☆このページでは、霧雨の野望における本多正信について詳細に解説しています。
史実での本多正信について詳しく知りたい方はwikipediaなどの本多正信を調べてください
本多正信(ほんだまさのぶ)(天文7年(1538年- )
松平家家臣。現在は北条家に仕える。
ちなみにシナリオによっては本願寺に仕えていたりする。
決戦1から始まる
尾張攻略戦では
ギリワンを何度も虚報にかけている。
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率20 |
武勇6 |
知略102 |
政治95 |
義理53 |
足軽D |
騎馬D |
弓D |
鉄砲D |
計略S |
兵器S |
水軍D |
築城B |
内政A |
|
家康に友と呼ばれた男。忠勝とは別家。一向門徒であったため一度は家康に叛旗を翻すが、
後に帰参。その謀略の才で汚れ役を一手に引き受け信頼を得た。
頭脳面の能力はさすがに圧倒的。イメージ的にも助言役がよく似合う。私生活は清廉その物
だったと伝わるが、私欲の無さなのか隙を作らぬ為なのか。
家康に叛旗を翻した後はギリワン(松永久秀)に仕えた。ギリワンには重用されたが、
やがてギリワンの元を去って諸国を放浪する。徳川に帰参してからは、前田利長の
謀反嫌疑の謀略や家康が将軍職に就任するために朝廷との交渉等に尽力した。
家康隠居後は幕政の主導を担ったが、大久保忠隣等の武功派との権力抗争を
繰り返すようになる。
(白コメントより)
もっとも、出頭人と武功派の仲が悪いのはどこも同じである。
大内、豊臣など出頭人と武功派の衝突が家を滅ぼした例は決して少なくない。
「徳川の知恵袋と評される程度の能力」
最終更新:2009年01月05日 00:30