Ⅷ 終末の国のアリス
ライオンとユニコーン
The Lion and the Unicorn
ライオンとユニコーン、
Were fighting for the crown;
王冠求めて戦った。
The Lion and the Unicorn
ライオンとユニコーン、
All round about the town.
町中ぐるりと駆け回り。
Some gave them white bread,
白パンあげる人や、
And some gave them brown;
黒パンあげる人がいて、
Some gave them plum cake
プラムケーキをあげる人もいて、
And drummed them out of town.
ドラムをドンドンならしてようやく彼らを追っ払った。マザーグース
出典はマザーグース「ライオンとユニコーン」。「鏡の国のアリス」にも登場。
ライオンはイングランド、ユニコーンはスコットランドを象徴している。両者のごたごたは御存じのとおり。
グレートブリテン成立以降、めでたく王家の紋章には両者が書かれるようになった。(が、それでもいろいろ大変そう。)
ライオンはイングランド、ユニコーンはスコットランドを象徴している。両者のごたごたは御存じのとおり。
グレートブリテン成立以降、めでたく王家の紋章には両者が書かれるようになった。(が、それでもいろいろ大変そう。)
ムーサ
詩人に詩情を与えるギリシア神話の9人の女神の総称(複数形:ムーサイ)。そのほか音楽、劇、舞踊など文芸一般を司る。
英語ではミューズ。ミュージアムの語源。古代ギリシャでは、この女神の神殿を中心に、ムセイオンと呼ばれる宗教結社的な学文所が開かれた。
英語ではミューズ。ミュージアムの語源。古代ギリシャでは、この女神の神殿を中心に、ムセイオンと呼ばれる宗教結社的な学文所が開かれた。
じゃ、みんなを呼ぼう。棒を投げて、クマ!
棒は空中で勢いよく回転し、
やがて地面に突き刺さった。
すさまじい地響きが「世界」に轟き渡る。
「ここが『世界』の真ん中だよ。
ここへみんなを集めよう。
さあ、お話を聞かせて!」ロビンくん 『Forest』
"プー棒投げ"は原作『クマのプーさん』に登場する遊び。橋のへりから川の上流に小枝を投じ、下流にまわって、誰の枝がいちばん早く流れ着くか見届ける、という子供らしいもの。
さらに"棒"は、世界中心である"ノースポール"にも暗喩される。クリストファー・ロビンひきいる北極テンケンタイ(探検隊)が、行軍のすえに見つけた変哲のない棒(ポール)こそ、北極であったというくだりにちなんでいる。
参考:クマのプーさん
さらに"棒"は、世界中心である"ノースポール"にも暗喩される。クリストファー・ロビンひきいる北極テンケンタイ(探検隊)が、行軍のすえに見つけた変哲のない棒(ポール)こそ、北極であったというくだりにちなんでいる。
参考:クマのプーさん
短い命も、ここのつは確保したし~?
クマが棒を投げ、復活を果たした九月のせりふ。
英語圏のことわざ「A cat has nine lives.(猫に九生あり)」にちなむ。
猫は敏捷で狡猾な生き物なので、しぶとく生き延びる、という意味。
古代エジプトでも、猫は9つの魂を持ち、9度生まれ変わると信じられていた。
猫は敏捷で狡猾な生き物なので、しぶとく生き延びる、という意味。
古代エジプトでも、猫は9つの魂を持ち、9度生まれ変わると信じられていた。
ミュージカル「CATS」でも、猫は転生することが前提となっている。
ジェリクル・キャッツに選ばれた猫には、さらにこの転生からも外れる、まったく新しい人生が与えられるようだ。
ジェリクル・キャッツに選ばれた猫には、さらにこの転生からも外れる、まったく新しい人生が与えられるようだ。
それも楽しそうだけど。あたしは、どれでもない。
それも楽しそうだけど。
あたしは、どれでもない。
でも、きっと――アマモリ 『Forest』
伏せ字にもかかわらず発音されている(かつダブルミーニングではない)、二つめの箇所(たぶん)。
「――」の部分は確かに発話されているが、強いエフェクトがかけられ正確に聞きとれない。
ここでは夜のとばりの降りた森に、幼いアマモリが帰還し、再び集った仲間たちにむけてこう告げられる。
彼女のポジションは、それまで物語中で示されてきた「語り手」「聞き手」「読み手」「踊り手」「伝い手(語り継ぐ者、歌い手)」という作品創作にまつわる五感の枠には、もはや留まらないのだと。
それに対するアマモリの答えは結局ボカされるわけだが、であるがゆえに、そこに何を聞きとり、読みとるのかは、はっきりと(「外」の)プレイヤーに託されている。
「――」の部分は確かに発話されているが、強いエフェクトがかけられ正確に聞きとれない。
ここでは夜のとばりの降りた森に、幼いアマモリが帰還し、再び集った仲間たちにむけてこう告げられる。
彼女のポジションは、それまで物語中で示されてきた「語り手」「聞き手」「読み手」「踊り手」「伝い手(語り継ぐ者、歌い手)」という作品創作にまつわる五感の枠には、もはや留まらないのだと。
それに対するアマモリの答えは結局ボカされるわけだが、であるがゆえに、そこに何を聞きとり、読みとるのかは、はっきりと(「外」の)プレイヤーに託されている。
これら一連のシーンは、プー棒投げなどの小道具を登場させてはいるものの、全体としては、ナルニア国物語において象徴的に反復される終末と再生の場面、「魔術師のおい」の創世の夜明けと、「さいごの戦い」でナルニア国に関わった七人の友の集結の場面をモチーフとしているといってよいだろう。
All in the golden dawn
訳すと黄金の夜明け。もちろん、「All in the golden afternoon」のもじり。