038 俺の天使はあくまでこんなに可愛い

(「あやせの相談事・恥辱編」加筆・改題)


「お兄さん、桐乃のことでご相談があります。」

下校ルート途中の公園で俺を待ち構えていたのは、制服姿の新垣あやせ。

目の前に立つ長い黒髪の美少女は、俺の妹、桐乃のクラスメイトであり
モデル仲間でもあり、そう、とにかく桐乃の一番の親友だ。

桐乃と、このあやせの間には、以前にちょっとしたトラブルがあって、
それを俺が泥を被る形でちょっとだけ解決の手助けをした事があった。
それ以来、俺の事を『近親相姦上等の変態兄貴』だと信じ込んでいる、
事になっていたはずなのだが・・・。
なぜか度々、今日のように、妹の事で俺に相談を持ちかけてくる。

「しかしなぁ、お前も俺を信用してるんだか、してねぇんだか・・・。
よくわからんが、何度目だ、もう?」

あやせが今までしてきた相談事では、毎回、俺的には、真面目に考えて
最適なアドバイスをしてやってるんだが、それは、常にあやせの考えの
はるか斜め下を行っているようで、期待していた答えには程遠いらしい。

決まって最後には、「もういいです、この変態。死んじゃえ」といった、
この可愛い顔と声に全く似合わない捨て台詞を残して去ってしまうのが
毎回お決まりのパターンだった。

にもかかわらず、少し経つと、またこうやって普通に相談に現れるのだ。


「―で、今度は何?」
俺がそう問いかけると、あやせは俺の前では珍しく照れた表情になって、
少し俯き加減に、
「・・・プレゼントを選んで欲しいんですけど。」


「いや、俺、あやせがくれるモンなら何でm
と言い終わらない内、
「だ、誰がお兄さんへのプレゼントと言いました? 桐乃です、桐乃」
と、会って早々から声を荒げるあやせ。

って言うか、俺も解ってボケてる訳で、まぁ期待通りのツッコミだわな。

でもな、一度くらいは、そういうパターンがあっても、良さそうなもん
じゃねぇか。


なんて拗ねているのも情けねぇし、俺は気を取り直して少し考えてみる。
「で、今回は何の? 桐乃の誕生日はまだだし、クリスマスでもねえし、
バレンタインの友チョコって訳でもなさそ・・って、ちょっと嫌なモン
思い出しちまったけどよ、」

これには、あやせも苦笑した。
そう、俺達は「特製桐乃チョコレート被害者同盟」という超絶強い絆で
結ばれていたのだ。


「仲直り記念の、今年の分ですよ、お兄さん。」
そうあやせが答えた、その「仲直り」っていうのは、例の、何年か前の
夏コミから始まったアレの事だろうか?
さっき言った、俺が近親相姦兄貴に成り切るというしょんぼりな方法で、
逆説的に、あやせと桐乃の親友の絆を結び直させた・・・。

仲直り記念日。
そか、もうあれから一年・・・二年・・・。

まぁ、こいつらみたい年頃で、こいつらみたいな間柄なら、仲直り記念
プレゼントの交換も、解らなくもねぇんだが、

「今年分、って、毎年やってんのか? 5年後、10年後もやるんか?」
そう聞くと、あやせは、いかにも当然なように、

「当たり前じゃないですか」
と来たもんだ。


まぁそういう事なら、ちょうどいいタイミングで、桐乃が狂喜しそうな
スペシャルなブツに心当たりがある。

俺はあやせを自宅に誘ってみる事にした。



案の定、桐乃の事になると、冷静な判断がつかなくなるのか、予想通り
いろんな事が俺にお任せになる、ちょっとばかり危なっかしいあやせ。

いや、俺もさすがに、あやせを騙すとか、そんな事は考えてないんだが、
俺以外の野郎にマイエンジェルあやせが騙されるのは絶対俺が許さねぇ。

そんな矛盾した事を考えながら、長い黒髪の美少女をすぐ後ろに従えて、
俺は何だかいい気分で、わが家の玄関をくぐった。


桐乃は、外出しているようだった。

「失礼しま・・・す」
俺に続いて階段を上り、しずしずと行儀良く部屋に入ってくるあやせ。

だが、入って来るなり、あやせはいきなり部屋の一点に視線を奪われ、
アワアワと取り乱した。
「な、な、な、何ですか! そ、それは!?」

あやせの視線の先には俺のベッドがあり、そのベッドの上にはつい最近
購入したばかりの俺の秘密兵器が置かれていた。

あやせにそっくりな笑顔で微笑むそれは、俺が密かにあやせたん2号と
名付け、毎朝毎晩可愛がる予定の商品番号484「ヤンデレな妹の親友
抱き枕」であった。


「・・・これ、明らかに、わたしに似てますよね? 着ている制服も、
ウチの学校のにすごく似てますし。」
ジト目で俺を睨んでくるあやせ。

もちろんよ、だから買ったんだけどな。

「お兄さんが、これを一体何に使うつもりだった・・・のかは、あえて
聞きません、恐いから。
・・・それで、今の流れからすると、これと同じものを桐乃に贈れ、と、
そういう事ですよね?」

頷く俺。
おうよ! おまえの事が大好きな桐乃なら、絶ってー喜ぶんじゃね?
いつかのおまえ似ゲームキャラの「あやか」みたく、毎日一緒に寝たり、
会話したり。

だから、
「いつも桐乃の部屋にあって、毎朝、毎晩、おまえの事に想いを馳せる
きっかけにして貰えるなら、おまえも嬉しいんじゃねぇか?」

・・・今のセリフは、我ながらいい線を突いたと思うぞ。


「・・・それは、そうですけど。
でも、それって、現在、お兄さんが、このクッション? 枕?に、毎日
わたしを投影してるって事になりますよね? 気持ち悪い!」


あやせは「またこの男は」と言わんばかりに、フン、と一瞥して続けた。
「って言うか、こんなの一体、どこから見つけてくるんですか!」

・・・まぁ、その、何だ。
世の中にはいろんなサイトがあって、だな。
同人サークル・・・って言って、一般人のあやせに通じるだろうか?

俺が答えに詰まっていると、あやせは、急に真面目な顔で振り向いて、
全く予想外の事を喋り始めた。

「お兄さん、『これ』は、ちゃんとした正規の商品なんですか? 
ウチの事務所がそういうものを認めたとは、聞いてないんですが。」

何か胸に秘めているように思えたあやせの問いかけに、俺はいい加減に
「・・・いや、どうだろう。俺には解らな」
と答えかけて、あやせの話にさえぎられる。

「昔・・・」

どう繋がっているのか、すぐには解りかねる話をあやせは話し始めた。
「昔、桐乃が、わたしがお母さんに貰ったバッグをすごく気に入って、」

「うん。」
真面目なあやせが話す事だ、俺は相槌を打ち神妙に聞き入る。

「だからわたしも、同じものが手に入らないか、それとなく探してて、
・・・ある日、とても安く売っていたお店を発見したんです。」

優しいあやせは、常に我が妹様の事を気にかけ、自分が買えるものなら
プレゼントしてくれる気だったんだろう・・・。
だが、この話の行く末には一抹の不安を感じるな。

「桐乃の喜ぶ顔が見たくて急いで買って帰ったソレは、並べてみると、
わたしのバッグとはいろんなところが少しずつ違ってたんです。」

・・・あぁ、やっぱり地雷でしたか。

「・・・コヒ○ー商品でした! せっかく桐乃と・・・お揃いだ、って、
すごく喜んだのに!」
訴えかけてくるような、あやせの真剣で悲しげな表情に、俺の心が強く
揺さぶられる。

そうだよな。期待が大きければ大きいほど、裏切られた時のショックも
また大きいだろうからな。


「で、結局、どうしたの?」
どんな顔で、何と声をかけれてやればいいか解らず、それでもなるべく
優しい声を選ぶように、恐る恐る聞くと、

「お母さんと相談して・・・、そのお店は次の日に無くなりました。」

恐ぇえよ!
てか、「通報」は冗談じゃなかったんかい!


「私たちには、肖像権というものがあります。ですから、『これ』は、
認められません。」

少し寂しげにも見える表情でそう結論付けるように言ったあやせの事を、
俺は、「頭が堅い奴だ」「話が解らない奴だ」とは思わない。

だってそれは、『モデル』という立場で大人に交じって仕事をしている
あやせのプロ意識の現れであり、俺なんかがどうこう言える物じゃない
からだ。

それにあやせの、曲がった事を嫌い、信じた道をバカ正直に進んで行く
真っ直ぐな様子は、いつも適当な所で妥協を繰り返してばかりの俺には
どこか眩しく映る。
同い年の妹を持つ俺からすれば、こいつも俺が守ってやらなければ、と
そんなふうに思わせられる時がある。

いや・・・いつの間にか、熱血兄ちゃんが板に付いちまったようだな。
ホント、俺らしくもねぇ。

俺は、今ここにはいない、俺が「兄貴」である事を思い出させてくれる
手のかかるヤツの「んべっ」と舌を出した丸顔を思い出した。

そして、その妹の「代わりにしないで頂戴」と言って、俺に色んな事を
考え直すきっかけを与えてくれた桐乃のオタク友達で、あやせが表側の
一番なら裏側の一番に当たる「黒猫」の、寡黙な口以上に意思を語る瞳。

さらに、同じオタク仲間で、俺と桐乃に、黒猫を引き合わせてくれて、
そして、その他にも感謝しきれないほど世話になっている「沙織」の、
日ごろ見せる事のない、キャラを作っていない時の可憐なまなざし。

それに、付き合いの古さ、長さから言えば、むしろ最初に思い出すべき
大事な幼馴染「麻奈実」の、眼鏡を通し安らぎを与えてくるような笑顔。

どれ一つ欠ける事を良しと思えず、どれが一番など順位を付けられない、
今の俺の大切なものたち、だった。


目の前で、少しだけ寂しげな表情を見せていたあやせの事も、もちろん
俺が大事に思う存在に変わりない。
あくまでも「妹の友達」であり、まだ「直接の友達」と言えるまでには
まだ幾つかイベントが必要な、―そんな感じの間柄だけどさ。

『あんた、あやせに執着しすぎ! キモッ』
妹様には、何度かそう言われたように思う。
・・・そう見えるんなら、それは全くの見当違いではないんだろう。
俺の想いは断じてキモいモノじゃないがな!


・・・俺の・・・想い?

そう言えば何だったっけ。俺があやせに轢かれる、いや違う、引かれる、
これも全然違うぞ、惹かれる、か。そう、そのきっかけになったのは。

桐乃の友達の一人として、初めてウチに遊びに来て。
その時に、初めて会ったあやせの、美人っ振り、好みのタイプっ振りに
惹かれたんだったか?
・・・いいや、それだけじゃねぇ。あやせの、礼儀正しく人を思いやる
優しい人柄も、その時に見せて貰って・・・、それでだった気がする。

そのあと、思いがけなくケータイ番号とメルアドの交換を申し込まれて。

あやせがどんなつもりでそんな事を言い出したのかは、わかんねぇけど、
俺も、考えてみれば、何の共通の話題も無いのが解ってただろうにOK
しちゃってた訳で。
・・・実際、半年ばかり電話する機会が無くて、しかも気付いた時には
着信拒否にされてて泣きそうになったけどな。

その時は、何かこう、ビビッと来た、と言えばいいのか。
こういうの、何て言うんだ?
ささにしき? あきたこまち?



「・・・お兄さん!」

あやせの声で急に現実に帰った俺。

「お兄さん。ちょっと止めて下さい!」
現実に引き戻された俺は、遠い目をしながら、盛んにあやせたん2号の
あちこちを撫で回していたらしく、あやせ1号はぶち切れ寸前だった。

「なんで、お兄さんは、世の中の考えられるありとあらゆるセクハラを
わたしに仕掛けてくるんですか。」

いや、そんな事を言われても、理由は俺にも解らん。


「だいたい、それ、絵ですよ!? 何で髪を梳くように触ってんですか。
ダメです、耳もくすぐらないで! ・・・だから、セーラー服の上衣や
スカートが捲くれた所を指でなぞるな! この変態!!」

切れかけるあやせ。
いかん。このパターンは、毎度のバッドエンド一直線だ。



ここで。俺は、送料無料条件のために一つ余分に買っておいた、新品の
マイエンジェル未開封を、あやせの前に差し出す事にした。

抱き枕が入った大きな段ボール箱の表面に貼られた紙には、商品番号と
中身を示すサンプル画像が大きく印刷されている。

「で、これが、こんな事もあろうかと思って俺が密かに用意しておいた、
あやせたん3号だ。美人だろ。」

「何でお兄さんが自慢するんですか。それにわたし、何て答えたらいい
んですか。」
面倒くさそうにしながらも、律義に俺にツッコミを返すあやせ。

「いや、でも可愛いだろ?
俺な、インターネットのカタログ画面の中でおまえそっくりに笑ってる
こいつの拡大写真を見た瞬間、息が止まるかと思ったんだよ。
・・・本能が危険を感じたんだろうな。」

もう付き合いきれない、といった感じのあやせは、
「あーもう。本当に、ろくでもない時間の過ごし方してるんですね。
・・・いいですよ? いつでも、わたしの魅力で、お兄さんの息の根を
完璧に止めてあげますから!」

「・・・おまえ、それ、魅力とは言わんだろ?」
むしろ『わたしの威力で』と言い直した方がしっくりくるぞ。


そんなやり取りをしながら、馬鹿でかい段ボール箱を部屋の隅っこから
真ん中に移動させ、できるだけ丁寧に梱包を解いていく。

扉を左右に開くように開いた段ボールから、もう一人のあやせが目覚め、
透明なセロファン越しに、少し照れ気味に微笑んだ。



「なぁ、あやせ。あやせ的には、やっぱり『これ』は、ナシなのか?
・・・こんなに可愛いんだぞ。桐乃もイチコロだぞ。」
あやせに、せめてもの再考を促すよう尋ねる俺。
まぁ、むしろイチコロになったのは俺なんだけどな。

反論とか、はっきりした反応をまだ見せないあやせに、俺は続けた。
「あやせはさ、『これ』が、その、・・・以前にあやせを悲しませた、
コピー商品みたいな、悪意で描かれたものに見えるか?」


「・・・そんなことは。可愛く、描いて頂いてること、は、解ります。
・・・解ってますよ。わたしも最近、ちょっと考えるようになりました
から。」
少し拗ねたように、そんな事を言ってくるあやせ。

それはちょっと、何か初耳だ。
「へぇ、それは一体どういう風の吹き回しなんだよ?」

あやせは、言い訳をするみたいに、小声で淡々と喋り出す。
「どういう、って。例えば、 あの。わたし、極端に『嘘』を嫌ってて。
・・・それは、『嘘は必ず人を不幸にする』っていう、小さな頃から
厳格な両親に受けた教育のせいもあると思いますけど。」

あやせの両親って、確か代議士とPTAの会長だったっけ?
「解るよ。ウチも親父が警察官で、結構厳しい人だからな。」

そこであやせは、少し調子を変えて、
「でもね、お兄さん。少し前にですけど、わたしに、『人を幸せにする
優しい嘘』がある、っていう事を教えてくれた人がいたんですよ。」

そう言った、あやせの表情は、雲の晴れ間から光がさした瞬間みたいで、
あやせ大好きな俺としては、ちょっと目を奪われる。

抽象的過ぎて、何の事か、誰の事だったのかは、解らなかったんだが、
それは何となく、あやせにとっていい変化のように思えた。


「・・・解りました。こ・ん・か・い・は、お兄さんを信用します。
桐乃にプレゼントしたいので、この子を譲って下さい、お兄さん。」

・・・何気にひでぇ言い回しだったように思うが、まぁ、桐乃や黒猫
クラスと比べれば、まだあやせの真意は掴みやすいような気がする。


そこからは、話はスムーズに進み、プレゼントとしての体裁を整える話
になっていく。
中身の確認のために開封はしたが、やはり贈り物の箱はちゃんと閉じて
おくべきだし、リボンの一本も欲しくなる。
メッセージなんかも添えておくほうがいいだろう。


「あ、そういや、梱包もするんだったら、ガムテープか何かが要るな。
おまえ、今、ガムテープ持ってねぇか?」
そんな形やサイズのものが入っているようには見えない、床に置かれた
あやせのカバンに視線を動かしながら、俺が冗談で言う。

「は? どうしてわたしがそんなモノ持って通学してると思うんですか?」
何か不審に感じたのか、手を伸ばして自分の通学カバンを俺の視線から
遮るように少し動かすあやせ。

「冗談だ、怒るなよ、あ・や・せ。」
と言った俺だったが、カバンを動かす拍子に聞こえた「ジャラ」という
金属同士が擦れ合うような不穏な音を俺は聞き逃しはしなかった。


「ちょっと下行ってテープ取ってくるわ」
立ち上がって部屋から出た俺。

だが、階段を半分まで降りたところで、一つ思い当たる事があった俺は、
一旦、部屋に引き返そうとする。

いやな、一階には、おふくろが、もらい物から取っていた、包装紙だの、
リボンだのの、いわゆるラッピング用品があったはずだから、それらも
一緒に持って行ってやった方がいいか、確認しよう、と思ったのだ。


そしたらな。なんと、あやせが!

恋人ではない女の子を部屋に招いている男のマナーとして、というか、
露骨にあやせへの点数稼ぎとして、今日の俺は、あやせが来てからは、
ずっと部屋のドアを完全には閉めず、ちょっとだけ隙間を空けるように
していた。

今も開いている、その隙間から、一旦部屋に戻ろうとした俺が見たもの。
それは、何とも言えない耽美な雰囲気を持った光景だった。

俺の部屋の中で、あやせが。
桐乃に贈ろうとしている箱入りの抱き枕にある、自分と瓜二つの顔を、
まるで白雪姫に出てくる王子様のように、ずっと見つめて続けていて。

やがて思い切ったように、自分の唇を、自分と同じ顔をした眠り姫の
同じ形をした唇に、ゆっくりとした動作で、そっと押し当てた・・・。

あやせと、あやせのキス。

俺の気持ちの中で、何かが立った。何かが振り切れた。


こういうのって、確か。
「ナルシシズム」
その光景は、俺の頭から出て来たそんなタイトルの付いた、美しい芸術
作品のような奇麗な光景だった。

自分と同じ姿形をしたものに魂を分け与える。そういう、神話の世界に
ありそうな神秘的な儀式のワンシーンのようにも見えた。
うまく言えねぇが・・・、黒猫あたりだと、もっと適切な表現で文字に
出来るんだろうな。


俺は、何だか、見てはいけないものを見てしまった気がして、抜き足、
差し足、忍び足で、急いで一階に降りて、適当にブツを見繕った上で、
不必要に大きな足音をさせながら階段を上り始める。


自分の部屋の前まで帰って来て、少し考え、ノックをしてから入る俺。

ちょうどあやせは、プレゼントに添えるメッセージをしたため終わった
ところで、なぜか手に口紅?を握っていた。 

なぜ?、という疑問は、あやせが書いていたメッセージカードを見れば
得心がいった。


『桐乃へ

いつもありがとう。

いつも桐乃と一緒にいたい、二度と離れたくないわたしの気持ちを込めて、
ちょっと恥ずかしいけど、これを贈ります。

大好きだよ。

あやせ   はぁと』


サインペンで丁寧に書かれた文字の署名の横には、あやせの手にあった
リップと同色の、チェリーピンクの大きなハートマークが描かれていた。

・・・お前は幸せモンだぜ、桐乃。
それと、あやせも本心から提案に乗ってくれたようで、俺も嬉しいぞ。



「じゃ、これは、明日の朝イチで、俺が責任をもって桐乃の部屋の前に
置いておくからよ、」

メッセージが添えられ、奇麗にラッピングもされた大きくて細長い箱を、
俺は自分の部屋のドアの横に一旦立てかける。

「お願いします。お兄さん。」
そう言って、あやせは、少し恥ずかしげで、ちょっと頬が赤く見える、
あの抱き枕と良く似た、とてもいい表情を残して帰っていく。

何かちょっと、いつものパターンとは違った、いいエンディングだった。



翌日は休日。二度寝もできるが、早くも気温が上昇を始める午前中。

階段の下から母親が呼ぶ声がする。
「京介~、洗濯機回すから、あんたの「あやせちゃん」、汚したんなら
出しときなさいよ~」

・・・ぐはっ。
とんでもねぇっ!
母上! 色々と言いたい事があるぞ!
話し合いの結果によっちゃ、今晩この家を出て行くからな!

こういうモノまで親バレしてて、それでも平然と声を掛けてくるなんて、
デリカシー無さ過ぎだろ! 全く。
って言うか、理解が深過ぎて驚愕するわ!


ふと、窓から快晴の外の景色を見て思う。
そう言えば、あやせは、もう起きて、どこかへ出かけただろうか?
そんな事を思いながら、俺は、自分のベッドの上で微笑む『あやせたん
2号』の今日の御機嫌を伺う。

ん?

いや、昨日とちょっと印象が違って、何か少しだけ色っぽい感じがする。
まぁ、あやせ本人も、昨日は少し頬が赤かったように見えたけど・・・
でもそういったもんが伝染するはずもねぇし、うん。気のせいだよな。
伸縮する素材なんだから、表情が多少変わって見える事だってあるさ。


しかし、それにしても。
やっぱりあやせ。おまえって、可愛いんだな。
流暢なカーブで流れるように描かれた、あやせ本人と同じ美しい黒髪、
その前髪辺りに手を添えて、手で何度かなぞってみる。

さすがに髪の感触はしないが、さらさらの高級素材の感触が心地よい。
そして、心地よいものが、もう一つ。
あやせと同じ色の澄んだ二つの瞳が、至近距離から柔らかい微笑で俺を
見上げている。


よく見るとその口元には、ひょっとして今、あやせたん2号が色っぽく
見える原因のように思えた、何かを押し付けたようなピンク色系の跡。

同時に、確かに感じる、昨日あやせ本人からも感じた、フルーティーな
香水みたいな、微かな香り。


って、・・・もしかして。

そうだとしたら絶対汚せねぇよ、これは。
勝手に洗濯なんぞしやがったら、ぶっ飛ばすからな。


今、俺はあやせたん2号を通して、あやせが昨日、確かにここにいた、
その微かな痕跡を感じ取っているような気がする。

その可愛らしい制服姿の少女の、色づいた口元に視線を奪われながらも、
俺はその少し上、前髪を分けたおでこの部分に、自分の口元をゆっくり
近付けた。

・・・本物にこんな事をしたら、あいつ、どんな顔をするんだろうな。
それが凄く楽しみに思える俺は、やっぱりセクハラ野郎なのだろう。


隣の部屋からは、「うっひょー!」「これはw!」「くうぅ~っ!」
といった訳の解らない嬌声と、何度も寝返りを打つような大きな物音が
途切れず繰り返し聞こえていた。





数日後。

だらだらと休日を楽しんでいた俺の家のドアホンが、突然鳴った。
「ピンポーン!」

今日は親父と桐乃は留守だと聞いていたが、お袋は家にいるはずなので、
俺は2階の自分の部屋の床の上で、引き続き、ごろんと寝転がったまま、
起き上がろうともせず、だらけた体勢でいた。

宅配便か何かの配達・・・ってとこか?
桐乃のヤツは、ちょくちょく通信販売を利用しているみたいだったが、
俺は少し前に例のあやせ抱き枕を買ってみた時ぐらいのもので、あまり
利用はしていない。
だから、宅配便だとしたら俺はほぼ無関係だし、もちろん学校の友達や
その他の友達と今日の約束をした覚えもない。

なので、これは多分、俺には関係のない来客だ。
・・・と俺は安心していた。


ややあって、一階からお袋が俺を呼ぶ声がする。
「京介~。あんたのアイドルが来たから、上がって貰うわよ~!」

え? ・・・アイドル? 何の事だ、ちょっとマテ!

俺が来客に関係あるはずがない、とタカをくくって寝転んでいのだが、
突然のご指名を頂いて、やにわ起き上がる俺。

というか、『アイドル』って何だ? 全く心当たり無いぜ。
多少焦って考えを巡らせているうち、もう既に誰かが階段を上ってくる
軽やかな足音が聞こえる。

トントントントントン・・・。

コンコン、ガチャ。
「こんにちは、お兄さん。」

そう言いながら鍵のかからない俺の部屋のドアを開け顔を覗かせたのは、
ラブリーマイエンジェルあやせたん(本人)だった。

いや、本人、と特に断る必要もないだろう。
いくら俺が、毎日色々なところを丹念に可愛がってやっているとは言え、
さすがに抱き枕のあやせたん2号がドアをノックして挨拶をする、とは
思ってない。
俺のあやせたん2号はちゃんと撫でたり抱きしめたりできる存在だから、
キメェオタクじゃあるまいし、俺はきちんと2次元と分けて考えている、
安心して欲しい。


俺の部屋の前に立ってるあやせは、今日は制服じゃなくて、白あやせ。
純白のワンピースが涼しげで、例の、麦わら帽子を持たせればいつでも
ヒロインデビューできそうな、いかにも、いいところのお嬢様といった
着こなしだ。

「・・・アイドル、っつーから誰のことかと思ったよ。」
何だ、脅かすな、と、俺は多少リラックスしてあやせを迎えた。

「わたしも、アイドルだなんて、急に何がなんだか、で。」

そりゃぁ、そうだよな。
・・・ったくも~、お袋は、よ!
俺はお袋の間違いを訂正するために、階下に大きめの声をかける。
「おーい。お袋。聞いてるか~っ? あやせは、アイドル、じゃなくて、
俺のエンジェルなんだぞ~!」

「な、何を大声で言ってるんですか、恥ずかしい!」

俺の母親がすぐ下にいる手前、いつものような暴力的行為には及ばずに、
くいくいっと俺の服の袖の辺りを引っ張るあやせ。

こういう女の子っぽい仕草って、なんかいいよな。
袖と一緒に摘ままれたままの所が痛くて、いい加減、泣きそうになって
きたけど。


下からは「難儀な子ね~」という、諦めにも似た声が聞こえてきた。
それと「お母さん買い物に行ってくるから、エンジェルちゃんにおいた
しちゃだめよ~」
などと言う。

母上。オイタって何ですか。
息子を信用してないにせよ、そういう表現はいかがなものか。
今だってそうだが、イタい目にあってるのは常に俺の方なんだぞ。

憤慨していると、外出の用意を簡単に済ませた母親が、玄関の扉を開け、
出ていったらしい物音がした。


「ところで、桐乃なら留守だぞ」
あやせの方に向き直った俺は、まずその事をマイエンジェルに確認した
のだが、
「はい、解ってます。わたし桐乃のスケジュールもほぼ頭の中に入って
いますから。今日は街中での撮影で、ほら、よくお兄さんに来てもらう
公園とかその近所だと思いますよ。」
と、妙な返事を返す。

それじゃあやせは、桐乃が留守なのを知っててウチに来たのか?
なら多分、これはまた「桐乃の事でご相談が」というヤツなんだろうな。


「じゃ、まぁ座れよ。」
そう言って、俺は部屋の中で一番いいクッションを見繕って薦め、俺も
自分のベッドの端、寝ていれば足元が来る辺りに腰をおろす。

あやせは、ベッドそばの床に置かれたクッションの上にペタンと座ると、
そのまますぐ、ポン、と手に持った小さな何かを自分の座ったすぐ横に
置いた。

あやせの妙な動きに面食らいつつ、その「何か」に視線を向ける俺。

それは、小さな防犯カメラのような形をしていた。
しかし、ちょっと見ただけでその造りがとても安っぽい事が丸解りで、
要は五百円くらいで売ってるダミーカメラのようだった。

「何、それ?」

「はい、下でお母さまに渡されました。こんなモノでも一応、犯罪抑止
効果はあるそうです。」

「・・・・・・・」
「・・・・・・・」

しかし、・・・息子の女友達にこんな物を持たせるって。お袋さんよ。
あんたどんだけ息子を信用してないんだ?

正確に俺を射貫く方向にレンズが向けられている「それ」を見て、俺は、
「なぁ、あやせ。せめて電池を抜いて、あの赤ランプを消してくれ。
気になって話し辛れーんだよ。」
と頼む。

すると、あやせは、
「もう・・・仕方ないですね。じゃぁ、いつものアレでいいですよね? 
手錠はアイスになさいますか? ホットになさいますか?」

「ホットの手錠て何!?」
爽やかな夏の服装のどこに隠していやがったのか、あやせの左手に手錠、
右手にはライター。

「ご一緒に電流はいかがですか?」
「全部いらんわ!」
こいつスタンガンまで持ってやがるのかよ。

でもな。あやせに限って間違いはないと思うが、ライターとか未成年が
持ってるのが見つかったら、何かと面倒な事になるんじゃないの? 
その右手の妙に派手なライター、どこで買ったんだろう、と思いながら、
あやせの掌の中でキラキラ光を反射するライターをよく見ると。

そいつは、ラメ入りのデコレーションで『かなかな』と書かれていて、
ご丁寧に本人のプリクラが貼り付けられていた。
アイツはやっぱりアホだ。


「それで・・・あやせさん? 何か話があったんじゃないですか?」
監視カメラに灯る赤ランプを横目でちらちら見ながら、妙に固い口調で
切り出していた俺。

これ、確かに。なんか音声も記録されてて後に残るような錯覚があって、
迂闊な事が言えなくなる効果があるな。
困ったぞ。これじゃあやせに十分セクハラしてやれんじゃないか。

―母親の思うつぼだった。


「今日は桐乃の事で、少しお兄さんにお聞きしたい事があって来ました。」

そんなこんなで始まった、今日のあやせの相談ごと。
「桐乃の事、つってもなー。俺よりもおまえの方がよっぽど詳しそうに
思えるんだが、とりあえず言ってみ?」

「はい。あ、その前に、先日はありがとうございました。桐乃、とても
喜んでくれて。」
律義にお礼を言ってから本題に入ろうとするあやせ。

今言ったのは、あのプレゼントした、あやせたん抱き枕の件だよな。
受け取った桐乃のリアクションは俺が一番良く知ってる。

その日、部屋から出てきた桐乃と廊下ではち合わせをした時があった。
そん時の桐乃の表情は、俺が知るどのエロゲの妹をクリアした時よりも
明らかに壊れていた。
とても幸せそうではあったが、例えばモデルの仕事中にうっかりあんな
目尻やよだれを見せていたら、契約解除は間違いないだろう。

別の仕事は来るかもしれんが、それは兄として断固許す訳にいかない。
エロ本買ったらモデルが妹似で微妙な買い物になる―程度ならまだしも、
本人だったりした日には、俺の明日がどっちへ行くか俺にも責任持てん!


少々脱線してしまったが、そんな前置きがあった後に、
「多分・・・、わたしの気のせいだけじゃ、ないように思うんですけど、」
と遠慮がちに切り出すあやせ。

「どうも、最近、桐乃からの、ある種のスキンシップが急に強くなった
ように思えて・・・。
あと、着替えの時に、気付けば桐乃の視線を感じる、みたいな事も結構
多かったり。」

そこまで話したあやせは、あ、そうそう、誤解のないように、と、
「当たり前の事ですけど、それが嫌って訳じゃ、全然ないんですよ?」
と付け加える事を忘れない。

さらにそのあと、
「ただ、何か原因のようなものがあるのかな、って思って・・・。
だって、桐乃がもし何か足りないものを感じて寂しがってるんだったら、
親友のわたしとしては、まず、それに気付いてあげて。
それから、それが何だか突き止めて、できれば満たしてあげたいなって、
そう思うからなんです。」
と、真剣かつ、とてもいい表情で続けた。

おまえは桐乃の婚約者か。
もうね、妬けちゃうよ、お兄さんは。どんだけ愛してるんだよ。


「で、具体的に、あやせは、桐乃のどういう行動に引っ掛ってるんだ?」
と聞くと、
「あの。何と言いますか。」

言いにくそうにしているあやせではあったが、それを言わなければ多分
今日ここに来た意味がなくなってしまう。

それはあやせも解っているのか、
「学校の体育の前後とか、あとモデルのお仕事で衣装を着替える時とか、
気が付いたら、桐乃のガン見するような視線を背中の方から感じる事が
最近よくあって。
それも、なんだか、視線が、その、下の方、って言いますか・・・その
お、お、お、おしりに」

あやせの、おしり。
自分で反芻してみて、ちょっと取り乱しながら、それでも俺は、何とか
自分の視線を目の前の美少女の下半身に向けるのを抑制し続けていた。

こちらを向いてクッションの上にぺたんと座っているあやせのおしりを、
今の体勢で見るのは、どうやっても無理なのだが、それでも視線が少し
下向きに動けば、こちらを向いているあやせにまる解りになる。
そうなるとあやせは決して見逃してはくれないはずだ。

折しも、俺の心は安っぽい監視カメラの光る赤ランプで威嚇されていて、
わざとらしく流し目のようにあらぬ方向へ視線をそらしてる俺の人相は、
ただでさえ悪いと言われるいつもの5割増しの目つきの悪さだろう。


俺が必死に本人から意識を逸らしていると、あやせが多少興奮しながら
その続きを喋る。

「そ、そんな桐乃の視線を背中に感じてドキドキしていると」

ドキドキすんなよ!

「桐乃ったら、すーっと後ろに寄って来て、『ここがええのんか』とか
『いいではないか、いいではないか』とか言いながら、おしりにタッチ
してくるんですよ。」

・・・完全にオヤジと化しとるな、桐乃。
俺はよく知らんが、桐乃や同類の好きなエロゲの中にはオヤジが主人公
という作品もあるらしく、もともと親和性はいいのだろう。知らんけど。

「そのあと必ず、『いやーん、まいっちんぐ』って言わされるんです。」
って、どんなプレイなんだ、それは。つうか、何を見てたんだ桐乃。


あー。何となく解ってきたぞ。
って言うか、
「ああ・・・すまん。それ、多分俺だわ」

「え? それはどういう事なんですか、お兄さん?
・・・まさか桐乃をそういう性癖に調教したのは、お兄さんだとか?
そんなの許さない!」
くわっと目を見開くあやせ。マジ恐くて、ちびりそうなんだけど!

俺は、あやせの気迫に、慌てて訂正を入れる。
「違う! 妹を調教とか、俺には色んな意味でハードル高過ぎだろ!」

理由はそれなりに情けないが、事実そうだから仕方ない。

「それもそうですね。」

おまえもすぐ納得すんなよ!


「いやな、あやせ。実はすっかり言いそびれていたんだが、世の中には
光あるところに影があるように、表あるところに裏があるんだ。」
「面倒な言い方をせず、さっさと言って下さい!」
「それはな・・・。こういう事だっ。」
じゃじゃーん。
俺は、自分が腰かけてる俺のベッドの上のあやせたん2号を、ぐるんと
ひっくり返した。

どちらが表でどちらが裏とはどこにも書かれていないが、この種の物は、
確かに片面の奴も多少あるものの、大抵は両方の面に絵が描かれていて、
それも表と裏で、同じ人物のちょっと違った姿が描かれている。

少なくとも、俺がチェックしたサイトでは、全部そうだったし、実際に
この、あやせたん2号もそうだ。

両方の面を見比べてみると、明らかに「表と裏」という位置付けになる。
つまり、人様にお見せしてもギリギリ大丈夫な面と、アウトの面があり、
普段は当然セーフの方を見えるように置いてある訳だ。

だが、先日の一件からして、あやせはその辺の事情は知らんだろう。
うん。ヤバいかもしいれんな、これは。


あやせたん抱き枕の「表」の方は、簡単に言えば、中学の制服を着てる
あやせが仰向けに寝転んで、こちらを向いて微笑んでいる絵柄だ。
少しセーラー服やスカートの端が捲くれて、白い肌や小さな布が覗いて
いるところがあり、そこは当然俺が重点的に可愛がるポイントなんだが、
当の本人は、そんな事には少しも気付いていない様子に描かれている。

全体を通して見ても、少し恥ずかしげに頬を染め、にこやかにおすまし
している柔らかい表情とポーズや仕草が、俺にはたまらない一品だ。
中でも、真っ直ぐにこちらを見て、にこやかに笑いかけてくれるあやせ、
というのは、知り合って俺のセクハラ対象になって以降は、俺の前じゃ
滅多には見られない絶滅種みたいなもんだし、何度見てもこの笑顔には
俺の思考に干渉する何かが含まれているとしか思えない。

この絵柄は、あやせ本人も一応、目にして桐乃に贈ったはずで、だから、
本人も嫌だとか悪いものだとは思っていないと思う。


それで、な。
次に「裏」の方なんだが、これははっきり言ってアウトだろう。
少なくとも俺にはこっちを上にして人に見せる勇気はない。

「表」では仰向けだったあやせを、ごろんと俯せにして背中を向かせ、
下を大きく、上も少しはだけさせた。字にするとそんな絵柄だ。

でもまぁ、一言で言うならば、「おしり」だろうw

絵の中であやせが抵抗するように後ろ手で辛うじて手をかけ守っている
純白のショーツは、下げられる限界まで下ろされて、もはや布ではなく
帯か紐、同然の状態だ。

大事なところはショーツを持つ手で隠せているものの、その左右には、
優しいカーブと弾力性、滑らかさなどを秘めた白い奇麗な二つの球面が、
ほぼ全部剥き出しの丸出しになっているという格好だ。

膝のあたりまで落ちたように描かれた制服のスカートは、何の防御にも
なっていないばかりか、むしろ拘束具チックになってしまっている。

上半身も背中の辺りが大きくはだけて、そこから片方の肩と腕、それに
胸もちょっと、ズレたり捲くれたりした白いブラからのぞいている。


そういう、かなりエッチなポーズに描かれているんだが、実のところ、
俺には「いやらしい」とは全然思えなくて、むしろそれより、やっぱり
あやせは奇麗だ、可愛いと、そっちを思ってしまう。

しどけない姿に描かれたあやせの表情は、背中越しに、大きくこちらを
振り向いた困り顔で、かなり不安の色も混じっているように見える。
だけど、表情を荒げたり、取り乱している感じではなく、やはり奇麗で
ちょっぴり色っぽい、可愛い俺のエンジェルそのものだ。

俺はもしかしたら、本当はこんな顔をするあやせが見たくてセクハラを
しているのかもな。
もっとも、俺が実際に、こういう状態に持ち込む機会があったとしても、
あやせの反撃というか先制攻撃をお見舞いされ藻屑と消えるのが関の山
だろうがな。

まぁ、これは多分、あやせに似せて、想像を交えて、絵に描かれたもの
だから、本物のあやせがこんな恥ずかしがり方をするとは限らない。
でも、本人を知ってる俺が気になってしまうんだから、本人がこういう
表情を見せる事もあり得るんだとは思う。


と、長々と考えてしまったが、我に返ると、目の前では、先日のように、
あやせが俺のすぐ横に横たわる抱き枕を見て取り乱していた。

「い・・・いゃああぁぁ!」
枕の裏側の絵柄を確認するなり、あやせは、座っていたクッションから
飛び上がると、そのまま、ベッドに腰かけている俺のすぐ横をすり抜け、
あられもない姿を見せるベッドの上の分身に抱きつくように飛び付いて、
自分の全身を使ってそれを覆い隠そうとした。

ところが、問題はその結果だ。
あやせの反射的な動きにより、お尻丸出しだったあやせたん2号の姿は
確かに隠されていた。隠されて、いたのだが。

俺のすぐ横のベッド上にダイブする格好になっちまったあやせ本人の、
真っ白なワンピースのスカートの部分は大きく捲くれ上がり、さながら
白い花が咲いたような様相を呈していた。

その花びらの中心にあたる部分には、これも真っ白の小さなショーツと、
それだけの面積では隠し切れないお尻の半分以上が、咲き乱れていた。

おしり隠して尻隠さず―
皮肉な事に、あやせは、自分が被い隠そうとした絵柄とほぼ同じ場面を
自ら演じてしまっていたわけだ。


っていうか、これ、大丈夫か、俺?

あろう事か、今、俺のベッドの上にいるのは、マイラブリーエンジェル
あやせたん、本人だ。
いるだけじゃねぇ。手を伸ばせば触れられる距離に、寝転んでいる、だ。
しかも、相手は夏らしい薄着で、エロゲ顔負けのとんでもないサービス
シーン、パンチラ満開を演じている。


さっきまで話していた間じゅう、ベッドの端にずっと腰かけていた俺と、
結果的にだが、その真横に飛び込んで来たあやせ。
その間の距離は、本当に触れるか触れないかだ。

今の体勢のまま、俺がほんの少し手を動かせば、足の裏をこちょこちょ
くすぐってやる事もできるし、もう少し腕を伸ばして太股をマッサージ
してやることも出来るだろう。
少し身体を伸ばせば上半身にも手が届くから、頭の上に軽く手を載せ、
撫で撫でしてやろうと思えば出来るし、長い黒髪の先の方をくるくる、
分け目や頬にかかる所をわしゃわしゃしてやる事も出来るはずだ。
あやせがくすぐったがっても、俺のベッドは壁際にあるから、壁と俺に
挟まれたあやせが自力で抜け出すのは難しい。

俺の横でうつ伏せになり抱き枕を守っているあやせは、不思議とずっと
動かないままの状態でいるから、本当に今、俺が少し手を動かすだけで
さっき考えたような事を簡単に現実にする事が出来る・・・。

などと言っても、実際俺がそんなコミュニケーションを女の子に対して
取った経験があるかと言えば、一度もない。
思い返せば、エロゲの中ではちょっとあったような気がしたが、あれは
俺であって俺ではない。

エロゲと言えば、あやせの今の状況・・・、俺の前でパンチラ花ざかり、
も、かなりのエロゲ的シチュエーションだ。
でも、「だから今、実際にどうこうしよう」とは、リセットの効かない
今の現実の状況では考えられない。
だからこそ、ぜひともセーブしておきたい状況ではあるが。

・・・・・・・・・・・

さっきから続いてる静寂をいいことに、少し落ち着いて考えてみる。

今のこの現状は、例のごとく、俺が直接はたらいた悪事ではないのだが、
状況から見るに、いつもなら蹴りか殴打、少なくとも罵倒の嵐にはなる
シチュエーションだろう。

しかし、今日のあやせは、どうも違う。
ただ、あやせたん2号の上に折り重なって倒れ込んだ、その状態のまま、
一言も発さない。

そんな有り得ない状況に、俺は何だか拍子抜けを通り越して不安になり、
「おい、どうした?」
と、顔を伏せたまま動かない、あやせの背中に声をかける。
・・・背中だぞ、尻にじゃないぞ。

「貧血か何かか? 大丈夫か? お兄さんが血行を良くするマッサージ
「結構です」

「せめて最後まで喋らせろよ」
いつものような即答ではあったが、やはりあやせは身体自体は動かさず、
顔もうつ伏せのままだ。

「なぁ、どうしたんだよ。気になるじゃねぇか。」
一応、紳士の端くれでもある俺は、なるべく、あやせの腰から下の方を
視界に入れないようにしながら、傍らに伏せる美少女に声をかけた。


「動いたら良からぬ物が見えちゃうからに決まってるじゃないですか。
・・・それに」
いや、動かなくても、もっといいものが見えちゃってるんだけどな。
と言うか、・・・「それに」?

「わたし今、思わずこんなふうに野獣の檻に飛び込んでしまいましたが」

オイ、えらい言われようだな!

「今日のわたしは、何をされても、何も抵抗できません。」

どういう意味だよ、それ。
「わたしが今、着ているのは、桐乃が見立てて、贈ってくれた、世界に
たった一着のドレスなんです。これを少しでも、汚したり、破いたり、
いえ、僅かでもほつれさせたりするような事は、わたしにはできません。」

女の服の事はよく解らんが、確かに、あやせのワンピースは、部分的に
すげー細かそうなレース?みたいな凝った飾りが何ヶ所も施されていた。
あやせキックや幻の右が繰り出せない理由はそこだったのか。

しかし、黒猫といい、あやせといい、何で俺のまわりの女は、わざわざ
桐乃セレクションの一張羅で俺の前に現れやがるんだ?
制服か普段着で来りゃ、楽でいいのによ?


「つまり、この服は、今日のお前にかけられた手錠、ってとこか。」
「・・・そうですね。そうかもしれません。」
「そして、今の俺は手錠に縛られず自由だ。」

「お兄さんに破かれるくらいなら、わたし自分で脱ぎます。」
「待てよ! 破かねえよ! どんな野蛮人だよ!」

そりゃ、健全な男子としては、そういう行為にはそそられるものがある
かも知れんし、実際したら、興奮だってするだろうよ。
けど、あやせをマジ泣きさせるような罪悪感のでかい事が俺に出来る訳
ねーじゃんか。

「なんですか。今はちょっとそんな冷静なつもりでいても、いざ実際に
揉み合いになったらどうせ力任せにビリッと・・・」
「しねぇよ! そんなこと! だいたい、揉み合いになんてならねぇ! 
俺は揉むかもしれんが、おまえは揉まんだろ?」
「女の子に向かってそんな事を言う人の、何を信じろって言うんですか。
変態。穢らわしい!」

俺は、自分の背中側にいるあやせに。
あやせは、顔を伏せたまま。
視線が合う事なく、ただ言葉だけがピンポンのように反射的に行き交う
応酬が続く。

「女の子に、じゃぁねょ。おまえにしか言わん。」
「だから、いちいち、何でそんな最っ低ーな言い方になるんですか。」
「おまえが俺にとって特別な存在だからだろ。」
「な!!」

俺も今、流れに任せて、ちょっと変な事を口走ったような気がしたが、
不意にあやせに動きがあったように思って顔を向けると、あやせも少し
顔を上げて、こちらを振り返るようにしていた。

何分か振りに接触する、お互いの視線。
「た、他意はねぇよ。実際、そうじゃなけりゃ説明が付かんだろ。」
俺はまた視線を外し、あさっての方角を向く。


ちょっと前から、自分でも不思議に思っていたことがあった。
俺は、何で「あやせに」セクハラをするのか。

いや、黒猫や瀬菜たちにも「セクハラ先輩」呼ばわりされた事はあった。
けど、それは、俺が直接意図したものではなく、あやせに対するのとは
違う種類のものだと思う。

俺は、何を見るでもなく、部屋の天井を見上げ、
「・・・さっきお袋が、おまえの事を『アイドル』って言ったけどな、
それ、割と近いと思う。おまえは・・・すげぇ奇麗だし、大人っぽくて、
・・・多分、これからもっと奇麗になっていって、本物のアイドルとか、
そういう、手の届かない所に行ってしまう気がする。」

妹と共に、書店に並ぶ本を何ヶ月も飾り続ける、モデルのあやせ。
こいつらのルックスのレベルの高さは、確かに、身内びいきもあるかも
しれんが、俺が保証する。
なんちゃら48とか、そういうのに混じっていても、違和感ないだろう。
まぁ俺にはよくわかんねぇ世界だし、世界に通じる、とまでは言わんが、
あやせに目を留める業界の人は、今の事務所の人を含めて、これからも、
何人も出て来るはずだ。


「・・・そんな先の事なんて解らないじゃないですか。」
当のあやせがそう言うのはもっともだが、
「俺にはそう思えるんだよ。」

「じゃぁ、お兄さんは、わたしが『手の届かない存在』とか、今もそう
思ってるんですか?」

「・・・その傾向はあるんじゃねぇか? 何つっても、『エンジェル』
だからな、俺ん中じゃ。少なくとも、そう思うような俺のエンジェルは
他にいない。」
俺の周りには、麻奈実とか、沙織とか、いい奴、いい娘が何人もいるが、
考えてみると、あやせのような惹かれ方をした相手はいないと思う。
その意味で、やっぱりこいつはなぜか特殊な存在だ。

「手が届かないのに、セクハラはするんですね?」
「手が届かねぇから、するんじゃねぇの?」

・・・あやせの一言に対して「売り言葉に買い言葉」のように反射的に
出て来てしまった、俺の一言。
それは、俺自身にも意外で、できれば認めたくない、真実、だった。


・・・ああ、そうだったのか。
俺がこの奇麗な妹の友達と恋人同士になりたがったとしても、それには
障害が多すぎる。

第一に、あやせ本人にその気がなく、むしろ喧嘩友達みたいなノリだし、
こいつは俺に無いものを幾つも持っていて、妹と共に光り輝いている、
俺には釣り合いそうにも無い存在だ。

高嶺に静かに咲く一輪の白い百合、俺の中にはそんなイメージもある。
(ちなみに、隣に咲いてる向日葵が桐乃な。丸いから。)
家柄だって、気難しいように感じられるお偉い両親の一人娘らしいし、
仮に付き合っても、事務所の目を盗んで密会、とか、それ何てエロゲ?
ホワイトエンジェル、ってか。

そんな、こんなで、あやせが俺の彼女になってくれる可能性は、著しく
低いわけだが、今のところ、このアイドルは、俺の所にこうして相談に
来たりする。
『会いに来るアイドル』って貴重だよな。

で、俺は、あやせに「付き合って下さい」と言えずに、「結婚してくれ」
か・・・。ガキか、俺。


「どうしたんですか、お兄さん。いつも考えない事を、ちょっとは考え
ましたか?」
ちょっと咎めるような、嫌み混じりのような、妹と同じ3つ下の娘の声。
そんな言葉も、ごく自然に受け入れられるのは、やはり、俺があやせに
人として好意を持っているからだろう。

「わたしに対する数々のセクハラについて、何か結論は出ましたか?」

「結論とかは出ねぇけどさ、どうやら俺は、おまえと何でもいいから、
ずっと接点を持っていたい、と、そう思ってるんだと思う。」

そう、努めて抽象的に、しかし嘘にはならないように遠慮がちに言うと、
あやせは多少語気を強めて、
「何でもいいって。結婚したいんじゃなかったんですか? お兄さん、
そう言いましたよね?」
「・・・言った」

その時に、そういう形の言葉にしたのは、はっきり言えば冗談だ。
だって、その時の俺は、(今もそうだが)、年齢的にも、人間的にも、
まだまだ具体的に結婚なんてできる状態ではなかったんだから。

「そう思った事は嘘じゃないんですよね?」

・・・口にした言葉の表面は、確かに冗談でしかなかったが、
「うそじゃ、ない。はずだ。と思う。」

「嘘なんですか? お兄さんは結婚詐欺をしたんですか?」
矢継ぎ早に問い詰められ、防戦一方になる俺。

「・・・いや、その、俺もおまえもまだ学生だし・・・今すぐどうこう
ってことじゃないんだが・・・大体おまえ、OKしたか?」
「するはずないじゃないですか。」
「だろ?」
「違います! わたしは、まだ、返事をしてないだけで、断ってなんか
いません!」

なんじゃ、そりゃ。意味わかんねぇよ。
「いや、『生理的に無理』とか、言われた気がするぞ?」
結構傷付いたのだよ、俺は、その時。

「それは、後になってから、心底気持ち悪い顔と声で妙に至近距離から
『あれはセクハラなんかじゃなく愛のこもったプロポーズだった』とか
言ってきたからでしょう?」

「いや、でも『あり得ない』とも言われたぞ、確か。」
「『彼女には』でしたよね? しかも『現状のお兄さんとは』ですよ!」
間髪を入れずに返したあやせ。
確かにそうだったような気はするが、おまえはそういう遣り取りを一々
記憶してるのか?


「という事は、もしかして、俺があやせをゲット出来る可能性も決して
ゼロじゃない、という事なのか?」
「もう・・・。本人に向かって、なに情けない事を聞いてるんですか。
先の事は解らない、と、そう言ってるんです! ・・・いまのところ、
わたしに、その、プロポーズとかしたのは、お兄さんが唯一の例ですし、
それに、初恋が実るのって、何だか素敵ですし。」

どこへ行こうとしてるんだ、この話?
「は? 初恋? おまえの? 誰に?」
「ち、ち、ち、違いますよ! お、お兄さん、そう! お兄さんの事に、
ききき決まってるじゃないですか!」

「・・・いや、そんなに慌てられても、何の事やら全く解らんのだが、
おまえは俺の何を知ってるんだ?」

「そ、そう!麻奈実お姉さんが言ってたんですよ。『”きょうちゃん”
が、特定の女の子に興味を示したのは、多分、初めてのこと』だって。
『幼稚園や小学校でも見たことない』って。」

あいつ・・・。
っつうか、俺ってそうだったのか。

「お姉さん、お兄さんとずっと仲いいじゃないですか。なのに昨日今日
会ったようなわたしに、『わたしは、ずっと何年も”きょうちゃん”に
優しくしてもらったから、あやせちゃんも優しくしてもらうといいよ』
とか、『わたしは”きょうちゃん”の恋が叶うといいなって思ってるよ』
なんて言うんですよ。」

あンのバカ。・・・ここまで来ると涙が出るわ!

「そんなのじゃないです、って言っても、『それじゃぁ、そういう事に
しておくね』って、ずっと笑ってるんですよ。」

そう言えば、唐突に思い出した。
あいつ―麻奈実が、何かの時に、「結婚して幸せになるんなら、あやせ
ちゃんみたいな相手でないと」とか何とか、俺に言っていた事を。
あいつは、俺自身も知らない俺を、どこまで知ってるんだろう。

・・・・・・

「わたしも、女の子で、モデルですから、奇麗だとか、可愛いと言って
貰えるのは、素直に嬉しいし、お仕事を頑張ろうって思います。」

また話の方向がちょっと飛んだように思ったが、あやせは続ける。
「カメラマンの先生で、撮影中わたしたちの表情を上手く引き出す為に、
『じゃぁ、彼氏のことを考えてみようか! 残念ながら彼のいない人は、
優しいお兄さんの事を考えてみて』とかおっしゃる人がいるんですけど、」

もしかして俺の出番か? それ。

「桐乃は呼吸困難になるまで盛大に咽せて仕事になりませんでしたし、
わたしは目つきが悪くなったって注意されました。」

おめぇらは!

「でも、お兄さんとは、全部が全部、悪い思い出という訳でもないので」

なんちゅう言い草だ!

「一枚か二枚、誉めて貰えるようないい写真が出来たことについては、
とても感謝しています。」

微妙だが、ここは喜んでいい所なのか?

「だからその。・・・わたしはしばらくモデルを続けるつもりですから、
例えば、もしも、もしもですよ? お兄さんが言ったように、わたしが
大きな仕事をするようになった時は、付き人にしてあげてもいいです。」

「付き人、って? おまえのかばん持ちみたいな?」
「お兄さん、『どんな形でもわたしと接点を持ち続けたい』って言った
じゃないですか。それだったら、別に仕事のパートナーでもいいんじゃ
ないかと。」

うーん。
就職先があやせの下僕か。俺的には幸せかもしれんが、ちょっと人には
言えんな。

「付き人っていのうが嫌だったら・・・。そうだ、お兄さんも、桐乃も
うちの事務所に入って、それでわたし達のマネージャになって下さいよ!
それならいいでしょう? ・・・あぁ、何なら、ご家族で『高坂モデル
プロダクション』とか経営して引き抜いてくれたら、わたし喜んで移籍
しますよ?」

確かに、マネージャの真似事なら何度かしたよ。他ならぬあやせの頼み
でな。
でも高坂プロて。そりゃまぁ、何故か俺の周りには、おまえらを筆頭に、
強烈な個性のあるフォトジェニックなやつらが、ごろごろしてるけどな。

「もし、カメラを勉強する気があったら、カメラマンなんていうのも、
いいかもしれませんね。」
そんな事もさらっと言う、あやせ。

桐乃やあやせのスケジュールや体調を管理したり、ファインダーの中の
妹たちの一瞬の表情を撮る俺。
今まで考えもしなかった世界が、そこにあった。

俺や桐乃がいい歳になって、それぞれ一人立ちしても、接点を失わずに
繋がりを持っていられる。
妹たちから目を離さず、見守り続けて世話を焼くのが当たり前の仕事。

・・・ちょっと頑張ってみてもいいかもしれんな。
いや、今、急にそんな事を言われて、すっかりその気に乗せられてるん
じゃねぇよ。
ただ、俺一人の凝り固まった考えだけじゃなく、世の中は考え方次第で
いろんな可能性を秘めている、そういう事に気付かせてくれたあやせに、
俺は素直に感謝したいと思ったぜ。

「あやせ、ありがとな。俺、もっと頑張らないとな。」
「わたし、お礼を言われるような事は、何も言ってませんけど。それに
モデル云々だけじゃなく、わたしは一生、桐乃の親友をやめる気はない
ですから、嫌でも自然とお兄さんとの縁は続くと思いますよ。」

「嫌でも、か。・・・けど、おまえの結婚式に呼ばれるのとかだけは、
勘弁な。俺、ぜってー泣くから。」

今、あやせが着ている服より、もっと豪華な純白のドレス。その瞬間の
あやせは、本当に奇麗だろうし、ぜひ見てみたいというのは正直あるが、
それでも俺は、ここまで知り合ったあやせが、誰か他の男のものになる
その瞬間だけは見たくねぇ。
誓いの口づけの瞬間、俺は頑に目を閉じるだろう。

「・・・何でわたしの結婚式に出てくれないんですか。」
あからさまに不満げなあやせの口調。
「俺はな、これでも寝取られ属性だけはねーんだよ。」
「? 属性?」
「いいじゃねぇか。どうせ親父さん達の知り合いが何百人とやって来て、
おまえの結婚式は相当豪華になるんだろ。それだけで十分じゃねぇか。」

「はぁ? 何言ってんですか。絶対来てもらいますよ。例え牧師さんと
わたしとお兄さんだけになっても!」

意味わかんねーよ。それだと新郎はいったいどこにいるんだっつうの!



「なぁ、あやせ。今日はおまえと、いっぱい話が出来て俺的には嬉しい
んだが、おまえ、いつまでそうしてるつもりだ?」

実は、たくさん話をした、とは言っても、俺とあやせは、ほとんど目を
合わせていない。いつか、黒猫が俺の部屋に入り浸っていた時のように、
あやせはずっとベッドの上に寝転んでいるからだ。

「だから動けないって言いました。変に動いたり、力をかけたりして、
大事な服がほつれたり、糸引きすると大変ですから。」

「いや、そういう訳にはいかんだろ。おまえも俺の抱き枕になるんじゃ
なけりゃな。」
こういう一言が余計なんだろうな、と思っていたら、あやせは、案の定
喰い付いてきた。
「なんでわたしまでお兄さんの性奴隷にならなけりゃならないんですか。」

「おい。俺がいつ、あやせたん2号と性的な関係になったよ?」

そりゃ、俺も、健康な男子であるから、あやせたん2号をどうにかして
しまいたい、と思ってしまう瞬間は正直ある。しかし俺はこいつを一切
汚す事ができない。
こいつは、あやせ本人が俺の為に自らのフレグランスとラブを注入した
(違うかもしれんが)世界に一つの貴重なお兄さん専用抱き枕だから、
他の成分を注入するのはご法度だ。

「それは、モデルであるわたしに、魅力が無い、ってことですか?」
俺の態度にどこか引っ掛かったのか、少しぶっきらぼうに、そんな事を
言うあやせ。

この辺の反応は、桐乃と似ていると思う。
直接、性的な対象にされるのは認められなくても、魅力がないと言われ
るのは、それはそれで我慢ならないんだ。
ましてや、あやせも桐乃もモデルをしている位だから、「見られる自分」
というものを、ある程度意識してるんだろうな。

とは言え、男の側にも男子の事情はある。
例え本当でも、「毎日お世話になってます」とは、さすがに言えんだろ。
いや、毎日、あやせを抱きしめて眠りに落ちられる、その幸せの事を、
「世話になってないか」と言えば、そりゃ、なってる内に入るんだろう
けどな。


仕事上で認められているほど、これだけ奇麗なのに、俺の一言くらいで
心を揺らしてしまうあやせ。
まぁ、そういうところも、年下らしくて可愛いところだ。

「おまえやあやせたん2号に魅力が無い―なんて、そんな事はねぇよ。
俺にあやせたん2号の魅力を語らせるとちょっとうるさいぞ、覚悟しろ?
まず俺は、おまえが見るなり隠しちまった、そっちの絵柄が大好きだ。」

「・・・何をはっきり『エロが好き』とか言ってるんですか。」

「いや、むしろエロじゃなくてな、おまえの、髪が長くてすらっとした
大人っぽく見える体つきの中のあちこちに、可愛らしいところが幾つも
ちりばめられてる―、みたいな。そういう、奇跡のバランス?みたいな
お前の魅力が凄く良く出てると思うから、見てて飽きんし、大好きだ。」

「な・・・何を奇麗にまとめてるんですか?」

全然表情は見えんが、これは絶ってー、照れて恥ずかしがってるよな。
ちょっとうまい事言えた俺は、持論の展開をやめない。

「おまえはな、お尻が出てるとすぐに『いやらしい』と思うんだろうが、
ほらこの滑らかな曲面とか柔らかそうなカーブとか・・・もう神の奇跡
っつうか、すっごく奇麗なもんだと思うぞ。」

「・・・『この』?」

・・・やべ。

「さっきから、桐乃に見られてる時とは明らかに違う、気色悪い視線を
背中に感じるとは思ってましたが、えいっ!」
「ぐ、ぐはっ・・・。何をしやがる、このアマ! いきなり足を振って
かかとで人の顔を蹴っ飛ばしやがるなんてよ!」
「情けない・・・。語るに落ちた事ぐらい気づいて下さいよ、お兄さん。
ちょっと振り上げた足のかかとが顔に当たるなんて、あなたはいったい、
どんな至近距離で、何を見てたんですか。」

蹴られた頬を抑えながら、俺は
「すいません、あやせさんの奇麗なお尻です。」

しかし、こんな事になっても、今日は暴力沙汰にならねぇなんてな。
桐乃GJ。あやせの心の手錠、恐るべし。

「・・・そう言えばお兄さん、今『滑らかな』とか言いやがりましたね?
・・・わたし、腰の辺りが少しスースーすると思ってたんですが・・・
まさか」

ゴゴゴゴゴ・・・とおっかない擬音を伴って怒りに打ち震えるあやせの
イメージが、次第に現実のものになりつつあった。

「お兄さん。あなたは今日抵抗出来ないわたしのスカートを捲くった、
というんですか!? これはもう立派な性犯罪ですよ!? この強姦魔!」

「ち、違う! 初めから捲くれてたんだ!」

俺の叫びは、しかし、自分でも正当性を見い出せないものだった。
気づいた時に言ってやらない、直してやらない時点で、同罪だろう。
俺の言い訳を聞いたあやせを取り巻く擬音の音量が、一気に倍になった。

遅まきながら、俺は、慌てて、あやせのお尻のスカートを直してやる。
しかし、それがいけなかった。

あやせの背中にかけて跳ね上がっていたスカート部分の端を摘まんで、
さっと下に引き降ろそうとした俺の右手は、まるで吸い込まれるように
するりと、あやせのぱんつとお尻の間に入り込んでいった。

今度こそダメだ。
ひんやりしてる。
俺の人生は終わった。
柔らかい。
殺される・・・
しっとりスベスベだ。

「ひっ!」
小さく呻いてから、俺から辛うじて見える頬を真っ赤な色に染め上げ、
両方の拳を固く握り締めて、部屋中に聞こえるような大きさでスーハー、
スーハー、と、深呼吸を繰り返しながら、あやせは懸命に羞恥と怒りに
耐えていた。
その耐える姿がいじらしくて、また萌えるのなんのって。


「きいいぃぃっ! お、に、い、さ、ん!」
全ての字に濁点が付けたような発音で、身動きの取れないあやせが憤慨
する。
「い! つ! ま! で! 触ってんですかぁっ!」
「す、すまん」
俺は、あやせの声に吹き飛ばされるように、そそくさと手を引っ込めた。

「信じられない。いきなりBだなんて。」

ちげーよ! と言いたかったが、考えてみれば、不幸な間違いがあった
おかげで、俺がいい思いをした、その分だけ、うら若き乙女のあやせは
かなり嫌な思いをしたはずだ。
ここは気を使ってやるのが、年上の余裕というか威厳っつうもんだろう。

「あのぉ、あやせさん? 何か食べたいものとかない? 新しい服とか
アクセサリとかは?」

「わたしの欲しいものですか? お兄さんの、命・・・ですかね?」

たいそうお怒りのようだが、何でおまえのセリフは時々、地獄の使者が
透けて見えるんだ。
首狩り鎌と、体全体をぐるぐる巻きにできそうな超長げぇロープみたい
なの持ってたぞ、今見えた悪魔。

「いのち以外でお願いします。」
「じゃぁ、お兄さんの人生」
「お・・・おまえは」
俺の人生を取り上げる、とか、俺を社会的に抹殺するのが望みなのか、
おまえは。

「おまえに人生を預けろっつうんなら、最期くらいはちゃんと看取って
くれるんだろうな?」
俺は、また変な方にジャンプし始めた話を、構わず勢いで続ける。
何だかんだ言って、しょーもないヨタ話でも、あやせと話すというのは、
結構楽しい事だしな。
しかも、今の一言って、ちょっとプロポーズっぽいし、へへ。

「看取るって、今すぐですか?」
恐えーよ! また悪魔が見えたよ! おまえは何を言ってるんだ!

「ちげーよ、老後の話だ! っつか、やっぱり、そんなに怒ってたのか。
・・・いや。そりゃ、ま、当然なんだろうけど、さ。」
なんつっても、この超絶ラブリー美少女の「なま」の、すべすべお尻に
タッチしちまったんだからな。
俺GJ。あれはキシリア様に献上できるぐらい良いものだった。

いかん、思い出したら興奮してきた。

「お、兄、さ、ん! 『ぐふぐふ』とか、何を気色悪い笑いを漏らして
るんですか! 想像しているものによっちゃ、ぶち殺しますよ!」
「ぐふとは違うのだよ! グフとは!」
「いーえ! お兄さんは結婚したら絶対に愚夫になるタイプです。」

「なんでおまえ、今日はそんな結婚にこだわるの?」
「こ、こだわってませんよ、別に。そ、そんな事より、いま、いったい
何を想像してたのか、言えるもんなら言ってみて下さいよ!」

「おまえのお尻、あやせたん2号と同じくらい魅力的だった。」
「く・・・。気が狂いそうです、今!」
「いや、おまえが言えってゆーから」
「くわぁーっ! もうもうもうっ! おしり・・・! おしりだけは!
結婚しても絶対に許さないんですからね!!!」

いや、おまえのポリシーは良く解ったし、俺も一応、覚えてはおくが、
そういうことは旦那になる人に言えよ。

「てか、いつのまにか、また結婚の話になってるし、おまえ、やっぱり、
早く結婚したい願望とかあるのか? 俺、セクハラっつー特定分野なら、
今すぐにでもおまえを満足させてやる自信あるぞ。」

「・・・この!・・・くぉのぉ!、・・・くぉんのぉっー!!」
あやせの腕が、首が、全身が痙攣に似た震えを見せ始めている。
いつもなら早い段階で安全弁のように切れていたのが、今日に限っては
「心の手錠」のおかげで切れる事ができず、限界まで内圧が上昇した、
そういう事かもしれない。

いかん、これはやりすぎた!
「あやせ、すまんかった。落ち着け。」

俺は切れる寸前のあやせを、抱き枕ごと背中から抱きかかえる。
でも、力任せに抱きすくめるのじゃなく、そうだな、地震なんかで物が
倒れたり落ちて来るのから守ってやるような、そういう微妙な力加減と
僅かな間隔を保持して。
何故かと言えば、そういう行為が、あやせの大事にしている服に被害を
与えかねないからだ。

そして。どこだ、どこにある、おまえの緊急冷却装置。

「あああ、あやせ。旅行に行こうか。温泉とかどうだ? 地獄巡りとか
熱海とか、新大陸とか?」
「全部キャラが違います!!」

・・・不発だったらしい。
しかし、時間がない。もうこうなったら、

「あやせ! 愛してる!」



すんでの所で解除コードを受け付けた映画か何かの自爆装置のように、
あやせは一瞬、大きく息を呑み、そして徐々に身体の力が抜けていった。
相変わらず良く解らんシステムだな、おまえ。・・・助かったけど。

はぁはぁはぁ、と、エキサイトしたあとの息を調整するあやせ。
「きょ、今日のセクハラはまた格別に凄かったです。・・・無抵抗だと
言ってるわたしに、何もあそこまで。」

聞きようによっては、何か凄い事をした、その事後みたいな物言いだが、
うん、おまえは良く頑張ったよ。・・・いや、頑張らせたのは他ならぬ
俺なんだけどな。

俺は思わず、愛用の抱き枕や、(何か特別な理由で)妹に時々してやる
ように、ねぎらってやるべき目の前の存在の長い髪をたたえた後頭部に
手を置き、ぽんぽん、と軽く叩く。

考えてみれば、あやせにこんなふうに触れるのは、今までなかった事で、
そもそも、「うつ伏せの」とは言え、あやせの背中に覆い被さるような
体勢になっている事自体、全くの想定外の事態だ。
言うまでもなく、顔が見えているあやせの一睨みは、全ての物質を石に
しかねない威力があるし、今日のような枷のかかってない素のあやせに
くっつきに行くのも無謀が過ぎると言わざるを得ない。


「抵抗できないから、って、『舌を噛み切って死ぬ』とか言うなよ?」

じっとして頭を撫でられていたあやせだが、今の俺のセリフに反応して
少しこちらに向けた横顔の目元には、僅かに透明な水滴が残るのが見え、
それが、あの脱ぎかけのあやせたん2号の困り顔にオーバーラップし、
一瞬俺の視線を奪う。

「は?舌を噛み切るくらいなら、お兄さんの舌を噛み切ってやりますよ!」

おいおい。
しかしえらい事言うな、おまえ。
「勢いで喋るなって。大体おまえ、俺の舌を噛み切ろうとしたら、まず、
その前段階として、俺とちゅーしなきゃならないんだぞ。それも濃厚な
べろちゅーだ。おまえに出来る訳ないだろ」 

「できますよ、それぐらい。馬鹿にしないで下さい! あれも、これも、
それも、全部お兄さんのリード次第じゃないですか! 自分の下手さを
わたしのせいにしないで下さいよ!」

だから勢いと対抗心だけで喋るなよ。おまえ、自分が何を言ってるのか
把握できてるか?


「はい、はい、っと。・・・じゃ、補助してやっからさ、もういい加減
起き上がれよ? お気に入りの服も皺だらけになっちまうんじゃね?」

現在の、この「親亀の背に子亀」的な体勢、つまり抱き枕を抱くあやせ、
さらにそれを抱えた俺の図は、やっぱりどう見ても自然な体勢ではなく、
万が一にも、帰って来たお袋や桐乃に見つかっていい体勢ではない。

「そうですね、・・・って。・・・もしかして、さっきわたしがキレて
喚き出しそうになったのを止めたの、この服の事を心配してくれたから
なんですか?」
意外そうなあやせのセリフ。

そりゃさ、さっきは必死だったけど、もちろん頭の中にあったよ。
「すげぇ大切なもんなんだろ? それ。」
「ふ、ふーん。ちょっとは、わたしの事を大事には思うんですね?」
「ちょっと、じゃねーよ。『愛してる』って言ったろ?」

「・・・ふん。もういいです! もうお兄さんの嘘は聞き飽きました!
わたし、もう、解ってるんですからね? お兄さんがわたしに冗談とか
セクハラの形でちょっかいかけて来るのは、わたしに真面目に断られて
へこみたくないから、ですよね? 嫌がらせなら、嫌がられるのが当然
ですもんね?」

また新たな事実が発覚したよ。俺、最低じゃね?

「い、いたいとこ突いてくるな? とにかく、起こすからな。」
「へんなところ触らないで下さいよ?」

俺は、壊れ物を扱うように、細心の注意を払って、ゆっくりとあやせを、
へばり付いてる抱き枕ごと抱えて、持ち上げる。
仰向けだったら「お姫様だっこ」になって、いい雰囲気も出ただろうに、
あやせはずっと俯せだったから、どう見ても、フォークリフトが荷物を
パレットから引き出す作業にしか見えないだろうがな。

まぁ、ともかく俺は、ベッド上からあやせを慎重に引き剥がして浮かせ、
そのまま部屋の中心の方にくるりと向きを変えると、今度は、立たせる
ようにしながら床に下ろそうと、足を下にしてあやせの身体を少しずつ
傾けていく。

あやせの足が床に届くかどうかの、その瞬間、
「あっ、」
足に力を入れようとして靴下が滑ったのか、バランスを崩したあやせが
とっさに俺を頼るようにしがみ付き、ほぼ同時に、俺の腕も、あやせを
支えようと反射的に動いた。
「おっと。」

あやせと一緒に持ち上げ、一緒に立たせようとしていた抱き枕だけが、
俺達の身体の間からするりと抜け落ちた。


「・・・お兄さん?」
「何?」
さっきまでのベッドの上とはまた違う形での、言葉と言葉だけの応対。
それは、現在俺達が置かれている状況―、まるで抱き合って、身を寄せ
合っているかのようで、顔を見合うのに必要な距離も取れないくらいに
極端に近い位置関係―のせいだ。

お互いの口から、すぐそばにある相手の耳へと、短い言葉が行き来する。

「・・・どこを触ってます?」
「いや、背中・・・かな。」
「柔らかいですか、わたしの背中?」
「うん。ぷりん、と柔らかいな、背中。」

「もう一度聞きますが、どこを触ってます?」
「あ、あやせさんの奇麗なおし・・・」

イタタタタ!
あやせは、自分の片足を俺の右足の上に載せると、そのまま思いっきり
体重をかけてきやがった。

いや、でも、おまえがまず、腕を廻して、すがって来たんじゃないか。
俺の腕はそれに制限されるから、必然的に、それより下で、小さくしか
動かないんだぜ。それで、反射的におまえを抱き留め支えようとしたら、
どうやってもこういう体勢になるじゃねぇかよ。

けど・・・けど・・・これはよ?

お尻からはすぐ手を放したが、なんだか惜しい気もして、そのまま腰の
あたりまで添えた手を移動させ、ダンスでも始まるかのようなポーズで
あやせとくっついたままの俺。

踏まれてる足は痛ぇが、補って余りある甘美な感覚が俺を包んでいる。
あやせは着ている服の縛りからか、派手なアクションでの反撃や、俺を
振りほどいたりとかは、まだできないっぽく、今の、足だけの攻撃も、
いつもと比べれば全然可愛らしい部類のものだ。

しばらくは、その「飴と鞭」のハーモニーに身を委ねていた俺だったが、
すぐにあやせはとんでもない事を言い出しやがった。

「お兄さん。舌を出して下さい。」
「は?」
「舌を出しなさい! 何度言っても解らない人には、お仕置きです!」

顔を上げ、俺を下から見上げてくるあやせ。
今日はずっと側にいたけど、久し振りに見た、やっぱり奇麗な顔だ。
でも言ってる言葉にゃ全然似合ってねぇ。

まぁ、今日の俺は、主にあやせのお尻に繰り返し直接攻撃をしちまった。
誓って、狙ってやったもんじゃねぇけどよ、あやせ本人からすりゃぁ、
そりゃ、割り切れるもんじゃねぇよなぁ。

いつもの反撃が出来ない今日、ちょっと指で舌をつねられるぐらいは、
我慢してやるか。
やれやれ、優しいお兄さんも楽じゃねぇぜ、と、俺はあやせの罰を渋々
受け入れる事にした。
「じゃ、お手柔らかに頼む。」


うっ! くっ・・・。
おい! お、おまえ! 何してんだ!!

嫌々出した俺の舌は、あやせの指ではなく、もっと違う、湿り気のある
不思議な感触のものに挟まれていた。
いや、挟まれるその前に、少しだけ何か暖かくて柔らかいものと当たり、
そのあと時間をかけて、何度も何度も、少しずつ強弱を付けられながら
固い何かにあま噛みみたいな事をされている俺の舌。

軽く目を閉じ、想像した痛みに静かに耐えようとしていた俺だったが、
そこに襲って来た全く違う種類の感覚。
それに、見えないが、自分の顔のすぐ前に感じる、自分はでない体温と
息遣い。

これは!? これは!?
数分前のあやせの言葉が急に蘇ってくる。
『お兄さんの舌を噛み切ってやります!』

・・・マジかよ!

可哀想に、俺の身体は、この天使だか悪魔だか解らん年下の女の子に、
悲鳴と歓喜の声を同時に上げさせられていた。
『もう貴方無しでは生きられない』、一瞬だが、そんなセリフの意味が
理解できたような気までした。

ふ・・・、ふ・・・、ふぅっ~。
息をする事も出来ない、無限に続くかと思った懺悔の時間が終わり、
「す・・・すげぇっす」
俺のセリフには、もはや年上の、男の威厳など微塵もなかった。
俺があやせを支えているのか、俺の方がもたれ掛かっているのか、もう
俺には判断できなかった。


「・・・何事も、いきなりうまくは行きませんから、今日のは練習です。
でも、わたしがどれくらい本気なのかは、解ってもらえましたよね?
わたし、やる時はやる女ですよ?」

事もなげに言い放ったあやせに、ただ、カクカクと頷くしかない俺。

殺る時は殺る女・・・、あやせ。
・・・今度は、人間を標本にでもできそうな、でかい瓶を持った悪魔が
背中に見える。いつか俺はあの瓶に閉じ込められ、地獄へ直送されるの
だろう、第一級セクハラ罪で。


「でも、わたし、安心しました。お兄さん、絶対舌が二枚あると思って
いたんですが、一枚だけ、でしたね。」
そんな事を急に真っ赤になって言うあやせ。
「俺は妖怪じゃねぇ! っつうか、おまえそれ、俺へのセクハラなのか?
は、恥ずかしい事いうなよ!」

「ふぅん。『セクハラ』って楽しそうなんですね。勉強になりました。」

ちくしょう。
いくらかは仕返し出来た、とか思っているかもしれないあやせに対して、

「いいや、おまえはセクハラの何たるかを全然わかってねぇ! 
セクハラはな、こうやってやるんだよ!」

悔し紛れ、だったのかも知れんが、俺は、
「あやせ、今すぐ結婚しよう。今から式場の予約に行くぞ!」
そう宣言して、あやせをひょいと「お姫さまだっこ」に抱き抱えると、
階段をドタバタと降り、見えない足元にある靴を適当に足に引っかけて、
そのまま玄関から外へと飛び出した。

いやな。本当に結婚式場に行く気は無くて、単に恥ずかしいスタイルで
あやせを家まで送ってやろう、と、そういう事を考えてたんだが。

「ちょ、ちょっと! お兄さん!」
俺の大暴走ぶりにあっけにとられている俺のお姫様は、それでも落ちて
怪我をする訳にはいかなくて、俺に手を回して身の安全は確保する。

「悪いなあやせ。もし大事なワンピに傷でも付けちまったら、俺が責任
持って桐乃に頭下げて、代わりになるようなの調達するからよ!」
「それはいいですから! もう降ろして! 恥ずかし過ぎます!」

街中を走り抜ける俺達に集まる周囲の目。
その中には俺の知り合いの目もあったが、テンションがMAXの俺には
なぜか全部が俺を後押ししているように感じられた。

「先輩・・・。とても悔しいのだけれど、今日は男前だわ。」
「きょうちゃん・・・。きょうちゃん、頑張れ!」

「おうよ!」

公園の角を、遠心力に打ち勝つように身体を傾けつつ曲がると、

「あ! 桐乃ぉー、桐乃ぉー、助けて! この際、加奈子でも~!」
お姫さまが手を振る方角には、何度か見た事のあるワンボックス車と、
その関係者と思われる人だかり、撮影現場が見えて、どんどん近付いて
来る。

「な、なにやってんの、あんたら?」
「説明はあとだ、ちょっくら行って来るぜ、桐乃!」

「次は加奈子も載っけろよ?」
「おう加奈子、また今度な。」

俺はスピードを緩めず桐乃たちの撮影現場のまん中を突っ切ろうとして、
よく見えなかった足元の何かに躓きかけ、それでも何とか持ち直す。
躓きかけた俺が蹴り飛ばした箱か篭?の中身の小物?が降って来たが、
構わずその中を、あやせの家へ向かって一気にラストスパートをかけた。



「ふぅん・・・。結構、サマになってんじゃん。」



そんな事があった翌月。

今度は制服で俺の部屋へ来たあやせは、
「こんな写真が本に載って、わたし、もうお嫁に行けません!」
と、俺の目の前に一冊の雑誌を、バン!と置いた。

それには、俺にお姫さまだっこされるあやせが、雑誌のカラーページの
見開きのまん中に配置され、その周りに桐乃や加奈子がお洒落した姿で
それぞれデートに出かける、そういう写真と関連記事で埋まっていた。

これだけ見ると、あやせと俺が毎週こんなデートをしている事になるが、
もちろんそれは編集マジックであり、そんな事実はどこにもない。

というか、その写真は、写メなんかのようにどこかボケた写真ではなく、
ちゃんとしたプロ用器材で撮影されたように見える本格的な仕上がりで、
本職が撮影したものに相違なかった。

俺があやせをお姫さまだっこする、それは百も承知のシチュエーション
だったが、もともとウェディングドレスと似たシルエットの白いドレス、
それを着たあやせの頭にふわりと舞い降りたように写っているヴェール、
そのバックにちらほらと舞っているコサージュや花束など、何かを表現
するのにタイムリー過ぎる小道具までが偶然写り込む写真になっていた。

恐らく、その小道具は、あの日、俺が蹴り飛ばした箱の中身に違いなく、
その証拠に、俺が箱に躓きかけ、ちょっと体勢を崩しかけていたために、
写真のあやせは、俺を気遣う視線を送りながら、俺にしがみ付きかける、
かなり親密な様子を見せている。
どう見てもこの二人は、再来月には引き出物を選び、子供の名前も考え
始めているような、そういう二人にしか見えなかった。


「お兄さんは、責任をとって一緒に来て下さいね!」
と急転直下で連れていかれたのは、あやせたちの所属する事務所の入る
建物だ。

けどな、大体、あの日、あそこで撮影していた一行に、うちへ来ていた
あやせは関係ねぇはずだし、俺だって寝耳の水の話だ。
俺の肖像権はどこへ行った。

と憤慨する用意をしていたら、事務所の人は、とんでもねぇ話を持って
来た。

あの写真の掲載に関しては、桐乃主導で、俺以外の高坂家の人間全員が
一致団結して掲載許可を出したからだという。
一方、あやせの方は、家までお姫様だっこで送りにきた不審な男の事を、
両親に「撮影の為の準備」とか何とか言い訳したもんだから、その証明
のために、本人が渋々掲載をOKする事になったと弁明した。

写真そのものについては、
「ふだん見ることのない新垣さんの自然な表情と、周囲の偶然の一瞬を
奇跡的に捉えた、カメラマンの、たっての希望によるもの」、
そして、
「その見本誌を目にしたクライアントが、写真と同じようなイメージで
ポスターやCMを制作したい、と打診が来ている」

・・・んだそうで、何にしても、生まれて初めてづくしの経験だった。


後日、俺は、今度は本物のウェディングドレスをまとった、超キレーな
マイエンジェルを、またお姫さまだっこして、そのクライアントさん―
結婚式場部門を内部に持つ地元の老舗ホテル―での撮影に臨んだ。
のちの高坂京介デビュー、である。

あやせはともかく、俺など実際はほとんど顔が出ない(トリミングされ、
画角の外に追い出される)訳だから、ちゃんとプロが代役をすればいい
ようなもんだが、なぜか俺か呼ばれていた。
ちゃんと「あやせの彼氏」なんかではなく、むしろ「桐乃の兄貴」だと
説明したのに、だ。

まぁ、あやせも、相手が俺なら、変にかしこまったりしないだろうし、
どこか触ったりしても、後で罵倒や仕返しが来るだけだから、ある意味
やりやすいと言えるのかもな。


その日の撮影が無事に済んで、俺は、あやせに握手を求められた。
つまり、今日は友達関係じゃなく、仕事のパートナーとして、だ。

「お兄さん、お手を」
「おう」
もちろん俺は、ありがたくそれに応え、手を前に出す。

「・・・片手だけでいいです。なんで両手を卑屈に揃えて出すんですか、
もう。」

せっかくのいいシーンを茶化されて、少し拗ねるあやせ。
無論それは、花びらや宝石の飾りを従えてキラキラと輝いている今日の
あやせを直視できない俺の照れ隠しだ。

そんな今日の役柄で言うと俺の花嫁(照れるぜ)、ラブリーマイワイフ
(言っちまったよ!)あやせから、何かくすぐったく聞こえる一言。

「ふふ。もう年貢を納める心境なんですか? お兄さん?」

あやせは悪戯っぽく笑ったまま、やや遅れてもう一方の手も差し出すと、
沙汰を待つ下手人の手を純白のグローブ越しの両手でそっと包み込み、
そうして俺達は、少しの間、何も言わずに両方の手を重ねていた。

その後、エキシビションとして、桐乃や加奈子、それになぜか、見学と
称して付いて来ていた黒猫や、沙織、麻奈実まで、一人ずつだっこして
一枚撮られてやる羽目になったのは、おまけの話である。


そして、さらにその次の日。

「これ、どうしましょうか?」

あやせが、今、「これ」と言ったのは、昨日、撮影に行ったホテルから
ホテル内のティールームのスイーツセットなどと一緒に、とりあえずの
謝礼として俺達に進呈された、封筒の中身だ。

『ペアご宿泊券』
スィートルーム一泊ご招待。但しご利用はご本人様に限らせて頂きます。

まだ現金や物なら、半分こするなり、話は単純なのだが、これは・・・。
いや、この際、それも良しとしよう。真の問題はもっと大きいのだから。

『披露宴優待パスポート』
本ホテルで挙式される際、ご希望の人数様の披露宴を無料で催し・・・


つまり、これは、使わなければ一銭の価値も無い紙キレだが、あやせと
俺が結婚する場合に限り、この券は5万円にもなれば、500万円にも
なる。

いや、そりゃ、イメージキャラクターが実際に利用すれば、宣伝効果は
大きいんだろうけどな。


だが俺達が500万円をドブに捨てるのに何の抵抗も無いか、と言えば、
もちろんそんな事はない。

顔を見合わせる俺達。

「・・・あやせ・・・結婚、する?」
「・・・そ、そうで・・・・・・いえいえいえ! い、いま、ちょっと
考えた事はありましたけど、わ、わたし何も口に出していませんからね! 
あまり心にもない事ばかり言ってると、本当にその舌を噛み切りますよ!」


嘘が大嫌いで、嘘をつけば舌を抜くという。それが俺のエンジェル。


俺の天使はあくまでこんなに可愛い

fin

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最終更新:2011年10月02日 23:59