「――ドライブ、行ってみたいわね」
燦燦と降り注ぐ太陽の光の中、木立のトンネルをくぐりぬけるような自然溢れる場所を。
そう、彼女が言ったから。旅行先にはうってつけと思われる場所の下見と、道中を憶える意味も兼ねて、車で向かうことにしたんだ。
休暇も取っていたし、ゆっくり行っても大丈夫だろう、とお昼過ぎに都心を出て。
新車を買うつもりではあったけれど、それは雪絵達と来る時まで用意すればいいと、今回は知り合いに頼んで中古車を借りてきた。
セダンタイプで、山道には向かない。型も古いが、整備だけはしている。数日間の旅行なら、問題はないだろう。
その人はそう言って、車を貸してくれた。
確かに、古い車ではあった。ガラスも曇りが目立ち、シートもへたれが目立つ。
けれど、エンジンの調子はすこぶるよかった。
真っ黒になる前に、オイルをこまめに代えているからだと、自慢げに言っていたな。
おかげで、高速も順調に走ってきたし、ここまではなんの問題も無く、快適なドライブだった。
そう――、ここまでは。
……なんで、こんなところで。
「タイヤ……、パンクするかな」
思いっきり傾いた車を脇目に、僕は、そう零した。
鹿骨市から興宮へ続く、どちらにとっても郊外のこの山道。
車の往来もめっきりと減ったこの道の脇で。
タイヤのパンクによる立ち往生という、情けない状態に陥っていた。
いや、ただパンクしただけなら、スペアのタイヤに交換すればいい。そう思って、後部のトランクにあるだろうスペアを取り出そうと探った。
「……入って、ないじゃんか」
それは確認してこなかった。
スペアが入っていると思われる場所には、ぽっかりと見晴らしがいい。
……おまけに、ジャッキが錆びてるし。
「これじゃ自力でパンク修理は、無理かな……」
こうなったら仕方が無い。だれか通りかかったら助けを求めるか。公衆電話を探してしばらく歩くか。
電話を見つけたら、とりあえず、修理業者かロードサービスか。
……興宮署の大石さんに助けを求めるのだけは、最後の最後にしよう。と思った。
道を見渡す。
日暮れ近い山道は、一台の車も通りそうになかった。
「しょうがない。……歩くか」
僕はそう決意する。
とりあえず車の荷物から、2日分ほどの着替えをリュックに移し、夜になることを想定して、懐中電灯を入れる。
他には――、いいかな、と思ったけれど。
もう一つだけ、手にとって、リュックに忍ばせた。
S&WM4506。
45口径の、大口径オートマティック。段数は予備を含めてマガジン2倉分。
この拳銃こそが、僕が、この場所にきた目的を如実に表していた。
助けて欲しい――。そう言った、彼女に応えるために。
確証は無い。もしかすると冗談だったのかもしれない、彼女の言葉。
でも――、この数年間、僕は忘れることができなかった。
夢にまで出てきて、魘された。
大切な何かを、守れなかった。
大切な約束を、果たせなかった。
そんな後悔の念が、汗だくになって目覚めるたび――、胸の奥に、残った。
だから確かめたかった。
嘘であっても。冗談であっても。
そのほうが、遥かに――、幸せなのだから。
――だが、どうして、と。
未だに自分でも疑問に思う。
どうして、非合法にこんな銃を手に入れてまで――、ここに来たい、と、思ったのか。
休暇を取ってきたのだ。勿論、銃の携帯など許可されるはずもない。
だがそれなら、そのままで来ればよかったのに。
どうしてこんなものを欲しがったんだろう。
――必要だと、思ったからだ。
必ずこれを、使うことになると、そう、思ったんだ。
――馬鹿馬鹿しい。
きっと、鍛えた腕力がこれの反動に耐えられるものだから、試してみようという子供心からかもしれない。
まったく、彼女と自分――、どっちが幼いのか。
リュックの一番奥にそれをしまいこんで、ドアに鍵をかける。とりあえず興宮のほうに――、僕は足を向けた。
比較的早い足取りで、歩いていく。
日はすっかり落ち込んで、街灯すらない山道は――、本当に暗く、不気味な気配があった。
……とにかく、街まで辿りつこうと、速度を、上げる。
ちょっとしたジョギングにちかいペースで、山道を進んでいく。
ふと、考え事をする。
あれから――、数年か。
あの子は、どれぐらい成長しているんだろう。
子供の成長は、本当に早いからな。きっと以前より、美人になっているんだろうな。
うちの子だって可愛いけれど、あの子もなかなか可愛かったしなあ……と、暗い道の陰湿な雰囲気など打ち消してしまう考えをする。
会いたいな。うん。そりゃやっぱり会いに来たんだから、一目見て帰んないと。
それも正直、楽しみの一つだし。
自分でも鼻が伸びてるなとわかった反面、氷のような微笑で、かちかちと鳴らしたペンチで頬をつねろうとする雪絵の姿が、目に浮かんだ。
「……怖っ」
突然。
誰かの叫び声が聞こえた。
……悲鳴だと、すぐにわかる。命の危険を、周囲に知らせる行為だと。
その場で、立ち止まる。
声が発した場所は、とても、近い。
闇の中。でも、すぐ目と、鼻の、先。
――行かなければ。人が襲われている。
見過ごすわけにはいかない。
心はそう思った。けれど。
自分の足は硬直して動かない。
本能とでも、言えばいいのか。この先に行ったら――、本当に、命が無いぞ、と。
誰かに、言われた気がした。
ちっ、と舌打ちをする。
太腿を叩きつける。震えを起こしながら、足は、弛緩する。
――行かなければ。もう一度強く、そう思った。
足を踏み出す。それと同時に。
……リュックの底のものが、僕の背中を押した。
それなら――、俺を手に取れと言わんばかりに。
……斜面を登る。
藪を踏み越える。がさがさと、自分の足が音を立てる以外、静かなものだった。
既に悲鳴など、聞こえない。
空耳だったのか。――それなら、どれだけいいことか。
音は何も無い――。だが確かに、濃くなっっていた。
鉄錆の匂い。これが表すことなど、限られている。
そして上る斜面が下りになったとき、それは、よく見えた。
赤黒い血が――、もう何メートルという範囲でばら撒かれている様を。
その中心には、誰かが伏せていた。一人ではないように、見えた。
そしてその倒れた人の近くに、誰かが――、立っていた。
月が照る。その一瞬。そいつが持っていた、血に染まった刃が――、見えた。
既に、こっちの銃口は向けていた。……電灯の灯りは、点けなかった。
それで相手を照らせば――、それは、開始を意味していると、そう直感したからだ。
距離を詰める。そして――、叫んだ。
「動くな! 警察だ! 両手を上げて地面に伏せろ! 今すぐに!」
相手は動かない。一言も喋らない。ただそこに立っている。微動だにしない。
「そこにいるのは!? お前が殺ったのか!?」
状況を理解しようとする。この異常な世界を。
「答えろ!」
そいつは言葉の代わりに。闇の中で、ひゅぅぅん、と風を、鳴らした。
戦う、気だ。
理解できた。電灯を点ける。相手を照らす。そして――、よく凝視した。
それが――、ゴングだ。
――よかったなあ、使う機会があって。
……畜生と。心に悪態をついて、僕は生き残るための抵抗を始めた。
――交錯する。
生き延びようとする意思と。
殺そうとする殺意が。
その瞬間、僕は、手にしていた光源を相手に指し向けた。
どんな相手で。風貌は、身長は、そして獲物は何なのか。――それを把握し、自らが生存する確率を高めるために。
そして、暗闇にいる相手に対して、光は、視界を遮る有効な武器となるために。
だが敵は、僕のやることなど予想していた。そうされることが当然だと――、知っていた。
懐中電灯の光を向けた瞬間と、同時。或いは、それよりも速く。敵は真っ直ぐに、大地を滑るように駆ける猛獣が如く――、突進してきた。
僕がが向けた光を道標として、視界を奪われないように伏したまま、引き絞られた弓から放たれた鏃の如く、一直線に。
一瞬だけ月の光を跳ね返した奴の刃が妖しく、光った。
とっさに、手にしていた拳銃を引き絞らず、――真横に、跳んだ。
照準が向けられなかった。
もしあの時、無理に引き金を絞ってでも銃弾を放っていたら。当たらない、だけでは済まなかった。
それは致命的な隙になり、敵の刃は確実に――、僕の首を掻き切っていた。
じわりと額から溢れた汗が流れる。いまの想像が現実になるものだっただけに。
跳んだ。距離を空ける。そして雑木が茂る木々の間に、紛れ込んで身を隠す。
――勝てない。
実戦というこの舞台では、奴と自分では差がありすぎる。
正面きって戦うことが、どれほど無理難題かと、ほんの少し対峙しただけで、わかってしまった。
逃げようかと思うが、相手が易々と逃がしてくれるとはとても、思えなかった。
ここは、奴の舞台だ。奴の方が、慣れている場所だ。
戦うしか――、無い。
あいつを戦闘不能にするか。行動不能にして逃げるか――。
そのどちらかにでもしなければ、僕はここから生きて出られない。
ちくしょう。と、また心に悪態が浮かぶ。
背後で、ざっ、と戦慄が、沸いた。
前方に跳ねる。一筋の細い光が薙いで、背中に被さっていた茂みが二つに割れた。
僕の姿を――、今度はしっかりと捉え、敵は今度こそ逃すまいと――、突っ込んでくる。
だが――、今度はしっかりと、間合いがあった。
前方に転がりながら、構えた。照準を合わせ、胴体を狙う。
二回引き金を引き――、二発、銃弾を放つ。
大口径の銃だから、反動が心配ではあったが――、自動拳銃の特性もあって、それほど腕に負担は来なかった。
それより弾の行方が心配で、それだけ目で追っていた。
一つは、奴の上着の、体からはだけたコートの一部を貫通し。
二つ目は、奴の腹部めがけて飛んでゆく――、はずだったが、奴は手にしていた大振りのナイフの腹で――、銃弾を受け止めた。
思わず、目を開く。
銃弾を――、弾いた? そんなのありかよ。ふざけんじゃねえぞ。人間かよおまえ。と、悪口ばかり出る。
だが、これ以上突進させるわけにはいかない。さらに近づく奴を足止めするために、3発目を撃つ。
二発の銃弾を躱したことで、さすがにバランスを崩していた敵は、3発目の銃弾を避けようとして――、突進が緩んだ。
その隙を逃さない。
さらに撃ち込む。一回、二回と引き金を引く。奴は3発目、4発目、と刃を振り回して防ぐが、さすがに5発目の弾丸は、振り回した腕が追いつかない。
――当たる。そう、確信したが。
奴は驚くほどの足のバネを使って、後方に、飛んだ。
同時に置き土産として、僕めがけて――、大振りのナイフを、振り投げる。
今度はこっちが逃げる番になった。
しかし、距離が詰まっている。
ナイフの速度は思いのほか速く、体ごと跳んで避けることは、できそうになかった。
だから――、咄嗟だった。手にしていた拳銃で、ナイフを弾いて防ぐ。
グリップの底部で弾いたときの衝撃が思いのほか強く、ナイフは弾いたが――、拳銃も吹っ飛ばされた。
利き腕が痛い。指がちぎれたのかと確かめたが、幸い、指は全部くっついたままだ。
僕は武器を失くした。辺りを見回しても何処に行ったのか見当がつかない。ついでに懐中電灯まで吹っ飛ばされた。
だが――、相手も獲物を失った、はずだ。
――、奴は、何処に? 飛ぶように後方に去った奴は、何処に行った?
逃げた、わけでは、ない。それは確かだ。
僕は、奴が消えた方向へ近づいていく。奴の消失は、脅威が消えたわけじゃない。
もっとヤバイことになると――、心臓の鼓動が、訴えていたからだ。
奴が消えた方向――。それは、奴と僕が、最初に、対峙した場所だ。
血に塗れ、吐きたくなりそうな異世界。
その中で、奴は立っていた。
暗がりで闇は濃く、その顔は見えなかったが、奴がどんな気分でそこに立っていたかは、なんとなくわかる。
狂喜。
間違いなく、奴は自ら起こしたこの惨劇の渦中で、笑っていたんだ。
そこに、奴が再び、舞い戻っていた。
――何のために?
それはとっても簡単なことだった。
僕を――、殺すためにだ。
僕がその場所を見えるところまで来たとき。
奴は屈んでいた。
折り重なって倒れている、人間の――、傍で。
微動だにしない。息遣いも無い。死んでいると――、医者の見立てなど無くても、完全にわかる。その死体のわきで。
奴は棒を拾う。
それは一つではない。両手に棒を持った男は、笑った顔で――、僕に向き直り、右手に持っていたそれを、僕に差し向けた。
――逃げときゃ、よかった。
そう思ったから、慌てて、僕は後ろに飛び退いた。
目の前を爆発が、連続する。
奴が持っていたあれは、棒なんかじゃない。銃だ。
軍隊に支給される歩兵用の突撃銃。遠目に見ていたから種類までは特定できないが――、多分ロシア製の、AKシリーズに近い、銃声。
「……って。滅茶苦茶反動でっかい銃じゃないか……」
驚きを通り越して、呆れる。
突撃銃は本来、両手で扱う銃だ。片手で扱うように作られてはいない。場合によっては、体ごと押さえつけて、撃つようなシロモノなのに。
それを片手で反動押さえ込んで、なおかつ撃ってくるだって?
「ほんとに、バケモノじゃないか……」
愚痴ながら逃げる。だが直線では逃げない。山林の木々を利用して、ジグザグに逃げて、距離をとる。
近づかれたら、終わりだ。
いまの僕にできることは、追いつかれないように、逃げることだけだった。
――だから言ったろ? 本当に命が無いって。
誰かが、頭の後ろで囁く。煩いぞ。そんなの最初から知っていたよ。
隣の木が、ばりん、と音を立てて、破裂する。
……見失っては、くれないらしい。
いいさ。こうなりゃ、とことん逃げるだけだ。と、半ば自棄になって、僕は山道を進む。
だが、数度の破裂音がして。
僕には当たらなかった銃弾は、僕の目の前の大木をぶち折って――。
「え?」
――大木が、目の前で、倒れた。
……僕は、倒れていた。
目の前に倒れてきた大木に巻き込まれて、斜面を転げ落ちてしまった。
――ざっ。と足音がした。
敵が、目の前にいた。
密着するほどの距離ではなかったが――、この距離では、どうあがこうと、僕は奴の銃からは逃れられない。
詰みだ。
僕は――、殺される。
こんなところで。
彼女を守るために――、来たのに。
雪絵との約束も、まだ果たしてないのに。
僕は――、こんなところで、死ぬのか。
嫌だ。と思った。
死にたくない。とも思った。
……命乞いすれば助かるだろうか?
助けてください、と懇願してみようか?
そんなことをしても――、目の前にいるこの男は、許してくれそうに、無かった。
がちり、奴の銃が鳴った。
後は人差し指を少し、曲げれば。
惨殺死体が、また一つ出来上がる。
奴にとっては、さも当然のことのように。
あっさりと――、引き金は引かれた。
……結論から言うと、僕は生きていた。
敵が情けをくれたわけではなかったし、僕が秘策を考えて切り抜けたわけじゃなかった。
それは全くの予想外によって。
ハリウッド映画が大好きなシチュエーションで、僕は、助けられたんだ。
アメリカンコミックのヒーローが、助けに、来てくれた。そんな子供心を擽る、そんな展開だった。
奴が遠慮無く銃弾をばら撒いた、瞬間。
目の前で、弾がはじけた。
金属がぶつかる耳障りな音がした。
僕を狙って真っ直ぐ飛んできた銃弾は。
目の前に何かがあるように、全て弾かれてあさっての方向へ飛んでいった。
「貴様――!?」
奴の声を初めて、聞いた。
だがそれは、僕と対峙して言った言葉ではなかった。
僕と奴――、二人の間に立った彼に対して、奴が言ったものだった。
「久しぶりだな。 ――、――ッド、……-ク」
頭が、ぼうっとして、目の前がよく、見えない。
自分が、意識を失うという瞬間を、僕はこの時、よく理解した。
その寸前。
僕を守ってくれた人の、後ろ姿が、見えた。
全身を奇妙な甲冑に身を包んで、その手には日本刀――に見えたもの――を手にしていた。
自分で思うのも可笑しな話だが。
――忍者が、助けてくれた。
そう、思って――、僕は、気を失った。
TIPS:敵か味方か
痛みを堪えながら――、私は、目を覚ます。
散々打ち付けた体を起こす。
また何時――、あの男が戻ってくるかもしれない。
そう思うと、ここにはいたくなかった。一刻も早くこの場所から離れるべきだと判断する。
……あまりの痛みで、口調が元に戻っている。
折角、彼女と再会するからと、……堅苦しいイメージを払拭しようとして似合いもしない僕なんて使っていたのに。
辺りを、よく注意しながら見渡す。暗闇は静寂を取り戻していた。ここには私と――、誰とも知れない亡骸が二人分、横たわっているだけだった。
あの二人は――、もういなかった。
私を殺そうとした男と、私を助けた彼は、何処かに、消え失せていた。
何者だったのか。私は彼、と言ったが、後ろ姿しか見ていない。肩幅と身長、その第一印象から、男だと推測したにすぎなかった。
声は聞いたが――、意識が薄れていたときの話だ。曖昧な部分が多すぎて断定はできない。ただあのときは……男の声だ、と思った。
そして何故――、私を助けたのか。何か目的があったのか。それとも、彼なりの正義感からか。
また再び会えたなら――、聞いてみようと、思った。
とにかく、民家でも公衆電話でもいい。興宮署の大石さんに連絡を取って、ここで起きたことを連絡する必要がある。
あの男にどんな理由があるにせよ――、ここでは確かに、殺人が行われたのだから。
ひとまず、ここを離れ――、電話を探そうとして、立ち止まる。銃を探しておこう。と考えたからだ。
あれは私が勝手に持ち込んだもので、さっきまでしっかり使用していた。指紋もべったり付いている。
通報すれば付近は捜索されるから、銃も押収されるに違いない。銃刀法違反で御用になるのは、御免こうむりたい。
……見つけなければと。銃が飛んでいった方向をうろうろしながら、探す。草を掻き分け、木の間を覗き込む。数分ほど同じことを繰り返し、徒労に終わる。
覗き込むような体勢が堪えて、背筋を伸ばしたとき、遠くに光が見えた。私の懐中電灯が光っている。その光の先に、光を反射するものが、あった。
銃だ。フレームに光があたって反射している。そこまで行く。体が痛むから駆け寄ることはできなかったが。手を伸ばす。銃を手に取る。
――これでいい。
あとは警察に連絡を入れればと、振り返って。
「……あんな目に遭ってまだ逃げないとは。よほど肝が据わっているか――、ただの馬鹿か、だな」
私を助けてくれたはずの、甲冑の忍者が。私の喉元に、刀を向けていた。
「お、おまえは……?」
「違う」
「?」
彼の言葉が理解できない。
「まずは自分から名乗るものだ」
……自己紹介しろというのか。刀を突きつけてられているから、私にとっては脅迫されているのと変わりない。
「……赤坂。赤坂、衛」
「アカサカ、か。ところでアカサカ、お前はなぜこんなところにいる」
「……」
「答えられないか。それとも黙秘権か? まあ俺にとってはどうでもいいことだ。……銃の経験はあるようだな。警察、と言っていたか」
私の口上を、聞いていたのか。
「奴と向かい合って生き延びるとはたいしたものだ。だが……、俺が横槍を入れなければ、な」
死んでいただろう? と聞いてくるような、口調だった。
「おまえは奴を知っているのか?」
話しぶりでは、そう聞こえる。
「それはお前に話す必要は無い。……そもそもお前は、知る権利を与えられていない」
聞くのは俺だと、目の前の男は言う。
「……何だって……」
「お前が奴のことを知っているのなら聞き出そうと思ったが、その様子では、どうやら何も知らないようだ」
時間の無駄だった。と、忍者は刀を下げ、向こうを見る。
「――ま、」
待てと、言おうとした。刀を突きつけられたお返しに、今度はこっちの銃を構えようと。
――ぱし、と音がして。私が持っていた銃は、刀に弾かれて宙を舞い、くるくると落ちて彼の手に渡ってしまった。
「……いい銃だな。貰っておこう」
しげしげと私の銃を眺め、忍者は、そう言った。
「な、何?」
「駄賃だ」
お前を助けてやった代金に、これを貰っておくぞという、半ば追い剥ぎの言い分だった。
再び背を向けて、今度こそ消え去ろうとした彼に、私は。
「ま、待て! 何で助けた!? おまえは誰だ!?」
慌てた口調で、そう言った。
――返事は無いだろう。
このまま、彼は俺の前から消えるだろうと、諦めながらも――、そう、尋ねた。
彼は再び、私を見ることは無かったが。
「――お前を助けたのは……、気まぐれ、だ。 ――そして俺は、 亡霊 だ」
そう、言い残し。
彼は――自らを亡霊(ファントム)と名乗った男は――、闇に融けるように、消えて行った。
山の端から、朝日が昇る。
雲が疎らにあるだけの雛見沢の空は、今日も晴天の様子を告げた。
俺は、昨晩の出来事の後みんなと別れ、この時間まで休憩し体力を回復させた。
そして、この場所――、園崎詩音を追いかけて入り込んだ、この袋小路のゴミ捨て場へと、再びやって来ていた。
もう一度、確かめようと思ったからだ。
逃げた。と言った彼女の言葉。俺はそれを、純粋に信じることができなかった。
――彼女の目を、見てしまったからだ。
俺はゴミ捨て場の崖下を覗き込む。この高さなら確かに――、落ちれば、無事では済まない。魅音が言ったとおりに。
逃げられた、といったその言葉が、嘘だとするなら。北条鉄平は――、何処に行ったと、思考する。
私服姿ではあったが――、ポシェット代わりに使っているバックパックの一部から双眼鏡を取り出す。
崖下の谷底を――、詳しく覗き込む。
誰か落ちて倒れてやしないか。足跡や引き摺った跡――、そういった人為的な痕跡が、ないか。
……つまり、詩音が鉄平を、――殺した、のではないかという疑念が、俺にはあった。
仲間を、疑っていた。少なくても俺をそう呼んだ連中を、猜疑している。
だから徹底的に調べた。そして自分が納得できるまで確認し、双眼鏡をしまう。
谷底に誰かが落ちた形跡は――、ここから見た限りでは、なかった。
彼女の言ったことは、正しかった、のか。
俺は崖下を覗くことを止めて立ち上がる。そして、今度は――、周囲を、観察する。
俺が初めて、ここに来たときと、そして今。変わっていることは、ないか。……見落としていたものは、ないか。
丹念に、探る。探し、だす。
そうやって、足元に一抱えほどありそうな石を見つけたとき。
――確信を、得た。
通信機を起動する。
『大佐。こちらスネーク』
『うむ。聞こえている。昨晩は大変だったようだな』
『ああ……。大佐。彼女は昨日、鉄平は逃げた。と言った』
『そのようだな』
『だが……、ここで何かあったことは間違いない』
『何かわかったのか?』
『……まあな。俺の足元にある、この石に、血が付着している。それもかなりの量が』
石をひっくり返して確認した。赤黒く、血痕が残っている。
『それは、被害にあった彼女達の血の可能性もあるのではないか?』
『いや大佐。彼女達の怪我は、殴る蹴るといった素手での打撲、それと沙都子には棒状の物体で殴打された打撃痕があったが……。
石などの物体で殴打された傷は見当たらなかった。だが、こいつは間違いなく、誰かを叩いた形跡がある』
『何故そう分かる?』
『血痕だけじゃない。……肉片も、付着している』
僅かだが、皮膚とその下の組織がこびりついていた。
『……つまり、北条鉄平がその石で殴打された可能性がある。そういうことだな、スネーク』
『断定はできないにしても……、その考えで間違いないと思う』
『つまり、北条沙都子、または園崎詩音がその石で北条鉄平を殴打したと、いう仮説が立てられるわけだな。……しかしスネーク。
それでは彼女、または彼女達が彼を殺害したという証拠にはならない。防衛のための抵抗に石で殴打した末、彼が耐えかねて逃亡を図った可能性もある』
『俺もそう思いたい。……だが』
『そうは思えない理由があるというのだな?』
『……綺麗すぎるんだ。流血沙汰にまでなった場所にしては、雨が降ったわけでもないのに、この石以外に、血痕が見当たらない』
『……』
『この石だけ見落としたとしか思えないような、不自然な清潔さがあるんだ。……人為的に、隠蔽したような』
『しかし時間的に、彼女達だけでそれは可能かということになる』
『……まず無理だ。沙都子の証言と照らし合わせても、俺達が辿り着いた時と、沙都子が逃げ出し、詩音が格闘していた時間は肉薄している』
『つまりスネーク。君はこう言いたいのか? 君がいるその場所で、北条鉄平と彼女達の格闘があり――、双方ただならぬ傷を負った』
『……』
『そしてその痕跡を残すことを好ましく思わない 第三者の存在 が、――隠蔽工作を行った。と言うことだな』
……確かに。そう――、考えれば。辻褄は、合う。
――だが、誰が。
『その仮説が正しいとすれば、……園崎詩音はその第三者の存在を知っている可能性がある』
『それは……、分からない』
『調べるんだスネーク。君は彼らを仲間だと思っているようだが、所詮彼らからすれば、君は余所者に過ぎない』
『……裏切る、とでも?』
『可能性は十分にある』
あるのか。……そんなことが。
『君は彼らに近づきすぎている。トロイの木馬、ということもある。注意は怠るな。君の任務はあくまでも――』
『わかっている。……メタルギアの発見と、破壊だ』
語気を荒げて答えた。
……それ以上、大佐の言い分は聞きたくなかった。
『そうか……。これからどうする、今後の行動を決めよう』
『とりあえずは学校に行く。……そのあとは、入江診療所に向かうつもりだ』
『入江京介との接触だな』
『ああ……。沙都子と詩音には悪いが、訪問する理由に使わせてもらう』
『前原圭一はどうする? 彼は連れて行かないのか?』
『昨日のこともある……。一人で十分だ。何とか話題を作ってみるさ』
『そうか。幸運を祈ろう、スネーク』
『期待して待っていてくれ』
空威張りで、そう答えて、通信を終えた。
涼しさを増した風が一陣、吹いた。
綿流し祭りを明日に控え、俺は今日も彼らの待つ――、学校に向かった。
運命の、別れ道。
今日ほど私にとって、その言葉が似合う日もないかも、しれない。
綿流しを明日に控えた、土曜日の今日。今日一日をどう生きるかで、私の、明日以降の運命が変わる。
それだけ重要な意味を持つ朝の、目覚めは。……二日酔いで、幕を開けた。
「……あぅ。梨花、まだ頭ががんがんするです……」
羽入が零す。
「……貴方の場合は舌が痺れるぐらいでしょ。……こっちは本当にがんがんしてるわ」
「まだ口の中に苦味が残ってるからです……。梨花、早くうがいして下さい」
ぺっ、ぺっ、と、羽入は唾を吐く真似をする。
昨日の出来事の後、私は圭一達と別れ、一人で家に帰ってきた。
夕食を作らないでいたものだから、ありあわせのもので簡単にお腹を満たし、疲れた体を癒すために即座に床に就く、……前に。
隠していた葡萄酒を――、いつもは割るのだけれど、今回は原酒のままショットグラス一杯分、きゅいっ、と飲んでしまった。
隣であわあわ言っていた羽入の表情が、みるみる青くなっていくのは楽しかったけれど。
そんな飲み方をしたものだから、こんな具合悪い目覚めをする羽目になった。
日が顔を出して間もない時間に目が覚めて、そのまま眠れない。……こんな時間から二度寝したら、完全に遅刻するけど。
「登校まで、まだ時間あるわね……」
私はむっくりと起き上がり、のったらと這うように動く。
「あぅ、梨花ぁ、お願いですから早くうがい……」
「待って……。先に酒気を抜くわ」
「?」
「お風呂入る」
「あぅ~~……」
羽入の断末魔を、……私は無視した。
――今日を、どう、過ごすか。
沸いたお湯の中に体を埋めながら、私は考える。
明日は、綿流しの祭り。つまり、明日を過ぎれば――、私に魔の手が伸びてくる。私を殺そうとする、明確な殺意が忍び寄るタイムリミット。
それはもう、近い。
だけど、対策を講じなかったわけじゃない。
私は私のやり方で、仲間に危機を知らせた。仲間は、必ず動いてくれる。……そう、信じるしかない。
なのに、まだ足りない。私の命を守るべき、命綱が幾本か。
私はかつて、そのための鍵となる人物を、三人、選び出した。
前原圭一。
富竹ジロウ。
赤坂衛。
この三人を軸とした対抗策が、かつて私に運命の打破をもたらした。
しかし今回――、この世界で、その法則が通用する可能性は未知数だ。彼――、蛇と称する男の登場。それは、私に未知の選択を要求している。
彼を信じるか、否か。
そして、彼の世界から忍び寄る、新たな脅威。私は、何度も繰り返した世界で、その断片を見ている。
その全てを把握できているわけじゃないけれど――、絶対に無視はできない、重要な要素。
彼は、この世界では、味方になってくれているようだったけど、別の世界では、完全な敵だった。
だから完全に信用できるとは言えないけれど――、私は決断しなければならない。
彼が答えた、信じると。私はそれを……、信じたい。
でも、彼にはこの世界で、別の目的がある。……私を守ると、完全には約束できないだろう。
だから足りない。私は命綱を、もっと握らなければ。
少なくとも今日、なんとかして出会いたい人がいる。
――富竹ジロウ。彼と出会い、もう一度、惨劇から逃れるための協力を、得なくては。
彼も私と同じ。時が来れば、命を失う運命にある。
だから、なんとかして、彼に、自らの危険を知ってもらわなければならない。
それは綿流しが過ぎてからでは遅すぎる。
リミットは、今日が限界なのだ。
土曜日の授業は半日で終わる。沙都子が診療所に入院しているし、私も、演舞の稽古があるという理由で、午後からの時間は完全に自由になるだろう。
その間に、彼を見つけて、説得しないと。
赤坂は……、いれば儲けもの、ではあるけれど。情報が足りない。彼がここに来る可能性は、決して高くない。
だから、目の前にある綱から、手繰り寄せないと。
今日成すべきことは、決まった。
行動に移そう。さあ、今日も忙しい一日になりそうだ。
まず、手始めに。
「……梨花ぁ~~。お願いします~。うがいしてくださぁいぃ~~」
情けない声を出している相棒を、助けてやることにしよう。
……おやおや。
あの子は内心、焦っているのかもね。
当然と言えば当然かな? あの子がかつて未来に進めた運命を勝ち得た日は、そう、綿流しの祭りの日だものね。
それが明日に逼っていて、準備も駒も整わないうちに、時間切れを迎えようとしているのよね。
――焦るな、というほうが、無理があるのかしら?
ふふふ、とも、くすくす、とも聞こえるような笑い声が、何処かから響く。
彼女が独楽鼠のようにうろちょろとする姿が、どこか滑稽に見えてしまってしかたがないから。
笑い声はわたしが漏らしたものかもしれないし。
或いは――、そうじゃないかも、しれないし。
運命は、ころころ転がってそのたびに目を変えるサイコロのようだと、誰かが云った。
あの子も――、その目が不運にも、1を連続で出したことに、嘆いているのかしら。
それとも――、諦めて、いるのかしら。
次の世界に掛けよう――、としているのかしら?
――うふ。でも、だぁめ。そんなのわたしが許さない。
この異界は一度きり、もう後には戻れない一方通行。
特例はもう、時効なの。
**たいならば、勝手に**でね。物語は、それでも進むわ。
――うふ。でもね、イレギュラーはあなただけに不利を与えるわけじゃない。
それがあなたに不利をもたらすなら。
こちらにも等しく不利は訪れる。
あなたが時間切れだと思うことが不幸なら。
時間が迫って歯がゆい思いをする人だって、いるかもしれないし、ね。
ふふふ。とわたしは声にならない笑い声をあげる。
さあ、今日は土曜日。花金終わって明日は日曜。今日の授業は半ドン半ドン。
午後からは誰もが忙しくなるわ。
――だから、ね。せめて午前中のこの陽気だけは、戦士に、一時の休息が、あらんことを。
……土曜日の仕事とはいえ、特段俺に成すべきことはない。
一時限目開始の大分前に職員室に到着し、校長と知恵と簡単に挨拶を交わす。
「いやぁ、スネーク先生。昨日も大変でしたなぁ」
校長が、挨拶に続けて、そう言った。
……相変わらず、狭い村のことだ。もう、耳に届いているらしい。
「……ええ、まあ」
適当に相槌を打つ。
「本当に災難でしたね、沙都子ちゃん。でも、もう大丈夫なんでしょう?」
知恵が俺の机にお茶を置き、続けてそう言った。
その言葉の裏には、もう彼が来て、沙都子が脅えることはないんだろう、という確認が隠れていた。
「この村の権力者に二度も楯突いた格好だからな……もう、懲りて来ることはあるまい」
それは、生きているなら、そうするだろう。という意味だった。
死んでいたら……、もう、来れまい。
「まあ、そのへんの話は、関わる人もいることだし」
校長が、話題を打ち切り、話を変える。
「ところで――、スネーク先生。今日の2時限目のことなんですが」
「2時限目? 確か、理科、の授業でしたか」
そうですそうです。と校長が頷く。
「その時間に、生徒達を野外に連れ出して欲しいんですよ」
「野外に? 一体、何のために?」
校長に質問したが、代わりに知恵が、答える。
「生物採集ですよ」
「生物? 一体何の?」
「何でもいいんです」
要は子供達に自然の動植物に触れてもらい、生態を観察してもらう。という内容だった。
「低学年の子は植物――タンポポでもスミレでも、そういうものを採取してもらいます。
中、高学年の子達には、昆虫から小動物まで、幅広く集めてもらって構いません。ただ――」
「ただ?」
「先生には、カエルを何匹か、捕らえてもらいたいんですな」
「カエルか……。あんまり美味くないんだがなぁ……」
「何か言いました?」
訝しそうな表情で、知恵が尋ねる。
「いや、何も。それで? 一体カエルを捕まえて、どうするんだ?」
「解剖の標本作りですね」
「解剖、ね……」
この年代――。昭和の空気が息づいていた頃の学校では、解剖の授業なんて珍しくなかった。
子供達は、今の同年から見れば、残虐ともとれるこの授業に、好奇心を露にして学んでいた。
やがて、動物愛護、生命の尊さを叫ぶ時代の風潮から、小、中学校での解剖は廃れていく。だが確かに、このような授業が大切だと言われていた時代が、あった。
「わかった。その時間中に、カエルを必要数捕獲しておけばいいんだな?」
「そういうことです」
校長が、わっはっは、と笑う。
「3時限目は体育ですから、体操服に着替えさせて行っても構いません」
と、知恵が言う。
「わかった。みんなにそう話しておこう」
ああ――。これが。
部活メンバーとの3度目の勝負になるとも知らないで。
――スネークは、本当にかわいそかわいそなのです。にぱー☆
職員室の扉の向こうから、そんな声が聞こえてきたような、気がした。
「よっし! カブトムシのさなぎ見っけ~」
「え~。マジかよ。俺なんかカマキリだぜ」
「あ、僕コオロギ見つけたー」
「……6月にコオロギっていたっけ?」
「案外似ているだけのキモい虫かもしれないです。みー♪」
思い思いのはしゃぎ声。野外に出て子供達が羽を伸ばすように走り回る。
机に噛り付いていた時とは大違いで、子供達の表情は、どれも明るい。
楽しんでいる。という気持ちが満面に出ている。
そんな彼らの姿を見て――、年頃の、子供達らしい。と思った。
毎日毎日、必死になって勉強する子供も多い。
日本でなくとも、アメリカでも世界中どこの国でも――、勉強をより多くすることで他者より優位になろうとする。
だが、それを全ての子供に強要することはない。
この子達のように――、遊びと思えるような行いから、少しずつ、何かを得ていく。
それは今すぐに役に立たなくても。テストの成績を上げることに役立たなかったとしても。
絶対に――、無駄になるものだとは言い切れないのだから。
「……よし。これで5匹目だ」
そんな子供達を目の端に入れながら、俺は仕事であるカエルのキャプチャーに勤しんでいた。
「なんだよスネーク。さっきからカエルしかとってねーじゃねーか」
「……仕事だ。そう言うな」
「へっへ……ずいぶんスネークとはリードが広げちまったな。俺が捕まえたのは、これだぜ!」
圭一が目の前で獲物を見せる。……拳ほどのクワガタだった。日本の固有種なのだろうが、これだけ大きいものだとは。
「うおっ?! 圭ちゃんそれはオオクワ?! どこにいたの?!」
魅音が寄ってきて圭一の獲物を眺める。彼女が驚くほどだから、よほど大きいらしい。
「へっへ~。魅音には内緒だぜ! 悔しかったらこれより大きいの、捕まえてみな~」
大物を捕まえて余裕があるのだろう。笑いながら圭一は魅音を挑発する。
「くっくっく……。言ったね圭ちゃん。おじさんに喧嘩売っちゃたらおしまいよぉーっ!」
そう言って魅音も、捕獲した獲物を見せる。
「な、なにぃーーー?! それは南方に生息するというアトラスオオカブトじゃねーーーかぁーーー! 外来種が何故この雛見沢にぃーーー?!」
「多分どっかの環境を何とも思わないおバカが放したものだと思うけど、大きさ勝負なら圧勝だよね。くっくっく……だぁから言ったでしょ圭ちゃん。
相手が勝ち誇ったとき! そいつはすでに敗北している!! 園崎魅音は日々成長してんのよぉーーー!」
「……主に胸だけが成長してるのです」
梨花が何故か、魅音をうらやましそうな視線で、見上げた。
「は、はぅ。ねぇ、圭一くん。これ、かわいいかな? かな?」
レナがかぁいいモードで、なにやら捕まえた小動物を胸に抱きかかえている。
「え? なんだろ……、イタチ?」
圭一が首を傾げる。
「う~ん。多分そうなんだろうけど」
魅音も自信が持てないようだ。
「正確には貂(てん)と言いますです」
「……そうなのか?」
梨花は博識だな。
「貂は今では希少種なんだそうです。レナ、かぁいいからといってお持ち帰りはだめですよ。大石に連れて行かれます」
「は、はぅ~~~。でもでも、すっごくこの子かぁいいんだよ! う~んもうお持ち帰りぃ~~~☆」
多分、無理矢理にでも持って帰るつもりだな、レナ。
そんないつもの談笑の中で。
「う、うわあああああっ!!」
大きな叫び声が、和む雰囲気を劈いた。
――駆け寄る。見ると岡村君が、はぁはぁと息を荒げながら、地べたに屈みこんだ。
「どうした? 岡村君。何があった?」
「せ、せ、先生! ヘビ!」
「おいおい、なんだよ岡村君。スネークを和訳したってしょうがないぜ」
「ち、違うんです前原さん! ヘビ! でっかいヘビが!!」
「落ち着くんだ岡村君。……それで、そのヘビは、どんなやつだった!」
まだ震えている岡村君の両肩を掴み揺さぶるように聞く。口の中に唾が沸くのは……、興奮しているからだ。
「……なんかスネーク先生頼りになるね~」
「……職務意識だけではなさそうなのです。食欲も持て余していやがりますのです」
俺は岡村君が見たと言う蛇の特徴を聞く。大きさ、長さ、斑紋、体色……。その特徴から、俺は、種類を特定する。
「……アナコンダだな。それも体長は3メートルに達しようかという。中の上サイズだ」
「あ、アナコンダって……南米のジャングルとかにいるっていうあのヘビか!? 場合によっちゃワニまで食うっていう!?」
圭一が驚いていた。
「ああ。……この場所を根城にしている可能性が高い。捨てられたものか逃げ出したのか……。とにかく、岡村君ぐらいの背丈なら食われてもおかしくないな」
「え、ええ……?」
岡村君が青ざめる。
「……よし。みんなは学校に戻ってくれ。俺がそいつを捕まえる」
子供達を全員呼び戻し、俺はみんなにそう言った。
しかし。
「……せっかくの先生の勇気ある行動だけど……。遠慮するよ」
「何?」
魅音が生徒達の代表として俺の前に立つ。
「先生。いや、この場においてはスネークと呼ばせてもらう。私は、あなたの生徒であると同時に、雛見沢分校に燦然と輝く部活のリーダー……部長を勤めている」
「ああ……、そうだったな」
「そしてスネーク。あなたは我が部活の期待の新星。私は、そう思っているよ」
「……それは光栄なことだ」
魅音が、何を言わんとしているのか。
薄々ではあるが……、わかってきた。
「あなたを試したあのデザートフェスタでの一戦。……私は格別に評価している。窮地に立たされてからの逆転勝利。
多分逆転劇を得意とする圭ちゃんさえも成しえないであろう、私達の誰とも違う勝利の方法。……それは見事なものだった」
「……」
魅音は俺を賞賛している。だが、俺は知っている。この子は。園崎魅音は――。
「でも、あなたには、まだ足りない」
「ほう?」
俺は不適に微笑む。
魅音の表情が好戦的なそれに変わる。間違いない。
「私が部長に就き。圭ちゃんやレナ、梨花や沙都子が日々鎬を削る激戦の日々。それに比べれば――。あなたのあのときの勝利など!
はっ! 霞んで見えるって言ってんのさ!」
これは――、明確な挑発。つまり。
「スネェーーク! あんたにはまだ部活の恐ろしさを知らない! 部活のもう一つの顔! そう! それは敗北の味! 罰ゲームの醍醐味をねぇ!!」
びしぃっ! と、指を向けて、魅音は宣戦布告する。
「あのときは私達の舞台で、私達のルールで、あんたは勝った。なら今度は! 私達が勝つ! あんたの得意な舞台で!! 完膚なきまでに!!!
叩ぁき潰してあぁげるよぉーーーーっ!!!!」
効果音がドォーーーーンッッ!!!!! と鳴りそうな勢いで、魅音が啖呵をきる。
「この蛇捕り物を、部活の提案にするというのだな」
「そう。丁度2時限目もあと半分。3時限目の体育も合わせて時間は約一時間強! この間に、巨大アナコンダを捕まえたほうが勝つ! どうだい?」
「成程……」
それは確かに、面白そうだ。だが。
「小さい子供達はどうする? 万が一の危険と言うのもある」
「小さな子は今回は中立ってことだね。見晴らしのいい場所に待機して、ヘビの姿を見かけたら大声を上げて双方に知らせる。条件はお互い一緒。どう?」
「いや、それではまだ足りないな」
「?」
俺はエキスパートだ。ハンデをあげて当然だろう。
「そっちは魅音、圭一、レナの三人がグループを組め。万が一の危険を減らすことも考えてな」
魅音は目を瞑る。熟考しているのか。この提案を、呑むか、吐き捨てるか。
答えは――、決まっていたのだ。
「くっくっく……ハンデかぁ。舐められたもんだねぇ私達も。いいさ。もらえるものはもらっておく。その代わりあとで」
ほえづらかくなよ、と、魅音は不敵に笑った。
決まった。
授業そっちのけで何をやっているんだと言われれば、そうなのかもしれない。
だが。俺も乗ってみたくなったのだ。
この子達の笑顔を、生み出している原動力に。
俺には無い種類の力を、得ようとして。
「それでは! これよりスネーク対部活メンバーの対戦を行う! 今日この戦いを! スネークキャプチャー作戦と命名する!! 以上! それでは――」
スタート! と誰かが合図した。
俺は走り出す。
彼女達も走り出す。
双方の眼光に睨まれた哀れな蛇を生贄に。
――決戦は、三度、火蓋を切った。
最終更新:2008年02月28日 19:47