「日系人」と「日本人」:サンフランシスコの事例から

佃 陽子
東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程

 本報告では、「日系人」とはどのような人なのかということよりも、「日系人」という言葉は誰によって、誰に向けて、どのような状況において使用されるのかという問題について考える。そして、「日系人」を措定する特定の社会的及び政治的状況や、自己と他者を区別する境界の創出に批判的検討を加える。
 本報告が事例として取り上げるのは、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコである。報告者は、サンフランシスコにあるジャパンタウン(日本町)という戦前から存続する日系コミュニティで2000~2004年に渡って調査を行い、「日系人」と「日本人」の交流について修士論文を執筆した。ここでいう「日系人」とは戦前に渡米した日本人移民の子孫である二世、三世などの英語を第一言語とする人々であり、「日本人」とは戦後に渡米した新一世と呼ばれる日本人移民や駐在員や留学生などの一時滞在者を含む、日本語を第一言語とする人々である。この研究では、出生地や国籍よりも、使用する第一言語が日本語か英語かで二つのグループを区別した。英語の論文中では、日系人を“English-speaking Nikkei”、日本人を“Japanese-speaking Nikkei” と呼んだ。サンフランシスコの事例から、一般的に「日系人」と名乗るとき、名指すときの、自己と他者の境界の形成やそのポリティクスについて考察する。また、人的な国際移動がより頻繁になり、より複雑化している現在、国境を越えた「日本人」はいつ「日系人」になるのかという問題についても自己批判的な側面から検討する。

最終更新:2008年01月29日 01:08