【非公式】霧雨の野望wiki
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ja
2012-03-28T21:29:25+09:00
1332937765
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姉小路家と長宗我部家が同盟
https://w.atwiki.jp/kirisamenoyabou/pages/376.html
*岡豊同盟
岡豊同盟(おこうどうめい)とは永禄7年5月に締結された、姉小路家と長宗我部家の同盟である。
**概要
永禄7年3月15日、姉小路・三好間の同盟関係は正式に破棄された。これを受けて、雑賀城の戦いにおける三好の敗残兵が筒井城付近を通行していた際、武田信虎が手勢を率いてこれを掃討している。つい先日までの盟友に対するこの豹変には、抗議や意趣返しがあっても不思議ではなかったが、三好からはこの件で何一つ反応らしきものは生じなかった。これは、既に両者の関係は冷え切っており、敗残兵とはいえ敵軍が領国を侵していれば排除するのは当然という認識であったからだ、という説が有力である。室町幕府ひいては足利家による権力を否定する方針を固めた姉小路家と、堺公方を擁しつつ室町公方との距離感を測ってきた三好家との間に妥協点は存在せず、両者の関係が破綻するのは当然であった。
新たな盟友を求めた姉小路家は長宗我部家へ盛んに使者を送って交渉を繰返し、同年5月25日、長続連による交渉の末、両者の間で起請文が交わされ、同盟が締結される。姉小路家は滝川雄利を人質として土佐に送った上、技術交流はもちろん技術支援にも積極的であり、一方の長宗我部家もその滅亡までこの同盟を違えることがなかった。
**同盟成立の経緯
【武田信虎による三好の残党駆逐】
破約したとはいえ、当時の情報伝達速度では、大名級はともかく、庶民の間では同盟が継続しているのかいないのか、知らない者が多かった。そのため、三好の敗残兵は落ち武者狩りを受けることなく、時に民家に宿を借りながら大和の山中を移動していた。
これを聞いた信虎は即座に掃討を指示、手勢を率いて三好勢の居場所へ向かい、休息している集落へ夜襲同然の攻撃をかけ、三好の敗残兵を追い散らしたという。信虎は、「夜襲の成功は敵を油断させた村人の功績である」と褒美を与えて引き揚げた。褒美をもらったとはいえ集落を荒らしたのは主に信虎勢であり、敵と知らずに善意で泊めているつもりの村人も多かったことから、当初からこの掃討には非難が多かった。しかし
「武田様は、わしらが敵を匿った罪を問われぬように、あえて乱暴なふりをして禍根を断ってくだされたのじゃ」
と感謝する者もいた。
以後、三好と姉小路は和泉や瀬戸内をめぐって争うが、大和は姉小路の版図にありつづけ
2012-03-28T21:29:25+09:00
1332937765
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川尻秀長
https://w.atwiki.jp/kirisamenoyabou/pages/375.html
☆このページでは、霧雨の野望における川尻秀長について詳細に解説しています。
史実での川尻秀長について詳しく知りたい方はwikipediaなどの川尻秀長を調べてください
&bold(){&big(){川尻秀長(かわじりひでなが)(天文23年(1554年)- )}}
//ここらへんにジョークなどを交えつつ解説を。(マジメでもいいけどね)
//下のデータで補足されていくので言葉が足りなくてもかまいません。
//視聴者って書かずに「町の人間」とか言い換えて書いてもいいかも。
☆出生・家族構成
//実際はいるんだけどゲームor本編では登場しない人物は記載しない方針で。
//ただし、既に死んでる人は表記しても大丈夫でしょう。多分。
☆官位・役職
☆参加合戦
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|革新能力|~|~|~|~|
|統率34|武勇60|知略30|政治13|義理51|
|足軽D|騎馬C|弓D|鉄砲D|計略D|
|兵器D|水軍D|築城D|内政D||
戦法:先駆け(決戦13現在)
|>|うp主解説|
秀隆の子。父の死で客分に身を落とすも秀吉に従い主要な合戦の殆どに参陣。
一城の主に返り咲くが、翌年の関が原にて西軍に属して討死。居城も陥落した。
親父ともども栄光の長く続かない家系だが、動乱の中を生き延びた連中と比べたら
その程度の器だったと言う他無いか。能力は親父より下。見る所は特になし。
|>|緑の人解説|
美濃苗木城は秀吉の美濃制圧に従って苗木遠山氏から奪ったものだが、関が原の際に取り返されている。
その遠山一族が守る岩村城を信玄の三州侵攻の際に救援しようとして失敗したのがこの人の親父さん。
|>|東方風武将解説|
妙に因縁が回る程度の能力
2010-11-29T08:00:47+09:00
1290985247
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川尻秀隆
https://w.atwiki.jp/kirisamenoyabou/pages/374.html
☆このページでは、霧雨の野望における川尻秀隆について詳細に解説しています。
史実での川尻秀隆について詳しく知りたい方はwikipediaなどの川尻秀隆を調べてください
&bold(){&big(){川尻秀隆(かわじりひでたか)(大永7年(1527年)- )}}
//ここらへんにジョークなどを交えつつ解説を。(マジメでもいいけどね)
//下のデータで補足されていくので言葉が足りなくてもかまいません。
//視聴者って書かずに「町の人間」とか言い換えて書いてもいいかも。
☆出生・家族構成
//実際はいるんだけどゲームor本編では登場しない人物は記載しない方針で。
//ただし、既に死んでる人は表記しても大丈夫でしょう。多分。
☆官位・役職
☆参加合戦
----
|革新能力|~|~|~|~|
|統率63|武勇74|知略22|政治17|義理44|
|足軽D|騎馬B|弓D|鉄砲C|計略D|
|兵器D|水軍D|築城D|内政D||
戦法:先駆け(決戦13現在)
|>|うp主解説|
与兵衛。織田家臣。黒母衣衆の筆頭。対武田最前線の要職を歴任した末に、
勝頼亡き後の甲斐の大封を手にするが、本能寺の変にてその栄光も露と消えた。
先駆けと騎馬Bが売りの普通の武官。彼が甲斐を治めた期間は僅か数ヶ月、
苦労人の結末としてはなんとも儚いが、最期に良い夢を見ただけましな方か。
|>|緑の人解説|
その経歴から槍働きの人と思われがちだが、算術と帳簿管理の名人という意外な一面も持っていた。
金山のある甲斐の統治を任された理由なんだが、その甲斐は国人が強すぎる国でもあったのが不運。
信長が行った武田狩りや恵林寺の焼き討ちによる甲斐国人の恨みを一身に受けた形となった。
国人一揆のど真ん中で抗する術もなく戦死。遺体は逆さに埋められたとも。
|>|東方風武将解説|
意外な才能を持っていた程度の能力
2010-11-29T07:48:10+09:00
1290984490
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田村隆顕
https://w.atwiki.jp/kirisamenoyabou/pages/373.html
☆このページでは、霧雨の野望における田村隆顕について詳細に解説しています。
史実での田村隆顕について詳しく知りたい方はwikipediaなどの田村隆顕を調べてください
&bold(){&big(){田村隆顕(たむらたかあき)(長享三年(1489)- )}}
//ここらへんにジョークなどを交えつつ解説を。(マジメでもいいけどね)
//下のデータで補足されていくので言葉が足りなくてもかまいません。
//視聴者って書かずに「町の人間」とか言い換えて書いてもいいかも。
☆出生・家族構成
//実際はいるんだけどゲームor本編では登場しない人物は記載しない方針で。
//ただし、既に死んでる人は表記しても大丈夫でしょう。多分。
☆官位・役職
☆参加合戦
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|革新能力|~|~|~|~|
|統率70|武勇76|知略53|政治44|義理24|
|足軽C|騎馬A|弓D|鉄砲D|計略D|
|兵器D|水軍D|築城C|内政C||
戦法:槍衾、先駆け、突進(決戦12現在)
|>|うp主解説|
陸奥三春城城主。三春田村家はかの伊達政宗の正室「愛姫」の実家。
小勢力ながらその武勇と戦略眼で伊達、葦名、佐竹の間を渡り歩いた。
どうも田村家はナムコの傑作歴史ゲー「独眼竜政宗」での少数精鋭の印象が。
革新でも騎馬Aとそこそこの精強さ。政治44なら技術要員としても最低限。
|>|緑の人解説|
|>|東方風武将解説|
「生存外交に長ける程度の能力」
時々で見方を乗り換える生存戦略は小勢力ならではだが、機を見るに敏だったのは確かだろう。
にもかかわらずこの能力は無いんじゃないかと思う。せめて政治力をもう少し評価してあげたい。
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2010-09-04T23:01:34+09:00
1283608894
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蒲生賢秀
https://w.atwiki.jp/kirisamenoyabou/pages/372.html
☆このページでは、霧雨の野望における蒲生賢秀について詳細に解説しています。
史実での蒲生賢秀について詳しく知りたい方はwikipediaなどの蒲生賢秀を調べてください
&bold(){&big(){蒲生賢秀(がもうかたひで)(天文三年(1534)- )}}
//ここらへんにジョークなどを交えつつ解説を。(マジメでもいいけどね)
//下のデータで補足されていくので言葉が足りなくてもかまいません。
//視聴者って書かずに「町の人間」とか言い換えて書いてもいいかも。
☆出生・家族構成
//実際はいるんだけどゲームor本編では登場しない人物は記載しない方針で。
//ただし、既に死んでる人は表記しても大丈夫でしょう。多分。
☆官位・役職
☆参加合戦
----
|革新能力|~|~|~|~|
|統率53|武勇52|知略62|政治60|義理58|
|足軽D|騎馬C|弓C|鉄砲D|計略D|
|兵器D|水軍D|築城D|内政D||
戦法:斉射(決戦12現在)
|>|うp主解説|
六角家臣。六角親子が信長に敗れると嫡男氏郷を人質に差し出して降伏。
本能寺の変に際しては、留守居の安土城に火を放たずに退去した逸話が知られる。
能力値は無能とは言わぬまでも平凡。しかし「蒲生氏郷の親父」というだけで
彼の価値は計り知れないといえる。黒田職隆や伊達輝宗に似たポジション。
|>|緑の人解説|
下記のフレーズは歴戦wikiに項目があったりする。パパももう少し見てあげてください。
確かに能力は微妙もいいところだけど。この程度は養っておける余裕が欲しいところ。
|>|東方風武将解説|
「息子が本体である程度の能力」
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2010-09-04T22:46:23+09:00
1283607983
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九鬼嘉隆
https://w.atwiki.jp/kirisamenoyabou/pages/371.html
☆このページでは、霧雨の野望における九鬼嘉隆について詳細に解説しています。
史実での九鬼嘉隆について詳しく知りたい方はwikipediaなどの九鬼嘉隆を調べてください
&bold(){&big(){九鬼嘉隆(くきよしたか)(天文十一年(1542)- )}}
//ここらへんにジョークなどを交えつつ解説を。(マジメでもいいけどね)
//下のデータで補足されていくので言葉が足りなくてもかまいません。
//視聴者って書かずに「町の人間」とか言い換えて書いてもいいかも。
☆出生・家族構成
//実際はいるんだけどゲームor本編では登場しない人物は記載しない方針で。
//ただし、既に死んでる人は表記しても大丈夫でしょう。多分。
☆官位・役職
☆参加合戦
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|革新能力|~|~|~|~|
|統率78|武勇74|知略55|政治44|義理65|
|足軽C|騎馬D|弓D|鉄砲B|計略D|
|兵器A|水軍S|築城C|内政D||
戦法:槍衾、早撃ち(決戦12現在)
|>|うp主解説|
九鬼水軍頭領。一度は毛利水軍の前に大敗を喫するも、鉄甲船を建造し雪辱。
その後も信長、秀吉の厚い信頼を得、「海賊大名」と呼ばれるほどに上り詰めた。
シリーズ通して水軍の代表格扱いだが、革新では村上武吉が陸上でも強いため
相対的に影が薄くなってしまった感。水軍技術なんて普通はAで十分だし。
|>|緑の人解説|
水軍能力は適正に依存しないので誰が指揮をとっても大して変わりません。
せめて技術開発は能力値の中の最高値を基準にできる仕様だったらよかったのにねぇ
|>|東方風武将解説|
「水軍能力が宝の持ち腐れな程度の能力」
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2010-09-04T23:02:58+09:00
1283608978
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岩村城の戦い
https://w.atwiki.jp/kirisamenoyabou/pages/370.html
*岩村城の戦い
☆このページでは、霧雨の野望における岩村城の戦いについて詳細に解説しています。
史実での岩村城の戦いについて詳しく知りたい方はwikipediaなどの岩村城の戦いを調べてください
岩村城の戦いとは永禄11年11月に武田と姉小路の間で起こった戦い。
**参加兵力及び戦力評価
姉小路家
八雲弾幕隊:鉄砲隊9500:[[八雲紫]]、[[堀秀政]]、[[仙石秀久]]
本隊:騎馬隊14500:[[竹中重治]]、[[六角義治]]、[[可児吉長]]
紅魔弾幕隊:鉄砲隊9500:[[十六夜咲夜]]、[[レミリア・スカーレット]]、[[斎藤龍興]]
前衛足軽隊:足軽隊9500:[[羽柴秀吉]]、[[柳生宗厳]]、[[鵜殿氏長]]
第一遊撃騎馬隊:騎馬隊14000:[[赤井直正]]、[[前田玄以]]、[[橙]]
第二遊撃騎馬隊:騎馬隊8500::[[籾井教業]]、[[八雲藍]]、[[前田利益]]
第一支援弾幕隊:鉄砲隊5000:[[丹羽長秀]]、[[関一政]]
第二支援弾幕隊:鉄砲隊5000:[[羽柴秀長]]、[[宮部継潤]]
第三支援弾幕隊:鉄砲隊5000:[[滝川益重]]、[[蒲生賢秀]]
第四支援弾幕隊:鉄砲隊5000:[[荒木氏綱]]、[[淡河定範]]
第五支援弾幕隊:鉄砲隊5000:[[小野寺輝道]]、[[中川清秀]]
武田家
岩村城守城[[山上照久]]→[[真田幸隆]]→[[武田義信]]
岩村城所属総兵力57000+援軍26000(12月5日前後)+援軍6500(12月20日)
//援軍6500(12月4日)+援軍13000(12月6日)+援軍6500(12月8日)
迎撃部隊
第一迎撃隊:足軽隊8000:[[上泉信綱]]
第二迎撃隊:騎馬隊8000:[[小幡信貞]]
第三迎撃隊:足軽隊9000:[[原虎胤]]
第四迎撃隊:騎馬隊8500:[[相馬義胤]]
第五迎撃隊:騎馬隊8500:[[山上照久]]
第六迎撃隊:騎馬隊5000:[[大関高増]]
第七迎撃隊:足軽隊7500:[[保科正俊]]
旗本隊:騎馬5000:[[武田義信]]、[[佐竹義重]]
**背景
美濃岩村城は武田家の美濃攻略及び信濃防衛のための最も重要な出城の一つであった。美濃での数度にわたる合戦の結
2011-07-17T20:30:41+09:00
1310902241
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新発田城の戦い
https://w.atwiki.jp/kirisamenoyabou/pages/369.html
*新発田城の戦い
新発田城の戦い(しばたじょうのたたかい)とは永禄12年に行われた姉小路家が揚北地方の新発田城を攻略した戦いである。
**参加兵力及び戦力評価
姉小路家(春日山城)
本隊:騎馬隊16000:[[朝倉宗滴]]、[[紅美鈴]]、[[大宝寺義氏]]
第一弾幕隊:鉄砲隊5000:[[鈴木重秀>鈴木重秀(雑賀孫一)]]、[[鈴木重泰]]、[[原長頼]]
第二弾幕隊:鉄砲隊5000:[[本願寺顕如]]、[[アリス・マーガトロイド]]、[[赤尾清綱]]
第三弾幕隊:鉄砲隊5000:[[浅井長政]]、[[小島職鎮]]、[[真柄直隆]]
第四弾幕隊:鉄砲隊5000:[[鈴木重意]]、[[朝倉景鏡]]、[[田中吉政]]
上杉家
春日山城兵6515:城主[[四季映姫・ヤマザナドゥ]]
**概要
姉小路家は[[南越後攻略戦]]以降の一連の合戦の結果ほぼ越後全土を掌握しつつあり、残っているのは阿賀野川以北の揚北地方のみであった。
姉小路軍は大宝寺義氏を案内役に3万6千をこれの制圧へと向けた。
対する新発田城に篭る上杉家は僅か6千5百余り。新発田城は春日山城のような石垣などの近世的改修を一切受けていなかった。
攻撃開始は11月15日の未明であったが、わずか半月の11月30日に落城してしまった。
上杉謙信自身が僅かな手勢を率いて援軍に向っていたものの、12月2日、越後と出羽国境付近の小国村にて落城の報が届いたため、一部の旗本を偵察に残して山形城へと帰城した。
**この戦いの影響
一連の戦いで姉小路家は越後を統一した。
しかし、その間に上杉家は十三年に及んだ奥羽及び蝦夷征伐にけりをつけた。
そのため、姉小路家は後顧の憂いを除いた上杉謙信と直接対峙することとなり、[[南越後攻略戦]]以来の快進撃はこの合戦にていったん終息した。
**逸話
この戦いの直前に蠣崎家は上杉家に降伏した。
嫡男[[蠣崎舜広]]の毒殺、及び当主[[蠣崎季広]]の突然の危篤によって内乱が発生したためである。
この内乱は蝦夷諸勢力の介入を招き、上杉家によって鎮圧された時には、
主な一族郎党で生き残れたのは意識不明の重態のまま菩提寺で看病されていた蠣崎季広、
箱館港にいた[[蠣崎慶広]]、商家に保護された幼少の蠣崎守広の三名だ
2011-07-17T20:29:14+09:00
1310902154
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保科正俊
https://w.atwiki.jp/kirisamenoyabou/pages/368.html
☆このページでは、霧雨の野望における保科正俊について詳細に解説しています。
史実での保科正俊について詳しく知りたい方はwikipediaなどの保科正俊を調べてください
&bold(){&big(){保科正俊(ほしなまさとし)(永正6年(1509年)- )}}
//ここらへんにジョークなどを交えつつ解説を。(マジメでもいいけどね)
//下のデータで補足されていくので言葉が足りなくてもかまいません。
//視聴者って書かずに「町の人間」とか言い換えて書いてもいいかも。
☆出生・家族構成
//実際はいるんだけどゲームor本編では登場しない人物は記載しない方針で。
//ただし、既に死んでる人は表記しても大丈夫でしょう。多分。
☆官位・役職
☆参加合戦
----
|革新能力|~|~|~|~|
|統率66|武勇88|知略28|政治18|義理42|
|足軽S|騎馬C|弓D|鉄砲D|計略D|
|兵器D|水軍D|築城D|内政D||
戦法:槍衾 槍突撃 先駆け(決戦11現在)
|>|うp主解説|
信濃の人。信玄の信濃侵攻に降る。武田家の信濃先方衆を務め武功多く、
逃げ弾正・高坂、攻め弾正・真田と並び「槍弾正」と称された程の剛勇の士。
さすがに他の二弾正よりは影が薄く、足軽適正S以外は普通の武勇要員。
なぜか「先駆け」も所持するのだが、騎馬適正は並なので足軽隊で使いたい。
|>|緑の人解説|
能力値だけを見れば二流の戦闘屋だが、意外と武田チート軍団の中でも埋没することは少ない。
騎馬系に偏重しがちな武田軍団の中で、数少ない足軽系の特技や適性という個性のおかげかも。
|>|東方風武将解説|
「他との差別化で光り輝く程度の能力」
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2010-06-07T03:33:38+09:00
1275849218
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相馬義胤
https://w.atwiki.jp/kirisamenoyabou/pages/367.html
☆このページでは、霧雨の野望における相馬義胤について詳細に解説しています。
史実での相馬義胤について詳しく知りたい方はwikipediaなどの相馬義胤を調べてください
&bold(){&big(){相馬義胤(そうまよしたね)天文17年 1547- }}
//ここらへんにジョークなどを交えつつ解説を。(マジメでもいいけどね)
//下のデータで補足されていくので言葉が足りなくてもかまいません。
//視聴者って書かずに「町の人間」とか言い換えて書いてもいいかも。
☆出生・家族構成
//実際はいるんだけどゲームor本編では登場しない人物は記載しない方針で。
//ただし、既に死んでる人は表記しても大丈夫でしょう。多分。
☆官位・役職
☆参加合戦
----
|革新能力|~|~|~|~|
|統率76|武勇70|知略54|政治50|義理76|
|足軽D|騎馬A|弓D|鉄砲D|計略D|
|兵器C|水軍D|築城C|内政D||
戦法:先駆け 突進 (決戦11現在)
|>|うp主解説|
桓武平氏将門流を称す。相馬十六代。相馬家は天文の乱にて稙宗側に属し、
以降晴宗、輝宗、政宗三代に対して抗争を続けた伊達家の「宿敵」。
一流の猛将とは言えない程度の能力、しかし父親共々騎馬Aで政治そこそこ。
常に前線におく程の数値でもないので、技術要員としては重宝するタイプ
|>|緑の人解説|
独眼竜政宗で初めて知ったという声をよく聞くが、親父さんのことと勘違いしている人が意外と多い。
生涯負けっぱなしでいいところなしでは仕方ない気もするが、もう少し評価してあげてもいいのでは。
|>|東方風武将解説|
「チートに挟まれて生き残った程度の能力」
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2010-06-07T03:16:37+09:00
1275848197