「齢咄し編TIPS」【お魎と弥生(1)】

来客を知らせるブザーが園崎家に響き渡る。数分後、お手伝いの沁子がお魎の寝室の前までやって来て、襖越しに声を掛けた。
「失礼します。古手の旦那様がお見えになりました」
「すぐ出るんね。外で待ってんと伝えんと」
お魎は布団から立ち上がると、上着を一枚羽織り、玄関に出た。そこには30代前後くらいの、一目で神主と判る出で立ちの男が立っていた。
「お魎さん!わざわざ出迎えて頂かなくてもよかったですのに……」
「ええんね。ワシんも行くんね」
古手氏が手を差し出すと、お魎はいらんいらんと手をのけた。
古手氏はお魎の速さに合わせて歩く。少し時間は掛かったものの、地下祭具殿の扉が見えてきた。
「古手の、開けてくれんかいね」
「あ、はい」
お魎から鍵を受け取り、古手氏は錠を外した。
扉を開けると、中から冷やっとした空気が流れ出る。お魎が先に入り、古手氏は後に続く。
裸電球がちらつく中、階段を下り、奥へと進む。
見物用座敷を抜け、牢屋部屋の奥、半開きになっている扉の前にやってきた。
「新しぃん貼らんと、たく…」
お魎は床に落ちている立入禁止と書かれた紙を拾い上げ、くしゃくしゃと丸めた。
「弥生、入るんよ?」
お魎は扉を叩き、部屋の中にいる住人に声を掛けた。
「お魎さん、気をつけて下さい」
「なんね?」
「前回、ドアが開いたと思ったら、知らない女の子が目の前にいた。そのせいで、弥生さんは驚いて気が立っているかもしれません」
お魎はそっと扉が開ける。そこには全身真っ黒で、手足だけ白い人型のような生物が壁を這っていた。まるで人間の影が実体を持ち、現れているようだ。
「弥生、久しいのぉ。そこから降りんね。よぅ顔を見せてぇな」
弥生は壁から飛び降りると、中腰姿勢でお魎の前まで歩くと、つんつんとお魎の体をつっ突き出した。
「…リョ…ちゃん」
弥生は女性の嗄れたような声でお魎の名を口にした。
「そうね。変わらんとぉー元気しとんね?」
お魎は弥生の頭を撫でたり、色々と語っているようだ。弥生はあまり言葉を喋らないが、黙ってお魎の話に耳を傾けている。
「古手の、もうええんね」
十分ほど話した後、お魎は古手氏に声を掛けた。
古手氏は部屋の奥にあるオルゴールに手を触れると、なにやらお経のような言葉を唱え始めた。
途端に部屋の空気が白く濁っていく。まるで霧の中に迷い混んでしまったように視界が遮られる。
古手氏の声が一段と大きくなると、白い空気は古手氏の体の中へと吸い込まれていく。
「ふう……」
全ての空気を吸い込んだ古手氏は溜息を漏らし、オルゴールの蓋を閉めるとお魎へと振り向いた。
「終わりました」
「御苦労さん。家ぇ戻って茶でも飲んでな」
弥生がお魎の着物の裾を引っ張る。
「なんね弥生。ワシんはもう帰んね」
弥生は手の平を出した。それは物乞いのような感じがする。
「ああ……忘れんといけんね」
お魎は袖から丸い包みを取り出す。開くと中にはおはぎが一つ入っていた。包みごと弥生へ渡した。
弥生は人差し指で餡を掬うと、指をしゃぶり出した。
「ちゃんと米も食べれな。また逢ぃに来んね」
そう言ってお魎は扉を閉めた。
【お魎と弥生(2)】

園崎家に戻って来た二人は、沁子が入れた麦茶を頂いていた。古手氏の前にはおはぎも出されている。
「魅音ちゃんは?」
「朝ぁんなっと、やっと眠ったんね。昨日ん事で一睡もできんみたいでなぁ」
「初めて弥生さんを見たら怖いものがありますからね。魅音ちゃんはまだ子供ですし、それにお魎さん?なんにも説明していないんでしょう?」
「説明するんも大変なんね。なんワシが弥生を飼っとぉか、昔の事から説明せんといかん」
古手氏はお茶を啜り、湯飲みを置くと、お魎のその昔の事というのが気になった。
「私には教えて頂けないのですか?」
「……知りたいんか」
「ぜひ」
お魎は目を暝り、話をする順序を組み立てているようだ。
「あれは、ワシがまだ十七ん時でなぁ」
「随分遡るんですね」
お魎は古手氏を睨み着けた。
「す、すいません」
「……弥生は十六んやった」
お魎は少しずつ語りだした。

……焔硝を作ることが規制されてから、雛見沢村の生活は厳しくなる一方であった。
綿流し祭の開催も危ぶまれたが、明治後期に絹の需要が高まり、養蚕業でなんとか雛見沢の景気が回復、今年も綿流し祭は無事に開催される運びとなった。
しかし、近隣の村からの雛見沢村への差別の目は厳しく、綿流し祭の妨害がないかと御三家は目を光らせていた。
そんな心配も、奉納演舞が始まる頃には何処へやらである。皆、古手の巫女の舞に見惚れていた。
お魎はふと集会所の裏に目をやる。そこには、見知らぬ女が集会所の影から、奉納演舞を覗いていた。
歳は十五から十八くらい。ちょうどお魎と同じくらいの年頃の娘であった。
怪しい……お魎はそう思い、女に近付き声を掛けた。
「あんた、知らない顔だね。何処から来たんだい」
女は驚き、一目散に逃げ出す。
「あ!ちょっと!」
逃げるとは益々怪しい。お魎は女を追い掛けた。女にあと指一つで届くまでに追い付いたその時、お魎の草履が足から脱げてしまった。
「うえ!?」
お魎は前のめりになり、追い掛けていた娘の背中へと突っ込んだ。二人は縺れ合い、坂を二転三転してようやく止まる。
「あたた……」
お魎は上体を起こすと、女がぐったりしているのに気付いた。
「ちょ、ちょっとぉ……大丈夫~?」
頭を打ったのか女は気絶しており、一向に目を覚まさない。
「弱ったなぁ、放っておけないし……」
などと呟きながら、お魎は彼女を背負い、来た道を引き返した。
宴会場まで戻ると、蓙に女を寝かせる。提灯の明かりの下、改めて顔を見ると中々の美人であった。
肩まである髪は横分けにしてあり、段差のない直線的な黒髪は艶が目立つ。とても女の子らしい。
着ている浴衣もそれなりに綺麗な物で、村人が着ている物とは一味違う。隣村のお金持ちの家であろうか。
綿流しも終わり、皆がぞろぞろと戻ってくる。
その人込みの中に、お魎は自分の母親の姿を見つけた。
「お魎、その娘さんはどうしたのですか?」
「ははは、これにはちょっと訳ありで……」
お魎は先程の事を話した。
「またあなたは、乱暴な行いをしたのですか」
「ち、違うよ~。わざとした訳じゃ……」
お魎は唇を尖らせて、ぶつぶつと釈明した。
「とりあえず、その娘さんを家へ連れて来なさい」
「はいは~い」
園崎夫人は目を細めてお魎を睨む。
「はい、は一回」
園崎夫人はお魎を叱り、歩みを進めた。お魎はまた正体不明の娘を背負い、母の後ろへと続いた。

【お魎と弥生(3)】

「ふい~~っ」
謎の娘を背負い、園崎家まで帰り着いたお魎は浴衣の胸元を開け、ぱたぱたと空気を送り込む。
それを見ていた園崎夫人から、はしたないと頭を叩かれた。
「お魎、この娘を看病してあげなさい」
「はいは~」
夫人が目をきりっと向けると、お魎の返事は二つ目の途中で止まった。夫人は不敵な笑みを残し、退室する。
お魎は自室に布団を二組敷き、一方に娘を寝かせた。
「お~い、生きてるか~い」
お魎は、一向に目を覚まさない娘が死んでいるのかと思い、声を掛けた。
「……返事がない。ただの屍のようだ」
と、お魎はけらけらと笑った。
「なぁ~に遊んでんだい」
「うわぁっ!?」
襖の影から園崎夫人がにょきっと顔を出した。
「遊んでないで、あんたも寝な」
夫人はぴしゃっと襖を閉めた。お魎はそうするか~と思い、石油ランプの火を消して布団に潜り込んだ。

「お魎!いつまで寝てるんだい!」
朝になると、お魎は母にたたき起こされた。
「弥生ちゃんはもう朝食取ってるわよ」
「ん~、もうちょっと寝たい~。……弥生?」
お魎ははっと顔を上げると、隣に敷いてあった布団は綺麗に畳まれており、昨日の娘の姿は消えていた。布団を跳ね退け、食卓へと急いだ。
「あ、お早うございます。先に頂いております」
食卓には昨日の娘が、沢庵漬をこりこりと良い音を立てながら、白飯を口に運んでいた。
「あんた、体は大丈夫なの?」
「はい、この通り。昨日は私を運んで頂いたようで、ご迷惑をおかけしました」
娘は下げた頭を上げると、にこっと笑顔を見せた。
「弥生ちゃんはね、興宮の大きな家のお嬢さんで、綿流し祭をわざわざ見に来たんだそうだよ」
園崎夫人が、飯を装った二人分の茶碗を食卓に置き、お魎に説明した。
「人の臓物を……あっと、食事中に失礼。アレを引きずり出すお祭りだと興宮では噂されていたので、一度見てみたいと思ってたんですよ」
「ふふ、そんな血生臭いのが好きだなんて、弥生ちゃんは変わってるわね」
「いざ奉納演舞が始まったら、布団の綿を掻き出していたので、ちょっと安心しました。やっぱり噂は噂なんだって」
「昔は本当にあったみたいだけど、今はそんな時代じゃないわよ」
弥生と園崎夫人は二人で楽しそうに談話している。
「昨日はなんで私から逃げたのさ?」
お魎は二人の話に割って入った。
「よそ者はお祭に参加できないと思ってたから、隠れて覗いていたの。そうしたら急に声を掛けられて、怖くなっちゃって……」
「ほら見な!あんたが驚かせなきゃこんな大事にならなかったのよ」
園崎夫人はお魎の頭をひっぱたいた。
「も~~、あんまり頭叩くと禿げちゃうよ」
「禿げるか!」
二人の漫才に弥生は笑い声を上げた。
朝食を済ませた後、二人は園崎夫人が入れたお茶を頂いた。
「そうだ。お魎、あんた雛見沢を弥生ちゃんに案内してやんな」
「お祭りの片付けはいいの?」
「いいんね。そんなに物はないし」
雛見沢は隣村から恐れられており、屋台業者なども寄り付かない為、この時代の綿流し祭は簡単な物であった。
奉納演舞の飾り付け、提灯、蓙、宴会のゴミなどを片付ければ終わりである。
「あ!そうだ。神社の茂みに自転車隠したままでした」
「自転車!?自転車持ってんの!?」
「うちの御祖父様が新しい物好きで、私に贈ってくれたの。興宮から雛見沢まで遠いから乗ってきたのよ」
「へ~、弥生のお爺ちゃんハイカラだね~。よし早速行こう!」
二人は草履を履いて園崎家を出た。夏の陽射しが肌を突き刺すが、今日は風があるおかげで少しは涼しい。
「さて、まずは神社まで行こう。私も自転車に乗ってみたいしね」
「すぐには乗れないわよ。練習してコツを掴まなきゃ」
「大丈夫。私、運動神経はいい方なんだから」
二人は古手神社へ向けて歩き出した。
TIPS【お魎と弥生(4)】

坂を下った処で、お魎はある家を指差した。
「ここは教室を開いてる先生の家。昔はよく怒られたな~」
「園崎さんて、悪さばっかりしてたの?」
「まあね。教室の戸を釘で打ち付けたり」
「あはははは!」
「ところで……」
お魎は口を尖らせて、申し訳なさそうな表情で弥生を見つめた。
「その、園崎さんって呼び方変えてくれないかなぁ。なぁんか堅苦しくって。出来たら下の名前で呼んで欲しいな」
「そう?じゃあ……魎ちゃんってのはどう?」
「ちゃ、ちゃん付け~?私、そんな女の子らしくないよ~」
お魎は照れたように頬を撫でた。
その反応が面白いのか、古手神社に着くまで、弥生はお魎をちゃん付けで呼んでからかった。
古手神社に着くとお魎が、雛見沢を一望できる取って置きの場所を案内する。と言って階段を上って行った。
神社は園崎夫人が言っていた通り、既に片付けられていて、祭りの名残といったら提灯ぐらいである。
境内の裏手へ入って行くと、小さな祠がある開けた場所に出る。そこには絶景が広がっていた。
「すっ……ごい」
弥生は目を見張り、呼吸が一瞬止まる。夏の太陽の力を頂き、山が、樹木が、花がその息吹きを力強く放っていた。
その自然と寄り添うように合掌作りの民家が立ち並んでいる。
景観を壊さず、見事に自然と文化が融合していた。
「綺麗でしょ。私はここから見る雛見沢が一番好きなんだ」

雛見沢の景色を堪能した二人は、古手神社の階段を降りていった。
弥生はあっちあっちと指差し、お魎を誘導する。弥生は草村の中から隠していた自転車を取り出した。
「おお!乗らせて乗らせて!」
お魎は自転車に跨がるとペダルを漕いだ。
「あれ!?魎ちゃん、乗れてるよ!」
自転車は前進していく。お魎は上手く乗りこなしている……ように見えた。
「弥生ー!どうやって曲がるのー!?」
「……え?」
お魎を乗せた自転車は民家の玄関口へ突っ込んだ。そこの住人らしき、中年の女性の怒声が聞こえる。
その後、お魎と弥生は住人に叱られ、解放された。
「いやぁ、まいったまいった。あそこのオバサンに怒られたの何年振りかな」
「あはは、魎ちゃんっていろんな処で怒られてるのね。それじゃ、私が漕ぐから魎ちゃんは後ろに乗って」
弥生が自転車に跨がると、お魎はその後ろに付いた。
自転車はゆっくりと走りだし、弥生がペダルを漕ぐ度に速度を上げていく。
「早い!早い!わはっ!」
景色がどんどん変わっていく速度感。風が着物の中を通り抜け、体が空気と一体化するような感覚にお魎は酔いしれた。

お魎の誘導で弥生は自転車を漕ぎ、雛見沢の見所を一通り見て回ると、園崎家へと戻って来た。
「今日はありがとう。とっても楽しかったわ」
「また雛見沢に遊びにおいでよ!え~と、水曜日と金曜日は習い事があって、私はいないけど」
「習い事?」
「剣道と合気道、それと琴とお花。未来の園崎家頭首として恥ずかしくないようにってのと、花嫁修行みたい」
「大変だね~。今度、魎ちゃんの琴聞きたいな」
「だ、だめだめ!琴と花は全然上手くならなくって!剣道なら自信あるんだけどね」
「あはは、それじゃあ水曜と金曜以外に狙って遊びに来るね」
「うん」
弥生は自転車を漕ぎ出す。
お魎は弥生の姿が見えなくなるまで見送った。
TIPS【お魎と弥生(5)】 
 
それから二人は、都合が合えば毎日のように会うようになった。 
魚釣りを楽しんだり、山菜を採りに山に入り、迷った事もあった。お魎に教わって弥生が花を活けると、弥生のほうが上手かったりした。その時のお魎の心境は複雑であったであろう。 
 
とっぷりと日が沈んだある日、園崎夫人は玄関で弥生を引き留めた。 
「弥生ちゃん、もう遅いから今日は泊まっていきなさい」 
「いえ、御心配なく、危なかったら自転車押して帰れますし」 
「泊まっていきなよ〜、鬼隠しになっても知らないよ〜?」 
お魎は意地悪そうな口調で脅かした。 
「お、鬼隠し?それは嫌だね……」 
弥生は目を瞑って、う〜んと唸った。 
「それじゃ、ご厄介をおかけします」 
「ふふ、気にしないで自分の家だと思ってね」 
園崎夫人はそう言って家の中へ入った。 
「……そんな……自分の家なんかより、素晴らしいです……」 
弥生は床に目を落とし、ぼそっと呟いた。 
「ん?弥生、何か言った」 
「ううん、なんでもない」 
弥生は草履を脱ぎ、園崎家へと上がった。 
 
その日以来、弥生は園崎家に泊まる事が多くなった。泊めさせて貰うだけでは申し訳ないと、弥生は朝食作りの手伝いや、風呂沸かし、掃除等々の家事を買って出た。園崎夫人からしてみれば、臨時のお手伝いさんが増えたようで助かっているようだ。 
だが、人の子を何日も預かるのに親御さんに心配を掛けてはいけない。一つ挨拶をと思ったが、弥生に中々言い出せずにいた。 
「あ、ちょっとお魎」 
園崎夫人は通り掛かったお魎に事情を説明し、それとなく切り出すようにと頼んだ。 
「ふっふ〜ん、なんか御礼してくれるの?」 
夫人はお魎の頭頂に手刀を叩き落とした。お魎は頭を摩りながら部屋へと戻って行く。そのうしろ姿は少々情けない。 
 
その後、夕食の時間が終わり、食後のお茶を啜りながら、園崎夫人はお魎がいつ切り出すかとやきもきしていた。二人は風呂から上がり、布団を敷いて横になった。 
「弥生、おやすみ〜」 
お魎がランプの火を消そうと手を延ばした瞬間であった。 
「ぅオイ!!?」 
園崎夫人のドロップキックがお魎を捉えた。 
「お、おばさま、どうされたんですか!?」 
「……ほほほ、なんでもないのよ。弥生ちゃんは横になっていて」 
夫人はぐったりしたお魎の襟首を掴み、引きずりながら廊下へと出た。 
「なぁにしとんじゃぃゴラァ」 
夫人の口調は最早ヤクザである。 
「あ、あれぇ?」 
「よもや、忘れたとは言わせないよ?」 
夫人の目は本気だ。 
「だ、大丈夫。覚えてるよ。明日には報告できるように聞いておくからさ〜?」 
その言葉を信じたのか、夫人はお魎の胸倉から手を離し、自分の部屋へと入っていった。 
「お、お待たせ」 
お魎はふらつきながら布団に入った。 
「おやすみ、魎ちゃん」 
「おやすみ〜」 
お魎はランプの火を消した。暗闇が辺りを包み、物音一つしなくなると、外にいる虫の鳴き声が一段と大きく聞こえるようだ。 
「……弥生?」 
「ん?」 
「あのさ……弥生の親御さんは、弥生が何日も外泊しても何も言わないの?」 
「………………」 
「心配かけちゃ悪いから、母さんが一度挨拶しなきゃって言ってるんだ」 
「……私の家って、とても居心地が悪いの」 
「え?」 
「母も父も仲が悪くてね、父が帰ってくると二人はいつも喧嘩ばかりしてるの。私が外泊してても、何してても心配なんかしない」 
「…………」 
「だから挨拶なんかしなくても大丈夫だよ。それより、出来たら暫く、私を此処に置いてほしい。出来るだけ家には帰りたくないのよ。今は此処が凡てを忘れていられる私の一番の拠り処だから……」 
「弥生……」 
弥生の最後の言葉が、とても苦しそうな、息が詰まったような言い方だった。弥生が泣いているような気がして、お魎は弥生の手を暗闇の中から探し出し、強く握った。 

TIPS【お魎と弥生(6)】

雨が降ったある日、外で遊べず二人は室内で読書をしていた。
お魎は普段あまり本を読まない。本と睨めっこしているが、一向にページが進む気配はない。ようやくページをめくったかと思いきや、またページを戻したりしている。
「退屈だなぁ~」
ついに飽きたのか、お魎は本を投げ出して呟いた。
「あ、そうだ」
横で一緒に本を読んでいた弥生が、急に立ち上がり、いつだったか興宮の自宅から持ってきた深い茶色の木の箱を持ち出した。お魎は何が始まるのだろうと横から覗き込む。
木の箱を開けると、また木の箱が入っており、右の区切られたスペースには銀色の金属の円盤が何枚か入っていた。弥生は円盤を取り出して横に置くと、中のもう一つの箱を取り出す。
その箱の蓋を開けると、中はごちゃごちゃと機械仕掛けになっていて、先程取り出した円盤と同じ物が、真ん中に一枚組み込まれていた。
「……これなに?」
この手のややこしい物が苦手なお魎は、しかめっ面で首を傾げる。
「これはね。ディスクオルゴールっていうの。私の一番の宝物」
弥生はそう言うと、ゼンマイをかちかちと回した。すると金属の円盤は勝手に回り出し、音楽を奏で始めた。
隣で見ていたお魎は、おおと驚きの声を上げた。退屈していた気持ちはどこかへ吹っ飛び、お魎は目を輝かせてオルゴールが奏でる音色に耳を傾ける。
「これも旅行好きの御祖父様がお土産にくれた物なの。たしかスイス?とかドイツ製とかいってたかな」
一曲終わると弥生は慣れた手つきで円盤を交換して、またゼンマイを巻いた。すると今度は、先程とは違う曲を奏で始めた。
「あれ?この曲って」
「子守唄だよ。向こうの曲ばかりだとツマラナイだろうって、御祖父様が職人に作らせたんだって」
「へ~!いいね~弥生は。私にも旅好きで珍しい物をくれるお爺ちゃんが欲しいよ。うちの爺ちゃんなんて、上げるって言ったら新しい草履くらいなもんだよ」
あははっと弥生は笑い声を上げた。
「ほほぅ、これはこれは珍妙な」
そこへ園崎夫人がひょっこり現れた。
「あ、おばさま。そろそろ夕食を作る時間ですか?」
「そうね。弥生ちゃん、手伝ってくれるかい?」
勿論です、と弥生は立ち上がった。
「魎ちゃん、好きに聞いてていいからね。ディスクの換え方はさっきのでわかる?」
「ん~大丈夫」
手をひらひらさせて、背後にいる弥生へと答える。弥生はその手を見ると台所へと去って行った。
お魎は畳の上で俯せになり、ディスクの回る動きを眺めながら、奏でる曲に合わせて指でとん。とん。と畳を叩いてリズムを取っている。
「いいね~オルゴゥル~」
気に入ったのか、お魎は独り言でそう呟いた。
しばらくすると、リズムを取っていた指はぴたりと止み、お魎は眠り込んでしまった。

TIPS【お魎と弥生(7)】

「なあんとわっしゃあ北条のくそガキを許さならなとね!!」
「なら決まりだな!!てめぇは俺の仲間の敵だ。ってことは俺の敵だ!!今この場で息の根を止めてやるぜえ!!」
その怒声に驚き、お魎は目を覚ました。
そこは、園崎本家であったが、お魎がオルゴールを聞いていた部屋とは二つも離れている。
部屋全体に霧のようなものが立ち込めていて視界がハッキリしないが、霧の隙間から所々見てやると、どうやら布団に入って上体を起こしている老女と少年が怒鳴り合っているようだ。
部屋には他にも大勢の人がいた。黒服の男達、若い女の子が四人、白い服の男、和服の女性であった。
その和服の女性と老女以外は皆、洋服であり、お魎は不思議な光景だと感じた。
洋服は、まだ都会人の仕事着であり、普段着に着るものではなかったからである。
それよりも四人の女の子の内、二人は自分とよく似た顔をしているではないか、とお魎は驚いた。
そして和服の女性、これも自分の母親にそっくりだとお魎は驚いていた。
彼女達は何者なのか?何故、自分がここにいるのか?お魎は疑問で頭がおかしくなりそうであった。

「魎ちゃん!!!」
弥生の声でお魎は目を覚ました。
お魎は思わず辺りをきょろきょろと見回す。そこはいつもの園崎家であった。
頭の横には、オルゴールが音楽を奏で終わって停止していた。
「うなされてたよ?」
「……寝ちゃってたのか……」
お魎の額や首筋は汗でべっとり濡れていた。不快感を取り払おうと浴衣の襟をつまみ、はためかせて風を送る。
「もう夕飯できたよ。食べよ?」
「うん……」
不思議でどこか現実感のある夢を見た後ということもあり、お魎はなんだか宙に浮いているような、意識の半分を夢の世界に置いてきてしまったような変な気分であった。
変な気分と汗の不快を取り払う為、お魎は顔を洗ってから食卓についた。

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最終更新:2008年04月15日 21:39