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以下は Andy Harless というAtlantic Asset Managmentのチーフエコノミスト(Ph.D. Harvard)で、雇用と財政を中心としたマクロ経済学を専門とする研究者のTreasury's Monetary Policyを翻訳したものである。翻訳はnight_in_tunisia

財務省の金融政策

何十年もの間、国債発行は民間投資を「クラウドアウト(押しのけ)」するから財政政策の効果は限定的であると多くの経済学者が論じてきた。「クラウドアウト」にはいくつかのバージョンがあるのだけど、そのうちの一つはこんな感じだ。

市中にはある一定の貨幣が流通していて、人々は他の資産とともに貨幣をポートフォリオの一部として保有している。貨幣は特殊な資産である。なぜなら市場での支払いに使える唯一の資産だからである。このため人々は資産のある一定の割合を貨幣として保有したがる。(簡単のために総資産のある一定割合で貨幣を保有するような都合のいい例を考えよう。)

政府が借入を行うと、経済に非貨幣的資産(この場合は国債)が導入される。この時、人々のポートフォリオにおける貨幣の割合が低下する。なぜなら人々の総資産が増加したのに貨幣はそのままだからだ。人々は代わりに他の非貨幣的資産を減らすので、民間部門は社債の発行や増資によって投資資金を調達することが難しくなり、その結果、民間投資が減少するってわけだ。

このシンプルな「一定割合」バージョンのストーリーでは100%のクラウドアウトが発生する。政府部門の債務の増加と同じだけ民間部門の非貨幣的資産が減少しなければ人々は自分たちのポートフォリオに満足しないのだ。資本市場で調達できなくなったのと丁度同じ金額だけ民間投資が減少するので財政支出は最終的な経済刺激効果はないというわけだ。

約30年前、ハーバードの経済学者ベンジャミン・フリードマンはあの「クラウドアウト論争」のきっかけとなる疑問を提起した。もし、人々が国債を民間部門の証券のようにではなく貨幣のように扱うとしたらなにが起こるだろうか?(結局のところ、国債は極めて流動的だ。そのまま支払いには使えないけれど、現金が必要な時にはいつでも換金できる。しかもだいたいいつでもどんな値段で売れるか予想はつく。少なくとも他の民間の資産よりはね。)

だとしたら、政府が借金をすると自分のポートフォリオのうち「現金と現金のようなもの」の比率が高まる。(貨幣の比率に持ち上げるために貨幣に近くない)民間の証券を減らす代わりに「現金と現金のようなもの」の比率を下げるために民間の証券を買うだろう。公的債務は民間投資を「クラウドアウト」するかわりに民間投資を「クラウドイン」するんだ。

彼はまたいくつかの国債が他よりも明らかに現金に近いものであると指摘した。30年国債は金利が劇的に変動するので、もしかしたら社債にとても近いものかもしれないが、3ヶ月国債はかなり現金に近い。支払のために現金が必要ならばいつでも安心できる価格で売却することが出来る。ありがちなのは、政府が国債を発行すると人々のポートフォリオはより安全になるので、民間の証券の買い入れを増やす、減らすのではなく、ってことだ。それで、ベンジャミン・フリードマン教授は財政政策はマクロ経済へ影響を及ぼすことが出来ると結論づけた。財務省が短期国債を発行すればするほど、経済を刺激する効果は強くなるのだ。

僕がそれを初めて読んだ時(それはそれが書かれた約10年後で大学院で僕がベンジャミン・フランクリンに教わったときのことだ)、とても好奇心を刺激するアイディアだと思った。しかし、そのときはそんなに重要なことのようには思えなかった。その頃はアメリカのインフレ率はほとんどの経済学者が好むよりも高い水準だったし、ホットなトピックだったのはどうやって大きな刺激を与えるか、ではなくっていかに景気を悪化させずにインフレ率を下げるかってことだったのだ。もっと言えば、経済を刺激するにせよ抑制するにせよ通常の金融政策の効き目に疑念の余地はなかったのだ。国債発行はよく言っても場末の見せ物ぐらいでしかなかった。

時代は変わった。インフレ率はほとんどの経済学者が望むよりも低く、経済は最近の景気循環の上昇局面にあっても極めて悪い。ホットトピックはアメリカ経済を刺激するためにもっとも費用対効果が高く、政治的に可能な方法を見つけることであり、通常の金融政策はおよびでない。

そしていま、国債は単に「他の資産より現金に近い」資産ではない。ポートフォリオの視点から見ると,新たな国債発行の分について国債は現金そのものなのである。短期国債の保有者は金利がなくても喜んで保有している。喜んで国債を持っている人は貨幣で保有するときに得られるいかなる流動性や安全性にも価値を見いださないのだ。

人々は短期国債と現金とを同一視しているので、新たに短期国債を発行することは貨幣を発行することと全く同じ効果を持つ。実務的には金利がゼロである限りは短期国債はマネーストックの一部をなしている。アブラハム・リンカーンの絵が描いてある連邦準備発行券が5ドル札であるというのと全く同じ意味で、国債は100万ドル札なのである。国債を現金に交換する通常の金融政策は効果がない。なぜならそれはもう政策ではないからだ。それは単に同じものを交換しているだけなのである。

違う切り口で考えてみよう。財務省は貨幣と全く同じような証券を発行できるから、金融政策の主導権を握っているのは財務省なのだ。財務省が選択する政策としてなにを思い浮かべるとしても、僕らは財務省に責めを帰さなければならない。もし君が「出口戦略」や近い将来のインフレを心配するのなら負債を長期化させる政策をとった財務省を褒めるべきなのかもしれない。もし君が(僕と同じように)弱く潜在的にデフレ的な経済環境が続くことを心配するのなら、財務省の政策を批判するべきだ。国債の満期を伸ばすこと(訳注:increasing its maturities の適訳がわからない)は本質的には金融緩和が必要な時に引締めを行っていることになるのだ。

もちろん財務省は独自の考え方を持っている。役人は数年後には金利が上昇することを予想し、長期的に政府債務の負担を軽減するために現在の低い金利に固定することを望む。しかし僕はこの考え方のベースになっている仮定には懐疑的だ。

次の数年のうちに金利が上がるかな?もしかしたらね。でもそうだとしたら何で人々は長期国債を保有するなんてバカなことをするんだろう?札束握りしめてもっと良い話を待てばいいじゃないか。もしそれが将来の金利がどうなるかっていうだけの話だったらそれはゼロサムゲームだ。財務省が勝てば、国債保有者の負け。でも国債を買う人は負けるつもりで買ってるわけじゃない。財務省の役人は国債を買う人達よりもずっと賢いってことか?

それリスクの問題だと言う人もいるかもしれない。財務省が現在の低い金利に固定するならば、費用の最小化はできないだろう(なぜならもっと低い短期国債の金利を諦めるわけだから)けど、費用の払いはより予測しやすくなる。財務省が費用を余分に払わなければならなくなるとしても、予期したよりも金利が上がるという最悪のケースに対する保険になる分、そのヘッジは費用に見合ったものといえる。

しかし金利の上昇って本当に最悪のケースなのかな?金利が上がるってことは、潜在成長経路に向かって徐々に収束して経済の回復が充分なスピードと連邦準備局と債券市場にそれなりの自信を与える牽引力を得ているってことでしょ。それは普通の市民としてヘッジが必要なような結果ではないと思うんだ。グッドニュースに対して保険を買いたくはないよ。むしろ逆の可能性、つまり回復が先細って金利が下落するって方にヘッジをかけたいなところだ。

アメリカ経済は潜在成長経路から遠く離れたところまではねとばされてしまったので、元の経路に復帰するまでには比較的早い成長と長い期間を必要とするだろう。(もしくは成長経路から遥かに遠くに離れたままになって潜在成長率そのものが著しく低下してしまうだろう。その場合、そこへ至までの長ーい間低い金利が続くことを覚悟しなければならないだろう。)迅速かつ持続的な成長が実現されれば連邦政府の収入は増加し、政府の「救済」投資は元を取れ、便益への支払は減少、財政赤字は縮小するであろう。上昇した金利のために政府はより多くの債務残高への金利払いを余儀なくされるが、経済が回復しているので、そうでないケースに較べて政府は少ない追加債務を累積して行くことになるのだ。だから、金利が上昇することが政府の財政にとってさえも「最悪のケース」なのかは僕には明白ではない。世間の興味に任せておこう。

また、満期を伸ばすことで財務省はデフォルトのリスクを軽減できるという意見もある。これによって政府の財務の信用を改善させ、満期を伸ばさない場合に較べて金利を低位にすることが出来るというわけだ。これがもし正しいならそれが良いことなのかは僕には分からない。民間部門がこれだけ苦しんでいる時には、財務省は政府発行の証券をもっとリスキーなものにして、それによって人々がもっと民間部門の資産に資金を投入するようにするべきなんじゃないだろうか。

いずれにせよ、それが正しいかどうかさえ分からない。財務省の担当者にしてみれば信用リスクよりもインフレリスクの方が遥かに大事なことだ。コントロールされることを拒否することでアメリカが債務を「インフレで吹っ飛ばす」インセンティブを財務省は増加させている。それは国債をより魅力的でないものにするかもしれない。もちろん既に僕も言った通り国債が魅力を失うことは必ずしも悪いことではない。なぜならそうすることで民間部門を助けることが出来るからだ。しかし、仮に財務省はもっと長い期間の国債を発行したならば、その便益は失われるだろう。その時には財務省は民間部門と競合するからだ。

ともあれ、僕は財務省がとるべき僕が思っている政策を他のみんなに同意してもらおうとは思っていない。けれども少なくとも今日のような状況の決断はこれまで浴びている以上に注目を浴びるべき重要なものであるということを何人かの読者には理解してもらえた、と思っている。僕はRajiv Sethi (Mark Thoma経由)を支持する。彼はこのことについて「誰もが政府債務残高の大きさについて終わることのない議論を続けているのに、その債務がどうやって賄われているかを誰も気にしないことはちょいと驚きである」と述べている。