辞世の句とは
- 自らの死期を悟り、人生を回顧し、それを短歌や漢詩にしたもの。日本ではよく残されているが、海外にもないわけではない。
- ローマ皇帝ユリウス・カエサルが腹心であったブルトゥス(ブルータス)に暗殺された際に残した「Tu quoque, Brute, fili mi?」(ブルータスお前もか)は有名。
- 時には死ぬ前に書いた最後の詩が、そのまま辞世の句となる事もある(例:今川義元)。
- 群雄伝において、特定の武将が世を去る場面で専用画面とともに詠まれる。
織田家
武将名 |
辞世の句 |
意味 |
織田信長 |
人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり |
(幸若舞『敦盛』の一節。辞世の句ではない) |
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佐々成政 |
この頃の 厄妄想を 入れ置きし 鉄鉢袋 今破るなり |
近頃の災難災厄や思い悩みを溜め込んだ鉄鉢の袋が今破れる。(鉄鉢のように厄や妄想を溜め込んた私の精神を内包していた肉体を今打ち破ろう) |
筒井順慶 |
根は枯れし 筒井の水の 清ければ 心の杉の 葉はうかぶとも |
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徳川家康 |
嬉やと 再び醒めて 一眠り 浮き世の夢は 暁の空 |
嬉しいものだとまた目が覚めてしまったが、もうひと眠りするとしよう。この世で見る夢はまだ夜明け前のようだ(泰平の世はこれから幕を開けるのだ) |
明智光秀 |
順逆二門に無し 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来れば一元に帰す |
実はこれは辞世の句ではない。「順逆二門に無し 大道心源に徹す」は信長に順ずるも逆するも大道・心源に由来する、という意。 |
お市の方 |
さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそふ 郭公かな |
そうでなくとも夏の夜は短いのに、ほととぎすが夢路に誘ってくる。 |
織田信孝 |
むかしより 主をうつみの 野間なれば むくいを待てや 羽柴筑前 |
(私が自刃するのは)昔から主を討つといわれる内海(うつみ)の浦なのだから、いずれ報いを待っていろ、羽柴秀吉 |
佐久間盛政 |
世の中を めぐりもはてぬ 小車は 火宅のかどを いづるなりけり |
小車に乗ってもこの世を巡り尽くせないように、人が為せることなど所詮大したことは無い。そんな小車でも、乗れば火宅(苦しみの炎に包まれた現世)から旅立つことはできる。 |
柴田勝家 |
夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす |
基は自害寸前にお市の方が告げた辞世に対する返句。 |
武田家
武将名 |
辞世の句 |
意味 |
武田信玄 |
大ていは 地に任せて 肌骨好し 紅粉を塗らず 自ら風流 |
基は大底還他肌骨好 不塗紅粉自風流という偈文。「地」「自ら」は武田家臣団のことと言われている。 |
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武田勝頼 |
朧なる 月もほのかに 雲かすみ 晴れて行くへの 西の山の端 |
「行くへの」は行方と往く辺をかけており、「晴れて」は浄土、「西の山の端」は西方浄土を意味する。武田家は浄土真宗を奉じていたことからか。 |
上杉家
武将名 |
辞世の句 |
意味 |
上杉謙信 |
四十九年 一睡夢 一期栄華 一盃酒 |
49年の我が人生も一睡の夢のようなもので、この世の栄華も一杯の酒のようなものだ。 |
今川家
武将名 |
辞世の句 |
意味 |
今川義元 |
夏山の 茂みふきわけ もる月は 風のひまこそ 曇りなりけれ |
夏山の茂みが風に揺れ、月の光がこぼれ見えている。風がやめば、また月も曇る。 |
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今川氏真 |
なかなかに 世にも人をも恨むまじ 時にあはぬをを身の咎にして |
もはや世も人も恨まず、(戦国の世に)合わないのは己が罪であろう。武田家・徳川家にいいように駿河を切り取られ、京に送られ名ばかりの高家として扱われた氏真の、戦国武将としての最後の皮肉である。 |
〃 |
悔しとも うら山し共思はねど 我世にかはる世の姿かな |
京の公家暮らしが我の世(=戦国大名時代)に代わってしまうが、それを悔しいとも羨ましいとも思わなくなった、との意。これも穏ながら暗に戦国時代を対ている。 |
浅井朝倉家
武将名 |
辞世の句 |
意味 |
朝倉義景 |
かねて身の かかるべしとも 思はずば 今の命の 惜しくもあるらむ |
朝倉家は浅井家を従え、強大になりつつある織田家を散々に苦しめ、ことに信長包囲網という大計を成功させた。故に今身命尽きても惜しくもあるらむと詠んでいるのであろう。 |
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鳥居景近 |
先立ちし 小萩が本の 秋風や 残る小枝の 露誘うらん |
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北条家
武将名 |
辞世の句 |
意味 |
北条氏康 |
夏は来つ 音に鳴く蝉の 空衣 己己の 身の上に着よ |
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北条氏政 |
雨雲の おほえる月も 胸の霧も はらいにけりな 秋の夕風 |
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北条氏照&footnote(北条伝第二章第十一話にて、R北条氏照 |
天地の 清き中より 生まれきて もとのすみかに 帰るべらなり |
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毛利家
武将名 |
辞世の句 |
意味 |
毛利元就 |
友を得て なおぞうれしき 桜花 昨日にかはる 今日のいろ香は |
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清水宗治 |
浮世をば 今こそ渡れ 武士の 名を高松の 苔に残して |
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島津家
武将名 |
辞世の句 |
意味 |
島津日新斎 |
急ぐなよ 又とどまるな 吾が心 定まる風の 吹かぬかぎりは |
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島津貴久 |
名を重く 思ふ心の 一筋に 捨てしや軽き 命なりけり |
(小林城の戦いの死者を弔う和歌の一首。辞世の句ではない) |
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島津歳久 |
晴蓑めが 玉のありかを 人問わば いざ白雲の 上と答へよ |
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島津義弘 |
春秋の 花も紅葉も とどまらず 人も空しき 関路なりけり |
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豊臣家
武将名 |
辞世の句 |
意味 |
豊臣秀吉 |
露とおち 露と消えにし わが身かな なにわのことは 夢の又夢 |
露のようにこの世に生まれ落ち、そして露のようにはかなく消えていってしまったこの身であることよ。難波(大坂)で過ごした栄華の日々は、何もかも夢の中の夢のように儚いものだった。 |
石田三成 |
筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり |
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宇喜多秀家 |
み菩薩の 種を植えけん この寺へ みどりの松の 一あらぬ限りは |
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大谷吉継 |
契りあれば 六つの衢に 待てしばし 遅れ先だつ ことはありとも |
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蒲生氏郷 |
限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心みじかき 春の山嵐 |
花の一生には限りがあるので、風など吹かなくてもいつかは散ってしまうものなのに、春の山風は何故こんなに短気に花を散らしてしまうのか |
黒田官兵衛 |
おもひおく 言の葉なくて つひに行く 道はまよはじ なるにまかせて |
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伊達家
武将名 |
辞世の句 |
意味 |
伊達政宗 |
曇りなき 心の月を 先立てて 浮世の闇を 照らしてぞ行く |
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他家
武将名 |
辞世の句 |
意味 |
諏訪頼重 |
おのづから 枯れ果てにけり 草の葉の 主あらばこそ 又も結ばめ |
自然に枯れ果てた草の葉も、私という主が居るのだからまた命を結んでいる筈だ。例え私が居なくなっても、そうであって欲しい。 |
斎藤道三 |
捨ててだに この世のほかは なき物を いづくかつひの すみかなりけむ |
この世のほかは捨ててしまって、残ったのはこの身この命だけだ。私の最期の地とはいったい何処になるだろうか。 |
長野業盛 |
春風に 梅も桜も 散りはてて 名のみ残れる 箕輪の山里 |
春風が梅の花・桜の花をすっかり散らしてしまっても、花の名所である箕輪の名だけは残り続ける。同じく、今、私がここで果てるとも、私が命をかけて守り抜こうとした箕輪の山里が滅びる事はない。そう信じたい。 |
大内義隆 |
討つ人も 討たるる人も 諸共に 如露亦如電 応作如是観 |
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陶晴賢 |
何を惜しみ 何を恨まん もとよりも この有様の 定まれる身に |
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龍造寺隆信 |
紅炉上 一点の雪 |
真っ赤に燃える炉の上に一点の雪が舞い降りて溶けてしまうように、煩悩などは綺麗に消え去ってしまった、という意味。もとは禅語の言葉で、自分を討とうとする川上忠堅に対し「貴様は大将首を取る作法を知っているのか」と問いかけ、川上に「如何なるか是れ剣刃上」(私の剣で今にも命を落とそうとしているが、どのような気分か)と問われ発したものである。 |
波多野秀尚 |
おほけなき 空の恵みも 尽きしかど いかで忘れん 仇し人をば |
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波多野秀治 |
よわりける 心の闇に 迷はねば いで物見せん 後の世にこそ |
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高橋紹運 |
流れての 末の世遠く 埋もれぬ 名をや岩屋の 苔の下水 |
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立花道雪 |
異方に 心ひくなよ 豊国の 鉄の弓末に 世はなりぬとも |
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足利義輝 |
五月雨は つゆかなみだか 時鳥 わが名をあげよ 雲の上まで |
しとしとと降るこの雨ははただの露であろうか、それとも私の無念の涙であろうか。私を迎えに来たほととぎす(死の使いとも信じられていた)よ。天高くへ飛翔し、誇り高く戦った私の名を雲の上まで広めて欲しい。(義輝が襲撃されたのはその通り五月雨の降る5月19日のことである) |
斎藤義龍 |
三十餘歳 守護人天 刹那一句 佛祖不傳 |
30年余り天部のように人を守護していたが、それは仏祖より伝えられたものではなかった(仏祖不伝)、と一句に残す、という意。義龍は日蓮宗の熱心な信者でもあった。 |
三好義賢 |
草枯らす 霜又今朝の 日に消えて 報のほどは 終にのがれず |
義賢は非常に教養があったが、前阿波守護であり上洛を謀った細川持隆を暗殺して阿波を支配した。その報いからは終に逃れられないだろう、という意。その後久米田の戦いで根来衆の銃撃を受け即死したという。 |
別所長治 |
今はただ 恨みもあらじ 諸人の いのちに代はる わが身と思へば |
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最終更新:2013年12月21日 18:41