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650系電車
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shiotaono
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650系電車(650けいでんしゃ)とは、塩田鉄道が製造した交直流両用急行形電車である。
概説
塩田鉄道が全区間電化されることとなり、電化後の急行列車(現俊快速列車)専用車両として1957年に製造されたのが本系列である。
塩田鉄道の車両としては初めての20m級車両、交直流両用電車であり、本系列で培われた技術は現在の塩鉄車両の礎となった。
塩田鉄道の車両としては初めての20m級車両、交直流両用電車であり、本系列で培われた技術は現在の塩鉄車両の礎となった。
形式別解説
配属当初の基本編成
クハ651 | モハ651 | モハ650 | サハ651 | サハ650 | モハ651 | モハ650 | モハ651 | モハ650 | クハ650 |
クロ651 | モハ651 | モハ650 | サハ651 | サハ650 | モハ651 | モハ650 | モハ651 | モハ650 | クハ650 |
新製の形式
クハ651形
甲府・いわき方の制御車。機器室、トイレを備える。初期車は前面が2枚窓である。
クロ651形
甲府・いわき方の制御車。グリーン車両。全車初期車であるため前面が2枚窓。1986年形式消滅。
モハ651形
中間電動車。主制御機や直流機器などを備える。
モハ650形
中間電動車。主変圧器やパンタグラフ、交流機器などを備える。2004年に形式消滅。
サハ651形
付随車。2004年に形式消滅。
サハ650形
付随車。トイレを備える。1996年形式消滅。
クハ650形
銚子・青森方の制御車。1996年形式消滅。
サロ651形
付随車でグリーン車。窓が大型である。1993年形式消滅。
サロ650形
付随車でグリーン車。窓が大型でトイレを備える。1993年形式消滅。
改造形式
クモハ650形
俊快速運用離脱後の短編成化に伴い、クハ650形またはモハ650形に運転台を取り付けた形式。
クモハ650形を組み込んだ編成
3両編成(現存) | クハ651 | モハ651 | クモハ650 |
4両編成(全廃) | クハ651 | サハ651 | モハ651 | クモハ650 |
5両編成(全廃) | クハ651 | モハ651 | モハ650 | モハ651 | クモハ650 |
運用
配属当初
クハ651 | モハ651 | モハ650 | サハ651 | クハ650 |
1957年に一次車が甲府車両センターに5両4編成が配置され、配属当時の電化区間であった本線の野辺山~奥多摩間と甲富線の快速列車に使用された。
なお快速運用のほかにも普通列車にも使用されていた。
なお快速運用のほかにも普通列車にも使用されていた。
塩鉄電化後
クハ651 | モハ651 | モハ650 | サハ651 | サハ650 | モハ651 | モハ650 | モハ651 | モハ650 | クハ650 |
クロ651 | モハ651 | モハ650 | サハ651 | サハ650 | モハ651 | モハ650 | モハ651 | モハ650 | クハ650 |
1958年に塩鉄の路線が全線電化されると、新設された「急行」専用の車両となった。
この際に水海道総合車両センターに10両、5両編成各8本、甲府車両センターに10両、5両編成各4本が配備された。
どちらの車両も本線急行運用を専用に運用され、銚子・鹿島神宮・土浦・水海道~川越・甲府・野辺山・富士宮・沼津間が主な運行範囲であった。
また水海道の車両は土浦から友部線に乗り入れ、筑波口までの急行運用も存在した。
15両編成で運行を開始した最初の車両で、基本編成と付属編成での分割運用も存在した。
主な分割運用は甲府駅で野辺山行き(10両)と沼津行き(5両)や、土浦駅で銚子行き(10両)と筑波口行き(5両)である。
その後も増備は続き最盛期には水海道に10・5両各17本、甲府に10両7本、5両11本、沼津に10両3本、5両5本、三本木に10・5両各6本が配置された。
もっぱら俊快速列車で運用されていたが、721系電車?登場後は次第に活躍の場を奪われ、1988年までに全列車が俊快速から撤退した。
この際に水海道総合車両センターに10両、5両編成各8本、甲府車両センターに10両、5両編成各4本が配備された。
どちらの車両も本線急行運用を専用に運用され、銚子・鹿島神宮・土浦・水海道~川越・甲府・野辺山・富士宮・沼津間が主な運行範囲であった。
また水海道の車両は土浦から友部線に乗り入れ、筑波口までの急行運用も存在した。
15両編成で運行を開始した最初の車両で、基本編成と付属編成での分割運用も存在した。
主な分割運用は甲府駅で野辺山行き(10両)と沼津行き(5両)や、土浦駅で銚子行き(10両)と筑波口行き(5両)である。
その後も増備は続き最盛期には水海道に10・5両各17本、甲府に10両7本、5両11本、沼津に10両3本、5両5本、三本木に10・5両各6本が配置された。
もっぱら俊快速列車で運用されていたが、721系電車?登場後は次第に活躍の場を奪われ、1988年までに全列車が俊快速から撤退した。
俊快速運用撤退後
1988年に俊快速運用から完全に撤退。その後は普通列車から特別快速まで幅広く使用され、臨時ながらも俊快速運用に充てられたこともあった。
しかし、車両性能が首都圏の過密なダイヤの上でネックになっていたことや、2扉のため乗降に時間がかかることが災いし、1990年までに水海道車は全車転属または廃車となっている。
この転属によって3~5両編成の短編成が各地に登場、余剰となったクハ650形やモハ650形がクモハ650形に改造された。
その後も各地で運用されていたが、1996年に10両編成が全廃。このときは短編成化されず、全車が廃車となってしまった。
短編成も各地で細々と活動を続けていたが、三本木・青森車が1999年に全廃、最後まで残った南甲府車も2004年に全廃となって、塩鉄の礎を築いた車両は役目を終えた。
しかし、車両性能が首都圏の過密なダイヤの上でネックになっていたことや、2扉のため乗降に時間がかかることが災いし、1990年までに水海道車は全車転属または廃車となっている。
この転属によって3~5両編成の短編成が各地に登場、余剰となったクハ650形やモハ650形がクモハ650形に改造された。
その後も各地で運用されていたが、1996年に10両編成が全廃。このときは短編成化されず、全車が廃車となってしまった。
短編成も各地で細々と活動を続けていたが、三本木・青森車が1999年に全廃、最後まで残った南甲府車も2004年に全廃となって、塩鉄の礎を築いた車両は役目を終えた。
引退…と思いきや
…かに見えた。2010年に、塩田鉄道発足100周年を記念し、各地で動態保存されていた3両編成5本が1年間の期間限定で復活。南甲府車両センターに再配置された。
甲富線、本線の甲府以西を中心に一年間使用された後、定期運用からは撤退した。ただし除籍はされておらず、現在も臨時列車用として配置されている。
甲富線、本線の甲府以西を中心に一年間使用された後、定期運用からは撤退した。ただし除籍はされておらず、現在も臨時列車用として配置されている。