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The Zero Bound on Interest Rates and Optimal Monetary Policy

GAUTI B. EGGERTSSON
MICHAEL WOODFORD

オーバーナイト名目金利のゼロ下限が存在する場合における適切な金融政策はどのようなものであるかについては最近注目のトピックになっている。日本ではコールレート(アメリカにおけるフェデラルファンドレートと同等のオーバナイトキャッシュレートのこと)は1995年10月から50ベーシスポイント以下となっている。そして、ここ4年間ではほとんどの間ほぼゼロになっている(図1参照)。よって日本銀行はその期間中ずっと名目金利を引き下げる余地を持っていなかった。この間、日本の成長率は低迷したままで、物価は下落し続けた。これは金融緩和の必要性を意味する。しかし通常の救済方法---短期名目金利を低める---は明らかに利用不可能であった。マネタリーベースの積極的な拡大はこれらの状況下では需要を刺激する効果はほとんどなかったように見える。図1が示すように、マネタリーベースは1990年代始めからGDP比で2倍にもなった。


アメリカでは同時期にフェデラルファンドレートはわずか1%にまで引き下げられたが、回復の兆しは極めて弱い。このため多くの人々がアメリカも金利政策がマクロ経済の安定化ツールとして無効になってしまう状況に陥るのではないかと危惧している。他の多くの国も同じような問題に直面している。ジョン・メイナード・ケインズは金利がこれ以上の金融緩和のできない水準にまで下がってしまうという流動性の罠に陥った時にどのような政策が経済の安定化のために用いることができるか、また金融政策がこのような状況でわずかでも有効であるかを問うた最初の経済学者である。長い間、より理論的な好奇心の対象として扱われてきたテーマではあるが、ケインズのこの問いは現在緊急の実際的な重要性を帯びてきたが、それは理論家達にとって既になじみのないものになってしまっていた。

ゼロ下限に達した時、もしくはゼロ下限に達することが不可避の状況での政策のあり方への問いは金融政策への根源的な問題を持ち上げる。ゼロ下限を打つ可能性を認識することが、下限に達する以前の段階での政策のあり方を根本的に変えてしまう、と人によっては論じる。例えばクルーグマンはデフレを「ブラックホール」とよんだ。ひとたびデフレに落ちると経済はそこから抜け出すことができない、というのである。この流動性の罠での金融政策に対する悲観的な見方から導かれる結論は、通常の状況でも十分高めのインフレ率をターゲットにすることなどによってそもそもデフレ予想が形成されるような状況から遠く離れていられるような経済運営することが大事だ、ということだ。他方で、ゼロ下限に達した時でも金融政策は効果があると楽観的な論者もいる。例えば、デフレはブラックホールではないという議論がしばしばなされる。金融政策は短期名目金利のコントロールとは別の経路を通じて総支出に影響を与えることができるから、結果としてインフレ率に影響を与えることができる、というわけだ。このように日本とアメリカに関して多くの議論がある。金利の引き下げのできない状況でのマネタリーベースの積極的な拡大の優位性について、より満期の長い証券の購入を通じての長期金利を引き下げる試みについて、さらにはその他の資産の購入について、などである。

しかし、これらの見方が正しいとすると、中央銀行および貨幣経済学界における金融政策の運営に関する近年確立された考え方の多くに挑戦することになる。この考え方はオーバーナイト金利ターゲットの適切な調整を行うというものとして金融政策を捉えることを強調する。そして有名なテイラールールのような金融政策のための処方箋は通常これらの文脈で論じられる。実際、そのような政策が経済がデフレスパイラルに落ちることを未然に防げないのは政策のガイドとしてのテイラールールの決定的な欠陥だという議論もある。

同様に、流動性の罠に陥る可能性についての懸念は現在もう一つの有力な金融政策手法に対する深刻な異論として提出されている。それはインフレ目標である。インフレ目標から示される政策には目標とするインフレ率を達する(少なくとも、平均的には達する見込みがある)名目金利が実際に存在することが仮定されている。しかし、デフレの状況でゼロ金利下限に達したならば、これ以上の利下げが不可能なことから、ゼロより高いインフレ目標を実現することはできない、という議論である。このような場面でインフレ目標を設定する意味は果たしてあるのだろうか?日本銀行は頻繁にこのような議論を用いてインフレ目標を採用することを拒んできた。例えば日本銀行金融研究所所長の翁邦雄の「短期金利が既にゼロであるため、例えば2%のインフレ目標を設定したところで信認を得ることはない」という言葉が引用される。

我々は貨幣の伝達メカニズムを扱った異時的均衡モデルを使って、最適な金融政策を実現するために名目金利のゼロ下限のもたらす結果を考慮してこれらの問題に光を当てたい。我々のモデルは非常にシンプルなものであるが、基本的な問題点を明確にすることが出来ると考える。このモデルで我々はゼロ下限がインフレと実物経済活動の到達可能な均衡経路の真の制約となる条件と中央銀行による様々な資産の公開市場での購入が制約を和らげる範囲について考えることができる。また、ゼロ下限が存在しなかった場合や、最適政策の下でゼロ下限が問題にならないほどの実質ショックを考えた場合に最適と思われる政策に対して、ゼロ下限の存在を明示的に扱うことでどのように最適金融政策が変化するかを示すことができる。

結論の一部を先取りすると、少なくとも低インフレ時にある種の実質ショックを受けたときにはゼロ下限は金融政策の安定化能力に重大な制約を与えることが分かった。中央銀行が様々な種類の資産を買うことを通じてマネタリーベースを拡大する方法は、インフレと経済活動の実現可能な経路の範囲を拡大させるいかなるものも、ある(完全にcredibleな)政策へのコミットメントの下での均衡と整合的である場合には、ほとんど効果がない。

よって、重要なトレードオフは短期名目金利が常に非負であるという制約を考慮に入れて、短期名目金利の状態依存経路の他の選択肢がもたらす結果を考察することで明確になる。これによって、我々はゼロ金利は一時的に制約となり、その時にはゼロ下限がなかった時との比較において厚生の損失を不可避的にもたらすことがわかった。

それにもかかわらず、ゼロ下限制約は適切な政策が行われれば悲観論者が想定するものよりもずっと穏やかなデフレしかもたらさないことを示す。実現可能な均衡は代替的な金利政策を通じてもたらされる結果に対応しているものの、金融政策は金利をゼロ下限にせざるを得ないほどのショックが与える収縮的な影響を緩和する力がないというには程遠いのである。このような状況で最もダメージが少なくする方法のキーは経済がゼロ下限に制約されなくなり、中央銀行が再びグリップ力を取り戻した時にどのような金融政策がとられるかに関して正しい予想を形成することである。我々は、そのように予想されることが望ましい将来の政策についての予想を特徴づけるため異時的均衡モデルを使う。そして、信認を得られるとすれば制約付き最適均衡をもたらすであろう物価水準ターゲティングルールの形成について議論する。

我々の分析は同じトピックにおける数年前のクルーグマンの議論のいくつかの重要なテーマを発展させたものである。クルーグマンと同様に我々はゼロ下限を打った時にもたらされるショックの強さを決定する将来の政策に関する予想の役割を特に強調する。クルーグマンの初期の仕事に比較すると、この論文の最も重要な貢献はより完全な動学分析であろう。例えば、価格がゆっくりと調整されるという我々の仮定は、クルーグマンが単に一期間価格が固定されているという仮定に較べると、より豊かで(また、いくらかより現実的な)ショックに対する動学的な反応を調べることを可能にする。クルーグマンのものとは異なり我々のモデルでは、金利の自然率を引き下げるような実質ショックは、価格改定が平均で年に数回行われる想定においても、産出水準を単なる「一期間」ではなく数年に渡って潜在力以下に留める原因になる。これらのより豊かなダイナミクスは流動性の罠での経済の収縮を減少させることのできる政策コミットメントの性質についての現実的な議論にとっても重要である。我々のモデルではインフレを起こすためのコミットメントは将来のしばらくの期間も金利を低く保つという覚悟を必要とする。これに対し、クルーグマンのモデルでは、将来の物価に対するコミットメントは将来の名目金利の引き下げについては言及していない。また、ゼロ金利制約が効いている場面でのインフレ期待の醸成が中央銀行の長期的な物価安定へのコミットメントの信認の維持とどのように折り合いをつかられるのかについても上手く説明することができる。

我々の動学分析はまた、中央銀行の民間部門の期待の管理がゼロ下限の影響を和らげることができるようないくつかの方法を明らかにする。クルーグマンは名目金利がゼロにあってもインフレ期待を上昇させることで実質金利を引き下げることを強調した。しかし、このことは中央銀行が極めて間接的にしか影響を与えることができない変数に関する期待に影響を与える範囲でしか経済に影響を与えることができないことを示唆する。また、効果を与えることができる類いの期待はゼロにまで低下した名目金利の満期に対応した比較的短期的な視野においてのインフレに関係するもののみであることをも示唆する。このような解釈は期待を通じての実際的な効果についての懐疑へと安易に導く。インフレが短期的に粘着的であると考えられる場合は特にそうである。にもかかわらず、我々のモデルでは期待が複数のチャンネルを通じて総需要を刺激するのである。

まず、現在の総需要を刺激するものは単に短期実質金利だけではない。支出の異時点間の代替に関して我々のモデルは全ての期待短期実質金利が、つまりとても長期の実質金利が重要であることを示唆している。このはインフレ期待の醸成が、すくなくとも今後一年間は発生しないインフレであったとしても、期待名目金利がインフレ期待に対応して上昇しない限り、総需要にも極めて重要な影響を与えることを意味している。さらに、現在の水準だけでなく、将来の名目金利の経路への期待が重要であり、それによって長期間にわたって金利を低く保つことへのコミットメントが、現在の金利をこれ以上下げられないような環境においても、またインフレ期待が影響を受けないという仮説の下においても、総需要を刺激できるのである。中央銀行はその意思さえあれば短期名目金利の経路を完全にコントロールできるのだから、そのようなコミットメントが信任を得られないいかなら場合においても、それは中央銀行がそのコミットメントを履行できるかどうかということへの懐疑が原因ではないだろう。

我々のモデルのこれまでより豊かな動学は最適政策の分析にとっても重要である。クルーグマンは主に金融政策がゼロ金利制約を受けた場合に完全に不能であるかどうかという疑問を提示した。そして彼はインフレ期待を起こすことで流動性の罠においても実質経済を刺激する可能性について論じた。我々もこの結論には同意するものの、中央銀行が後々インフレを好まないことについて納得のいく理由があるという前提で、いかなる範囲においてそのような期待を醸成するのが望ましいのかという疑問には答えてくれない。またクルーグマンのモデルは極度に高いインフレをもたらすどんな理由でさも有害であると除外している限り、そのような問題を提起するのに適していない。それに対して我々の粘着価格モデルは(予期されていようが、いまいが)インフレは歪みをもたらすことを示唆するが、それはしばしば実際の中央銀行の関心事項であるとされる物価の安定と産出ギャップの安定との間のトレードオフの関係にある安定化政策の目的関数を正当化している。そのような環境において我々は最適政策がどのようなものであるかを明らかにし、ゼロ金利制約に呼応する形でより高いインフレ期待をもたらすような経路依存の政策へのコミットメントを確かに含むことを示す。また我々はそれが可能であると仮定した上で、そのような期待を形成することが最適となる範囲を示す。例えば、我々は、それが一つの均衡の可能性であるとしても、ゼロ金利を脱却するほどの非常に高いインフレにコミットすることは最適ではないことを示す。これはゼロ下限が最適政策コミットメントの下でも重要な制約であり続けることを意味している。


Conclusion

金融政策が短期名目金利がゼロ下限に制約されている状況を取り扱うために重要な点は将来の政策運営に関する期待の適切な管理にあるのだ、ということを論じてきた。「期待を管理する」ということは中郷銀行がその気になれば実際に何をするかに関わらず民間部門に信じて欲しいことを信じてもらえるように導けるということを意味しない。そうではなく、我々は中央銀行が望まないことを民間部門に信じ込ませるようなことはしない、ということを仮定しているのである。しかし、十分に予期されることによって便益をもたらす望ましいと考えられる一連の行動に対して中央銀行が事前にコミットできること、および、民間部門にそのようなコミットメントが信認されることが強く求められると我々は主張する。

貨幣伝達メカニズムのシンプルな最適化モデルを用いて我々は純粋にフォーワードルッキングな政策---すなわちそれは過去に起きた条件に反応するために将来の政策にコミットできないことを意味する---が、自然利子率の一時的な減少が起きた時にショックに対してとられた政策の如何に関わらず極めて悪い結果をもたらすことを示した。我々はまたコミットメントが信認されるという仮定の下での最適政策についても考察し、ショックが起きなかった時の水準よりもさらに高い物価水準まで物価を引き上げていくようなコミットメントが必要になることを示した。最後に、経路依存型物価水準目標ルールに基づくベース金利へのコミットメントが最適均衡を決定するという性質を持ち、経済に影響を与える多くの種類のショックとは無関係に、同じ形式の目標ルールがやはり最適政策となるようなルールの一種について述べた。

望ましい結果をもたらすための民間部門の経路依存型政策への予想の役割を所与とすると、中央銀行が民間部門に政策のコミットメントをシグナルする効果的な方法を発達させることが重要である。これについての本質的な前提は明らかに、中央銀行自身が己のコミットすべき経路依存的な行動について明確な理解を持っていなければならないということである。そのとき初めて中央銀行は政策についての対話が可能となり、民間部門に理解してもらいたいことの本質に沿って行動できるのである。単にルールに沿って政策を執行するということは最適な政策、もしくは最適に近い政策を実現するには不十分である。しかし、そこからしか始まらないのである。