所を魅音が選ぶはずなどもない。
梨花、沙都子、羽入がいない理由も不明瞭だ。
『残念ですが、扉が壊れています。危険ですので立ち入りはしない方がよろしいかと』
『あっちゃー。よりによってこんな時に……。参ったなぁ』
“扉が壊れている”事に疑問を覚えることもなく、彼らは残念がる。
……ここで俺が内側から呼びかけたらどうなるのか。
しかし、子供達は巻き込めない。
無用な争いは避けろ、と大佐に言われている以上、一番身近にいる強力な存在に助けを求められないという歯がゆい思いをせざるを得なかった。
『…………よほどの用が無い限りここは使えませんよ? 何の用事ですか?』
『その事なんだけどさ、詩音にも協力して欲しいんだ。事情とかはまとめて説明――――』
本題らしい所に入った所で、無線の音が割り込む。
もうちょっと空気を読んでくれ――と心の中で大佐、あるいはオタコンに不満を吐きながら応答した。
「大佐か? 悪いが用があるなら後に――――」
『――――――ク』
ノイズ混じりの不明瞭な声。酷く聞きづらかった。
やっと聞き取れた声の断片が、大佐でもオタコンでも無い。
周波数も見覚えのない物だ。
――こいつは誰だ?
お前は誰だ、と訊いても返事はノイズに紛れて聞こえづらい。だが、その声は不思議な懐かしさがあった。
やがて徐々に、聞き取りやすい物になっていく。
『懐かしい――こうしてお前と再び話せる日を…………待っていた』
「おい、お前は一体――」
『すぐ――――会える。今……に…………かう』
またノイズが酷くなった。
だが最後の言葉だけははっきりと聞こえた。
『お前なら分かるはずだ。俺の声を。思い出さないか? あのバトル――』
「まさか、……そんなはずは」
問いに答える者は無く、無線が切れてしまった。
間髪入れずに大佐達から連絡が来る。
「大佐、今のはいったい――」
『私にも分からん。今メイリンに調べさせている』
『調査中よ。少なくとも、貴方のすぐ近くから発せられた電波みたい。雛見沢にいることは確かね』
「どういうことなんだ。あの声は……」
『心当たりがあるのか?』
あると言えばある。
だが、俺が知るその人物は“二回”死んだはずだった。
一回目はザンジバーランド、二回目はシャドーモセス島で。――目の前で、無残に、メタルギアREXに踏みつぶされた。
あいつが生きていたとは到底考えられない。
親友の最期の言葉。骨と肉が踏み砕かれる音。REXの足が親友を踏みつぶしたまま動く。その場に残ったのは血の跡のみ……。
忘れるはずが無かった。
「……ありえない。奴が生きているなどありえない」
『スネーク、まさか今のは“彼”の通信だったと言いたいのか?』
「いや――だが、」
そこでふと扉を見る。
圭一達らしき気配は消え、ただ一人の気配だけ残っている。
大佐達との通信を中断せざるを得ないようだ。
俺は立ち上がり、身構える。重い音を立てて、光が扉の隙間から漏れる。
そして、――ゆっくりと、扉が開いた。
そこに立っていたのは、紛れもない葛西辰吉だった。
――右手にショットガンを抱えて、そこにいた。
強い夏の日差しが影を生み、葛西という男の表情を分からなくしている。
さらに葛西はサングラスをかけている為か、心の奥底にあるものは全くと言っていいほど分かりそうに無かった。
右手にはショットガンを抱えている。
万が一人が来たとしても見えないような角度に、巧妙に隠していた。
何度も感じていることだが、やはりこの男はただ者では無い――蛇はそう確信する。
葛西はドアの隙間をこじ開けるようにして、その隙間からショットガンを構える。――蛇に向けて。
「…………両手を上に」
口調は穏やかだが、あくまでも鋭い。
蛇は大人しくそれに従い、両手をゆっくりと上に挙げた。
丸一日浴びていなかった日の光が当たり、彼は目を細める。
「食事に連れて行ってくれる訳ではなさそうだ」
「残念ながら。……場所を移すだけです。子供達に見つかると厄介なので」
「……一つ聞かせてくれ。詩音はいったい俺に何の用があるんだ?」
「お答え出来ません」
素早く交わされる会話。
両者とも動かなかった。しばしの沈黙。
「私と一緒に来て貰いましょうか。なるべく手荒な真似はしたくありません」
ショットガンを突きつけたまま葛西が言った。蛇は葛西を睨む。
「断る」
銃を突きつけられても尚、毅然とした態度のスネーク。一種の威圧感の様なものさえ感じられる。
だが葛西も譲らない。無言でショットガンを僅かに構え直しただけだった。
「やらなきゃならないことがある……そこを通してくれ」
低い声でスネークは告げる。
彼の脳内には、走馬燈とも呼べる物がちらついていた。
彼を「先生」と呼んで慕う無邪気な子供達。平穏な雛見沢。どこかにあるはずのメタルギア。
助けを求めた梨花。仲間思いの圭一。部員を知り尽くしている魅音。幼い身ながら信念を持つ沙都子。突如現れた転校生の羽入。
スネークを拒絶し、それでいてどこか救いを求めるような目をしていた詩音。
彼らを、メタルギアの脅威に晒してはいけない。救わなければならない。自分はその為に雛見沢に来た。
だから、こんな所で大人しく引きこもっている訳にはいかないんだ――蛇の目がそう告げる。
葛西は蛇の言葉に対し、そうですか、と短く答えただけだった。
否。
サングラスの奥にある彼の目が、鋭く光った。
そして、先ほどとは別人と言っていいほど低い声で告げる。
「生憎だが……俺も守らなきゃならねえものがある」
両者、一歩とも譲らない。互いが普段偽っている時とは違い――本来の、“戦い”に身を置く戦士の様なオーラを放つ。
当たりは殺気に満ちていた。それも、常人ならとても動けない程の、だ。
蛇と葛西も動かない。互いが互いの出方を窺い、隙を探り合っている。
そして――――影が動いた。
◇
俺は改めて相手を観察する。
構えている銃はショットガン――つまり、散弾銃。
殺傷効果を大きくするため、多数の細かい弾子が霰のように発射されるように作られている。
本来、人を撃つものではない。それを分かっていて自分に突きつけているのだろうか。
昨日の詩音の話しぶりからして殺す気はないらしい。
だが目の前の男は違う。
「守らなければならないもの」の為なら、血の雨を降らせる気だってあるだろう。
俺を撃つ気かどうかは分からないが、無用な争いは避けたい。手や足を持って行かれてしまう事態は回避したいのだ。
だが、ここでいつまでも燻っている訳にはいかない。
園崎家に来た本来の目的――お魎と会い、陸軍の施設の場所を聞く――事が出来ていないのだ。
雛見沢に来てから、今日でおそらく一週間。今まで進展という事が殆ど無かった分早くケリをつけたい。
幸い、葛西との間合いは近い。
隙を見て踏み込み、CQCで銃を無力化すればまだこちらにも勝ち目がある。
しかしこの男には隙が無い。
冷や汗か、暑さの為の汗か分からないが、額に汗をかいているのが分かった。
しばらく様子を見る。
そして、静寂は第三者の手によって破られた。
カチャカチャと耳障りな金属音。音は外から聞こえた。複数の気配、足音、そして殺気。
葛西が振り返るが、そのまま外へ消える。一瞬、何が起きたのか分からなかった。
……いや、今でも分からない。余りにも突拍子な出来事で脳がついていけなかった。
緊迫した自体から一転したと思えば、こんな状況が来て誰が信じられるのか?
そう問いたい程、異常事態だった。
壁に身を寄せ、外の様子を窺おうとしたその瞬間に扉が勢いよく開く。光が地下室を照らした。
そこには。
「な――――!?」
どこか強化骨格に似ている、光る甲冑をまとった兵士達。手にはそれぞれ刀のような物を持っていた。
そして、片膝をついている葛西と地下室への扉を取り囲むようにして甲冑男(――だろう、多分)達がいる。隙間もない。
囲まれた。
それを理解するや否かの隙に、数人が自分めがけて地下室に飛び込んでくる!
身を低くして、逆にこちらも突っ込んでいき、甲冑男の一人の腕を掴んで地面に叩きつけた。
外からも爆音が聞こえてきたが、それとほぼ同時にがしゃん、と重い音を立てて甲冑男が倒れ込む。
その感触に違和感を感じたが、間髪いれず刀が襲ってくる。咄嗟に地面に転がりそれを回避した。
外に出て、立ち上がる。ちょうど葛西と背中合わせになる形だった。
様子からして、この兵士達は園崎家とは無関係。もちろん、葛西や詩音とも関係無いだろう。
強化骨格と似た外見をしているから、雛見沢の連中では無くて、メタルギア関連か。
……にしても、何故俺の居場所が分かったのか。今回の敵は私有地にためらいもなく入り込むような奴らなのか。
考えている内に、包囲網がじりじりと狭まっていく。
背中を預けている時点で分かっていたようだが、意思確認をした。
「どうやらお互いの敵は違うらしい」
「……そうみたいですね」
葛西が言い終わると同時に、俺は敵に向けて踏み込み、葛西はショットガンを構える!
後ろから聞こえる爆音も意識しつつ、振り下ろされる刀を躱して敵の背後に回った。
そいつを楯にし、刀を奪い、向こう側にいる敵の肩口に向けて突きだす。
手に硬い感触がし、赤い液体が吹き出て地面に倒れた。
が、羽交い締めにしていた甲冑男に人間とは思えない力で振りほどかれ拘束を解いてしまった。
瞬間、背後から迫る殺気。
体を捻って直撃は避けるが、右頬が切り裂かれた。たいした傷では無い。
刀を突き出している腕を捻り挙げ、ぐるりと回すようにして再び地面に叩きつけた。
それでも尚、数は減らない。
……というより、敵の挙動がどこかおかしいのだ。
人間味が無いと言うべきか。力任せに突っ込んできて、文字通りの馬鹿力で敵を薙ぐ。そういった印象だ。
葛西も苦戦している。むやみやたらにショットガンは使えないようだ。
無理もない、ここは園崎家の敷地内だ。弾も無限にある訳では無い。ここぞという時に撃ち込むしか無いのだ。
銃身で敵を殴ったり、護身術らしき体術で敵を倒したりしている物の、敵が気絶し辛いのか直ぐに起き上がってくる。
――非常にまずい。
二対多数。おまけに敵は重装備と来た。
先ほど倒した敵の刀を奪う。刃物は俺の趣味では無いが、贅沢は言えない。
CQCを身につけているとは言え、この状況では厳しすぎる。
中段に構え、敵の突きや斬りを払う。避けきれずに腕にいくつか刀傷を貰った。
スニーキングスーツならまだダメージが軽かっただろう。
だが今着ているのは私服の為、軽傷とは言えない怪我を負ってしまった。
キリがない。いったんどうにかして引くべきだ。
葛西がいる方へと向かう。ショットガンがあるとはいえ、やはり辛そうだ。
その間にも敵が襲いかかってくる。当然、全ての攻撃は躱しきれない。
……刃物がどうたら言わないで、カタナの訓練もすべきだったか。少し後悔する。
幸い、葛西は園崎家へと通じる道の方で戦っている。ショットガンで牽制しつつ後退すれば、何とか逃げられるはずだ。
しかし、私有地にまで潜り込んでくるのだから奴らは園崎家内部、あるいは市中でも追いかけてくるかもしれない。
この付近には子供達がいる。民間人は巻き込めない。無論、本来は葛西もだが。
戦い続けていてもいい結果が見えてこないので打開策を求めるべく、葛西、と軽く呼びかけた。
銃身で敵の頭を殴り飛ばしてから葛西が応じる。葛西が首をこちらに向けた瞬間、空から敵が三人降りてきた。
葛西の背後に二人、俺の背後に一人。――しまった!
「伏せろッ!」
叫んで刀を投げる。
回転しながら舞うそれは、敵二人に少しだけ注意を向けたに過ぎなかった。敵はそれぞれの方向に散開して刀を避ける。
それで十分だった。
俺は刀を投げたと同時に振り返って、背後の敵をCQCで倒す。刀を拾う隙は無かった為蹴り飛ばしておいた。
ショットガンを撃ち込む音がした。躊躇うような間があった為、やはり本当は使いたくないのだろう。……こっちも同じだ。
ばたりと敵が倒れる。しかし、同時に肉を切り裂く音がした。
俺は、最悪の可能性に思い至った。
早撃ちができず、間に合わなかったのだろか。
躊躇わなかったから出遅れた?
弾切れでリロードが追いつかなかった?
他の敵がやって来た?
振り返った時には――――すでにその状況だったから、何があったのかすら知るすべは無い。
ぽたり、ぽたりとしたたり落ちる鮮血。
うめき声を漏らし、手からショットガンが落ちる。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
腹部を貫かれていた刀が抜かれ、葛西が地面に倒れ伏した。
「葛西!!」
返事など、あるはずが無く。
地面に広がっていく赤い水たまりを眺めながら、――俺は、なすすべも無くただそこにいた。
首元にひんやりとした感触。動揺した一瞬の隙に背後を取られてしまったのだ。
またしても自分のふがいの無さに歯がみする。
敵は真後ろにいるにもかかわらず、今直ぐに俺を殺す気は無いらしい。
……どうなるのか。また捕まって牢屋に放り込まれるのか。そして存在は不確かだがここにいるらしいオセロットにでも拷問されるのか。
あるいは――殺されるのか。
兵士としてならどれも当たり前、いつ起きてもおかしくない状況。
だが――今は一体どんな状況だ?
民間人を負傷させ、近くには子供達がいると言うのに、やすやすと自分が捕まって済む話なのか。
それだけでは無い。詩音が気がかりだ。油断をとられたのは事実だ。だが葛西の態度を見る限り、詩音は確実に何かの勘違いをしている。
梨花の真意を汲み取ることすらできず、詩音も救えずに、この村をメタルギアの脅威にさらし、壊滅させるような真似をするのか?
目の前の男すら救えず、誰が守れる?
決意を固めるが、それを見越していたのかのように敵が徐々にせまって来る。
刀が振りかぶられ――すまないな、とその他大勢に向けて謝罪をし。
銀色の閃光が舞った。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
腕を切り落とされた兵士が地面に倒れる。
瞬間、俺達を取り囲んでいた甲冑男達が次々に倒れていく。見えない剣に切り裂かれたかのように。
一瞬、何が起きたのか理解出来なかった。
敵に追い詰められたと思ったら、その敵が倒れていくとは誰が考えられるのか。
……運は俺に味方をしたらしい。誰だか知らないがこちらに加勢が入ったようだ。
そして、姿の見えないその人物は、目の前に着地した。
ステルス迷彩が解除され、そいつは姿を現す。
俺は目を見開いた。これは夢なのか、とすら思った。
それは、目の前の人物に心当たりがあったからだ。
強化骨格に身を包んで、忍者のような姿をし、刀を持っているその人物は――――。
「見ていられないぞ、スネーク……年を取ったな」
機械で発せられたその声は、自分がよく知る人物のものと似ていた。
先ほど、無線で話したばかりの人物。
かつて自分の親友だった男。
敵でも、味方でもあった男。
とてつもない懐かしさがこみ上げてくる。言葉に出来ない感情が胸を満たした。
「まさか――そんなはずは、」
シャドーモセス事件で死んだはず、と言いたかったが言葉に詰まる。
そう、目の前で死んだ男だった。
なのに、何故彼がここにいる?
……生きていたとは考えられない。しかも雛見沢に来ているとは。
また、麻薬と強化骨格の組み合わせで無理矢理生き返らせたというのか?
だとしたら正気を保てないだろう。しかし、彼は意志を持ち、俺を助けに来たのだ。
何故、生きているのか。
何故、雛見沢にいるのか。
何故――俺を、助けに来たのか。
何も分からなかったが、ただ「目を覚ませ」と彼は呟き、刀を持って飛び上がった。
甲冑男の頭上を越え、刀を首筋に叩きつける。すぐさま反転し、次々と敵をねじ伏せていった。
斬りかかってくる刀を払いのけ、突きを入れる。敵を踏み台にして攻撃する。
圧倒的な速さ、力の違い。数などは彼にとって関係が無かった。
敵は、未知の存在に恐怖を抱いたのか、じりじりと後退を始めた。
「帰れ」
相手に刀を突きつけ、男は呟く。
「ここは戦場では無い――だから、俺達の居場所では無い」
その言葉が引き金となったのか。
甲冑男達は、次々に姿を消していった。倒れ伏していたのも、刀を構えていたのも、全て。
やがて、辺りから人の気配がすっかり消え去ると。
男は、俺の方に向かって振り向いた。
「久しぶりだな、スネーク」
顔の一部の迷彩が解除され、顔が見えるようになる。
「彼」かもしれないという疑問は氷解した。「彼」は想像通りの人物だった。
そう、その顔はまぎれもない――目の前で、無惨に死んだはずの、親友の…………。
「フォックス……!!」
唖然として言葉が出ない。
死んでいたのに生きていた。しかもそれは二回も起こった。死んでいたはずの彼が雛見沢に居て、俺を助けた。
親友だった――彼が。
様々な思いが押し寄せてくる。
喜び、驚き、呆然……それらの言葉で言い尽くせない程の。
何を話せばいいのかすら分からない。驚きの余り話すべき事が分からなくなってしまった。
だが……目の前にグレイ・フォックス、或いはディープ・スロート、或いはフランク・イエーガーが立っているのは事実だった。
親友は俺との再会を喜び、少し微笑んでいるように見えた。
が、直ぐに表情を引き締める。
「話したい事は沢山ある……が、時間が無い」
その男の手当も必要だ、と葛西の方を見やって言った。
葛西は意識はあるようだ。体制を変え、手で腹部を押さえ地面に寝転がっている。
内臓に傷は付かなかったのかもしれないが、出血が酷い。時折うめき声のような物を漏らしていた。
「…………一つ聞かせてくれ」
やっとの思いで吐き出した言葉は、自分の声では無いように思われた。
「あの時、確かに死んだと思ったが――――生きていたのか?」
『あの時』の光景がフラッシュバックする。
高笑いするリキッド。フォックスの最後の言葉。自分が感じた無念さ――。
フォックス遺体を確認する暇もなく、そのままREXと交戦した。
だが、……体は完全に踏み砕かれていた上に、あの後REXは爆発したのだ。
生き延びたというのか? どうやって? 何故理性を保っていられる?
本当は一つどころではなく全て聞き出したかった。
だた一つ分かるのは、目の前の人物が「グレイ・フォックス」である事だけ。
……彼はクローンでも偽物でも無いだろう。そう信じている。
科学的な証拠は何も無いが、科学では表せない懐かしさという感情がそれを示していた。
疑う事が多くて、死んだはずの親友に会えた、という喜びがなりを潜めている。悲しい性だ。
「――俺の事は後で話す。単刀直入に言うが、お前はここにあるメタルギアの目的を知っているのか?」
心臓が跳ねる。まさかメタルギアの事まで知っているとは。
……質問は後にしよう。喜ばしい事に彼は「いつでも話せる」状態らしい。
「確か……この村の風土病を利用して、細菌兵器をメタルギアに導入したらしいが」
「違う。真の目的だ」
ぴしゃり、と俺の言葉は遮られた。
……真の目的? 何の話だ?
「ここにあるメタルギアには――『永久機関』がある。その永久機関そのものが、メタルギア自身の……俺の存在理由だ」
「何だって?」
話が全く見えない。
『永久機関』は、知恵あるいは知恵が所属している機関が欲しがっている。それは無限の力を持つからだ。
知っているのはそれだけだった。
メタルギアの目的は細菌兵器では無く、永久機関にあるだと?
次から次へとわき起こる疑問に、頭の回線がショートしそうだった。
「俺は『永久機関』に無限の力がある、としか聞いていないぞ」
「確かに、言い方を変えれば『無限』だろう。時の流れを遡れる力は――無限と呼ぶ他無いからな」
何の話だ、と今日いくつ目になるか分からない疑問をぶつける。
「時間逆行が可能な装置――簡単に言えば、『永久機関』の正体はタイムマシンだ」
――何だって?
もはや言葉も出てこない。タイムマシン? そんな物が存在するというのか?
そして、とフォックスは言葉を続ける。
「過去にも未来にも行けるという事は――本来あるべき歴史を変える事も出来る。
死んだはずの人物が生きていて、その時代に存在しないはずの人物が登場したとしてもおかしくはない」
そう語るフォックスは、どこか――寂しそうに見えた。遠くを見ているような目だ。
「だから俺はここにいる」
フォックスが俺と目を合わせる。
一瞬躊躇した後、はっきりと力強く言った。
「俺はお前が死んだ未来からやって来た――――」
ざあ、と一陣の風が吹き抜ける。木々がざわめいた。
フォックスの言葉と、木から飛び立った鳥たちの鳴き声が、酷く現実離れしているように思えた――――。
最終更新:2009年01月18日 15:03