武将名 |
くきよしたか |
水軍頭領 |
UC九鬼嘉隆 |
織田家臣。本能寺の変後は豊臣秀吉に仕え、 九州征伐・小田原征伐など水軍の頭領として 重用された。慶長2年に息子の守隆に家督を 譲る。関ヶ原の戦いでは家名存続のために、 守隆を東軍に、自身は西軍に付き、鳥羽城を 奪取するなど活躍したが敗戦。後に自害した。
「ヤロウども、 海の男の力を見せつけてやれ!」 |
出身地 |
志摩国 |
コスト |
2.0 |
兵種 |
弓足軽 |
能力 |
武力7 統率5 |
特技 |
制圧 焙烙 |
計略 |
壊城鉄甲船? |
統率力が上がり、焙烙玉の残弾数が 回復するが、焙烙玉の射程距離が下 がある。さらに焙烙玉で城を攻撃でき る。攻城ダメージは城門であればよ り大きい。 |
必要士気4 |
Illustration : 野口登志夫? |
毛利水軍を苦しめた海賊大名が、レアリティを落としてVer2.0以来の参戦。
兵種は前と変わらず弓足軽だが、有用な制圧、BSSの自身と同じく焙烙が追加された。
他の文治派とは違い、忠誠度を回復する計略ではないが、毛利の
Rマセンシアと同じく、
相手の自城に焙烙を当てる事により、攻城ダメージを入れるというもの。
統率も+2上昇するが、焙烙の射程距離がかなり狭くなってしまう。
効果時間は約10.3c。統率依存は0.2c。
攻城ダメージは城門であればより大きくなるが、ダメージ量は要検証。
Rマセンシアのように、
UC福原広俊のような焙烙を回復してくれる役目の武将がいない為、
連続で使用出来ないのもあり、あまり採用されていない要因の一つではないかとされている。
関ヶ原の戦いが起こると嘉隆は西軍に、この頃既に家督を継いでいた息子の九鬼守隆は東軍に属した。
親子が敢えて、別々の陣営に属したのは、これはどちらが敗れても家名を存続させるための嘉隆の戦略だったと言われている。
鳥羽城を奪還した後、九鬼家の行く末を案じた家臣の豊田五郎右衛門が独断で嘉隆に切腹するよう促し、
これを受け入れた嘉隆は和具の洞仙庵(どうせんあん)で自害したと言われている。
父の助命嘆願の許可を徳川家康から得ていた守孝は、嘉隆の死を知った守隆は激怒し、五郎右衛門を鋸挽きで斬首のうえ晒首にした。
余談だが、海賊の大将のせいか荒々しい印象の強い嘉隆だが、『鳥羽の浮城』こと鳥羽城を築城したり、
茶道に造詣が深く、津田宗及の茶会にしばしば参加したり、逆に自身が宗及を招いて幾度も茶会を催すなどしており、
数寄者としての側面もあったようである。
最終更新:2015年08月17日 23:34