718 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/02/21(水) 11:05:34 ID:xGP4UjY4

朝、職員室にはもう知恵先生と海江田校長が来ていた。

「おはようスネーク君、昨日はお手柄だったそうであるな。」
「おはようございます、スネーク先生。昨日は大変でしたね。」
「おはよう、校長、知恵先生。あの後の話し合いはどうなった?」

裏山から沙都子を連れ戻した後、北条家の今後の処遇についての会合が開かれた。
その時、俺は沙都子との勝負で傷だらけだったので、事情を説明した後に治療に使う小物を貰って帰ってしまった。

「ああ、村の総意で北条君はそのまま古手君と同居、北条兄妹の親権を北条君の叔父から買い取る事になった。」
「そこまで話が進んだのか?」
「前原君達の名演説がありましてね、沙都子さんがあんなになったのに一緒に住まわせる気かーって。
 前原君、青年会に働きかけるようにお魎さんにも掛け合ったそうですね。」
「うむ、前原君の働きがあってこそであったな。親権は形式上園崎君の母上が引き継ぐ事になっておって、早速今日から北条の叔父と話し合うそうだ。」
「えらい大事になったな。……沙都子にも母親が出来るって事になるのか。」
「ええ、園崎家のお魎おばあさんが前原君に首根っこを掴まれて柱に頭を叩き付けられながらケジメをつけろって脅されて、しぶしぶ従ったそうですよ。」
「圭一がそんな事までやったのか。流石と言うかなんというか……。」
「圭一君に問い詰めたらそんな事はしていないって言うんですけどね。」

知恵先生が笑いながら会合の様子を話す。教師として、教え子の取った行動がとても誇らしいといった感じだった。
そして、校長がそろそろ頃合か、といった具合に話を締める

「さて、そろそろ生徒達が来る時間ですぞ。何時もどおりに頑張ろうではないか。」
「スネーク先生も行きましょうか。」
「ああ。……ところで知恵先生、今日の放課後は開いてるか?例の件で話がをしたい。」
「昨日は忙しくてお話出来ませんでしたからね。でも今日はダメです、前原君たちが先生に恩返しをしたいそうですよ。」
「そうか……でも、いいのか?」
「ええ、生徒の申し出は断れませんからね。昼休みにでもその話が出るんじゃないですか?」
「なら、また後だな。悪いが放課後は前原君達の世話になってくる。」
「ええ、それじゃあ授業に行きましょうか。」

723 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/02/22(木) 18:21:17 ID:s91EHATP
先生としての生活初日からハードな内容だったが今日の時間割には体育は入っていない様だ。
だからずっと座学が続いていた。

「スネーク、ここはどうやって解くんですか?」
「ああ、これはだな……」

知恵先生が年長組に方程式の解き方を教えている合間に手の回らない年少組の子達の勉強を見ていた。
多分、俺でも年長組レベルの授業は出来るだろうとは思うが。いつもは小さい子にかまけて年長組までは手が回らなかったから
スネーク先生が居てくれればその分、年長組にも授業が出来る。今まで教えられなかった分は私が教えたい。
そ彼女が授業の合間に言っていた。それに知恵先生は本職、教え子とずっと向き合ってきたというプライドもある、当然の反応だろう。
今までも知恵先生はこんな授業をしていたのだろうか。知恵先生は基礎だけをきっちり教えて応用は自分で解かせていたらしい。
生徒に教科書の問題を出すだけで、各々が自力で解き始める、どこかで躓いた子が出れば俺より先に周りの子が率先して教え出す。
学年も学力もバラバラだから一人に使える時間が限られる。そんな環境ならではの教え方なのかもしれない。
俺は本当に様子を見ているだけで、することが何もない。

「先生、ちょっといいですか?」
「富田君か、どうした?」
「いえ、ここではちょっと……」
「ふむ……。知恵先生、富田君を保健室に連れて行くが構わんか。」
「どうかしましたか?」
「気分が悪いそうだ、とりあえずベッドに寝かせて一時間様子見だ。」
「なら仕方ないですね。富田君、安静にしててくださいよ?」
「すみません、先生。」


「で、話ってのは何だ?」
「話すかどうか迷ったんですけど……岡村君の事です。」
「授業を抜け出してでも話しておきたい事か。わかった、誰にも話さん。」
「はい、特に知恵先生には。実は……昨日の体育の時間に岡村君が青い顔をして震えているのを見つけたんです。」
「昨日の体育?俺が倉庫に隠れていた時か。確かに圭一が叫んでいたりで少し騒がしかったが……。」
「はい、なんでも知恵先生に酷く怒られたとか……でも、それにしては様子があまりにもおかしかったと思います。」
「腰が抜けて怖がるほど怒られた、って事か……いや、例の悪口でも言わないとそこまで怒らないだろうな。」

初対面の時の知恵先生の豹変ぶりを考えれば腰が抜けるほど怒られる事もあるかもしれない。
だが、体育の時間に何の脈絡も無く、知恵先生の目の前でカレーの悪口など言うものだろうか……。
いや、知恵先生には「教会の人間」というまだ見ぬ未知の顔を持っている、もしかしたらという事もある。
それに、雛見沢症候群……沙都子の例もある、用心に越した事は無いだろう。

「スネーク先生なら知恵先生と一緒に居る時間が長いだろうから、一応原因がわかるかもしれないと思って、それで……。」
「わかった、それとなく探りを入れてみる、後で岡村君にも話を聞いてみるさ。」
「わざわざすみません。僕、岡村君が心配で……。」
「ああ、わかった。俺は授業に戻るが、次の授業が始まるまでは大人しくしててくれ。仮病とはいえすぐに戻るのも何だろうからな。」
「はい、よろしくお願いします、スネーク先生。」
「そう呼ばれるのも悪くは無いがな、スネークでいい。後は任せて貰おう。」

732 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/02/23(金) 09:50:28 ID:n2Kfbl3l

TIPS:そして伝説へ…

「おはよう、圭一くん! 学校いこ! はぅ~! 今日もいい天気だよ~!」
 いつも通りにレナと合流して通学路を歩きだした圭一は、たちどころに異変に気付いた。
 どうもおかしい…
 毎朝通るこの道ですれ違ったり顔を合わせたりする村の人たちが圭一に向ける目つきや
表情が不思議な変化を起こしていた。
 誰も彼もが、感心したような、恐れるような、そんな目つきで圭一をしげしげと見つめるのだ。
「おはようさん! 前原屋敷の坊主!」
「あ、おはようございます…」
「やるもんだなあ…! もう村中の噂になってるぞ! いやあ、本当にやるもんだ!
 あの園崎天皇、お魎さん相手になあ…!」
「いや… その、俺は別に大したことは…」
「はぅ~ 圭一くん、照れてるよ~ かぁいい~」
「すごいチャンバラだったそうだなあ! お魎さんのナギナタ相手に、
 床の間のポン刀引っ掴んで切り結んだんだってなあ!」
「ええっ!?」
 圭一は目を剥いて絶句し、慌てて反論した。
「じょ、冗談じゃないですよ! 俺、そんな事してませんよ!」
「いやいや、照れるな、坊主! 大したもんだよ! そのうちゆっくり武勇伝聞かせてくれよな!
 じゃあな!」

「こ、こりゃ、いったいどうなってんだ?」
「すごいすごい! 圭一くん! あの魅ぃちゃんのおばあさまとチャンバラで勝負したんだぁ!
 レナも見たかったなぁ! はぅ~!」
「レナ! お前、すぐ後ろにいたじゃねーか! そんな事、俺はしてねえッ!」
「はぅ… そういえばそうだったね… じゃあ、これって…」
 気がついたら魅音と合流する地点に来ていた。
「おはようさん、圭ちゃんにレナ! まあ、そういうわけなんだよ!」

733 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/02/23(金) 09:52:11 ID:n2Kfbl3l
「あのなー、魅音! これっていったいどういう事だよ!」
「なにね、園崎家にもそれなりの体面ってものがあってね… そんな簡単にこれまでの方針を
変えたなんて世間に思われたくないって事なんだよね」
「つまり… 今回の沙都子に関する園崎家の手打ちには、それなりのカバーストーリーが必要
だって事か…」
「まあ、そういうわけなんだよね。悪いけど、ちょっとばかり噂話に付き合ってやってよ、圭ちゃん!」
「さては魅音…! 噂の出所はお前だな~!」
「さてさて~、何の事でございますやら、おじさん、わかんないね~」

「よう、前原くん! すごいじゃないか! お魎さんが集めた園崎組の猛者百人相手に、
 ドス一本で立ち向かったんだってな!」

「聞いたぞ、前原くん。園崎家に機関銃抱えて突っ込んだんだって?
 例のショットガンの辰を蜂の巣にしたとあっちゃあ、お魎さんだって、なあ…」

「あら、おはよう、前原さんちの… おばさん聞いたわよ? すごいわねえ!
 お魎さんとバズーカの撃ち合いしたんですってねえ…!」

「ひ、ひぃ~~っ!!」
 圭一を見るなり、何も言わずに悲鳴を上げて走り去って行く人までいた。

「おい、魅音… どういう事だよ…?」
「いやー、ははは… こりゃあおじさんも参った… まあよくある話だよ…
 流した話にいろいろ尾ひれがついてってのはさー」
「尾ひれどころの話じゃないだろ!? 角が生えてウロコが生えて巨大化したあげく
火まで吐いてるじゃねえか!」
「ま、まあ… だ、大丈夫だよ… ほら、人の噂も七十五日っていうじゃない?」
「はぅ~、七十五日まであと七十四日だよ! がんばろうね、圭一くん!」

738 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/02/24(土) 17:41:09 ID:nXNSZFGz

TIPS デートのお誘い

「……それでは、今日はこの辺で。」
所長の言葉で、会議室に集められた職員たちがぱらぱらと席を立つ。
その顔はどれも陰りを見せている。……無理もない。
東京の人事交代に伴い、小泉派は新理事会から追い落とされてしまった。このプロジェクトも、小泉

のおじいちゃんがバックアップしていたという理由であと2年の内に終えなければならない。
今や本庁からの定期監査は、できるだけ研究費を削減させないためのものでしかなくなっている。職

員たちのモチベーションが上がらないのも当然だ。
だが、私は違っていた。

「鷹野さん。……はい。」
やがて、職員が全員部屋から退出したとき、力強い腕が突然目の前に差し出された。
「お疲れさま。……ミルクはなしでよかったかい?」
そう言って、ジロウさんは紅茶のカップを机に置いた。
「ありがとう。……これは経費でいいのかしら?」
「あ、あはは……もうその話はやめてよ。これは僕のおごり。」
軽く意地悪を言って、琥珀色の液体に口をつける。……暖かい。
「でも、今はコーヒーが良かったかしら。紅茶も悪くないんだけれどね。」
「それのことなんだけど……最近根を詰めすぎてやしないか心配でね。たまにはちゃんと寝ないと駄

目だよ。」
「あら、体の心配をしてくれてるの。ありがとう、くすくす。」
「真面目に言ってるんだけどなあ……」
紅茶にはコーヒーとは違って鎮静作用がある。……ジロウさんは大概朴念仁の部類だけど、たまにこ

んなふうに細やかな気配りを見せることがある。……研究の中止が決まってからは特にそうだ。彼は

彼なりに気を遣っているのが分かって、でもバレバレなのが可笑しくて……少し心が痛む。

なぜなら、私が今しているのは悪魔の研究。人が手を触れてはいけない領域。
……先日、あの野村という女性が持ちかけてきたものだ。期日中に成果を出すことができれば、見返

りに大幅な予算がもらえる。おじいちゃんの研究が続けられるのだ。
あの日、奴らがおじいちゃんの論文を踏みにじった日から決心した。絶対におじいちゃんの業績を世

間に知らしめてやる。これはそのために必要なステップだ。誰にも邪魔はさせない。もし邪魔をする

者が現れれば……


739 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/02/24(土) 17:42:25 ID:nXNSZFGz
「……鷹野さん、鷹野さん?」
はっとする。……いつの間にか自分の世界に没入していたらしい。
「ああ、ごめんなさい、ジロウさん。何の話だったかしら?」
心配げに覗き込む顔。何か言いたそうに口を開いたが、言葉を続けることはしなかった。変わりに、

こんなことを言い出した。
「……鷹野さん、甘いものって好きだったかい?」
「え?」
一瞬無心に帰って聞き返す。そりゃ嫌いじゃないけれど、特別好きというわけでもない。
「実は、その……こんなものがあってね。」
そう言ってジロウさんがおずおずと差し出したのは、ええと、『エンジェルモート恒例デザートフェ

スタのご招待券』……? 意外だ、ジロウさんこんなものが好きだったのかしら。
「いや、その、たまには息抜きにデートでもどうかなあと思って……あはは……。もちろん気が乗ら

ないならいいけど。」
そこは多少強引にでも押すところでしょう。いつまでたってもこの人はデートのお誘いには慣れない

らしい。
私はちょっとだけそんな彼が可笑しくて、笑みをこぼす。
「ええ、甘いものは大好きよ。誘ってくれてうれしいわ。」
「ほ、本当かい!? いやあ、恥を忍んで頼んだ甲斐があったよ……!」
私はそこでデザートバイキングに縮こまりながら応募するジロウさんの姿を思い浮かべて、とうとう

笑いを抑えることができなくなってしまった。
「くすくすくす……! 私のためにわざわざ用意してくれたの? ありがとう。」
「いや、あ、あはははは……。」
夜も更けた広い会議室の中、二人して笑い合う。再び口をつけた紅茶は冷めてしまっていたけど、ど

うでも良くなっていた。

やがて笑いも収まった後、診療所に鍵をかけてジロウさんとともに外に出る。
……本当は残ってあの研究を続けたいところなんだけど、ジロウさんは許してくれそうになかったの

で。明日は朝一で来ないとね。……時間は少しでも惜しい。
「ねえ、ジロウさん」
「ん?」
6月の夜気は大分生ぬるくて、……私はふと尋ねてみたくなった。
「ジロウさんは、何があっても、私の味方でいてくれる……?」
「え……?」
彼は突然何を言い出すのかと目を白黒させて、……安心させるように声をいっそう和らげる。
「もちろんだよ。たとえ周りの人や本庁がみんな敵に回っても、……僕は君の味方だ。」
「……ありがとう、ジロウさん。」

805 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/03/12(月) 12:20:46 ID:ReeUZJtf
昼休みの鐘が鳴る。
知恵先生が授業の終わりを告げ、教室は昼食を準備する音や生徒たちのお喋りでにわかに活気づき始めた。
「スネーク先生、どこ行くのかな?」
廊下に出ようとする俺をレナが呼び止めた。
「ちょっと野暮用だが……俺に何か?」
見れば、レナの肩越しに教室の一角に机を寄せて陣取ったブカツメンバーたちが俺に手招きをしているのがわかる。
「スネークー! 飯食おうぜー!」
「今日は奮発してお重なんです。先生はたくさん食べそうだと思って、大目に作ってきちゃいましたよー。」
「詩音さん、なんだかそのお弁当嫌な予感がするのですけど……」
「みー☆ いっぱい食べてすくすくなのです☆」
「ななな、なんで頭を撫でるんでございますのー!?」
顔を真っ赤にして叫ぶ沙都子の姿は、もう何も問題ないように見える。雛見沢症候群のこともあるしまだ楽観はできないが……いや、と俺は口元を緩める。
沙都子にはこの仲間たちがいるのだ。きっと大丈夫だろう。
「それより沙都子、私のことはねーねーと呼んでくださいって言った筈ですよー。今や沙都子は名実ともに私の妹なんですからね!」
「実の妹にまでなった覚えはございませんわー! かってに改ざんなさらないでくださいませ!」
「あっはっは! じゃあ私も新しい妹分に何かしてあげなきゃいけないかねえ!」
「……みー、魅ぃが悪巧みの目をしてるのです。」
「だから撫でるのをおやめなさいませー! 髪の毛がなくなってしまいますわよー!」
「スネーク、ここに座れよ! 俺たち、昨日の礼にいいもの用意してるんだ!」
圭一が満面の笑みとともに、一つの空いた席を指す。……俺も一緒に食べよう、ということだろう。
有難いが、今は少し用がある。
「……有難う。でもちょっと悪いが先に食べててくれ。」
「はぅ、それでいいのかな、かな?」
「ああ。5分くらいで戻ってくる。」
そう言って俺は教室を後にした。


806 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/03/12(月) 12:24:14 ID:ReeUZJtf
そのまま少し古くなった木の廊下を進み、突き当たりのドアをノックする。
営林署の事務所を利用しているというその部屋には、「保健室」とかかれたプレートが掲げられている。
俺は返事を聞くとドアを引いて中に入った。
「調子はどうだ、岡村君」
「今はなんともないですけど……どうしたんですか? 呼び出すなんて。」
富田君の話を聞かされた後、俺はまず本人に話を聞いてみようと思い、授業中にこっそりメモを渡しておいた。
無闇に騒がれたらどうしようかとは思ったが、岡村君はきちんと意図を理解して昼休みになると同時に回りに怪しまれないようここにきてくれたようだ。
「ああ。……富田君が心配していたぞ、昨日から調子が悪そうだってな。」
「あー、大樹はそういうの気にしそうっすね。でもほんとなんでもないんですよ。」
「そうかな? 俺にはまだ顔色が悪く見えるが。……悩み事か何かあるんじゃないか?」
岡村君は一瞬固まって、曖昧に言葉を濁した。俺はそれが肯定のサインであることを見逃さない。
「それは、……昨日の体育の時間に起こったことじゃないか? もしかして、知恵先生がらみとか」
「あ、……あはは、ちょっとへましちゃって……。うっかりカレーの悪口を……」
「なあ岡村君、本当のことを教えてほしいんだ。知恵先生の前でカレーの悪口を言うことが以下に恐ろしいことか、君なら知っているはずだ。
あれは恐ろしい。正直死ぬかと思った。あれをまた喰らうくらいなら丸腰で兵士の群れに飛び込んだほうがまだましだ。」
「先生……ぶっちゃけ同感です……」
保健室の真ん中で頭を抱える男と少年。何故か深いところで通じ合ってしまった……。
やがて、岡村君がゴクリと唾を飲み込み、……ためらいがちに打ち明けはじめる。
「先生。これ、言っちゃっていいのかどうかわかんないですけど……スネーク先生だから、言います。」
彼がぽつりぽつりと語ったのは、昨日の体育の時間に隠れている俺を探しに、職員室に行ったこと。中に入ろうとして、何か神妙そうな一人の人間の声が聞こえたこと。
俺がいるのかと思いこっそりと覗いたところ、……知恵先生が、今まで見たことも無いような真剣な表情と口調で電話をしていたのを見たこと……。
『……はい。今のところは問題ないと。ええ。しばらくは泳がせておいたほうがいいでしょう。蛇は監視下に。その時がくれば、囲いに追って殺します』
え……?
「こ……ろ……?」
ころすって、漫画の悪役がよく言うような、あの、殺す?
でも、知恵先生が電話してて、それを相手に言って……いやいや、ころすなんて直接相手に言ったりはしない。
そりゃ脅しで言ったりはするかもしれないけど、あの知恵先生がそんなことするわけがないから、つまりころすのは相手じゃなくて他の誰かということで、………………あれ?
『五年目の祟りは、必ず――』
目が、合った。
それは、教室で朝の会を始めるときの優しい目でも、悪戯をした北条を叱るときの怒った目でもなくて、……感情のひとかけらもない、無色の――。
「それから、授業中に職員室に入ったことをちょっと怒られて、それからもういいから行きなさいって言われて…………怖くて何も聞けませんでした。口止めはされませんでしたけど、きっと言わないほうがいいって感じました。」

807 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/03/12(月) 12:25:49 ID:ReeUZJtf
それで話は終わった。
岡村君はぎゅっと唇を固く結び、どこか……覚悟を決めたような面持ちで白いシーツを見つめていた。
俺はというと、急いで今の話に思考をめぐらせていた。
――蛇を監視下に。今は泳がせておく。その時がきたら、蛇を囲いに追い込んで……殺す。
これだけのキーワードでは分からないことが多すぎるが、とにかく確実に分かるのは、知恵先生……いや、『弓』の属する組織は現在『蛇』を監視している状況であり、時が来れば……それが一定の期日なのか、作戦の一段階なのかまではわからないが、殺害するということだ。
つまり『蛇』とは少なくとも『教会』の勢力ではない。そして『蛇』の動きがこの先の教会の展開に大きく関わっているか、単に情報源の一つであるか。……現段階では分からないことが多すぎる。
一方で、ある単純な推測があった。
――『蛇』とは、そのままソリッド・スネークのことを指すのではないか?
緊張で手に汗がにじむ。俺は、すでに敵の腹中にいるということか・・・?
「……それならそれでいい。潜入(スニーキング)は慣れっこだ」
俺は面をあげると、深く沈んだ表情を浮かべている岡村君に声をかけた。
「ありがとう。よく話してくれた。知恵先生がどういうつもりでそんなことを口にしたのか……心当たりは無いでもない。安心しろ、知恵先生はお前たちに危害を加えたりしない。」
正直、気休めの言葉など慣れないが……俺を信頼して打ち明けてくれた岡村君を安心させてやりたかった。
「いえ……先生は、北条を助けてくれましたから」
「ん。聞いたのか」
「はい。……北条が村で悪く言われてたのは何となく知ってたけど、僕たちには何もできなかった。けど、スネーク先生が来て、たった一日でそんな空気は吹き飛んじゃったって、みんな言ってました。
特に大樹なんかはたから見て分かるくらい喜びようで……なかなか北条本人には言えないみたいですけどね」
「俺は……先生だからな。岡村君が困ったときも、きっと駆けつけてやる。」
「はい。ありがとうございます。――――竜宮さん?」
ハッと振り返った。
保健室の扉が僅かに開いていて、その隙間からレナの姿が見える――!!
「な、……何か用か? レナ。」
レナはおずおずと部屋の中に足を踏み入れる。……迂闊だった。話に熱中していてドアの開く音にすら気づかないとは……!
「はぅ、先生遅いから呼びにきたんだけど、岡村君とお話の途中だったのかな? まだかかりそうかな?」
「いや、もう済んだ。待たせて悪かったな。」
平静を装って立ち上がる。「何か聞いたか?」などと聞けばかえって何か勘ぐられてしまうかもしれない。
――レナ。もはやブカツメンバーは信頼できると判断しているが、エンジェルモートので見せたあの眼差しに射抜かれると、何もかも見通されるような気がしてしまう。悔しいが、このか弱い少女に少しだけ恐怖を抱いているのもまた、事実だった。
レナは岡村君をいたわりの言葉をかけ、二、三言交わすと俺の手を引っつかんだ。
「お、おい……。」
「はぅ~! じゃあ先生、早く戻ろー! みんなお腹ペコペコで待ってるよー!!」
「え? 先に食っててくれればいいって言ったぞ。」
「そうなの? みんな聞いてなかったみたいだね、だね!」
苦笑する。律儀にみんな俺が戻ってから食べるつもりだったらしい。悪いことをしたと思う反面、じんわりと嬉しい感覚がする。
「岡村君ももう体調は大丈夫だろう。ついでに俺たちと教室に戻ろう。」
「あ、はい。」
「スネーク先生には素敵なプレゼント用意してるんだよー!」
「おいおい、あの豪勢な重箱だけじゃないのか」
「うん、でもそれは放課後のお楽しみなんだよ、だよ!」

823 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/03/14(水) 01:14:38 ID:AFsqNzjX
TIPS 心の漣

『五年目の祟りは、必ず――』
ガチャッ… 電話を切った。
「岡村君、授業中に職員室に入ってきちゃ駄目じゃないですか。」
「は、はい…ごめんなさい…」
「もういいです。体育の授業中なんですから、サボっちゃだめですよ?さ、授業に戻って。」
「…わかりました。」
タタタタッ…
足音は次第に小さくなり聞こえなくなった。
電話を聞かれてしまったが然したる問題はない。私の目的も、真意も漏れているわけではないのだ。
…霊脈を利用した小型弾道ミサイルが、かの「メタルギア」に、しかもこのような高度な技術が教会でも魔術協会でもない、
全く未知の組織によって研究、開発されているということには私も驚きを隠せない。
正直、俄には信じがたいが、埋葬機関が私に命令を出すくらいなのだからそれ程の信頼できる情報なのだろう。
雛見沢は中々の霊地だ。霊脈を用いた研究をするための研究所を建てたのにも納得がいく。
 フィランソロピーの情報網の敏感さは耳にしたことがあったが、
まさか神秘の領域に関する情報まで嗅ぎ付けるとは思わなかった。
埋葬機関第七位の代行者として、魔術協会は勿論、他の組織にも情報が漏れないように処理しなくてはいけない。
その為に、メタルギアに詳しい、蛇を利用し、速やかに技術を盗み、データを抹消し、蛇を抹殺しなくては。
「――――ッ」
こんなことには馴れっこだ。表情一つ変えずに任務を実行してみせるだろう。
蛇は経験や、信念だけでは持ち得ない、何かがあった。しかし、そんなことは私の任務には関係ない。
速やかに、任務を実行し、結果を埋葬機関に報告する。教会の為に神秘を隠匿する。
それだけが私のするべき事だ。私のするべき事だ。私のするべき事だ…。

906 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/03/18(日) 19:02:55 ID:cn+X5UDi

「「いらっしゃいませ! デザートフェスタへようこそ!」」
入店するなり、うやうやしく頭を下げるウエイトレスたちに出迎えられる。
「あ、来た来た! 遅いよスネークー!」
「こっちこっちー!」
窓際のボックス席からブカツメンバーが揃って手を振ってくる。
店員に促されて彼らの席に向かった。
「失礼するぞ。……今日はどこか店の雰囲気が違うな?」
放課後の用事というのは、ここエンジェルモートで奢ってくれることだったらしい。
昨日、俺が沙都子を保護したことに対する礼と、沙都子の養子縁組が決まったことの祝いを兼ねて、盛大に飲んで食いまくろうということだ。
「そりゃあ季節に一度のデザートフェスタだからね! スネーク、周りを見てみなよ。」
「ん?」
他の客をよく観察すると……なんだろう、オタコンと同じ匂いがする。
単にデザートを食いに来てるにしては、眼に宿した光が相当ヤバめだった。
「ここの制服目当てで、マニアのお客さんが集まってるんです。」
横からトン、と水を置いてくれたのは……魅音の双子の妹の詩音だった。
一昨日と同様に、少々過激なコスチュームに身を包んでいる。
「昨日のこと……改めてありがとうございます。今日は遠慮なく注文して行って下さいね。」
そう言って他の席へオーダーを取りに行った。
……正直、沙都子を説得した後から何かと礼を言われ、そのたびにこそばゆい感覚を覚える。
日の当たらない仕事ばかりやってきたせいか、他人から真っ直ぐに感謝を向けられるのには慣れていないのだ。
「さあて! 私たちも頼みますわよ~! 皆さん何になさいます?」
「……ボクは激辛ビビンバが食べたいのです。」
「はぅ、梨花ちゃん、今日はデザートフェスタさんだよ……?」
「ありますよ?」
「「「あるの!?」」」
恐るべしエンジェルモート。なにかあぅあぅ聞こえたような気もするが、空耳だろう。

ひとしきり食って一段落すると、緩やかな空気が流れる。人間腹がいっぱいになると弛緩するものだ。
「ねえ、スネークは普段何して過ごしてるの?」
魅音がなにげなく尋ねる。
「筋力トレーニングが中心だな。アラスカでは釣りもよくやっていた。」
「へぇ~、とことんストイックだねぇ! ちなみに最大釣果は?」
「2メートルのキングサーモンだな。あれはなかなか食いでがあった。」
「2メートルって、すげえな! そんだけありゃ三日は生きていけそうだ!」
「サバイバル生活を地で行ってますのね……。なんなら今度雛見沢の森を案内して差し上げましょうか? 野生の狸なんかが獲れるかもしれないですわよ!」
「はぅ、ぽんぽこ狸さん……見つけたらレナにも教えて欲しいかな、かな!」
……。
すでにキャンプまで張ってサバイバルしていることは言わないでおこう……。
「沙都子たちはどうなんだ?普段の『ブカツ』では何をしている?」
それとなく探りを入れてみる。
「そういえば、部活のことは言ってませんでしたわね。」
「はいはい、そこはこの部長の出番だねー! 説明しよう! 我が部は、この生き馬の目を抜くような世情において、」
「簡単に言いますとゲームや勝負事をして暇を潰す集まりです。」
魅音の振り上げた拳が空を切る。
「し、しし、しおーん!! あんたもうちょっと場の雰囲気ってものをー!!」
「お姉ぇのことに限っては空気を読まないほうがいいと思ってますから。」
……なんとなくこの姉妹の力関係が理解できてきたような気がする。
それにしても、ゲームだと? やはり、薄々と感じてはいたが…………この子達は……。
「……僕たちはとってもお気楽な集まりなのです。」
ふと、……俺にだけ聞こえるような声の量で、囁かれる。
「ザ・メディウム……いや、梨花。」
「はい、ボクは梨花なのです。」
さっきから口数が減っていた少女が、呟くように語りかけてきていた。
その目は俺を真っ直ぐに見据えている。
「僕たちは、ただゲームをして遊んでるだけなのです。魅ぃが号令をかけて、沙都子が相手を罠にかけて、レナが隙を突いて流れを持っていき、圭一がビリから最後の大逆転に賭けるのです。そうやって毎日楽しく過ごしているのです。それを、わかってくれますか?」
この子は何か大切なことを伝えようとしている……。
ブカツメンバーは別の話題で盛り上がっていて、俺たちの会話には気がついていない。
「スネーク。私は今、ある賭けをしようとしている。この無間地獄を抜け出す可能性。それはこの世界にとっては些細なことかもしれないけど、今までの運命ではありえなかった。あなたが……沙都子を救ってくれるなんて、初めてのこと。これまでの世界では絶対にありえなかったこと。だから、私は訊きたい。」
熱の篭もった問いかけに、目で頷く。
いつの間にか机の下で、梨花の手が俺の手を取っていた。
「スネーク……私たちが、『ブカツ』が、あなたの敵ではない…………いいえ、あなたの味方にだってなるかもしれないといったら、信じてくれますか?」
単純な問い。信じるか、否か。
これまでの情報から当たり障りのない回答をはじき出そうとして、……やめた。
「信じる。」
そういった瞬間、梨花の目元が安堵にほころんだ。それを見て、俺の出した答えが間違っていなかったことを知る。
……そうだ。これまでの世界がどうであろうと知ったことじゃない。今この俺が彼らを信じているということは、曲げようのない事実だ。
俺は再び力強く頷いた。それを見て、梨花は意を決したように俺の手を強く握り、放した。
「……みー☆ みんな、部活をしませんですか?」
突然それまでの話の腰を折られ、部活メンバーたちが一斉に梨花に視線を集める。みな怪訝な表情だ。
「部活って……今ここで?」
「んー、一応他のお客さんもいるからねえ……。梨花ちゃん何かやりたいことあるの?」
「それは……。」
梨花は一瞬口ごもる。
「……スネークも、部活の仲間に入れたいと思うのです。駄目ですか……?」
「……俺を?」
まず意外そうな声を上げたのは、名指しされた俺だった。何を突然……?
俺は梨花の真意が推し量れないでいた。さっきの話を聞いてなかった他のメンバーは、尚更なんのことか理解できないだろう。そう思っていた。……しかし、実際の部活メンバーの反応は違っていた。
「いいじゃねえか。」
その声は、静まり返ったボックス席に朗々と響き渡った。少なくとも俺にはそう聞こえた……。
「圭一……」
「ほら部長、梨花ちゃんより新入部員の推薦だぜ! なにぼけっとしてんだよ。他の客の事なんて、俺たちにとっちゃ今更だろ?」
豪快に笑って魅音の背中を叩く圭一。それで妙な雰囲気は何処かへ吹き飛んでしまった。
「そうだね、おじさんとしたことが不覚だったよ! 私たちは部活メンバー、どこでだって真剣勝負だもんね!」
「スネーク先生なら資格は十分かな、かな! 沙都子ちゃんもそう思うよね?」
「勿論でございますわー! 梨花の入部推薦とあっては、認めないわけにはいきませんわね!」
俺は正直話の流れについていけてなかった。梨花がいきなり俺を部活の一員に推薦した意味もわからなければ、それがすんなり受け入れられ、トントン拍子に入部する運びになっている理由もさっぱりだ。俺の意思はどうなる……?
「水を差すようですまんが……ゲームなんて俺はできないぞ?」
「あ~大丈夫大丈夫! その辺は実戦でゆっくり慣れていけばいいよ!」
「……みー、それまでにスネークの貞操がピンチなのです。」
「どぁっはっは! スネーク、覚悟しろよ~!」
「あ~あ~。スネーク先生、雛見沢に来ていきなり大変ですね~。早速お姉ぇたちに振り回されることになっちゃうなんて。」
横から見ている詩音も、言葉では俺に同情しているようでいて、顔には野次馬特有の笑みを浮かべている。
しかし、……心底『それはいいなぁ』と笑いあうメンバーたちと、緊張が解けたせいか眩しそうに目を細める梨花の姿を見ていると、これはこれで悪くないか……という気分になってくる。
「じゃあ入部試験がいるねえ! ひっひっひ、何をして遊ぼうかな~!」
「せっかくこの店でやるのですから、それにちなんだものがいいですわね。……そうですわね、大食い勝負なんかどうですこと?」
「それはこの前亀田君たちとやったからなあ。もう少しひねりが欲しいとこだぜ。」
「こういうのはどうです? 実はですね、今日ちょうど発注ミスが大量にあって……」
部活メンバーの顔つきが、徐々に企みのそれに変わっていく。オタコンによれば、確かこういうのは『ジャパニーズ・アクダイカン』と言うんだったか……。
やがて、勝負方法が決まったらしい。詩音が厨房の奥に引っ込み、なにやら土木工事のような音を出している。……大佐、万一の事態に備え緊急脱出の許可を願う。
「は~い、傾注傾注~! それではこれより、ソリッド・スネークの我が部への入部試験を始める!」
「はい! 魅ぃちゃん、勝負方法は何かな? かな?」
「勝負方法はずばり……ジャンボケーキの早食いだぁぁ!!」
シャキーン!!
魅音が宣言し、どっと拍手が巻き起こる。気がつけば周りの客も何事かとこちらの様子を見守っている。
心なしか「待ってました!」とでも言いたげな期待に満ちた表情……。部活メンバーはこのオタコン風の連中とも接点があるのか?
「義郎叔父さんがケーキの材料を大量に誤発注しちゃってね~。生ものだから倉庫にずっと置いとくわけにもいかないってんで、なんとタダ!!で提供してくれるそうだよ~!!」
「うほっ! 太っ腹……さすが魅音の親戚だなぁ!!」
「しかし、すでに結構な量を食った後だぞ?」
「おっと会則第199条、『敵前逃亡は死あるのみ』だよー! 戦わずして負けるなんてことは許さないからね!! 大丈夫、死んでも骨は拾ってあげるから!」
「魅音さんの会則はねずみ算式に増えていきますわね……。」
「自分でもびっくりしてるくらいなのです。」
「さて、スネークの対戦相手なんだけど……梨花ちゃんと沙都子は小っちゃいから不利。となるとレナか圭ちゃんってことになるねえ!」
「あら? 魅音さんは立候補しませんの?」
ギクリ、と顔を引きつらせる魅音。
「い、いやいや、あははは! ここはおじさんが出るほどの場面でもないでしょ!! それに部員がどれだけ成長してるか確認するのも部長の義務……」
「お姉ぇは圭ちゃんの前でお腹ぽっこりさせるのが嫌なんですよねー♪」
「詩音ああああんたーーー!! さっさと準備に戻りなーーー!!」
魅音は真っ赤になって妹を叩き出す。
沙都子たちはその様子を不思議そうに眺めている。……いや、レナだけは口元を押さえて笑いをこらえているようだ。
「? まあいいや、それより対戦相手くらいはスネークに決めさせねえとフェアじゃねえな!」
「はぅ、レナが勝ったらあ~んな罰ゲームも、こ~んな罰ゲームもしちゃうんだよ~!」
レナの表情がヤバい。おまけにその両手は妖しくうごめいている。俺は本能的な危険を感じる……!
「罰ゲームだと? なんだそれは」
「くっくっく、会則第3条、負けた者には罰ゲーム!! そういえばちょうど大き目のメイド服があるんだよねえ……!」
「おいおい、入部試験から容赦なしかよ……! スネーク悪いことは言わねえ、俺を相手に選んじゃどうだ? 手加減してやるぜぇ?」
「ほう……」
手加減するだと?
さすがに聞き捨てならない台詞だ。
俺にも、戦士としてのプライドと言うものがある。これが俺の明暗を分ける大勝負だというなら…………手加減しないのはこちらの方だ…………!!
「後悔するなよ圭一。その『メイド服』とやらは、お前が着ることになる。」
「……! へっ、ようやくやる気になったみてえだな。上等だ、そっちこそ後で泣くんじゃn
「ジーク・メイドーーーーーーーーーッ!!!!!」
ガシャーン!!!
突然、奇声とともに一人の男が飛び込んでくる!!
「メイドのいるところ主あり!! 1億人のご主人様、Dr.イリー参じょうごっっ!!?」
スパパパーーーン!!
だが、男は着地するより早くレナの拳に撃墜される。
「うわ…………見えただけでも顎と眉間と人中に1発ずつ入ってたよ……」
「容赦ねえ……痙攣すらしてないぜ……」
「流石レナ嬢でござる……しかし、やり遂げた男の死に顔でござる……」
『大佐。脱出の許可』
『スネーク、幸運を祈る!』
ブツッ。
……アラスカ帰りてぇ。

……やがて、闖入者が息を吹き返し、何事もなかったかのようにずり下がった眼鏡を直す。
「ふふふ……この程度では私の沙都子ちゃんへの愛を止める事はできませんよ!」
「……あんたは?」
「あ、申し遅れました。私はこの村の診療所で医師をさせていただいている、入江京介という者です。ええと、失礼ですがあなたは……沙都子ちゃんたちのお知り合いですか?」
「昨日分校に赴任してきたスネークなのです。今、スネークの入部試験をやっているところなのですよ。」
「スネーク……! ではあなたが……!?」
男……入江は、ひどく驚いたように目を見開き、いきなり俺の手を握った。
「ありがとうございます……!」
「お、おい……。」
「あなたが沙都子ちゃんを……助けてくれたと聞いています……。ずっと私の心にわだかまっていたことが、こんなに早く解決するとは思っていませんでした……。」
ああ、と得心する。
確かに沙都子ちゃんの説得をしたのは俺だが、各所に渡りをつけて沙都子に対する村八分をやめさせたのは圭一たちだ。俺個人に対して過剰に感謝されるようないわれもない。
俺がそう言っても、入江はいいえ、と首を振る。
「私がずっと、どうにかしたいと思いながらできなかったことです。……いえ、本当はやろうとすればできたのかもしれない。しかし、私はしがらみに縛られ、何もできなかった……」
……しがらみ? 俺はわずかな引っかかりを感じる。
入江は『しまった』という表情をした。見間違えかもしれないが……。
「ええと、それで……先ほど『入部試験』と聞きましたが、スネークさんは教師なのでは?」
入江の疑問に対し、ちっちっち、と魅音が指を振る。
「私たちとスネークの間にそんな野暮は言いっこなしだよ。会則第201条、部活に対する挑戦と、入部希望者は拒まず! ただし、最終的にメンバーに認められなきゃいけないけどね。」
「なるほど。……では、私も参加してよろしいのですね?」
キュピーン、と眼鏡のレンズが光る。
「え? 監督も入部したいの?」
「いえいえ、後からやってきた分際でそこまで大それたことは望みません。ただ今回だけ、あなたたちと勝負したい! そう……沙都子ちゃんの、メイド姿を賭けてッッッ!!」
大仰なモーションをつけて沙都子を指差す入江。
「……この男は大丈夫なのか?」
「うーん、普段はとってもいい人なんだけど……あはは……。」
レナが苦笑する。成程、変人だが嫌われてはいないらしい。

「さて、それじゃあルール変更! 勝負はレナ&圭ちゃんチーム対、スネーク&監督チームのタッグマッチ! 監督たちは勝ったら特別に部活メンバーからお好きな人を選んで罰ゲームにしていいよ!」
「ちょっと待ってくださいませ!? 監督が勝ったら罰ゲームの生贄は私で決定じゃありませんのーー!!」
「安心してください沙都子ちゃん、ギリギリ合法でやりますから☆」
「ちっとも安心できませんわーーー!!? 圭一さん、レナさん、負けたらトラップ地獄ですのよー!!」
「そ……そいつは命が十個あっても足りねえな……レナ、負けたらえらいことだぜ!」
「絶対に勝たなきゃいけないね、私たちの未来のためにも!」
「……ふぁいと、おーなのですよ★」
星が黒いぞ…………梨花……。
「さぁて、じゃあお待ちかねの主役の登場!! あんたたちの敵は……これだッ!! 詩音、例のものを!!」
「もうケーキって言っちゃってるじゃないですかお姉」
魅音の合図とともに、詩音たちウエイトレスがワゴンでメインディッシュ(いや、メインデザートか?)を運んでくる。
机の上に乗せられたそれは、直径1メートルはあろうかという特注皿をさらにはみ出すような、巨大なホールケーキ……!
「すごいでござる、あんなの初めて見るでござる!?」
「高さも30センチはあるにゃりよ!?」
二皿で団体用の席が丸々占領されてしまった。
流石にこれは……早まったか……?
「へ、へへ……なあに、俺たちが力を合わせれば、こんなもの金魚の網よりも薄いぜ!」
「ふーん? それじゃあもう一枚重ねたってなんてことないですよね?」
ま、まさか……!?
詩音の邪悪な笑みに応えるように、続けて厨房から運ばれてきたのは…………フルーツとトッピングが山盛り乗せられた、二段目……!!
「ば、馬鹿な!! 魅音の叔父さんはどれだけ仕入れたんだよッ!?」
「はっはっは、材料費だけでちょっぴり店が傾きそうだよ!!」
「「「あ、阿呆かーーーっ!!」」」
目の前に現れた難攻不落の洋菓子に、レナも入江も戦慄を隠せない……!
「魅音」
「なに? 今さら無理だなんて泣き言は聞けないよスネーク!」
「三段目はまだか?」

「……は? 今、なんて?」
「俺と入江のチームには三段目の追加が必要なはずだ。他の参加者と違い、入江はデザートフェスタに参加していない。これではフェアじゃない。」
魅音、レナ、入江、それにギャラリーの視線が俺に集中する。
「く…くっくっく! なぁんでわざわざ馬鹿正直に言うかねえ、そういうことを!」
最初に場を破ったのは魅音の笑い声だった。
「会則第2条! 勝利のためには全力を尽くせ! あくまでも正々堂々、ってのはご立派だけど……スネークもまだまだ若いね! その美学をどこまで貫けるか、楽しみだよ……詩音~、三段目の追加注文ッ!!」
「スネークさん……」
入江も複雑そうな表情を浮かべる。
……真剣勝負に臨む以上、勝利よりも重視すべきものなどない。
戦場を渡り歩く俺には身に染みてわかっている。そして……恐るべきことだが……ここにいる部活メンバーたちもまた、それを理解している。
だからこそ……今の俺の行動は必要だったのだ。
「は……はっはっは!! やるじゃねえかスネーク!!」
魅音の、嘲るようなそれとは違う、心底から愉快そうな笑い声が上がった。
「け……圭ちゃん?」
「この条件の不公平さ……『俺が気付いてた』ことに気付きやがったんだな!?」
そう、俺は見逃さなかった。どちらのチームにも同じ量のケーキしか出されないことを確認し、圭一がその不公平さに気付き……それを『あえて指摘しなかった』ことを!
「ど、どういうことですのーー!?」
「みぃみぃ。保険、なのですね?」
梨花はすでに気付いていたらしい。まったく、油断がならない少女だ……。
「あえて不公平な条件のまま戦い、それでも圭一のチームが勝てれば良し。しかし俺たちのチームに敗れた場合は……その時点で初めて、条件の不備を指摘する。そのつもりだったんだろう?
 不当に有利な条件で勝ったとしても、それは完全ではない、傷のある勝利でしかない。周囲のギャラリーも、審判である魅音も、それに気付かされれば戸惑う。俺や入江自身でさえ、責められれば良心の痛みを感じるだろう。そこに付け入り、勝敗をうやむやにする……いや、逆転させることなど。お前にとっては容易いことだろうからな。」
たった一日で、村に根付いた体制、沙都子への迫害を止めてみせた男だ。灰色の勝利を黒に塗り替えることなど、退屈さえ感じる仕事に違いない!
さらに、圭一には土壌がある。梨花も圭一の戦いぶりを「ビリから最後の大逆転に賭ける」と評していた。それを知る部活メンバー、そしてギャラリーは、圭一の逆転劇を無意識に期待し、容認している。
他の者が行ったのでは単なる見苦しい悪あがき、後手に回った抗議でも、圭一が言うのならば受け入れられる……!
「で、でも、やっぱり不公平は不公平だしさ……ええっと……どーする??」
展開に取り残された感のある魅音が判断を迷っている。
「迷うことはないぜ魅音。……どっちみち、いくら待っても三段目なんか来やしねえんだからなッ!!」
「……まあ、そーゆーことらしいですよお姉。これ以上そこに重ねるケーキはないらしいです。」
魅音に促され厨房に向かったはずの詩音がいつの間にか戻ってきていた。
「ええッ!? なんでさ、材料はまだ余ってるんじゃないの!?」
「……わからないのか? 魅音」
説明しようとした俺の言葉を、圭一が仕草で制した。
「魅音。俺はぶっちゃけ、洋菓子にはぜんぜん詳しくねえんだ!!」
「へ……?」
いきなり何を言い出すのかと、魅音は目を丸くする。
「エンジェルモートに来るようになってからマシにはなったけど、昔はバタークリームと生クリームの違いも、バニラとミルクの違いもわからなかった!!
 だけど、そんな俺にも、心を込めて作ってるかどうかってのはわかる!! エンジェルモートの洋菓子は材料も焼き方も味付けも盛り付けも全部に心がこもってるッ!! 偉い人が言ってたぜ、洋菓子は食べる芸術品だってな!! 今なら俺にもわかるぜ、その意味が……痛いほどにな!!
 だから!! そんな誇りあるエンジェルモートのパティシエが!! たとえイベントのための作品でも……いやだからこそ!! 中途半端な作品を出してくるなんてありえねえ!! 見てみろよこのケーキの壮大さッ!! 長年パティシエやってたって、これだけの大作を作るチャンスなんて何回も巡ってくるもんじゃねえ!! 一期一会、だからこそ精魂込めて!! このケーキを仕上げたはずなんだッ!!
 だからッ!! この、フルーツとトッピングで完璧にデコレーションされた二段目にッ!! 参加者の腹具合なんていうくだらねえ理由のために、三段目を重ねちまう権利なんて……台無しにしちまう権利なんて、たとえ神様にだってねえんだよッ!!」
(僕は三段食べたいのですよ……あぅあぅ)

店内の温度が2度ほども上昇したような錯覚。周囲の客はスタンディングオベーション、ウエイトレスの中には感極まったのか涙ぐんでいる者もいる。魅音はそんな圭一の熱弁を真っ向から受け、がっくりとうなだれていた。
「け、圭ちゃん……おじさんが間違ってたよ……」
……敵ながら見事な扇動術だ。その言葉を聞く者は皆、影響を受けずにはいられない。
要は、二段目に仕上げのデコレーションがされていたから、これ以上の段は用意されていないだろう、というだけの話なのだが……
圭一が条件の不公平を先に指摘しなかったのは、それに気付いていたから……勝負の前に指摘したところで、追加の三段目が出てくるわけではない、と言うことを承知していたからでもあるのだろう。しかし……。
「……いいのか? 圭一。」
このケーキに三段目を重ねることはできなくても、ハンデをなくすため、入江に別のメニュー……パフェやアイスを余分に食わせる、と言う手段はあったはずだ。
だが圭一は、今のような熱弁を振るい、「参加者の腹具合なんてくだらない」と言い切ることで、自らハンデを埋めるチャンスを遠ざけてしまった。
それを圭一自身、気付いていないはずはない。甘んじてハンデを受け入れようというのか……?
「最初から保険を賭けて戦おうなんて、俺らしくないことしちまったからな。魅音や沙都子は先に手を打っておく戦い方だ、だけど俺は違う! 追い詰められてから実力を発揮するのが俺だ、あらかじめ用意された逆転劇なんて柄じゃねえ!!
 それに、一般人が俺たち部活メンバーに勝負を挑むってことがどういうことか、思い知らせてやるにはこのくらいで丁度いいぜッ!!」
俺を指して「一般人」とは……なかなか言ってくれる。
「……いいだろう。そこまでの意気込みを前に、あえてアドバンテージを手放す理由もない。『メイド服』を着るのがどちらか決しようじゃないか!」
「……みー。かっこよく決めても、結果が変態なのです。」


(入江先生。確認するが、今日は昼食を?)
(うっふっふ、抜かりはありません。午前の診療が長引きまして、朝食の後は何も口にしていませんよ☆)
(……もしや、勝負の方法を聞いて確認してから飛び込んできたのか?)
だとすれば、変人ではあるが、抜かりのない部分もあるようだ。
ともあれ、昼食分のアドバンテージは確保できた。さらに大人と子供の体格差、こちらの圧倒的有利は動かない!
だが、あの圭一が、勝算のない戦いに飛び込むとは思えない。
視線を向けると……予想通り、奴は笑っていた……!
「圭一くん、これはさすがに厳しそうだよ……。」
「……レナ。」
その眼光はあくまでギラギラと、野生の獣のように鋭い。
「スネークにメイド服を……着せてみたいとは思わないか?」
ぴくっ。
レナの目つきが変わる。
「短すぎるスカートを押さえもじもじと震える姿を見たくはないか……?」
声は低く、しかし店内に響き渡る。
レナの手元が落ち着きを失う。
あれは……来たる大勝負の前の緊張か……?
「清楚なソックスからスネ毛がはみだすのを眺めまわしたくないかッ!? レナ!!」
いや、あれは武者震い……!!
今やレナの体から溢れるオーラがはっきりとして、まるで目に見えるかのような錯覚を覚える……!
そしておもむろに舌なめずりをすると……
「ではっ、勝負始め!」
「はぅ~~~っ!! スネークのスネブッシュお~~~持ち帰り~~~ぃ!!」
開始の号令があるや、ものすごい勢いで平らげはじめるレナ!!
そのスピードは……は、速い、迅い、疾い! あっという間にフルーツ部分が狩られていく!!
さっきまでの飲食のダメージは無いのか……!? これがメイ・リンの言っていた、女性だけが所持するという奇跡の消化器官『ベツバラ』!?
「くっ、まずい出遅れた!! どうする入江先生!!」
だが、俺のパートナーは……余裕の笑みを浮かべている。
その表情の根拠が気にかかり、ケーキを切る手も休めて思わず尋ねる。
「ご主人様というのもね……楽じゃないんですよ。」
入江は手にしていたカップを静かにソーサーに置く。まるで今この状況が日々の習慣、優雅なティータイムであるかのように。
先ほどまでの狂態とは結びつかない、気品さえ感じさせるたたずまい。
俺はイギリスを吹き渡る風の匂いがしたような錯覚を覚える……。
「社交界の雄たるもの、人前で振舞われた食事を残すということなどは言語道断です。日本の大名も、御膳を残せば不服だと周りに受け取られ、責任問題に発展して最悪料理係が切腹なんていう事態にまで発展したといいます。
それだけ食べ残しはマナー違反、いえ重罪なのです。ましてやこれがメイドさんが主のために心をこめて作ったものだと思えばどうでしょう…! 残すわけがない、残せるわけがない!
愛するものの料理を残す者にご主人様たる資格などなーーーいっ!!」
イギリスの風が何か黒く禍々しいもので濁り、ティーカップはひび割れ、入江の眼鏡が光輝く。
……まあ、とにかく。こちらにも闘志はあるようだ。
高笑いしながらナイフとフォークを縦横無尽に操り、「何を恥ずかしがることがあるのです? 困る? ここをこうされることが、ですか? 何がそんなに困るんです? ご主人様の質問に答えられないと言うのですかッ!! その口はなんのためにあるのです? そんな口は……こうして、塞いでしまいますよ……?」等々と呟きながらケーキを嚥下していくその様は……今は、頼もしいと思っておこう。
「なっ……かぁいいモードのレナより迅いだとッ!?」
圭一が驚愕の声を上げる。入江がここまでの実力を発揮するとは計算外だったらしい。
ここでさらに突き放す……! 俺も入江に負けじとケーキに手を伸ばそうとする。
が……暴風雨のような入江のナイフさばきに妨害され、ケーキに手をつけることができない!
「入江先生、少し手を緩め……」
「そうではない、何度言ったらわかるのですか!? ガーターベルトは下着の下にッ!! 最後の選択肢を残すのです!! それは確かに最大の苦悩、しかし同時に最も甘やかな時間でもあるのですッ!! 妥協なく、真に望む未来を選び取るための、気まぐれに変節する嗜好であれ、その一瞬一瞬は紛れもない真実、優柔不断と笑わば笑え。ですがどちらかを捨て去ることなど私にはできないッ!! そうそれはあたかもメイド服の意匠にも似て、ホワイトプリムの有無!! ストッキングかニーソックスか!! エプロンにフリルは必要か否かッ!! 答えの出ないことを知りながらその時々に迷いに落ちる私は永遠の求道者であり悟りを目指す者、その名はご主人さ……」
入江の言葉と手が唐突に止まる。
どうした、と声をかけようとして、入江の額や鼻の頭に細かな汗の粒が浮き上がっていることに気付く。
顔中が紅潮し、驚愕に見開かれた目には涙が浮かび、喉からはシャックリのような断続的な咳が……。
俺は……これに良く似た状況を知っている。これは……この反応は……。
そして次の瞬間、停滞していた入江の生理的反応が爆発した。
「ーーーーーーーーーーーーーーーっっっっっ!!?」
席から転げ落ち、口を押さえながらのたうち回る入江。
「か……監督!? どうしたのさ!?」
魅音の呼びかけにも答える余裕はない。入江は突然に我が身に降りかかった事態を把握できない……!
涙を流しながら、くしゃみと咳の中間のような反応を繰り返す。
暴徒鎮圧用に使用されるペッパー弾……香辛料の刺激成分を濃縮したものを受けた者に酷似した反応!
ケーキに何か穏やかでないものが入れられていたことは明白だ。そして、それを行った犯人も……。
「……大丈夫か、監督? 慌てすぎて舌でも噛んだのか?」
さっきまで入江の勢いに気圧されていたとは思えない、落ち着いた口調。
着実にケーキを口に運んでいくその少年を、俺は見据える。
「……やられたな。お前がそのままおとなしくしているわけがなかった。」
「忠告はしたはずだぜ? 『これは部活メンバーとスネークたちとの戦いだ』そして『先に手を打っておくのが魅音や沙都子の戦い方だ』……ってな。」
不敵にそう言う圭一。その肩の向こうに視線をやる。
「お前が御伽話のお姫様のように、他人に自分の運命を任せきりにするわけはなかったな……沙都子!」
「あら、ようやく少しはご理解いただけたようで光栄ですわー!!」
勝ち誇った笑みを浮かべるこいつには、お姫様なんてものよりも、悪い魔法使いの方が相応しい……!
その手中にあるのは、ものものしく髑髏のマークがあしらわれた小瓶。
「あ、あれは!!」
「知っているにゃり、雷電どの!?」

――詐鈍死楚胡素(さどんですそうす)――
中国は秦末期、かの楚王・項羽が政敵を暗殺するために作らせた劇薬。
姿こそ伝統的な調味料・豆板醤に似ているものの、その辛さは多くの人間をショック死させたという記録が残っている。
なお、唐辛子という呼び名はこの香辛料が唐代の玄宗皇帝の時代のものと誤って伝えられたことに派生する。
           『良く分かる劇薬』 民明書房・刊

「まさか実在したなんてね……。」
「さすが沙都子だ、期待以上のものを使いやがるぜ……。」
あまりにも苛烈な罠に、ざわざわ、あぅあぅとどよめきが上がる……。
「申し訳ありませんわね。スネークさんに恨みはない、いいえむしろ感謝しているくらいなのですけど……そうやすやすと監督の意のままになるわけにはいきませんのよ。」
「おいおい、ひでえな沙都子。俺とレナを信用してないのかよ?」
「レナさんはともかく、圭一さんに任せられるわけがないじゃありませんのー!! それに勝負に全力をかけるのは私のポリシーでもありますわ。巻き込まれた以上、私も勝負の当事者でしてよー!!」
「で、でもいつの間に!? ケーキが運ばれてきてからは、誰も妙な動きはしてなかったはず……!!」
「なら……『運ばれてくる前』しかないな。」
俺の言葉に、魅音ははっと詩音を振り返る。
「詩音……あんたっ!?」
「……スネークさんと監督は大人チームですから、ちょーっと大人の隠し味を利かせてみました♪」
悪びれた風もなく笑う詩音。
……動きが少なくなり、静かに痙攣し始めた入江の様子を見ながらそういう顔ができるとは、なんとも末恐ろしい。
「詩音、あんた……なんの得があってえ!?」
「をーっほっほっほ! 詩音さんと私は義理の姉妹になりましたのよ? 姉は妹の我侭を聞いてくれるものですわー!!」
「それに、お姉はまさか盤外戦が反則だなんて言いませんよね? もともとの条件が公平ってわけでもなかったですし。」
「……そりゃまあ、そうだけどさ。」
ここで納得する魅音も、さすがに部長だと褒めるべきところだろうか……。
とにかく……完全な失策だ。部活に迎え入れられるということで、無意識のうちに緊張を緩めていた。
しかし、この戦いにおいては、圭一とレナは当然のこと、入江の魔手から逃れようとする沙都子、そしてその義姉の詩音すら敵に回している……。後半の二人については俺に原因はないが、入江とチームを組んだ時点で、俺は多数の敵に包囲されていた。同じく沙都子の義姉となった魅音までもがあちら側に傾いていないのが、不幸中の幸いと言える程度だ。
「みぃ、可愛い沙都子にはトゲがあるのですよ。かぁいそかぁいそなのです。」
俺が自分の状況認識の甘さを痛感している中、もう一人の中立勢力は、物言わぬ入江の頭を撫でていた……。

始まって何分かが過ぎた頃。
俺は、昏倒したご主人様失格を尻目になんとかレナたちのペースに喰らいついていた。
「まだ諦めないのか……いい根性だぜスネーク!!」
圭一の言葉には取り合わず、黙々と咀嚼を続ける。
……開始時にもらったお冷やは、まだお代わりをしていない。
水分を取って腹を膨れさせることは、飢餓状態に陥りやすいサバイバル下の原則だった。ならば、逆ならどうか?
訓練校時代の教えが今ここで活きてきたというわけだ。
……だがそれでも、速度において圭一たちとの差は大きい。
沙都子の仕掛けたトラップ部分を、入江が勢いのままに一人で処理してくれたのは幸運だったが……
それでも2対1ではペースが違いすぎる。このままでは勝敗は明らかだろう。
なにか逆転の秘策があれば……。
……2対1、か。
戦力に差があるから勝てない。ならば……その戦力差を、どうにかして埋めるしかない。
俺はトイレだと言って席を立った。とうとう最終手段(リバース)か!?と周囲がどよめいたが……できればそうしなくて済むよう願いたい。


「……こちらスネーク。オタコン、聞こえるか?」
「感度良好。さっきから様子は聞かせてもらってるよ。苦戦してるみたいだね。」
「それでなんだが……頼みたいことがある。」
「一応聞いておくけど、それは任務に関係ある話?」
「ああ。部活メンバーとのゲームに勝つという、極めて困難な任務だ。」
「はは、了解。でも僕にできることなんてあるのかい?」
「いや、大佐でもメイ・リンでも駄目だ。お前にしか頼めない。」
「へ?」


俺が席を離れている間、レナたちは手を休めていたらしい。
「もっと差をつけなくていいのか?」
圭一が苦しそうにげっぷを吐く。
「ああ。ちょうどいい食休みだぜ」
「その余裕がいつまで持つかな?」
「なんだって?」
そして俺は、すうっと深呼吸をする。
オタコンからレクチャーされた通りに……。
「……レナ、メイドに最も合う属性とはなんだと思う?」
ざわ…。
いきなりな発言に皆目を丸くしている。
だがここで退いては駄目だ。一気に畳み掛ける必要がある。
「メガネ? 王道だが、それだけでは弱い。ニーソ? 露出はいいものだが、もう一押し。ネコミミ?くだらん、猫の奔放さとメイドの従順さを混ぜ合わせたところで水と油だ。」
「え……えと……」
「そう、答えはツンデレだな。それも、年下の妹キャラのツンデレ! 親しさゆえのぶっきらぼうさの下から隠そうとしても隠し切れない好意!」
よし、完璧だ。
オタコンに、「沙都子をメイドにしたと仮定して、その場合にのみ発生する特有のチャームポイントは何だ?」と質問し、返ってきた答えを暗記した。意味は俺もよくわからん、というか知りたくもない。
「どうだレナ、お前は本当にそっち側にいていいのか!? 俺の側に来れば妹メイドを、メイドの沙都子を手中にできるんだぞ!」
しかし……。
予想を裏切って、俺の目の前にあったのは怪訝そうなレナの顔……。なぜかオタクたちは哀れむような表情で一様に俺を見ている。
はぁ、と溜息が聞こえた。
「そんなものか?」
「なに?」
「レナを味方に引き込むっていう発想はよかったな。……だけど、肝心の中身がてんで駄目だ。」
ばっさりと切って捨てられる。
「妹だと? たわけが! お前は沙都子の真の良さをまるで分かっちゃいない。
いいか、今巷には安易なツンデレキャラが溢れている。それはそれでいいだろう、求める声があるからこそ彼女たちは生まれるんだからな。
だが、それとメイドの食い合わせは、はっきり言って下の下だ!
いいか? そもそもすでにメイド属性の大切な要素として『従順』というポイントがある。
それとツンデレを足したらどうなる!? お互いの風味を打ち消しあってなにがなんだか分からなくなるだろうが!
いいか、萌えは足し算じゃない、掛け算だ! もともとの魅力が大きければ大きいほど、相反するものと組み合わせたときに価値が薄れると思えっ!
さらに言わせてもらえば、妹という距離感の近さもマイナスだ。
メイドとご主人様の間には、『身分違い』というセツナ萌えのファクターもある!! だが『妹』という身近さがここに加わればどうなる!? 恐れ多くて思いを伝えられない、下賎な身だからと己を卑下する、それが全てなくなるんだぞ!!
さらに古来メイドとは触れそうで触れられない、届きそうで届かないそんな微妙な距離感を象徴するものッ!! これに妹の近親のタブーが加われば一粒で二度美味しいとでも思ったか!? 笑わせるんじゃねえぇぇぇ!! 『近いようで遠いもの』と『近すぎて触れられないもの』この微妙なニュアンスの違いがわからねえようなら萌え師やめちまえぇぇぇッ!!
幼馴染メイドも妹メイドも俺に言わせりゃ侘び寂びが足りん、圧倒的にっ!
そしてニーソがありだといったな! だから安易に属性を足すなというのだ!
淑やかさに比例して裾の長さも長くなるものと相場は決まっている! メイドマスター・イリーがいみじくも言っていた、ミニスカメイドなどメイドではないとなッ!!
だが、それすらも俺は許そう。萌えは千差万別、多様な学説の存在はまた大きなテーゼを生み出してくれるのだからな。
だが……あんたの叫びはそれ以前だ。本当に心からそう思っているなら、俺や……この同志たちの心に触れる可能性もあるいはあっただろう。
だけどなあ、あんたの言葉からは魂が感じられねえんだよおスネェェェェェェク!!!」
うおおおおおおおおお!!! K!K!K!
観客は割れんばかりの怒号と拍手で圭一を褒め称える。
俺は一言の反論もできない……。
圭一の言葉の通り、元よりメイドに執着のない俺では、誰かの心を揺さぶることができるはずもない。
圭一のように、魂の篭った言葉でなくては……

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「彼の魂を揺さぶり起こすこともできなかった。」

「……なに?」
勝利を確信し、声援に応えていた圭一が俺を振り向く。
そう、全ては計算通りだ。俺がメイドについてどう語ったところで、所詮は付け焼刃。
レナを揺さぶることさえできず、圭一の熱弁に捻じ伏せられることは分かっていた。
俺のような未熟な扇動もどきを見せられて、圭一が反論せずにはいられないことも、知っていた。
圭一の、魔術と称されるほどの熱量を持った言葉でしか、この怪物を目覚めさせることはできないことも――知っていた――!!
圭一の瞳が、俺ではなく、別の人物の姿を捉える。そう、それは……


「……間に合った……。」

その声は、後悔と苦渋を知る者にしか出せない重みがある。

「……罰ゲームの様子を見かけるたび後悔しました。いつも、気付くときには手遅れでした……。」
「あ、……あんた……、……なんで…。」

観客たちが、梨花と、…梨花の後で幽鬼のように立つ男から、後ずさる……!

この勝負にはいくつも山があったから、脱落したヤツの様子までは詳しく見ない。
……圭一の演説に聞き惚れていたから、…気にしなかった。

部活のゲームでは部活メンバーであっても手ひどい惨敗はある。
…それでも無様な負け方だと思っていた。
梨花も、こんなヤツこの勝負に要るっけ?
羽入に運ばせようかななんて思っていた……。……でも、……でもでも、

「………私が、ずっとずっと、…一番したかった罰ゲームを言います。」
「……い、……………い、」

「沙都子ちゃん、」
「あなたを、」
「メイドです!!」

「イリィィィィィィィィィィィ!!」

「前原さん……いえ、あえてKと呼びましょう!
 よくも、語ってくれましたね……私の論を引き合いに出したその口で!!
 沙都子ちゃんはメイドに相応しくないなどと……世迷言をッ!!」
入江の周囲から、立ち上る感情の激流が視認できそうだ。
圭一が、この勝負が始まってから、初めて演技ではない狼狽を見せる……!
いや、しかしあれは……入江のプレッシャーに気圧されながらも、笑っている?
「イリー……あのダメージから復活してきたことには敬意を表するぜ……。
 だが、俺の語りを世迷言なんて言った以上は……沙都子にメイド服を着せる意味があるって、ちゃんと言葉で納得させてもらうぜッ!!」
圭一は、これほど圧倒的な存在を前にしても、まだ勝負を捨てていない。
この状況においてもなお、自分のフィールドに相手を引き込み、勝利しようとしている。
そしてその駆け引きを……楽しんでさえいる!
「け、圭ちゃん、正気ですか!?」
詩音が叫ぶ。この中でも特に入江をよく知っているのが彼女なのだろう。
いや、今日初めて入江に出会った俺でさえ理解できる……今の入江にメイドを語らせれば、それを聞く相手は発狂するか餓死するまで解放されないだろうと言うことを。
だがそれでも圭一は退かない。
「……いい覚悟です、K。萌化される決心がついたのですね?」
「冗談きついぜイリー……誰がそんなこと言ったよ?
 俺はッ!! あんたの沙都子メイド論を聞き、理解し、そして……完全に論破してやらあああぁぁぁッ!!」
……そう。入江がメイドの殉狂者であるように、圭一もまた口先の魔術師。
口先での戦いを前にして、逃亡など許されない、自身のプライドが許さない!
「愚かな……。いいでしょう、聞き分けのないメイドの教育もご主人様の勤め。反抗的なメイドの方が、教育し終えたときの充足感も大きいというものッ!! あなたと竜宮さんもまとめて私のメイドにして差し上げますッ!!」
「やれるもんならやってみやがれッ!! 沙都子とレナは俺がお持ち帰り☆だぜッ!!」
「は、はぅ、監督と圭一くん、どっちにお持ち帰られるんだろ……だろ。」
「ちょっとお待ちなさいましーーー!! 私はどっちが勝っても生贄なんですのーーー!?」
「……モテモテなのです。にぱ~★」

「K、あなたは先ほどスネークさんの言葉に魂が感じられないと言いましたが……その言葉、そのままあなたにお返しします!!
 あなたは本当に沙都子ちゃんのメイド姿に魅力を感じていないのですか!? あなたは口先の魔術師と呼ばれていますが……
 今のあなたは、自分自身の魂をさえ偽っているッ!! 勝負に勝つために詭弁を用いるのとは訳が違います、自分自身の本能! 男としての原点! リビドーまでをも欺いて、それで一体何が得られると言うのですか!?」
「ぐぅッ!! ……だが、イリーこそ胸に手を当てて考えてみな!! 沙都子をメイドにすることにこだわってるようだが、それは本当に沙都子でなければいけないことかッ!? まずメイド服ありきで物事を考えてるんじゃねえのかッ!! 沙都子はマネキン人形じゃねえ、笑って泣いてッ!! 怒って騒いでッ!! シャレにならねえトラップを俺に仕掛けてまた笑うヤツなんだよッ!! あんたは本当に沙都子本人を見てるのか!? 沙都子に一番相応しいのがメイド服だって言えるのかッ!! あんたは、沙都子のことをまっすぐ見ようとしてねえんだよおおおぉぉぉッ!!」
「否ッ! 否、否、否ァッッッ!! 見くびらないでいただきたいッ!! 私がメイドと名のつくものならなんでもいい、節操のない男とお思いですかッ!! 私がそんな邪なご主人様なら、なぜミニスカメイドを否定する必要がありますかッ!! 私は……私の理想を追い求め、そして沙都子ちゃんに出会ったのです!! 沙都子ちゃんにメイド服を着せようと思ったのではない、メイド服が沙都子ちゃんを選んだのです!! ツンデレと従順、妹と身分格差が矛盾するから沙都子ちゃんにメイドは向かないなどと……あなたこそ寛容を装いつつどこまでも保守的ではないですかッ!! 本人さえも気付いていないことですが、沙都子ちゃんにはメイドとして最高の資質があります!! むしろ私がご主人様を志したのは……沙都子ちゃんと出会ったからですッ!!」
「資質なんて関係ねぇッ!! 才能があったら絶対にそれをしなきゃいけねえのか!? 大成しない道は選んじゃいけねえのか!? そんな義務なんてねぇ、あったとしても知ったこっちゃねえーーーッッッ!! メイドとして最高の資質!? 沙都子は沙都子として最高の資質なんだよッ!! あの素直になれねえ癖に思いやりがあって、芯の強い性格も!! 意思の強さを示すようでいて、落ち込んだときにはその悲しさも強く表しちまって、守ってやりたくなる太い眉毛もッ!! 笑顔が一番似合うでっかい目も、トラップが成功したときに光る八重歯もッ!! ヘアバンドでまとめられた柔らかくっていい匂いのする髪の毛もッ!! ありのままそこにあるだけで100点満点なんだよッ!! なんで無理にメイド服を押し付けようとするんだ!! 沙都子はありのままでいい、むしろ裸のままでいいッ!! だがバスタオル一枚までは許すッッッ!!」
……間欠泉が噴出すように断続的に、ぷしっ、ぷしっと音がする。
入江と圭一、二人の熱弁の只中に置かれているレナの鼻血が止まらない……!
「Kェェェェェ!! 私は悲しい!! 結局あなたの行き着くところはそんな原始的な結論ですかッ!! リビドーを否定はしません、それは生きてゆくための糧にして人間に刻まれた行動原理、ですがッ!! それと同時に人間はまた、動物とは違う!! 一人では生きていけないか弱さ、そして他人のために身を投げ打つ美しさを持ち合わせた存在なのですッ!! その結晶とも言えるものが主従関係ッ!! ご主人様はメイドを守り、メイドはご主人様に尽くす!! 人間の原点はまさにこの関係性に帰着するのです!! 人の世にメイドあれ、私の家にもメイドあれッッッ!! K、あなたは沙都子ちゃんに服も与えずただ自らの望むところを押し付けるだけですか? それがあなたの愛だと胸を張って言えるのですかッ!! 私は沙都子ちゃんを守りたい、そして浅ましいことにその見返りもいただきたいッッッ!! 沙都子ちゃんを守るための衣服を、そして見返りに私のために料理や家事手伝いをッ!! こんなささやかな幸せすらK、あなたは許せないとそう言うのですかあああぁぁぁッッッ!!」
「イリィィィィィ!! だからなんでそうやって沙都子を縛りたがる!! 沙都子には無限の可能性があるんだよッ!! なんでメイド服という枷を与えようとしやがるんだッッッ!! 沙都子は天衣無縫、裸からならどんな服装にもなれるッ!! 俺は……俺は、メイド服しか着れない沙都子なんて嫌だ!! 沙都子にメイド服以外着ることを許さない世界なんてクソくらえだッ!! 俺は沙都子のスク水も見たいしちょっと背伸びしたセーラー服姿も見たい、逆にスモックと通園帽とか、待てよ梨花ちゃんとお揃いで巫女さんはどうだッ!? いやいや待てッ!! 料理や家事って言うならエプロンとかもグッとくるぜ!! もちろんエプロンの下は裸だあああぁぁぁッッッ!!」
「語るに落ちましたねK、あなたの羅列するそのコスチューム群、なぜそれだけ言ってメイド服がないのです!? スク水・巫女さんとまで来ればメイド服が挙がるのは必然、それなのにあなたは勝負に拘泥するあまり意図的にメイド服を避けているッ!! ですが萌えとは本来理性で押し留められるものではないッ!! あなたこそ、自分自身に枷を与えているではありませんかッ!! そんな風に自分を偽って、沙都子ちゃんにまっすぐ向き合えるのですかッ!! メイドの沙都子ちゃんを見たいという自分を押し殺し、沙都子ちゃんに嘘をつき、それで本当に沙都子ちゃんと通じ合えると思っているのですかッ!! 思い上がるなと言いたい!! 私は言えます、心底から魂の言葉で!! 沙都子ちゃんを!メイドに!したいとーーーッッッ!!!」
……沙都子をメイドにしようとする入江と、沙都子のメイド以外の魅力を次々に主張する……しようとしているらしい、圭一。
ただ愚直に鍛え上げた一念で貫こうとする槍と、無数の矢でもってそれを迎え撃とうとする弓……!
二人の沙都子に対する執念……いや妄執と呼ぶべきか、とにかく凄まじいエネルギーが場を支配している。
その余波にあてられた観客たちは我先に沙都子をお持ち帰ろうと殺到しては、魅音や詩音に撃退され、梨花に頭を撫でられている。
そして、そんな観客たち以上に影響を受けているのが、二人の結界がちょうど交錯するポイントに立たされているレナだ。
圭一と入江の中間地点、そこは沙都子にメイド服を着せる/着せない(むしろ脱がす)の二律背反に苛まれ続ける亜空間だ。
今やレナはメイド服を手にとっては捨て、捨てては拾うという動作を繰り返している。勿論、鼻血は一秒たりとも止まらない。
……もはやフェスタと言うよりも地獄絵図のように見えてきたが、こうする他になかった。
「……悪いな。」
金属と陶器が触れ合い、チィンと澄んだ高い音がした。
それを聞き、圭一が一瞬、わずかに気を逸らす。
壮絶な舌戦の中、この小さな響きを聞き分けたことは賞賛に値する。
だが、それは、逆に言えば圭一がそれだけこの勝負の行方に気を取られていたということであり。
俺がフォークを置いた音など耳にも入らなかった入江は、ただメイドにのみ集中力を向けていたということであり――
結局、その差が。そして勝負のために自らに枷を課していたか、そうでないかの差が、明暗を分けた。

「K。あなたはやはり目を逸らした。自分の業から、本当に直視するべきものから、目を逸らしたのです……!!」

――メイド・イン・ヘヴン――


「……しっかし、あれだけやっておいて、監督が囮だったとはねー……。」
俺と入江のテーブルの上、戴くものを失った特注皿を、魅音は半ば呆れるように見た。
……結局、ケーキは俺一人で完食した。そう、量の問題だけならばどうにかクリアできたのだ。
だがこれは早食い勝負だ。圭一たちよりも早く食べ切らなければ意味はない。
圭一とレナ、二人を相手にしてスピードで勝つことは不可能だった。
かと言って、俺には敵を仲間に引き抜くような話術も、二人を同時に妨害する手段もない。
ならば、この戦力差を埋めようとするなら……失った戦力を補充すればいい。
成功するはずのない拙い引き抜き工作を仕掛けたのは、圭一の反論を誘い、それを入江を呼び起こすための呼び水とするため。
そして逆境を喜ぶ圭一の性格ならば、入江という強敵を得れば、論争に熱中するであろうことも俺の計算のうちだ。
その間、向こうのチームはレナ一人でケーキに取りかからなければならない。
俺とレナ、1対1の勝負なら勝機が見えてくる……と考えていたのだが、まさかレナまで巻き込まれてくれるとは。
『カァイイモノ』への過剰な反応から、こういった二次的な効果もまったく期待していなかったわけではないが……
圭一と入江の力を過小評価していた、と言うのが正直なところだ。……もっとも、あれを理解したいとはまったく思わないが。
「……ところで。どうしたもんだろうねぇ、これ。」
圭一とレナと入江は、三者三様に力を使い果たし、エンジェルモートの床に頬を寄せていた。だがその顔は……皆それぞれに幸福そうだ。
「ふわぁぁぁぁぁん!! もうだめですわー!! 監督にさらわれてごむたいなことでお嫁に行けなくなるんですわー!!」
……対照的に、悲壮な泣き声を上げているのは、言うまでもなく沙都子だ。
「ある意味、もう充分罰ゲームになってたと思うんですけどねー……。」
疲れ切った様子で詩音が呟く。
「……沙都子がどんなことになっても、ボクはずっと沙都子のお友達なのですよ?」
梨花の言葉は全く慰めになっていなかった……。

4 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/04/06(金) 15:46:56 ID:yMlyNS4h
……結局。
その後滅茶苦茶になった店内を片付けた後、半ば自棄になった沙都子がメイド服に着替えるとやにわに入江たちが復活し、「オモチカエリ」しようと迫るので沙都子が窮鼠さながらのトラップワークで迎え撃った。
一向に決着がつかないので、最後には魅音の提案で「明日一日メイド服で過ごす」というところに落ち着いた。
「しかし今日は眼福でした、うっふふふふ……☆」
「はぅ、お持ち帰りしたかったな……」
「もうこんなのはこりごりですわぁ……」
レナと入江は満身創痍だが、その肌は心なしかつやつやと輝いて見える。対照的に沙都子はもはや精も根も尽き果てているようだ。
「しかし、こういっては何だが……案外普通だな」
「何がですの?」
「いや、「メイド服」とはどんなものかと気になっていたんだが……露出も多くないし、あれほど必死になる類のものだろうかと思ってな。これならむしろこの店の制服の方が過激なんじゃないか?」
入江が口を挟む。
「当然です。上品さを損なわないブリティッシュ・スタイルでありながら、沙都子ちゃんに秘められたポテンシャルを最大限まで引き出すように私がこの目で選んだ一品ですので。スネークさんもおひとついかがですか?」
「それは遠慮しておく」
そんなことになればオタコンたちに何を言われるか分かったものではない。
「まあ今回の罰ゲームは割合ソフトな方だったね。……でも、いつもこんなものと思っちゃだめだよ? これからの部活が楽しみだねえ、くっくっく!」
「いや、甘く見ないほうが良いぜ魅音。スネークの勝負強さは得体が知れないくらいだ……」
圭一がくぐもった声でそう云う。すでに俺の分の罰ゲームを執行済みだ。
「……しかし、シュールな絵面ですねえ。これはこれで面白いから良いですけど」
「それ以上言わないでくれ。……云いようのない屈辱感があふれてくる」
「明日までそのままだからな、圭一。慣れるとその中も結構快適だぞ?」
「それはスネークだけなのです」
圭一は頭からすっぽりとダンボールに覆われている。なんでもいいから罰ゲームをと云われ、とっさに思いついたのがこれだった。
結構似合っているぞ、圭一。

「ふぅ。今日はたっぷり遊んだねえ」
魅音はおもむろに立ち上がると、向き直って俺を見据えた。
「スネークの実力はしっかり見させてもらったよ。……うん、文句なし。正直ここまでやってくれるとは思わなかったよ」
「……ああ」
少し呆けたような声が出てしまったかもしれない。そういえばこれは俺の入部を賭けた一戦だったのだ。楽しくてそんなことも忘れてしまっていた。
……そう、楽しかったのだ。こんなに遊びに夢中になったのは、随分久しぶりなような気がした。
戦場に身を置くようになってから…いや、ひょっとしたらそれまでの人生も含めて。
「明日からもよろしくね、スネーク」
目の前の少女が笑う。
「ああ、よろしくな。部長」
そうして俺たちは硬く握手を交わした。これで俺も部活の仲間入り、というわけだ。

ドアベルが来客を告げたのは、その時だった。

5 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/04/06(金) 15:49:03 ID:yMlyNS4h
「いらっしゃいませー! ……ってあれ? お二人ですか」
入り口の方を見る。一組の男女が、詩音と挨拶を交わしていた。
男の出で立ちは帽子にタンクトップとラフなものだ。その肉体は良く鍛えあげてあるのが遠目からでもわかる。
女は淡い色のブラウスとパンツ姿。その仕草の端々にどことなく妖しい色気を感じる。知恵先生とはまた違うタイプの女性だ。
「あ、富竹さんと鷹野さんだね。スネーク先生は初対面かな?」
「……知り合いか?」
うん、とレナが答える。
説明によれば、男は富竹ジロウというフリーカメラマンで、年に数回雛見沢に野鳥撮影に訪れるのだそうだ。女は入江診療所……そこにいる入江の経営する病院に勤めている看護婦ということだ。
……それにしても、と入江の方を見る。この男、まだ若いのに一診療所の長とは……。
「……ん?」
詩音たちの方から笑い声が起こる。振り返ると、男……富竹が困惑したように苦笑いをし、詩音と鷹野がそれを見て口元を押さえているのが目に入った。
俺たちは早食い勝負の前に食った分の会計を済ませ、出口に向かう。
「いや、ここの制服はちょっと過激だねって思っただけだよ!」
「あれー? 富竹のおじさま、鼻の下が伸びてますよー?」
「あらあら、ジロウさんはこういうのが趣味だったのね」
「ち、違うよ……!」
「くすくす。ジロウさんのエッチ」
どうも女性陣が富竹をからかっている、という構図らしい。
「随分親しそうに見えるが」
「小さな村だから人と人とのつながりも深いんだよ。鷹野さんは村に一つしかない診療所の看護婦さんだし」
「なるほど、怪我や病気をしたら必ず世話になるからな」
「富竹さんももう何年も雛見沢にいらっしゃってるので、半分村の住民みたいなものですわ」
「富竹さんたちも今度の綿流しにもくるんだろ?」
「もちろんだよ。今年の綿流しは圭ちゃんもスネークも居てにぎやかになりそうだねえ!」
……ワタナガシ?
聞き慣れない単語を耳にする。大佐に聞くか……いや、今ここで彼らに尋ねたほうが早いだろう。
そう思って口を開きかけた時、鷹野たちがこちらの姿を捉えて話しかけてきた。

「あら、梨花ちゃんたちじゃない。奇遇ね」
「鷹野たちがデザートフェスタに来るなんて、珍しいのです」
「あれ、皆も来ていたのかい。……っていうか魅音ちゃん、ここの制服がこういう感じなんだって知ってたなら前もって教えてよ」
魅音の表情が意地の悪いものに変わる。
「富竹さんがどこかいい店教えてくれって言うから、詩音のバイト先のチケットあげたんじゃないですかー。デートスポットはちゃんとリサーチしとかなきゃだめってことですよ?」
「デ、デートってそんな……」
「あら、違うの? ちょっとがっかり」
「い、いや! 違いはしないけど、あ、いや」
「くすくすくす」
魅音たちの言うことを要約すると、魅音が富竹にデートスポットの紹介を頼まれ、デザートフェスタのチケットを手渡したということらしい。
エンジェルモートの制服はデートの場所にしては過激だ。魅音が少し悪巧みを働かせて、あえてこの店を選んだのだろう。……少し富竹に同情する。
「え、えーと、皆もデザート食べにきたのかい?」
「みー。力技で話題をそらしたのです」
「心配しなくても、邪魔者はさっさと退散しますわ~」
「あら、沙都子ちゃんその格好なあに? 可愛いわね」
「うっ。こ、これはその、罰ゲームで……」
沙都子が囃し立てると、鷹野にやりこまれた。まさに墓穴。
「沙都子ちゃんはメイドさんなんですよ、はう~っ☆」
「くねくねしないでください監督。果てしなくキモイです」
「い、入江先生……?」
「ああ富竹さん! 私は今最高に幸せです! 苦節二十年、ついに理想のメイドにめぐり合えた今日という日を、私は神に感謝したい――! このエプロンドレスがいいと君が言ったから6月16日はメイド記念日ー!」
「は、はあ……」
「……みー☆ 富竹市場で入江の株がストップ安なのです」
入江はくねくねと痴態を晒したかと思うと、突如沙都子に向き直りにじり寄るが、レナの拳で宙を舞う。
「……すでにこの一連の流れに慣れ始めている自分が恐ろしいな」
「あんたもすぐだぜ、スネーク……ふふふ……」
ダンボール圭一が不気味な口調で言う。
まあそれはそれで楽しいかもしれないなどと苦笑して、慌てて頭を振った。
……いかんな、気が緩んでいる。俺は雛見沢にバカンスに来たのではない。任務を忘れないようにしなければ。

6 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/04/06(金) 15:49:42 ID:yMlyNS4h
まず……これからの予定だが、当分は情報収集だ。
メタルギアを開発するにはある程度の施設と設備が必要だ。この土地については先に潜入している『弓』が良く知っている。彼女ならそういった条件に該当しそうなポイントをいくつか絞れているかもしれない。
そう思ったところで、溜息を吐く。岡村君の言ったことも考えると、『弓』もどこまで信用できるかわからない。すでにここからが手探りなのだ。
後は……村中の人・モノ・金の流れをしらみつぶしにチェックするしかないか。公権力の助けが借りられれば話が早いが、もし本当にメタルギアがここで造られているなら世界の軍事バランスを揺り動かすほどの問題だ。慎重に慎重を期す必要がある。
「こういうのは本来オタコンたちの仕事なんだがな」
しかし、彼らもそこまで手が回らないので、贅沢は云えない。こういう時は人手不足が憎い。
地道に聞き込みに回るしかないか。
……しかしまあ、部活メンバーと信頼関係を築くことができたのは幸運だ。彼らの情報なら信用できる。
「そういえば、"ワタナガシ"とは何のことだ?」
早速疑問をぶつけてみることにする。
「綿流しは、雛見沢のお祭りだよ。今度の日曜にあるんだよ。屋台がいっぱい並んで、村の外からもたくさん人がくるんだよ!」
「日曜というと、今日が木曜だから……3日後か。祭りというと、パレードや仮装行列といったあれか?」
「んー、残念ながらそんな派手ではないねえ。なんていうんだろ、ファーストフードやゲームの店舗を回ってワイワイやるって感じなんだけど……。それで、祭りの終わりには皆で川に布団やぬいぐるみの綿を流して、無病息災を祈るんだ」
「みー。ボクの演舞もありますですよ」
「神様に奉げる舞いなんてのなら、外国にもありそうだなあ。どうだ、スネーク?」
「ああ、実際に見たことはないが知っている。神というのは、いわゆるキリスト教のとは違うんだろうな、当然」
知恵を思い浮かべる。そういえば彼女も教会の者だったな。頼めばたっぷりと説教をしてもらえるかもしれないが、そんな酔狂なことをする気もない。
「オヤシロさま、よ」
突然鷹野が会話に入ってきた。
視線を上げると、鷹野はどこか妖しげに口元を歪めている。
「オヤシロ……サマ?」
「スネークさん、でいいのかしら? この前分校に赴任してきたのですってね。じゃあこの村のこともよく知らないでしょう」
「ああ、まだ右も左もわからない。だから色々教えてくれると助かる」
「ええ。オヤシロさまっていうのはね、この雛見沢の守り神なんですの。古手神社ってご存知? あそこに祀られているのがそうよ」
「……ボクのお家なのです」
「ほう……?」

……気のせいか、梨花の表情が強張っている気がする。
周りを見ると、皆どこか居心地の悪そうに俺たちの会話を聞いている。いったい何だ……?
「オヤシロさまは、基本的には村人を助けたり縁結びを執り行う善神。……でも、破ってはならない掟もいくつか存在するわ。」
「掟?」
「例えばそうね、村から出て遠く離れること。オヤシロさまは村人が自分の元から離れようとするととても怒って……祟るの」
「それは不便な話だ」
「勿論現代ではそんなことはないけど。……祟りはあるかもしれないけどね? くすくす」
「鷹野さん」
不意に富竹が咎めるような声を出した。
だが、なかなか興味深い話だ。
「ふむ。鷹野さんは神が人を祟ると信じているのか」
俺がその先を促すと、鷹野はどこか楽しそうに目を細める。
鷹野は何か確信を持って話している。村人が口を閉ざすような、村についての何か。……「祟り」が何か関係しているのか?


7 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/04/06(金) 15:50:45 ID:yMlyNS4h
「毎年、綿流しの夜に……一人が消え、一人が死ぬ」
「なんだって?」
「この村で今起こっている祟りのことよ。週刊誌なんかは雛見沢連続怪死事件なんて書きたててるわね」
初耳だ。
俺は思わず身を乗り出す。
「四年前から、綿流しの夜になると失踪と死亡事件が同時に起こる。まるで計ったみたいにね。今まで途切れることなく続いているわ」
「……ということは、もしや……」
「ええ、今年はその五年目。果たして祟りが起こるかどうかは私にもわからないわ。今年は何も起きないといいのだけれど……くすくすくす」
白々しい声音で云う。
恐らく、鷹野はその偶然を面白がっているのだ。今年も誰かが死に、誰かが消えれば面白いというくらいにしか思っていない。
少し不謹慎にも感じるが、自分の住む村でそんな事件が起これば、まるでミステリーのようだと昏い好奇心に胸を躍らせる者もいるだろう。

「……っと、ごめんなさい。ここでする話じゃなかったわね」
皆が押し黙ってしまったのを見て、鷹野は空想から脱したらしい。
振り返ると、レナや沙都子は沈痛そうにうつむいてしまっている。
「……あまりオヤシロさまを悪く言わないでほしいのです。高野の悪い癖なのですよ」
「ええ、ごめんなさいね。改めるわ」
「多分無理だと思うのですよ」
梨花はどことなく怒ったようにそう言った。
……考えてみれば、この村に住む者にとってオヤシロさまの祟りなんて話はあまり気分のいいものではない。ましてや梨花はそのオヤシロさまを祀る神社の娘なのだと言う。声を尖らせるのも無理はないか。
なんとなく気まずくなった空気を破るかのように、鷹野の連れ……富竹が、口を開いた。
「えっと、……スネークさんですね? はじめまして、富竹ジロウと言います」
「ああ……これはご丁寧にどうも。昨日分校に赴任してきたスネークだ」
「フリーで写真を撮ってましてね。腕は余り人に見せられたようなものじゃないですが」
「早くメジャーデビューしなよ~。一冊くらいは買ってあげるよ?」
「プロになって鷹野さんを安心させて下さいよー! 俺たちも待ってますから!」
「あ、あはは、ありがとう。期待にそえられるようがんばるよ」
そう云うと、富竹は静かに一歩踏み出し、俺に握手を求めてきた。
断る理由はない。俺は差し出された手を堅く握る。

――――それで、気づいた。

8 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/04/06(金) 15:52:07 ID:yMlyNS4h
「…………」
目の前の男の顔をじっと見つめる。
富竹も無言で俺の顔を見る。
しばらくの間、奇妙な沈黙が流れた。
「……では、またな。富竹さん」
「ええ。またお会いしましょう」
互いに視線で頷く。
その意味を心に刻み込み、どちらからともなく手を離した。
「園崎さーん! ご案内早めにお願いしまーす!」
「あ、はいすいませーん! ……ではお二人様で。喫煙席と禁煙席がございますが……」
先輩らしきウエイトレスから注意され、慌てて自分の仕事に戻る詩音。
「では行こうか、皆」
富竹たちとすれ違い、外に向かった。


……その後、軽く色々と店先を冷やかしてまわり、日暮れを迎えた。
「じゃあ皆、今日はこの辺でお開き!」
そう魅音が号令するとともに、部活メンバーが解散する。
それぞれ自転車に跨り、さよならを交し合って夕闇の街に消えていく。俺はそれを見送ると、己の掌を眺めた。
あの男の無骨な手。
握った時にタコの手ごたえを感じた。
……あれは銃を扱う者のタコだ。
同じくそれを持つ俺だからわかる。改めて考えてみると、カメラマンにしては不自然なほどに鍛えられた筋肉も、音を立てないよう訓練された者特有の足運びも……一つの事実を指し示していた。
富竹という男、素人ではない。恐らく不正規戦部隊の訓練を積んでいる。
そして、それに気づいたのはこちらだけではない。
「……掴んだ、な」
眺めていた掌を強く握り込み、空を仰ぐ。
絶え間なくひぐらしが鳴いていた――――。

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最終更新:2007年04月06日 16:06