☆このページでは、霧雨の野望における足利義秋(足利義昭)について詳細に解説しています。
史実での足利義秋(足利義昭)について詳しく知りたい方はwikipediaなどの足利義秋(足利義昭)を調べてください

足利義秋(足利義昭)(あしかがよしあき)(天文6年(1537年- )

足利将軍家(一門)、剣豪将軍と名高い足利義輝の弟。
僧名は覚慶。足利義輝が現役であるから、彼はまだ坊主のはずなのだが。
(将軍家を維持するためとはいえ)妖怪を幕府の要職に就かせ大軍の指揮権を与えるなどを行う兄と反発。
洛南会戦には参戦したが足利家敗戦以後、その姿が見られず消息不明となる。

どうやら織田信長がいる三好家に匿われていたが、姉小路包囲網のため武田家へ向かっていた模様。
史実と同じく包囲網を画策させるあたりうp主の演出がにくいところ。
幕府が滅びたことを認めてはいないようで、14代将軍を名乗っている可能性が高い。


☆出生・家族構成
兄に足利義輝


☆官位・役職


☆参加合戦
洛南会戦(足利)



革新能力
統率28 武勇14 知略92 政治82+5 義理30
足軽D 騎馬D 弓B 鉄砲D 計略A
兵器C 水軍D 築城D 内政B

うp主解説
義昭。室町幕府15代将軍。義輝の弟。信長によって擁立されるが後に対立し、
信玄らに呼びかけ信長包囲網を形成。敗れ追放された後も政治工作を続けた。
信長をも苦境に陥れた策略家か、幕府の終焉を招いた無謀なる将軍か。
何かと評価の分かれる人物である。信長の野望シリーズでは大抵前者扱い。

緑の人解説
兄義輝の暗殺の時に京都で幽閉されかけたが脱出に成功、その後流浪していたが、信長の支援を受け将軍に就任。
その後信長との関係が悪化、持ち前の権力と計略で以って信長包囲網を構築するものの失敗に終わった。
京を追われた後も権威復活を望んでいたが秀吉の天下の時に秀吉の配下となった為、諦めたものと思われる。

東方風武将解説
「最後の将軍になる程度の能力」



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最終更新:2011年07月17日 20:56