☆このページでは、霧雨の野望における北条綱成について詳細に解説しています。
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北条綱成(ほうじょうつなしげ)(永正12年(1515年- )
後北条家一門衆。北条家きっての猛将。
☆出生・家族構成
今川氏親の命で甲斐に侵攻した父福島正成を飯田河原の合戦で討ったのは、
武田信虎である。姉小路家に仕官した信虎と一戦交えるならば、
仇討ちの好機?
☆官位・役職
左京大進
☆参加合戦
革新能力 |
統率94+3 |
武勇94+5 |
知略79 |
政治50+3 |
義理89 |
足軽A |
騎馬S |
弓D |
鉄砲D |
計略B |
兵器B |
水軍A |
築城D |
内政D |
|
2代氏綱の娘婿。旗印は「地黄八幡」。関東全域を敵に回した河越城の戦では、
十倍以上の兵力相手に半年余を凌ぎ、続く河越夜戦の大勝利を呼び込んだ。
90を超える統率・武勇に加え、知略も80近く適性も優秀。人材が政治系に偏る
北条家において、一流の猛将とも殴り合える力は際立つ。
外交や調略の手腕にも優れ、奥州の白川や下総の結城と交渉する際、北条家の支配
を固めた。後北条家の武の要。合戦ともなると「勝った!勝った!」と怒号しながら
真っ先に敵陣に突入した程の猛将。
それと、群雄伝の昔から評価激低の北条において唯一常時評価の高い人。
元は今川家の福島正成の子。北条家に落ち延びてからは二代氏綱の薫陶を受け
北条の一門衆となる。
「政治・軍事全般を委ねられる程度の能力」
最終更新:2008年04月03日 21:05