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忍者について


姿を隠して敵地に忍び込み内情を探ったり破壊工作をしたり…という一般的にイメージされる活動のほか、
姿を公に晒しつつ情報を集めたり偽情報を流したりといういわゆる諜報活動や謀略、離間工作なども行なった。
さらに近年の研究では、優れた動植物の知識や化学の知識を持つ技術者集団としての一面も持つことが判っている。

「忍者」という呼称が使われたのは近年の小説等による創作作品の影響で、それまでは「乱破(らっぱ)」「素破(すっぱ)」など地方によって様々な呼び名で呼ばれていた。
一例として武田の忍者は「素破」と呼ばれ、「素っ破抜く」という言葉の語源ともなった。
上杉の忍者は「軒猿(のきざる)」と呼ばれ、伊達の忍者は「黒脛(くろはばき)」と呼ばれた。

発祥も様々で、組織化された盗賊だったものが大名家に召抱えられた例や、大名家が諜報活動のために独自に組織した例、
土地が痩せていたり飢饉で農作物が安定して収穫できない地域の住人が生活費を得るために組織化し、庸兵として他国稼ぎをしていた例などがある。

滋賀県南東部の甲賀地方と三重県西部の伊賀地方が忍者の里として知られている。
農業の傍らで火薬(鉄砲)を使った傭兵稼業を営んでいたことから、広義の意味では雑賀衆も忍者と呼べなくはない。

戦国大戦ではほとんどが忍者に特技「忍」が付いているが、
そのほか蜂須賀小六や山本勘助も忍者ではないかと言われている。


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最終更新:2012年07月15日 22:32